出来の良い解説回を選りすぐった『洋楽の棚』特選集、10曲を紹介して先週終了しましたので、今週からは『映画の棚』の新作を5週にわたってお送りすることにしました。河内レオンの独特の視点によるユニークな映画解説をどうぞお楽しみください。第35回までの公開が済み次第、『映画の棚⑦』としてまとめます。
【第31回】世代
原題:Pokolenie
公開年/国/本編上映時間:1955年/ポーランド/83分
監督:Andrzej Wajda(アンジェイ・ワイダ)
主な出演者:Tadeusz Łomnickiタ(タデウシュ・ウォムニツキ)、Urszula Modrzyńska(ウルシュラ・モドジニスカ)、Tadeusz Janczar(タデウシュ・ヤンチャル)、Janusz Paluszkiewicz(ヤヌシュ・パルシュキェヴィッチ)
【ストーリー】
舞台はドイツ軍のポーランド侵攻から三年が経過したドイツ軍占領下の首都ワルシャワ。郊外の貧民地区で母親と暮らす青年、スタァフ(タデウシュ・ウォムニツキ)は定職にも就かず、同年代のコステクとズィジョとつるんで気ままな生活を送っている。そんな彼らが愛国的行為だとして励んでいたのは、地区の傍を頻繁に行き交う行くドイツ軍の貨物列車から物資を盗むことで、その日、三人が飛び乗ったのは石炭を運ぶ貨車だったが、監視の為に乗り込んでいたドイツ兵に運悪く見つかってしまう。ドイツ兵はすぐさま不審者に向けて小銃を発砲。ズィジョが撃たれて虫の息となり、スタァフはズィジョを助けようとコステクの名を呼ぶが、銃声を聞いたコステクは先に貨車から飛び降りて逃げてしまい、銃弾が肩をかすめて傷を負ったスタァフも諦めてコステクの後を追う。しかし、辺りを探してもコステクの姿は無く、土手に掘られたトンネル内で見つけたのは一人の酔っ払いであった。酔っ払いはスタァフの傷の手当をしようと行きつけの飲み屋へ彼を連れて行き、そこでスタァフは木工所で働くセクーラ(ヤヌシュ・パルシュキェヴィッチ)という男と知り合う。青年がドイツ軍に撃たれたことを知ったセクーラは、自らが働く木工所での仕事を彼に斡旋するが、それは親切心からではなく、スタァフの無鉄砲さに可能性を感じたからであった。セクーラは、ドイツ占領軍に対して密かに抵抗運動を続けている共産主義者でありレジスタンスだったのである。木工所で働き始めたスタァフにセクーラは労働者が如何に経営者から搾取されているかを説き、夜間学校に通ってしっかり勉強するよう励ますが、彼が通い始めたその学校にある夜、「人民防衛隊に入隊し、ナチスに対して立ち上がれ!」と力強いアジ演説を打つ美しくい女性、ドロタ(ウルシュラ・モドジニスカ)が現れる。その女性こそセクーラの同志であり、男勝りなドロタを一目見て彼女に惹かれたスタァフは、職場の同僚ヤシュ(タデウシュ・ヤンチャル)を巻き込んでドイツ軍に対する抵抗運動に深く関わっていくようになるのだが…。
【四方山話】
抵抗三部作と呼ばれるワイダの作品の中で一番最初に撮影されたのが本作。しかしながら、既に『映画の棚』で紹介した抵抗三部作の残りの二作品である「地下水道」と「灰とダイヤモンド」に比べると、その作品の完成度は遥かに低く、部分的に共産党の宣伝映画のような仕上がりになっています。世間では後者の二作品と併せて「抵抗三部作」と一括りにしていますが、僕は本作を「地下水道」と「灰とダイヤモンド」という名作が生み出される前段階の実験的作品であると捉えていますので、インターネット上の記事で「圧倒的完成度を誇る傑作」「リアルな描写」といった評価を目にする度、ちょっと首を傾げざるを得ません。にも拘わらず、僕が本作をここで今回取り上げた理由は、この「世代」が、ポーランドの国民性を強調することでソ連によって定義、奨励されていた芸術における「社会主義リアリズム」に公然と反旗を翻した初の作品であるから。その流れの延長線上に「地下水道」「灰とダイヤモンド」があることは間違いなく、後者の二作品をより深く味わってもらう為にも、皆さんには本作を観ておいていただきたいなと思うのです。社会主義リアリズムにおいては「現実を社会主義革命が発展しているという認識の下で、空想的ではなく現実的に歴史的具体性をもって描き、芸術的描写は労働者を社会主義精神に添うように思想的に改造し教育する課題に取り組まなければならない(←何のことやらワケワカメ・笑)」というのが基本原則とされていましたが、リアリズムと名乗りながらも、実際には党の許す範囲の現実しか描けないという似非リアリズムでした。