
洋楽の棚の冒頭でも書きましたが、僕がまだ中高生だった頃の夜の楽しみのひとつに、名物解説者がその日の映画の見どころを紹介して始まる「日曜洋画劇場」とか「水曜ロードショー」といったテレビ番組で放映される洋画を見るというものがありました。CMの放映時間を含めた2時間の放送枠に収める為に映画の本編がカットされまくっているわ、日本語吹替しか無いわで、今思えば、随分と酷い作品を見せられていたのですが、家のテレビで映画を無料で見られることはとてもありがたかったし、おかげで映画好きにもなりました。
と言っても、当時テレビで放映されていた映画というのは、その多くが娯楽映画と呼ばれるもので、僕が「これぞ映画だ」と思えるような作品に出会ったのは、後に訪れるレンタルビデオ全盛期に様々な映画をビデオで鑑賞できるようになってからのこと。しかも、その多くがモノクロ作品でした。この棚では、そんな「古いけど一見の価値あり」という映画を中心に紹介していきたいと思います。各映画の解説は【ストーリー】と【四方山話】に分けてあり、ストーリーでは映画の概要を記し(ネタバレは避けてありますので、鑑賞前でも安心して読んでいただけます)、四方山話ではその作品の出演者や舞台に関するエピソード、鑑賞前に得ておきたい予備知識などを書き留めましたので、皆さんが鑑賞する映画を選ぶ際の参考にでもなれば嬉しいです。こちらもネタバレはできるだけしないようにしてありますが、解説上、せざるを得ない場合は映画の結末にも触れていますので、予めご承知おきください。
時が流れ時代が変わっても、僕の映画好きは変わらずで、つい数年前までは、BSのDlifeチャンネルとかインターネット配信のGyaoで無料の映画や海外ドラマを大いに楽しんでいたのですが(ノーカットだし原語で放送されるので最高でした)、どちらのサービスも相次いで廃止されてしまい、年収100万円で暮らしている僕にとっては、お金のかからない唯一の楽しみが無くなってしまって大変辛いです(涙)。スカパーさんかWOWWOWさん、僕に番組を無料視聴させてくれませんかね?いい作品を見つけたら、随時この棚で紹介いたしますので…。
第1回 灰とダイヤモンド
原題:Popiół i diament
公開年/製作国/本編上映時間:1958年/ポーランド/103分
監督:Andrzej Wajda(アンジェイ・ワイダ)
主な出演者:Zbigniew Cybulski(ズビグニエフ・チブルスキー)、Adam Pawlikowski(アダム・パヴリコフスキー)、Ewa
Krzyżewska(エヴァ・クジイジェフスカ)、Bogumił Kobiela(ボグミール・コビェラ)
【ストーリー】
舞台はナチス・ドイツが無条件降伏した直後のポーランドの地方都市オストロビエツ(Ostrowiec)。ソ連赤軍によって前年にナチスの支配から解放されていたポーランドでは、その後、親ソ連派の共産主義勢力が権力を握り、戦前のポーランド政府の正統な継承者であるロンドン亡命政府派の活動家たちは地下に潜って親ソ連派に対する武装闘争を続けていた。そんな中、亡命政府派に属する国内軍(AK)の末端兵士である主人公のマチェックは、仲間のアンジェイ(アダム・パヴリコフスキー)と共に地区の指導者である親ソ連派の要人シュチューカの暗殺を上層部から命じられて実行するものの、暗殺対象を誤認し、別人であるセメント工場の労働者たちを殺めてしまう。無垢な人間を二人も手にかけたことに気付き、自らの信念と行動に疑念を抱き始めるマチェック。そんな時、宿泊先のホテルでバーのカウンターで働くクリスティーナ(エヴァ・クジイジェフスカ)と知り合い恋に落ちたマチェックの心は平穏な暮らしを求めて揺れ動くが、無情にも彼に下った命令はシュチューカ暗殺の再実行であった。
【四方山話】
この作品を鑑賞する前に先ず知っておきたいのがポーランドの歴史。ロシアとドイツという大国に挟まれているポーランドという国は、建国時から周囲の大国の利害関係に翻弄されてきただけでなく、国名が地図上から消えていた時期さえあるほどです。そんな歴史の中でポーランド人の中に培われてきたのが、侵略者や権力者に対する粘り強く抵抗する精神でした。つまり、ポーランドの歴史というのは、抵抗の歴史であったと言っても過言ではなく、その中でも取り分け現代のポーランド人の記憶に刻み込まれているのが、1944年8月に起こった「ワルシャワ蜂起」と呼ばれる首都を占領していたドイツ軍に対する国内軍(Armia
Krajowa、通称AK)の武装蜂起です。一時はモスクワ近郊まで進撃したものの、その後は撤退を続ける一方となったドイツ軍を追撃してワルシャワまで10キロに迫ったソ連赤軍からの呼びかけに応じて叛乱を実行に移したAK
でしたが、ソ連赤軍は彼らとの約束を破ってワルシャワ市内を流れるヴィスワ川の手前で進撃を止め、AK の蜂起に加勢することはありませんでした。その理由は、ロンドン亡命政府派の指揮下にあるAK
を自らの手を汚さずドイツ軍によって始末させ、親ソ連派を優位に立たせるという一石二鳥をソ連の指導部が画策したからだとされています(実際、そのとおりになりました)。
頼みの綱であったソ連赤軍の援軍がやって来ず、ドイツ軍に追い詰められたAK の兵士たちは、裏切ったソ連への恨みを募らせながらワルシャワの地下に張り巡らされた下水道に逃げ込んだものの、その多くはドイツ軍の執拗な掃討によって戦死し、下水道を伝ってかろうじて脱出に成功した一部の兵士たちだけがワルシャワ郊外の森の中へと逃れました(因みに、このワルシャワ蜂起を描いた作品が、同じくアンジェイ・ワイダの手による名作「地下水道(原題:Kanał)」です)。この映画の主人公マチェックは、蜂起が失敗した後、脱出に成功したそんな兵士の一人であり、彼らが親ソ連派の人間の命を執拗に狙う理由も、そういった経緯の延長線上にあります。ワルシャワ蜂起によって亡くなった市民は15万とも25万とも言われ、ドイツ軍の懲罰的な激しい砲撃でワルシャワの旧市街は瓦礫の山になったのですが、戦後、生き残った市民たちがその復興に力を尽くし、戦前に撮影された写真などを参考にして壁のひびまで再現したと言われるほどに旧市街を破壊前の完璧な姿に戻しました。
