レオンのブログ
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『洋楽の棚』傑作選「サウンド・オブ・サイレンス」
本日お届けする曲は第53回で紹介したサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」です。この曲の歌詞も恐ろしく難解で、和訳するのに四苦八苦したことを思い出します(汗)。サウンド・オブ・サイレンスが映画「卒業」の挿入歌として使われたことは映画好きの方ならご存知のことかと思いますが、『洋楽の棚⑥』では第51回から59回まで映画音楽特集として映画にまつわる音楽を取り上げておりますので、映画ファンには是非とも読んでいただきたいです。
洋楽の棚⑥はこちら→ https://leon-no-hondana.com/?page_id=2098
【第53回】The Sound of Silence / Simon & Garfunkel (1965)
別にダスティン・ホフマンが好きだという訳ではないですけども、前回に続き今回も彼の出演した映画で使われた名曲を紹介しましょう。1967年公開の映画「The Graduate」の挿入歌、Simon & GarfunkelのThe Sound of Silence です(Graduate の意味は卒業生。なので「卒業」というこの映画に付けられた邦題は多くのそれと同じくヘンテコですね・汗)。この曲も映画の為に作詞作曲されたものではないのですが(1966年のビルボード社年間チャートで25位と映画で使われる前から既にヒットしていました)、Born to Be Wild やEverybody’s Talkin’ 同様、映画のストーリーというか、映画の主人公のキャラクターと曲の歌詞がシンクロしていると思ってしまうような曲なので、ネタバレとはなりますが、先にThe Graduateのあらすじをどうぞ。
名門大学を卒業したばかりで輝く未来が待ち受けているはずなのに、虚無感に囚われて何をしていいのか分からなくなっているダスティン・ホフマン演じる主人公ベンジャミン。その虚無感を振り払おうとするかのように父親の友人の妻であるロビンソン夫人(アン・バンクロフト)と情事を重ねる彼でしたが、ある日、ひょんなことから夫人の娘でベンジャミンの出身大学に通う女子大生エレーンとデートをすることになります(エレーン役はキャサリン・ロス←この作品での彼女はさすがに初々しくてかわいいです。そんな彼女も2年後、Butch Cassidy and the Sundance Kid に出演して大スターの仲間入りを果たしました)。自分が嫌われるように振る舞うベンジャミンでしたが、エレーンの純真さに魅かれて彼女とも付き合い始めてしまい(←そんなことありえますかね?←まあまあ、落ち着きましょう。映画ですから・笑)、そのことを知ったロビンソン夫人から、娘と別れないと情事のことを彼女にばらすと脅迫される羽目に陥って針のむしろ状態に(←自業自得です・笑)。悩み抜いたベンジャミンは夫人との情事を自らエレーンに告白するものの、当然、彼女は傷つき、ベンジャミンのもとを去るだけでなく大学も退学し、同じ大学の医学部卒の男と結婚することを決意するのですが、本当に愛しているのはエレーンであることに気付いたベンジャミンは、彼女の結婚式の当日、式場である教会に向かってエレーンの手を取り、二人で逃げるように教会を後にして、通りにやって来たバスに乗り込む(結婚式の最中に花嫁を花婿から奪うという伝説のシーンです←そんなことありえますかね←またかよ、とひとりつっこみ・笑)。というのが映画のあらすじでして、そんなちょっとクサいエンディングでバスの座席に腰掛けた二人の表情が喜びの笑みから不安のようなものに変わっていく様がスクリーンに映し出された時、この曲The Sound of Silence がバックで静かに流れ始め、観客に強い余韻を残します。
Hello darkness, my old friend
I’ve come to talk with you again
Because a vision softly creeping
Left its seeds while I was sleeping
And the vision that was planted in my brain
Still remains within the sound of silence
僕の古い友、暗闇よ、こんにちは
また君に会いにきちゃったよ
だって、幻影が優しく忍び寄ってきて
僕が眠っている間にその種をまいていったんだもの
だから、幻影が僕の頭の中に植え付けられて
残ったままなんだ、静寂の音の中にね
In restless dreams, I walked alone
Narrow streets of cobblestone
‘Neath the halo of a street lamp
I turned my collar to the cold and damp
When my eyes were stabbed by the flash of a neon light
That split the night, and touched the sound of silence
心休まらない夢の中で、僕はひとり歩いてた
丸石の敷かれた細い通りの上をね
街灯の光の輪の下で
じめじめとした寒さに僕は襟を立てたよ
そして、僕の目がネオンサインの煌きに突き刺された時
夜が裂かれ、静寂の音に触れたんだ
And in the naked light I saw
Ten thousand people, maybe more
People talking without speaking
People hearing without listening
People writing songs that voices never shared
And no one dared disturb the sound of silence
裸火の中に僕は見たんだ
一万人、いや、多分それ以上の人々が
話すことなく喋り
聴くことなく聞き
決して分かち合うことのない歌を書いていることを
誰もがあえて静寂の音を妨げようとしないんだ
“Fools,” said I, “You do not know
Silence like a cancer grows
Hear my words that I might teach you
Take my arms that I might reach you”
But my words, like silent raindrops, fell
And echoed in the wells of silence
