『洋楽の棚』傑作選「天国への階段」

今週お届けする『洋楽の棚』傑作選は、第50回で紹介したレッド・ツェッぺリンの名曲「天国への階段」です。この曲の歌詞は難解であるとして有名なことや『洋楽の棚』が50回を迎えた記念回だったということもあって、解説部分だけで原稿用紙20枚以上という短編小説も顔負けの長さになってしまっていますが(汗)、どうか最後まで読んでやってください(笑)。

【第50回】Stairway to Heaven / Led Zeppelin (1971)

Woo-hoo! I made it!!(本当はHip hip hooray!と何人かで集まってやりたいところですが、一人孤独にこのコーナーを書いてますので自己満足の証としてI made it にしときます・涙)。ということで、洋楽紹介も早いものでついに50回目を迎えました!(パチパチパチーと一人で虚しく拍手)。このコーナーで紹介している曲は僕の青春と共にあった古い曲ばかりですけど、皆さん、楽しんでいただけてるでしょうか?このコーナーにいったいどれくらいの読者がいるのかは僕には分かりませんが(恐らく数人でしょう・汗)僕の解説を読んで一人でも洋楽ファンが増えたのであれば本望です。

さて、第50回という節目となりました今回、何の曲を選ぼうかといろいろ迷った結果、僕にとってはすごくお気に入りの曲という訳ではないのですが、レッド・ツェッペリンの名曲Stairway to Heaven(日本でのタイトルは「天国への階段」)を紹介することにしました。なぜかと言うと、この曲が紹介される時にはお約束のように「歌詞が難解だ」という解説が付け加えられているので、果たしてそれが事実なのかどうかを初心に戻って確かめてみようと思ったのです(←できるんだろうか…。汗)。レッド・ツェッペリンはRobert Plant、Jimmy Page、John Paul Jones、John Bonham という4人の英国人ミュージシャン(全員イングランド出身)が集まって1968年にロンドンで結成した伝説のロックバンドで、Jimmy Page のギター演奏を中心にしたスピードとパワーを感じさせるダイナミックな音作りは後に多くのアーティストに影響を与え、ハードロック、ヘビーメタルの祖とも位置づけられています。ですが、同時に傍若無人なミュージシャンの祖でもあり(麻薬乱用のせいなのか、商業的に成功して天狗になってたのか、良くは分かりませんが)、1971年の来日時には宿泊していたホテルの備品を土産物屋で買った日本刀(土産物屋で売ってるような代物なので、恐らくは真剣ではなく模造刀でしょう)で次々に切りつけて破壊するという蛮行に及び、ホテル側は多大なる迷惑と損害を被りました(彼らの乱痴気ぶりについては、本コーナーの第3回Hotel California の解説欄も参考ください)。このバンドに関する情報は巷に溢れてますので、レッド・ツェッペリン自体に関する歴史やエピソードはそれらに譲ることにして、先ずは難解とされる問題の歌詞を一読ください。

There’s a lady who’s sure all that glitters is gold
And she’s buying a stairway to Heaven
When she gets there she knows if the stores are all closed
With a word she can get what she came for
Ooh-ooh, ooh-ooh, and she’s buying a stairway to Heaven

きらめくすべての物は黄金だと信じてる女性が一人いてさ
天国への階段を買おうとしてる
彼女は分かってるんだよね、そこへ行けば、お店が全部閉まってたって
彼女がひと言発すれば、目的のものが手に入ることを
あぁー、それだから、彼女は天国への階段を買おうとしてるんだ

There’s a sign on the wall, but she wants to be sure
‘Cause you know sometimes words have two meanings
In a tree by the brook, there’s a songbird who sings
Sometimes all of our thoughts are misgiven

壁には道しるべがあったんだけど、彼女は疑ってかかったね
だって、言葉ってのは時に違う意味で使われることがあるじゃない
小川の傍の木ではさ、小鳥がメロディーをさえずってる
人の思いってのは、時に疑いを引き起こすものだって

Ooh, it makes me wonder
Ooh, makes me wonder

あー、なんだか気になる
ほんと、気になる

There’s a feeling I get when I look to the West
And my spirit is crying for leaving
In my thoughts I have seen rings of smoke through the trees
And the voices of those who stand looking

西の方を見る時、感じることがあるんだ
ここから離れたいって魂が叫ぶんだよね
僕にはこんな気がしたんだ、樹々の間に煙の輪が見えてさ
目を逸らさず見つめている人たちの声がしたって気がね

Ooh, it makes me wonder
Ooh, really makes me wonder

あー、なんだか気になる
ほんと、気になる

And it’s whispered that soon if we all call the tune
Then the piper will lead us to reason
And a new day will dawn for those who stand long
And the forests will echo with laughter

噂じゃさ、僕たちが思いどおりに物事を決めれば
笛吹き男が正しい道へ導いてくれるって話だよね
長いこと耐えてきた人たちの為に新しい日の朝がやって来てさ
森の中で笑い声がこだまするんだ

If there’s a bustle in your hedgerow, don’t be alarmed now
It’s just a spring clean for the May queen
Yes, there are two paths you can go by, but in the long run
There’s still time to change the road you’re on

生垣が騒がしくたって、心配しないでよ
5月の女王の為に春の大掃除をしてるだけだから
そう、君には二つの道がある、結局のところ
今君がいる道を変える時間はまだあるのさ

And it makes me wonder
Oh, woah

気になるんだよね
なんだか

Your head is humming and it won’t go, in case you don’t know
The piper’s calling you to join him
Dear lady, can you hear the wind blow?
And did you know
Your stairway lies on the whispering wind? Oh

頭の中でブンブンと鳴る音は消えないよ、知ってるだろうけど
笛吹き男がいっしょにやろうぜって君のことを呼んでるんだもの
親愛なるお嬢さん、君にはあの風が吹く音が聞こえるかい?
知ってたかい?
君の求めてる天国への階段はその風のささやきから延びてるってことを

And as we wind on down the road
Our shadows taller than our soul
There walks a lady we all know
Who shines white light and wants to show
How everything still turns to gold
And if you listen very hard
The tune will come to you at last
When all are one, and one is all, yeah
To be a rock and not to roll

あちこち寄り道しているうちに
陰の背丈は魂より大きくなり
皆が知ってるあの女性がそこを歩いてて
白い光で照らしながらどうやるかを示したがるんだ
あらゆるものをさらに黄金色に変える方法を
でも、耳を澄ませば
最後にはあの曲が流れてくるだろうさ
みんながひとつに、ひとりがみんなになった時にね
分裂するのではなくひとつにまとまるために

And she’s buying a stairway to Heaven

なのに、彼女は天国への階段を買おうとしてるんだ

Stairway to Heaven Lyrics as written by Robert Plant, Jimmy Page
Lyrics © Warner Chappell Music, Inc.

