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『洋楽の棚』傑作選「青い影」
2026年1発目の『洋楽の棚』傑作選に選んだ曲は、プロコハルムの「A Whiter Shade of Pale 」です(日本では、多くの洋画に付けられた邦題のタイトルと同様「青い影」というヘンテコなものになってますね・笑)。この曲の歌詞も難解なものとして有名ですが、その難解レベルは最強級。なので、今回の解説も、とてもとても長いですよ(笑)。
【第60回】A Whiter Shade of Pale / Procol Harum (1967)
今回紹介させていただくのは、全世界で1千万枚以上ものシングル・レコードが売れたというProcol Harum の名曲、A Whiter Shade of Pale です。と言っても60年近くも前のヒット曲なので、若い方の多くはご存知ないかもですね(汗)。Procol Harum というなんだか奇妙な名前のこのバンド、Gary Brooker というロンドン出身のミュージシャンが1967年に英国のエセックス州サウスエンドで結成したグループで、A Whiter Shade of Pale の曲の歌詞を書いたKeith Reid はバンドの正式メンバーであるものの、歌も歌わないし楽器も演奏しないという風変わりなバンドでもありました。因みに、Procol Harum というバンド名はこのKeith Reid の友人が飼っていた猫の名前で、ラテン語でaway やat distance を意味するprocul の綴りが間違って伝わったもののようです(Harum はラテン語ではなく、意味は分かりませんけど響きはどこかアラビア語風ですね)。A Whiter Shade of Pale は、メンバーの一人Matthew Fisher(この曲の著作権は自分にもあると後に裁判を起こし、認められた人です)の演奏によるハモンド・オルガン(電子オルガンの一種)の音色のイントロを一度でも耳にすれば二度と忘れることはないという曲ですが、その哀愁を帯びた分かり易いメロディーラインに対して歌詞が非常に難解であることは有名で(難解と言うよりもほぼ理解不能です・汗)、それ故にイーグルスのホテル・カリフォルニアやツェッぺリンの天国への階段と同様、古今東西の先人たちによってこの曲の歌詞に対する様々な解釈が為されてきました。タイタニック号の沈没を暗示しているとか、酒やドラッグによって得られた幻想の世界だとか、男が処女を口説いてモノにする話だとか、パーティーでドラッグをやり過ぎて死んだ少女の話だとか、この曲を聴いた人の歌詞の解釈はまさしく十人十色。ある意味、滅茶苦茶な解釈だらけとも言えますが、A Whiter Shade of Pale の歌詞を書いたKeith Reid(2023年に死去されました)はこの歌詞の意味を直接的に言及したことは無いものの、歌詞を理解するのに役立つ数多くのヒントを残しているので、今回はそれらのヒントを参考にしながら和訳に挑戦してみました。Keith が生前に語っていた主なヒントには以下のようなものがあります。
① I feel with songs that you’re given a piece of the puzzle, the inspiration or whatever. In this case, I had that title, ‘Whiter Shade of Pale,’ and I thought, There’s a song here. And it’s making up the puzzle that fits the piece you’ve got. You fill out the picture, you find the rest of the picture that that piece fits into. つまり、この曲は「Whiter Shade of Pale」というタイトルが先ずありきで、そのタイトルに合わせてパズルを組み合わせるように歌詞を作ったということですね。僕も小説を書く時、先ず最初にタイトルが決まり、それに合わせてストーリーが頭に浮かんでくるということはしばしばあることなので、彼の言わんとしていることは良く分かります。
② では、そのA whiter shade of pale というタイトルがどこから来たのかというと、Keith はI overheard someone at the party saying to a woman, “You’ve turned a whiter shade of pale”, and the phrase stuck in my mind. パーティーで誰かが女性に向かって「You’ve turned a whiter shade of pale 君、蒼い顔がさらに白くなってるよ」と言っているのを聞いて、その言葉が頭から離れなくなったと語っています。普通は単にOh,You’ve turned pale. Are you alright?と言うくらいでしょうから、確かに面白い表現ではありますね。
③ I might have been smoking when I conceived it, but not when I wrote it. It was influenced by books, not drugs. この歌詞を書いた時はタバコは吸ってたかもしれないけど、歌詞はドラッグの影響を受けたものではなく、本に影響されたものだとKeith が自ら語っているように、酒やドラッグにこの歌詞の解釈を求めるというのは誤ったアプローチのようです。
④ I wrote this song to describe a very simple story of a boy who falls too hard for a girl he barely knows and is then rejected by that girl. Nothing more and nothing less. これはもう答えそのものですね。少年がまだ良く分かり合えていない少女にフラれたというストーリーがこの曲の歌詞の軸になっていることは間違いないでしょう。Nothing more and nothing less の言葉どおり、それがこの歌詞の真実なのだと思います。
以上のことを参考にしながら日本語に置き換えたのが以下の歌詞です。先ずはご一読ください。各節の詳細に関しては解説欄にて。
We skipped the light fandango
Turned cartwheels ‘cross the floor
I was feeling kinda seasick
But the crowd called out for more
The room was humming harder
As the ceiling flew away
When we called out for another drink
The waiter brought a tray
僕らはさ、スローなダンスはすっ飛ばして
ダンスフロアで激しく踊ってたんだ
船酔いみたいに僕の頭はクラクラしたけど
周りの連中はもっと踊れって声を張り上げてたよ
部屋の中はますます騒めき立ってさ
天井が吹っ飛ぶ勢いだった
そんな中、僕たちが酒のお代わりを頼むと
給仕がトレイで運んできたんだよな
And so it was that later
As the miller told his tale
That her face, at first just ghostly
Turned a whiter shade of pale
そう、それはそのあとのことさ
食わせ者が耳打ちしたら
最初は幽霊みたいだった彼女の顔が
もっと蒼白くなったんだ
She said, there is no reason
And the truth is plain to see
But I wandered through my playing cards
And would not let her be
One of sixteen vestal virgins
Who were leaving for the coast
And although my eyes were open
They might have just as well’ve been closed
彼女は言ったよ、理由なんてないし
言うまでもないでしょって
だけど、僕はどうすべきか悩んだね
だって、彼女にはなって欲しくなかったんだ
浜辺へと向かう
16歳のウェスターの巫女の一人なんかにさ
僕は目を見開いてたんだけど
閉じてたのと同じだったのかもしれないな
And so it was that later
As the miller told his tale
That her face at first just ghostly
Turned a whiter shade of pale
そう、それはそのあとのことさ
食わせ者が耳打ちしたら
最初は幽霊みたいだった彼女の顔が
もっと蒼白くなったんだ
A Whiter Shade of Pale Lyrics as written by Keith Reid, Gary Brooker, Matthew Fisher
Lyrics © Onward Music Limited
【解説】
さてさて、A Whiter Shade of Pale の歌詞、如何でしたか?最初の節ではまだなんとなく場所やそこにいる人たちの雰囲気が伝わって来ますが、コーラスのあとの次の節、特にその後半部分は何を言いたいのか良く分からないというのが正直なところです。実はこの曲の歌詞、当初書かれたオリジナルの歌詞は4節で構成されており、さらに意味不明な二つの節がこの後に続いてまして(コンサートではこれらの節を含めたロング・バージョンが歌われることもあったようです)特に第3節はAnd so it was that later で始まるコーラス部分の歌詞を解読する上で重要という気がしましたので、先に残りの歌詞を読んでいただき、それから解説に入りたいと思います。
She said, ‘I’m home on shore leave,’
Though in truth we were at sea
So I took her by the looking glass
And forced her to agree
Saying, ‘You must be the mermaid
Who took Neptune for a ride.’