この作品には幾つもの名場面がある、と言うか、名場面の連続なんですけども、僕の中ではラストシーンを除いて3カ所、特に印象に残っているシーンがあります。一つめは13分過ぎ、ドイツの降伏を祝う祝賀会が催されているホテルのバーのカウンターでマチェックとアンジェイが、女給のクリスティーナ(エヴァ・クジイジェフスカ)にウォッカを頼むシーン。クリスティーナがグラスにウォッカを注ごうとするとマチェックがそのグラスを動かして何度も邪魔をし、最後に懐から取り出したホーローのマグカップにウォッカをなみなみと注がせるシーン。僕は二人の演技が冴えるこのシーンがとても気に入り、若かりし頃、旅行中は常にマグカップを持ち歩いていました。因みに、このあとクリスティーナと意気投合したマチェックは彼女と結ばれ、青春の最中に戦いしか知らなかった彼の中で、戦いを続けるべきなのか彼女との平穏な暮らしを取るべきなのかという葛藤に苛まれることになります。
二つめは37分過ぎ、祝賀会の最中に蒸留酒の注がれた幾つもの小さなグラスをバーのカウンター見つけたマチェックがグラスの中の酒の匂いを嗅いだあと、どこか懐かしいといった表情を浮かべた彼がアンジェイにも匂いを嗅がせて「思い出せ」と迫るのですが、「思い出せない」ととぼけるアンジェイを見て怒ったようにマッチの炎でグラスの中の酒に次々と火を点け始め、酒から炎が舞い上がる度にその炎を目にしたアンジェイが「ハネチカ、ヴィルガ、コソブツキ、ハルゥデ、カイテク」と戦死した友人たちの名を淡々と呟いていくシーンです。ラストシーンと同じくらい有名なこの場面、マチェックが酒の匂いを嗅いでいたことからグラスの中の液体は、恐らくジュブル(バイソン・グラス)という香草で香り付けされたヴトゥカ・ジュブルフカ(日本で言うところの「ズブロッカ」)という設定であったのだろうと思うのですが、あのグラスから立ち上る炎を見る限り、実際にグラスの中に入っていたのはアルコール度数96度(エタノール同然)の酒「スピリタス」だったのかも知れませんね。余談ですが、このシーンのバックで流れている祝賀会の女性歌手が歌う曲は「Czerwone
maki na Monte Cassino(モンテ・カシーノの赤いケシ)」というポーランドの軍歌。なぜに、イタリアにあるモンテ・カシーノがポーランドと関係あるのかと言うと、モンテ・カシーノは第二次世界大戦中、ドイツ軍が要塞化していた戦略上の重要拠点で、この要塞を攻略する為に連合国軍は多大な血を流すことになったんですが、その際にドイツに敗北した後も国外へ脱出して連合国軍に加わっていたポーランド人部隊(第2ポーランド軍団)が多大な貢献をしたからです。ドイツ軍を駆逐したモンテ・カシーノの頂上に最初にたなびいたのも、ポーランド人兵士が立てた紅白のポーランド国旗でした。つまり、モンテ・カシーノ攻略作戦におけるポーランド人兵士の勇気と活躍を歌った曲が「モンテ・カシーノの赤いケシ」なんです。
そして最後の三つめは1時間9分過ぎ、「あと半時間、俺と一緒にいてくれ」とせがむマチェックとそれに応じたクリスティーナの二人がホテルの外へ出かけるも、雨が強く降り始め、雨宿りをしようと駆け込んだ崩れかけの教会の中でクリスティーナが壁に刻まれていたノルヴィット(Cyprian
Kamil Norwid)の詩を読み上げるというシーンです。以下にその詩の原文を記しますが、日本語訳は参考程度のものとご理解ください。
Coraz to z ciebie, jako z drzazgi smolnej, / 君は何度も燃え上がる火の粉
Wokoło lecą szmaty zapalone. / 燃えさかる炎があちこちに飛び散る
Gorejąc, nie wiesz, czy stawasz się wolny, / 自由を得るのかも分からず燃え続ける
Czy to, co twoje, ma być zatracone. / が、大切なものすべてを失うのかも知れない
Czy popiół tylko zostanie i zamęt, / 残るのは灰と混沌だけ
Co idzie w przepaść z burzą, czy zostanie / 君は空虚な中に投げ出されるのか?それとも
クリスティーナは壁に刻まれた文字を指先でなぞりながらここまで読み上げますが、刻まれた文字が薄くなってきた為に「字がぼやけてて読めないわ」と言って読むのを止めます。すると、マチェックがクリスティーナにマッチを投げて渡し、彼女はマッチを擦って火を灯そうとするのですけども、その前にマチェックが「それはノルヴィットだ」と言って、詩の続きを暗唱し始めます。
Na dnie popiołu gwieździsty dyjament. / 灰の下でダイヤモンドになるのか
Wiekuistego zwycięstwa zaranie. / 永遠の勝利の最初の夜明けに
まさしく、この詩はマチェックの生き様に対する問いかけとなっており(そもそも、この詩は1830年、帝政ロシアに対してワルシャワで蜂起した若者たちに捧げられたものだとされています)、同時に観客がこの映画のラストシーンのマチェックの姿を見た時の観客への問いかけ、スクリーンにアップで映し出されるマチェックの姿が灰の中のダイヤモンドのように輝いているのかという問いかけへとつながるようになっています。観客はここのシーンを見てようやく作品のタイトルがなぜに「灰とダイヤモンド(Popiół
idiament)」であるのかを知る訳ですが、この映画の原作になったイェジ・アンジェイェフスキー(Jerzy Andrzejewski)の小説、実は最初に出版された時のオリジナルのタイトルは「終戦直後(Zaras
po wojnie)」という平凡なものだったそう。タイトルを変えて大正解でしたね(笑)。