だから「愚か者」って僕は言ったよ「君は分かってない
癌のように浸潤する静寂のことが
僕の言葉を聞いてくれ、君に教えられるかも知れない言葉を
僕の手を取ってくれ、君に届くかも知れない手を」ってね
だけどさ、僕の言葉は空から降ってきた無音の雨粒のようなもの
静寂の井戸の中でこだまするだけなんだ
And the people bowed and prayed
To the neon god they made
And the sign flashed out its warning
In the words that it was forming
And the sign said, “The words of the prophets are written on the subway walls and tenement halls
And whispered in the sound of silence”
ところが人々は頭を垂れて祈ったね
自分たちが創ったネオンサインの神にね
すると、サインが戒めの光を放ったのさ
でき始めてた言葉を使ってさ
サインは告げてたんだ「預言者の言葉は地下鉄の壁やぼろアパートの廊下に書かれてあるぞ
預言者の言葉は静寂の音の中で囁かれるものなんだ」って
The Sound of Silence Lyrics as written by Paul Simon
Lyrics © Sony/ATV Songs LLC
【解説】
物悲しげなアコースティックギターのイントロで始まり、その後に続くPaul Simon とArthur Garfunkelの優しく透明感のある歌声が印象的なこの曲、歌詞は6行5連(スタンザ)という本格的な詩の形式で書かれていて、そこに綴られているフレーズは詩的と言うよりもむしろ文学的ですね。「ということは、この曲の歌詞も難解なんですか?」と質問したくなった方、Bingo ですよ!この曲もまた、本コーナーでこれまで何度も紹介してきた「迷曲」のお仲間なんです(汗)。今回はいつものように歌詞を紐解いていく前に、この曲のタイトルの一部となっているsilence の意味を皆さんに先ず理解しておいていただきたいので、幾つかの辞書の中からsilence の定義を紹介しておきます。
- a period without any sound; complete quiet
- a state of refusing to talk about something or answer questions, or a state of not communicating
- a state of not speaking or writing or making a noise
つまり、silence とは日本語に置き換えれば静寂(場合によっては沈黙)ということになりますね。これらのsilence の定義を頭に入れた上で、歌詞を見ていくことにしましょう。1節目、Hello darkness, my old friend というフレーズで始まるこの曲の歌詞。迷曲はやはりセオリーどおり最初からぶちかましてきますね(笑)。darkness っていったい何なのでしょう?ここで参考になるのが、このdarkness についてPaul Simon が21歳の時に語っている言葉です。
「The main thing about playing the guitar, though, was that I was able to sit by myself and play and dream. And I was always happy doing that. I used to go off in the bathroom, because the bathroom had tiles, so it was a slight echo chamber. I’d turn on the faucet so that water would run and I’d play. In the dark」
この事から考えると、この歌詞における古い友人であるdarkness というのは、人と言うよりも、外界を遮断して一人くつろげる場所のように僕は感じました。I’ve come to talk with you againですから、何度もその場所にやって来ている訳です。3行目はなぜそうするかの理由であり、a visionは夢で見た夢の内容であると理解。その見た夢に何か不穏なものを感じた主人公はdarknessに再び会いにやって来てしまったのでしょう。そして6行目に出てくるのが、この曲のタイトルであるのと同時に最大の謎でもあるthe sound of silence という言葉。前述のとおりsilence というのはa period without any sound ですから、音は存在しない世界です。となると、sound of silence は音のない世界にある音ということになって矛盾します。が、僕はこの矛盾の中にsound of silence の意味が存在していると理解しました。「矛盾」という言葉は異なる状況を論理的に描写した際に使いますが、それを心理的に描写した場合は「葛藤」という言葉に変わります。つまり、sound of silence は葛藤する自分の心であるというのが僕の結論であり、その心の葛藤から何が生まれているのかというと、それは「孤独」なのです。ここで言う孤独とは寂しさといったものではなく他人との距離感であり、だからこそwithin という言葉が使われているのではないでしょうか。
第2節も、ものすごく難解です。In restless dreams で始まっているからには、夢で見た内容を語っているのでしょう。細い石畳の通りの上を一人歩く主人公の前に街灯が現れ、その街灯の下にhalo が浮かび上がっているといった感じですかね。Halo というのは聞き慣れない単語ですが、これは後光のような光の輪のことで5節目のthe flash of a neon light につながっていくものだと僕は考えました(neon light は日本で言うところのネオンサインと同じ意味で使われていると考えた方が分かり易いです)。4行目のI turned my collar to the cold and damp を聞いて僕の頭に浮かんだのは、主人公が寝床で夢の中に出てきたhalo にうなされている様子で、そのhalo が突然、the flash of a neon light に変わってmy eyes were stabbed by the flash of a neon light that split the nigh(主人公に衝撃を与える)ことになったのではないかと推察します。