『洋楽の棚』傑作選「コール・ミー」

今週の傑作選として選んだのは輝かしき第1回で紹介したブロンディーの「コール・ミー」です。この曲の歌詞は、簡単な英単語しか使われていないというのに、その意味がうまく理解できない、と言うよりもチンプンカンプン(笑)という洋楽の典型例。恐らく、日本語にどう訳していいものやらと多くの方々が悩むはずの歌詞だと思いますので、ここに記してあることが少しでも理解の助けになってくれればと思います。但し、僕の解説が必ずしも正しいとは限りませんので悪しからず(汗)。

【第1回】Call me / Blondie (1980)

Blondie のこの曲がリリースされたのは1980年。女性歌手の歌声と言えばキャンディーズやピンクレディーのそれしか思い浮かばないような当時中学3年生だった僕が、突然ラジオから流れてきたドラムの連打で始まるパンチの効いたイントロとそれに続くボーカルのDebbie Harry(なぜだか日本では本名のDeborah で紹介さていますが、ここではDebbie で統一します)のパワフルな歌声を聞いた時の衝撃は今でも忘れられません。その半分を海外での放浪生活に費やし駆け抜けた80年代という僕の青春は、まさにこの曲と共に始まったと言っても過言ではない思い出の名曲です。

Color me your color, baby
Color me your car
Color me your color, darling
I know who you are
Come up off your color chart
I know where you are coming from

愛しのベイビー、僕を君の色に染めておくれよ
僕を君好みにしてくれよ、君の愛車みたいにさ
愛しのダーリン、僕を君の色に染めておくれよ
僕は君がどんな人なのか分かってるさ
君の欲望に付かず離れずでいるのはね
僕には君の考えてることが分かるから

Call me (Call me) on the line
Call me, call me any, anytime
Call me (Call me) I’ll arrive
You can call me any day or night
Call me

だから、僕に電話してよ
いつでもいいから電話して
お願いだから電話して、すぐに行くから
昼でも夜でもいいからさ
僕に電話してくれよ

Cover me with kisses, baby
Cover me with love
Roll me in designer sheets
I’ll never get enough
Emotions come, I don’t know why
Cover up love’s alibi

愛しのベイビー、僕の体をキスで覆いつくしてくれよ
愛で僕を包み込んでくれよ
成金のベッドで僕を抱いてくれ
でも、それだけじゃ足りないな
だって、僕は感情が昂って分からなくなってるんだ
どうして君が二人の情事を隠そうとするのかってね

Call me (Call me) on the line
Call me, call me any, anytime
Call me (Call me) I’ll arrive
When you’re ready we can share the wine
Call me

だから、僕に電話してよ
いつでもいいから電話して
お願いだから電話して、すぐに行くから
君にその気があるのなら、僕らは秘密を分かち合えるんだ
だから、僕に電話してくれよ

Ooh, he speaks the languages of love
Ooh, amore, chiamami, chiamami
Ooh, appelle-moi, mon chéri, appelle-moi
Anytime, anyplace, anywhere, any way
Anytime, anyplace, anywhere, any day, any way

彼って外国語でも愛を囁くの
イタリア語で、愛しの人よ、僕に電話して、電話してとか
フランス語で、僕に電話して、愛しの人よ、電話してとかってね
いつでも、どこでも、どこからでも、どうやってでも
いつでも、どこでも、どこからでも、どんな日でも、どうやってでも

Call me (Call me) my love
Call me, call me any, anytime
Call me (Call me) for a ride
Call me, call me for some overtime
Call me (Call me) my love
Call me, call me in a sweet design
Call me (Call me), call me for your lover’s lover’s alibi
Call me (Call me) on the line
Call me, call me any, anytime

僕に電話してくれ、愛しの人よ
電話して、いつでも僕に電話して
電話して、車が要るなら
電話してよ、仕事を終えたら
電話してくれ、愛しの人よ
電話して、甘美なデートプランを用意したら
電話して、話したくても話せない隠し事が必要な時は
だから、僕に電話して
電話してくれればいいんだ、いつでもいいから

Call Me Lyrics as written by Deborah Harry, Giorgio Moroder
Lyrics © Sony/ATV Music Publishing LLC

【解説】
今回は第1回目の解説。なので、この解説の読み方というか使い方を先に説明しておきたいと思います。本コーナーでは、英語の歌詞と和訳のあとにその解説を記しますが、解説で扱うそれぞれの歌詞は、節verseの部分とコーラスchorus 部分を区別せず、すべて単純に節として扱っていますので(その方が、第〇節〇行目という表記で統一できるからです)ご理解いただけますようお願い致します。それと、それぞれの回で紹介している英語と和訳の歌詞部分を印刷し、その歌詞を見ながら解説を読むとより理解し易いので、ご参考まで。では、記念すべき第1回目の解説に入りましょう!

1980年前後の時代には、FMラジオ局が放送する音楽の曲名や曲順、正確な時間までが列記された詳細な番組表が掲載されている「FMレコパル」や「FMfan」といった音楽ファン向けの雑誌が隔週で発売されてまして(番組表を参考に目当ての曲が放送される日時をチェックし、その放送を待ち受けてカセットデッキに録音する訳です。今の若い人には具体的な光景が目に浮かばないと思いますが…)、その雑誌で美しい金髪に黒の革ジャン姿のDebbie Harry の姿を初めて見てからというもの、僕は彼女がロンドンあたりのパンクの姉ちゃんでイギリス人なんだと勝手に思い込んでしまっていました。彼女がフロリダ生まれのニュージャージー育ちという生粋のアメリカ人で、この曲をリリースした時には既に35歳であった(姉ちゃんではなかったんです・汗)と知ったのはずっと後になってからのことです。マリリン・モンローのような雰囲気を漂わせる当時のDebbie Harry のルックスには、おつむの弱い典型的な白人女性といった感じのイメージが重なりますが、この曲の歌詞はDebbie自身が作詞したものであり、その歌詞が完全に韻を踏んではいないものの二行連の古典的な西洋詩の形式で書かれていることから見ても、彼女はそんなイメージとは違うそれなりに学のある女性であることが窺えます。しかし、この曲が中学校で習うような英語の単語しか使われていないのに非情に理解し辛いという、前書きにも書いたような歌詞の典型であるのはそのせいではありません。なぜなら、この歌詞がどのようにして書かれたかの経緯を知らずにこの曲を聞いたり歌詞を読んだりした場合、ネイティブ話者でさえ、言語として捉えることはできても何を意味しているのかが良くは分からない筈だからです(笑)。と言うのも、この歌詞にはリチャード・ギアが主演した映画「アメリカン・ジゴロ」の主題歌の作詞を依頼されたDebbie が映画の試写を見てからそのストーリーに合わせて詩を作ったという背景がある為で、その映画の内容を知らずして歌詞の解釈をすることはほぼ不可能と言って良いかと思います。

