第6回 日曜日には鼠を殺せ
原題:Behold a Pale Horse公開年/製作国/本編上映時間:1964年/アメリカ/121分
監督:Fred Zinnemann(フレッド・ジンネマン)
主な出演者:Gregory Peck(グレゴリー・ペック)、Anthony Quinn(アンソニー・クイン)、Omar Sharif(オマル・シャリーフ)、Carlo Angeletti(カルロ・アンジェレッティ)、Raymond Pellegrin(レイモンド・ペルグリン)
【ストーリー】
社会主義政策を推し進めるスペイン共和国政府に対して危機感を抱いた軍部が蜂起したことを切っ掛けに、国を二分して三年ものあいだ続いた内戦は1939年、フランコ将軍が率いる叛乱軍の勝利で終わり、共和国政府と共に戦った兵士や市民たちが、叛乱軍の復讐から逃れるべく、ピレネー山脈にまたがる国境を越えて続々とフランスへ向かった。そんな中、避難民の列の中にいた歴戦の兵、マヌエル・アルティゲス(グレゴリー・ペック)は、国境の手前で踵を返し、スペインに残って戦いを続けようとするが「もう戦争は終わったんだ」と口々に叫ぶ仲間たちに引き戻され、ピレネー山脈の向こうにあるフランスの地方都市ポーで亡命生活を送ることとなる。それから月日は流れ、20年後、フランコ将軍の独裁体制が続くスペインのサン・マルティンという街から密かにピレネーを越えてポーに向かう少年がいた。少年の名はパコ・ダゲス(カルロ・アンジェレッティ)。パコの目的は、ポーにいる父の戦友アルティゲスを訪ね、サン・マルティンの治安警備隊(グアルディア・シビルと呼ばれるスペイン独自の治安維持組織)の隊長ビニョーラス(アンソニー・クイン)に殺害された父親の敵討ちを頼む為であった。アルティゲスの隠れ家に無事たどり着いたパコは「父はあなたの居場所を吐けとビニョーラスに拷問されたが、白状しなかったので死ぬ羽目になった。父の死はあなたの責任でもあるのだから、敵を討って欲しい」と懇願するが、グアルディア・シビルから隊員殺害や放火、強盗の罪で指名手配され10万ペセタの懸賞金もその首にかけられているアルティゲスは「俺には関係のないことだ」と無情にも少年を追い返す。同じ頃、サン・マルティンで暮らすアルティゲスの母親ピラールが病に倒れてあと幾何かの命となり、それを知ったビニョーラスは、母親の危篤を知ればアルティゲスはサン・マルティンに密かに戻ってくるに違いないと考え、アルティゲスの親友で密輸商人のカルロス(レイモンド・ペルグリン)を使って母親の病状をアルティゲスに伝えて彼を街におびき寄せようと企む。ところが、その母親はたまたま病院に来ていた神父のフランシスコ(オマル・シャリーフ)に「罠だからここへは来るなとポーで暮らす息子に伝えて欲しい」と言い残してそのまま息を引き取り、その遺言を神父から聞き出せなかったビニョーラスは、母親の死を隠して作戦を続行することにする。ビニョーラスが、アルティゲスを迎え撃つ準備を着々と整える一方、フランシスコ神父は、神父としての道義心と国家の法の板挟みになりながらルルドへの巡礼の為に街を発つ。
【四方山話】
この作品、スペイン内戦やスペインの近代史に興味がある方なら(普通に考えれば、そういう人はあまりいませんね・汗)面白く見ることができる映画だとは思いますけれど、やはり120分超えというのは、ちょっと長いしダレますね。できれば100分以内になるように編集して欲しかったところ。冒頭で2分間に渡って流れるスペイン内戦時の実写フィルムも、歴史の予備知識が無い観客の為に挿入したのでしょうが、テキストのスクロール挿入でぱぱっと説明を済ませた方が良かったのではないかという気がしないでもありません。と、愚痴はこれくらいにしておいて、先ずはこの映画に出てくる幾つかの街について触れておきましょう。劇中に出てくる標識によれば、本作の舞台はスペイン北東部、バスク地方の中心都市のひとつであるパンプローナから49キロ、フランスとの国境に近いサン・マルティンという名の街になっていますが、これは架空の街であって実在はしません(本作の原作である小説では、確かパンプローナが舞台になっていたと記憶しています)。バスク地方はスペイン語とは全く異なる系統の言語であるバスク語を話す人々が暮らし、独自の歴史、文化を形成してきた為、近世に入って民族を単位とした近代国家が次々に誕生すると、自らも独立を果たそうという機運が高まった地域です。しかし、独立の夢は叶わぬままにスペインの一地方として国家に組み込まれてしまい、フランコ政権下ではバスク語を話すことさえも禁止されて、分離独立の動きは当然、弾圧の対象となりました。その為、独立派は地下に潜って「バスク祖国と自由(ETA)」という武装組織を結成、スペイン各地で爆弾テロや要人暗殺を繰り広げたのですが、それに対してスペインの治安当局も激しくETA を弾圧。その結果、憎しみと復讐の連鎖が生まれることになった訳です。この映画のストーリーの裏にはそういった歴史背景があることを知っておけば、より一層の興味を持って鑑賞できるのではないかと思います。
本作は反フランコ政権的な内容であったが故にスペイン政府がロケ撮影に許可を出さず、サン・マルティンとされている街はフランス側のバスク地方にあるバイヨンヌなどで撮影されたということになっていますけども、今回、このコラム執筆の為に本作を再び注意深く鑑賞してみて、実はそうではないことが分かってきました。確かに34分頃にビニョーラスが大聖堂で祈るシーンなんかは、バイヨンヌのサント・マリー大聖堂で撮影されたことは間違いなさそうですが、36分過ぎに出てくるサン・マルティンの街の景色は、スペインのバスク地方にあるビトリアという街の広場(Plaza de la Virgen Blanca)周辺です。グーグルのストリートビューでも確認してみましたが間違いありません。この広場の傍らを通り抜けるビニョーラスのメルセデスに付けられたナンバープレートも、20分40秒過ぎに出てくる彼が馬の厩舎を訪れた際のメルセデスに付いているナンバープレート(恐らく架空のナンバープレート)と形状が明らかに異なっています。35分過ぎに映し出される白色の小型車や52分頃に出てくるフランシスコ神父が乗り込むタクシーのナンバープレートがSM で始まっているのも気になるところ。と言うのは、昔のスペインのナンバープレートは、県名の略号と数字の組み合わせで構成されていて、SMはサラマンカ県を表していたからです。つまり、これらのシーンはスペインのサラマンカで撮影された可能性が考えられるということなんですね。ここから推測できるのは、この映画は当初、内容を偽ってスペインでロケ撮影を敢行したものの、スペインの当局者に反フランコ政権的な作品であることがバレてしまい、早い段階でそれ以上のスペイン国内での撮影を不許可にされたので、仕方なくフランスでスペイン部分を撮影することになったのではなかったかということです(あくまでも個人の勝手な推測なので悪しからず)。この映画の完成後、グアルディア・シビルの隊長が愛人を囲ったり賄賂を受け取る人物として描かれていることを知ったスペイン政府は激怒し、直ちに本作をスペイン国内で上映禁止にするだけでなく、制作会社のコロンビア・ピクチャーズにも激しく抗議、ついにはコロンビアが自社の映画配給を以降スペイン国内で行うことを禁じた為、コロンビアはスペインにおける自らの関連会社をすべて売却する羽目に陥り、多大な損害を被りました。おまけに、本作は当時の金で四百万米ドルという莫大な製作費用を投じたのに興行収入は遥かにそれを下回り、商業的にも大失敗に終わりましたから、まさしく泣きっ面に蜂というやつでした。
