レオンのブログ

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タイの懐かしいポップス

本ホームぺージ内の『小説の棚』には無料でお読みいただける河内レオンの作品を多数掲載しておりますが、その中に「風と娼婦」という小説があります。この小説は1990年代前半のタイが舞台となっていて、実はその頃のタイ、ポップスの黄金期と呼びうるほどに数多くの名曲が登場した時代で「風と娼婦」の作中にも随所で登場します。ですが、残念ながらそれらの曲を知る人が日本には先ずいませんので、今日は小説の中のシーンに出てくる曲を3曲ピックアップして紹介させていただくことにしました。これを機にタイのポップスに興味を持つ人が出てきてくれれば嬉しいです。曲名やアーティスト名には便宜上、カタカナ表記を付けましたが、タイ語の発音には声調があってそのままカタカナ読みしてもタイ人には通じないことも多いので、その点は予めご承知おきください。

① 曲名:ทุนน้อย(トゥン・ノーイ)、アーティスト名:ติ๊ก ชิโร่(ティク・シロー)

「風と娼婦」の作中でチェンマイのバス・ターミナルに初めて到着した主人公が夜行バスから降りる際に車内に流れ始めるのがこの曲です。ティク・シローが1990年にリリースしたアルバム「โช๊ะ ไชโย(ショァ・チャイヨォ)」に収録されているロック調の曲で「ทุนน้อย(トゥン・ノーイ)」は、日本語に直訳すれば「小さな資本」。ですが、ここでは「お金が無い」といった意味で使われているような感じがします。タイ語に関しての僕の知識は、簡単な日常会話程度ですので「洋楽の棚」のように歌詞を詳細に紐解くことはできませんが、この曲は、恐らく「テレビやラジオ、新聞の広告を使って彼女に愛してるって大々的に伝えたいけどその資金が無い」みたいなことを歌っているようです(←間違っていたらゴメンナサイ・汗)。ティク・シロー(シローの名は日本語の「白」から取ったそう)は、1961年、タイ東北部(イサーン)のナコーンラチャーシマー県生まれ。高校生だった時にドラマーとして音楽活動を開始して1984年にバンコクでデビューしたものの、人気が出始めたのは90年代に入ってからのこと。歌って踊れる彼はタイのマイケル・ジャクソンとして人気を博し、そのひょうきんなキャラクターも相まってスターダムの頂点まで駆け上がったという経歴の持ち主です。その後も音楽活動を地道に継続してきた彼でしたが、2024年、バンコク郊外で自らの車を運転中、バイクに乗っていた若者に追突して2名が亡くなるという死亡事故を起こし(しかも、飲酒運転)、久し振りに多くのタイ人がその名を耳にすることになりました。事故は追突されたバイクが高架道路から転落するという痛ましいもので、ティク・シローは若者の両親から2千4百万バーツ(約1億2千万円)の慰謝料を請求されましたが、芸能生活から遠ざかっていた彼にはそのお金が用意できなかったようで、その後、どうなったのかは分かりません。と、まあそんなことはさておき、今回はその「トゥン・ノーイ」をここで聴いていただきましょう。「ネットで探して聴いてみてください」と言っても誰もわざわざそんなことはしないので、You TubeにUPされていた動画を埋め込ませていただきました(汗)。

② 曲名:ฝันมีชีวิต(ファン・ミー・チーウィ)、アーティスト名:อริสมันต์(アリスマン)