その映画のストーリーはというと、アメリカの西海岸でギアが扮する金持ちのご婦人たちを上客にする男娼(つまりは、自分の体を資本にして商売をする男性です)と政治家である議員を夫に持つ上流階級の女性客とが真の愛に目覚めていくという凡庸なもので、ある日、ギアの客の一人が惨殺されて、彼女と顔見知りのギアに殺人容疑がかかることから波乱が始まります。その犯行時間にギアは別の客の相手をしていて、相手の婦人がアリバイを証明してくれれば簡単に無罪を証明できるのですが、婦人は夫に情事がばれるのが怖くて彼と一緒にいた事実を警察に証言してくれません。そのせいでギアは殺人の容疑で逮捕されることになりますが、そこで登場するのが前出の議員婦人で、ギアを愛する気持ちが本物であることに気付いた彼女は、議員の夫と別れることになるのを覚悟した上で、犯行時間にギアとベッドで時を共に過ごしていたと警察に偽証をし、晴れてギアは釈放されるという展開で映画は終わります(ネタバレですみません。こうしないと歌詞の意味を分かっていただけないので)。ここまで話を聞いて「えっ?そうなの?」と思った方はおられませんか?そうなんです。女性の歌手が歌っているんだから、歌の主人公は女性で女性の気持ちが表現されているのだと普通は考えてしまうものなんですが、実はこの曲、男性側の気持ちを女性が歌っているんです!だから、和訳の主語が「僕」なのです。映画の中でギアが演じる男娼は毎日身体を鍛えているマッチョな感じな男で、主語は「俺」にしようとも考えましたが、マッチョだけではないスマートさと品の良さもある男性として描かれていたので、主語を「僕」にしました。日本語の「俺」と「僕」とでは随分と印象が変わりますから、このあたりが男性であろうが女性であろうが一人称が「I」しかない英語を日本語にする際の難しい部分ですね。

それでは、この映画のストーリーを頭に入れた上でCall Me の歌詞を見ていきましょう。先ず1節目の出だしの3行ですが、Color me の後に来るのは文法的には形容詞のはずで、この歌詞のように名詞が置かれることは通常ありません。ここはColor me の後にlike を入れてみると分かり易いです。2行目のyour car は1行目のyour color と韻を踏ませているもので、car という単語を彼女が使ったのは車というものが持ち主の好みを反映する典型的な物だからであり、2行目は自分の愛車のように好きなように仕上げてくれというような意味だと僕は解釈しました。5行目のCome up off your color chart はこの曲の歌詞の中では恐らく一番難解な部分で、僕はCome up and come off your color chart と置き換えて考えました。color chart というのは色見本のことで、例えばハンドバッグをオーダーメードで作るとした場合「お色は如何いたしましょう?」と店の主人が見せてくる幾つもの色が並んだ一覧表のようなものがそれにあたりますが、1節目のColor meから考えて、ここで言うcolor chart は男娼の客であるご婦人たちの様々な(淫らな)欲望の比喩であると僕は理解しました。つまり、Come up off your color chart とI know where you are coming from の2行で、あなたの欲望にはそう簡単に応じませんよという夜の世界特有の相手をじらすような気持ちを表しているのではないかと考えます。I know where you are coming from は、ネイティブ話者がこの言葉を使う時は「あー、その気持ち分かるよ」といった意味で言っているのが常で、4行目のI know who you are にひっかけられてもいます。

第2節はCall me の連呼だけなので難しい部分はありませんね。Call me だけだと、後に続く何かを呼んでくれなのか、僕を呼んでくれなのか、僕に電話してくれなのか判別できませんが、on the line がわざわざ付け加えられているとおり、電話してくれの意味であることは明らかで、映画の中でも、ギアが電話を使って客と連絡のやり取りをするシーンが頻繁に出てきます。3節目のCover me with kisses は、体のそこら中に隙間がないほどキスをして欲しいといったイメージが僕の頭に浮かんだのでこう訳しました。3行目に出てくるRoll me in designer sheets もまたまた難解な部分です。映画の中ではギアが客から買ってもらったアルマーニを始めとした様々なブランドの服が出てきますが、当時のアメリカの上流社会では(今でも日本はそうだと思いますけど)ブランド品であれば何でも高級で良いものというような風潮がありdesigner sheets にはそういった風潮への揶揄だと僕は理解したので、このように訳しました。ベッドのシーツなんて真っ白で清潔なものであれば事足りるのに、シーツにまでわざわざ高いブランド品を使って満足しているのはモノの価値が分からぬ成金だけだという訳です。最後のCover up love’s alibiの部分も、映画のストーリーを知らなければ何のことだかよく分かりませんが、これを今読んでいる皆さんであれば、何を意味しているのかもうお分かりのことでしょう。

第4節では再びCall meの連呼に戻ります。4行目のthe wineは、恐らく、情事という二人の秘密の比喩ではないかと考えました。5節目に入ると曲調はDebbie のナレーションのような感じになり、いきなり歌詞がイタリア語やフランス語に変わることから、1行目のthe languagesは外国語を指していることが分かります。この節も映画を見ていないとなぜここで唐突に外国語が出てくるのかという疑問しか残りませんが、これは映画の中でギアが扮する男娼が外国からやって来る太客も抱えているからで、フランス語やスウェーデン語をギアが流暢に話している場面が何度か出てきます(映画に登場するギアに女性を斡旋するエージェントの女性は恐らくスウェーデン系アメリカ人という設定)。ここで興味深いのは、この4節目がこの曲をプロデュースしたイタリア人アーティストのGiorgio MoroderがDebbieにアドバイスをして付け加えられたものであるという事実。映画の中ではフランス語とスウェーデン語だったのに、曲の方ではイタリア語とフランス語になっているのは、色男の代表格であるイタリア男のプライドがそうさせたような気がしてなりませんね(笑)。最後の節でも再びCall me の連呼に入りますが、ここでやっかいなのはfor some overtimeとin a sweet designの部分。for some overtime は仕事が終わったその延長線上という感じがしたのでこの訳とし、in a sweet design の部分は、design という単語に意図などの意味もあるので、僕には高級レストランで食事の予約といったデートのお膳立てのようなものが頭に浮かびました。designという言葉をデビーがわざわざ使ったのは、前節のdesigner sheets にひっかけてここでも成金を皮肉っているからではないかというような気が僕にはします。