それと「どうでもいい」と言われそうなんですが、銃器オタクの目から見て首を傾げたシーンが2カ所。1カ所目は2分30秒頃、国境でフランス警察に武装解除されている共和国側の兵士が短機関銃を取り上げられるシーン。ここに映し出されているのはPPSh-41 というソ連製の短機関銃なんですが、数字の41が示しているとおり、この短機関銃の製造が始まったのは1941年。なのでスペイン内戦が終わった1939年には存在していなかったんですよね(汗)。2カ所目は、103分過ぎ、アルティゲスがピレネーの山中に埋めていた武器を掘り出すシーンに出てくる分解された短機関銃。あれはステンという名の英国製の短機関銃で、この銃も製造開始年が同じく1941年ですから、アルティゲスがスペイン内戦中に愛用していた銃ということならあり得ない設定。まあ、だからと言って、それらのことが映画の本筋に影響を与えることは何ら無いのですけども、作品にリアリティーを求める僕なんかは、やはり、時代考証は適当にやることなくしっかりと行って欲しかったなと思ってしまいます。一方、アルティゲスが亡命生活を送るフランスのポー(Pau)はスペインとの国境まで約50キロに位置する実在の街で、ロケ撮影もポーで行われました。14分過ぎにパコがアルティゲスの家を探すシーンで、地元の少年が「あそこの17番地の最上階」と指差す通りはルネ・フルネ通り(Rue René Fournets)。56分頃に出てくる駅のシーンも、当時のフランス国鉄(SNCF)のポー駅でロケ撮影されました。72分頃に登場する聖地ルルドのシーンもルルドのロザリオ・バジリカ聖堂で撮影が行われています。余談ですが、ルルドが巡礼者の目指す聖地となったのは、1858年にこの地で暮らしていた少女の前に聖母マリアが現れ、そのお告げに従って触れた岩から、泉が湧いたという奇跡があったとされる為で、ルルドの泉の水は難病をも治癒するとされています(馬鹿らしい話ですが・汗)。
さて、ストーリーとしては凡庸だし、ヒットもしなかったこの映画、なぜに僕のお薦めかというと、その出演者にグレゴリー・ペック、アンソニー・クイン、オマル・シャリーフという名優が名を連ね、彼らの豪華共演を見ることができるからです。グレゴリー・ペックはご存知「ローマの休日」でオードリー・ヘップバーンと共演した俳優。個人的には「ローマの休日」が名画だとは思いませんが、彼が主演した「アラバマ物語」は名画ですね。様々な役柄を演じることができる器用な役者で、変わったところではホラー映画「オーメン」でダミアンの父親役をしていました。アンソニー・クインも数多くの映画に出演した個性派俳優で「アラビアのロレンス」や「砂漠のライオン」で演じたようなアラブ人の役も良く似合います(クインはメキシコ人ですけども・汗)。ペックとクインは本作の前に、映画「ナバロンの要塞(The Guns of Navarone)」でも共演していましたね。そして、残る一人のオマル・シャリーフも「ドクトル・ジバコ」や「アラビアのロレンス」で名演技を見せた実力ある役者。シャリーフはエジプト人俳優なんですが、実はそのエジプト、知られざる映画製作大国でして、エジプト映画はアラブ世界では大人気。方言の差が激しく地域が違えばお互いのアラビア語がまったく通じないことさえあるというアラブ圏において、エジプト方言がどこでも通じるようになったのはエジプト映画のおかげだとも言われています。
さてさて、段々と話が長くなってきましたので、本作のトリビアを最後に少し紹介して今回の締め括りとすることにしましょう。この映画の原題「Behold a Pale Horse」は、映画の冒頭に聖書を引用するテクスト「And I looked, and Behold A Pale Horse, and his name that sat on him was Death, and Hell followed with him」が挿入されているとおり、ヨハネの黙示録6章8節に出てくる死の象徴とされる蒼い馬のことですね。この「And I looked, and Behold A Pale Horse」の部分、日本語の聖書では大抵「そして見ていると、青白い馬が現れた」と翻訳されていますが、どう読んでも「日曜日には鼠を殺せ」にはなりませんね。なので、またいつもの出鱈目な邦題かと思ってしまうのですが、実はこの映画にはエメリック・プレスバーガー(Emeric Pressburger)という作家の手による原作の小説があって、そのタイトルが「Killing a Mouse on Sunday(日曜日に鼠を殺す)」なのです。この意味深長な原作小説のタイトル、こちらもネタ元があって、17世紀の英国の詩人Richard Brathwait がラテン語で書いた詩集「Barnabæ itinerarium(英語版タイトルはBarnabee’s Journal)」の中の以下の節が下敷きになっています。
To Banbury came I, O profane one, / バンベリーに来た不信心な私
Where I saw a Puritane one / そこで目にした清教徒は
Hanging of his cat on Monday / 月曜日に猫を吊るしていた
For killing of a mouse on Sunday / 日曜日に鼠を殺したが為に
ロンドンの北100キロに位置するバンベリーは、中世の時代、羊毛業で栄え、そこで暮らす住人は熱心なピューリタン(清教徒)として知られていた街。聖書の教えに忠実に生きる彼ら清教徒にとって、日曜日は働かずに安息しなければならない日なのに、猫が鼠を日曜日に殺してしまい(つまり、仕事をした)、それを咎めた清教徒が翌日にその猫を吊るしていた(殺していた)とバンベリーの清教徒をおちょくっている訳なんですが、プレスバーガーがこの節から引用する形で自らの小説に「Killing a Mouse on Sunday」とタイトルを付けたのは、月曜日には吊るされることが分かっていても日曜日に鼠を狩ってしまう猫のように(勿論、猫は実際にはそんなことを分かっていませんが、鼠を狩るのは猫の本能なのでそうしてしまう)、人にはどうなるか結末が分かっていても、やるべき時にはやるべきことをやらなければいけない時があるという小説の内容に沿ったドラマティックな意味を込めたのではないかと言うような気が僕にはします。では、なぜに監督のフレッド・ジンネマンは題名をわざわざ「Behold a Pale Horse」に変えたのでしょう?ヨハネの黙示録に出てくるpale horse は、その馬に乗るのが「死」という名の騎手であるとされているとおり、人を殺す権威を与えられていて、劇中ではまさにビニョーラスがそれなんですね(厩舎へ行って乗馬するシーンが本作に入れてあるのも、彼が馬を賄賂として受け取るシーンを描く為ではないんです)。恐らく、ジンネマンが主眼を置いているはアルティゲスの人生のドラマ性ではなく「人はビニョーラスのように権力や法のもとであれば人を殺してもいいのか、逆にアルティゲスのように理由があれば人を殺してもいいのか」ということであって、Behold a Pale Horse という題名は、そのことに対する観客への問いかけではなかったのかと僕は考えています。なので、本作の邦題を原作のタイトルである「日曜日には鼠を殺せ」に戻した方は(しかも誤訳)、そのあたりのことを全く理解していなかったかできていなかったとしか言いようがありません。因みにこの映画がスペイン語圏で上映された際も、タイトルが「Y llegó el día de la venganza(そして復讐の日はやってきた)」に変えられていましたが、こちらも本作を理解できていないという点では同じですね(笑)。それと、あともうひとつだけお許しを!本作の当初の配役はアルティゲス役がアンソニー・クイン、ビニョーラスがグレゴリー・ペックだったそうなんですが、フレッド・ジンネマンが製作スタッフの反対を押し切って入れ替えています。大正解でしたね!ジンネマンは本作のような信念を貫く人物を映像で描くことが得意であった映画監督で「真昼の決闘(High Noon)」や「地上より永遠に(From Here to Eternity)」、「ジャッカルの日(The Day of the Jackal)」なども彼の作品です。
と、今回は長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただき誠にありがとうございました。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
第7回 第三の男
原題:The Third Man公開年/製作国/本編上映時間:1949年/イギリス/104分
監督:Carol Reed(キャロル・リード)