なぜ衝撃を受けたのかというと、それを目にしたことで強烈な孤独を感じた(touched the sound of silence)からで、その衝撃を与えたthe flash of a neon light がいったい何であったのかが語られているのが第3節ですね。第3節1行目のthe naked light は、halo とthe flash of a neon light の延長線上にあるもの、つまり同じ根を持つ光であり、主人公が目にしたのは、多くの人々(Ten thousand people, maybe more は勿論、実際の数ではなくその比喩です)が、talking without speaking、hearing without listening、writing songs that voices never shared(話をしても誰も話を聞いてくれないし、そもそも分かり合えることもない)という光景であり、no one dared disturb the sound of silence(孤独があちこちで広がっているのに誰もそれを止めようともしない)ことに主人公は衝撃を受けたのです。第4節の最初に主人公がそんな人たちに向かってFoolsと嘆いているのはそれが理由です。第4節では、1行目You do not know から4行目のI might reach you までがひとつのフレーズであることに注意してください。You do not know silence like a cancer grows は、気付かぬうちにどんどんと広がる孤独ってもののことが君は分かっちゃいない。Hear my words that I might teach you とTake my arms that I might reach you は、それを分からせようとする主人公の努力ですね。ですが、結局、その努力が報われることはないようです。But my words, like silent raindrops, fell. And echoed in the wells of silence はそのことの描写でしょう。自分の声は誰の耳にも届かないってことの暗喩ですね。
そして最後の第5節。ここも滅茶苦茶難解です(汗)。1行目のthe people は、第3節に出てくるpeopleと同じ人たちのことなんでしょうが、なぜ彼らが跪いて祈ったのかの理由がまったく分かりません。しかも、the neon god に対してですよ。なんですか?ネオンの神って?(笑)。あくまでも僕の感覚でですが、ここまでの歌詞の中でneon light が何であるのかを考えてみた場合、それが意味しているのは主人公が夢の中で見た恐ろしい世界(現実)ということなのであろうというのが僕の結論で、the people bowed and prayed to the neon god they madeを何度も聴いているうちに僕の頭に浮かんできた情景は「人間が自ら作り出した恐ろしい現実の前で、人々が自分たちは間違っていましたと許しを請うている」みたいなものでした。4行目のIn the words that it was formingは、スイッチを入れたネオンサインに光が灯って徐々に言葉が浮かび上がってくるような様子でしょうか。そして、その現実は同時に彼らを戒めます。どう戒めたのかというと「The words of the prophets are written on the subway walls and tenement halls. And whispered in the sound of silence」とです(tenementなんて言葉を使う人は見たことないですが、これは昔、apartment と同じ意味で使われていた単語で、後にスラム街を意味するようにもなりました。hallはアメリカではcorridor と同じ意味で使われます)。僕はThe words of the prophet を神の啓示、即ち人が進むべき正しき道へのヒント(神の啓示=正しい道なんて僕はこれっぽっちも思っていませんので誤解なきようお願いします(笑)。あくまでも西洋人の目線で考えた場合のたとえですので)、the subway walls and tenement halls を身近な場所と考え、この戒めの言葉をこう理解しました。「人が進むべき道へのヒントは身近なところにある。孤独(自分)と向き合えば聞こえてくるだろう」と。
まあ、迷曲たるこの曲には当然、様々な解釈が存在してますので、僕の解釈も迷解釈のひとつとご理解ください。それでは最後に、1966年にテレビの生放送でこの曲を演奏する際、演奏に入る前に曲の紹介としてPaul Simon が聴衆に向かって語った言葉を紹介してこの回を締め括りたいと思います。
「One of the biggest hang-ups we have today is the inability of people to communicate, not only on an intellectual level, but on an emotional level as well. So you have people unable to touch other people, unable to love other people. This is a song about the inability to communicate. It’s called, “The Sound of Silence”・ 僕たちが今日抱えている大きな悩みの種のひとつは、人々のコミニケーション能力のなさです。知的な会話のレベルでだけでなく、感情表現のレベルででもそうですから、人々は他の人に触れることもできないし、他の人を愛することもできなくなってきてる。この歌はそんなコミニケーション能力のなさについてのもので、タイトルはThe Sound of Silenceと言います」
本ホームぺージ内の『洋楽の棚』では100曲以上の洋楽の名曲を紹介していますので、興味のある方は覗いてみてください!
旅の棚⑥をUPしました!
今回の『旅の棚⑥』では、魅力溢れるスペイン南部のアンダルシア地方を紹介させていただきます。ギラギラとした太陽、白壁の家屋が連なる街並み、底抜けに陽気な人々、オリーブ畑、フラメンコといった、日本人がスペインの名を聞いた時に頭に思い浮かぶイメージのすべてが揃っている地、それがアンダルシア。フランコ将軍がスペインで独裁政権を敷いていた時代にはこれといった産業が無く、広大な農地も少数の大地主に支配されていた為、多くの人々が故郷を離れて出稼ぎに出ないとならない貧しい地方でしたが、時代は変わり、近年ではスペイン国内の標準を上回る成長を続ける地域となっています。そんなアンダルシアに興味を持った方は、今すぐ『旅の棚⑥』か下記URLをクリック!