因みにこの曲には、もっと歌詞が長いロングバージョンや、あまり知られてはいませんが映画「アメリカン・ジゴロ」をスペイン語圏の中南米でヒットさせることを狙ってDebbie がスペイン語で歌わされたバージョン(Llámame というタイトルで、英語のCall me をスペイン語で言うとこうなります)なんてものもあります。スペイン語バージョンを聞いてみたことがありますが、かなりの部分で歌詞が英語とは違ったものに差し替えられている上、何よりも歌の響きがなんとも間の抜けたものになっていて全くイケてませんでした。そのせいかどうかは分かりませんが、スペイン語圏で「Llámame」が大ヒットしたという話を聞いたことはないです(笑)。

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衆議院解散ですってよ(笑)

日本国の首相であるトンマ女が、円安や物価高、金まみれの糞議員、トンマ女自らを含めたカルト宗教教団に大献金を受ける糞議員、国保の支払いを逃れる日本維新の糞議員といった重大問題に一切取り組むことなく、国会の冒頭で衆議院を解散しました。またまたいつもの茶番劇の始まりです(笑)。毎度ながらの私利私欲、党利党略解散。シンゾー君も私利私欲解散が大好きでしたが、その愛弟子のトンマ女もそっくりですね。そもそも、首相が解散権を持つなんてこと自体、あってはならないことであり、流石は似非民主主義、どこまでも為政者、権力者の都合の良いようにできています。今回、なぜ日本国が重大問題を山ほど抱えているこんな危機的な状況下でいきなり解散なのかと言いますと、答えは簡単。アメリカのトンマと同じですね。トランプが自らのスキャンダルであるエプスタイン問題から国民の目を逸らしたいように、高市早苗は、統一教会から自らが大献金を受けていたというスキャンダルから国民の目を逸らしたいからです。故に、同じように議員の国保逃れスキャンダルから国民の目を逸らしたい「日本維新の会」も解散にもろ手を挙げて大賛成!ほんと、笑えます。

しかも、トンマ女、糞自民党から分離しただけの政党である立憲(党首のNは官僚の言いなりになって消費税を上げた一番低能な人物であるだけでなく、そのことで国民の怒りを買って再び自民党が政権に戻ることを許したカス中のカス)とカルト教団が作った公明党とが合体してできた新党が食料品に課している消費税を恒久的に廃止すると公約に掲げると、このままでは選挙でぼろ負けすると相当焦ったのでしょう、あれだけできないと言っていた消費税の廃止を検討すると言い始めました(笑)。ですが、トンマ女と自民党は、検討すると言っているだけで、廃止するとは言ってません。選挙が終われば「検討しましたが、やはりできません」と言うのは100%保証付き。ですので、皆さん、騙されないように注意してくださいね。

まあ、似非民主主義のシステム上、選挙後、どこの政党が主導権を握ろうがいつもと同じで何も変わらない訳ですが、少なくとも食品への消費税が恒久的に廃止されることと、金まみれ、国保逃れの政党の議員が全員落選すること、そして、あのトンマ女の心底薄気味悪い作り笑顔を見なくていいようにくらいはなって欲しいものです。

(↓)トンマ女を首相に推薦した裏金議員はこいつらです!

(↓)シンゾー君の指導の下、せっせと裏金作りに励んでいたのはこいつらです!

このタコが!

日本語で「このタコが!」と誰かに罵声を浴びせる時(紳士淑女の方々はこんなことは言いませんけども・笑)、ここでのタコは「バカ、マヌケ」の代替語ですが、アメリカでもあのトンマに対してタコ(TACO)という言葉が盛んに使われていることをご存知でしょうか?英語のTACOは「Trump Always Chickens Out・トランプはいつもちびって逃げ出す」という文言の略で、まあ、マヌケという意味では同じですかね(笑)。つまり、TACOはトランプがいつもイキって「〇月〇日から、おまえの国に対する関税を上げる」と脅すものの、相手から「あんたのいうことなんか誰が聞くか、この糞野郎!」と強気に出られると直ぐに「我々は合意に達した」と、合意などありもしないのに一方的に嘘を並べ立てて逃げるといういつものお笑い戦法のことを指しているということです(トランプがTACOにならないのは「俺のケツを舐めろ」とアメリカに言われればすぐに舐める従順な日本国のような国家が相手の時だけですね・笑)。

今回も、トンチキが何の根拠もなく自国領だと公然と主張しているグリーンランドの件で、それに反発してグリーンランドに派兵したヨーロッパ8カ国に2月1日から10%の関税をかけ、それでもグリーンランドがアメリカのものであることを認めないなら6月からは25%にするとイキって息巻いたものの、ヨーロッパ各国が「譲歩はしない!」と強気に出ると、いきなり「我々は合意に達したから追加関税はかけない」といつもと同じパターンで平気で嘘をついて、関税の発動を見送りました。しかも、あのトンマが「我々は合意に達した」と発言したのはNATOの事務総長と会談した後のこと。デンマークの代表者と自治領グリーンランドの代表者という当事者がその場にいなかったのに、NATOの事務総長と話していったい何の合意に達するんでしょうか?ほんと、笑えます。しかし、もっと笑えるのは、トンマのこの発言を受けて、デンマークも含めたヨーロッパ各国がこぞって発言を歓迎し「今後も対話を続けていくことが重要」などと性懲りもなく愚かなことを言っている点。これらの欧州偽善国家群は1938年にイギリス首相のチェンバレンがやらかしたヒトラーと対話で話をつけようとする愚かな行為という歴史的過ちから何の教訓も得ていませんね(汗)。

そもそもからして、アメリカ合衆国の大統領が自分勝手に他国へ関税をどんどん課していくこと自体に法的根拠は何も無く、アメリカ人の中でもまともな思考のできる人は、トンマの悪行を違法だとして裁判所に訴えていて、あとは連邦最高裁判所の判断を待つだけのところまで来ているのですが、連邦最高裁判所は何度も判断を先延ばしにした挙句、未だに判決期日すら発表していません。が、これは当然のこと。だって、連邦最高裁判所の裁判官9人のうち6人がトンマが任命した連中なんですから(笑)。日本も同じですが、為政者が裁判官を任命してその給与も支払っているなんていう似非民主主義のシステムの中で正義など端から実現する筈がないのです。

『洋楽の棚』傑作選「フーリッシュ・ビート」

先日、小説「風と娼婦」に登場するタイの懐かしのポップスをブログで紹介しましたが、その延長版として今週の『洋楽の棚』傑作選では、第7回で取り上げたデビー・ギブソンの名曲を紹介させていただくことにしました。

小説「風と娼婦」はこちらで無料公開中→ https://leon-no-hondana.com/?page_id=2315

【第7回】Foolish Beat / Debbie Gibson (1987)