そこで、後に「ポーランド派」と呼ばれるようになったポーランドの映画人たちが参考にしたのがイタリアのネオ・レアリズモであり、その影響は本作の冒頭に出てくるワルシャワ郊外の貧民街の様子を映し出す長回しのシーンを見ても明らか。バラ色の生活以外はあってはならない社会主義下において存在し続けている貧困生活というリアル(現実)を社会主義リアリズムでは描いてはいけなかった訳ですが、本作では冒頭から堂々と映し出していますね(笑)。
と、なんだか小難しい話になってしまいましたので(汗)、そろそろ映画の解説へ入りましょう。本作は首都のワルシャワが舞台という設定になっていますが、ロケ撮影はワルシャワ市街だけでなく東部にあるポーランドで4番目に大きな都市ブロツワフや映画大学の置かれていたウッチでも行われたそうで、33分50秒前に登場のスタァフとドロタが再会する教会はブロツワフにあったもののようです(冒頭のワルシャワ郊外の貧民街は、ワルシャワのヴィスワ川左岸に位置するオホタOchota地区で組まれた屋外セット)。屋内シーンの大部分もブロツワフとウッチにあるスタジオでセットを組んで撮影されました。70分過ぎに画面に登場するヤシュがドイツ兵に追い詰められる建物内の美しい螺旋階段、こちらもブロツワフにあった市営浴場のもので、70分40秒頃、ドイツ兵のサブマシンガンから放たれた銃弾がヤシュの頭上の壁に次々と穴を開けていきますが、恐らくあれは銃の扱いに慣れた人が実弾を壁に撃ち込んでいるのではないかと思われます(汗)。その直後、ヤシュが遂にドイツ兵に左腕を撃たれるシーンが出てきますけども、ここの部分は流石に仕掛けあり(笑)。コンドームの中に血糊と爆竹を仕込んだものを服の袖の内側に仕込んで爆発させたそう。このあたりが当時としては画期的なリアル描写とされているのでしょう(冒頭、ズィジョが貨物列車の荷台で撃たれるシーンでもこの仕掛けを使って欲しかったですが)。あと、いつもの武器オタク視線から見たどうでもいいトリビアですが、国内軍の武器庫となっていた木工所からスタァフが盗んだ拳銃は「Pw wz33」というソ連のトカレフ(TT-33)をポーランドでコピー生産したもの。でも、この銃の製造がポーランドで始まったのは戦後の1947年なので、話の辻褄が合わないんですよね(笑)。
次に出演者ですが、先ず冒頭に出てくるナイフの達者な使い手のコステク。この役者、誰だか分かりますか?あの顔にロイド眼鏡をかけた姿を想像してみてください。そう!後に「灰とダイヤモンド」でマチェック役を演じることになるズビグニエフ・チブルスキーです。本作でチブルスキーが登場するのは冒頭のシーンだけで、貨車から飛び降りて逃亡するとそれ以降は消えてしまってストーリーにまったく絡んできませんが、これではもったいな過ぎますね。僕なら、逃げたコステクは仲間を見捨てて逃げたことを反省してスタァフのもとへ戻って彼と共にレジスタンスとなるも、下手を打ってドイツ軍に捕まってしまい、ドロタの隠れ家を密告してドイツ軍の犬になるという筋書きにします(笑)。冒頭で消えるチブルスキーとは違い、本作で主演を務めたのはスタァフ役のタデウシュ・ウォムニツキ。彼は1927年、現在のウクライナのピダイツィ生まれで、その後、ポーランド南部のクラコフに移住し、第二次世界大戦中は国内軍の兵士としてドイツ軍に抵抗しました。戦後、クラコフの劇場で劇作家としてデビュー。後にワルシャワ国立演劇学校で学ぶ機会も得たこともあって俳優としても活躍。ポーランド映画史における偉大な俳優の一人とされていますが「世代」の出演時はまだ駆け出しの役者でした(本作撮影時、彼は30歳も目前でしたから、少年とか青年役ってのはちょっと無理がありましたね・笑)。監督のワイダはイタリアのネオ・リアリズモ映画のように素人を使って撮影をしたかったようですが、芸達者な素人が溢れているイタリアとは違ってポーランドで同じことはできず、舞台演劇の大げさな演技にまだ染まっていないプロと素人の境界線上にいるような俳優をできるだけ選んで配役したと伝えられています。次に、スタァフと共にレジスタンスに参加する職場の同僚のヤシュを演じたタデウシュ・ヤンチャル、こちらも見覚えがないですか?