映画の棚・第34回「西部戦線異状なし」

第34回】西部戦線異状なし

原題:All Quiet on the Western Front
公開年/製作国/本編上映時間:1930年/アメリカ/133分
監督:Lewis Milestone(マイル・ストーン)
主な出演者:Lew Ayres(リュー・エアーズ)、Louis Wolheim(ルイス・ウォルハイム)、John Wray(ジョン・レイ)、Slim Summerville(スリム・サマービル)、William Bakewell(ウィリアム・ベイクウェル)

【ストーリー】
1914年にサラエボで起こったオーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者暗殺に始まり、やがて欧州全域を巻き込んでいった第一次世界大戦。フランス領内への侵攻を目論むドイツ軍に対し、英仏軍は国境地帯に塹壕を張り巡らしてその野望を阻止。防御が攻撃を圧倒する膠着状態に陥った西部戦線では消耗戦が始まり、日々失われる兵員の補充が各国の急務となっていた。そんな状況下、前線に向かう兵士たちを住民が大歓声を上げて送り出し、若者たちの愛国心を煽って軍に志願するよう呼びかける教師の声が教室に響いていたドイツのとある田舎町で、その熱弁を聞いて血潮をたぎらせた生徒のポール・バウマー(リュー・エアーズ)が級友たちと共にドイツ陸軍に入隊する。入営後、顔見知りの町の郵便配達員で予備役の下士官であったヒンメルストス(ジョン・レイ)から厳しい訓練を受ける若者たちは、気のいい郵便配達員であったヒンメルストスが権威を振りかざす人間に変貌しているのを目にして軍隊の恐ろしさを知るが、それは彼らの運命を待ち受ける壮絶な苦難の序章でしかなかった。基礎訓練を終えて直ちに西部戦線の最前線に送り込まれ、塹壕に到着するやその日のうちに砲弾や銃弾が飛び交う下で鉄条網を敷設するという任務に駆り出されたポールたちがそこで目にしたのは、あっけなく死んでいく兵士たちの姿だったのだ。連日の戦闘で級友たちが次々に戦死していく中、古参兵のカチンスキー(ルイス・ウォルハイム)から戦場で生き延びる術を学んだポールはなんとか死なずに済んでいたが、ある日、総突撃が繰り返されて一進一退の攻防が続く戦闘の最中、砲撃でできた巨大な穴に落ちてしまい、そこへ同じように落ちてきたフランス兵を短剣で刺殺することとなる。ところが、敵兵を殺めたポールには自分が死なずに済んだという安堵感が沸き上がってくることは無く、倒れた男のポケットから出てきた家族の写真を目にした彼に芽生えたのは、戦争というものの正当性に対する疑念であった。その後もポールの部隊には繰り返し出撃命令が出され、遂に砲弾の破片を腹部に受けて重傷を負った彼は病院送りとなるが、生きたいという強い精神力によって傷を完治させ、帰隊前に休暇を与えられて一時帰郷する。久し振りに故郷の町へ帰ってみると、学校では相変わらず戦争を賛美して愛国心をたきつけている教師の前で生徒たちが目を輝かせていて、戦場の悲惨さも実情も知らない町の住人たちが、パリに攻め入るにはどうすれば良いかと激論を交わしてるのを見て愕然としたポールは、翌日、休暇を切り上げて粛々と再び戦場へと向かう。