But she smiled at me so sadly
That my anger straightway died
彼女は言ったよ「休暇でうちに戻った」ってね
ほんとは僕も彼女も海にいたんだけどさ
だから僕は彼女を鏡の傍へと連れて行って
認めさせようとしたんだ
こんな風に言ってね「君は人魚に違いないんだ
海の神を欺いたね」って
でも、彼女は悲しそうに微笑んだだけで
僕の怒りは直ぐに消えちまったよ
If music be the food of love
Then laughter is its queen
And likewise if behind is in front
Then dirt in truth is clean
My mouth by then like cardboard
Seemed to slip straight through my head
So we crash-dived straightway quickly
And attacked the ocean bed
もし音楽が愛の糧なら
笑いはその女王さ
同じように後ろが前なら
ほんとの汚れもきれいなものだよね
名ばかりの僕の口は
頭の中を通り抜けて行くみたいだった
だから僕たちは直ぐに海に潜って
海底を襲ったんだ
それでは、各節の歌詞を紐解いていきましょう。歌詞が難解とされる曲でしばしば見受けられることですが、この曲も出だしからいきなりぶちかましてきます(笑)。第1節1行目のthe light fandango がそれですね。この聞き慣れない単語、ネイティブ話者であっても、それがいったい何であるのか分かる人はほぼ皆無ではないでしょうか。スペインのフラメンコの知識がある人であれば「それってフラメンコの踊りのひとつですよ」と言うかもしれませんが、僕の頭に浮かんだのはポルトガルのフォークダンスであるfandangoでした。ポルトガルでfandango と呼ばれているダンスは、男女のペアが向き合ってステップを踏みながら踊るもので、そのことから僕はこの歌詞のfandango は親密な男女が踊るチークダンスのようなものの言い換えだと考えました(現代フラメンコのfandango は通常、男女がペアになって踊るようなことはありませんし、正式名称はfandangos de Huelva ウエルバ(スペインの地名)のファンダンゴと言って、民俗舞踊のfandango とは異なります)。ここでのlight はslow の意味で使われているような気がしましたので、the light fandango はslow dance cheek to cheek のようなものであり、第1節の舞台となっている場所はダンス・パーティーの会場か街のディスコというのが僕の結論です。Keith Reid がfandango という言葉をどこでどのように知ったのかは分かりませんが、モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚(舞台設定はスペイン南部)」を彼が観ていたとすれば、第3幕のフィナーレで、フィガロとスザンナが着飾った村人たちの前でfandangoを踊る姿のようなものを意識してたのかもしれませんね。
2行目のturn cartwheels ‘cross the floor もこれまた良く分からない表現です。turn cartwheels という言葉を聞いて思い浮かぶのは、曲芸師がする横転のようなアクロバティックな動きですが、パーティー会場やディスコで横転しまくる男女なんてのはまずいませんので(いたら迷惑ですよね・笑)「まるで横転でもするかのような激しいダンス」と僕は受け止めました。酒の入った身体で余りにも激しく踊ったのでI was feeling kinda seasick になったと考えれば話の辻褄も合います。4行目のBut the crowd called out for moreから6行目のAs the ceiling flew away までのフレーズは、パーティー会場が非常に盛り上がっていることを想像させ、As the ceiling flew away は勿論、実際に天井が吹っ飛んだ訳ではなく、それくらい盛り上がっていたということの比喩でしょう。7行目のWhen we called out for another drink は、ますます場が盛り上がってきたので、ダンスを踊っていた男女のカップルはもっと盛り上がろうと酒のお代わりを頼んだってな感じでしょうか。最後のThe waiter brought a tray は、トレイを運んできたのではなくa tray with drinks かdrinks on tray と考えるのが自然です。
次にコーラス部分である第2節の2行目、この曲の歌詞の中でも最大の謎のひとつになっているAs the miller told his tale は、多くの先人たちがチョーサーの小説「カンタベリー物語The Canterbury Tales」の中の「粉屋の話The Miller’s Tale」と結びつけて解釈しようとしてきましたが、Keith Reid は音楽雑誌のインタビューに対してI’d never read The Miller’s Tale in my life. Maybe that’s something that I knew subconsciously, but it certainly wasn’t a conscious idea for me to quote from Chaucer, no way と語っています。彼は生前、これと同じようなことを何度も繰り返し言ってましたので、ここは彼の言葉を信じることにしましょう。では、このthe miller というのは一体何者なのか?miller をmirror と解釈する人も多いようで、そんな一人がインタビューでKeith にI always heard the line “the Miller told his tale” as “the mirror told his tale.” I was thinking she was looking in the mirror, something was happening と自説をぶつけていましたが、Keith はYes. That might have been a good idea と答えて笑い飛ばしていました。なので、この線もなさそうです。この他にも、作家のHenry Miller と結びつけて解釈しようとする人たちもいたりしますが、僕は冒頭に記したKeith のヒント①から、As the miller told his tale というフレーズからこの節の解釈をするのではなく、なぜ彼女はさらに蒼白くなったのかの理由を考察すればこの節の答えは見つかると考えました。そもそも、the miller ってのは何を指しているのでしょう?mill が「臼などで粉にする、製粉する」という動詞であるとおり、miller は水車や風車の動力を使って石臼でそれをする人、つまりは製粉職人、粉挽き職人のことです。現代では機械が自動的に製粉をするのでほとんど見かけることはありませんが、中世のヨーロッパでは各地にmiller がいました。農民やパン屋が穀物をmiller の所へ持って行って粉にしてもらう訳です。その際、miller は定められた量の穀物を水車や風車の使用料として徴収し、それがmiller の稼ぎとなっていましたが、定められた以上の量の穀物を徴収する(要はくすねるということ)miller も多かったようで、millerに穀物をくすねられたと訴える記録がヨーロッパ各地に大量に残っています。なぜ僕がここでそんなことについて書いたかというと、miller という言葉の響きを聞いた時、ヨーロッパの人はどのような人物を想像するのだろうかと考えたからで、文献を調べてみると、中世の農民や市民たちはmiller は前述のように穀物の量をちょろまかしていると考える人が多く、そのイメージは「嘘つき、不誠実、穀物泥棒、嫌われ者」といったものであったことが分かりました。次に考えたのは、人の顔が蒼ざめるのはどういう時かという点で、普通、人の顔が蒼ざめる、即ち、顔から血の気が引くのは、何かの強いショックやストレスを受けた時ですから、この歌詞に登場する女性の顔が蒼ざめたのは、the miller がtold his tale したから、つまりthe millerが彼女に何かを話したからだと僕は推測しました。そして、その瞬間、僕の脳裏を過ったのは、彼女の浮気相手(主人公の男性にとっては不誠実な嫌な存在)が彼女に「あいつ、俺たちの関係に気付いてるぞ」みたいなことを耳打ちしているような情景でした(因みに、前述のフィガロの結婚には、スザンナがそっと伯爵に手紙を渡し、その手紙のことを知ったフィガロが「どこかの色女が伯爵に恋文を渡したらしいぞ」と歌う場面が第3幕にあります)。浮気がばれたことを知って彼女の顔が蒼ざめた。それがこの第2節の僕なりの解釈です。そう考えると、次の節のthere is no reason and the truth is plain to see というのが「浮気に理由なんてないわ。見てのとおりよ」という彼女の開き直りの言葉に聞こえてきませんか?