我が家のクリスマス・ディナー
¡Feliz Navidad a todos! これはスペイン語で「皆さん、メリークリスマス!」の意味。Feliz Navidadのfelizがメリー(happy)、navidadがクリスマスです。ということで、今日は我が家(レオン食堂)のクリスマス・ディナーをご紹介(←どういうことだよ・笑)。物価高騰が家計を圧迫しているせいで去年くらいから我が家のクリスマスの恒例であった豪華食材投入ができなくなり、今年もスーパーで売っていた品だけで作りました。使った材料は、
・国産鶏の骨付きモモ肉2本(415円と433円)
・インドネシア産フラワーエビ小を6尾(12尾入り・299円)特売品
・メキシコ産アボガド1個(98円)普段は150円以上してますが、特売になってました。
・ほうれん草1束(98円)これも特売品。
・プチトマト(9個入り・168円)高い!普通のトマトも異常に高いです。
・卵2個(冷蔵庫内にあったものを利用)
・梨1個(夏の安い時に買ったもので、冷蔵庫に残っていたもの)
普通、水分の多いキュウリやモヤシは冷蔵庫に入れていてもすぐに腐ってきますが、梨は水分が多いのに冷蔵庫の中で保存していれば半年ぐらいは余裕で腐りません(笑)。なので、材料費は約1,500円。これに加えて糞消費税120円をむしり取られるので、合計1,620円(一人当たり約800円)。そして、この材料から作った今年のクリスマス・ディナーのメニューは以下の4品です。
① ローストチキン
酒としょうゆ、潰したニンニクをモモ肉と一緒にポリ袋に入れ、一晩漬け込んでおいたものをオーブンで焼きました。オーブンに放り込むだけなので手間いらずですが、皮目に白い部分が残ってぶよぶよしていてはおいしくないですし、かといって焼き過ぎると黒く焦げてしまいますので、皮をパリっと色良く仕上げるにはある程度のコツが必要です(そのコツは使用するオーブンによって異なってきますので、具体的なことは言えません・笑)。
② アボガドとエビのサラダ
サイコロ切りにしたアボガドと茹でた小エビを一口大にカットしたものをオーロラソースで和えました。オーロラソースはケチャップとマヨネーズを混ぜるだけでなく微量の酢、白だし少々、コンデンスミルク少々を加えるとぐっと美味しくなります。
③ ほうれん草のココット
ほうれん草を茹でた後、ニンニクと炒めて塩、胡椒で味付け。容器に詰めてココットにしました。ローストチキンを焼いた後、すぐに容器に卵を落としてオーブンに入れれば、余熱で卵を加熱できます。
④ 梨のミルクコンポート(デザート)
くし切りにした梨(早く熱が通るようにする為)を牛乳と大量の砂糖で15分ほど煮込み、冷蔵庫で冷やしたあと、食べる前にコンデンスミルクとシナモン粉をかけて完成(甘過ぎが嫌な人はコンデンスミルクは不要・笑)。
で、これが我が家のクリスマス・ディナーの実物!

皆さんには味見をしていただけませんが、いつもどおり、美味しくいただきました(自画自賛で申し訳アリマセン・汗)。ワインはスーパーで550円で売っているチリ産の「フロンテラ(カベルネ・ソーヴィニヨン)」。この値段なのに十分に美味しいです。文句のつけようがありません。逆にこのレベルのワインをこの値段で売ることができるというのが不思議なくらいです。
我が家の低予算料理の数々を本ホームぺージ内の『レオン食堂』にてご覧いただけますので、興味のある方は覗いてみてください!
レオン食堂① https://leon-no-hondana.com/?page_id=1294
レオン食堂② https://leon-no-hondana.com/?page_id=1322
パスポート
パスポートと言っても東京ディズニーランドの年間パスポートではなく、日本国のパスポートのお話です(笑)。10年前に取得していたパスポートの有効期限が切れてしまったので、新たに申請手続きをしたものを先週、受領してきました。18歳の時にパスポートを初めて取得して以来、6冊目のパスポート。今回受領したパスポートは最新型のもので、顔写真のページがICチップの入ったプラスチックの板になっていて(メインの顔写真はカラーで提出しても白黒で印刷)、署名欄の上にも小さな顔写真(傾けると誕生日が浮かび上がる特殊印刷)、その上の渡航先のぺージにも顔写真(カラー)が印刷されてありました。これなら偽造はもう不可能ですね(莫大な資金と労力を注ぎ込めば可能でしょうが、日本国の偽造パスポートの需要とリスクを考えればやっても割に合いません)。査証のぺージも昔と違って、全ページに葛飾北斎の「冨嶽三十六景」の浮世絵が印刷されてあって、欧米のパスポートではイラスト入りのページにすることが既に定番化してましたけど、日本国のパスポートもようやくといったところ。
前回のパスポート申請時もそうでしたが、現在のパスポートの所持者の署名はパスポートに印刷される為、申請時、先にその署名を申請用紙の署名欄にするのですが、その署名欄の枠がとても小さくて、しかもサインは枠内に収めないといけないので、僕のようなスペイン人風のぐちゃぐちゃの署名(スペイン人のサインを見たことがある人だけに分かる表現かと思いますけど・笑)を使っている者にとっては、署名を枠内に収めるというのは至難の業。今回もなかなかうまくサインができずに失敗を繰り返し、結局、申請用紙を30枚くらい使ってしまいました(汗)。申請用紙のあの署名の枠、もっと大きくして欲しいものです。因みに署名が印刷化される以前は、パスポートを受領する時にパスポートの署名欄に直接ボールペンでサインをするという一発勝負だったんですが、あれはあれでコワかったですけどね(笑)。
今回、10年間有効のパスポートの申請にかかった費用は16,300円(窓口申請の場合)。年収100万円で生活している僕にとっては結構な出費で、「高いなぁー」と思わずぼやいてしまいましたが、よく考えれば、僕が18歳の時(1984年)に取得した際にかかった費用は確か8,000円で(当時のパスポートは5年間有効のものしかありませんでした)、その頃の大阪府の最低賃金が450円。なので、パスポートを取得するには約18時間、働かないといけなかった訳ですが、現在、5年間有効のパスポート取得にかかる費用は11,300円で、最低賃金は1,177円。つまり、11,300円を捻出するには約10時間、働けば良いので、考え方によっては1984年当時よりかは現在の方が安くで取得できるとも言えます。しかし、何よりもショックだったのは、僕がパスポートを受領しに行ったその日に「来年の夏頃を目途にパスポートを10年間有効のものに統一し、取得費用も9,000円程度に値下げする」というニュースが流れていたこと。「おいおい、そんなこと、もっと早くにしてくれよぉー」って感じです(涙)。
『洋楽の棚』傑作選「ジャングルランド」
