河内レオン
1966年に大阪で生を受けた生粋の河内人。大阪府内の工業高校を卒業後、自分の知らない世界をもっと見てみたいという渇望からバブル景気前夜の日本を飛び出し、以降5年間に渡って世界各地を放浪。その思いどおり、世界中で多様な文化に接し、様々な人々に出会うことで見聞を広めました。帰国後、滞在期間が一番長かったスペインのことをもっと深く知りたいと心機一転、外国語大学のイスパニア語学科に入学。将来的には貿易関係の仕事をしてみたかったので、大学でしっかり学んで卒業すればどこか就職先も見つかるだろうと研鑽を積みましたが、卒業する頃にはバブル景気も吹っ飛んで戦後最悪の就職氷河期に突入。20代後半の新卒者など見向きもされず、100社近くに履歴書を突き返されて無職のまま卒業という憂き目に遭うことに。
大学卒業後は取り敢えずアルバイト生活で食いつなぎ、1年後、通勤の途上にあった本屋でたまたま手に取った求人雑誌が縁で運よく旅行業界に就職。以降、世界100カ国以上を訪れた旅のプロフェッショナルとして、海外旅行の現地手配を行う外資系ツアーオペレーター会社で20年近くサラリーマン生活を送りました。しかし、度を超えた価格競争、いつまでたっても改善しない低賃金&長時間労働という未来なき旅行業界に嫌気がさして50歳の誕生日に退職を決意。その後、手元にあった僅かな貯金を注ぎ込んで大阪市内にてスペイン・バルを自らの手造りでオープンさせるも、閑古鳥が鳴くなか1年半で廃業。その時、貯金も使い果して無一文になったそんな僕の頭をふと過って行ったのが「自分の人生、あと残りどれくらいなんだろう?」という焦りにも似た思いで、残りの人生はできるだけ働かずに自由な時間を優先し、年収100万円で生きていこうと決意した僕は、それ以来、アルバイトで年収100万円生活を実践しながら小説などの執筆をする日々を続けています。書きたいことが山ほどあるのに執筆に専念することができないのが常に悩みの種。
スペイン語でライオンはレオン。そして、僕の家系は先祖代々、大阪の河内地方の出身で、河内の地は義理人情を何よりも大切にし、権力を振りかざす人間が大嫌いという土地柄。そこから「常に権威、権力に噛みつく河内の獰猛なライオンでありたい」という思いを込めて「河内レオン」をペンネームとし、活動しています。念の為に申し上げておきますと、最近、似たような名前の演歌歌手が登場していますが、彼のデビューよりずっと以前から僕は河内レオンの名前で活動していますので、パクリではありません(笑)。



バル「コルドバ」でマスターと呼ばれていた時代の河内レオン(笑)。開業資金が普通の国産自動車の新車1台分程度しかありませんでしたので、内装は自分で工事しました。



結局、店を閉める頃には貯金も使い果して一文無しになっていましたが、今、10年振りにこうして写真を眺めてみると、フラメンコ好きが集まって踊ったり、ギターをかき鳴らしたりと、結構、楽しいこともあったような気がします。まったくの初対面から常連客になってくださった方々がいたのも嬉しかったですね。
1966年に大阪で生を受けた生粋の河内人。大阪府内の工業高校を卒業後、自分の知らない世界をもっと見てみたいという渇望からバブル景気前夜の日本を飛び出し、以降5年間に渡って世界各地を放浪。その思いどおり、世界中で多様な文化に接し、様々な人々に出会うことで見聞を広めました。帰国後、滞在期間が一番長かったスペインのことをもっと深く知りたいと心機一転、外国語大学のイスパニア語学科に入学。将来的には貿易関係の仕事をしてみたかったので、大学でしっかり学んで卒業すればどこか就職先も見つかるだろうと研鑽を積みましたが、卒業する頃にはバブル景気も吹っ飛んで戦後最悪の就職氷河期に突入。20代後半の新卒者など見向きもされず、100社近くに履歴書を突き返されて無職のまま卒業という憂き目に遭うことに。
大学卒業後は取り敢えずアルバイト生活で食いつなぎ、1年後、通勤の途上にあった本屋でたまたま手に取った求人雑誌が縁で運よく旅行業界に就職。以降、世界100カ国以上を訪れた旅のプロフェッショナルとして、海外旅行の現地手配を行う外資系ツアーオペレーター会社で20年近くサラリーマン生活を送りました。しかし、度を超えた価格競争、いつまでたっても改善しない低賃金&長時間労働という未来なき旅行業界に嫌気がさして50歳の誕生日に退職を決意。その後、手元にあった僅かな貯金を注ぎ込んで大阪市内にてスペイン・バルを自らの手造りでオープンさせるも、閑古鳥が鳴くなか1年半で廃業。その時、貯金も使い果して無一文になったそんな僕の頭をふと過って行ったのが「自分の人生、あと残りどれくらいなんだろう?」という焦りにも似た思いで、残りの人生はできるだけ働かずに自由な時間を優先し、年収100万円で生きていこうと決意した僕は、それ以来、アルバイトで年収100万円生活を実践しながら小説などの執筆をする日々を続けています。書きたいことが山ほどあるのに執筆に専念することができないのが常に悩みの種。
スペイン語でライオンはレオン。そして、僕の家系は先祖代々、大阪の河内地方の出身で、河内の地は義理人情を何よりも大切にし、権力を振りかざす人間が大嫌いという土地柄。そこから「常に権威、権力に噛みつく河内の獰猛なライオンでありたい」という思いを込めて「河内レオン」をペンネームとし、活動しています。念の為に申し上げておきますと、最近、似たような名前の演歌歌手が登場していますが、彼のデビューよりずっと以前から僕は河内レオンの名前で活動していますので、パクリではありません(笑)。



バル「コルドバ」でマスターと呼ばれていた時代の河内レオン(笑)。開業資金が普通の国産自動車の新車1台分程度しかありませんでしたので、内装は自分で工事しました。



結局、店を閉める頃には貯金も使い果して一文無しになっていましたが、今、10年振りにこうして写真を眺めてみると、フラメンコ好きが集まって踊ったり、ギターをかき鳴らしたりと、結構、楽しいこともあったような気がします。まったくの初対面から常連客になってくださった方々がいたのも嬉しかったですね。