この曲は「風と娼婦」の作中、主人公と娼婦のユピンがドイ・ステープを訪れた帰路にバイクの後部座席でユピンが口ずさむ歌です。「ฝันมีชีวิต(ファン・ミー・チーウィ)」は「夢は叶う」という意味で、身体に障害を持って生まれた人々、人生の途上で障害を背負った人々について歌っているというタイでは非常に珍しい曲です。歌詞の内容は、手足が不自由であろうが、目が見えなかろうが、耳が聞こえなかろうが、人は人なのであり、どんな障害があっても、夢を見ることや意味のある人生を送る権利があるというようなことを歌っているように思います(←間違っていたらゴメンナサイ・汗)。哀愁漂うイントロの音の響きも良いですが、サビの「อยากจะเห็นคน อยากตะโกนร้องเพลง อยากฟังเสียงตัวเอง อยากจะวิ่งอยากเดิน อยากจะมีสองมือ ไว้คอยสร้างสิ่งฝัน・人と会いたい、大声で歌いたい、自分の声を聞きたい、走りたいし歩いてもみたい。 ああ、自分の夢を実現する両手があればいいのにな」という部分はいつ聴いてもジーンときますね。この歌を歌っているのは「HALLSのメントール・キャンディーを舐めながら歌っている」と評された独特の歌い方をするアリスマンという名の歌手。1964年、ラチャブリー県でタイの伝統芸能一家に生まれ、名門チュラロンコーン大学の大学院で政治学の修士号を得たインテリです。そんな経歴もあってか、1990年代から音楽活動よりも政治活動に軸足を置くようになり、1992年にタイで起こった「血の惨劇」と呼ばれる民主化要求デモで、チャムロン元バンコク知事やタクシン氏らと共に演説の壇上に上がって、時のタイ政府を糾弾しました。その後、タクシン氏が政権を取ると、自らも国会議員となって政治活動に邁進しましたが、2006年にタクシン氏がクーデターでその座を追われるや再び反政府活動に身を投じ、タイ政府が様々な罪で彼に逮捕状を出してその身柄を拘束しようとした為、国外に逃亡。2026年現在、カンボジアに潜伏中であると言われています。そんなアリスマンが1990年にヒットさせた名曲がこの「ファン・ミー・チーウィ」。どうぞ、お聴きください。

③ 曲名:พริกขี้หนู(プリック・キー・ヌゥウ)、アーティスト名:ธงไชย แมคอินไตย์(トンチャイ・メーキンタイ)

主人公とユピンの二人がチェンマイ市内の安食堂でタイスキを食べるシーンで流れる曲です。「プリック・キー・ヌゥウ」は直訳すれば「ネズミの糞唐辛子」。その名のとおり、ネズミの糞みたいに小さい唐辛子なのですが滅茶苦茶辛い唐辛子でして、タイでは料理によく使用されます。歌詞の方はと言うと「แต่เผ็ดยังไงยังไงเราก็กินでもね、どんなに辛くたって、กินจนลิ้นจะพองจะพองเราก็กิน 舌が腫れあがるまで食べるよ」といった感じのもので、唐辛子に対する愛が語られているちょっとコミカルな内容(←間違っていたらゴメンナサイ・汗)。この曲を歌っているのはトンチャイ・メーキンタイ。日本では無名に等しい歌手ですけども、タイでは「バード」の愛称で知られる超有名歌手です。バードは1958年、バンコク生まれ。父親は陸軍の衛生兵で収入が乏しく、しかも兄弟が10人もいる大変貧しい家庭で生まれ育ちました。そのハンサムなルックスを活かし、25歳の時に俳優として芸能界デビューしましたが、その後、タイの大手自動車会社「サイアム・モーターズ」が主催する歌唱コンテストで優勝してその歌唱力を認められたことで音楽活動も開始。1987年にリリースした初アルバム「หาดทราย สายลม สองเรา(ハッサーイ・サイロォン・ソンラァウ)」はいきなり50万枚を売り上げてバード・フィーバーを巻き起こしただけでなく、俳優業の方も1990年にタイの伝説の高視聴率ドラマ「クーカム(運命の二人といった意味ですが、邦題はメナムの残照)」で主役の日本人将校、小堀大尉を演じてその名を不動のものにしました。本曲プリック・キー・ヌゥウは1991年にリリースされた同名のアルバムに収録された曲で、このアルバムは350万枚も売れてタイの音楽界における90年代最高のセールス記録を樹立しています。