このDebbie Gibson の曲は僕のお気に入りの曲と言うよりも、一生忘れることはない思い出の曲です。その出来事があって以来、この曲を耳にすると胸が締めつけられ、苦しくって長らくのあいだ聞くことができなかったんですが、あれから30年以上の月日が流れ、最近ようやく、何か懐かしさを感じながら聴けるようになりました。それがなぜなのかに興味を持たれた方は、このサイト内の『小説の棚』にアップしてある『風と娼婦』という僕の作品を読んでみてください。特に、携帯電話が一台あれば世界の果てとも簡単につながることのできる今の時代しか知らない若い人たちに読んでもらえたら嬉しいです。

There was a time when
Broken hearts and broken dreams
Were over
There was a place where
All you could do was
Wish on a four leaf clover

傷ついたり夢破れたり
した時があったわ
昔のことだけどね
あたしができることと言ったら
四つ葉のクローバーに
祈ることぐらいだった

But now is a new time
There is a new place
Where dreams just can’t come true
It started the day when I left you

でも今、時は新たになったの
新たな人生の一歩を踏み出すわ
夢が叶うって訳じゃないけどね
すべてはあなたと別れた時から始まったのよ

I could never love again the way that I loved you
I could never cry again like I did when I left you
And when we said goodbye
Oh the look in your eyes
Just left me beside myself without your heart
(Without your heart)
I could never love again now that we’re apart

あなたを愛したようにもう人を愛せないでしょうね
あなたと別れた時みたいに泣くこともないと思うわ
だって、あたしたちに別れが訪れた時
あなたの目に浮かんだものが
あたしの心をかき乱したんだもの。あなたの気持ちを考えもしなかった
離れ離れになった今、またあなたを愛したいだなんて無理もいいところよね

When I was sorry
It was too late to turn around
And tell you so
There was no reason
There was no reason
Just a foolish beat of my heart

後悔した時はもう
振り返るには手遅れだった
だから、あなたにはこう伝えたいわ
理由なんて何もなかった
理由なんて何もなかったってね
単にあたしが浅はかだったのよ

I could never love again the way that I loved you
I could never cry again like I did when I left you
And when we said goodbye
Oh the look in your eyes
Just left me beside myself without your heart
(Without your heart)
I could never love again now that we’re apart

あなたを愛したようにもう人を愛せないでしょうね
あなたと別れた時みたいに泣くこともないと思うわ
だって、あたしたちに別れが訪れた時
あなたの目に浮かんだものが
あたしの心をかき乱したんだもの。あなたの気持ちを考えもしなかった
離れ離れになった今、またあなたを愛したいだなんて無理もいいところよね

Oh, can’t you see I’m not fooling nobody
Don’t you see the tears are falling down my face?
Since you went away
Break my heart, you slipped away
Didn’t know I was wrong
Never meant to hurt you now you’re gone

あたしが誰も欺いていなんかないって分かってもらえないわよね
あたしの頬を伝ってる涙だって見える訳ないわよね
もう離れ離れになっちゃったんだもの
ああ、あたしの心はもうずたずた。だって、あなたはそっと身を引いたんだもの
悪いのはあたしだって知らないままにね
あなたを傷つける気なんてなかったのよ。今となっては遅いけど

I could never love again now that we’re apart
(Now that we’re apart)
I could never love again now that we’re apart

離れ離れになった今、あなたをもう一度愛するなんてできないわよね
あなたをもう一度愛するなんてできる訳ないわ。もう離れ離れなんだもの

Foolish Beat Lyrics as written by Debbie Gibson
Lyrics © MUSIC SALES CORPORATION

【解説】
この曲が大ヒットして全米週間チャートで1位を獲得した1987年、Debbie Gibson はまだ高校生でした。17歳という最年少で栄冠を得た彼女の前人未到の記録は今も破られていません(16歳でリリースしたアルバムOut of the Blue(本曲を含む)から5曲ものシングルカットが全米トップ10入りしたという凄まじい記録も彼女は持っています)。驚くのは、この曲の歌詞を実体験からではなく想像で創作したと彼女が語っていることで、感性のある人は違うものだなとつくづく思います。この曲の歌詞は一見シンプルに見えますが、タイトルの「Foolish Beat」からして、置き換える日本語を探すのが難しいように、日本語に訳すにはなかなか手強い相手です。

第1節は和訳のとおり。この節を聞くと、子供の頃、いつも公園で四つ葉のクローバー探しに熱中していたことを思い出します。その理由は四つ葉のクローバーを見つけたら願い事が叶うと教えられていたからで、日本におけるその俗信は、四つ葉のクローバーは珍しいものだから、見つけた時には幸運が訪れるという意味で広まったと考えられています(海外でも、同じように考えている人は多いですが)。本来の四つ葉のクローバーの意味は、それぞれの葉をhope,faith,love,luck(希望、信仰、愛、幸運)と見做し、それらを大事にしましょうというアイルランドの伝承で語られているとおりで、アメリカでは花言葉としてBe mine(私を想ってください)の意味もあると聞きました。第2節も難しい部分は無く、元カレのことは忘れて新たな道を進もうという決意が語られています。この節で一番見落としてはならないのがI left you という部分で、この言葉が意味しているのは、主人公である女性の側から男性を振ったという事実であり(逆ならHe left me と歌うはずです)別れの主導権が女性にあったことが分かります。この曲の歌詞の和訳で出鱈目なものが多いのは、この点をまったく理解していないからではないでしょうか。この後に続く歌詞を聞いても分かるように、この歌は彼氏に振られた女性の失恋の悲しみや辛さを歌っているのではなく、自らの身勝手から彼氏を振ってしまった自分の後悔を歌っているものなのです。

第3節は少し難解。ここではcould が多用されていますが、ネイティブがこのcould を聞いて感じるのは、話者の気持ちの実現の可能性でしょう。即ち、この節から伝わってくるのは、完全にそうだとは言い切れない彼女の中の未練という女心であり、この節の文を断定口調で訳すと歌詞の意味が台無しになってしまいます。4行目と5行目のThe look in your eyes just left me beside myself without your heart は構文としては相当に難解で、このままでは何を言おうとしているのか分かり辛いですが、Just left me、beside myself、without your heart の3つに分け、Oh the look in your eyes がbeside myself という状態に私をしたleft me と考えれば理解できます。without your heart の部分は、without thinking your heart であると考えこう訳しました。the look in your eyes からは、彼女が別れを告げた時、彼氏が反論することもなくどこか冷静に淡々と話を聞いているような光景が僕の目には浮かびます。第4節にも難しい部分はなく、彼女がなぜ後悔しているのかとその驚くべき理由が語られています。なんと理由はThere was no reason.Just a foolish beat of my heart だったのです。つまり、別れを告げた理由にこれといったものはなくfoolish beat(うまく日本語に置き換えられませんが、心の中に愚かにも浮かんでしまった何か衝動のようなものとでも言うべきでしょうか)が彼女にそうさせたと言っている訳です。5節目は3節目の繰り返し。6節目も和訳のとおりです。Break my heart, you slipped away, Didn’t know I was wrong はやや難解ですが、前述のような身勝手な理由で彼女が彼氏に別れを告げた時、その理由も分からないままあたかも自分が悪かったかのように自らそっと身を引いていった彼氏の姿を僕は想像しました。恐らくは、世で言うところの「いい人」と呼ばれる部類の人だったのでしょう。7節目も訳のとおりで、別れを告げた相手に対する彼女の未練が最後まで感じられますね。