【解説】
さてさて、Stairway to Heaven の歌詞、皆さんはどう受け止められましたか?はっきり言って、英語で読んでも日本語で読んでも、何を言いたいのやらよく分かりませんよね(笑)。ただでさえそうなのに、その状況をさらに混乱させているのが、この歌詞を書いたRobert Plant のこれまでの発言です。なぜなら、この人は目立つのが好きなのかメディアのインタビューによく応じていて、その度にStairway to Heaven の歌詞についていろいろと語っているのですが(本来なら、その種の発言は歌詞を理解する手掛かりとなるので歓迎のはずなんですけどね)、Robert Plant の発言が逆に混乱を招く原因となってしまっているのは、同じ質問であっても彼はしばしば異なる(以前の発言とは矛盾する)回答をするからです。しかし、彼が今までに発言してきた内容を順番に追って行くと、一貫してブレていない発言も中にはあることが分かってきました。僕が気付いた昔も今も変わらぬ彼の発言は3つ。その要点は以下のとおりです。

① Stairway to Heaven は「何の考えも思いやりもないまま(何も返すことなく)欲しいものをいつでも何でも手に入れる女性のことを歌ったものである。it was about a woman getting everything she wanted all the time without giving back any thought or consideration」

② Stairway to Heaven の中で彼が試みたのは「人里離れた牧歌的なイギリスやほとんど語られることのない古いケルト文化への関連性を作品に取り入れようとしたことである。I was really trying to bring the remote, pastoral Britain, the old, almost unspoken Celtic references into the piece」

③ Stairway to Heaven は「希望の歌である。I used to say it in Zeppelin, This is a song of hope」

これらの事はRobert Plant が若い頃から今に至るまで繰り返し口にしていますから、この3点をStairway to Heaven の歌詞を理解する鍵と考えても良いかと思います。なので、この鍵を手掛かりに歌詞を紐解いていくことにしましょう。先ず、第1節1行目ですが、このフレーズが前述した3つの要点の①を指していることに疑いの余地はありません。glitter はただ単に光る、輝くではなくキラキラと光る、輝くというイメージ。ここのgold は、世界共通の認識であるgold=money です。2行目に早速、a stairway to Heaven という言葉が出てきますが、ここで言うHeaven とは勿論、キリスト教によって定義されている天国のことであり、天国へ向かう階段という言葉を聞いて僕の頭に浮かんだのは「最後の審判を受けずに天国へ行くことを手助けするインチキな手段」といったイメージでした。つまり、そのような手段を主人公の女が欲しがっていることを示唆することによって「金で何でもできる、金があればなんとでもなる」という女の根底にある強欲さ(悪)を暗喩しているのだと思います。3、4行目のフレーズも、1、2行目の表現を変えただけであり、4行目のword をmoney に置き換えれば、ここで言及されていることも「金で何でもできる、金があればなんとでもなる」であることが分かります。僕には3行目のthe stores が天国の門のことのように思え、天国の門が閉まっていても、金さえあれば門番であるペテロから鍵を手に入れることができると女は信じていると言っているように聞こえました。では、なぜに天国への階段を買おうとしている者をa lady を使って表現したのでしょうか?あくまでも推測ですが、恐らくRobert Plant の周囲に強欲を地で行く性格を持つ人物モデルのような人がいて、たまたまそれが女性であっただけのことだと思います。ここでのlady は世の女性が強欲だと言うために使われているのではなく、男女を問わない強欲(悪)の象徴であると僕は理解しました。

第2節目で歌われているのも同じことで、天国への階段を欲しがっている女がどんな女であるのかを比喩しています。1行目の壁にあるサインは恐らく、天国への道を示す標識。でも、女はその標識が本当に天国の方向を指しているのかどうかを疑っており、words have two meanings と思うのも他人の言葉を信用しないことの裏返しだと考えます。つまり、歌詞の主人公である強欲女が信じるのは金だけで、何も信じない、誰も信じないということでしょう。女は金(欲)が自分から人々を遠ざけてしまっていることに気付いていないようです。3行目のIn a tree by the brook, there’s a songbird who sings は唐突で良く分からないフレーズですね(汗)。a songbird に続く関係代名詞がwhich ではなくwho なので、songbird は人のことなのかもと考えてもみましたが、ペットの愛犬など家族同然の存在の場合や話者がその対象を愛らしい存在と思っている場合なんかは動物に対してでもwho を使うことがありますので、やはりここに出てくるsongbird は鳥なのでしょう(一般にsongbird は、その鳴き声が歌っているように聞こえる鳥のことを指します)。songbird という言葉をここで使ったことに特にこれといった意味や意図はなく、a tree、the brook、a songbird という単語を並べることで単に英国の田園風景をイメージさせようとしただけではないかと思います。この節が3つの要点の②のことであるのは間違いなさそうですね。因みにRobert Plant は、イングランドのWest Bromwich 出身で、West Bromwich 自体は大都市バーミンガムの経済圏内なので街中には都市の景観しかありませんが、郊外へ行けば典型的な田園風景が広がっています。そのあとに続くSometimesall of our thoughts are misgiven は、人を信じることのできない女に対する助言のようなものではないかと理解しました。

3節目に登場するのが、この曲の歌詞の中でa stairway to Heaven 同様、記憶に残って忘れられなくなるit makes me wonder という印象的なフレーズ。直訳すれば「そのことが私に考えさせる」ですが、日本語に置き換える場合、感覚的には「なんか気になるなー」と言う時の感じと同じかなという気がします。第4節も唐突感が否めず、何が言いたいのかその内容もいまいち良く分かりません。なぜなら、ここまで語り手が第3者の目で女と天国への階段について語っていたのに、ここにきて突然、自らの感情を剥き出しにし始めるからです。先ず、1行目のthe West ですが、これは世界の多くの地域で日の沈む西には死後の世界があると考えられているとおり、この歌詞においても死後の世界の代替語としてthe West が使われていると思われます。2行目のmy spirit is crying for leaving は、語り手の魂が死後の世界へ行きたがっていることを匂わせていて、3、4行目でその理由が語られています、rings of smoke through the trees は何のことか意味不明ですが、3つの要点の②を参考に考えた結果、僕はケルト神話に出てくるナナカマドRowanという木から出た煙ではないかと推測しました。ケルト神話ではナナカマドを燃やした時に出る煙は霊を呼び出すと言われていて、4行目のthe voices はその霊に導かれて死後の世界へ向かう故人を見つめている人々の声(stand looking は「直視することに耐える」の意味であるstand looking at と理解)、つまり、嘆き悲しむ声ではないかという気が僕にはしました。語り手は、霊に導かれて死後の世界へやすらかに向かう人の姿を、強欲女に見せたかったのかもしれません。今のままの君では天国の階段を手に入れたところで、霊に導かれるような安らかな死を迎えることはできないとでも言いたかったのかもですね(←あくまでも僕個人の勝手な見解です・汗)。

第5節は3節目の繰り返し。6節目はまたまた意味不明なフレーズの羅列です。難解ではなく意味不明なんです(笑)。1、2行目はHe who pays the piper calls the tune という諺がベースになっていることは誰の目にも明らかですね。直訳すれば「金を払うものが笛吹きに曲を指示できる」。即ち「金を出す者に決定権がある。金を出す者は口も出す」といった意味です。it’s whispered that は、that 節以降のような噂がありますよと言いたい時の用法。英国において英国人がthe piper と言った場合、普通はバグパイプ奏者のことを指しています。2行目のreason は、ここではものごとの分別、良識、道理といった意味で使われていると理解し「正しい道」という訳語にしてみました。3行目のAnd a new day will dawn for those who stand longは、この曲を理解しようとした世界中の先人の方々の間では、ルカの福音書第1章78節であるA new day will dawn on us from above because our God is loving and merciful(これは私たちの神の憐み深い御心による。また、その憐みによって、日の光が上から私たちに臨み)からの一部引用であるというのが定説になっているようです。因みに第79節にはHe will give light to those who live in the dark and in death’s shadow. He will guide us into the way of peace(暗黒と死の陰とに住む者を照らし、私たちの足を平和の道へ導くであろう)という言葉が続いていて、この第79節も歌詞に影響を与えているような気がします。僕にはこの6節目が、伝統や習慣、社会、政治システムなどに縛られて自分の思う本心を隠したり行動できなかったり、それらのことを我慢している人々に対して「自分が思うように自由にやればいい、それこそが正しい道であり、そうすれば明るい未来が開けて、あなたたちも笑顔になれる」と言っているようにしか聞こえませんでした。そのことが強欲女と天国への階段の話とどう関係しているのかは、理解不能としか言いようがありませんが、3つの要点の③の根拠はこの節にあるような気がします。