【四方山話】
今回も文学が映像化された作品を紹介させていただきます。原作はドイツの作家レマルクが1928年に発表した有名な反戦小説「西部戦線異状なし(Im Westen nichts Neues)」で、作者自身が戦場で味わった過酷な体験と戦争に対する嫌悪を主人公に投影したとされている作品です。1928年と言えば、ヒトラー率いるナチスが国政選挙で初めて議席を獲得(12議席)した年であり、ナチスが徐々に社会に浸透しつつあった当時のドイツの状況を考えれば、この原作小説をドイツで映画化することは困難であったであろうことは想像ができますが(実際、レマルクはナチスに糾弾され身の危険を感じてスイスへ亡命。ドイツに残った妹は国家反逆罪でナチスに処刑されました・汗)、原作の権利をアメリカの映画会社(ユニバーサル)が買い取り、直ぐに撮影に入って原作の発表から2年後には作品がアメリカの映画館で公開されていたというのは、意外というか、かなりの驚き。それだけでなく、本作は非常に完成度が高く、公開からほぼ1世紀が経過した現在でも普通に鑑賞できますから、その点でも驚きなんですよね。100年前の映画とはとても思えない出来栄えなのです。先ず何が凄いかというと、戦場のリアリティの再現度でしょう。しかも、本作に登場するシーンはすべてアメリカ国内で撮影されているというのですから、これまたびっくり(笑)。ドイツの街並みなどはハリウッドのユニバーサル・スタジオ内に巨大セットを組んで丸ごと再現し、塹壕のシーンはロサンゼルス郊外のサンタ・アナにあった「アーバイン牧場」で実際に塹壕を掘ってロケ撮影されました。この他、同じくロサンゼルス郊外のバルボアやベニス、シャーウッド湖周辺の森林地帯でも撮影が行われていますが、9分30秒過ぎに出てくるポールたちが歩兵として基礎訓練を受ける為に入営する欧州風の巨大な兵舎の建物だけは、恐らくマット画で背景を合成しているのではないかと思われます。本作では、兵士たちの軍服や装備、使用している武器も非常に正確に再現されていて、ドイツ兵役はドイツ陸軍の標準装備であった小銃、モーゼル・ゲヴェーア1898を使っていますし、フランス兵役も同じくフランス陸軍が採用していたベルティエ1907/15ライフルを使用しています。ドイツ兵役がマキシムMG08機関銃を撃ちまくっているというのも史実に忠実。但し、フランス軍がヴィッカース・マークⅠ機関銃を使っているのはちょっと疑問符。フランス軍ならホッチキスM1914を使っている筈ですが、イギリス軍から供与されたものと考えて、まあ良しとしましょう(←また上から目線かよ・笑)。ラストシーンに出てくるフランス兵が使っている狙撃銃だけは完全に誤りですね。あのライフルはモーゼル・ダンチヒ・スポーターという小銃で、ドイツのダンチヒにあった造兵廠が第一次世界大戦後にモーゼル・ゲヴェーア1898を民生用に作り変えて生産したものなので、第一次世界大戦中には存在していなかった銃です(←いつもの武器オタクのこだわりでスミマセン・笑)。ポールたちが兵営で基礎訓練を受ける際に頭に被っている滑稽な形状の帽は「ピッケルハウベ」と呼ばれるプロイセン式の兜。てっぺんの角(ピッケル)は、兵士の背を高く見せて威厳ある姿に見せる為に取り付けられていて、敵がサーベルを頭上に振り下ろしてきた際、衝撃を分散する役割も果たしていました。しかし、機関銃や大砲が主役の近代戦では邪魔にしかならない無用の長物で、ポールたちも史実どおり、塹壕戦に送り込まれた時にはスパイクの無い鉄製のヘルメットを被るようになっていましたね(原作小説では入営時から既に鉄のヘルメットを支給されています)。あと、この映画で驚かされるのがド迫力の砲弾着弾シーン。あれは電気発火式の本物のダイナマイトを地中に大量に仕掛けて、専門の技術者が兵士の動きを見ながら爆発させていたそうです。タイミングを一歩間違えれば死亡事故発生間違いなしですから、安全第一の今の時代に同じことをするのは絶対に無理。なので、ある意味、現在の映画やドラマよりも迫力あるシーンが撮れているとも言えるでしょう。それに加え、砲弾の着弾シーンや白兵戦のシーンでのカメラワークも絶妙。実は本作の戦闘シーンで兵士役として雇われた約150名のエキストラのほとんどが第一次世界大戦の実戦経験者だったそうで、それらの元兵士たちから様々なアドバイスがあったことも本作でリアルな戦闘シーンを再現できた理由のひとつのようです。当時はまだ社会に知られていなかったシェルショック(戦闘の極度のストレスや砲弾の爆発音によって引き起こされるPTSD)も作中で既に取り上げられていましたね。但し、本作のエキストラとして雇われていたフレッド・ジンネマン(後に映画監督となる)は、エキストラの多くがロシア革命から逃れてきた貴族と将校であったと語っています(ジンネマン自身は従軍経験なし)。本作で唯一リアリティーに欠けているのは、ドイツ人が英語を話していることくらいでしょうかね(笑)。原作では主人公の名はPaul Bäumer(パウル・ボイマー)ですが、それも映画では英語風にポール・バウマーと発音が変更されていました。