分からないのはBut I wandered through my playing cards 以降の部分です。But I wandered through my playing cards は、開き直る彼女に対してどうすべきか悩んだと考えれば理解できますが、そのあとに続くAnd would not let her be one of sixteen vestal virgins who were leaving for the coast は意味不明としか言いようがありません。「vestal virgins?何ですかそれ?」状態でしたので、調べてみたところ、vestal virginsは古代ローマの火の神ウェスタに仕えていた巫女のことであることが分かりました。複数形になっているのは、ウェスタに仕える巫女の定員が6名だったからで、幼少期に巫女に選ばれた少女たちは、その後30年間、俗世から離れて処女でいることを誓わされていたようです。ここのone of sixteen vestal virgins を多くの方々は16人のウェスタの巫女の一人と和訳されているようですが、前述のとおり巫女の数は6人なので、僕はここのsixteen は年齢だと考えます。恐らく、この歌詞に出てくる彼女はそれくらいの年頃だったのでしょう。ウェスタの巫女になること=30年間も処女でいることを誓わされる、つまり、それは人生を棒に振るような行為の暗喩であり、不誠実な男のもとに走って人生を棒に振るような16歳の少女にはなって欲しくないというのが僕の解釈です。そのように理解すれば、それに続くAnd although my eyes were open. They might have just as well’ve been closed も、その思いはあくまでも彼の目から見た独善的なものであって、まだ若かった彼には現実が見えていなかったと解釈できるのではないでしょうか。最後の行のThey might have just as well’ve been closed は、なぜhave が重なっているのか良く分かりません。They might just as well have been closed でいいような気もしますし、実際、曲を聴いてみてもそう歌っているようにしか僕には聞こえませんでした。
シングルカットでは、このあとAnd so it was that later で始まるコーラス部分が2回繰り返されて曲はフェードアウトしますが、先に紹介した第3節は上記の僕の解釈を裏打ちしているようにも思えますので解説を続けたいと思います。She said, ‘I’m home on shore leave,’ Though in truth we were at sea. So I took her by the looking glass and forced her to agree というフレーズを聴いて僕の頭に浮かんだのは、彼女が浮気の言い訳をしている情景です。「昨日の夜、どこにいたんだよ?」「うちにいたわ」というやりとりのあと「嘘つくなよ。男と映画館にいたじゃないか。僕もあそこにいたんだぞ」と彼女に事実を認めさせようとしているみたいな感じですね(想像が飛躍し過ぎでしょうか・汗)。Saying, ‘You must be the mermaid who took Neptune for a ride.’はtake someone for a ride が人を欺くという意味ですから、mermaid は浮気した少女、Neptune は歌詞の主人公の少年であると理解しました。僕が思うに、mermaid は恐らくアンデルセンのThe Little Mermaid が念頭に置かれていて、アンデルセンの人魚姫は悲劇の主人公ですから、少年は「僕(Neptuneは海の神であり、少年自身は自らを彼女を守る存在と考えている)を裏切るなんて君は悲劇の娘(愚かな娘)だ」と浮気している少女を非難したのでしょう。ところが彼女の反応はshe smiled at me so sadly だったので、単なる浮気ではなく彼女が自分のもとを離れようとしていることに気付いてmy anger straightway diedとなったと考えればこの節の全てがきれいにまとまります。シングル版で削除された歌詞部分に関してKeith は「Our producer said, “Look, if you want to get airplay, if you want this record to be viable, you probably should think about taking out a verse.” And we did. I didn’t feel badly about it because it seemed to work fine. It didn’t really bother me」と発言していて、It didn’t really bother me という言葉から、削除された歌詞部分を彼はそれほど重要視していなかったことが窺えます。実際、最後の節に並ぶ言葉も意味不明なものばかりであまり重要ではなさそうですが、簡単に触れておきましょう。
1行目のIf music be the food of love は、シェイクスピアの戯曲からの引用であることは確定です。Twelfth Night, or What You Will の第1幕の冒頭でオシーノ公爵が口にする有名な台詞ですね。ここでシェイクスピアが引用されているが故にAs the miller told his tale もチョーサーの作品からの引用と考えてしまう人が多いのかもしれません。最初の2行と3、4行目では相反する事象が羅列され、そのあとMy mouth by then like cardboard seemed to slip straight through my head という言葉が続いています。僕が思ったのは、ここでのcardboard は段ボール紙と言うよりも実質のないものという意味であろうということであり、My mouth by then like cardboard を聴いて頭に浮かんだのは、陸にいる王子と会う為、言葉を話せなくなることと引き換えに両脚を得た(これもある意味、相反)人魚姫の姿でした。そのことがなぜにslip straight through my head したのかというと、何かを犠牲にして何かを得るということはないと主人公が気付いたからなのではないでしょうか。7行目のcrash-dive は、ずっと海に関係する話が続いていることから急いで海に潜るという意味であることに疑いの余地はありません(crash-dive だけでも潜水艦が急速潜航するという意味であるのにstraightway quickly と言葉が続いているのはtoo redundunt ですね。因みに海の話ばかり出てくるのは、Keithが海好きだったという単純な理由からのようです)。なので、So we crash-dived straightway quickly and attacked the ocean bed から僕が受けた印象は、今ならまだ間に合うとばかりに何か失ったものを過去(海底)に取返しに戻ろうとする姿でした。ただ、主語がI ならその理解でうまく辻褄が合うのですが、we(つまり、少年のもとを離れる決意をしている少女も含まれる)になっているので良く分かりません。ギブアップです!(笑)
ふーぅ。難解な歌詞の曲はやはり解説が長くなってしまいますね。今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。Keith Reid が亡くなった今、この曲の歌詞の謎が解き明かされることはもう永遠に無いでしょうけど、最後にProcol Harum のリーダーであったGary Brooker(この方も2022年に死去)の言葉を記しておきます。
「I don’t give a damn what lyrics mean. You know, they sound great, that’s all they have to do.・ 歌詞の意味なんてどうでもいいのさ。音としてうまく響く、それが歌詞の役目なんだ」
本ホームぺージ内の『洋楽の棚』では100曲以上の洋楽の名曲を紹介していますので、興味のある方は覗いてみてください!