この人は「地下水道」でヤツェック役を演じていましたね。本作でのスタァフとドロタの関係性は、「地下水道」でのヤツェックとストクロトカのそれに活かされているような気がします。そして、本作でそのドロタ役を演じたのがウルシュラ・モドジニスカ。美人というよりも個性のある顔立ちですけども、この女優も1928年生まれなので作品の役柄の設定年齢よりはかなり歳を食っていました(笑)。因みにスタァフと共にレジスタンス活動に身を投じている若者、ムンデクの役を演じているのは後に西側に亡命して監督業で名を成すロマン・ポランスキー。ポランスキーと言えば、彼の奥さんで女優であったシャロン・テートがロサンゼルスでカルト教団に殺害されるという悲劇に見舞われた一方、本人も別の少女強姦事件で逮捕された後、米国から逃亡を図って世間を騒がせるなどした変態男でもありました(笑)。ポランスキーは2002年公開の「戦場のピアニスト」の監督としても知られていますが、僕の中ではジャック・ニコルソン、フェイ・ダナウェイと組んで1974年に撮影した「チャイナタウン」の監督という印象の方が強いです。セクーラ役で味のある演技をしていたヤヌシュ・パルシュキェヴィッチは日本では無名俳優ですが、本作でその演技力を認められて1990年頃まで数多くのポーランド映画とテレビドラマで活躍しています。
それでは最後に、その後のスタァフを待ち受けていた運命を語って終わりにしましょう。ここからはネタバレとなりますのでご注意ください。セクーラに紹介された木工所で働き始めたスタァフ。セクーラの狙いどおり、ドロタが率いるレジスタンスのグループに加わることを決意した彼は、国内軍の武器倉庫として使われていた木工所の作業場に隠されていた拳銃を偶然見つけ、仲間たちにいいところを見せようと盗み出します(本作では国内軍を資本主義階級と結びつく悪者として描いており、しばしば歴史の歪曲であるとして非難されますね)。その拳銃が悲劇へと向かう序章の引き金となってしまうのは、それから暫く経ったある日、スタァフがドイツ軍に材木の窃盗という濡れ衣を着せられて暴行を受けた時のこと。スタァフを殴りつけたドイツ軍将校の行きつけの飲み屋を知っていたスタァフとヤシュは復讐しようとその飲み屋へと向かい、ヤシュがスタァフの拳銃で将校を射殺してしまうのです。ドロタはスタァフたちの無謀な行動を非難し、ドイツ軍の報復を避けるために自らの隊を解散。同じ頃、ワルシャワのゲットーではユダヤ人の蜂起が発生し、セクーラにその支援を頼まれたスタァフたちは、地下水道に逃れた同志たちの救出に向かいますが、ドイツ軍に見つかって銃撃戦となり、逃げ遅れたヤシュが建物の最上階に追い詰められた末、観念したかのように階段の上から飛び降りて壮絶な死を遂げます。ヤシュの死に衝撃を受けるスタァフでしたが、ドロタは「今度、新たなメンバーたちが加わるから、あなたがリーダーとなって率いるのよ」と彼を励まし、その夜、二人は初めて結ばれますが、翌朝、食料の買い出しに出かけてドロタのアパートへ再び向かったスタァフが目にしたのは、彼女がゲシュタポ(ドイツの秘密警察)に連行されていく光景でした。そして、そのあとに続くラストシーン。悲しみに打ちひしがれながらも、ドロタとの約束を果たすべく、レジスタンスの新メンバーとの合流場所へ向かうスタァフ。そこへやって来たのは一人の少女を含む六人の純真そうな若者たちで、その姿を目にしたスタァフは頬に涙を伝わせながら彼らを迎え、そこで映画は終了します。スタァフが涙をこぼしたのは、やって来た少女の姿がドロタの面影に重なったからではなく、自らが歩んだのと同じ過酷な運命がこの先、若者たちを待ち受けているということに対するやりきれない思いからであったというのが僕の理解。戦争で生き延びるのは人を利用する側の人間であることが世の常。利用される側の人間はただ死んでいくだけなのです。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
河内レオンは現在、シルクロードを旅行中につき、この記事は事前の予約投稿によって自動的にブログにUPされております。帰国予定の4月上旬まで、毎週日曜日の『映画の棚』の記事以外、ブログはUPされませんので悪しからずご承知おきくださいませ。