1930年頃と言えば、映画の主流がサイレント映画からトーキー映画へと変わっていく過渡期にあった時代で、映像に台詞や効果音、音楽をどのように合体させていくのか手探り状態であったと思うのですが、本作は現在の映画やドラマと遜色の無い仕上がりになっていて、出演者の演技もサイレント時代のとってつけたような演技とは違ってとてもいいです。特に主人公のポールを演じたリュー・エアーズは、もう少し後の時代に生まれていたら、もっと大スターになれていたであろうと思わせる才能が見受けられます。ですが、本人は出世欲など皆無の純真な人だったようで、本作でポールを演じて反戦意識に目覚めたのか、第二次世界大戦が始まると良心的兵役拒否者となり(エアーズが戦闘に関らない衛生兵を希望したものの軍が認めなかったというのが本当のところでしたが)、アメリカ社会より大反発を食らいます。が結局、彼は衛生兵として太平洋の前線(フィリピン、ニューギニア)に送られることになり、終戦までその任務を果たしました(エアーズは軍隊で得た給与をすべてアメリカ赤十字に寄付したそうです)。彼は厳格なベジタリアンであったことでも知られていて、何と言うか、ちょっと変わった人だったのかも知れませんね(笑)。戦後も映画やテレビドラマの端役で細々と活躍し、1996年に亡くなりました(戦争映画への出演オファーはすべて断っていたそう。オカルト映画のオーメン2でダミアンを養子として迎え入れたリチャード・ソーンが会長を務める会社の社長役をしていたのはこの人)。古参兵のカチンスキーを演じたルイス・ウォルハイムもいい味を出していましたね。鼻が折れていて見かけはプロレスラーのヒール役ですが、ウォルハイムは名門コーネル大学で工学を学んだ秀才で、4ヶ国語を自由に操ったと言われています。因みに、鼻が折れたのは大学時代にサッカーの試合をしていた時だったそうで、一度は手術で折れた鼻を元に戻したものの、その後、酔って殴り合いの喧嘩をした際に再び折れてしまい(若い頃の彼は喧嘩早いことで有名だったそう)そのままとなったというエピソードが残っています。ウォルハイムにも軍務歴がありますが、第一次世界大戦の最中にアメリカ陸軍に志願して将校となる訓練(大卒なので)を受けていた最中に終戦となった為、実戦の経験はありません。残念なことに、ウォルハイムは本作が公開された翌年に胃癌で亡くなっていて、その人柄から慕われていた彼の死を多くの映画人が悲しみました。享年50歳。あと、本作の監督であるマイル・ストーンについても少し触れておきましょう。彼は1895年にロシア帝国のベッサラビア(現在のモルドバ)で裕福なユダヤ人の家に生まれ、ドイツへの留学を経て1913年にアメリカへ移住しています。彼がドイツを離れたのは兵役に就きたくなかったからだったそうですが、1917年にアメリカも第一次世界大戦に参戦した為、結局、アメリカで陸軍に入隊することになりました。しかし、当時、写真家を生業にしていた彼が配属されたのは、航空写真を撮影したり訓練映画の編集をしたりする部隊で、実戦には参加していません。この部隊には後に映画監督となるヨーゼフ・フォン・シュテルンバーグやビクター・フレミングといった映画関係者が多くいて、彼らの友人を介してストーンがハリウッドで職を得ることになったのですから、それが彼の運命だったのでしょう。このようにして、1919年からハリウッドで働き始めた彼はその才能によってめきめきと頭角を現し、9年後には「Two Arabian Knights」でアカデミー賞の監督賞を受賞。さらに本作でも二度目の監督賞を受賞しました。まあ、この『映画の棚』で何度も書いているとおり、アカデミー賞を受賞したから何なんだって話で(笑)、映画好きの人は、それらの受賞作よりも本作の次にストーンが監督を務めた「The Front Page」を彼の最高傑作として挙げる人も多いようです。