『洋楽の棚』リクエスト曲「ホワイト・ルーム」
皆さんからリクエストをいただいた曲を紹介するコーナーを『洋楽の棚』に新たに設けました!今後、リクエストを頂いた曲で対応可能な曲は、このリクエスト・コーナーにてUP致します。尚、リクエストに関しましては、誠に勝手ながら条件を設けておりますので、リクエストの希望曲がある方は下記ページにてご確認ください。
リクエスト・コーナーはこちら→ https://leon-no-hondana.com/?page_id=2576
【リクエスト回】White Room / Cream (1968)
北海道にお住まいのクロスロードさんより、クリームの「ホワイト・ルーム」の歌詞を解説して欲しいとのリクエストがあり、カンパまで頂戴しました。この曲は僕が今でも良く聴く曲でもあり、お気に入りの1曲でもありますので、今回はリクエストにお応えして、歌詞の和訳と解説をお届けさせていただくことにしました。ですが、ホワイト・ルームの歌詞、詩人でもあったピート・ブラウン(Pete Brown)によって書かれたもので、その解釈は非常に難解というのが定説。期待に沿えるような日本語に果たして訳せるでしょうか…。
In a white room, with black curtains
Near the station
Black roof country, no gold pavements
Tired starlings
Silver horses, ran down moonbeams
In your dark eyes
Dawn light smiles, on you leaving
My contentment
黒いカーテンのかかった白い部屋
駅の傍のね
黒い屋根の国に、黄金の舗装はないよ
疲れたムクドリがいるだけさ
銀色の馬が月明りを駆け抜けたんだ
君の暗い瞳の中でさ
君が去る時、夜明けの光が輝く
僕は満足だね
I’ll wait in this place
Where the sun never shines
Wait in this place
Where the shadows run from themselves
僕はここで待つよ
太陽が決して輝かないここで
僕はここで待つよ
影が自らから逃げるここで
You said no strings could secure you
At the station
Platform ticket, restless diesels
Goodbye window
I walked into such a sad time
At the station
As I walked out, felt my own need
Just beginning
安心をもたらすものはないって君は言ったよね
駅でさ
駅の入場券、忙しないディーゼル機関車
別れを告げる列車の窓
僕はそんな悲しい時の流れに足を踏み入れたんだ
駅でさ
僕は駅を出る時、自分自身の必要性を感じたよ
これから先のね
I’ll wait in the queue
When the trains come back
Lie with you
Where the shadows run from themselves
僕は列に並んで待つよ
列車が戻ってくる時をね
君と一緒にいたいんだ
影が自らから逃げる場所で
At the party, she was kindness
In the hard crowd
Consolation, for the old wound
Now forgotten
Yellow tigers, crouched in jungles
In her dark eyes
She’s just dressing, goodbye windows
Tired starlings
パーティーで、あいつは優しかった
厳しい人生の中でのね
古傷への慰めだったんだ
今は忘れちまったね
ジャングルに潜む黄色い虎
あいつの暗い瞳の中のさ
あいつは古傷の手当をしてたのさ、窓も
疲れたムクドリもさよならだ
I’ll sleep in this place
With the lonely crowd
Lie in the dark
Where the shadows run from themselves
僕はここで眠るよ
孤独な群衆と
暗闇に横たわるよ
影が自らから逃げるこの場所で
White Room Lyrics as written by Jack Bruce, Pete Brown
Lyrics © WB Music Corp., Dratleaf Music Ltd., Special Rider Music
【解説】
曲の解説に入る前に、まずは「ホワイト・ルーム」をリリースしたアーティスト「クリーム」について少し触れておきましょう。クリームは1966年、既に音楽界で名声を得ていたエリック・クラプトン(ギター)、ジャック・ブルース(ベース)、ジンジャー・ベイカー(ドラム)の三人が英国のロンドンで結成したロックバンド。この曲を作曲したのはジャック・ブルースで、なんだか西部劇のガンマンが決闘に向かうような4分の5拍子という特殊なイントロのあとに続く歌声も彼の声です。作詞はジャックの友人であったピート・ブラウンが担当しました。本人の談によれば、最初は「Cinderella’s Last Midnight」という題でヒッピー娘について書こうとしたがうまく書けず「White Room」に題を変えたらすらすらと書けて8ページもの長いものになってしまい、それを1ページにまとめたのだそう。ピート・ブラウンは14歳で詩人としてデビューを果たした作家で(母国のイギリスでは無視され、その才能を見出したのはアメリカの出版会社)、1965年にはThe First Real Poetry Bandを結成して音楽活動にも参入しました。ピートもこの時代の多くのアーティストと同様、一時期、薬物依存に陥っており、その頃のことを彼はこう語っています。
「I had some very bad experiences with drugs and alcohol. I had just done too much of everything and I became paralyzed for a couple of hours. I thought I was dying. I had visions of my brain coming out of my ears and nose like mince meat and things and that. I realized that my body was trying to tell me something and more or less got straight overnight. But, after that, I had a lot of shakes, panic attacks and claustrophobia. I couldn’t go on the tube for years・僕はドラッグとアルコールですごく酷い経験をしたことがあるんだ。とにかく全てをやり過ぎて身体が数時間も麻痺してしまってさ、死ぬんじゃないかと思った。脳がミンチ肉みたいになって耳や鼻から飛び出してくるような幻覚を見たんだ。自分の身体が僕に何かを伝えようとしているんだって気づいて一晩でほぼ正気に戻ったけど、その後は何度も震えが来たし、パニック発作になったり閉所恐怖症になったりもした。何年も地下鉄に乗れなかったよ」