第7節はさらに意味不明です(笑)。there’s a bustle はなんだか騒がしい、騒々しいといったイメージで、hedgerow は生垣、つまり、庭に低木を連なるように植えて塀代わりにするというあれです。「あなたの生垣が騒がしい」だなんて何のことかさっぱりですが、調べてみたところ、英国の田園地帯における生垣は自分の土地と隣人の土地を分ける境界線の象徴だそうで、境界線が騒がしいというのは、隣人(他者)と揉め事のような何らかの問題が起こっているような状況を想像させます。2行目のa spring clean は、日本でいうところの大晦日にやる大掃除みたいなもので、ヨーロッパでは、冬に薪や石炭の暖房を使って煤けた部屋を春の到来と共に掃除するという習慣が昔はありました(英国では今でもこの習慣を続けている家庭も多く、特に日は決まっていませんが3~4月に行われます)。そのあとのthe May queen というのは、その年の豊穣を祈る春祭りの日(日本では労働者の日というイメージしかない5月1日が春祭りの日です)に少女の中から選ばれる豊穣の女神の代理のような存在で、選ばれた少女はサンザシの花の冠を頭にかぶります。では、If there’s a bustle in your hedgerow, don’t be alarmed now. It’s just a spring clean for the May queen とはいったい何を意味してるのでしょうか?先程も申し上げたとおりワケワカメではあるのですが(←出た!必殺オヤジギャグ!)、僕はa bustle in your hedgerow は時として人が味わうことになる人生における苦難、the May queen は明るい未来の象徴と考えてみました。つまり「人は時として苦難を味わったり問題を抱えることもあるが、そういった状況は未来へ向かう為の自分自身の整理整頓(誤った過去の清算)の為だから、心配は要らない」と言ってるのではないかと。そう考えると、3行目がYes という言葉で受けていることも納得できるのです。そのあとに続くtwo paths は誤った過去に戻るか正しい未来に進むかであり、but in the long run, there’s still time to change the road you’re on で「今ならまだ間に合う」と強欲女を諭しているように僕には聞こえました。

と第7節を無理矢理に解釈して乗り切ったかと一安心したのも束の間、8節目もまたまたワケワカメです(笑)。Your head is humming and it won’t go って「なんじゃこれ?」ですよね。僕が思うに、彼女の頭に鳴り響くブンブンという音は「天国への階段を金で買おうなんて考えはそもそも悪である」と見做すような善良な人々の怒りにも似た声であり、3行目のthe wind blow と同じものであると考えます。2行目のThe piper はこの歌詞の中ではそんな善の側の人間の象徴であり、正しい未来へ進もうという人々の思いが消えることは永遠に無いということではないでしょうか。だからこそ最後にDid you know your stairway lies on the whispering wind? と尋ねているのだと思います。天国への階段は、金で手に入るようなものではなく、正しい道を歩む(善良に生きる)ことでいつか目の前に現れるものだということなのでしょう。おぉぉー、最後はなかなかうまくまとまったじゃないかと思ったら、このあとギターのソロが終わってからのブリッジにまたまた意味不明なフレーズが…。「あー、もう勘弁してくれー」と言いたいところですが、最後までがんばってみます。1行目のwind は主語にwe を取ってますので、名詞のwind ではなく動詞のwind です(ワインドと発音する方です)。ここで主語がwe に変わりましたが、このwe は善の側にいる人間全体を指していると思われます。we wind on down the road の部分を聴いて頭に浮かんだのは、蛇のようにうねりながら道を進んでいるようなイメージでしたので、このように訳しました。2行目のshadow は悪い欲望、soul は汚れのない善良な心と理解しました。3行目に出てくるa lady we all know は、天国への階段を買おうとしている強欲女のことであり、悪の側の象徴です。4行目のwhite light は何のことなのかまったく分かりません(←もうなげやりデス)が、強欲女が再び出てきてOur shadows taller than our soul という状況に対して「ほーら、見たことか」と言ってる感じですかね。7行目のThe tune は善良な人々の声であり、皆がひとつにまとまる(ひとつになって希望に満ちた正しい未来に向かう)時、その声が最後には聞こえてくるだろうと強欲女をいさめているのだと理解しました。ここの部分も、3つの要点の③と関連しているのではないでしょうか。最後の行のrock は一枚岩、roll は船を揺さぶって転覆させようとしているような情景が頭に浮かんだのでこのような訳にしています(ロックンロールという言葉を歌詞に入れてる曲は山ほどありますが、この曲のそれは類のない表現ですね)。

ここで最後の疑問。果たして強欲女は、反省し善良な心を取り戻したのでしょうか?残念ながら、アウトロで歌われているのがAnd she’s buying a stairway to Heaven というフレーズであるとおり、そうではなさそうです。強欲なだけあって、やはり一筋縄ではいかない女のようですね(汗)。僕が最近見たRobert Plant の姿は2023年にテレビのインタビュー番組に出演していた時のもので、そこでStairway to Heaven の歌詞について訊かれた彼は、やはりこう答えてました。「It was a song about fate and somerhing very British almost abstract, but they were coming out of a 23 years old guy, you know・あれは運命やとても英国的な事柄の歌なんだ。まったくもって抽象的なね。だってさ、23歳の若造が作った歌詞なんだもの」そして、そのあとも「It was a great achievement to take such a monstrously dramatic musical piece and find a lyric that was ambiguous enough and a delivery which was not over pumped just it almost was like the antithesis of the music was this kind of lyric and this vocal delivery that was just about enough to get in there」ってな調子で語ってたんですが、その話しぶりから僕が感じたのは「この人は、簡単なことを小難しく言いたがる人なんだ」ということでした。日本にもそういった人はいますよね(笑)。そして、その瞬間、僕はStairway to Heaven の歌詞には取り立てて深い意味などないことを確信しました。実際、Robert Plant はStairway to Heaven の歌詞がもう自分でも何のことだか良く分からなくなっていると最近は言ってるようで、なぜそんなことになってしまうのかというと、元から歌詞には大した意味がなかったからです。

「ごく簡単なことを小難しく言いたがる若造が作った出鱈目な歌詞が、自らの思わせぶりな声と神がかったJimmy Page のギターの音色によって昇華されてしまい、聴くものに何か深い意味があるかのように思わせてしまった」これが僕のStairway to Heaven の歌詞に対する結論であり、この曲の歌詞は難解なのではなく、そもそもからして筋が通っていないだけのことではないかと思います。まあ、歌詞はともあれ、ラベルのボレロをロックで再現したようなこの斬新な曲、歴史に名を残す名曲であることに変わりはないですが…。

本ホームぺージ内の『洋楽の棚』では100曲以上の洋楽の名曲を紹介していますので、興味のある方は覗いてみてください!

映画の棚⑥をUPしました!

河内レオンが独自の視線からモノクロ映画の名作を解説する本サイト内の『映画の棚』、新たに以下の5作品をUP致しましたので、映画好きの方は今すぐ『映画の棚⑥』か下記URLをクリックしてみてください!どの回の解説も力作揃いですよ(←自分で言うな・笑)。

https://leon-no-hondana.com/?page_id=2238

【第26回】 黒い罠(Touch of Evil)1958年、アメリカ
【第27回】 情婦(Witness for the Prosecution)1957年、アメリカ
【第28回】 鉄道員(Il Ferroviere)1956年、イタリア
【第29回】 手錠のままの脱獄(The Defiant Ones)1958年、アメリカ
【第30回】 サイコ(Psycho)1960年、アメリカ

余談ですが、第27回の「情婦」の四方山話でイギリスの一事不再理の原則に触れていますけど、イギリスでは2003年(スコットランドは2011年)より、殺人などの重大犯罪に限り、新た且つ強力な証拠が見つかった場合には一事不再理の原則の例外を認めるというふうに刑法が改正されており、同じ罪状でもう一度裁判をすることが可能になっています。