シンセサイザーとサックスが奏でる悲し気な音の響きが見事にマッチしたメランコリックなイントロに続き、Debbie が抜群の歌唱力で(そのデビュー時の年齢もあって、彼女はアイドル的な扱いを受けてしまいましたが、声もいいし歌も上手いです)恋人との切ない別れを歌いあげるこの曲、聴いたことがない方には是非とも聞いていただきたい一曲です。

本ホームぺージ内の『洋楽の棚』では100曲以上の洋楽の名曲を紹介していますので、興味のある方は覗いてみてください!

タイの懐かしいポップス

本ホームぺージ内の『小説の棚』には無料でお読みいただける河内レオンの作品を多数掲載しておりますが、その中に「風と娼婦」という小説があります。この小説は1990年代前半のタイが舞台となっていて、実はその頃のタイ、ポップスの黄金期と呼びうるほどに数多くの名曲が登場した時代で「風と娼婦」の作中にも随所で登場します。ですが、残念ながらそれらの曲を知る人が日本には先ずいませんので、今日は小説の中のシーンに出てくる曲を3曲ピックアップして紹介させていただくことにしました。これを機にタイのポップスに興味を持つ人が出てきてくれれば嬉しいです。曲名やアーティスト名には便宜上、カタカナ表記を付けましたが、タイ語の発音には声調があってそのままカタカナ読みしてもタイ人には通じないことも多いので、その点は予めご承知おきください。

① 曲名:ทุนน้อย(トゥン・ノーイ)、アーティスト名:ติ๊ก ชิโร่(ティク・シロー)

「風と娼婦」の作中でチェンマイのバス・ターミナルに初めて到着した主人公が夜行バスから降りる際に車内に流れ始めるのがこの曲です。ティク・シローが1990年にリリースしたアルバム「โช๊ะ ไชโย(ショァ・チャイヨォ)」に収録されているロック調の曲で「ทุนน้อย(トゥン・ノーイ)」は、日本語に直訳すれば「小さな資本」。ですが、ここでは「お金が無い」といった意味で使われているような感じがします。タイ語に関しての僕の知識は、簡単な日常会話程度ですので「洋楽の棚」のように歌詞を詳細に紐解くことはできませんが、この曲は、恐らく「テレビやラジオ、新聞の広告を使って彼女に愛してるって大々的に伝えたいけどその資金が無い」みたいなことを歌っているようです(←間違っていたらゴメンナサイ・汗)。ティク・シロー(シローの名は日本語の「白」から取ったそう)は、1961年、タイ東北部(イサーン)のナコーンラチャーシマー県生まれ。高校生だった時にドラマーとして音楽活動を開始して1984年にバンコクでデビューしたものの、人気が出始めたのは90年代に入ってからのこと。歌って踊れる彼はタイのマイケル・ジャクソンとして人気を博し、そのひょうきんなキャラクターも相まってスターダムの頂点まで駆け上がったという経歴の持ち主です。その後も音楽活動を地道に継続してきた彼でしたが、2024年、バンコク郊外で自らの車を運転中、バイクに乗っていた若者に追突して2名が亡くなるという死亡事故を起こし(しかも、飲酒運転)、久し振りに多くのタイ人がその名を耳にすることになりました。事故は追突されたバイクが高架道路から転落するという痛ましいもので、ティク・シローは若者の両親から2千4百万バーツ(約1億2千万円)の慰謝料を請求されましたが、芸能生活から遠ざかっていた彼にはそのお金が用意できなかったようで、その後、どうなったのかは分かりません。と、まあそんなことはさておき、今回はその「トゥン・ノーイ」をここで聴いていただきましょう。「ネットで探して聴いてみてください」と言っても誰もわざわざそんなことはしないので、You TubeにUPされていた動画を埋め込ませていただきました(汗)。

② 曲名:ฝันมีชีวิต(ファン・ミー・チーウィ)、アーティスト名:อริสมันต์(アリスマン)

この曲は「風と娼婦」の作中、主人公と娼婦のユピンがドイ・ステープを訪れた帰路にバイクの後部座席でユピンが口ずさむ歌です。「ฝันมีชีวิต(ファン・ミー・チーウィ)」は「夢は叶う」という意味で、身体に障害を持って生まれた人々、人生の途上で障害を背負った人々について歌っているというタイでは非常に珍しい曲です。歌詞の内容は、手足が不自由であろうが、目が見えなかろうが、耳が聞こえなかろうが、人は人なのであり、どんな障害があっても、夢を見ることや意味のある人生を送る権利があるというようなことを歌っているように思います(←間違っていたらゴメンナサイ・汗)。哀愁漂うイントロの音の響きも良いですが、サビの「อยากจะเห็นคน อยากตะโกนร้องเพลง อยากฟังเสียงตัวเอง อยากจะวิ่งอยากเดิน อยากจะมีสองมือ ไว้คอยสร้างสิ่งฝัน・人と会いたい、大声で歌いたい、自分の声を聞きたい、走りたいし歩いてもみたい。 ああ、自分の夢を実現する両手があればいいのにな」という部分はいつ聴いてもジーンときますね。この歌を歌っているのは「HALLSのメントール・キャンディーを舐めながら歌っている」と評された独特の歌い方をするアリスマンという名の歌手。1964年、ラチャブリー県でタイの伝統芸能一家に生まれ、名門チュラロンコーン大学の大学院で政治学の修士号を得たインテリです。そんな経歴もあってか、1990年代から音楽活動よりも政治活動に軸足を置くようになり、1992年にタイで起こった「血の惨劇」と呼ばれる民主化要求デモで、チャムロン元バンコク知事やタクシン氏らと共に演説の壇上に上がって、時のタイ政府を糾弾しました。その後、タクシン氏が政権を取ると、自らも国会議員となって政治活動に邁進しましたが、2006年にタクシン氏がクーデターでその座を追われるや再び反政府活動に身を投じ、タイ政府が様々な罪で彼に逮捕状を出してその身柄を拘束しようとした為、国外に逃亡。2026年現在、カンボジアに潜伏中であると言われています。そんなアリスマンが1990年にヒットさせた名曲がこの「ファン・ミー・チーウィ」。どうぞ、お聴きください。