この映画では、オストロビエツというワルシャワから南へ約150キロに位置する街が舞台という設定になっていることは既に冒頭で触れましたが、実のところ、撮影が行われたのは首都のワルシャワとドイツ国境に近い古都ヴロツワフ(Wrocław)で、オストロビエツでロケはされていません。なので、劇中に登場するオストロビエツのモノポール・ホテルのバーやレストランなんかは、ワルシャワのスタジオでセットを組んで撮影したそうです。次に出演者に目を向けてみますと、やはり、一番の注目はマチェック役を見事に演じきったズビグニエフ・チブルスキー(アンジェイ役のアダム・パヴリコフスキーのシブい演技も素晴らしいのですが、チブルスキーばかりが脚光を浴びてちょっと気の毒)。チブルスキーは1927年にグニャジェ(Kniaże、現在はウクライナ領)生まれ。グニャジェのあるポクチェ地方(Pokuciu)は当時、住民の大部分がウクライナ人でありながらも土地のほとんどをポーランド人貴族が所有しているという地域であったことから、そこで生まれたチブルスキーの先祖も名門貴族で、ポーランドが共産主義下の人民共和国であった時代に国家評議会議長、後にポーランド共和国の初代大統領を務めたヴォイチェフ・ヤルゼルスキーはチブルスキーの遠縁にあたるそうです。その風貌や演技スタイルからポーランドのジェームズ・ディーンと呼ばれることが多いチブルスキー。ですが、彼の顔立ちはハンサムと言うよりは個性的で、演技もちょいとオーバーアクション気味。ディーンと似ている部分はウェリントン・フレームの眼鏡をかけていることと事故で亡くなったということくらいではないでしょうか。まあ、事故死と言っても、ディーンが愛車のポルシェを運転中に交通事故死したのに対し、チブルスキーはヴロツワフの中央駅で走り出した急行列車に飛び乗ろうとして失敗したことによる事故死。客車のステップとホームの石段に挟まれて重症を負って病院に担ぎ込まれたものの、そのまま帰らぬ人になっています。享年39歳(ちょっと恰好悪い死に方ですね・汗)。「灰とダイヤモンド」を撮影した時のチブルスキーは30歳で、ウェリントン・フレームのサングラスに米軍の戦闘服風の上着とジーンズという姿がとても印象的でしたけど、それらの衣装は彼の提案によって採用されたものだそう。でも、1945年のポーランドにあのようなサングラスや細身のジーンズがあったのかは少し疑問なんですよね。あのスタイルは完全に50年代に入ってから世に現れたものでしょう。因みに、ジーンズを発明したのはアメリカ人ですけども、インディゴで染めたデニム生地はそれ以前からヨーロッパで使われており、ポーランドでも南部の農民なんかは農作業着として使っていたそうですから、ジーンズに似たようなものがあったのかもですが。
実はこのポーランド映画の名作、共産主義と決別したポーランドで1990年代に民主化が進むと、国民軍(AK)が共産主義者を虫けらのように殺害する姿は歴史を歪曲しており、実際はその逆であったと作品だけでなくその製作者であるアンジェイ・ワイダも非難されるようになりましたが、その非難はちょっと筋違いじゃないかとしか僕には思えません。なぜなら、この映画が製作された当時はソ連の息のかかった当局の検閲があった訳で、アンジェイ・ワイダは自らの作品と史実にギャップがあることくらい重々承知の上で検閲を通るように体裁を整えたのであろうことは想像に難くありません。そうでもしなければ、検閲にひっかかってこの名作が世に出ることもなかった筈なのですから。
この映画も含め、アンジェイ・ワイダの作品というのは基本的にポーランド人の観客が見ることを前提に作られている為、「灰とダイヤモンド」もポーランドの歴史やポーランド人の性格というか国民性を知らずに見ると、なんだか良く分からない映画ということにもなりかねませんが、それでも尚、この作品が世界中の多くの人々の心を捉えることになったのは、純粋な人間は常に利用され、常に犠牲となるという不条理な世の真理が描かれているからではないかと僕は思っています。と、少し話が長くなりましたけども、僕がここで書き連ねたことを予備知識として頭に入れてから「灰とダイヤモンド」を鑑賞すれば、さらに深く作品を味わえること間違いなしであることをお約束して、第1回の筆を置くことにします。ご清覧、誠にありがとうございました。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
第2回 勝手にしやがれ
原題:À bout de souffle
製作年/製作国/本編上映時間:1960年/フランス/90分
監督:Jean-Luc Godard(ジャン・リュック・ゴダール)
主な出演者:Jean-Paul Belmondo(ジャン・ポール・ベルモンド)、Jean Seberg(ジーン・シバーグ)
【ストーリー】
主人公のミシェル(ジャン・ポール・ベルモンド)は自動車の窃盗を生業とするパリのチンピラ。その日、フランス南部の港町マルセイユで軍人夫婦の車を盗んだ彼は、盗難車を売りさばくべくパリへと向かって車を走らせるが、途中、国道上で無理な追い越しをして交通違反を犯し、追ってきた白バイ警官を盗んだ車の中のダッシュボードに入っていた回転式拳銃で射殺してしまう。車を捨ててパリに戻ったミシェルは、南仏で知り合って何度かベッドを共にして以来、フランスを離れてイタリアへ一緒に行こうと誘っているパリの大学で学ぶアメリカ人女子大生パトリシア(ジーン・シバーグ)と再会。イタリア行きの費用を捻出すべく知人に貸している金の回収に奔走するも、束縛を嫌うパトリシアはミシェルとの関係をこのまま続けるべきかどうかで心が揺らぐ。二人がそんな恋の綱引きをしているうちに、やがて警官殺しの犯人を特定した警察は犯人の顔写真を新聞の紙面上で公開、徐々にミシェルを追い詰めていくが…。
【四方山話】
ジャン・リュック・ゴダールの名を世に知らしめたこの映画、世界各地でヒットしましたが、日本公開時に付けられた「勝手にしやがれ」というこの邦題、まったくイケてないと思うのは僕だけでしょうか?この作品の原題は「À
bout de souffle」、英語のタイトルが「Breathless」であることからも分かるとおり、人が息を切らしたり、息が詰まったりという状態を表している言葉ですね。この映画の内容に合わせて日本語に置き換えるならば「虚無感、空虚感」といった感じでしょうか。そもそも邦題が「勝手にしやがれ」になったのは、映画の冒頭で主人公のミシェルが車の中で「♪Buenas
noches, mi amigo♪」とスペイン語で歌いながらMilano, Genova, Romaとイタリアの街の名を連呼するというようなちぐはぐなことを一人ぶつぶつと喋っているシーンに出てくる台詞が元になっているようです。
J’aime beaucoup la France / 俺はまじでフランスが好きだ
Si vous n’aimez pas la mer / もしも海が嫌いなのなら
Si vous n’aimez pas la montagne / もしも山が嫌いなのなら
Si vous n’aimez pas la ville / もしも都会が嫌いなのなら
Allez vous faire foutre! / とっとと失せやがれ!