主な出演者:Joseph Cotten(ジョゼフ・コットン)、Alida Valli(アリダ・ヴァリ)、Orson Welles(オーソン・ウェルズ)、Trevor Howard(トレヴァー・ハワード)、Ernst Deutsch(エルンスト・ドイチェ)
【ストーリー】
舞台はドイツのベルリンと同じように、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4カ国によって分割占領されていた第二次世界大戦後のオーストリアのウイーン。破産して金に窮している米国人小説家のホリー・マーティンス(ジョゼフ・コットン)は、二十年来の親友ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)から仕事の手伝いをしないかと誘われ、用意された航空券でアメリカを発ってライムが暮らすウイーンのアパートの一室を訪れる。ところが、ライムが暮らす建物の門番の男から聞かされたのは、当の彼が前日にアパートの前で車に轢かれるという不幸な事故に遭って死んだという信じ難い知らせであった。マーティンスはその足でライムの葬儀が行われている墓地を訪ね、葬儀に参列していた国際警察(英国の憲兵)のキャロウェイ少佐(トレヴァー・ハワード)から戦後の混乱で物資不足が続くウイーンの闇市でライムが悪事に手を染めていたと知らされるが、親友のことを善人だと信じて疑わない彼は警察がでっち上げた話だとして頑なに認めない。怒りに任せて少佐に殴りかかったマーティンスは軍が管理するホテルに泊まる羽目になり、少佐の部下である軍曹に連れられてそこへ向かうと、今度はライムの友人だと話す男から面会を求める電話がホテルに入り「アメリカからやって来る友の世話をし、その帰国を見届けて欲しい」とライムから死の間際に頼まれたと告げられる。男はクルツ男爵(エルンスト・ドイチェ)と名乗り、男が事故現場にいたことを知ったマーティンスは二人で事故現場を訪れて事故当時の状況を調べるも納得がいかず、ライムの死の裏には何か別の真相が隠されていると睨んで独自に調査を開始。手始めに、葬儀の場で見かけて気になっていた美女がヨーゼフシュタット劇場の役者アンナ・シュミット(アリダ・ヴァリ)であることをクルツから聞き出し、直ぐさまその劇場を訪れて彼女がライムと恋愛関係にあったことを突き止めると「ライムの死には妙なところがある」と話すアンナと共に再び門番のもとへ向かう。その結果、クルツから聞かされていた事故現場にいた人物、男爵自身とルーマニア人のボべシクレという二人の人物の他にもう一人男がいたとの重要証言を門番から得るが、そのことを警察に話すと彼が門番に告げた途端、門番は「単なる事故だったのだから警察とは関わり合いたくない」と突然怒り出して二人を追い返す。しかし、マーティンスが再び事故現場で手掛かりを探し始めるのを目にした門番はアパートの窓から顔を覗かせ「話をするから、今夜、部屋に来てくれ」と言って窓の向こうに消え、マーティンスは何か解決の糸口が見つかることを期待するが、彼が再訪を果たす前に門番は死体となって発見される。何者かが門番の口封じをしたことに気付いたマーティンスは、第三の男が真相の鍵を握る人物だと確信してその男の行方を追い始めるのだが…。
【四方山話】
この映画、冒頭からラストまで観客を飽きさせることなくスクリーンに釘付けにするという点では、まさしく名作。英国のMI6 など幾つかの諜報組織で自ら働いていた経験を持つグレアム・グリーンの手による脚本のプロットの出来を賞賛する声も多いですが「よく考えてみると、なんだかへんだ」という部分が無い訳でもありません。先ずひとつ目、ハリー・ライムが親友のホリー・マーティンスをアメリカから呼び寄せた理由。劇中では仕事を手伝ってもらう為ということになっていますが、それだけの説明ではちょっと弱いですね。そもそも劇中のマーティンスの如き正義に軸足を置くような性格の人間がライムが手を染めている人の命を左右するようなあくどい仕事を手伝う筈もなく、ライムもマーティンスと二十年もの付き合いがあるのなら最初から友人の性格が分かっている訳で、どうしてわざわざそんな人間を呼び寄せたのかというのが正直なところ。ここはもう少しリアリティーのある理由が欲しかったです。ふたつ目は、ライムが交通事故で死んだことになっている日が、マーティンスがライムを訪れた日の前日であった点。それが偶然だったのか意図的であったのかは分かりませんが、どうしても前日にそうなる必要があったのであれば、ますますマーティンスをアメリカから呼び寄せた理由が意味不明なものになりますし、偶然であるのなら、それはそれであまりにも出来過ぎた話。他にも幾つかありますが、これ以上詳しく書くとネタバレにつながってしまいますので、この辺りで止めておきましょう(汗)。
このグレアム・グリーンの脚本もさることながら、それ以上に映画ファンや関係者の間で評価が高いのが「光と陰の魔術師」の別名を持つ監督キャロル・リードが生み出した映像の美しさ(但し、光と陰のコントラストを強めて重要なシーンのドラマ性を高めるという技法はリードの専売特許という訳ではなく、多くの映画監督が用いています)。65分過ぎに出てくる建物の陰に潜むライムのふてぶてしい顔が傍らの建物の室内に灯った電灯の光を浴びて浮かび上がるシーンはあまりにも有名ですし、94分頃から始まる下水道のシーンでは、光と陰を非常に効果的に利用して緊迫感を作り出していますね。この他にも、軽快なツィターの音色(ハリー・ライムのテーマと名付けられてます)と共にクレジットが流れる冒頭部分やラストの男女の感情のすれ違いのシーンなど、本作には映画史上で名場面とされている個所が盛り沢山。余談ですが、ツィター(Zither)というのはドイツやオーストリア、スイスで演奏される琴のような民族楽器で、弦が30本以上もあるそれを弾きこなすには相当の熟練が必要だとされています。劇中でツィターを演奏しているのはアントン・カラスという演奏家。キャロル・リードが本作のロケ撮影をウイーンで行っていた際、たまたま立ち寄ったホイリゲ(ワイン居酒屋)でカラスの演奏を耳にしたリードが即座にスカウトしたそうです。冒頭や本編内でそのカラスが演奏する曲、東京に住んでおられる方なら聴けば直ぐに分かると思いますが、まさしく山手線の恵比寿駅のホームで流れてるあれですね(笑)。ハリー・ライムのテーマが恵比寿駅で流れるようになった理由は、駅の傍にあった某ビール会社のテレビCM に使われていたことがあるから(笑)。CM と言えば、ちょっと話は違いますが、日本のテレビ局が本作を初放映した際、CM のスポンサーが自動車会社であった為に、日本語吹替ではライムの死因が自動車事故ではなく転落死に変えられていたという糞みたいな話も存在していて、スポンサーに忖度して作品の内容を勝手に変えるなんて、連中がお得意の「やらせ」と同じく犯罪的行為です。開いた口が塞がりません。
まあ、そんな怒りはさて置き、お次は映画の舞台のお話へ。本作に登場する場面の大部分はウイーンでロケ撮影されていて、マーティンスが宿泊しているホテルは、あの甘い甘いチョコレートケーキ「ザッハトルテ」で有名なホテル・ザッハー(Hotel Sacher)。49分頃にホテルの看板が出てきます。墓地のシーンはベートーベンやモーツァルトが眠るウイーン郊外の中央墓地(Zentralfriedhof)で撮影されたもので、ライムが暮らしていたとされるアパートは市内中心部のヨーゼフ広場(Josefsplatz)にあるパラヴィチーニ宮殿(Palais Pallavicini)です。劇中ではウイーン第7区のStiftgasse15番地にあるアパートということになっていましたが、実際の建物はハプスブルグ家が使用していた由緒正しい歴史的建造物。75分過ぎに登場のあの観覧車(Wiener Riesenrad)も勿論実物。ウイーンのプラーター遊園地(Der Wurstelprater)を訪れれば今でも乗ることができます。ラストの地下下水道だけは部分的に本物。と言うのは、一部のシーンをウイーンの下水道でロケ撮影したものの、下水道であるが故に不衛生この上なく(匂いも最悪)、オーソン・ウェルズがそんな下水道内での撮影を嫌がったこともあって、結局はその多くをロンドンのスタジオでセットを組んで撮影したからです。実際に下水道内で撮影した部分でウェルズらしき姿が映り込んでいるシーンは、前述のような理由から監督のキャロル・リードが自ら代役を務めたというエピソードもあるそう(←真偽は不明)。あと、劇中、所々でウイーンの街の荒廃した姿が映し出されますけど、あれも本物。ドイツの主要都市と違って、音楽の都ウイーンには戦災という言葉があまり結びつかないのですが、実はウイーンも連合国軍の爆撃をしばしば受けており、1945年4月にはドイツ軍とソ連軍の間で激しい市街戦が繰り広げられました。それらの結果、終戦までに街の2割が破壊されたと言われています。因みに本作は戦後のウイーンを闇市が蔓延る卑しい街のように描いている為、長年のあいだ地元のウイーンでは非常に不人気な映画だったそう。