今日お届けするのは第30回で紹介したブルース・スプリングスティーンの「ジャングルランド」です。彼の曲の歌詞はストレートな表現のものが多くて比較的分かり易いですけども、この「ジャングルランド」だけは別。暗喩が多くて超難解なんです。しかも、歌詞が叙事詩の如く長いので(つまり、曲自体も長い)、僕の解説も滅茶苦茶長くなってしまった回でした。皆さんに最後まで読んでいただけると良いですが(笑)。
【第30回】Jungleland / Bruce Springsteen (1975)
早いものでこのコーナーも30回目に突入。今回は第30回記念として、僕のお気に入りのアーティストの一人であるBruce Springsteen(ブルース・スプリングスティーン)の曲を紹介することにしました。彼の数ある曲の中から僕が選んだのは、1975年にリリースされた彼の3枚目のアルバムBorn to Run に収録されているJungleland という曲です。この曲はアルバムのリリース後、音楽業界で高く評価されることになった曲なのですが、シングルカットされることはありませんでした。なぜなら、演奏時間が9分半というとても長い曲だからなのです。当時、シングル曲を販売する為に使われていたドーナッツ盤に音質を落とさず収録できるのは45回転で6分程度が限度とされていましたから、シングルカットされていないと言うよりも、シングルカットできなかったんですね(笑)。余談ですが、どうしてドーナッツ盤みたいな利用範囲の狭いレコードが生まれたのかと言うと、ジュークボックス(若い方はご存知ないかもですが、ジュークボックスは有料でレコードの音楽を聴くことができるアナログな機械で、小銭を投入して曲の選択ボタンを押したらその曲を収録したレコードが自動的にかかるようになっていました)で再生する為だけに設計製造されたからだそうです。ドーナッツ盤の中央の穴が大きいのは、機械のアームがレコードをつかみ易くする為だったんですね。そう言えば、昔はドーナッツ盤を聴く際、穴が大きいのでレコード・プレーヤーにプラスチックのアダプターみたいなのをセットして再生していたことを思い出します。「あぁー、そうだった、そうだった。懐かしーい」なんて思うのは年配の人間だけですが(笑)。このJungleland という曲、長いだけでなく、その歌詞が難解であることでも名を馳せていまして、今回の解説は、記念回に相応しい大作となりそうな気配です…(汗)。
The Rangers had a homecoming
In Harlem late last night
And the Magic Rat drove his sleek machine
Over the Jersey state line
Barefoot girl sitting on the hood of a Dodge
Drinking warm beer in the soft summer rain
The Rat pulls into town, rolls up his pants
Together they take a stab at romance
And disappear down Flamingo Lane
レンジャースが顔を出したんだぜ
昨日の夜遅く、ハーレムであった会合にね
マジック・ラットが奴の愛車を飛ばしたのは翌朝のことさ
州境を超えてニュージャージーへ向かったんだ
裸足の彼女はダッジのボンネットの上に腰掛けてたよ
そぼ降る夏の雨の中、生温かいビールを飲みながらね
川向こうの街に入ったラットは、ズボンの裾をまくり上げ
女とのロマンスにしけこんだね
そして、フラミンゴ通りの彼方に消えようとしたのさ
Well, the maximum lawman run down Flamingo
Chasing the Rat and the barefoot girl
And the kids ‘round here look just like shadows
Always quiet, holding hands
From the churches to the jails
Tonight all is silence in the world
As we take our stand
Down in Jungleland
ところがその時、ポリ公の車がフラミンゴ通りを駆け始めたんだよな
ラットと裸足のガールフレンドが乗った車を追いかけてね
なのに、この辺りのガキどもはみんな影みたいで
いつも静かに手を取り合ってる
教会からムショに至るまで
今夜、この世界のすべてが静寂に包まれるよ
俺たちが事を構えるからにはね
このジャングルランドで
Well, the midnight gangs assembled
And picked a rendezvous for the night
They’ll meet ‘neath that giant Exxon sign
That brings this fair city light
Man, there’s an opera out on the turnpike
There’s a ballet being fought out in the alley
Until the local cops’ cherry top
Rips this holy night
真夜中のギャング仲間たちが集まり
今夜の待ち合わせ場所を決めたんだってよ
連中、あのでかいエクソンの看板の下に集合するってさ
この巨大な街を照らす看板のね
ハイウェイの出口ではオペラが催され
裏通りでは力任せのバレエの公演さ
地元のポリ公のパトカーの赤色灯が
聖なる夜を切り裂くまではね
The street’s alive as secret debts are paid
Contact’s made, they vanished unseen
Kids flash guitars just like switch-blades
Hustling for the record machine
The hungry and the hunted
Explode into rock’n’roll bands
That faced off against each other out in the street
Down in Jungleland
こっそりと金をやり取りすることで通りは活気づき
顔を突き合わせては、皆その姿を消していくけど
飛び出しナイフみたいに通りに出てギターを鳴らすガキどもだっているんだ
夢を追ってがむしゃらにね
飢えた者たちと追われる者たちが
ロックンロールのバンドに大変身するのさ
互いがいがみ合うこの街の通りでだよ
このジャングルランドの
In the parking lot the visionaries dress in the latest rage