現在、第31回~35回を執筆中。完成次第『映画の棚⑦』としてUP予定。

ノーベル賞

毎年、冬が始まるこの時期になるとカスゴミがこぞって伝えるのがノーベル賞を誰が受賞したかということ。受賞者の中に日本人がいようものなら、毎度のことですが大騒ぎです(まあ、騒いでいるのはカスゴミだけですが・笑)。ノーベル賞というのは皆さんもご存知のとおり、ダイナマイトを発明して巨万の富を手にしたスウェーデン人、アルフレッド・ノーベルの遺言に基づき創設されたノーベル財団が受賞者を選定する賞で、人類の発展に最も貢献した人物や団体を顕彰するということになっていますが、僕には日本人がいつまで経ってもこんな賞をありがたがっていることが不思議でなりません。こんな賞を欲しがるだけでなく、それを公言してはばからないのはアメリカのあのとんま男くらいじゃないでしょうかね(笑)。

1901年の第1回の開催からして、その際に北里柴三郎博士が受賞できなかったということからも分かるとおり(北里博士の研究が選ばれなかった理由は、当時は受賞者が1名に限られていたとか、共同研究の概念がなかったとか、もっともらしい言い訳が為されていますが、要はアジア人に賞を与えたくなかった=アジア人に世界を変えるような研究ができる訳がないと考えていたからだけのこと)、最初からその程度の賞なのです。その後に付け加えられた文学賞や平和賞なんてのはさらに酷いもので、その存在意義さえ意味不明と言えるでしょう(今年も、ベネズエラの反政府活動家が受賞するという茶番が演じられていましたね)。

これまでにノーベル賞を受賞した日本人の方々の医学、化学、物理といった分野での研究というものはそもそもノーベル財団なんかに評価されるまでもなく、人類の発展に貢献する第一級のもの。問題は、八木アンテナや光ファイバーの例を挙げるまでもなく、日本国にそれらを評価するまともな人材(日本人)がいないということです。日本人はノーベル賞なんかをありがたがる前に、自らの周囲に優秀な研究成果が山ほどあるのに、なぜそれを見い出せないのか、なぜに価値あるものと認めることができないのかの理由を今こそ考えるべきではないでしょうか。

庶民を苦しめるだけの円安

このところ、1ドルが155円前後という為替相場が続いています。2012年に1ドル80円を切っていたことを思えば、円の価値はこの10年ちょっとの間に半減したということになりますね。これが庶民にとって何を意味しているかと言いますと、損なことしかないということです。日本は食料品の約4割を輸入品に頼っているので(それは国産の農産物、畜産物の価格が高いから安い輸入品の需要が高かったという事情もあるでしょう)、例えば1ドル100円の時、100円で売られていた輸入牛肉が1ドル150円になると、自動的に150円に値上がりとなります。つまり、輸入品の価格が1.5倍になる訳です。実際、最近、スーパーに並んでいる輸入牛肉の価格は国産牛とあまり変わらなくなってきていますね(涙)。日本は石油や天然ガスなどのエネルギー資源をほぼ100%輸入に頼っていますから、円が安く(弱く)なると、ガソリンは勿論のこと、火力発電で作り出している電気やガスの料金などもすべて値上がりとなります。海外旅行へ行っても円の価値が半減しているので、何もかもがバカ高く感じることでしょう。庶民にとって円安は何も良いことがないのです。

その昔、シンゾーおぼっちゃまは「(1ドルに対して)円が300円になったらトヨタの車が3分の1で売れる。日本の製品の価格が3分の1になる。日本への旅行費も3分の1になる。そうすればあっという間に経済は回復していく」と脳内お花畑のようなことを言っていましたが、まさしくこの発言は、日本国政府(=自民党)が輸出に頼る大企業の利益代弁者であって、庶民のことなど眼中にないことを露骨に表していますね。このおぼっちゃまの発言には、庶民の側からの視点が完全に欠落しているのです。円高が続いていた時代、日本国政府やカスゴミは、1ドル100円以上の円高になれば、日本企業はバタバタと倒産して大変なことになるという嘘を垂れ流していましたが、1ドルが80円を切っても倒産する大企業などありませんでした。円安になって得をするのは、シンゾーおぼっちゃまがその名を出しているようにトヨタ自動車などの輸出企業だけ。しかも、トヨタが円安で儲けまくったところで、日本社会に対して何らの貢献もしません。儲かった金を社会に還元するどころか、カスゴミの広告に大金を費やすだけです。トヨタ自動車をはじめとした輸出企業のおかげで庶民の生活が良くなるということはありませんし、円安は庶民を苦しめるだけなのです。

では、以前のように円高に戻ることはできないのか?それには先ず、日本銀行が利上げをして他国よりも金利を高くすることが必要となります。日本の金利が高いとなれば、世界中の金融機関が円を買ってより良い金利を得ようとするからです。ところが、異次元金融緩和と呼ばれる異次元ではなく異常な政策を続けてきた日本銀行は、いまだ金利を上げようとしません。上げようとしないのではなく、もはやできないのです。なぜなら、このブログでも何度か触れているとおり、日本国は1000兆円を超える債務を既に抱えているから。債務というものには利息が発生します。今までのように異常なゼロ金利政策を続けていれば、債務にも利息が発生しませんが、金利を上げると、利息の支払いが必要となります。金利を上げれば上げるほど、債務に対する利息の支払いも増えていく訳で、1000兆円を超える債務の利息を支払うとなると、たとえ金利を1%上げただけでもとんでもない金額となります(最終的にその支払いを増税という形で押し付けられる羽目になるのは日本国民です)。しかも、現在の日本国の政府の長は「円が300円になったら経済が回復すると教祖さまが言っているのだから、それが正しいに決まってる」と考えるシンゾーおぼっちゃまの愛弟子のまぬけ女。1ドルが160円に近づこうとも、何の手も打たずに放置です。これでは、当面、円高に進むことはありませんし、物価がますます上昇していくことは想像に難くありません。そろそろ皆さんも、今の円安に怒りの声を上げてみては如何でしょうか?

『洋楽の棚』傑作選「ホテル・カリフォルニア」

本ホームぺージ内の『洋楽の棚』をようやく10分割できましたので、その記念として(←何の記念だよ?笑)『洋楽の棚』で解説した曲の中から、自分でも「なかなか良く書けたなぁ」と思える曲を10曲選び、傑作選としてこのブログで毎週日曜日に紹介していくことにしました。傑作選なんてものは「この回は良かったですよ」と第三者が評価して選ぶものだとは思いますが、何分、まだまだ本ホームページの読者数はお寒い状況ですので、自らで選ぶことをお許し願います(汗)。今回お届けするのは、第3回で取り上げたイーグルスの名曲「ホテル・カリフォルニア」です。

【第3回】Hotel California / Eagles (1976)

8つのギターコードが反復進行(ゼクエンツ)する印象的なイントロで始まるどこか刹那いギターの音色、そして終盤に披露される圧巻のギターソロ。毎日聴いても飽きることのないこのこの名曲のメロディーラインを作り上げたDon Felder は天才としか言いようがなく、Hotel California は1970年代にアメリカ西海岸で興隆したウエスト・コースト・サウンドにおける金字塔です(アルバムHotel California は全世界で3千万枚以上売れたんだそう)。耳にした者の多くをしびれさせたこの哀愁漂うメロディーを同時に盛り上げているのがその謎めいた歌詞で、この曲を聴いた者が増えれば増えるほどに、ある意味難解と言うか、分かりにくい歌詞が様々な解釈を生み出すことになったという興味深いエピソードを持つ曲でもあります。ということで、先ずはその歌詞をどうぞ。

On a dark desert highway
Cool wind in my hair
Warm smell of colitas
Rising up through the air
Up ahead in the distance
I saw a shimmering light
My head grew heavy and my sight grew dim
I had to stop for the night