③ 曲名:พริกขี้หนู(プリック・キー・ヌゥウ)、アーティスト名:ธงไชย แมคอินไตย์(トンチャイ・メーキンタイ)

主人公とユピンの二人がチェンマイ市内の安食堂でタイスキを食べるシーンで流れる曲です。「プリック・キー・ヌゥウ」は直訳すれば「ネズミの糞唐辛子」。その名のとおり、ネズミの糞みたいに小さい唐辛子なのですが滅茶苦茶辛い唐辛子でして、タイでは料理によく使用されます。歌詞の方はと言うと「แต่เผ็ดยังไงยังไงเราก็กินでもね、どんなに辛くたって、กินจนลิ้นจะพองจะพองเราก็กิน 舌が腫れあがるまで食べるよ」といった感じのもので、唐辛子に対する愛が語られているちょっとコミカルな内容(←間違っていたらゴメンナサイ・汗)。この曲を歌っているのはトンチャイ・メーキンタイ。日本では無名に等しい歌手ですけども、タイでは「バード」の愛称で知られる超有名歌手です。バードは1958年、バンコク生まれ。父親は陸軍の衛生兵で収入が乏しく、しかも兄弟が10人もいる大変貧しい家庭で生まれ育ちました。そのハンサムなルックスを活かし、25歳の時に俳優として芸能界デビューしましたが、その後、タイの大手自動車会社「サイアム・モーターズ」が主催する歌唱コンテストで優勝してその歌唱力を認められたことで音楽活動も開始。1987年にリリースした初アルバム「หาดทราย สายลม สองเรา(ハッサーイ・サイロォン・ソンラァウ)」はいきなり50万枚を売り上げてバード・フィーバーを巻き起こしただけでなく、俳優業の方も1990年にタイの伝説の高視聴率ドラマ「クーカム(運命の二人といった意味ですが、邦題はメナムの残照)」で主役の日本人将校、小堀大尉を演じてその名を不動のものにしました。本曲プリック・キー・ヌゥウは1991年にリリースされた同名のアルバムに収録された曲で、このアルバムは350万枚も売れてタイの音楽界における90年代最高のセールス記録を樹立しています。

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お次はグリーンランド

昨年の12月に森友学園問題隠蔽を彷彿とさせる黒塗りだらけのエプスタイン文章が追加で公開されたことにより(日本でもシンゾー君に忖度した糞官僚が証拠を黒塗りにしていましたが、アメリカでもトンチキに忖度するアホ官僚が同じように沢山いるようです・笑)、自らのエプスタイン疑惑から人々の目を逸らそうと、アメリカのトンマは対ベネズエラ、対イランと愚かな戦争を矢継ぎ早に仕掛けていて、予定どおり、グリーンランドでも動き出しました。トンマは「ロシアと中国がグリーンランドを狙っていて脅威だからアメリカの支配下に置いて防衛しなければならない」と言っていますけど、いつもと同じ嘘のオンパレード。そもそもからして、ロシアや中国がグリーンランド領有の野望を抱いているという事実なんか存在しません。そんな野望を持っているのはあのトンチキとその取り巻きだけですね。トンマがグリーンランドに侵攻してNATOは分裂、アメリカは国際社会から爪弾きとなれば、逆にロシアと中国は万歳三唱で大喜びすることでしょう。アメリカはデンマークと防衛協定を結んでおり、グリーンランドにも基地を置く許可も得ていますし実際に置いてもいますから(グリーンランドの米軍基地に駐屯している米兵は約100名。そもそもからしてグリーンランドの防衛なんて考えてない証拠ですね・笑)、ロシアと中国の脅威があるのなら、もっとグリーンランドに基地をいっぱい作って、さらなる兵員を配置すれば良いだけの話。アメリカがグリーンランドを領有する必要などどこにもないのです(笑)。

因みにカスゴミはまったく報じませんが、第二次世界大戦中、デンマークがドイツに占領された為、アメリカはグリーンランドをナチス・ドイツの侵略から守るという名目で兵を送って占領していたという事実があり、戦後、デンマークに返還する必要に迫られた際、時のアメリカ大統領トルーマンが、デンマーク政府に金銭でのグリーンランド割譲を持ちかけたものの、デンマーク政府に一蹴されているんですよね(笑)。そもそも、アメリカ合衆国という国は、北米大陸に住んでいた原住民の土地を白人が勝手に奪ってできあがった国家。トンマのような白人にとっては、グリーンランドを手に入れることはその延長線上のことでしかないのです(グリーンランドの住人の大半はアメリカ大陸原住民と同様モンゴロイド系)。

グリーンランドがデンマーク領となった経緯もそれは同じで、目糞鼻糞とはこのこと。この件に関してヨーロッパにはアメリカを非難する権利など端から無いのですが、常に口先だけの偽善者集団であるヨーロッパが、今後、どのような行動に出るのか見物ですので、トンマには早くグリーンランド侵攻を実行してもらいたいものです。その時、ヨーロッパがアメリカに対して国交断絶や経済制裁を加えるなどのことをすれば少しは見直してやろうという気になりますが、いつものように何もしないし、何もできないでしょう。「その時、日本国はどうしますか?」というのは愚問。アメリカにケツの穴を舐めろと言われれば平気で舐める自民党とその取り巻きが政権を握る日本国のことですから、考える必要もありませんね。

カスゴミとその提灯持ちの連中は相変わらずトランプの戦略だとか政策だとか主義だとか、意味不明な言葉を使ってトンチキの動きを解説していますけども、このキチガイにそんなものはありません。奴にあるのは私利私欲だけなんです。そのことが未だに分かっていない人があまりにも多いことに愕然とせざるを得ません。ドンロー主義?何ですか、それ?それって漫才の新ネタですかね?まあ、ひとつだけ言えるのは、ドンロー主義とかアベノミクスとかサナエノミクスとか、低能な人間ほど、カスみたいな思考回路に自らの名を冠したがるということでしょう(笑)。

💛何度でも言うよ!僕たち二人の友情は永遠なんだ💛(笑)

『洋楽の棚』傑作選「ローズ」

今週お届けするのは、第18回で取り上げたベット・ミドラーの永遠の名曲「ローズ」。この曲の何が素晴らしいかと言うと、メロディーも歌詞も両方が美しいということです。美しいメロディーというのは数多く存在しますけど、歌詞が「美しい」と思うような曲は世界広しと言えど、なかなか見当たりませんね。そんな「ローズ」の歌詞に使われている英語はとてもシンプルですが、その理解となるとなかなか手強い相手。ここに記した解説が皆さんの理解の手助けになれば嬉しいです。

【第18 回】The Rose / Bette Midler (1980)