ピート・ブラウンという人は世間から注目を浴びることが好きだったのか、人のいい人だったのか、カスゴミのインタビューにも幾度となく応じていて「ホワイト・ルーム」という曲のことを尋ねられた際、こんなふうにも答えています。
「It was when I was kind of going through a woodshed period in re-evaluating what I was doing and who I was and everything. There was an actual white room. There was this kind of transitional period where I lived in this actual white room and was trying to come to terms with various things that were going on. I had the actual freak-out in the actual white room. It’s a place where I stopped, I gave up all drugs and alcohol at that time in 1967 as a result of being in the white room・「ホワイト・ルーム」は自分が何をしているのか、自分が何者なのかとかのあらゆることを再評価する、いわば自己啓発の時期を過ごしていた頃のものでね、そこにあったのが実在の白い部屋さ。そのホワイト・ルームに暮らして様々な事と折り合いをつけようとする、ある種の過渡期があったってこと。精神状態がおかしくなっちまってたのもホワイト・ルームにいた時なんだけど、その部屋は僕が人生で立ち止まった場所であり、ホワイト・ルームに居続けたおかげで1967年のあの時、僕はドラッグとアルコールをすべて断ち切れたのさ」
これらの本人の証言から、この曲の要である「ホワイト・ルーム」が、ピート・ブラウンがアルコールとドラッグへの依存から抜け出そうと、ロンドン市内で借りてこもっていたアパートの一室(イギリスではフラットと呼びますね)のことであることが今でははっきりしていますので、そのことを念頭に置いて歌詞を見ていくことにしましょう。先ずは第1節目、最初の2行を聴いて僕の脳裏に浮かんだのは、引越し直後のような家具も運び入れられていない白い壁に囲まれた殺風景な部屋。with black curtainsは、実際に黒いカーテンが部屋の窓にかかっていたのではなく、外界との断絶の比喩ではないかと思います。2行目のNear the stationはそのまんまで、ピートが借りたフラットは駅の近くにあったのでしょう。この最初の2行から、ホワイト・ルームは医療施設の中の一室ではないかと考える人も当初はいたようですが、前述のとおり、そこが借りていたフラットであったことを本人が認めています。3、4行目のBlack roof country, no gold pavements, tired starlingsは、何のことやらさっぱりですが、ここの部分もピート本人が、借りていたフラット周辺の情景の描写であると述べていて、Black roof countryは機関車が吐き出す煤で汚れた屋根、tired starlingsという表現は、窓の外に見えたムクドリが大気汚染で疲れているように見えたことから思いついたんだそう。no gold pavementsについては言及していないようですが、3、4行目は複合名詞を羅列することによって夢や希望のない薄汚く覇気のない大都会を暗喩していると考えて良さそうです。5行目のSilver horses以降のフレーズは、そんな都会の中でドラッグやアルコールをやっていた時だけが、唯一、生きているという満足感を得ることができていたという彼の過去の経験を吐露しているというのが僕の理解。Silver horsesはドラッグの使用によって見えた幻影(希望を表す)であり、7行目のon you leavingのyouは人ではなくドラッグやアルコールのことだと考えれば後に続いている歌詞との整合性が出てきます。余談ですが、starlingは正確にはホシムクドリのこと。日本のムクドリ(大きな群れを作って糞害を発生させる鳥ですね)と違ってホシ(星)という名が冠されているとおり、夜空で輝く無数の星のような斑点が頭から脛にかけてあります。昔はロンドンのそこら中で群れを成していたそうなんですが、1985年頃に僕が暫くロンドンに滞在していた時、ムクドリの大群ってのを見かけたことは無かったですね。
2節目のコーラス部分は、ドラッグやアルコールと隔離された本人にとっては絶望しかない(the sun never shines)ホワイト・ルームで、それらを断ち切るまで自分自身と闘う(Wait in this place where the shadows run from themselves)決意であろうと僕は理解しました。Where the shadows run from themselvesは、究極の恐ろしい場所といったイメージですかね。ドラッグやアルコールと決別する為の部屋なんですから、本人にとってはまさしくそのような場所なのでしょう。第3節は唐突に場面が駅に変わりますが(このように場面がぱっと変わるのは、ピート・ブラウンが大の映画好きだったことが影響しているようです)、出だしにIn a white room, with black curtains, near the stationとあるので、第3節をホワイト・ルームの近くにあったのであろう実際の駅での情景と考える人が多いようですが、僕はこの節もドラッグやアルコールとの決別を歌っているのだろうと思います。なぜなら、ここでのyouも人ではなくドラッグやアルコールを指していると考えれば、うまく説明がつくからです。1行目のYou said no strings could secure youは、歌の主人公とドラッグ、アルコールとの絆の崩壊が感じられますし、3行目のPlatform ticketからは、遠ざかって行くドラッグ、アルコールに自分はついては行かないという決意を感じました。だからこそ主人公は、列車に共に乗れる乗車券ではなく駅に入るだけで列車には乗れない入場券を買ったのでしょう(←あくまでも個人の意見です)。Goodbye windowはピート・ブラウンが「Just people waving goodbye from train windows」のことだと述べていて、この表現もドラッグ、アルコールとの決別の比喩だと僕は考えます。restless dieselsは何のことだか良く分かりませんが、恐らくは、ディーゼル・エンジンの大きな音や振動にドラッグ、アルコールと決別しようともがいている自分自身とを重ね合わせているような気がしました。そう考えれば、5行目以降からは、駅(心の中の葛藤の場)でドラッグ、アルコールに別れを告げたことで、なんだか未来に希望が見えてきたというイメージが伝わってきませんか?