暗い砂漠の上のハイウェイで
髪を撫でる涼しい風
煙るマリワナの芳香が
辺りに漂う中
前方の遠く向こうに見えたのは
チラチラと光る灯りだった
頭は重くなるばかりだし、目も霞んでくるしで
俺はその夜、ホテルで休むことにしたんだ

There she stood in the doorway
I heard the mission bell
And I was thinkin’ to myself
“This could be Heaven or this could be Hell”
Then she lit up a candle
And she showed me the way
There were voices down the corridor
I thought I heard them say

ホテルに着くと入口に女が立っててね
修道院の鐘の音が聞こえてきたもんだから
どうしようかなって考えたよ
「泊まるべきか、引き返すべきか」って
そのあと、女が蝋燭に火を灯したからさ
結局、彼女の後について行っちまったんだ
そしたら、廊下の向こうで声が響いてた
こんな風に言ってたかな

“Welcome to the Hotel California
Such a lovely place (Such a lovely place)
Such a lovely face
Plenty of room at the Hotel California
Any time of year (Any time of year)
You can find it here”

「ようこそホテル・カリフォルニアへ
お泊りになるならここは最良の場所
見た目もイケてますしね
お部屋もたくさんございますから
年中いつでも
空き部屋を見つけられますよ」

Her mind is Tiffany-twisted
She got the Mercedes Bends, uh
She got a lot of pretty, pretty boys
That she calls friends
How they dance in the courtyard
Sweet summer sweat
Some dance to remember
Some dance to forget

彼女が考えてるのは贅沢品のことばかり
メルセデス・ベンツだって手に入れたし
恋人にする男だって選び放題だったさ
まあ、彼女にとっては単なる遊び友達だったんだけどね
なんだろう、中庭では宿泊客たちがダンスを踊ってる
甘美な夏に汗をかきながら
ある者は何かを思い出そうとして
またある者は何かを忘れようとして

So I called up the Captain
“Please bring me my wine”
He said, “We haven’t had that spirit here
Since 1969″
And still those voices are callin’
From far away
Wake you up in the middle of the night
Just to hear them say

でさ、俺は給仕長を呼んで丁寧に頼んだんだ
「ワインを持ってきてくれないかな」ってね
ところが「1969年以降、ここにはお酒を置いておりません」
なんてことを彼は言うんだよね
そして、またあの声が
遠くから聞こえてきたんだ
真夜中に叩き起こされて
その声を聞けと言われてるかのように

“Welcome to the Hotel California
Such a lovely place (Such a lovely place)
Such a lovely face
They livin’ it up at the Hotel California
What a nice surprise (What a nice surprise)
Bring your alibis”

「ようこそホテル・カリフォルニアへ
お泊りになるならここは最良の場所
見た目もイケてますしね
皆様、ここで大いに楽しまれてるんですよ
そりゃいいねって思うでしょ
あなたもここに住まれてみてはどうです」

Mirrors on the ceiling
The pink champagne on ice, and she said
“We are all just prisoners here
Of our own device”
And in the master’s chambers
They gathered for the feast
They stab it with their steely knives
But they just can’t kill the beast

鏡張りの天井のある部屋で
氷で冷やしたピンク色のシャンパンを手に女が言ったんだ
「あたしたちはみんなここの囚人なのよ
自ら望んでそうなったんだけどさ」と
そのあと、宴をする為に
みんなで看守の部屋に集まってさ
鉄のナイフでケダモノ同然の自分に止めを刺そうってするんだけど
連中ったら、誰もできないんだよね

Last thing I remember, I was
Running for the door
I had to find the passage back
To the place I was before
“Relax,” said the night man
“We are programmed to receive
You can check out any time you like
But you can never leave”

最後に俺が思い出せるのは、俺が
ドアに向かって駆け出してたってことかな
元の居場所に戻りたきゃあ
こんな所から早く逃げ出さなくっちゃと思ってね
すると、夜勤の男が「もっとくつろいだらどうです」って俺に言ったんだ
そして、こうも言ったのさ
「私どもはあなた方を受け入れる為にここにいるんです
まあ、出て行きたければいつでも好きにしてもらっていいんですが
そんなこと、決してできやしませんよ」ってね

Hotel California Lyrics as written by Don Henley, Glenn Frey, Don Felder
Lyrics © Red Cloud Music, Cass County Music

【解説】
あぁぁー、ほんと何回聴いてもHotel California はしびれますね。素晴らしいです。そんな名曲の歌詞にはさまざまな解釈が存在すると冒頭で述べましたが、なぜそんなことになったのかを早速紐解いていくとしましょう。第1節は構文もシンプルで文法的に難解な部分もなく、一見すれば日本の高校生でも訳せそうですが、この歌詞を訳そうとした日本人の多くはこの最初の節でいきなり挫折することになります。その原因はすべて3行目のcolitas という単語のせいで、このcolitas という言葉がどんな辞書のどこを探しても見当らないからです。それはネイティブにとっても同様で、多くの人が「colitas って何なんだろう?」と悩み、その意味を探ってきました。それらの先人たちの努力のおかげで、今ではcolitas がマリワナの意味で使われていることが定説になっています。ここでは先人がもたらしてくれたそんな知識が無いものと仮定して、自分なりに一度考えてみましょう。colitas が英語の辞書に存在しない単語だと分かると普通は、その語が外国語であるか造語のどちらかであるという結論に達しますけども、スペイン語話者であればcolitas がcola(しっぽ、尾)の指小辞ではないかとすぐにピンとくることでしょう。指小辞というのは英語にはないスペイン語特有の文法用語で、語尾を–ito や-ita に変化させて単語に小ささや可愛さの意味合いを加える用法です。なのでcolita は「かわいいしっぽとか、ちっちゃなしっぽ、しっぽちゃん」といった意味合いになります(語尾のs は英語同様、複数形を表しています)。ですが、それが分かったとしても、まったく意味が通りません。「しっぽちゃんの生温かい匂い?なんじゃそりゃ?」となります。すると、今度はこんなことが思い浮かびます。「スペイン語は中南米のほとんどの国で話されているから、国によっては本国での単語の意味と乖離した意味で使用されている単語が数多くあるはずだ」と。そこでカリフォルニアがメキシコと国境を接する地であることにあたりを付けて、メキシコでcolita がどういった意味で用いられているのかを調べてみると、次のような解説にたどりつきました。

【México】Un término del argot para los cogollos de la planta de cannabis(メキシコでは大麻草のつぼみを意味する隠語である)

ただ、この解説はホテル・カリフォルニアの歌詞が世で有名になってから後付けされたような気がしないでもありません。なぜなら、マリワナのメキシコでの隠語は通常、煙草の吸い殻を意味するcolilla が使われるからです。言語学者でもない僕には、colilla から転じてcolita を使うようになったのかどうかといったことまでは分かりませんがcolitas は、イーグルスのメンバーなど、ごく限られた人々の間だけで通じる隠語だったのかも知れませんね。とは言え、後にローリング・ストーンズ誌のインタビューでcolitas とは何なんですかと尋ねられたDon Henley(この歌を作詞した人で、ホテル・カリフォルニアをドラムを叩きながら歌っています。ある意味凄いです)が「It means little tails, the very top of the plant ・ちっちゃなしっぽって意味さ。植物の先っぽのね」と答えていることや(マリワナのことだとは明言してませんけどね・笑)、当時イーグルスに同行していたメキシコ系アメリカ人スタッフがこの言葉をメンバーに教えたという関係者の証言なども加味すれば、colita がマリワナの代替語であることに疑問の余地はないと思います。因みにDon Felder は同じことを訊かれて「The colitas is a plant that grows in the desert that blooms at night, and it has this kind of pungent, almost funky smell ・コリータスはね、砂漠で夜に花を咲かせる植物のことさ。ツンと鼻にくるようなおかしな匂いがするね」と答えてますが、世界中のどんな植物図鑑にもcolitas なんて植物は載ってませんから、この言葉は彼なりにマリワナを比喩したものであるか、単にジョークで返したと考えるべきでしょう。以上のことを踏まえてこの曲の第1節を聴くと、僕の頭に浮かんでくるのはこんな情景です。