Inside the backstreet girls are dancing to the records that the DJ plays
Lonely-hearted lovers struggle in dark corners
Desperate as the night moves on
Just one look and a whisper, and they’re gone
駐車場では目敏い連中が流行りの服に身を包み
裏通りでは女どもがDJのかけるレコードの音に合わせて踊り
孤独な恋人たちは暗闇の中の片隅でもがいてる
夜が更けるごとに絶望し
一目見て囁き、そして消えて行く
Beneath the city, two hearts beat
Soul engines running through a night so tender
In a bedroom locked in whispers
Of soft refusal and then surrender
In the tunnels uptown, the Rat’s own dream guns him down
As shots echo down them hallways in the night
No one watches when the ambulance pulls away
Or as the girl shuts out the bedroom light
そんな街で二人の鼓動は高鳴り
魂の鼓動も優しく夜を駆け抜ける
ベッドルームで女は囁き
じらしはしたけど、無駄な抵抗だった
アップタウンの地下道でラットの夢が撃ち砕かれたのはそのあとのこと
真夜中の通路に銃声がこだましたんだ
奴が救急車で運ばれて行く姿も
女がベッドルームの灯りを消すのも見た者はいないけどさ
Outside the street’s on fire in a real death waltz
Between what’s flesh and what’s fantasy
And the poets down here don’t write nothing at all
They just stand back and let it all be
And in the quick of the night
They reach for their moment and try to make an honest stand
But they wind up wounded, not even dead
Tonight in Jungleland
外では街の通りが燃え上がってる、死のワルツという炎でね
何が現実で何が幻想かってことの間で揺れ動いてる炎さ
でも、ここの詩人たちはまったく何も書こうとはしない
ただ後ずさりして、成り行きに身を任せるだけなんだ
やがて、夜の痛みの中で各々が
目の前の現実に手を伸ばし、何かをしなきゃって口にはするんだけど
それだけじゃあ、傷つきはしても、死にやしない
それが今宵のジャングルランドなのさ
Jungleland Lyrics as written by Bruce Springsteen
Lyrics © Sony/ATV Music Publishing LLC
【解説】
Jungleland の歌詞、如何でしたか?長いですよね、長過ぎです(汗)。でもこの曲、最初から最後まで聴く者を飽きさせることなく聴かせ続けるというとんでもないことをやってのける名曲なんですよ。「嘘だぁー、10分も続く曲なんて、ダレるだけでしょ」なんて風に思う方は、騙されたと思って是非とも一度聴いてみてくださいね。この曲の歌詞の英語、複雑な構文や難しい単語はほとんど使われてはいませんが、冒頭でも触れたとおり、歌詞の内容を理解しようとすると非常にやっかいな相手となります。暗喩が多く、ネイティブ話者であっても滅茶苦茶な解釈をしてる人が数多くいるくらいに難解ですので、そんなおかしな解釈にならぬよう、気合を入れて歌詞を見ていくことにしましょう。
先ず1節目ですが、のっけからぶちかましてきます。「はぁ?The Rangers!?」それっていったい何のことなんでしょう。ネイティブ話者もそれが何なのかと悩むようで、ベトナムの戦場から戻った帰還兵だとか、ホッケーチームの名前だとか、法執行機関の比喩だとか様々な意見が飛び交っていますが、僕の中ではThe Rangers はギャングのグループ名であるという結論以外ありませんでした。なぜその結論に至ったのかを分かっていただく為には、当時のニューヨークのギャング事情を知っておいてもらう必要があります。1970年代のニューヨークというのは、小規模な不良集団が割拠するストリート・ギャングの全盛期とも呼べる時代で、マンハッタンだけでも300に近いグループが活動し、縄張り争いを繰り広げていたと言われています。縄張り争いと言っても、マフィアや日本の暴力団のように自らの金銭的利益を得る為の領域争いではなく、自らが支配する領域ではよそ者に勝手なことはさせないというプライドのようなものから出てくる縄張り争いであって、彼らにとって最も価値を持つのは富ではなく、自らの縄張りを守り、そして同時に、縄張りを広げることで自らの力を誇示するということだったのです。実際、ギャングたちが金銭を重視していなかったのは事実で、麻薬の取引で手っ取り早く稼ぐといった者もほとんどいないばかりか、逆にギャングたちにとって麻薬は嫌悪の対象ですらありました。しかし、その半面、力による縄張り争いは熾烈を極めるもので、ギャングが多く暮らすハーレムやブロンクスでは抗争による殺人事件は日常茶飯事(年間1000件のペースで殺人事件が発生していたようで、超危険地帯であったハーレムやブロンクスに住人以外の者が近づくことはありませんでした)であった為、無用な殺し合いを防ぐ為の平和協定を結ぶべくギャングたちの代表がしばしば集って会合を開いていたくらいでした。僕の中でピンときたはこの会合でして、The Rangers had a homecoming のhomecoming は、そういった会合のことではないのかと思ったのです(アメリカ英語では、年に一度の同窓会や学園祭といった人が集まる意味で使われることがあります)。このフレーズの響きからは、どうしてもThe Rangers が街へ戻ってきたというイメージを抱いてしまいがちですが、The Rangers のリーダーがハーレムで夜遅く行われた平和協定を結ぶ為の会合に顔を出したと受け止めれば、この後に出てくるthe Magic Rat こそがThe Rangers のリーダーということになり、話の辻褄がすべて合います。以上のようなことを総合してみた結果、The Rangers がギャングのグループ名であるという結論に至りました。