この最後のAllez vous faire foutre!を「勝手にしやがれ」と訳して邦題にしたらしいのですが、Allez vous faire
foutre は英語のGo fuck yourself に相当する言葉なんだそうで、日本語の「勝手にしろ」とはちょっとニュアンスが違います、って言うか、はっきり言ってAllez
vous faire foutre は汚い言葉使いによる罵倒語ですね。そんな言葉から邦題を付けたってこと自体も意味不明ですが、小説を書く側の立場から言わせてもらえば、タイトルというのは普通、作者によるそれなりの意味や思いが込められているものですから、こんなふうに自分の作品のタイトルを勝手に変えられてしまうのは許しがたいとしか言いようがないです。
まあ、そんなことはさておき、起承転結もなく男女の会話がだらだらと続く凡庸なストーリーの「À bout de souffle」が高い評価を受けることになったのはその革新的な撮影技術によるもので、そのひとつに、街頭に繰り出して手持ちカメラで思いのままに撮影を行うというものがありました。これにより、被写体を生き生きと捉えることができ、従来の映画よりも映像にスピード感や臨場感が加わってリアリティーが増したのです。街頭での撮影は一応、コンテは作ってあるものの、撮影する際は許可を得ることも告知することもなくゲリラ的に行われたそうで、例えば、10分過ぎ、パリのシャンゼリゼ大通りでパトリシアが路上で新聞を売り歩いているところにミシェルが現れて再会するシーンなんかを見ると、二人とすれ違ったあとに後ろを振り返る通行人が多いことに気付きます。つまり、それらの通行人はエキストラではなく間違いなく本物の通行人であり、撮影が突然路上で行われていたということを確かに示しているんですね。とは言え、手持ちカメラの撮影はいいことばかりではなく欠点もあり、当時の機材ではクリアーな音声を録音することが技術的にできなかったが故に、街頭で撮影したシーンの音声は編集時にアテレコで再録音したそう。そして、もうひとつこの作品で有名になったのが「ジャンプ・カット」と呼ばれる編集技法。例えば、ミシェルがパリの街中を歩くシーンをだらだらとスクリーンに映し出せば尺を食うだけですが、幾つもの歩いているシーンを途切れ途切れでつないでいけば、時間の経過を表すことができるのと同時に尺も節約できるので一石二鳥になるんですね。ゴダールが本作の撮影を終えた時、使いたい映像が2時間半(一説では4時間)分もあったらしくって、映画会社と契約時に交わした条件だった1時間半に尺を減らす為の苦肉の策としてこの技法を多用することになったそう。当然、ばっさりとカットされる部分が出てくる訳ですが、どこをカットするかはその都度くじで決めていたという話もあるようです(真偽は不明)。いずれにせよ、映像を斬新的に並置するというこのジャンプ・カットという技法はまるで映像のコラージュのようで、独特の映像美を生み出すことになりました。
しかし、そういった撮影技術よりも映画を見た一般の観客の目が最も向かうのは、やはり、ジャン・ポール・ベルモンドが演じるミシェルというキャラでしょう。先ず、なんといっても服装がお洒落。茶の中折れ帽に同じ色のジャケット、ストライプのシャツ、格子模様のネクタイ(僕は臙脂の生地に白の水玉のネクタイとかの方がいいと思いますが)と、特に高級なものは身に着けていませんけどセンスが光っています(靴下が白なのはちょいといただけませんけども)。この映画が撮影された1959年頃には、男性が帽子を被る習慣は既にすたれていましたから、映画の中に出てくる通りを行き交う人々の中で中折れ帽なんて被っている男性は見当たりませんし、劇中で中折れ帽を着用しているのはミシェルと彼を追う刑事だけですね。では、なぜミシェルが時代遅れな中折れ帽を被っているのかというと、彼がハンフリー・ボガートの大ファンであるという設定になっているからでしょう。劇中でも、18分過ぎ、ミシェルが映画館の壁に貼られたボガート主演の映画「Plus
dure sera la chute(邦題:殴られる男)」のポスターを見つめるシーンが出てきますし、ミシェルが頻繁にする親指で下唇をなぞる仕草も、ハンフリー・ボガートが主演した「マルタの鷹」でボガートがしていた仕草を真似ているということみたいです(但し、ボガートのやり方は、親指で唇をなぞると言うよりも、親指と人差し指で下唇を挟んで触るといった感じ)。
次に本作の出演者についてですが、ジャン・ポール・ベルモンドは1933年、パリ郊外のヌイイ・シュル・セーヌ(Neuilly-sur-Seine)生まれ。父親は高名な彫刻家。母親も画家でした。しかし、彼の人生に波乱万丈な点は見当たらず、敢えて何かを記すとすれば、長年アラン・ドロンと人気を争ったとか、映画では自らスタントをこなしたとか、この映画のミシェル同様、女性関係がだらしなかったということくらいでしょうか。フランスでは国宝級の俳優とまで言われたジャン・ポール・ベルモンド(失礼ながら、僕はそこまでの名優だとは思いませんが・汗)、2021年に88歳で亡くなられました。他方、パトリシアを演じたジーン・シバーグは、劇中の設定と同じくアメリカのアイオワ州のマーシャルタウン(Marshalltown)生まれのアメリカ人。この作品で名は売れたもののヒット作には恵まれず、1960年代に入ると映画出演よりも米国内の公民権運動や反戦運動に傾倒。武装黒人公民権運動団体であるブラック・パンサー党にも肩入れしたことでFBI
から監視されるようになった彼女は、その頃から精神を病み始め、1979年にパリで自殺しています。それと、あとひとつ、出演者に関するトリビアを紹介しておきましょう。55分過ぎ、新聞に掲載された手配写真の若い男が目の前にいることに気付いた男性が通りにいた警察官に知らせに行くシーンが出てきますが、この男性、誰だか分かりますか?彼こそがジャン・リュック・ゴダールです。
さてと、話が長くなってきたのでそろそろシメに入るとしましょう。冒頭でも触れましたが、原題が「À bout de souffle」であるとおり、本作が描こうとしたのは硬直化した当時のド・ゴール体制の下で若者たちの間に広がりつつあった虚無感であったと一般的に考えられています。自動車泥棒で糊口をしのぐ日々、警官殺し、逃亡、奔放な男女関係、噛合わない会話、なぜに自分はこんな人生を生きているのか。絶望する前に諦めの境地で刹那的に生きる若者たちの傍をさっそうと駆け抜けて行くフランスとアメリカの大統領の車列(但し、パレードの映像は作中に出てきますが大統領の車列は、当時のフランス当局の検閲によりカットされました)。そこから何を感じるのかはこの作品を見た人の感性次第。インターネット上では、最近の若者はこの映画を見ても「つまらない」と思うらしいという情報が溢れていますけども(それが事実かどうかは分かりませんが)、一日中スマホをいじることしか能がなく、自らで考えることもせず、虚無感さえ覚えなくなった人々がこの映画を観て「つまらい」と思うのは当然というような気がしないでもありません。そんな人たちの為に、本作のラストシーンに秘められた手掛かりを最後に記しておきます。少しネタバレになりますので、この映画を見たことが無い方は、作品を見終えてからお読みください。
ミシェル:C’est vraiment dégueulasse! / ほんと、最低だぜ
パトリシア:Qu’est-ce qu’il a dit ? / 彼、なんて言ったの?