陽が暮れた後、カリフォルニア郊外の砂漠のハイウェイを走る一台の車。車はおんぼろのオープンカーで、運転しているのは長髪のヒッピー風の若者。彼の長髪が砂漠特有の気温の低下で涼しくなった風にたなびいています。銜え煙草で車を運転している若者がふかしているのはマリワナ煙草(smell がwarm なのは、先に火のついていている煙草を口元に銜えているからではないでしょうか。喫煙者なら分かると思いますが、銜え煙草でふかすと口の周りに仄かな熱を感じる時があります)。I saw a shimmering light の部分からは、前方にホテルのネオンサインのようなものが見えてきたと推測できますが、マリワナでラリってきたと言ってるようにも聞こえます(頭の中がチッチラパッパになっている・笑)。My head grew heavy and my sight grew dim はその結果です。と、colitas がマリワナの意味であることが分かると、歌詞のgrew dim とは裏腹に第1節は一気にクリアーになります。出だしのOn a dark desert highway をベトナム戦争が泥沼化していく中、斜陽していくアメリカという国を暗喩しているといったような小難しいことを考える人もいるようですけども、この第1節にそんな深い意味はないと思います(笑)。後になってDon Henley が、この歌詞に込めた思いのひとつに、度を超えたアメリカ文化the excesses of American culture (それが何なのかを彼は詳しく述べていませんが、アメリカ文化と言うよりは、西海岸の若者文化、つまりは、ドラッグ(麻薬)の乱用や男女間の乱れきった性などによって引き起こされている退廃した世界のことを指しているのでしょう)への警鐘があったと語っているとおり、第1節は、今まさにその退廃した世界への入口に立っている若者の姿を単に描写しているのだと僕は考えています。そのことは、第2節を見ても明らかですね。

第2節は、ホテルの入口にたどり着いた若者がmission bellを耳にするところから始まります。mission bell は教会や修道院の鐘の音のことで、鐘の音は時を知らせる役割以外にも、周囲に危険が迫っていることを知らせる際にも使われていました。つまり、鐘の音が若者に「ほんとに泊まるのか?」と警告している訳です。Don Henley の前述の言葉どおり、まさしく警鐘です。その結果、若者は「泊まって天国のようなホテルだったらいいけど、泊まって地獄みたいなホテルだったら嫌だな。どうしよう」と考えるのですが、結局はホテルの中へ足を踏み入れます。若者がなぜホテルに泊まることにしたのかというと、入口にいた女がlit up a candle(マリワナ煙草に火を付けたの暗喩ではないでしょうか)したように、ドラッグの誘惑があったのだと僕は考えています。そして、若者は一度聞けば誰もが忘れることのない「Welcome to the Hotel California」の声を聞くことになります。その後に続くSuch a lovely face には、癖のある面々が集うホテルといった意味も込められているかも知れません。

この世にはホテル・カリフォルニアの歌詞を絶賛されている方が星の数ほどおられます。その本人が最高と思えば、本人の中では最高のものということは揺るぎなき真理ですので、それらの意見を否定はしませんが、僕の中ではこの曲の歌詞はどちらかと言えばできの悪い部類です(←出た!上から目線・汗)。その理由は次の第4節にあります。第4節に出てくるHer やShe は、第2節に出てくるドアの傍に立っていたsheとは別人であると推察できますが、第3節までの流れはとてもいいのに、この第4節の唐突な女の登場がすべてをぶち壊しにしているからです。あまりにも脈略が無さ過ぎて、取ってつけた感が否めません。まあ、それはさておき、4節目の最初の行のTiffany-twisted はティファニー狂い(ティファニーのような高級品ばかり好む)という意味で、2行目のMercedes Bends と対をなしています(Benz であるはずのメルセデス・ベンツの綴りがBends になっているのは、twist にひっかけた言葉遊びだとDon Henley が後に明かしています)。この節の最初の2行は、度を超えたアメリカ文化のひとつである商業主義とそれに翻弄される人々、3行目と4行目は男女間の乱れた性への非難なのでしょう。そのあと、中庭へ目を向けた若者の目に宿泊客たちが踊っているのが見えます(このシーンも唐突感が否めませんけど)。客たちは自らの過去の人生を振り返りながら踊っていますが(Some dance to remember)中には自らの過去の行いを悔いている人もいるようです。Some dance to forget は忘れてしまいたいくらいに後悔しているということでしょう。

第5節では、中庭で踊る宿泊客たちを目にした若者が、酒でも飲みながら自分も人生をよく考えてみようと、給仕長を呼んでワインを頼みますが、給仕長の返事はWe haven’t had that spirit here since 1969 というものでした。このspirit は強い酒を意味するspirits との語呂合わせのようなもので、ここでも言葉遊びが行われています。つまり、Don Henley は「1969年以来、そんな精神はここにはない」と給仕長に言わせている訳ですが、ここでもまた、その精神とはいったい何なのか、そしてなぜに1969年なのかという謎解きが必要となってきます。そこで、多くの人が1969年がどういう年であったかのかを調べる訳ですが、その結果、その年がアメリカのニクソン大統領がベトナム反戦運動の高まりの中でベトナムからの撤兵を決定した年であったことから、そのことと結びつけて考える人が続出します。ですが、僕の目に留まったのは、そんなニクソンの決定ではなく、その年に起こった「シャーク・エピソード」と呼ばれる出来事でした。そのエピソードというのは、アメリカ公演の為に訪米していたレッド・ツェッぺリンが、西海岸のエッジウォーター・ホテル(部屋から釣りができることが売りの高級ホテルです)に滞在した際に起こったとされる事件で(事件を起こしたのがメンバーなのかツアーマネージャーのRichard Cole であったのかや、そもそも本当にそんな事件が起こったのかは定かではありません)、ホテルの部屋でドンチャン騒ぎをしていた彼らが、前日に釣り上げて冷蔵庫に入れてあったred snapper(鯛の一種)をグルーピーの女性の陰部に挿入したとされています(当時は、人気ロックバンドのもとには常にグルーピーが集まり、彼女たちをホテルの部屋に呼んでは酒とドラッグで乱痴気騒ぎをする行為が日常的に行われていました)。そんな堕落を生み出すことになった米国音楽産業の商業主義に背を向けていたFrank Zappa は、後にこの事件のことを歌って批判しています。このことから考えると「1969年以来、そんな精神はここにはない」の精神spirit とは「まともな精神、まともな考え、まともな世界」のことであり、1969年というのは、年を表しているのではなく、この事件を指しているとしか僕には思えません。そして、ロックスターたちのそんな堕落した退廃の世界が繰り広げられる舞台に常になっていたのが各地のホテルであり、だからこそ、この曲の舞台がホテル・カリフォルニアという場所であったのだと考えれば全てのつじつまが合うのです。Don Henley やDon Felder、Glenn Frey といった当時のイーグルスのメンバーは元々は西海岸の歌姫Linda Ronstadt(リンダ・ロンシュタット)のバックバンドのメンバーで、Linda Ronstadt の才能を見出して彼女のマネージャーとなったHerb Cohen(ハーブ・コーエン)は、その前はFrank Zappa のマネージャーをしていた人でしたから、Don HenleyとZappa に直接の付き合いが無かったとしても、Herb Cohen からZappa の話を聞いたりしてDon HenleyがZappa の影響を受けていたとしてもおかしくはありません。Don Henley は自らのプライドから「Zappaにインスパイアーされたことはない」と言うかも知れませんけど…。