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お次はグリーンランド

昨年の12月に森友学園問題隠蔽を彷彿とさせる黒塗りだらけのエプスタイン文章が追加で公開されたことにより(日本でもシンゾー君に忖度した糞官僚が証拠を黒塗りにしていましたが、アメリカでもトンチキに忖度するアホ官僚が同じように沢山いるようです・笑)、自らのエプスタイン疑惑から人々の目を逸らそうと、アメリカのトンマは対ベネズエラ、対イランと愚かな戦争を矢継ぎ早に仕掛けていて、予定どおり、グリーンランドでも動き出しました。トンマは「ロシアと中国がグリーンランドを狙っていて脅威だからアメリカの支配下に置いて防衛しなければならない」と言っていますけど、いつもと同じ嘘のオンパレード。そもそもからして、ロシアや中国がグリーンランド領有の野望を抱いているという事実なんか存在しません。そんな野望を持っているのはあのトンチキとその取り巻きだけですね。トンマがグリーンランドに侵攻してNATOは分裂、アメリカは国際社会から爪弾きとなれば、逆にロシアと中国は万歳三唱で大喜びすることでしょう。アメリカはデンマークと防衛協定を結んでおり、グリーンランドにも基地を置く許可も得ていますし実際に置いてもいますから、ロシアと中国の脅威があるのなら、もっとグリーンランドに基地をいっぱい作って、さらなる兵員を配置すれば良いだけの話。アメリカがグリーンランドを領有する必要などどこにもないのです(笑)。

因みにカスゴミはまったく報じませんが、第二次世界大戦中、デンマークがドイツに占領された為、アメリカはグリーンランドをナチス・ドイツの侵略から守るという名目で兵を送って占領していたという事実があり、戦後、デンマークに返還する必要に迫られた際、時のアメリカ大統領トルーマンが、デンマーク政府に金銭でのグリーンランド割譲を持ちかけたものの、デンマーク政府に一蹴されているんですよね(笑)。そもそも、アメリカ合衆国という国は、北米大陸に住んでいた原住民の土地を白人が勝手に奪ってできあがった国家。トンマのような白人にとっては、グリーンランドを手に入れることはその延長線上のことでしかないのです(グリーンランドの住人の大半はアメリカ大陸原住民と同様モンゴロイド系)。

グリーンランドがデンマーク領となった経緯もそれは同じで、目糞鼻糞とはこのこと。この件に関してヨーロッパにはアメリカを非難する権利など端から無いのですが、常に口先だけの偽善者集団であるヨーロッパが、今後、どのような行動に出るのか見物ですので、トンマには早くグリーンランド侵攻を実行してもらいたいものです。その時、ヨーロッパがアメリカに対して国交断絶や経済制裁を加えるなどのことをすれば少しは見直してやろうという気になりますが、いつものように何もしないし、何もできないでしょう。「その時、日本国はどうしますか?」というのは愚問。アメリカにケツの穴を舐めろと言われれば平気で舐める自民党とその取り巻きが政権を握る日本国のことですから、考える必要もありませんね。

カスゴミとその提灯持ちの連中は相変わらずトランプの戦略だとか政策だとか主義だとか、意味不明な言葉を使ってトンチキの動きを解説していますけども、このキチガイにそんなものはありません。奴にあるのは私利私欲だけなんです。そのことが未だに分かっていない人があまりにも多いことに愕然とせざるを得ません。ドンロー主義?何ですか、それ?それって漫才の新ネタですかね?まあ、ひとつだけ言えるのは、ドンロー主義とかアベノミクスとかサナエノミクスとか、低能な人間ほど、カスみたいな思考回路に自らの名を冠したがるということでしょう(笑)。

💛何度でも言うよ!僕たち二人の友情は永遠なんだ💛(笑)