警官: Il a dit “ Vous êtes vraiment une dégueulasse”. / あんたはほんと最低だって言ったんだよ
パトリシア: Qu’est-ce que c’est “dégueulasse?” / 何なの?最低って
これがラストシーンの台詞なんですが、フランス語に堪能な方の話ではdégueulasse はdégueuler(吐く)という動詞から派生したスラングで「最低」と言うよりも「吐き気がするほど汚い」という強い嫌悪感を表す言葉だそうです。ここで重要なのは、ミシェルのC’est
vraiment dégueulasse という台詞にtu(君)やvous(あなた)といった人称が入っていないということ。つまり、具体的に何が最低なのかを言っていない訳です。なのに、警官はなぜかVous
êtes vraiment une dégueulasse とパトリシアに伝えます。恐らく、警官は女が密告の主であることが分かっていたからそう言ったのでしょう。しかし、ミシェルの真意は違っていたはずなのです。彼が言いたかったのは「この世なんて、最低だぜ」ではなかったかと僕は推測します(このミシェルの言葉をどう受け取るのかもまた、見た人の感性次第です)。なぜなら、このシーンの直前に、ミシェルを追う警察がすぐ傍まで来ているのにも拘らず彼が「j’en
ai marre, je suis fatigué, j’ai envie de dormir(うんざりだ。俺は疲れた。眠りたい)」という言葉を吐いていることからも分かるとおり、彼の死は自殺同然のものだったと思われるからです。なので、C’est
vraiment dégueulasse が、パトリシアに対する恨みの言葉でなかったことは確かだと言えるでしょう。そして、そのパトリシアが最後に呟くQu’est-ce
quec’est “dégueulasse?”という言葉。これもどう受け止めるかは見た人の感性次第ですね。dégueulasseという単語の意味がアメリカ人の彼女には単に分からなかったとも考えられますが、恐らく、事はそんな単純な図式ではない筈です。僕には彼女の最後の台詞が「あら、あたしは結構この世を楽しんでるんだけど」と言っているように聞こえましたが、皆さんは如何でしたか?パトリシア役の設定がパリジェンヌではなくアメリカ娘であった理由もこのあたりにありそうです(その理由は自分で考えてみてください)。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
第3回 自転車泥棒
原題:Ladri di Biciclette公開年/製作国/本編上映時間:1948年/イタリア/93分
監督:Vittorio De Sica(ヴィットリオ・デ・シーカ)
主な出演者:Lamberto Maggiorani(ランベルト・マジョラーニ)、Enzo Staiola(エンツォ・スタヨーラ)、Lianella Carell(リアネーラ・カレル)
【ストーリー】
第二次世界大戦が終了し、戦後の混乱の中で街に失業者が溢れているイタリアのローマ。郊外の新興住宅街 モンテ・サクロで妻のマリア(リアネーラ・カレル)と息子のブルーノ(エンツォ・スタヨーラ)、生まれ たばかりの赤子の家族4人で暮らす主人公のアントニオ(ランベルト・マジョラーニ)は、役所の紹介でよ うやく街の壁にポスターを貼って回るという仕事を得るが、その仕事は梯子やバケツを抱えて街の中を移動 しながらこなさなければならないことから自転車を所有していることが条件であった。「自転車を持ってい ないのなら他の者に仕事を回す」と担当者から告げられたアントニオは「直ぐに自転車を用意する」と返事 をして帰宅するも、その顔色は冴えない。持っていた自転車を生活苦から既に質入れしているばかりか、受 け戻ししてもらう為の金も手元に無いというのがその理由であったが、彼から相談を受けたマリアが、嫁入 り道具として持参していたベッドのシーツを質入れして現金を作ってくれる。妻の助けで質入れしていた自 転車を取り戻すことができたアントニオ。ところが、これで愛する家族を養えるとポスター貼りの仕事に彼 が励み始めた矢先、その大事な自転車を仕事中に盗まれるという悲劇に見舞われる。警察に届け出てもまと もに取り合ってもらえず、アントニオは盗まれた自転車を自ら見つけるべくブルーノを連れてローマ中を探 し回るのだが…。
【四方山話】
この映画が紹介される時、必ずと言っていいほど使われているのが「ネオレアリズモの代表作」とかそれに 類した言葉。でも、ちょっと待ってください!皆さんの中で「ネオレアリズモ?何ですかそれ?」って思っ た方はおられませんか?ネオレアリズモはイタリア語のNeorealismo のカタカナ表記。日本語に置き換えるならば「新リアリズム」といった感じでしょうかね(日本語になってませんが・汗)。リアリズム(写実主義)というのは元来、現実をありのままに捉え、詳細に描写しようとする19世紀におけるフランスの芸術運動でしたが、イタリアのNeorealismo は、そこに「新(Neo)」がついているように、大衆が現実を無視してムッソリーニを頂点としたファシストたちの甘事ばかりに耳を傾けるようになっていることに危機を感じた知識人たちが1930年代に入って「大衆に現実を知らせ、目を向けさせなければならない」と考え始めたことがその起源であるとされています。しかしながら、その考えを実行したところで、先に待っているのはファシストによる弾圧だけという当時の状況下で知識人たちが選んだのは沈黙であり、結局、ファシスト政権が崩壊するまで目立った動きはありませんでした。つまり、Neorealismo という花が終戦直後のイタリア映画界で一斉に開花したのは決して偶然ではなかったのです。
このネオレアリズモにおいて、一番の特徴とされるのが出演者にほとんどプロの俳優を使わず一般人を起用 するという手法。これは、真に迫ったイタリアの実態を描写するには、そこに実際に生きる人々を使うこと が一番であるという思想に基づくものなんですが、喜怒哀楽を自由に表現する天性の能力を持つ市民がそこ かしこにいるというイタリアという国であったからこそ実現できた手法と言えるでしょう。同じことを日本 でやってみたらと考えてみてください。結果は想像がつきますね(笑)。この作品でも、主役のアントニオ を演じたランベルト・マジョラーニの本職は工場の旋盤工。健気なブルーノ役を演じたエンツォ・スタヨー ラ(当時9歳)も勿論、素人でした(劇団ひま〇り出身ではなかった訳です・笑)。スタヨーラはデ・シー カが本作のロケをローマで行っていた時、たまたま現場に来ていた少年で、そこで目にしたスタヨーラの表 情が気に入ったデ・シーカは、彼を映画に出演させようと思ったものの撮影の手が離せなかったので声をか けることができず、少年の住む家を突き止めて後から話をつけようとスタッフに彼の尾行をさせたそう。ス タヨーラはその時のことを「見知らぬ男に後をつけられていることに気付いたので、人さらいに誘拐される と思って全速力で家まで走って帰った」と後になって語っています(笑)。さてさて、本作で素人とは思え ぬ素晴らしい演技をみせたこの二人、その後もさぞかし順調な俳優人生を歩んだのだろうと思いきや、実は 二人とも泣かず飛ばずでした。マジョラーニは元の職場に戻ったものの、映画出演で大金を稼いだ彼を妬む 周囲の者たちによって疎外されて工場を追われ、その後は職を転々。スタヨーラも役者としては芽が出ず、 土地台帳管理局の平凡な事務員として長年を過ごしたと伝えられています。この世には「子役は大成しない」 というジンクスがありますけど、イタリアでもそれは同じだったんですね(汗)。因みにアントニオの妻マ リアを演じたリアネーラ・カレルも俳優ではなく、本職はイタリアのラジオ局での原稿書き。今で言えば放 送作家のような職に就いていた女性でした。