それでは、今回もネタバレに入りましょうか(笑)。休暇を終えたポールが部隊に戻ってみると、隊の顔ぶれはかつての自分のような若い新兵ばかりに変わっていましたが、戦場でのいろはを教えてくれたカチンスキーは健在で、二人は再会を喜こびます。ところがその時、飛行機が投下した爆弾が二人の傍らに落下してカチンスキーが足に怪我を負い、ポールは傷は軽いから心配ないとカチンスキーを背負って野戦病院へ向かいます。しかし、二人をしつこく追ってくる飛行機が再び爆弾を投下し、破片で首をやられたカチンスキーは絶命しますが、そのことに気付かぬポールは彼を担いで野戦病院へ運び込み、そこで衛生兵から彼が既に息絶えていることを知らされて初めてその死を知ることになります。肩を落として野戦病院のテントを去るポール。それから暫しの時が流れ、相変わらず塹壕の中で敵と対峙していたポールは銃眼の向こうに美しい蝶を見つけると、そっと手を伸ばしますが、その瞬間、フランス軍の狙撃兵が放った銃弾が彼の身体を貫き、映画は終了(ポールが一時帰郷した際、彼が蝶の収集家であったことを匂わせる前振りが入れられているのは、このラストへとつなげる為だったんです)。実はこの映画版のラストシーン、原作小説とは大きく違っていて、小説では塹壕の傍に落ちた砲弾でポールは戦死し、そのあと、視点が第三者に変わってこう記されています。

「„Er fiel im Oktober 1918, an einem Tage, der so ruhig und still war an der ganzen Front, dass der Heeresbericht sich nur auf den Satz beschränkte, im Westen sei nichts Neues zu melden.“・彼は1918年10月、戦死した。全前線が非常に静かで穏やかだったその日、報告書に記されたのは『西部戦線で特に新しい動きなし』という一文だけであった」

この部分がまさしく小説のタイトルの由来であり、一人の若者の死など異状のうちにも入らないという戦争というものの残酷さ、異常さを読者に感じさせる重要な部分なのですが、映画ではこの文言が一切出てきません。これは非常に残念なことで、今からでもいいから絶対に付け加えるべきですね。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!

河内レオンは現在、シルクロードを旅行中につき、この記事は事前の予約投稿によって自動的にブログにUPされております。帰国予定の4月上旬まで、毎週日曜日の『映画の棚』の記事以外、ブログはUPされませんので悪しからずご承知おきくださいませ。

映画の棚・第33回「怒りの葡萄」

第33回】怒りの葡萄

原題:The Grapes of Wrath
公開年/製作国/本編上映時間:1940年/アメリカ/128分
監督:John Ford(ジョン・フォード)
主な出演者:Henry Fonda(ヘンリー・フォンダ)、Jane Darwell(ジェーン・ダーウェル)、John Carradine(ジョン・キャラダイン)、John Qualen(ジョン・カレン)