4節目は再びコーラスに入りますが、ここの部分は主人公の心の反動のように僕には聞こえました。ドラッグ、アルコールに別れを告げたものの「やっぱり、やりてえなー(Lie with you)」ってな感じでしょうか。続く第5節は、ドラッグ、アルコールに対する郷愁であると理解しました。1行目のshe was kindnessは、she was all kindnessやshe was kindness itselfであれば、文法的に正しくなりますが、このままではおかしいですね。なぜなら、kindnessは抽象名詞であるからsheは人ではなくモノということになってしまうからです。しかし、逆にsheは人ではないと考えれば、このsheはドラッグ、アルコールであることが想像でき、冒頭から述べているように、この歌詞に出てくるyouやsheは人ではなくドラッグ、アルコールを指しているという考え方の補強となります。なので、1行目のAt the partyも、ドラッグ・パーティーと考えるのが自然。5行目のYellow tigers, crouched in junglesはこれまた訳ワカメですが(笑)、1節目のSilver horsesを希望の暗喩だと考える場合、Yellow tigers, crouched in junglesは「ドラッグでもアルコールでも、好きなものは何でもやっちまえばいい」という悪魔の囁きのようなもの、心の隙をまさしく虎視眈々と狙っている悪魔のような存在なのであろうという気が僕にはしました。7行目のdressingは3行目の the old woundにかかっていると考えて、こう訳しています。最後のgoodbye windows, tired starlingsは、自らの過去(windows)と薬物、酒の乱用で弱っていた自分(汚染物資で疲れたムクドリのようになっていた自分)との決別を意味しているのでしょう。ドラッグ、アルコールに未練はあるものの、主人公の決意は固いようですよ(笑)。それは最後の第6節を聴いても明らか。主人公は辛く孤独な闘いを「ホワイト・ルーム」で続けることを決意したのであり、この曲の歌詞は、彼の自分自身に対する癒しでもあるのです。そしてこのあと、曲はクラプトンのワウ・ペダル(Vox V846)を駆使したギターが鳴きまくる伝説のソロに入って終了。その余韻がいつまでも鼓膜に響き続けます。
では、最後にクリームのエピソードをひとつ紹介して、リクエスト回を終わることにしましょう。クリームは当時の英国の3人のスターミュージシャンが集まって結成した夢のようなバンドで、Cream of the crop(最も優秀な者たち、精鋭たち)という英語の慣用句がその存在に重ねられるほどでしたが、ジャック・ブルースとベジンジャー・ベイカーは「グレアム・ボンド・オーガニゼーション」というバンドに所属していた時代から犬猿の仲で(舞台の上での殴り合いもしょっちゅうで、最後は刃物沙汰も)、結局、クリームは二人の間で繰り返される同じゴタゴタが原因で2年で解散することになりました。この二人の衝突で常に心労が絶えなかったのがエリック・クラプトン。彼にはこのホワイト・ルームを演奏できるのはブルースとベイカーが和解した時だけだという思いでもあったのか、1985年までクラプトンがホワイト・ルームを演奏することはありませんでした。が、そもそもからして、ブルースとベイカーがクリームの結成になぜ同意したのかが僕には不思議でしょうがありませんけどね(笑)。
以上、リクエスト回でした!
謹賀新年!
¡Feliz Año Nuevo a todos! Les deseo un 2026 lleno de amor, paz y esperanza.
皆様、新年あけましておめでとうございます!
「レオンの本棚」を立ち上げて早2ヶ月(まだ2ヶ月とも言いますね・笑)、どれくらいの人数の方々がこのサイトの小説や記事を読んでくださっているのかまったく分かりませんけども、今年も本サイトの中身をどんどん充実させていきたく考えておりますので、引き続きお付き合いいただけますよう宜しくお願い申し上げます。
河内レオン

消えた活アサリ
ここ1ヶ月ほど、どこのスーパーへ行っても活アサリが見当たりません。やっと見つけても冷凍アサリ。これまでもアサリは一年中いつでも必ず陳列棚に並んでいるという商品ではなかったですが、こんなに長い期間、見かけないのは初めてです。12月に入ってからの大阪の中央市場の日報を見てみると、北海道産や中国産のアサリの卸値の最高値と最安値が毎日載っていて、それらの数字も異常なほどの高値というほどでもないので、流通が止まっている訳でもなさそうなんですが、やはり、他の海産物同様、漁獲量が減っているのは確かなのでしょう。
思い起こせば確か2022年、中国産のアサリを国産として偽装して販売していたことが発覚した頃から、売っているアサリの粒が小さくなったり、スーパーの棚に見かけないことが多くなったような気がします。産地偽装は良くないことですが、問題は中国産を国産といつわって高値で売っていた悪徳業者だったのであって、庶民にとっては産地偽装であろうが何であろうが、健康被害をもたらす物質でも含んでいない限りは、中国産と表示して安くで売ってくれればそれで良かったのですし、実際、中国産を安くで買えてもいました。アサリはパエリャを作る際なんかにとても良い出汁が出るうえ、味噌汁に入れても酒蒸しにしても美味しくて、我が家では料理に欠かせない食材。中国産でも韓国産でも何でもいいから、ほんと、なんとかして欲しいです。
アサリ以外にも高くなり過ぎて手が出なくなったものにはオリーブオイルやココナッツミルク等があり、これらの品々の価格の急上昇は世界的な不作に原因があるようです。コーヒー豆やチョコレートの原料であるカカオ豆といった農作物も不作か在庫不足のようで、日本でも秋以降、トマトやキュウリ、タマネギといった食卓に欠かせない野菜も不作でものすごく高いです。でも、輸入産品に関しては、円高になれば値段を下げることができますし、国産の農産品や畜産物も生産にかかるエネルギーコストや輸入に頼っている肥料、飼料の価格が円高で下がれば、その分、安くで生産できます。なのに、何もしないマヌケ女が長の日本国政府。しかも、物価対策として打ち出したのは、相も変らぬトンチンカンな8兆円もの税金バラマキ。この糞みたいなバラマキがさらなる円安に向かわせることは間違いないでしょう(将来、財政破綻する国の通貨など誰も買いませんね。紙屑になるのですから)。
『洋楽の棚』傑作選「サウンド・オブ・サイレンス」
本日お届けする曲は第53回で紹介したサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」です。この曲の歌詞も恐ろしく難解で、和訳するのに四苦八苦したことを思い出します(汗)。サウンド・オブ・サイレンスが映画「卒業」の挿入歌として使われたことは映画好きの方ならご存知のことかと思いますが、『洋楽の棚⑥』では第51回から59回まで映画音楽特集として映画にまつわる音楽を取り上げておりますので、映画ファンには是非とも読んでいただきたいです。
洋楽の棚⑥はこちら→ https://leon-no-hondana.com/?page_id=2098
【第53回】The Sound of Silence / Simon & Garfunkel (1965)
別にダスティン・ホフマンが好きだという訳ではないですけども、前回に続き今回も彼の出演した映画で使われた名曲を紹介しましょう。1967年公開の映画「The Graduate」の挿入歌、Simon & GarfunkelのThe Sound of Silence です(Graduate の意味は卒業生。なので「卒業」というこの映画に付けられた邦題は多くのそれと同じくヘンテコですね・汗)。この曲も映画の為に作詞作曲されたものではないのですが(1966年のビルボード社年間チャートで25位と映画で使われる前から既にヒットしていました)、Born to Be Wild やEverybody’s Talkin’ 同様、映画のストーリーというか、映画の主人公のキャラクターと曲の歌詞がシンクロしていると思ってしまうような曲なので、ネタバレとはなりますが、先にThe Graduateのあらすじをどうぞ。