では次に、映画の舞台となったローマについて少し触れておきましょう。ストーリ紹介でも本作の舞台はローマと記しましたが、実はこの映画の劇中では、舞台がローマであるという言葉は一言も出てこないんです。アントニオたちが暮らす地区をモンテ・サクロと僕が記したのは、83分過ぎ、アントニオがブルーノに電車賃を渡し「モンテ・サクロへ先に帰ってろ」と言うシーンがあったから。実際、ローマ市街の北東部にあるモンテ・サクロ地区(Quartiere Monte Sacro)は、もともと何もなかった丘陵地帯が20世紀前半になって開発された街区で、劇中の景色とも一致します。これ以外にも、Piazza Vittorio(ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世広場)やStadio Nazionale PNF(ナショナル・スタジアム。PNFは国家ファシスト党、Partito Nazionale Fascista の略で、1934年にサッカーのワールドカップの会場ともなったこのスタジアムは1957年に解体されて現存はしてません)など、一目でローマと分かる場所が劇中、幾つも出てきますので、本作のロケ撮影がローマで行われたことは疑いようのない事実。他にもローマの街並みが随時劇中に出てきますが、その情景を見れば、爆撃、砲撃で瓦礫の山となったドイツの都市や焼夷弾で焼け野原になった日本の都市とは違い、ローマが戦争期間中も比較的無傷であったことが良く分かり興味深いです(ローマも連合国軍の爆撃を何度も受けていますが、その多くは空軍の飛行場や鉄道施設に集中していて、市街地への無差別爆撃ではありませんでした)。と、少し話が脱線してしまいましたので、話題を元に戻しましょう。では、なぜローマの名前が劇中に出てこないのでしょうか?僕が思ったのは、敢えてローマの名を出さないことで、この話はローマに限ったものではないということを観客に対して明確にしたかったのではないかということでした。まあ、あくまでも個人の意見ですので悪しからず。
今では名作とされている「自転車泥棒」というこの映画、実は当初、この作品を映画館で見たイタリア人の観客の反応は「金返せ!」だったそう。貧者が貧者から盗むという、当時のイタリアではどこにでもあった現実、見て見ぬふりをしている現実、をスクリーン上で見せられた観客たちが「俺たちが見たいのは、こんなものじゃない!」と憤るのは、不思議なことではなかったのかもしれませんね。でも、逆に言えば、この作品は当時のイタリアの現実が残酷なまでにリアルに描かれていたことの証とも言えるのではないでしょうか。デ・シーカは現実に目を背けるそんな当時のイタリア人を突き放す一方で、ラストシーンで「許し」という人間が持つ最後の良心を描くことで一抹の希望の光を灯すことも忘れてはいなかったのですが、当時のイタリア人の観客にはまだそこまで理解できる心の余裕が無かったようです。日本の戦後も同じでしたが、皆、自分のことだけで手一杯だったんですね。そんなことにも思いを馳せつつ、この映画を観ていただけたらと思います。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
第4回 マルタの鷹
原題:The Maltese Falcon公開年/製作国/本編上映時間:1941年/アメリカ/101分
監督:John Huston(ジョン・ヒューストン)
主な出演者:Humphrey Bogart(ハンフリー・ボガート)、Mary Astor(メアリー・アスター)、Gladys George(グラディス・ジョージ)、Peter Lorre(ピーター・ローレ)、Sydney Greenstreet(シドニー・グリーンストリート)
【ストーリー】
1920年代のカリフォルニア州サンフランシスコ。相棒のアーチャー(グラディス・ジョージ)と共に探偵業を営むサム・スペード(ハンフリー・ボガート)の事務所にある日、ニューヨークから来たと話すワンダリー(メアリー・アスター)という美女が現れ「駆け落ちしようとしている妹がいて、その妹が駆け落ちの相手であるサーズビーという名の男とサンフランシスコで落ち合うようなので、男を監視して妹を見つけ出して欲しい」という人探しを依頼する。依頼料として二百ドルもの大金を差し出した女に何かきな臭さを感じたスペードに対し、大金に気を良くしたアーチャーは自ら志願してサーズビーが現れるというホテルへ意気揚々と向かうが、その夜、二人は共に射殺死体となって発見される。警察はアーチャーの妻と不倫関係にあったスペードに疑いの目を向け、嫌疑を晴らしたいスペードは、警察に知らせる前に自らの手でワンダリーを追及しようと彼女の滞在先へ向かう。すると、ワンダリーは「妹の失踪は作り話。サーズビーは香港で知り合った仕事上の用心棒だったが自分を裏切って何かを企んでいるようなので、彼がサンフランシスコで誰と会おうとしているのかを確かめたかった」とあっさり白状し、その直後、カイロ(ピーター・ローレ)と名乗る男が成功報酬五千ドルで黒塗りの鷹の置物を探して欲しいと探偵事務所へ依頼をしにやって来る。ワンダリーとカイロがつながっていることに直ぐに気付いた勘の良いスぺードが二人を追い詰めていく中、今度は危険な香りを漂わせる謎の老人ガットマン(シドニー・グリーンストリート)が彼の前に現れ、彼らが「マルタの鷹」と呼ばれる像の争奪戦を繰り広げていることが分かってくる。
【四方山話】
この映画の原作は、1930年に刊行された映画と同名のタイトルの長編小説「マルタの鷹(The Maltese Falcon、著者はダシール・ハメット)」で、アメリカにおける探偵小説の最高峰のひとつとされるだけでなく、ハードボイルドと呼ばれる小説ジャンルの草分けとしても知られています。ハードボイルドは「心理描写や情景描写を極端なまでに削ぎ落した簡潔な文体で構成されている小説」というのが一般的な定義ですが、簡潔な文体で書かれているから内容が分かり易いのかと言うとまったくその逆で、読者は登場人物の会話や限られた情景描写から本文に書かれていないことを推測して補いながら読まなくてはならないという難解さがあります。それが故なのか「マルタの鷹」は1941年までに既に二度も映画化されていたにも拘らずどちらも失敗作に終わっていたのですけれど、三度目の映画化に挑戦したジョン・ヒューストンが本作で見事に成功させました。原作の小説を読めば、ヒューストン版の「マルタの鷹」では台詞や情景描写がほぼ完璧に原作と一致していることが分かりますが、ヒューストンはハードボイルドが何であるのかを十分に理解していて、原作を忠実に再現することこそが映画化成功の最良の策であることに気付いたのでしょう。なぜなら、小説であれば読者が想像で補わなければならない部分を、映画では映像で補うことができるからで、ヒューストンはとても頭の良い人だったのだと思います。