【ストーリー】
アメリカ合衆国の多くの市民が大恐慌によって引き起こされた不況で苦しんでいた1930年代前半、ナイフで襲ってきた相手の男を過剰防衛で殺してしまい7年の刑を言い渡されて刑務所で日々を過ごしていたトム・ジョード(ヘンリー・フォンダ)が、4年で仮釈放となって故郷のオクラホマ州サリソーにある自宅へと向かっていた。途中、サリソー郊外で知人の元牧師、ジム・ケイシー(ジョン・キャラダイン)と再会したトムは、既に信仰を捨てていたケイシーと酒を酌み交わし、暫し昔話に花を咲かせたあと彼と共に自宅へ向かったが、小作農をしていた両親の住む家は空家になっていた。二人が家の中に入ってみると、そこにいたのは隣人のミューリー・グレイブス(ジョン・カレン)で、トムは辺りの小作人たちの多くがDust Bowlと呼ばれる砂嵐のせいで農作物の不作が続く土地の権利を所有者から買い漁る銀行や畜産会社によって家を追い出されてしまい、皆が故郷を捨て、仕事を求めてカリフォルニアへ移住しようとしていることを聞かされる。翌日、叔父の家を訪れたトムは、そこへ一家全員で身を寄せていた家族と再会するも、カリフォルニアへ向かう為に家財道具をすべて売り払っておんぼろのトラックを手に入れていたジョード一家は既に出発の準備を整えており、トムとケイシーも彼らと共にカリフォルニアへ向かう決心をしてトラックに乗り込む。オクラホマ州からカリフォルニア州までは、ほぼ一直線のルート66の上をひたすら走るだけであったが、その移動距離は約2千キロ以上もあり、狭い車内に12人もの人間を詰め込んだ車による過酷な旅によって祖父と祖母がその途上で次々と亡くなってしまう。そればかりか、カリフォルニアが目前に迫る中で出会ったアーカンソー州出身の男から「カリフォルニアへ行っても仕事なんか無いし、待っているのは苦難だけだ」という話を聞かされ、一抹の不安を抱えつつ旅を続ける一家。そんな彼らがようやくたどり着いたカリフォルニアで目にしたのは、男が言っていたとおり、職もなく、日々の食事にさえありつけない絶望の中で暮らす州外からやって来た移住労働者たちの姿であった。

【四方山話】
前回と同様、今回もヘンリー・フォンダの出演作品です。本作はアメリカの作家スタインベックの文学作品「怒りの葡萄」を映像化したものですが、前半のジョード一家がオクラホマからカリフォルニアに到着するまでの描写は原作にほぼ忠実なものの、後半部分はかなり変更が加えられていて、ラストに至っては原作とまったく異なっています。にも拘わらず、スタインベック自身は「貧農の不屈の精神が見事に映像化されている」とこの映画を高く評価していたようで、特にヘンリー・フォンダの演技に感銘を受けていたそう。僕なら、自分の作品の結末をあんなふうに変更されたら怒り心頭で許せませんがね(笑)。因みに原題のThe Grapes of Wrathのwrath。聞き慣れない単語ですが、一般的な怒りangerとは違って、誰かを罰したい(宗教的、道徳的な観点から)と思うほどの激しい怒りを意味する言葉。聖書や神話に出てくる時は通常「神の怒り」を表します。スタインベックは「あなたにとって宗教とは何かと問われれば、私には宗教がないと答えなければならない」と自ら語っていたとおり彼は無神論者であったのですが、キリスト教的な隣人愛は大好きであったようで、本作のタイトルも聖書のヨハネの黙示録第14章の記述(神の恵みに反して罪や悪に染まってしまう人間「悪い実、悪い人間」に厳しい裁きが下され、それらが搾り桶に入れられ、踏みつけられて血が滴り落ちる様子)から引用されていますし、ジョード一家がオクラホマから約束の地カリフォルニアへ向かう描写は「出エジプト記」とイメージが重なります。宗教を捨てたはずのケーシーをキリストのような犠牲者、トム・ジョードをその使徒的存在として描いてもいますね。但し、聖書の中ではぶどう園の主人の意に反して反抗ばかりをたくらむ労働者が悪い実、悪い人間であり、それ故に彼らには厳しい神の裁きが為されるのですが、スタインベックの作品では悪い農園主に善良な労働者がストライキで抵抗するも、結局、厳しい裁きを受けることになったのは労働者であったという点で大きく異なっていて、その不条理こそがスタインベックの描きたかったことなのかも知れません。