続きましては、本作の出演者をご紹介。ホリー・マーティンス役を演じたジョゼフ・コットンとハリー・ライム役のオーソン・ウェルズ、本作の設定と同じくアメリカ人であるこの二人の俳優は、1941年公開の映画「市民ケーン(Citizen Kane)」でも共演してましたね。コットンとウェルズは1930年代にアメリカのラジオ局CBS の教育番組「The American School of the Air」で知り合って以来懇意になり、その良好な友人関係はウェルズが亡くなるまで半世紀に渡って変わることなく続きました。コットンもウェルズも演技力が抜群の俳優ですが、ウェルズの方は俳優としての評価よりも、映画製作において革新的な試みをする製作者としてのそれの方が大きいですね。彼は同時に脚本家としての才もあり、本作の81分過ぎに出てくる「In Italy, for 30 years under the Borgias, they had warfare, terror, murder and bloodshed, but they produced Michelangelo, Leonardo da Vinci and the Renaissance. In Switzerland they had brotherly love, they had 500 years of democracy and peace, and what did that produce? The cuckoo clock ・イタリアじゃ、ボルジア家の30年の支配は戦争やテロ、殺人、流血を引き起こしたが、ミケランジェロやレオナルド・ダビンチ、それにルネサンスを生み出した。スイスには兄弟愛や500年に渡る民主主義や平和はあったが、それが何を生み出したってんだ?鳩時計さ」という皮肉の効いた有名な長台詞は、ウェルズが撮影現場で即興で考えたものだと言われています。まあ、イタリアのルネサンスが生み出した芸術に比べれば鳩時計が地味に見えるのは確かですけど、ちょっと鳩時計を馬鹿にし過ぎではないでしょうか(笑)。それと、あともう一人紹介しておきたいのが、ライムの恋人アンナ・シュミット役を演じたイタリアの女優アリダ・ヴァリ。日本での知名度は低いですが、当時の欧州ではグレタ・ガルボやマレーネ・デートリッヒと並ぶ有名美人女優でした。アリダ・ヴァリというのは芸名で、本名はAlida Maria Altenburger Freiin, baronessa von Marckenstein und Frauenberg(汗)。この長い名前が示しているとおり、アリダの父は名門貴族の出身であり、本作での役柄とは違って彼女は正真正銘のお嬢様。そのせいか脇が甘い面もあったようで、後になって、殺人の疑われる死亡事件が絡む大スキャンダルに巻き込まれたりもしています。
実のところ、この映画で僕が一番面白いと思っているのは、劇中におけるドイツ語の使い方。門番とその妻の会話など、随所でドイツ語のそれが挿入されていますが、本作のオリジナルを見てもスクリーンに英語の字幕は出てきません。それがどういうことかと言うと、恐らくは、観客をホリー・マーティンスと一体化させる仕掛けであったのだろうと僕は考えています。ドイツ語を母語としない観客はドイツ語での会話を耳にして「おいおい、あんた、なんて言ってるんだ?ドイツ語で話されたって分からないよ」とマーティンスと同じように思い、同時にドイツ語を話している俳優の表情や仕草から「なんか怪しい。何かを隠してる」という印象を持つ訳です。ドイツ語が理解できる方なら、本作をまた違った面から考察できるのではないかと思いますので、ドイツ語が得意な方がおられましたら、是非ともそのあたりのことをご教示いただきたいです。それと、主役の二人の役名がホリーとハリーであるのも、観客を混乱させる為の仕掛けのひとつのように僕は感じるのですが、考え過ぎでしょうか(汗)。
さてと、今回の最後の締めは、映画の製作側にいる監督の方に目を向けてみましょう。本作を世に送り出したキャロル・リードは1906年、ロンドンのパトニー地区生まれ。現在でも高級住宅街であるパトニーは当時から裕福な階層が暮らすエリアで、リードの父親も元はといえば有名な劇場役者。30代で役者から劇場経営者に転じて財を築いた人でした。リードはナイトの称号(Sir)を持っていますけれども、イギリスのナイトは貴族の身分を表すものではなく叙勲制度における世襲権の無い栄誉称号なので、彼の称号も後になって映画製作の功績を認められた際に英国王室から与えられたものです(因みにリードの父もナイトの称号を得ていて、親子共にナイトの称号を持つというのは非常に珍しい例)。リードはどんな脚本であってもそれを見事に映像で再現することができる才能があったと言われていて、その能力を存分に発揮した「第三の男」の世界的ヒットによって名監督という名声を手にしましたが、個人的には、彼が本作よりも前に撮影していた「Odd Man Out(邦題は例によって意味不明なので記しません)」という映画の方がずっと出来がいいと思いますし、この映画を観れば「第三の男」で使われたカメラワークや撮影技法が既に確立されていたことが良く分かります。興味がある方は一度鑑賞してみてください。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
第8回 波止場
原題:On the Waterfront公開年/製作国/本編上映時間:1954年/アメリカ/108分
監督:Elia Kazan(エリア・カザン)
主な出演者:Marlon Brando(マーロン・ブランド)、Karl Malden(カール・マルデン)、Lee J. Cobb(リー・ジェイ・コッブ)、Rod Steiger(ロッド・スタイガー)、Eva Marie Saint(エヴァ・マリー・セイント)
【ストーリー】
舞台はアメリカのとある街の港湾地区。港での荷役作業の差配は地元ギャングのボスであるジョニー(リー・ジェイ・コッブ)が牛耳っており、あらゆる不正が蔓延るだけでなく、港で働く労働者たちが加入する組合も全く機能していない。そのことを問題にし始めた当局は犯罪調査委員会を設置、ジョニーの悪事を暴くべく調査を始めるが、ジョニーに逆らう者たちが次々に消されていることを知る港の労働者たちの口は堅く、何よりも彼に敵対すれば港で仕事にありつけないことから誰もが沈黙を貫いている。そんな中、ジョニーの右腕であるチャーリー(ロッド・スタイガー)の弟で、元プロボクサーだが今はゴロツキ(bum)となっているテリー(マーロン・ブランド)は、犯罪調査委員会への証言を引き受けた知り合いのジョーイを「おまえの鳩を見つけたから返しにきた」とレース用の鳩小屋があるアパートの屋上へ呼び出すのを手伝うが、ジョーイがジョニーの手下によって屋上から突き落とされ殺されるのを目の当たりにする。話し合いをするだけだと聞かされていたテリーはショックを受けるも、チャーリーから「ボスの恩を忘れるな」といなされ、皆と同じように口をつぐむ。一方、ジョーイの無残な死を目にした地区の神父であるバリー(カール・マルデン)は、ジョニーによる港の支配を終わらせることを決意し、港湾労働者たちに立ち上がれと説得を開始。その甲斐あって幾人かの協力者が現れるが、その中には、兄を殺した者たちを必ず捜し出すという決意に満ちたジョーイの妹のイディ(エヴァ・マリー・セイント)もいた。自分の所為でジョーイが殺されることになったとの自覚があるテリーは、顔見知りでもあったイディのそんな姿を見て再び心が揺らぎ始めるが、その様子に気付いて先に動いたのは狡猾なジョニーであった。