第6節では再びコーラスに入りますが、第3節のコーラスの歌詞とは少し違っています。ここでの難解な部分はBring your alibis で、第1回のCall Me にも出てきたとおりalibi は本来、犯罪の起こった場所にその時間はいなかったということの証明という意味で使用される警察用語ですので「まともな世界にもう自分は身を置かないという決意を持ってこい」つまりは、ここの住人になれと言っているのだと理解してこの訳にしました。第7節も難解な文のオンパレードですが、和訳を読んでいただけば、だいたいの感じは分かってもらえるかと思います。Mirrors on the ceiling から僕が感じたのは、内なる欲望を隠し覆せない宿泊客たちが集っている部屋の情景(鏡は鏡の前にあるものをそのとおりありのままにに映す、つまりは人の内面といった真実までを映す)であり、そんな部屋の中でpink champagne を手にした女が若者に語りかけているのです。The pink champagne on ice と聞いて思い浮かぶイメージはアイスペールの中で冷やされたシャンペンですが、恐らくここではドラッグを暗喩しているのだろうと僕は思いました。We are all just prisoners here of our own device はその台詞どおり、自分たちが堕落したのは誰のせいでもなく自らの責任であるということでありThey stab it with their steely knives but they just can’t kill the beast は、そんな自分たちは、なんとかドラッグをやめようとしているのだけど結局はできないという意味に思えました。なので、最後に出てくるbeast は、麻薬の常用でケダモノみたいになってしまっている自分たちのことなのだと考えながら、このように訳した次第です。steely knives という言葉を使ったのは、その響きからSteely Dan を仄めかしたかったとDon Henley が語っているとおり(Steely Dan のメンバーであったWalter Becker は麻薬中毒者として有名でした)、第7節は麻薬の乱用に対する問いかけだと考えて問題ないでしょう。

最後の第8節は、特に難しい言い回しはないですが、かの有名なYou can check out any time you like but you can never leave というフレーズがここに出てきます。皆さんはこの台詞を聞いてどう感じられましたか?なんだか自分のことを歌っているみたいだと感じた方はおられませんか?例えば、学校の校則や権威をふりかざすセンコーなど糞喰らえですぐにでも退学したいのに、それができない自分。親が厳しすぎてすぐにでも家出したいのにそれができない自分。会社を辞めたくって仕方ないのに、収入が途絶えると思うとそれができない自分。安易に麻薬に手を出してしまったが為に、やめたくてもやめられなくなった自分。恋人と別れたいのに、なんだか情だけで付き合い続けている自分。自分が選んだ訳でも自分の未来を託した訳でもない連中に好き勝手にされている似非民主主義の世界から抜け出したくても抜け出せない自分。糞みたいな日本国が嫌で嫌で、海外へ飛び出したいけどそれができない自分。そんな風にYou can check out any time you like but you can never leave には様々な人々のそれぞれの思いが重なってしまうからこそ、この曲から様々な解釈が生まれてしまったのだと僕は考えています。そしてこの台詞のあと、伝説のギターソロが続いて曲は終了。

以上のように、ホテル・カリフォルニアはDon Henley が自ら語っているとおり、度を超えたアメリカ文化への警鐘であることは間違いなく、同時に、そんな度を超えたアメリカ文化にどっぷりと浸かってしまている自らへの戒めでもあったのではないかと思います。成功で大金を手にしたイーグルスのメンバーも御多分にもれず、酒、女、ドラッグに塗れたクレイジーな日々を送っていて、保守的な気風のテキサスで生まれ育ったDon Henley が「こんなはずではなかった」と自己嫌悪するようになったとしても不思議ではありません(因みに、イーグルスのメンバーに西海岸出身の者は一人もいません)。そこから導かれる結論はただひとつ。ホテル・カリフォルニアという場所が、度を超えたアメリカ文化が生み出してしまった退廃世界の象徴として描かれたということです。それ以外に他はありません。でも、この名曲には残念ながら情けないオチがあります。Don Henley はそんな思いを込めてこの曲を書き、歌ったにも拘らず、その後は反省どころか逆に銭亡者になってしまい、金銭トラブルからこの曲の最大の功労者であるDon Felder をグループから追い出しました。人間というのは所詮そんなものなんですよね(汗)。

難解だとされる歌詞の解説なので、やはりどうしても長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。第1回から第3回までは、僕が人生の中で好きになった洋楽ベスト3を紹介させていただきましたが、如何でしたか?ベスト3の中でどの曲が一番というのは僕の中にはありませんけども、音楽としての完成度の面からだけで評価するなら、この曲が一番優れているかと思います。

本ホームぺージ内の『洋楽の棚』では100曲以上の洋楽の名曲を紹介していますので、興味のある方は覗いてみてください!

洋楽の棚を10分割しました!

当初、100曲分の歌詞の和訳と解説という膨大な量の文章を2分割で掲載してしまい、訂正しようとしてもソフトの欠陥で画面がフリーズして改善できていなかった『洋楽の棚』ですが、ページを一から再構築して、なんとか10分割にすることができました。紹介曲の一覧を下記のとおり案内させていただきますので、皆さんの興味のある曲があれば該当する棚のぺージを覗いてみてください。2分割だった時は、1ページがあまりにも長過ぎてなかなか読んでいただけていなかったと思いますが、10分割したことによってかなり読みやすくなりました。

洋楽の棚①で紹介の曲
【第1回】Call me / Blondie (1980)
【第2回】Against the Wind / Bob Seger and the Silver Bullet Band (1980)
【第3回】Hotel California / Eagles (1976)
【第4回】Harden My Heart / Quarterflash (1981)
【第5回】867-5309 Jenny / Tommy Tutone (1981)
【第6回】You’re So Vain / Carly Simon (1972)
【第7回】Foolish Beat / Debbie Gibson (1987)
【第8回】The Warrior / Scandal featuring Patty Smyth (1984)
【第9回】Eye in the Sky / The Aran Parsons Project (1982)
【第10回】Play the Game Tonight / Kansas (1982)

洋楽の棚②で紹介の曲
【第11回】Rosanna / Toto (1982)
【第12回】My Sharona / The Knack (1979)
【第13回】Heat of the Moment / Asia (1982)
【第14回】Centerfold / The J.Geils Band (1981)
【第15回】Hard To Say I’m Sorry / Chicago (1982)
【第16回】Caught Up In You / 38 Special (1982)
【第17回】Lost in Love / Air Supply (1979)
【第18回】The Rose / Bette Midler (1980)
【第19回】Girls Just Want to Have Fun / Cyndi Lauper (1983)
【第20回】Small Town / John Cougar Mellencamp (1985)

洋楽の棚③で紹介の曲
【第21回】Rock Me / Great White (1987)
【第22回】Ride Like the Wind / Christopher Cross (1979)
【第23回】I Don’t Like Mondays / The Boomtown Rats (1979)
【第24回】Sunday Bloody Sunday / U2 (1983)
【第25回】Roxanne / The Police (1978)
【第26 回】Money for Nothing / Dire Straits (1985)
【第27回】Can’t Stop This Thing We Started / Bryan Adams (1991)
【第28回】First We Take Manhattan / Jennifer Warnes (1986)
【第29回】Luka / Suzanne Vega (1987)
【第30回】Jungleland / Bruce Springsteen (1975)

洋楽の棚④で紹介の曲
【第31回】New York State of Mind / Billy Joel (1976)
【第32回】California Dreamin’ / The Mamas & The Papas (1965)
【第33回】You Should Hear How She Talks About You / Melissa Manchester(1982)
【第34回】The Way We Were / Barbra Streisand (1973)
【第35回】Eye of the Tiger / Survivor (1982)
【第36回】Livin’ on a Prayer / Bon Jovi (1986)
【第37回】Part-Time Lover / Stevie Wonder (1985)
【第38回】On the Beach / Chris Rea (1986)
【第39回】Poor Poor Pitiful Me / Linda Ronstadt (1977)
【第40回】Layla / Eric Clapton (1970)