3行目のsleek machine という言葉から目に浮かぶのは、ギャングが好みそうな車、ピカピカのアルミホイールを装着したマスタングみたいな中古のマッスルカーで、恐らくMagic Rat(以下、ラットと記します)は、当時のマンハッタンではまだ多数派であったプエルトリコ系のギャングでしょう。そんな車に乗ったラットはハドソン川の向こう側のニュージャージーへと向かって走っている訳ですが、その理由が語られているのが、5行目以降の歌詞です。ラットの目的地はハドソン川を超えた対岸のニュージャージー州のどこかにある美しいビーチ、そこでデートの待ち合わせをしていると思われます。車のボンネットに腰掛けてビールを飲みながらビーチで待っているのはラットの彼女Barefoot girl(ビーチでは普通、裸足になりますね・笑)。車はDodge としか書かれていませんので車種は分かりませんが、ギャングのリーダーの彼女となるような女性ですから、ラットと同じようにDodge のチャージャーみたいなマッスルカーに乗っているのかもしれません。The Rat pulls into town, rolls up his pantsからは、ビーチに着いたラットが車を止めた後、ズボンの裾を捲り上げ、彼女のところまでビーチの砂の上を裸足で駆けて行く光景が目に浮かびます。9行目のFlamingo Laneは架空の通りの名前で、ニュージャージー州アズベリーパーク(ブルース・スプリングスティーンがデビュー前、音楽活動をしていた街です)にかつて存在したFlamingo Motelという宿泊施設が通りのモデルではないかとも言われています。ニュージャージー州にFlamingo Laneという名の通りが存在するのか調べてみましたが、どこにも見当たりませんでしたので、架空の通りであることは間違いなさそうです(ニューヨーク州には同名の通りがありましたが、とても短い通りで、ビーチの傍にある訳でもないので該当しませんね)。
第2節1行目のlawman とは、法執行者のこと、つまりは警察の人間です。わざわざmaximum を付けているのは、lawman を単なる法執行者としてではなく、権力の象徴として強調しているのかもしれません。3行目のAnd the kids ‘round here look just like shadows, Always quiet, holding hands は、なぜにここでkidsが唐突に出てくるのか良く分かりませんが、パトカーに追われるラットを目にしてもおとなしくしているだけ(権威、権力に無抵抗な)の若者たちの無気力を嘆いていると僕は理解しました。そのことが5行目以降の歌詞につながっていて、最後の4行を聴くと、俺たちはそうじゃないと言っているようにも思えます。なぜなら、その夜、彼らはJungleland でwe take our stand する気だからです。take one’s stand は持ち場につくといった意味で用いられますが、僕は敵対するギャングたちに対する宣戦布告であると考えました。恐らく、前夜の平和協定の会合の場で話し合いが決裂したのでしょう。From the churches to the jails, Tonight all is silence in the world と言っているように、おまえたちがそういう態度を取るのなら、力で黙らせてやるという訳です。
さて、ここでようやくJungleland という言葉が出てきました。いったい、このJungleland ってのは何のことなのでしょう?ここまでの歌詞を聴いただけでは、Jungleland が何なのかはまだ漠然としたイメージしか湧いてきませんが、曲を最後まで聴いて至った結論は、社会の底辺で生きる者たちの多くが、特に若者たちが、その底辺から抜け出せないでいる大都市(歌詞にニューヨークの名は出てきませんが、この曲の舞台がニューヨーク市であることは明白です)の現実を、右も左も分からぬままに出口を探してさ迷い歩くものの、決して出口にはたどりつけないという深い密林に覆われたジャングルに重ね合わせているのだろうということでした。この曲の中でのJungleland は、そういった現実が放置されたままでいる世界(社会)を表す代替語と考えて良いのではないかと思います。因みにブルース・スプリングスティーン本人は、アズベリーパークにあった「Palace」という遊園地(貧しい人々が束の間の息抜きをできる場所だったようです)がいつの間にか、ティーンエイジャーが喧嘩をしたり暴力を振るう場所に変わってしまっている姿を目にしたことにインスパイアーされてJungleland の歌詞を書いたと雑誌のインタビューに対して語っています。そのことから考えると、Jungleland の歌詞の原点は、かつての楽園が今や荒野という状況に陥っていたPalace にアメリカン・ドリームの崩壊を重ね合わせたことにあるとも言えそうです。
第3節で描写されているのは、宣戦布告したラットたちが敵対するギャングのもとへと向かう様子でしょう。3行目のthat giant Exxon sign は、これもまたアズベリーパークに関係していて、当時のアズベリーパークの街には住民の誰もが知る巨大な「Exxon(ガソリンスタンドの大手です)」の看板があったそうで、一言告げるだけで誰にでも分かる場所は集合場所としては最適ですよね。4行目のfair city はfair sized cityのことであり、3行目のgiant と対になっていると理解しましたが、もちろんここのfair は反語であって、街に対する皮肉が込められているのだと思います(不公平unfair な街ということです)。5行目のMan, there’s an opera out on the turnpike とそれに続くThere’s a ballet being fought out in the alley は、詩的な表現で超難解。turnpike は高速道路の料金所のことですが、ニュージャージにはNew Jersey Turnpike という名称の有料道路がありますので、ここのturnpike はその道路を指しているのだと思います。there’s an opera out on the turnpike を聴いて僕の目に浮かんだのは、派手な車に乗って高速道路から続々と下りてきて終結するギャングたちの様子(それをオペラと比喩しているのでしょう)、a ballet being fought out in the alleyは、裏通りで繰り広げられる血の応酬(それをバレエと比喩)でした。7行目のcherry top は日本でも今は見かけませんが、昔のパトカーのルーフに取り付けられていた単灯式の赤色灯のことで(アメリカのパトカーもかつてはそうでした)、その夜、警察が介入、もしくは追ってくるまでは、血で血を洗う暴力が続くのだということです。