『洋楽の棚』傑作選「ローズ」

今週お届けするのは、第18回で取り上げたベット・ミドラーの永遠の名曲「ローズ」。この曲の何が素晴らしいかと言うと、メロディーも歌詞も両方が美しいということです。美しいメロディーというのは数多く存在しますけど、歌詞が「美しい」と思うような曲は世界広しと言えど、なかなか見当たりませんね。そんな「ローズ」の歌詞に使われている英語はとてもシンプルですが、その理解となるとなかなか手強い相手。ここに記した解説が皆さんの理解の手助けになれば嬉しいです。

【第18 回】The Rose / Bette Midler (1980)

今回は心に沁みる曲を一曲紹介しましょう。女優のBette Midler(ベット・ミドラー)が歌った名曲The Rose です。なぜ女優が歌っているのかというと、この曲がジャニス・ジョプリンの生涯を描いた同名の映画の主題歌だからで、Bette Midler がこの曲を熱唱するシーンが映画の中に出てきます。ただ、ブロンディのCall Me と違ってこの曲は映画の為に新たに作られたものではなく、シンガーソングライターのAmanda Mcbroom(女優も兼業していて、昔のアメリカのテレビドラマなんかを見てると、端役で登場している姿を偶に目にします)の持ち歌でした。映画の主題歌を探していることを知った彼女の友人が、関係者にこの曲を薦めたことから主題歌として採用されることになったのです(こんなの讃美歌じゃないかと、映画の担当者に一度は採用を却下されたようですが)。Amanda 本人の談によると、曲は既に1970年頃に完成していて、当時、彼女が愛車で高速道路を飛ばしていた際、カーラジオから「Your love is like a razor. My heart is just a scar」という歌声(Leo Sayer が歌うMagdalena という曲でした)が流れてきて、そのフレーズを大変気に入ったことがThe Rose の誕生につながったそうです。Amanda はその部分を聞いた瞬間、その頃の自分はまだ若かったので、愛がlike a razor であることには同意できないと思ったけれど、それをきっかけに自分は愛のことを考えたことがあるだろうかと自問し始めると、あっという間に言葉が頭の中に湧き出してきて止まらなくなり、家にすっ飛んで帰って、その日のうちに歌詞を書き上げたとも述べています。

Some say love, it is a river
That drowns the tender reed
Some say love, it is a razor
That leaves your soul to bleed
Some say love, it is a hunger
An endless aching need
I say love, it is a flower
And you, its only seed

人はこう言うの、愛は川だって
柔らかな葦が流されてしまうね
人はこう言うの、愛は鋭い刃だって
魂を傷つけてしまうね
人はこう言うの、愛は渇望だって
疼くような願望がどこまでも続くね
でも、あたしはこう思うの、愛は花だって
そしてあなたが、その唯一の種なんだよね

It’s the heart, afraid of breaking
That never learns to dance
It’s the dream, afraid of waking
That never takes the chance
It’s the one who won’t be taken
Who cannot seem to give
And the soul, afraid of dying
That never learns to live

心ってのは、折れることを恐れてしまうもの
踊れるようになんてなる訳ないみたいにね
夢ってのは、目覚めることを恐れてしまうもの
チャンスなんてつかめっこないみたいにね
愛を受け入れることができない者に
愛を与えるなんてこと、できそうにないよね
そして魂ってのは、その死を恐れてしまうもの
魂が永遠だなんてことはないのにね

When the night has been too lonely
And the road has been too long
And you think that love is only
For the lucky and the strong
Just remember in the winter
Far beneath the bitter snows
Lies the seed that with the sun’s love
In the spring becomes the rose

あまりに夜が孤独過ぎて
ゴールへの道程も長過ぎる時って
あなたは思うわよね、愛って
ただ幸運で強い人の為にあるものなんだって
でも、冬を思い出してみて
ひどく積もった雪のずっと下でね
眠る種のことを、太陽に育まれる種のことを
春にバラの花を咲かせるね

The Rose Lyrics as written by Amanda Mcbroom
Lyrics © Word Collections Publishing, Warner Chappell Music, Inc.