名門大学を卒業したばかりで輝く未来が待ち受けているはずなのに、虚無感に囚われて何をしていいのか分からなくなっているダスティン・ホフマン演じる主人公ベンジャミン。その虚無感を振り払おうとするかのように父親の友人の妻であるロビンソン夫人(アン・バンクロフト)と情事を重ねる彼でしたが、ある日、ひょんなことから夫人の娘でベンジャミンの出身大学に通う女子大生エレーンとデートをすることになります(エレーン役はキャサリン・ロス←この作品での彼女はさすがに初々しくてかわいいです。そんな彼女も2年後、Butch Cassidy and the Sundance Kid に出演して大スターの仲間入りを果たしました)。自分が嫌われるように振る舞うベンジャミンでしたが、エレーンの純真さに魅かれて彼女とも付き合い始めてしまい(←そんなことありえますかね?←まあまあ、落ち着きましょう。映画ですから・笑)、そのことを知ったロビンソン夫人から、娘と別れないと情事のことを彼女にばらすと脅迫される羽目に陥って針のむしろ状態に(←自業自得です・笑)。悩み抜いたベンジャミンは夫人との情事を自らエレーンに告白するものの、当然、彼女は傷つき、ベンジャミンのもとを去るだけでなく大学も退学し、同じ大学の医学部卒の男と結婚することを決意するのですが、本当に愛しているのはエレーンであることに気付いたベンジャミンは、彼女の結婚式の当日、式場である教会に向かってエレーンの手を取り、二人で逃げるように教会を後にして、通りにやって来たバスに乗り込む(結婚式の最中に花嫁を花婿から奪うという伝説のシーンです←そんなことありえますかね←またかよ、とひとりつっこみ・笑)。というのが映画のあらすじでして、そんなちょっとクサいエンディングでバスの座席に腰掛けた二人の表情が喜びの笑みから不安のようなものに変わっていく様がスクリーンに映し出された時、この曲The Sound of Silence がバックで静かに流れ始め、観客に強い余韻を残します。
Hello darkness, my old friend
I’ve come to talk with you again
Because a vision softly creeping
Left its seeds while I was sleeping
And the vision that was planted in my brain
Still remains within the sound of silence
僕の古い友、暗闇よ、こんにちは
また君に会いにきちゃったよ
だって、幻影が優しく忍び寄ってきて
僕が眠っている間にその種をまいていったんだもの
だから、幻影が僕の頭の中に植え付けられて
残ったままなんだ、静寂の音の中にね
In restless dreams, I walked alone
Narrow streets of cobblestone
‘Neath the halo of a street lamp
I turned my collar to the cold and damp
When my eyes were stabbed by the flash of a neon light
That split the night, and touched the sound of silence
心休まらない夢の中で、僕はひとり歩いてた
丸石の敷かれた細い通りの上をね
街灯の光の輪の下で
じめじめとした寒さに僕は襟を立てたよ
そして、僕の目がネオンサインの煌きに突き刺された時
夜が裂かれ、静寂の音に触れたんだ
And in the naked light I saw
Ten thousand people, maybe more
People talking without speaking
People hearing without listening
People writing songs that voices never shared
And no one dared disturb the sound of silence
裸火の中に僕は見たんだ
一万人、いや、多分それ以上の人々が
話すことなく喋り
聴くことなく聞き
決して分かち合うことのない歌を書いていることを
誰もがあえて静寂の音を妨げようとしないんだ
“Fools,” said I, “You do not know
Silence like a cancer grows
Hear my words that I might teach you
Take my arms that I might reach you”
But my words, like silent raindrops, fell
And echoed in the wells of silence
だから「愚か者」って僕は言ったよ「君は分かってない
癌のように浸潤する静寂のことが
僕の言葉を聞いてくれ、君に教えられるかも知れない言葉を
僕の手を取ってくれ、君に届くかも知れない手を」ってね
だけどさ、僕の言葉は空から降ってきた無音の雨粒のようなもの
静寂の井戸の中でこだまするだけなんだ
And the people bowed and prayed
To the neon god they made
And the sign flashed out its warning
In the words that it was forming
And the sign said, “The words of the prophets are written on the subway walls and tenement halls
And whispered in the sound of silence”
ところが人々は頭を垂れて祈ったね
自分たちが創ったネオンサインの神にね
すると、サインが戒めの光を放ったのさ
でき始めてた言葉を使ってさ
サインは告げてたんだ「預言者の言葉は地下鉄の壁やぼろアパートの廊下に書かれてあるぞ
預言者の言葉は静寂の音の中で囁かれるものなんだ」って
The Sound of Silence Lyrics as written by Paul Simon
Lyrics © Sony/ATV Songs LLC
【解説】
物悲しげなアコースティックギターのイントロで始まり、その後に続くPaul Simon とArthur Garfunkelの優しく透明感のある歌声が印象的なこの曲、歌詞は6行5連(スタンザ)という本格的な詩の形式で書かれていて、そこに綴られているフレーズは詩的と言うよりもむしろ文学的ですね。「ということは、この曲の歌詞も難解なんですか?」と質問したくなった方、Bingo ですよ!この曲もまた、本コーナーでこれまで何度も紹介してきた「迷曲」のお仲間なんです(汗)。今回はいつものように歌詞を紐解いていく前に、この曲のタイトルの一部となっているsilence の意味を皆さんに先ず理解しておいていただきたいので、幾つかの辞書の中からsilence の定義を紹介しておきます。
- a period without any sound; complete quiet
- a state of refusing to talk about something or answer questions, or a state of not communicating
- a state of not speaking or writing or making a noise
つまり、silence とは日本語に置き換えれば静寂(場合によっては沈黙)ということになりますね。これらのsilence の定義を頭に入れた上で、歌詞を見ていくことにしましょう。1節目、Hello darkness, my old friend というフレーズで始まるこの曲の歌詞。迷曲はやはりセオリーどおり最初からぶちかましてきますね(笑)。darkness っていったい何なのでしょう?ここで参考になるのが、このdarkness についてPaul Simon が21歳の時に語っている言葉です。
「The main thing about playing the guitar, though, was that I was able to sit by myself and play and dream. And I was always happy doing that. I used to go off in the bathroom, because the bathroom had tiles, so it was a slight echo chamber. I’d turn on the faucet so that water would run and I’d play. In the dark」