【四方山話】
大学生だった頃、この映画を初めて見た時の僕の感想は「へぇー、アメリカでもこんな映画を撮る人がいるんだ」というもので、何よりも驚いたのは、娯楽映画ではない本作がアメリカで商業的にも成功したという事実でした。アメリカ人にとって本作は階級闘争ではなく、あくまでも正義を求める個人の戦いであって、彼らが大好きな所謂「ヒーローもの」を見るのと同じ感覚だったんでしょうかね。僕はアメリカ人ではないのでそのあたりの感覚が良くは分かりませんが、本作の主人公であるジョニーが、アメリカ人がヒーローと見做す二つの条件(肉体的、精神的に強いという点。アメリカ人としてどのように考え行動すべきなのかを身をもって示しているという点)を満たしているのは間違いなさそうです。
本作の紹介記事を見ると、海外のものも含めて大抵は「舞台はニューヨークの港の波止場」と書かれてあるのですが、実のところ劇中でニューヨークという言葉は一言も出てきません(汗)。なので「どこかの街の港」としか書きようがないのに、なぜに「ニューヨークの港」ということになっているのかと言うと、本作が「New York Sun」という新聞に連載された「Crime on the Waterfront」というルポタージュをベースに製作されているから。著者のMalcolm Johnson がその記事によって告発したのは、ニューヨーク市の港湾地区がマフィアに牛耳られていて腐敗が蔓延しているという事実で(これはアメリカに限った話ではなく、港の荷役業というのはどこの国でも同じような状況でした。日本の山〇組も元はと言えば神戸港の荷役業者だったんです)、Johnson は1949年にこの報道の功績を認められてピリッツァー賞を受賞しています。つまり、話の元ネタがニューヨーク市の港湾地区であったことから、映画もそうであるということになっているようなんですけども、その話を知らなければどこの港なのか映画を見ている観客には分かりませんね。実際、本作のロケ撮影が行われたのはニューヨーク市ではなく、ハドソン川を挟んで対岸にあるニュージャージー州のホーボーケン(Hoboken)。映画を良く観察すれば、63分過ぎ、川向こうにマンハッタンのエンパイアー・ステイト・ビルディングが映り込んでいるシーンが出てきますね(笑)。劇中に出てくる街並みや波止場、教会はすべてホーボーケンにある本物。但し、アパートの屋上の鳩小屋は映画の美術スタッフが現場で作ったものです。本作のテリー役はマーロン・ブランドが演じましたが、最初はホーボーケンで生まれ育ち、実際にマフィアとの親交もあったフランク・シナトラを使う予定だったそう。
では、お次はそのマーロン・ブランドのお話を。この俳優はリアリティというものが何なのかを良く理解していて、彼の迫真の演技は本作の一番の見どころでもあります。例えば73分過ぎ、自動車の後部座席でチャーリーがテリーに拳銃を突き付け、テリーがその拳銃を冷静に、しかも愛情のこもった仕草で押し返すという有名なシーンが出てきますが、脚本ではテリーが拳銃を突き付けられたままで会話が続くという設定だったとのこと。それをマーロン・ブランドが「テリーは兄が引き金を引くことなどないと信じているし、そもそも銃を突き付けられたままで話などできる筈もない」と意見し、ブランドの提案であのようなシーンになったと言われています。同じように、彼がステラ・アドラー(当時の有名演技指導者)の催すレッスン・クラスで演技の技法を学んでいた際のこんなエピソードもあります。ステラが「今からあなたたちは鶏になったつもりで演技しなさい」とクラスの生徒たちに命じ、そのあと直ぐに「そして今、核爆弾が空から落ちてきた!」と言うと、生徒の多くは鶏の鳴き声の真似をしながら室内を逃げまどうという演技をしたのに対し、ブランドは静かに座ったまま卵を産む演技をしていたんだそうで、どうしてそんなことをしているのかと問うステラに対して彼が答えた言葉は「俺は鶏だ。核爆弾のことなんて知る訳ないじゃないか」でした。それこそがブランドならではのリアリズムの感覚なんですね。マーロン・ブランドは演技が優れていたと言うよりも、その感覚が優れていたのだと僕は思っています。だからこそ、アル・パチーノやロバート・デ・ニーロと違ってイタリア人の血を一滴も引いていないのに「ゴッドファーザー(The Godfather)」のドン・コルレオーネ役で完璧にイタリア人になりきることができたのではないでしょうか。そんなふうに演技の面では常に賞賛を浴びたブランドでしたが、私生活では稀に見るお騒がせ男で、長男のクリスチャン・ブランドが長女シャイアンの恋人を殺害し、そのシャイアンも後に自殺するという悲劇にも見舞われました。セックスは両刀使いを公言しており、ジェームス・ディーンとも関係があったというのが定説。女性関係も乱脈を極め、様々な女性たちとの間に少なくとも8人の子供がいると言われています。晩年は肥満に悩まされ、1979年に公開された映画「地獄の黙示録(Apocalypse Now)」のカーツ大佐を演じた頃には既に体重が百数十キロに達していたようで、本作のブランドの体格や顔の輪郭を見ると既に「肥満の傾向あり」の兆候が見受けられますね(笑)。まあ、そんなことはさておき、「波止場」でのマーロン・ブランドの演技が素晴らしいのは確かですが、僕の中では彼以上と思えるのがチャーリー役を演じたロッド・スタイガー。この人も演技が達者で、後にシドニー・ポワチエと共演した「夜の大走査線(In the Heat of the Night)」でクセのある田舎の警察署長を演じたのと同じ人物だとは想像もつきません。本作がデビュー作となったイディ役のエヴァ・マリー・セイントも映画初出演とは思えぬ堂々たる演技を見せていて、四年後にはヒッチコックが監督したサスペンスの古典作品「北北西に進路を取れ(North by Northwest)」で重要な役を任され、大物俳優のケーリー・グラントとの共演を果たしました。あと、面白いのがバーニー役のエイブ・サイモン(Abe Simon)とティリオ役のタミー・マウリエッロ(Tami Mauriello)。この二人は本物の元プロのボクサー(ヘビー級)で、本作のラストシーンを撮影する際には、人がノックダウンされた後、どのようにすれば立ち上がって歩くことができるのかを自らの経験からアドバイスしたそう。「なるほどぉー」と納得です。ストーリー的には安っぽいメロドラマでしかない本作が名画となりえたのは、やはり、これらの俳優たちの名演技のおかげだったと言い切って良いでしょう。
そして、その俳優たちの能力をマックスまで引き出した人こそが、本作のメガホンを取ったエリア・カザンでした。1909年、オスマン帝国(現在のトルコ)のイスタンブールでトルコ在住ギリシャ人の商家に生まれたカザン。とは言え、3歳の時に両親と共に米国へ移民しているので、事実上、アメリカ育ちのアメリカ人ですね。カザンの功績としては、俳優たちの感情を巧みに操って迫真の演技へと導いたこと。マーロン・ブランドやジェームス・ディーン、ウォーレン・ベイティ、ジャック・パランスなど、無名だった俳優の才能を逸早く見抜いて開花させたこと。人種差別や組合問題といった当時は扱うことをタブー視されていた問題にも果敢に取り組んだこと。といったものが挙げられ、実際、彼が監督した作品は様々な賞を受賞していますので、映画界ではかなり認められていた存在であったと言えます(僕自身は「賞を受賞している作品=価値ある作品」とはまったく思っていませんが)。監督業という同業者からの評価も高く、スタンリー・キューブリックは彼のことを「アメリカ最高の監督であることは疑いなく、起用した俳優たちを通じて奇跡を起こす」と評価していましたし、オーソン・ウェルズも「カザンは裏切り者だが、非常に優れた監督でもある」と述べています。ですが、このウェルズの「カザンは裏切り者だ」という言葉、なんだか気になりませんか?実はこれ、カザンが、死ぬ日まで彼にまとわりついた(いや、死しても尚まとわりついている)汚名を自ら作り出す事件を1952年に起こしているからなんです(汗)。