そして、そんなジョン・ヒューストンがこの映画で残したもうひとつの功績。それは、本作に出演するまでぱっとしなかった役者であったハンフリー・ボガートの才能を見抜いて主役に起用し(彼の主な活躍の舞台は映画ではなく演劇でした)、一躍スターダムに押し上げたことでしょう(ボガートはそのことに恩義を感じていたのか、ヒューストンとボガートは生涯、大親友であり続けたそう)。ボギーこと、ハンフリー・ディフォレスト・ボガート(Humphrey DeForest Bogart)は1899年ニューヨーク市生まれ。Bogart というのはオランダ系の苗字だそうで、父親は外科医、母親は画家という裕福な家庭であるだけでなく、母方の先祖はメイフラワー号でやって来た初期植民者の一人という名家でした。両親は彼を名門イェール大学に進学させようと考えていましたが、本人は高校で退学処分を受け(理由は喫煙、飲酒、学業不振。真偽不明ですが校長を校内の池に投げ込んだこともあったそう)、別の道を進まざるを得なくなった末に海軍に入隊。第一次世界大戦中に輸送船の乗組員として勤務した後、たまたまショービジネスとのコネを持っていた友人と知り合ってブロードウェイで働くようになりました。本作に出演した時は40歳を過ぎていましたから、映画俳優としてはかなりの遅咲きですね。私生活では酒豪かつヘビースモーカーとして知られ、離婚、結婚を繰り返して四回目に迎えた妻ローレン・バコールは25歳も年下でした。性格はどちらかと言えば生真面目だったようで、そのせいか鬱に苦しんでいた時期もあったとされています。ボガートは映画「ケイン号の叛乱」で精神疾患を持つ駆逐艦の艦長クイーグ少佐を完璧に演じていますが、あの艦長の姿こそボガートの実像に一番近いものだったのかも知れませんね(←個人の勝手な推測です)。本作では、多くの共演者が主役のボガートを盛り立てていますけれども、その中でも特に印象に残るのがピーター・ローレとシドニー・グリーンストリートの二人。東洋風の謎の小男であるジョエル・カイロを演じたピーター・ローレはオーストリア・ハンガリー帝国出身のユダヤ人。ドイツで俳優としてキャリアを積んでいましたが、ナチスがユダヤ人迫害を始めるとイギリス経由でアメリカに逃れ、ハリウッド映画に出演するようになりました。シドニー・グリーンストリートは、いかにも裏がありそうな無頼漢カスパー・ガットマンを演じましたが、映画出演は本作が初めて。にも拘らず、その演技が映画初出演とは思えぬ堂々たるものであったのは、彼が英国出身の実力派舞台俳優だったからです。ボガート、ローレ、グリーンストリートの三人は映画「カサブランカ」でも共演していますので、鑑賞の機会があればどこに出演してるのか探してみては如何でしょうか。
次に映画のロケ地に関してですが、実はこの映画の撮影、ほぼすべてがロサンゼルス郊外のバーバンクにあるワーナー・ブラザースのスタジオでセットを組んで撮影されたもの。なので、観客がサンフランシスコの街と思って見ている場所はすべて偽物なんです(笑)。今では考えられませんが、当時のハリウッド映画はスタジオで大規模なセットを組んで撮影をするというのが普通で、舞台が仏領モロッコのカサブランカという設定になっていた「カサブランカ」ももちろんスタジオ撮影。モロッコでロケ撮影された訳ではなく映画に出てくるシーンはすべてアメリカ国内ですからショックを受けないでくださいよ(笑)。それと、もうひとつ興味深いのが、劇中に出てくる小道具の拳銃。8分過ぎ、アーチャーが殺害された現場で凶器が見つかるシーンに出てくるもので、凶器を手にした刑事がスペードに拳銃を見せながら「A Webly. English, ain’t it?・ウェブリーだ。英国製だよな」と言うと、スペードが「Yes. Webley-Fosbery automatic revolver, Thirty-eight, eight shot ・ああ、ウェブリー・フォスベリーのオートマチック、38口径の8連発だ」と答えています。それを聞いて「あれっ?スクリーンに映し出されたのは回転式拳銃なのに、スペードはなぜオートマチックと答えたんだろう?」と思った方、スルドいですよ!この拳銃、原作の小説でも同じ場面に登場しますが、回転式拳銃なのに、発射時の反動でシリンダー自体がスライドに沿って後退することで自動的にシリンダーを回転させ、同時に撃鉄が起こされるという世にも奇妙な仕組みの銃なんです。って言うか、刑事とスペードの二人がこんなオタク仕様の銃のことを当然のように知ってること自体、ちょっと現実離れしてますし、重いうえに(約1.3キロ)デカいこの拳銃を敢えて選んで持ち歩くなんて馬鹿、普通はいませんね(笑)。
では最後に、本作のストーリーの鍵となっている黒塗りの鷹の像について少し触れておきましょう。映画では冒頭でクレジットが流れた後、以下のような文がスクロールしながら映し出されます。
1539 the Knight Templars of Malta, paid tribute to Charles V of Spain, by sending him a Golden Falconencrusted from beak to claw with rarest jewels —– but pirates seized the galley carrying this priceless tokenand the fate of the Maltese Falcon remains a mystery to this day —
1539年、マルタのテンプル騎士団は、くちばしから爪先まで貴重な宝石が散りばめられた黄金の鷹を贈ることでスペインのカルロス5世に敬意を表した。だが、海賊たちがこの貴重な記念の品を運んでいたガレー船を強奪し、マルタの鷹の行方は今日まで謎のままである。
このテクスト、原作の小説には存在せず、読者が小説を読む際は、後半で鷹の像が何であるのかが明らかにされるまで(映画では59分頃に事実が明かされます)全体の状況が把握できませんが、映画では冒頭で伏線を張っておくことで、なぜに皆が黒塗りの鷹の像を血眼になって探すのかを観客が容易に理解できるように配慮してあります。アイデアとしては悪くないですね。さて、この鷹の像、原作の小説とこの映画では上記で説明されているようなとてつもないお宝であるとされていますけど、実のところ史実は違っていて、歴史書では、1530年(1539年ではありません)、神聖ローマ皇帝を兼ねるスペイン国王カルロス1世(スペイン以外ではカール5世と呼ばれます)が、オスマン帝国によってロードス島から追い出された聖ヨハネ騎士団(テンプル騎士団ではありません)にマルタ島(当時はスペイン領)を譲渡してイスラム勢力に対する防波堤とすることにしたことから、島を与えられた騎士団はカルロス1世の助けに敬意を表すべく、毎年、彼に1羽のハヤブサ(Peregrine Falcon)を贈ることを決めたということになっています。つまり、宝石が散りばめられた黄金の鷹の像の話はダシール・ハメットの創作。まあ、それが小説家の仕事ですから、当然と言えば当然のことなんですがね(笑)。
悪女のワンダリー、自分の利益になるなら殺しも厭わぬ山師のカイロとガットマン。三人の間でお宝の争奪戦が繰り広げられる中、彼らと紙一重のサム・スペードがその横取りを画策しないのは道徳心からではありません。前者と後者では自らの生き方の中で何に重きを置いているのかが違うからなのです。そんなことにも注目しながらこの映画を見てみると面白いのではないでしょうか。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