それでは解説です。本作の冒頭部分、小作人たちが砂嵐による農業被害で苦しんでいる舞台はオクラホマ州サリソーということになっていますが、撮影はオクラホマ州の現地で行われたのではなく、カリフォルニア州ロサンゼルス郊外のラスキー・メーサの丘陵地帯で撮影されました。オクラホマからカリフォルニアまでルート66を伝って移動するシーンに出てくる風景だけは、別動隊に実際にルート上を走らせてロケ撮影しています。ジョード一家が75ドルで買った車は1926年型のHudson Super-Six Sedanをトラックに改造したもの(原作小説でも同じ車種が登場)。あのような貧乏小作人でも車を買えるところが当時のアメリカの凄いところで、赤貧に喘ぎ、娘に身売りをさせなくてはならなかった日本の東北地方の小作農家などと比べれば同じ貧困と言ってもレベルが違います。38分前に「OKLAHOMA CITY」と出てくる看板の向こうに写っている街並みは、オクラホマ・シティーではなくニューメキシコ州のアルバカーキ。52分前のアリゾナ州の検疫所のシーンが撮影されたのはアリゾナ州のラプトン。53分20秒頃に登場の鉄橋は、コロラド川にかかるオールド・トレイルズ橋です。橋を越えればいよいよカリフォルニア州。この橋はヘンリー・フォンダの息子であるピーター・フォンダが主演した映画「イージー・ライダー」の冒頭のシーンでも背景に登場していますね(ピーターが乗るバイクが同じ橋の上を走らなかったのは、既に橋が通行禁止になっており、ガス管を渡す為だけに利用されていたから)。65分頃にジョード一家がようやく到着したカリフォルニア州の一時収容キャンプは、ロサンゼルスのセンチュリー・シティーにあった20世紀フォックスのスタジオでセットを組んで撮影。その後、一家が移動する先の「キーン牧場」は、同じくロサンゼルスの郊外にあった競走馬の放牧場でセットを組みました。この牧場は後に売却され、現在はThousand Oaksという名の住宅街に変貌しています。102分過ぎに一家が到着する生活設備が整った連邦政府運営の「FARMWORKERS’ WHEAT PATCH CAMP」は、移住労働者を支援する為に合衆国政府がカリフォルニア州ベーカーズフィールド近郊に実際に建設したFederal Government Campがモデルとなっていて、シーンの一部は本物のキャンプでロケ撮影されました。因みに、原作の小説ではこの文化的なキャンプは登場せず、一家は最後まで豚小屋同然の酷い生活環境のキャンプを転々とします。

では、お次は出演者の話へ。原作の著者であるスタインベックも感銘を受けたという発言を残しているように、本作でトム・ジョードを演じたヘンリー・フォンダの演技はとても自然で、舞台俳優のようなゲサな感情表現をすることなく過酷な環境で生きる人間たちが徐々に感じていく社会の不正義、不公平に対する怒りを静かな演技によって見事に醸し出していますね。フォンダのトム役への思い入れは映画の撮影前から相当なものであったようで、原作を読んでトム・ジョードをどうしても演じたいと思った彼は、20世紀フォックスの設立者の一人で副社長であったダリル・ザナックにトム役を演じさせて欲しいと懇願。ザナックはそれをいいことにフォンダに7年という20世紀フォックスの専属俳優としての長期契約を提示しましたが、フォンダはその条件を嫌々呑むことまでしてトム役を手にしたそう。フォンダのトム役が熱演であったのは当然の結果だった訳です。フォンダと並ぶ熱演であったのがイタリアの肝っ玉母さん風のトムの母親を演じたジェーン・ダーウェル。ダーウェルが母親役に起用されたのは、前年に公開された「ジェシー・ジェームズ(邦題は「地獄への道」笑)」でフランク・ジェームズ(フォンダ)の母親役を演じた彼女を気に入っていたフォンダの強い要望があったからだとされていて、プライベートでもson、maと呼び合う仲であったという二人の演技の息が合っていたのも納得。端役が多かったですけども、彼女は生涯で170本もの映画に出演しました。逆にイケてないと思ったのがトムの妹で妊婦でもあるローザシャーン役のドリス・ボードンと同じく妹であるルース役の少女、シャーリー・ミルズ。ローザシャーンというのは変わった名前ですがRose of Sharon(植物のムクゲ)が正式な名前。この役を配されたドリス・ボード、実は本作の脚本を担当したナナリー・ジョンソンの恋人だった人物で(本作の撮影後、二人は結婚)、要は縁故採用みたいなもので、そういった流れで役を手にした者は大抵の場合、大した役者ではないですね(笑)。原作の小説では、この妊婦のローザシャーンがラストシーンでの鍵となってくるのですが、その話はまた後で。ルース役のシャーリー・ミルズも日本の劇団ひ〇わりから飛び出してきたみたいな演技でがっかりでした。ジム・ケイシー役もジョン・キャラダインよりもむしろミューリー・グレイブスを演じたジョン・カレンを配する方が良かったのではないかという気がしないでもありません。