洋楽の棚⑤で紹介の曲
【第41回】Got My Mind Set On You / George Harrison (1987)
【第42回】La Grange / ZZ Top (1973)
【第43回】I Come Undone / Jennifer Rush (1987)
【第44回】I Love Rock’N Roll / Joan Jett & The Blackhearts (1981)
【第45回】Seven Wonders / Fleetwood Mac (1987)
【第46回】Don’t Get Me Wrong / Pretenders (1987)
【第47回】99 Red Balloons / Nena (1983)
【第48回】Papa Don’t Preach / Madonna (1986)
【第49回】Upside Down / Diana Ross (1980)
【第50回】Stairway to Heaven / Led Zeppelin (1971)

洋楽の棚⑥で紹介の曲
【第51回】Born to Be Wild / Steppenwolf (1968)
【第52回】Everybody’s Talkin’ / Harry Nilsson (1968)
【第53回】The Sound of Silence / Simon & Garfunkel (1965)
【第54回】Rock Around the Clock / Bill Haley & His Comets (1954)
【第55回】Night Fever / Bee Gees (1977)
【第56回】My Generation / The Who (1965)
【第57回】Flashdance… What a Feeling / Irene Cara (1983)
【第58回】Footloose / Kenny Loggins (1984)
【第59回】Sweet Home Chicago / The Blues Brothers (1980)
【第60回】A Whiter Shade of Pale / Procol Harum (1967)

洋楽の棚⑦で紹介の曲
【第61回】When a Man Loves a Woman / Percy Sledge (1966)
【第62回】Smooth Operator / Sade (1984)
【第63回】Let’s Hear It for the Boy / Deniece Williams (1984)
【第64回】Private Eyes / Daryl Hall & John Oates (1981)
【第65回】Jesus He Knows Me / Genesis (1991)
【第66回】Crazy Little Thing Called Love / Queen (1979)
【第67回】Highway Star / Deep Purple (1972)
【第68回】Da Ya Think I’m Sexy? / Rod Stewart (1978)
【第69回】Anarchy In The UK / Sex Pistols (1977)
【第70回】Video Killed the Radio Star / The Buggles (1979)

洋楽の棚⑧で紹介の曲
【第71回】Don’t You Want Me / The Human League (1981)
【第72回】West End Girls / Pet Shop Boys (1985)
【第73回】Mony Mony / Billy Idol (1987)
【第74回】(I Can’t Get No) Satisfaction / The Rolling Stones (1965)
【第75回】You Really Got Me / The Kinks (1964)
【第76回】Caribbean Queen / Billy Ocean (1984)
【第77回】I’m in the Mood for Dancing / The Nolans (1979)
【第78回】Wanted / The Dooleys (1979)
【第79回】Higher Love / Steve Winwood (1986)
【第80回】No Woman, No Cry / Bob Marley & The Wailers (1974)

洋楽の棚⑨で紹介の曲
【第81回】Who Can It Be Now? / Men at Work (1981)
【第82回】Highway to Hell / AC/DC (1979)
【第83回】Shining Star / The Manhattans (1980)
【第84回】All Night Long(All Night) / Lionel Richie (1983)
【第85回】What’s Going On / Marvin Gaye (1971)
【第86回】What’s Love Got to Do with It / Tina Turner (1984)
【第87回】The One I Love / R.E.M (1987)
【第88回】Smells Like Teen Spirit / Nirvana (1991)
【第89回】Guns N’ Roses / Sweet Child O’ Mine (1988)
【第90回】Dude (Looks Like a Lady) / Aerosmith (1987)

洋楽の棚⑩で紹介の曲
【第91回】Alone / Heart (1987)
【第92回】Open Arms / Journey (1981)
【第93回】Amanda / Boston (1986)
【第94回】Jump / Van Halen (1984)
【第95回】Breakfast in America / Supertramp (1979)
【第96回】Have You Ever Seen the Rain? / Creedence Clearwater Revival(1970)
【第97回】We’re an American Band / Grand Funk Railroad (1973)
【第98回】Keep Your Hands To Yourself / Georgia Satellites (1986)
【第99回】We Got the Beat / Go-Go’s (1980)
【第100回】Like A Rolling Stone / Bob Dylan (1965)

世論調査というフェイク

最近、カスゴミがしばしば報じているところによると、あのまぬけ女が長である政権に対する世論の支持率が7割もあるんだそう。こんな出鱈目な数字をカスゴミが出してくる根拠は、奴らが行った世論調査の結果がそうであったからということらしいですが、相変わらず笑えます。アメリカのまぬけ男は、たとえ真実であってもすべてをフェイクの一言で片づけますが、カスゴミの世論調査というのは、まぬけ男が指摘するまでもなくフェイクそのもの。今日はそのカラクリについて少し触れておきたいと思います。

統計の数字というのは、例えば1万の母集団があれば、1万すべてを調査しなくとも、そのうちの400を調査すれば1万すべてを調査した時とランダムに1万分の400を抽出して調査した時との結果の誤差は5%しかないとされていて、その事実は数学者によっても数式で証明されています。が、それはあくまでも数字上の理論の話であり、そもそもからして1万の母集団すべてが調査に参加するということが前提に数式が導かれています。カスゴミはこの理論を使って自らのインチキ調査を正当化している訳ですが、出鱈目もいいところ。このブログを読んでくださっているような賢明な方々なら既にお分かりのことでしょう。

例えば、母集団が10であるとします。最近の日本の選挙の投票率が5割前後(つまり、投票を棄権する人々の多くは間接民主主義というエセ民主主義やそのシステムの副産物であるカスゴミの欺瞞におぼろげながら気付いているから、馬鹿らしくて投票に行かない)であることから考えますと、それらの人々はそもそもからしてカスゴミの世論調査なんてものに協力などしません。それが5であるとしましょう。では、カスゴミの世論調査への回答に協力するような残りの5はというと、いまだに新聞なんかを読んで世の中の動きを知ろうとしているような人々(カスゴミの垂れ流す情報が正しいものと信じ込まされてしまっている人々)。そんな人たちの中の3が「支持」と答えれば、支持率は60%となる訳です。つまり、この60%という数字は、世論の支持が6割という意味ではなく、カスゴミの調査に協力するような特定のバイアスがかかった人々の中での支持率でしかないということが分かりますね(笑)。

我が家の電気炊飯器

僕は来年で嫁さんと結婚して27年になりますが、結婚する時に揃えた家電製品(洗濯機、冷蔵庫、テレビ、クーラーなど)は全て寿命が来て故障してしまい、何度か買い換えました。しかし、この27年間、買い替える必要もないまま元気に働いてくれている例外の製品がひとつだけあります。それは何かと言いますと、炊飯器!(タイトルを見ればわかりますね・笑)

我が家の炊飯器は大阪市内の天満に本社のある象印マホービンさんのもの。あまり知られてはいませんが、大阪はかつて魔法瓶の一大生産地だった街でして、子供の頃、僕の家の近所にも魔法瓶の大きな工場がありました。魔法瓶の主要生産メーカーの本社は今でもそのほとんどが大阪にあり、象印マホービンさんもそのひとつです。我が家の炊飯器は、製品の設計をした優秀な技術者たち、良質な部品を供給した下請けの中小企業の方々、それを工場できっちりと組み立てた労働者の方々、そして、完成した製品を全国に売り歩いたセールスの方々の努力の結晶。だからこそ故障することなく動き続けてくれているのだと僕は思いますし、この我が家の炊飯器が今もおいしくお米を炊いてくれる度に、それらの方々への尊敬の念と感謝の気持ちが湧いてきます。まあ、買い替えをすることもなくこんなに長い期間、同じ製品を使い続ける消費者は、メーカーさんにとってはあまり好ましくない客だとは思いますが、次に炊飯器を買うことになる時は、僕の中では象印マホービンさん一択ですので、象印マホービンさん、安心してください!(笑)