【解説】
この曲の歌詞はこれまで何度かこのコーナーで紹介した曲と同じように二行連で韻を踏むという西洋詩の形式で書かれていますが、他の同種の歌詞とは完成度が比べ物にならないくらい高いですし、その響きも甘美で聴くものをたちまち魅了します。この詩を書いたAmanda Mcbroom も、かなりレベルの高い教育を受けた人なのでしょう。そんなこともあってか、The Rose の歌詞は中学校で習うレベルの語彙しか使われていないのに、日本語に訳すとなるとなかなか苦労します(汗)。

Some say love, it is a river で始まるこの歌詞はあまりにも有名で、この歌は多くの人の手によって和訳されていますが、その後に続くThat drowns the tender reed のreed を「葦」と単に訳して終わるだけで、それが何なのか、なぜなのかについてきちんと考える人はほとんどいないようです。確かにreed は川辺などに茂る植物の葦の意味ですが、植物の葦がdrown する(溺れる)ことはありません。水に溺れるのは人か動物(場合によっては昆虫もですかね)だけでしょう。そのことを考えた時、僕にはフランスの哲学者のとある言葉以外、頭に思い浮かべることができるようなものはありませんでした。「人間は大自然の中では一本の葦のような弱い存在に過ぎないが、人間は単なる葦でなく考える葦である」という言葉です。つまり、ここでのreed は「人間」の代替語として使われていることに疑問の余地はなく、か弱い人に対して試練を与えるのが愛であることを暗喩しているのです。第1節では、愛とは何なのかという問いかけが続いたあと、love, it is a flower, and you, its only seed との結論に主人公は達しますが、その結論とは「人は誰しも人を愛する能力(種)を持ってはいるけど、その能力を開花させることができるかどうかは本人次第」ということではないかと僕は考えます。

第2節も英語として理解するのが難かしいと言うよりも、うまく日本語に置き換えることが難しく、韻を踏んでいる原文を大切にしようとすれば尚更そうなります。1行目から6行目までは2行がワンセットになっているフレーズで、すべてIt’s で始まっていますが、このIt’s はlove を意識しつつも形式主語として使われていると考えるべきでしょう。最初の2行を例にすると、the heart はafraid of breaking しているのであり、そのafraid が何なのかをthat 以下の文が補足しています。ここでのnever learns to dance は「そんなこと私にできるだろうか?」といった人が持ちがちな不安や怖れを比喩しているのではないかと僕は思いました。アメリカ人なら「私にプロムの相手なんか見つかりっこない」と受け止める人もいるかも知れませんね。第2節に出てくるlearns to はすべて、何かができるようになるの意味で使われています。It’s the one who won’t be taken, Who cannot seem to give も難解で、the one who won’t be taken は受け取られることがない人、即ち、受け止めることがない、もしくは受け容れない人であり、そんな人がgive することはcannot seem to(やってはみるんだけどもできないというニュアンス)だと言っていて、take とgive が対になっています。言い換えるなら、One who won’t be taken love can’t seem to give love であり、まさしく、人間関係の基本となるギブ&テイクというやつですね。And the soul, afraid of dying that never learns to live のフレーズもとても難しく、僕にはdying が人の死ではなく魂の死としか聞こえなかったのでこう訳しました。

最後の第3節はここまでと打って変わってとても分かりやすいです。強いて解説を入れるとすれば2行目のthe road。このthe road は真の愛に目覚める、真の愛を得るといったことのゴールへの道程を意味していて「孤独にもがくあなたはそんなゴールに達することができるのは幸運であったり、メンタルの強い人だけだと思うだろうけど、そうじゃないよ」と語り手は伝えようとしています。なぜそうじゃないのか?それは、和訳のとおりです。あぁー、ほんと、素晴らしい歌詞ですよね。ほぼピアノだけの伴奏で静かに、そして力強く歌われるこの歌を聴いて勇気づけられた人はきっと多くいることでしょう。世界中にたくさん。

本ホームぺージ内の『洋楽の棚』では100曲以上の洋楽の名曲を紹介していますので、興味のある方は覗いてみてください!