と、上から目線で出演者をけなしたところで解説のシメに入りましょう(笑)。ここからはいつもと同じくネタバレです。カリフォルニアに到着したジョード一家のその後ですが、一時収容キャンプでの生活が始まって程なくすると、キャンプへやって来た農作業の斡旋業者と業者の不正を暴く一人の男との間で口論が始まり、業者の手下である警官が介入して発砲。それを止めようとしたトムが警官を殴り倒し、ケイシーが彼の身代わりとなって警察に逮捕されます。同じ頃、ローザシャーンの夫、コニー(エディ・クイラン)が妊娠中の彼女を捨ててキャンプから消え(原作小説では、カリフォルニアへ到着する前に長男のアルとコニーが姿を消します)、ローザシャーンが悲しみに暮れる中、一家はいざこざから距離を置くべくキャンプを離れますが、その途中、農場での仕事を紹介されてそこへ向かいます。一家が働くことになったのは「キーン牧場」という名の農場で、賃金も悪くはなかったのですが、それは農場で働く労働者たちが農場の賃下げや農場に1軒しかない食料品店での食料品の意図的な値上げに抗議してストライキを起こしたことで人手不足となっていたからで、ストライキの問題が解決すれば、賃金は再び下げられるということが分かってきます。ある夜、何かがおかしいことに気付いたトムがキャンプを抜け出して外の様子を窺いに行くと、そこで見つけたのは、川沿いでテントを張ってストライキを指揮する労働者たちで、その一団のリーダーとなっていたのは、警察へ連れていかれたまま一家の前から姿を消していたケイシーでした。再会を喜ぶ二人。ですが、その夜はキーン牧場の経営者が警備員を使ってストライキの指導者たちを一網打尽にしようと企てていた日で、警備員の集団に見つかってしまった彼らは逃げようとしたものの取り囲まれてケイシーは殴り殺され、それを止めようとしたトムも逆に警備員を殺めてしまいます。トムは棍棒で殴られて顔に傷を負いつつもその場から逃亡して追われる身になりますが、顔に傷を負っている男ということしか分からない牧場側は探索にてこずり、その間にジョード一家は他の農場で仕事が見つかったとトムをトラックの荷台に隠してキャンプから脱出、連邦政府の運営するキャンプにたどり着きます。そこは屋内トイレやシャワー設備までが備えられた今までのキャンプとは比べ物にならない文化的な施設で、そこでの生活もキャンプで暮らす労働者たちの自主性に委ねられていました。地元警察は、統制のとれたそんな労働者たちを共産主義者の手先とみなしていて、毎週土曜日にキャンプで開催されるダンス・パーティーで手下に喧嘩沙汰を起こさせ、その介入を口実にキャンプ内に突入して労働者たちのリーダーたちを逮捕しようと目論みますが、その動きに気付いた労働者たちが機転を利かせて阻止します。労働者たちが結束して権力と闘うその光景を目の当たりにしたトムは、それまでに様々なキャンプで人が人として扱われず、尊厳を奪われている姿を目撃してきていたこともあって強く心を動かされ、警備員殺害の犯人を探す警察がキャンプに現れると、家族に迷惑をかけないようにする為にも家族のもとから去ることを決意、労働者の権利のために闘ったケイシーの意思を引き継ぎたいと母親に告げて密かに家族の前から消えます。一方、残された一家もフレズノの綿花農場で20日間の仕事を見つけたことからキャンプを去ることにし、その農場へと向かうラストシーンでトラックの助手席に座るトムの母親が最後に口にするのが以下の有名な台詞です。