今回は心に沁みる曲を一曲紹介しましょう。女優のBette Midler(ベット・ミドラー)が歌った名曲The Rose です。なぜ女優が歌っているのかというと、この曲がジャニス・ジョプリンの生涯を描いた同名の映画の主題歌だからで、Bette Midler がこの曲を熱唱するシーンが映画の中に出てきます。ただ、ブロンディのCall Me と違ってこの曲は映画の為に新たに作られたものではなく、シンガーソングライターのAmanda Mcbroom(女優も兼業していて、昔のアメリカのテレビドラマなんかを見てると、端役で登場している姿を偶に目にします)の持ち歌でした。映画の主題歌を探していることを知った彼女の友人が、関係者にこの曲を薦めたことから主題歌として採用されることになったのです(こんなの讃美歌じゃないかと、映画の担当者に一度は採用を却下されたようですが)。Amanda 本人の談によると、曲は既に1970年頃に完成していて、当時、彼女が愛車で高速道路を飛ばしていた際、カーラジオから「Your love is like a razor. My heart is just a scar」という歌声(Leo Sayer が歌うMagdalena という曲でした)が流れてきて、そのフレーズを大変気に入ったことがThe Rose の誕生につながったそうです。Amanda はその部分を聞いた瞬間、その頃の自分はまだ若かったので、愛がlike a razor であることには同意できないと思ったけれど、それをきっかけに自分は愛のことを考えたことがあるだろうかと自問し始めると、あっという間に言葉が頭の中に湧き出してきて止まらなくなり、家にすっ飛んで帰って、その日のうちに歌詞を書き上げたとも述べています。

Some say love, it is a river
That drowns the tender reed
Some say love, it is a razor
That leaves your soul to bleed
Some say love, it is a hunger
An endless aching need
I say love, it is a flower
And you, its only seed

人はこう言うの、愛は川だって
柔らかな葦が流されてしまうね
人はこう言うの、愛は鋭い刃だって
魂を傷つけてしまうね
人はこう言うの、愛は渇望だって
疼くような願望がどこまでも続くね
でも、あたしはこう思うの、愛は花だって
そしてあなたが、その唯一の種なんだよね

It’s the heart, afraid of breaking
That never learns to dance
It’s the dream, afraid of waking
That never takes the chance
It’s the one who won’t be taken
Who cannot seem to give
And the soul, afraid of dying
That never learns to live

心ってのは、折れることを恐れてしまうもの
踊れるようになんてなる訳ないみたいにね
夢ってのは、目覚めることを恐れてしまうもの
チャンスなんてつかめっこないみたいにね
愛を受け入れることができない者に
愛を与えるなんてこと、できそうにないよね
そして魂ってのは、その死を恐れてしまうもの
魂が永遠だなんてことはないのにね

When the night has been too lonely
And the road has been too long
And you think that love is only
For the lucky and the strong
Just remember in the winter
Far beneath the bitter snows
Lies the seed that with the sun’s love
In the spring becomes the rose

あまりに夜が孤独過ぎて
ゴールへの道程も長過ぎる時って
あなたは思うわよね、愛って
ただ幸運で強い人の為にあるものなんだって
でも、冬を思い出してみて
ひどく積もった雪のずっと下でね
眠る種のことを、太陽に育まれる種のことを
春にバラの花を咲かせるね

The Rose Lyrics as written by Amanda Mcbroom
Lyrics © Word Collections Publishing, Warner Chappell Music, Inc.

【解説】
この曲の歌詞はこれまで何度かこのコーナーで紹介した曲と同じように二行連で韻を踏むという西洋詩の形式で書かれていますが、他の同種の歌詞とは完成度が比べ物にならないくらい高いですし、その響きも甘美で聴くものをたちまち魅了します。この詩を書いたAmanda Mcbroom も、かなりレベルの高い教育を受けた人なのでしょう。そんなこともあってか、The Rose の歌詞は中学校で習うレベルの語彙しか使われていないのに、日本語に訳すとなるとなかなか苦労します(汗)。

Some say love, it is a river で始まるこの歌詞はあまりにも有名で、この歌は多くの人の手によって和訳されていますが、その後に続くThat drowns the tender reed のreed を「葦」と単に訳して終わるだけで、それが何なのか、なぜなのかについてきちんと考える人はほとんどいないようです。確かにreed は川辺などに茂る植物の葦の意味ですが、植物の葦がdrown する(溺れる)ことはありません。水に溺れるのは人か動物(場合によっては昆虫もですかね)だけでしょう。そのことを考えた時、僕にはフランスの哲学者のとある言葉以外、頭に思い浮かべることができるようなものはありませんでした。「人間は大自然の中では一本の葦のような弱い存在に過ぎないが、人間は単なる葦でなく考える葦である」という言葉です。つまり、ここでのreed は「人間」の代替語として使われていることに疑問の余地はなく、か弱い人に対して試練を与えるのが愛であることを暗喩しているのです。第1節では、愛とは何なのかという問いかけが続いたあと、love, it is a flower, and you, its only seed との結論に主人公は達しますが、その結論とは「人は誰しも人を愛する能力(種)を持ってはいるけど、その能力を開花させることができるかどうかは本人次第」ということではないかと僕は考えます。

第2節も英語として理解するのが難かしいと言うよりも、うまく日本語に置き換えることが難しく、韻を踏んでいる原文を大切にしようとすれば尚更そうなります。1行目から6行目までは2行がワンセットになっているフレーズで、すべてIt’s で始まっていますが、このIt’s はlove を意識しつつも形式主語として使われていると考えるべきでしょう。最初の2行を例にすると、the heart はafraid of breaking しているのであり、そのafraid が何なのかをthat 以下の文が補足しています。ここでのnever learns to dance は「そんなこと私にできるだろうか?」といった人が持ちがちな不安や怖れを比喩しているのではないかと僕は思いました。アメリカ人なら「私にプロムの相手なんか見つかりっこない」と受け止める人もいるかも知れませんね。第2節に出てくるlearns to はすべて、何かができるようになるの意味で使われています。It’s the one who won’t be taken, Who cannot seem to give も難解で、the one who won’t be taken は受け取られることがない人、即ち、受け止めることがない、もしくは受け容れない人であり、そんな人がgive することはcannot seem to(やってはみるんだけどもできないというニュアンス)だと言っていて、take とgive が対になっています。言い換えるなら、One who won’t be taken love can’t seem to give love であり、まさしく、人間関係の基本となるギブ&テイクというやつですね。And the soul, afraid of dying that never learns to live のフレーズもとても難しく、僕にはdying が人の死ではなく魂の死としか聞こえなかったのでこう訳しました。

最後の第3節はここまでと打って変わってとても分かりやすいです。強いて解説を入れるとすれば2行目のthe road。このthe road は真の愛に目覚める、真の愛を得るといったことのゴールへの道程を意味していて「孤独にもがくあなたはそんなゴールに達することができるのは幸運であったり、メンタルの強い人だけだと思うだろうけど、そうじゃないよ」と語り手は伝えようとしています。なぜそうじゃないのか?それは、和訳のとおりです。あぁー、ほんと、素晴らしい歌詞ですよね。ほぼピアノだけの伴奏で静かに、そして力強く歌われるこの歌を聴いて勇気づけられた人はきっと多くいることでしょう。世界中にたくさん。

本ホームぺージ内の『洋楽の棚』では100曲以上の洋楽の名曲を紹介していますので、興味のある方は覗いてみてください!