レオン食堂の心臓部

本ホームぺージに掲載している料理記事が中心の棚「レオン食堂」。今日はその心臓部である我が家のキッチンを公開させていただきます!「レオン食堂」のぺージで紹介させていただいている低予算の様々な料理がどのようなキッチンで作られているのかに興味のある方は、今すぐ下記URLをクリック!

レオン食堂の心臓部を大公開→ https://leon-no-hondana.com/?page_id=2713

アサリ現れる!

先日にこのブログで活アサリをスーパーでまったく見かけない、なんとかして欲しいと書きましたが、
願いが通じたのか、久し振りにスーパーの棚に並んでいるのを発見!震える手でそのパックを手に取り(笑)、即買いしました。勿論、中国産でしたが、糞消費税込みで310円。やはり、中国産のあさりは庶民生活の強い味方。直ぐにボンゴレ・ビアンコにして食べました。旬の時期ではないので身は痩せていましたが、茹で汁が真っ白になるくらい旨味が滲み出て味は良かったです。

物価高の中、そんなふうに庶民は安いものを探して駆けずり回っているというのに、日本国の首相になってご満悦のまぬけ女は、解散総選挙をするそう。この物価高と円安に対して何の手も打たずに放置したまま総選挙ですよ。流石は「ポンポンが痛いからぼくちゃん辞めまーす」と政権を投げ出したシンゾー君の愛弟子。その自己中心さ、無責任さをまぬけ女はしっかりと引き継いでいて、相も変わらず私利私欲しか考えていないことには呆れるばかりです(まあ、似非民主主義とはそういうシステムですから、仕様がないんですけど)。日本国だけでなく、世界中の似非民主主義国家はどこも似たようなものとは言え、ほんと、それらの国家群も含めて日本国という国家ももう終わってますね。こういうふうに書くと勘違いする人が多いのですが、日本国が終わっているのであって、日本が終わっているのではありません。

こう言えば分かり易いでしょうかね。例えば、1945年に大日本帝国は滅亡し、その民は帝国臣民たる身分を失いましたが、日本と日本人が滅んだ訳ではありません。それと同じで、日本国が滅亡したところで、日本国という似非民主主義による収奪システムと日本国民の身分が消滅するだけで、日本と日本人が滅びる訳ではないですね。それよりも、日本国に寄生する一部の糞みたいな日本人の私利私欲による外国人労働者の日本への流入が今後も続けば、その時こそ日本国ではなく本当に日本が滅びます。昨今、外国人労働者を敵視する風潮がありますけども、それは誤り。敵は外国人労働者ではなく、人手不足を言い訳に彼らを私利私欲で日本に呼び寄せ続けている自民党及びその金魚の糞と奴らを支持する企業や農家を始めとした一部の日本人たちこそが日本人の真の敵であることを忘れてはなりません。連中は単に人を安くこき使えればそれでいいのです(外国人技能実習制度などは、その最たるもの)。人手が足りないのなら、今いる数の人間でどうすれば良いのかを考え、乗り切っていくのが人間の知恵というものではないでしょうか。

為政者や官僚、御用学者、カスゴミは、税金を上げる理由として「このままでは日本が滅びる」という脅し文句を常に使います。しかし、騙されてはいけません。税金を奴らが上げたい理由は、自らたちが属する日本国といううシステムが崩壊して自らの利益を失うのが嫌だからで、国民の為でも何でもありませんし、国民のことなどこれっぽっちも考えてはいません。将来、日本国が滅亡するのは財政的にも既定路線であり、税金や社会保障費がどんどん上がっていくのは連中の自己保身の為の延命措置ですね。前述のとおり、日本国が滅んでも日本と日本人が滅びることはありませんから、むしろ日本国には早く滅亡してもらい、特定の利益享受者だけを利する似非民主主義ではなく、万人を利する直接民主主義を実現してまともな世界を新たに作り出す方が今よりかはずっとましなのです。

この値段であれば納得ですね。糞消費税は納得できませんが(笑)。