Rich fellas come up and they die.
Their kids ain’t no good and they die out,
but we keep a-comin’.
We’re the people that live.
They can’t wipe us out.
They can’t lick us.
And we’ll go on forever, Pa, ‘cause we’re the people.

金持ちどもは現れては消えていく
連中の子孫はろくでなしばかり、それ故に消えていく
でもあたしたちが途切れることはないわ
あたしたちこそが生きる民なんだもの
連中はあたしたちを滅ぼすこともできないし
打ち負かすこともできない
あたしたちは生き続ける、だってあたしたちこそ民なんだもの

この台詞は、忍耐強く生きる庶民への賛辞であると同時に資本主義の強欲さに対する痛烈な告発であり、過酷な自然だけでなく残酷な経済システムもまた、人としての尊厳さえ人から奪うというアメリカ社会における現実、そして、その現実の中に潜む不正義、不公正が生み出した悲惨な状況に対する深い共感と憤りを映画を見終えた観客に呼び起こすものでした。だからこそ、ストーリーの結末を大きく変えられても原作者のスタインベックは納得したのでしょう。なぜなら、彼は「怒りの葡萄」を執筆する前に「この責任(大恐慌によってもたらされた庶民の苦難)を負っている貪欲な奴らに恥というレッテルを貼りたい」と自分の創作ノートに綴っていて、結末は大きく変更されてはいても作品自体は彼のその思いに反してはいなかったから。あと、冒頭でも述べたように原作小説と映画ではそのエンディングが大きく異なっていて、映画版の結末は明るい未来を暗示するハリウッド的なものになっていますが、原作の小説ではこうなっています。人間以下の生活しかできないキャンプを転々としていたジョード一家からトムが姿を消した後、ローザシャーンは赤子を死産。しかし、母親は毅然とした態度を崩さず、家族を励まし続けます。そんなある日、キャンプを洪水が襲い、一家が高台にあった古い納屋に避難すると、そこには飢えて死にそうになっている見知らぬ父子の姿があり、男の命を救うには何をすれば良いのかを悟った母親は、娘のローザシャーンを見つめて彼女と男の二人きりにし、ローザシャーンが男に自分の母乳を飲ませるというのがエンディング。映画版の結末とはまったく別物の強烈なシーンですね(汗)。まあ、当時のアメリカでそんなシーンを映像化するのはちょっと不可能であったであろうということは容易に想像できますが、原作小説の結末のままで映像化していれば、そのシーンはドリス・ボードが演じることになっていた訳で、それが嫌で本作の脚本を担当した恋人のナナリー・ジョンソンが映画版の結末を変えたと考えるのはちょっと想像が飛躍し過ぎでしょうか(笑)。

第43代合衆国大統領ジョージ・ブッシュが若かりし頃、本作を見た際にもらした感想は「これは共産主義の宣伝映画だ!」だったそうですが、本作のプロデューサーで20世紀フォックス社副社長のダリル・ザナックは労働組合嫌いで反共産主義思考の強かった人物。監督のジョン・フォードは後にニクソン大統領を支持し、ベトナム戦争を正当な戦争だと主張したような御仁(ジョン・ウェインの如き強固な反共主義者を可愛がっていたのもジョン・フォード)。そんな人物たちが集って本作を撮影したというのは何とも不思議でなりませんね(笑)。本作は80年以上も前に撮影された古い映画ですが、富める者たちだけがひたすら富み、それ以外の者たちが次々に人間としての尊厳さえ奪われる時代に突入した今の日本国で、この映画を鑑賞することは決して無意味ではないと僕は思います。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!

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