レオン食堂の心臓部

本ホームぺージに掲載している料理記事が中心の棚「レオン食堂」。今日はその心臓部である我が家のキッチンを公開させていただきます!「レオン食堂」のぺージで紹介させていただいている低予算の様々な料理がどのようなキッチンで作られているのかに興味のある方は、今すぐ下記URLをクリック!

レオン食堂の心臓部を大公開→ https://leon-no-hondana.com/?page_id=2713

アサリ現れる!

先日にこのブログで活アサリをスーパーでまったく見かけない、なんとかして欲しいと書きましたが、
願いが通じたのか、久し振りにスーパーの棚に並んでいるのを発見!震える手でそのパックを手に取り(笑)、即買いしました。勿論、中国産でしたが、糞消費税込みで310円。やはり、中国産のあさりは庶民生活の強い味方。直ぐにボンゴレ・ビアンコにして食べました。旬の時期ではないので身は痩せていましたが、茹で汁が真っ白になるくらい旨味が滲み出て味は良かったです。

物価高の中、そんなふうに庶民は安いものを探して駆けずり回っているというのに、日本国の首相になってご満悦のまぬけ女は、解散総選挙をするそう。この物価高と円安に対して何の手も打たずに放置したまま総選挙ですよ。流石は「ポンポンが痛いからぼくちゃん辞めまーす」と政権を投げ出したシンゾー君の愛弟子。その自己中心さ、無責任さをまぬけ女はしっかりと引き継いでいて、相も変わらず私利私欲しか考えていないことには呆れるばかりです(まあ、似非民主主義とはそういうシステムですから、仕様がないんですけど)。日本国だけでなく、世界中の似非民主主義国家はどこも似たようなものとは言え、ほんと、それらの国家群も含めて日本国という国家ももう終わってますね。こういうふうに書くと勘違いする人が多いのですが、日本国が終わっているのであって、日本が終わっているのではありません。

こう言えば分かり易いでしょうかね。例えば、1945年に大日本帝国は滅亡し、その民は帝国臣民たる身分を失いましたが、日本と日本人が滅んだ訳ではありません。それと同じで、日本国が滅亡したところで、日本国という似非民主主義による収奪システムと日本国民の身分が消滅するだけで、日本と日本人が滅びる訳ではないですね。それよりも、日本国に寄生する一部の糞みたいな日本人の私利私欲による外国人労働者の日本への流入が今後も続けば、その時こそ日本国ではなく本当に日本が滅びます。昨今、外国人労働者を敵視する風潮がありますけども、それは誤り。敵は外国人労働者ではなく、人手不足を言い訳に彼らを私利私欲で日本に呼び寄せ続けている自民党及びその金魚の糞と奴らを支持する企業や農家を始めとした一部の日本人たちこそが日本人の真の敵であることを忘れてはなりません。連中は単に人を安くこき使えればそれでいいのです(外国人技能実習制度などは、その最たるもの)。人手が足りないのなら、今いる数の人間でどうすれば良いのかを考え、乗り切っていくのが人間の知恵というものではないでしょうか。

為政者や官僚、御用学者、カスゴミは、税金を上げる理由として「このままでは日本が滅びる」という脅し文句を常に使います。しかし、騙されてはいけません。税金を奴らが上げたい理由は、自らたちが属する日本国といううシステムが崩壊して自らの利益を失うのが嫌だからで、国民の為でも何でもありませんし、国民のことなどこれっぽっちも考えてはいません。将来、日本国が滅亡するのは財政的にも既定路線であり、税金や社会保障費がどんどん上がっていくのは連中の自己保身の為の延命措置ですね。前述のとおり、日本国が滅んでも日本と日本人が滅びることはありませんから、むしろ日本国には早く滅亡してもらい、特定の利益享受者だけを利する似非民主主義ではなく、万人を利する直接民主主義を実現してまともな世界を新たに作り出す方が今よりかはずっとましなのです。

この値段であれば納得ですね。糞消費税は納得できませんが(笑)。

和牛入れすぎカレー

「何ですかそれ?」ってな今回のブログのタイトル。実はこれ、正月前にお土産で頂いたレトルトカレーの紙箱に印刷されてあった商品名なんです。一箱しかなかったので、嫁さんと半分づつにして分けて食べたのですが、その意味が良く分かりました(笑)。まさしくそのネーミングに偽り無しで、柔らかく煮込まれた牛肉の塊がこれでもかというほど入っていたのです。二人で分けて食べてもそう感じるくらいでしたから、一人で食べたらそれはもう「このカレー、牛肉入れすぎだろ!」と叫ぶこと間違いなし(笑)。どこに肉があるのか茶色の海の中から探さなくてはならない一般的なレトルトカレーと比べるとその肉の量は半端なく、これは結構なお値段がするに違いないとインターネットで調べてみたら、やはり一箱、千円以上していました(汗)。しかし、最近はスーパーでも牛の塊肉が普通に100グラム5百円はしますから、コストパフォーマンスは高いですね。

肉の量だけでなく、肝心な味の方もちゃんと深みがあって適度にスパイシー。カレー評論家とかならごちゃごちゃとウンチクを垂れて文句をつけるのでしょうが、一般人からすれば十分に美味しかったです。温めたこのカレーを「手作りのカレーです。牛肉もほろほろになるまで煮込んでありますので、どうぞ召し上がってください」と言って出されたら、レトルトだとはきっと気付かないでしょう。最近は冷凍食品が進化し過ぎていて、餃子とかうどん、パスタの味のレベルにはびっくりしますけど、レトルト食品もあなどれませんね。と言うか、冷凍食品は冷凍庫が無いと保存できませんが、レトルト食品は常温で長期保存できますので、このカレーのレベルのクオリティーであれば、逆に冷凍食品より勝っていると言えるのではないでしょうか。まあ、一箱千円以上という価格は庶民にとってはキツイですけど、自分へのご褒美として偶に食べるのであれば、それに値する十分な逸品だと思いました。

カレーを食べ終わって、口を拭っている時に「そうだ!ブログに書いておこう」と思ったので、空箱の写真しかありません(汗)。