この事から考えると、この歌詞における古い友人であるdarkness というのは、人と言うよりも、外界を遮断して一人くつろげる場所のように僕は感じました。I’ve come to talk with you againですから、何度もその場所にやって来ている訳です。3行目はなぜそうするかの理由であり、a visionは夢で見た夢の内容であると理解。その見た夢に何か不穏なものを感じた主人公はdarknessに再び会いにやって来てしまったのでしょう。そして6行目に出てくるのが、この曲のタイトルであるのと同時に最大の謎でもあるthe sound of silence という言葉。前述のとおりsilence というのはa period without any sound ですから、音は存在しない世界です。となると、sound of silence は音のない世界にある音ということになって矛盾します。が、僕はこの矛盾の中にsound of silence の意味が存在していると理解しました。「矛盾」という言葉は異なる状況を論理的に描写した際に使いますが、それを心理的に描写した場合は「葛藤」という言葉に変わります。つまり、sound of silence は葛藤する自分の心であるというのが僕の結論であり、その心の葛藤から何が生まれているのかというと、それは「孤独」なのです。ここで言う孤独とは寂しさといったものではなく他人との距離感であり、だからこそwithin という言葉が使われているのではないでしょうか。
第2節も、ものすごく難解です。In restless dreams で始まっているからには、夢で見た内容を語っているのでしょう。細い石畳の通りの上を一人歩く主人公の前に街灯が現れ、その街灯の下にhalo が浮かび上がっているといった感じですかね。Halo というのは聞き慣れない単語ですが、これは後光のような光の輪のことで5節目のthe flash of a neon light につながっていくものだと僕は考えました(neon light は日本で言うところのネオンサインと同じ意味で使われていると考えた方が分かり易いです)。4行目のI turned my collar to the cold and damp を聞いて僕の頭に浮かんだのは、主人公が寝床で夢の中に出てきたhalo にうなされている様子で、そのhalo が突然、the flash of a neon light に変わってmy eyes were stabbed by the flash of a neon light that split the nigh(主人公に衝撃を与える)ことになったのではないかと推察します。なぜ衝撃を受けたのかというと、それを目にしたことで強烈な孤独を感じた(touched the sound of silence)からで、その衝撃を与えたthe flash of a neon light がいったい何であったのかが語られているのが第3節ですね。第3節1行目のthe naked light は、halo とthe flash of a neon light の延長線上にあるもの、つまり同じ根を持つ光であり、主人公が目にしたのは、多くの人々(Ten thousand people, maybe more は勿論、実際の数ではなくその比喩です)が、talking without speaking、hearing without listening、writing songs that voices never shared(話をしても誰も話を聞いてくれないし、そもそも分かり合えることもない)という光景であり、no one dared disturb the sound of silence(孤独があちこちで広がっているのに誰もそれを止めようともしない)ことに主人公は衝撃を受けたのです。第4節の最初に主人公がそんな人たちに向かってFoolsと嘆いているのはそれが理由です。第4節では、1行目You do not know から4行目のI might reach you までがひとつのフレーズであることに注意してください。You do not know silence like a cancer grows は、気付かぬうちにどんどんと広がる孤独ってもののことが君は分かっちゃいない。Hear my words that I might teach you とTake my arms that I might reach you は、それを分からせようとする主人公の努力ですね。ですが、結局、その努力が報われることはないようです。But my words, like silent raindrops, fell. And echoed in the wells of silence はそのことの描写でしょう。自分の声は誰の耳にも届かないってことの暗喩ですね。
そして最後の第5節。ここも滅茶苦茶難解です(汗)。1行目のthe people は、第3節に出てくるpeopleと同じ人たちのことなんでしょうが、なぜ彼らが跪いて祈ったのかの理由がまったく分かりません。しかも、the neon god に対してですよ。なんですか?ネオンの神って?(笑)。あくまでも僕の感覚でですが、ここまでの歌詞の中でneon light が何であるのかを考えてみた場合、それが意味しているのは主人公が夢の中で見た恐ろしい世界(現実)ということなのであろうというのが僕の結論で、the people bowed and prayed to the neon god they madeを何度も聴いているうちに僕の頭に浮かんできた情景は「人間が自ら作り出した恐ろしい現実の前で、人々が自分たちは間違っていましたと許しを請うている」みたいなものでした。4行目のIn the words that it was formingは、スイッチを入れたネオンサインに光が灯って徐々に言葉が浮かび上がってくるような様子でしょうか。そして、その現実は同時に彼らを戒めます。どう戒めたのかというと「The words of the prophets are written on the subway walls and tenement halls. And whispered in the sound of silence」とです(tenementなんて言葉を使う人は見たことないですが、これは昔、apartment と同じ意味で使われていた単語で、後にスラム街を意味するようにもなりました。hallはアメリカではcorridor と同じ意味で使われます)。僕はThe words of the prophet を神の啓示、即ち人が進むべき正しき道へのヒント(神の啓示=正しい道なんて僕はこれっぽっちも思っていませんので誤解なきようお願いします(笑)。あくまでも西洋人の目線で考えた場合のたとえですので)、the subway walls and tenement halls を身近な場所と考え、この戒めの言葉をこう理解しました。「人が進むべき道へのヒントは身近なところにある。孤独(自分)と向き合えば聞こえてくるだろう」と。
まあ、迷曲たるこの曲には当然、様々な解釈が存在してますので、僕の解釈も迷解釈のひとつとご理解ください。それでは最後に、1966年にテレビの生放送でこの曲を演奏する際、演奏に入る前に曲の紹介としてPaul Simon が聴衆に向かって語った言葉を紹介してこの回を締め括りたいと思います。
「One of the biggest hang-ups we have today is the inability of people to communicate, not only on an intellectual level, but on an emotional level as well. So you have people unable to touch other people, unable to love other people. This is a song about the inability to communicate. It’s called, “The Sound of Silence”・ 僕たちが今日抱えている大きな悩みの種のひとつは、人々のコミニケーション能力のなさです。知的な会話のレベルでだけでなく、感情表現のレベルででもそうですから、人々は他の人に触れることもできないし、他の人を愛することもできなくなってきてる。この歌はそんなコミニケーション能力のなさについてのもので、タイトルはThe Sound of Silenceと言います」
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