第二次世界大戦後に始まった激しい米ソ対立の中、米国では「赤狩り」と呼ばれる共産主義のシンパの摘発と追放が激化し、その調査対象が映画界にまで及んだ結果、監督や俳優など多くの映画関係者も尋問の対象となってクロと判定された人物は片っ端から投獄の憂き目に遭いました。実際のところカザンも若かりし頃にアメリカ共産党に入党した経歴があり(短期間で離党)、その事実を当局に知られた彼は、映画界など周囲にいる共産党のシンパの名を告白することを条件に自らの追求を逃れるという挙に出たのです。彼が密告したのは11人、その中には作家のダシール・ハメットや劇作家のリリアン・ヘルマンの名もあったとされています。この密告によって彼は映画界からの追放や投獄を免れ、その後のさらなる活躍へと続いていくのですが、その代償として取り返しのつかない人生の汚点を残すこととなりました。僕自身も、カザンが取ったそのような行動に対しては「人としてどうなのか」とは思いますが、同時に「芸術という分野においては、作者がどんな糞みたいな人間であろうが作品が優れているのであればその事実は認められて当然だ」とも思います。なので、僕の中ではオーソン・ウェルズの「カザンは裏切り者だが、非常に優れた監督でもある」という言葉が一番しっくりきますね。そんなことも少し頭の片隅に置いてこの映画を観れば、また違った面白さがあるかもしれません。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
第9回 第十七捕虜収容所
原題:Stalag 17公開年/製作国/本編上映時間:1953年/アメリカ/120分
監督:Billy Wilder(ビリー・ワイルダー)
主な出演者:William Holden(ウィリアム・ホールデン)、Don Taylor(ドン・テイラー)、Otto Preminge(オットー・プレミンジャー)、Neville Brand(ネヴィル・ブランド)
【ストーリー】
時は第二次世界大戦末期の1944年。クリスマスが1週間後に迫ったその日の夜、連合国側の航空部隊の下士官630名を収容するオーストリアの第17捕虜収容所の第4兵舎からマンフレディとジョンソンという二人の軍曹が脱走を試みるが、鉄条網の向こう側へと続く脱走用に掘ったトンネルを出るや否や、待ち伏せしていたドイツ兵の機関銃によって蜂の巣にされてしまう。二人を送り出した兵舎の仲間たちは、脱走計画がドイツ軍側に漏れていたのではないかとの疑念を抱き、中でも気性の荒いデューク軍曹(ネヴィル・ブランド)は、兵舎内で行う賭博や密造酒販売の儲けでドイツ兵を買収して常にいい思いをしているよろず屋のセフトン(ウィリアム・ホールデン)がスパイではないかと考え、激しく責め立てる。確かにセフトンは、マンフレディとジョンソンの脱走が成功するかどうかということでさえ賭けの対象にしたり、捕虜を輸送する列車の手配ミスで一時的に第4兵舎に収容されることになった将校のダンバー中尉(ドン・テイラー)を平気で邪険に扱うような厚顔無恥な男。しかも、その中尉が口にした移送途中にフランクフルト駅でドイツ軍の軍用列車に簡易爆弾を仕掛けて破壊したという武勇談がたちまち収容所の所長(オットー・プレミンジャー)に露見したり、戦況を知る為に密かに使用していたラジオがドイツ兵に発見されたりということが立て続けに起こったことから、セフトンがスパイであると睨んだ兵舎の住人たちは遂に彼を半殺しの目に遭わせる。果たしてセフトンはドイツ側のスパイなのか?死の危険を感じたセフトンの静かな反撃が始まる。
【四方山話】
捕虜収容所を舞台にした映画としては、スティーブ・マックイーン主演の「大脱走The Great Escape」やアレックス・ギネス主演の「戦場にかける橋The Bridge on The River Kwai」などが有名ですが、僕のお薦めはこの「第十七捕虜収容所」。捕虜収容所というネガティブ要素しかないような場所にコメディー・タッチを加えるという一見無謀な試みをしていながら、決してやり過ぎという訳でもなく、それなりにリアリティーも残っているという点において、本作は前述の作品を含めた数ある「捕虜収容所もの」の映画の中では唯一無二の作品だと思うからです。まあ、この映画が荒唐無稽なものにならなかったのは、原作である舞台劇の脚本を書いたDonald Bevan とEdmund Trzcinski の二人が第二次世界大戦中にドイツ上空で撃墜された米軍の爆撃機の搭乗員で、実際にオーストリアのクレムス(Krems、ウイーンの北西約60キロ)にあった「Stalag 17B (劇中ではStalag 17D)」に捕虜として収容されていた経験があったということもあるでしょう。本作の原題Stalag 17 のStalag はドイツ語のKriegsgefangenen-Mannschaftsstammlager(戦争捕虜用メイン・キャンプ)のstammlager(メイン・キャンプ)部分を短縮したもので、Stalag 17B には米陸軍航空隊の下士官が収容されていて、劇中でも収容者全員が軍曹ということになっていましたね。なぜそうなのかと言うと、基本的に米陸軍航空隊の爆撃機の搭乗員の階級が軍曹以上であることに加え、戦闘機、爆撃機のパイロットは将校階級である為、Stalag とは違うOflag (Offizierslage ・将校用キャンプの短縮)と呼ばれる別の施設に収容されていたからです。劇中でダンバー中尉が兵舎に現れた際、セフトンを除く皆が尊敬の眼差しで彼を歓迎したのは「将校=パイロット=ヒーロー」という航空隊の共通認識の賜物なのでしょう。つまり、Stalag 17 に収容されていたのは、映画の冒頭でもメンションされているように機銃手や爆撃照準手、無線手といった爆撃機の搭乗員であったということ。
本作ではそのあたりの描写はリアルなんですけど、ミリオタ視線で見た場合、おかしな点も幾つかあります。先ず9分過ぎに登場のドイツ兵が使用している機関銃(収容所の監視塔に据え付けられているやつもですが)、あれは米国ブローニング社製のM1919機関銃。本当ならドイツ製のMG34かMG42じゃないといけませんね。撮影時にそれらのドイツ製機関銃を用意できなかったのであれば仕方ないですが「機関銃なら何でもいいだろう」という感覚が撮影スタッフの中にあったのならちょっと残念。次に、劇中に出てくるドイツ兵の軍服や制帽もいただけません。彼らは陸軍風のものを着用していますが、Stalag 17は正式名称がStalag Luft 17BでLuft(空)の名が入っているとおり、航空兵の捕虜を収容する施設の管轄をしていたのはドイツ空軍。なのでStalag Luft 3 であった実際の脱走劇を描いた映画「大脱走」と同じように、収容所のドイツ兵は空軍の軍服(帽章や襟章、鷲章が陸軍とは相違)を着用していないとおかしいんです。収容所から脱走したあと、列車でボーデン湖を挟んでスイスの対岸にあるドイツのフリードリヒスハーフェンまで行き、ボートでスイスを目指すというのもちょっと首を傾げざるを得ません。劇中では収容所の位置について言及していませんが、実際のStalag 17があったクレムスからスイス国境までは直線距離でも約600キロ。フリードリヒスハーフェンへ行くにはドイツ領内を通って行かなくてはならず、そう簡単にはたどり着けません。徒歩で南下してユーゴスラビアを目指し、パルチザンに助けを求める方がよほど現実的。あと、劇中でソ連の女性兵士の捕虜が出てきますが、ドイツ側のソ連兵に対する扱いはあのような和やかなものでは決してありませんでした。記録によると、終戦までにStalag 17B で死亡した捕虜の数はアメリカ兵が4名。それに対し、ソ連兵は少なくとも1,600名。その数字がすべてを物語っていると言えるでしょう。と、いろいろ書き連ねはしましたが、あくまでもオタク的な視線から気になった点であって本作を非難している訳ではありませんので、誤解無きようお願いしますね(汗)。