続く4節目も相当に難解ですが、ここで描かれているのは抗争が開始される前の街の様子だと推測しました。The street’s alive as secret debts are paid とContact’s made, they vanished unseenは、通りで公然と行われている麻薬の売買をギャングたちが苦々しく思っている様子なのでしょう。前述したように、この当時のギャングたちにとって麻薬は嫌悪の対象でしたが、この頃より麻薬の売買で手っ取り早く金を得ようとする若者たちが急増するようになっていました。ですが、その一方ではKids flash guitars just like switch-blades, Hustling for the record machine のように、音楽の世界(音楽だけとは限りませんが)で成功することで社会の底辺から脱出しようとする若者たちもいるということが示されています。言い換えれば、それくらいしか抜け出す手段がなかったのでしょう。the record machine は、レコードプレーヤーといった機械類のことではなく、機械のようになってしまった音楽業界(金儲けの為だけに大量生産を繰り返している)のことを指しているものと理解しました。Explode into rock’n’roll bands that faced off against each other out in the street は「互いが殺し合うこんな糞みたいな街であっても、音楽で身を立てようとするような若者はいるんだぜ」ってな感じでしょうか。
第5節から僕が受けたインプレッションは、戦いが始まる前の束の間の静けさです。1行目から3行目で語られているのはごく普通の若者たちの姿であり、この節の趣旨は、ギャングたちもかつては普通の若者だったが、時が流れるごとに絶望だけが残り(なぜなら、社会の底辺から抜けだせないから)今はこうなって(ギャングになって)しまったということではないかと考えました。そして、この後、その夜の静けさの中で、今や伝説となったClarence Clemons のテナー・サックスの哀愁を帯びた音色が2分以上に渡って鳴り響きます。何千回聴いても、今聴いても尚、体が震えてくる魂の叫びです。6節目は、街で彼女(例のBarefoot girl なのか、別の愛人なのかは分かりませんが)と落ち合ったラットが、二人で彼女の部屋かホテルの部屋にしけこんでいる様子であろうと推察しました。ラットは既に、女と愛し合うのもこれが最後になるかもしれないという運命を覚悟していたのかもしれません。Whispers of soft refusal「だめぇ、だめぇ、今夜はそんな気になれないの」の類でしょう。ですが女は結局、surrenderします。そして、女とことを終えたラットは戦いの舞台へと向かいますが、彼を待ち受けていたのは地下道に響く銃声でした。the tunnels uptown は、最初はニューヨークとニュージャージーを結ぶLincoln Tunnelのことだと考えましたが、Lincoln Tunnel があるのはMid Town ですし、tunnels と複数形になっていることから、ここに記されているthe tunnels はsubway(pedestrian tunnel とも呼ばれます)の類であろうというのが僕の結論です。そう考えると、敵対ギャングに追われて地下道に逃げ込んだラットが、背後から銃撃を受けているような光景が目に浮かんできますね。No one watches when the ambulance pulls away, Or as the girl shuts out the bedroom light は、ラットが誰に気付かれることもなく(彼女さえ)ひっそりと(憐れに)死んでいった、つまり、一人のギャングの死など誰も気にとめもしないということの比喩なのでしょう。
最後の節でも尚、難解な歌詞が続きます。Outside the street’s on fire in a real death waltz between what’s flesh and what’s fantasy という詩的なフレーズからは、ラットたちが仕掛けた抗争で街が大混乱に陥っている様子が窺えます。そこらじゅうの通りに死体が転がっていて「これって現実?映画の世界じゃないの?」っていう感じでしょうか。And the poets down here don’t write nothing at all, They just stand back and let it all be は、そんな状況にも拘らず、街の人々(特に若者たち)は何の行動も起こそうとしないし、現実に目を背けるだけだということなのだと思います。And in the quick of the night, They reach for their moment and try to make an honest stand, But they wind up wounded, not even deaは、この曲を聴くものに突き付けられる最後の難問で、やがて事の重大さに気付き始めた若者たちが、何かを変える必要があるんじゃないかと自問をするものの、結局はうわべだけで終わる(not even dead何かを変えようとする為の死ぬ気の覚悟がない)ということではないかと僕は考えました。それがJungleland の現実なのです。
ふぅー、やはり予想どおりの長い解説になってしまいましたね(汗)。最後までお付き合い頂きまして誠にありがとうございました。このJungleland という曲が、社会の底辺に生まれ、暮らし、そして、そこから抜け出せないでいる行き場のない若者たちを主人公にした一種の叙事詩であることを分かってもらえたとしたら、解説を書いた甲斐もあったというものです。この曲がリリースされたのは1975年、良く考えれば、それから50年近くもの年月が過ぎ去っています。一般市民が近づくことなどあり得なかったハーレムでさえ、今や再開発が進んで富裕層が暮らすようになっているように、時代はすっかり変わってしまいました。ですが、アメリカ人の若者も含め、今の若い人たちがこの曲を聴いても、随分と昔に僕らの世代がこの曲を初めて聴いた時と同じ気持ちで受け止めることができるのではないかと僕は思っています。なぜなら、中高生といった若い人たちの自殺という悲しいニュースを聞かない年は無いという事実が存在するように、行き場を失い絶望する若者たちの姿は、残念ながら今も尚この世から消えてはいないからです。
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