さて、本作でちょいとずる賢いセフトン役を見事に演じたウィリアム・ホールデン。デビュー以来ずっと、単にハンサムというだけのアイドル的扱いの人でしたが、この映画で演技力があることを世間に知らしめました。この人は冒頭で触れた「戦場にかける橋」にも出演していて、軍人をリアルに演じるからにはそれなりの軍務歴があるのだろうと思って調べてみたら、確かに彼は第二次世界大戦中、アメリカ陸軍航空隊の将校でした。が、その所属は宣伝映画撮影部隊(笑)。同じ俳優でも「空飛ぶ棺桶」と呼ばれたB24 爆撃機のパイロットとして20回も出撃したジェームズ・ステュアート(当時、爆撃機が撃墜される確立は高く、20回出撃というのは常に死の覚悟を必要とした勇気ある行動なんです)や慰問部隊の一員になることを拒否してB17 爆撃機で何度か出撃したクラーク・ゲーブルなんかとはちょっと違いますね。そして、本作の出演者の中でウィリアム・ホールデンの次に紹介しておかなければならないのが、アニマル軍曹を演じたRobert Strauss(ロバート・ストラウス)。劇中、アニマル軍曹がギョロ目をぐるぐる回しながら彼のマブダチのシャピロ軍曹(Harvey Lembeck)と随所で漫談を繰り広げるのですが、ここでふと疑問に思うのは、本作に果たしてそれらのシーンが必要だったのかということです。彼らの漫談を削除すればもっと重厚なドラマにすることもできたでしょうし、上映時間も100分程度に収められたことでしょう。捕虜収容所の内部という変化の乏しい絵づらが120分も続くというのはちょっと辛いですから、観客が退屈しないように所々に笑いのシーンを散りばめることにしたんだ、なーんてことはないですね(笑)。なぜに監督のビリー・ワイルダーは本作にわざわざコメディーのテイストを加えたのか?そのことを考えた時、僕の頭に最初に浮かんだのは、第二次世界大戦中にユダヤ人強制収容所へ送られたものの奇跡的に生還し、その体験から「夜と霧」という自伝的著書を世に送り出した精神科医ヴィクトール・フランクルの「ユーモアは自分を見失わないための魂の武器だ」という言葉でした。ワイルダーとフランクル、共にオーストリア・ハンガリー帝国生まれのユダヤ人、年齢もほぼ同じという共通点もあり、「夜と霧」が発表されたのが1946年。なので、ワイルダーが捕虜収容所という絶望感漂う場所に笑いを持ち込むことで、フランクルの言葉をオマージュしたのだと考えれば納得はできるのですが、それと同時に、本作のお笑いシーンは、スクリーンの中の捕虜たちと観客とに一体感をもたせる為の仕掛けだったのではないかという気が僕にはしたのも事実です。スクリーンの中の捕虜たちと共に笑うことで観客と捕虜たちとの間に一体感が生まれ「いったい誰が裏切りものなんだ?」と感情移入が進んで行くことでスクリーンに最後まで釘付けになる訳です(あくまでも個人の見解なので悪しからず・汗)。この他、主な出演者をざっと紹介しておきますと、先ずは、捕虜収容所所長のシェルバッハ大佐を演じたオットー・プレミンジャー。この人もオーストリア・ハンガリー帝国生まれのユダヤ人。ナチス・ドイツのユダヤ人迫害が始まると直ぐにアメリカへ移住したので迫害の被害を直接受けた訳ではないですが、本人は勿論反ナチスであり、本作でのドイツ人将校の役は嫌々演じていたらしいです。プライス軍曹役のピーター・グレイブス(Peter Graves) は、どこかで見た顔の人だと思ったら、後にテレビ・シリーズとして大ヒットした「スパイ大作戦(Mission: Impossible)」でIMF(Impossible Mission Force)という秘密工作員のチームを率いるジム・フェルぺス役をしていた俳優ですね。ダンバー中尉役のドン・テイラーは後に監督業にも乗り出し「新・猿の惑星」や「ドクター・モローの島」「ファイナル・カウントダウン」といったSF 系映画の監督を務めました。あと、面白いところでは、50分過ぎ、故郷からの手紙で、妻が彼女に似た捨て子を育てることにしたことを知るも、それが妻と浮気相手との間の子であることに気付かないチョイ役をしている俳優、この人が原作者の一人であるEdmund Trzcinski なんですよ。
本作の舞台となっているのはオーストリアにあった捕虜収容所ですけども、撮影に必要なものは捕虜収容所の建物だけだったのでわざわざオーストリアに行って撮影する必要もなく、撮影はロサンゼルス郊外のウッドランド・ヒルズにあった牧場の敷地を借り、そこでセットを組んで行われました(その後、牧場は売り払われ、セットのあった場所は現在、モルモン教の教会になっています・汗)。セットを組む費用がそれほどかからなかったからなのかどうかは分かりませんが、この映画が脚本どおりの時間軸で撮影されたというのも興味深い点。通常、映画の撮影は使用する役者の出演場面を集中的に撮影し(つまりは、最初の段階でラストシーンを撮ったりすることもあるということ)、後から編集で時間軸に沿ってつなげていく訳ですが(その方が何かと費用を削減できる)、時間軸どおりで撮影すると、最初から最後まで出演する主要な役者に対してはその間ずっと拘束し続けることになって費用がかさむのです(日本の某局の大河ドラマのように「拘束は長いですがギャラは安いです」というような話、アメリカの俳優には通用しませんね・笑)。ですがその反面、ミステリーやサスペンスのような作品ですと、出演者に結末を知らせないまま撮影を続けることができ、演者の間である種の緊張感や迫真感を作り出すことができます。実際、本作でも出演者の大部分がクランクアップの寸前まで、誰が劇中の裏切者なのかを知らされていなかったそう。いやー、映画って裏舞台もほんと、面白いもんですね。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
第10回 寒い国から帰ったスパイ
原題:The Spy Who Came in from the Cold公開年/製作国/本編上映時間:1965年/イギリス/112分
監督:Martin Ritt(マーティン・リット)
主な出演者: Richard Burton(リチャード・バートン)、Claire Bloom(クレア・ブルーム)、Oskar Werner(オスカー・ウェルナー)、Peter van Eyck(ペーター・ファン・アイク)
【ストーリー】
第二次世界大戦後、資本主義陣営のリーダーたる米国と共産主義陣営の盟主たるソビエト連邦がお互いに核兵器の行使をちらつかせながら激しく対立していた1960年代、その最前線であったベルリンで、チャーリー検問所を越えて東側から西ベルリンへ逃れようとしていた一人の男がいた。男の名はリーメック、イギリスの対外情報機関(MI6)が取り込んだ東ドイツ政府筋内の重要な協力者であったが、検問所を偽造書類を使って通過した所で突然警報が鳴り響き、東ドイツの警備兵の銃撃によって射殺されてしまう。その一部始終を目撃していたのは、MI6 のベルリン支局の責任者であるアレックス・リーマス(リチャード・バートン)。元ナチ党員で共産主義者に転向したハンス・ディーター・ムント(ペーター・ファン・アイク)が指揮する東ドイツ側の諜報機関シュタージによって立て続けに二人の協力者を殺害されていたリーマスは、リーメックの亡命の成功を自分の目で確かめる為にチャーリー検問所へやって来ていたのだったが、彼の目の前で起こったのは三人目の協力者が殺されるという悲劇であり、ムントの完全な勝利であった。一連の失策の責任を問われ、コントロールと呼ばれるMI6 長官(シリル・キューザック)にロンドンへ呼び戻されたリーマスは、職を辞すと職業安定所に通って職を探すも得意なドイツ語を活かせる仕事にはありつけず、失意の中で酒浸りになりながらようやく見つかったのは、とある研究所に附属する図書館の司書の仕事であった。新たな職場で働き始めたリーマスは、そこで知り合ったイギリス共産党の党員であるナン・ペリー(クレア・ブルーム)と程なくして恋仲になるが、同じ頃、近所の食料品店でツケ払いを認めない店主を殴って投獄されてしまう。数日後、リーマスが釈放されると、そのあと直ぐに彼に接触してきたのが東ドイツ側の諜報機関員。しかし、その目的は彼を消すことではなく彼の協力を得ることだった。なぜなら、その諜報機関員は、同志であるはずのムントの不正を暴こうと情報収集を続けてきたフィードラー(オスカー・ウェルナー)という男の指揮下にあったからで、斯くしてリーマスは東ドイツ側の協力者となっていくのだが、すべてはMI6 の目論見どおりであった。果たしてMI6 の真の目的は?
【四方山話】
本作は英国の作家ジョン・ル・カレ(John le Carré)の小説「The Spy Who Came in from the Cold」を映画化したもので、原作が日本で翻訳出版された際の邦題が「寒い国から帰ったスパイ」であったことから、映画の邦題も同じものになっています。この「寒い国から帰ったスパイ」という邦題、なんだかロマンチックな雰囲気が漂っていて響きも良いですけど、残念ながら原作の真意からずれていると言わざるを得ません。「冷たい」や「寒い」を意味する英語の形容詞cold にthe が付く場合、確かに「寒い場所」といった意味の名詞として使われますが、原作を読むかこの映画の台詞に注意深く耳を傾ければ、本作ではthe Cold に違う意味が込められていることは明らか。例えば映画ですと、10分過ぎにMI6 の長官(コントローラー)が、ベルリンから呼び戻された後に疲れた表情で長官室に姿を現したリーマスに向かって告げた言葉はこうでした。
「It’s like metal fatigue. We have to live without sympathy, don’t we? We can’t do that forever. One can’t stay out of doors all the time. One needs to come in, in from the cold ・金属疲労みたいなもんだよ。我々は思いやりなんてものと無縁で生きなきゃならない、だろ?でも、いつまでもそんなことはできやしない。人ってのは家の外にずっといることなんてできやしないんだ。戻らないといけないのだよ、寒い場所からね」
これがどういうことかと言うと、つまりthe cold は、スパイ(諜報員、工作員)が生き抜かなくてはならない冷酷で無慈悲な世界のことであり「寒い外にずっといるのは辛いことだから家に戻らないといけない」というのは、リーマスに対し「スパイとして活動するという最前線の現場の仕事から内勤に変わるように」と比喩的に伝えている言葉なのです。その証拠に、この比喩を即座に理解したリーマスは「I’m an operator… I don’t want a desk job ・自分は工作員です…内勤には就きたくありません」と答えていますし、コントローラーも「There’s a vacancy in banking section ・銀行課に空きがある」と転属先を示唆しています。なので、The Spy Who Came in from the Cold は「寒い国から帰ったスパイ」ではなく、意訳すれば「冷たい世界から(元の世界に)戻ったスパイ」であり、その言葉の意味は本作のラストシーンにも大きく関係してきますので、是非ともそのことを頭に入れてこの映画を観てみてください。詳しく書くとネタバレになってしまいますので、この話はこれくらいで(汗)。
先程にも触れたとおり、本作の原作となった同名の小説を書いたのはジョン・ル・カレという作家。なんだかフランス風の苗字ですが、これはペンネームであって本名はDavid John Moore Cornwell。イギリス南部の港町プール(ノルマンディー上陸作戦の出発拠点のひとつ)の裕福な家庭で生まれ育った歴とした英国人で、オックスフォード大学に進学する前にスイスのベルン大学に留学してドイツ語を学んでいた彼は本作のリーマスと同じようにドイツ語が堪能でした。しかし、この作家の経歴で面白いのは、オックスフォード大学在学中から既に就いていた職業。なんとこの人、イギリスの諜報機関で国内の治安対策を主に行うMI5(軍事情報局第5課)と対外諜報活動が職務であるMI6(軍事情報局第6課)を渡り歩き、実際、外交官身分を隠れ蓑にドイツで諜報活動をしていました。つまり、彼は正真正銘、本物の諜報員(スパイ)だったんですよ!本作の構成にリアリティーがあるのも納得です(但し、リーマスとナン・ペリーがあまりにも簡単に恋仲になるのはリアリティーに欠けますけども・笑)。リアリティーと言えば、映画の冒頭に登場する東西ベルリンの境に設けられていた実在の検問所「チェックポイント・チャーリー」もリアル。今ここでどうしてそのような表現をしたのかと言うと、本作のチェックポイント・チャーリーは、実際にベルリンでロケ撮影したものではなく、アイルランドのダブリンにあるSmithfield Market という場所でセットを組んで撮影したものだったからなんです。1960年代に撮影された実物のチェックポイント・チャーリーの写真と比べてみても、西ベルリン側を模したセットは、フリードリッヒ通り沿いの店舗の看板や時計、検問所の建物、「YOU ARE LEAVING THE AMERICAN SECTOR」と4ヶ国語で書かれた標識など、かなり高いレベルで現地が再現されてあり、とてもアイルランドのダブリンだとは思えませんね(笑)。似てない点を強いて挙げるならば、チェックポイント・チャーリーが設置された通りの路面は、劇中に出てくるような石畳ではなく舗装路であったということくらいでしょうか。いずれにせよ、この検問所のセットには相当な金額の予算が注ぎ込まれたことは想像に難くありません。本作が撮影を行ったのはイギリス、アイルランド、オランダ、ドイツの4カ国(なぜにアイルランドだったのかと言うと、1958年に「Ardmore Studios」という大型の撮影スタジオをオープンさせたアイルランドが、国を挙げて映画撮影を誘致していたから)。ストーリーの舞台の核であるドイツも撮影地に含まれていますが、実のところ、そこで撮影されたのは65分頃に出てくる山岳地帯のシーンだけのようです(恐らく、当時の西ドイツのバイエルン州でロケ撮影)。そう言えば、劇中に出てくるドイツ人役の俳優がみんな英語で話しているのもちょっと興冷め。ル・カレは本作の映画化における配役にあたって、リーマス役の俳優は完璧なブリティッシュ・イングリッシュを話すことができなければならないという条件を課していたそうですが、ドイツ人役はドイツ語で話すということにもこだわって欲しかったですね(笑)。
さて、そのリーマス役を演じたリチャード・バートン。この俳優はシェイクスピア作品の舞台役者として実力を認められ、ローレンス・オリヴィエの後継者とさえ言われた人。僕の中では舞台俳優というのは基本的に「声がデカいだけ、演技がゲサでクサイ」というイメージしか無いんですが、本作でのバートンの演技は感情を押し殺すというか、抑制がきいていて、非情な世界で生きることに疲れ果てているがそのことに気付かぬふりをしているというリーマス役を見事に演じていました。しかし、リチャード・バートンの名をさらに有名にしたのはそんな演技力よりも、やはり、ダブル不倫の末にハリウッドの大女優、エリザベス・テイラーと再婚したという出来事でしょう。後に二人は離婚することになりはしましたが、その夫婦生活は10年以上に及んだので、有名人同士の結婚としては長続きした方かと。本作を撮影した時期はちょうど二人がまだ新婚の頃でして、エリザベス・テイラーはチェックポイント・チャーリーのセットが組まれたダブリンの撮影現場に運転手付きのロールスロイスで毎日やって来てはバートンに熱い視線を送っていたそうです(彼女がダブリンに滞在中、そのロールスロイスが通行人の老人を轢いてしまい、死亡事故が起こるなんてこともありました)。それと、余談ですが、バートンが英国空軍のパイロットであったという紹介記事を見かけることがありますけども、それは誤り。確かに彼は英国空軍の士官候補生の試験に合格していますが、視力検査をパスできなかった為にパイロット候補生にはなれず、航法士(ナビゲーター)候補生として入隊しています。しかし、彼が入隊したのは第二次世界大戦末期の1944年。程なくして戦争が終了したので、結局、航空機に搭乗する機会はなく、空軍病院などで3年間の勤務の後、満期除隊しました。あと、本作の出演者でもう一人紹介しておきたい俳優がフィードラー役のオスカー・ウェルナー(ドイツ語での発音はヴェルナー)。80分過ぎから始まり約20分間続く査問会のシーンでムントを糾弾する演技が光っていて、スクリーンに目が釘付け。思わず息を飲んでしまいます。ウェルナーは1922年ウイーン生まれのオーストリア人で、本作ではユダヤ人のフィードラー役を演じましたが、本人は金髪碧眼の典型的ゲルマン人。ですが、彼は反ナチ、反ヒトラーの平和主義者であった為、第二次世界大戦中、ドイツ軍に徴兵されて嫌々ながら陸軍に入隊したものの(当時のオーストリアはドイツに併合されてドイツと一体化してました)、ユダヤ人の血を引く女優と極秘に結婚して軍から脱走。彼女と共にウイーン郊外の森林地帯に逃げ込み、終戦までそこに隠れ住んでいました。ゲシュタポ(秘密警察)や憲兵に見つかって捕まれば、ウェルナーを待ち受けていたのは処刑でしたから、固い信念が無いとできないことですよね。
実は僕、チェックポイント・チャーリーへは1985年と88年の2回、訪れたことがありまして、その頃にはもう、検問所の傍らにあった商店はすべて姿を消していたし、東ベルリン側のゲートも大屋根付きの近代的なものに変わっていましたが、西ベルリン側のコンテナのような検問所の建物は本作に出てくるのと同じようなものであったと記憶しています。1980年代後半は冷戦の末期、けれども「東側の人々が越えたくても越えられない壁、時には命懸けで越えようとしてきた壁」というベルリンの壁の現実はまだそのままで、相変わらず壁を越えようとする東側の人々は射殺の対象になっていましたが、その半面、西側の人間はチェックポイント・チャーリーの東ドイツ側の窓口で30西ドイツ・マルクの現金と引き換えに24時間有効の入国許可証を手に入れることができ、簡単に壁を越えることができました。その頃になると共産主義の国々はどこも経済政策に行き詰まっていて、輸入品の決済に必須の米ドルや西ドイツ・マルクといった外貨の獲得に躍起になっていたのです。片や壁を越えようとすれば射殺され、片や金を払えば壁を越えられる。ほんと、不条理な時代だったと思います。当時のチェックポイント・チャーリーの様子を記してある『過去からやって来た旅人』という短編小説を本ホームページの『小説の棚』で公開していますので、興味のある方は読んでみてください。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
この続きは『映画の棚③』でお楽しみください。