第5回 望郷
原題:Pépé le Moko公開年/製作国/本編上映時間:1937年/フランス/94分
監督:Julien Duvivier(ジュリアン・デュヴィヴィエ)
主な出演者:Jean Gabin(ジャン・ギャバン)、Gabriel Gabrio(ガブリエル・ガブリオ)、Mireille Balin (ミレーユ・バラン)、Gilbert Gil(ジルベール・ジル)、Lucas Gridoux(リュカ・グリドゥー)
【ストーリー】
世界大戦の暗雲が再び垂れ込め始めた本国から地中海を南へ下ること約八百キロ、フランス領アルジェリア の港町アルジェの下町に住人から「大物(Le caïd)」と見做されている悪名高き一人のフランス人の男がいた。男の名はペペ・ル・モコ(ジャン・ギャバン)。二年前に本国で強盗を働き、そのまま大金を手にアルジェの下町に逃げ込んだ彼を逮捕しようと地元の警察は手を尽くしてはいるが、カスバと呼ばれるアルジェの下町はその名がアラビア語で城塞を意味しているとおり、もとはと言えばオスマン帝国が中世に築いた防御力のある城塞都市。張り巡らされた細い路地が迷路のように入り組んでいて人が屋根伝いに移動することが容易なだけでなく、横暴な官憲に対して常に堂々と立ち向かうペペのことを英雄視する住民たちが結束しているカスバでは、警察が彼を捕らえることは不可能であった。ペペとその仲間たちの一掃を目指してカスバへ何度も踏み込んだものの、五名もの殉職者を出しただけで逮捕に至らず、カスバがペペにとって安全地帯であることを思い知らされている警察は、パリの本庁からの圧力もあって、ペペが可愛がっている仲間の一人で、まだ歳が若く警戒心の緩いピエロ(ジルベール・ジル)を街におびき寄せて先に捕らえ、ピエロを餌にしてペペを罠にはめようとするが、用心深いペペに気付かれて敢え無く失敗する。そんな中、住人に恩を売ることでカスバに自由に出入り出来、ペペとも毎日のように顔を合わせているものの、カスバ内では彼に手を出せないでいる地元警察のスリマン警部(リュカ・グリドゥー)は、富豪の夫と共にパリからやって来た観光客で都会の匂いを漂わせるギャビー(ミレーユ・バラン)という美しい女性とカスバで偶然出会ったペペが彼女に惹かれていることを知り、ギャビーを利用して女好きのペペをカスバの外へおびき出そうと画策する。
【四方山話】
「アッラーフ・アクバル(アラーは最も偉大なり)」というイスラム教徒の祈りの声の響きで始まるこの映 画、ストーリー自体は安物の恋愛悲劇といった感のある凡庸なものですが、僕がこの映画を面白いと思うの は、製作者が意図していた訳では決してないのでしょうけども、結果として、役者が映画の主役ではなくカ スバという舞台そのものがその役割を果たしているという点です。前述したとおり、カスバというのはアラ ビア語で「要塞」を意味しますが、北アフリカでは、この地域に散らばる要衝に派遣されたオスマン帝国の 太守が暮らす為に建造された城塞とそれを囲むように配置された迷路のような路地が連なる人口密集地のことを指し、カスバと呼ばれる街や村はアルジェ以外にも北アフリカ各地に存在しています。長らくイスラム勢力の支配下にあったスペインにも「アルカサバ(城塞)」と呼ばれる建造物が各地に残っていますけど、こちらも語源は同じですね。このカスバ、フランス人にとってのイメージは「混沌」そのもので、しばしば悪の巣窟と同一視されていましたが(日本人が香港にあった九龍城跡に対して持っていたイメージと同じようなものですかね)、本作ではそのイメージが見事に映像化されています。何も知らないで見ると「これがカスバかぁー。なんか味があって面白そうな所だな」と思ってしまいますが、実はこの映画に出てくるカスバ、遠景や全景の映り込んだシーンを除けばすべてパリ郊外のジョアンヴィル・ル・ポン(Joinville-le-Pont)にあったスタジオで組んだセットなんです!なので、実際のアルジェのカスバとは随分違っているようで、住人の男たちの姿もフェズ帽のようなシェシーアを頭に被っていたりしていてアルジェリアと言うよりもチュニジア風ですし、腕に入れ墨のある女性はモロッコのベルベル人風。カスバが世界中からやって来た 人々が暮らす人種の坩堝という劇中の説明も事実ではありません。実際、この映画を見た当時のアルジェリア人の多くが違和感を口にしたそうです。アメリカ映画なんかにしばしば出てくるヘンテコ日本人とセットで組まれたヘンテコな日本の街みたいな感じなんでしょうね。因みに1966年に公開された映画「アルジェの戦い(La battaglia di Algeri)」は、実際にアルジェのカスバでロケ撮影されていますので、本物のカスバがどんな感じなのかを知りたい方はこの映画を見てみてください(映画自体も秀作です)。
では次に、ペペを演じたジャン・ギャバンの話を少し。ギャバンは日本でも非常に人気のあった俳優で、戦前、この映画が日本で封切りされた時も大人気だったそうですが、石川五右衛門や国定忠治、清水の次郎長といった咎人だけども庶民の味方というキャラが好きな日本人ですから、彼の人気が高かったのは、本人の人気というよりも演じたキャラが日本人好みだったということにあったのかも知れませんね。ギャバンは1904年パリ生まれ。父は大衆演芸場の役者、母も歌手という芸能一家で、彼の演技や歌の上手さはそんな血筋も影響しているのでしょう。ギャングや荒くれ者など近寄り難い強面役の多かったギャバン、私生活ではとても気さくな人だったそうですが、その半面、ドイツ占領下のフランスでドイツ軍に奉仕することを拒否してフランスを脱出し、後にド・ゴール将軍が率いる自由フランス軍に加わって戦車隊の指揮官を終戦まで務めるという責任感の強い人でもありました。それと、もう一人、ギャビー役のミレーユ・バラン。今風の化粧を施せば絶世の美女になるのでしょうけど、当時の流行りだったのか、あの細過ぎる眉ではちょっと美人には見えませんね(笑)。彼女の父親はフランス人でしたが、母親はイタリア人。女優になる前はパリの警官だったそうで、ギャバンとは対照的に、ドイツ軍占領下のパリでドイツ軍将校と恋愛関係にあった為、戦後、対独協力者と見做され逮捕されて入獄、映画界からも追放されています。なんか、この二人の話だけでも1本映画が撮れそうですよね。
この映画の題名も御多分に漏れず、原作のタイトル「Pépé le Moko」とはかけ離れた「望郷」という邦題に変更されていて「なんだかなー」という感じですが、Pépéはフランス語で「おじいちゃん」の意味で、le Moko は「船乗り」や「プロバンス地方出身者」を意味するスラングらしいので、まあ「船乗りのおじいちゃん」なんて邦題ですと興冷めなのは確かですかね(笑)。そのまんま「ペペ・ル・モコ」にすべきだったと僕なんかは思う訳ですが、当時の日本では、そんなタイトルでは映画館に客を集客できなかったというのも理解できない訳ではありません。ただ、本作のラストでアルジェの港に現れたペペが、フランスへ向かう船のデッキに現れたギャビーを目にして彼女の名を叫ぶシーンを見た時、僕にはそれが愛する人の名を呼んだというよりも「俺も一緒に帰りたいんだ!パリへ!」と言ってるように聞こえましたから、この「望郷」という邦題はなかなかこの映画の真意を突いているのかも知れません。つまり、カスバはペペにとって安全地帯であったのと同時に、監獄同然でもあったと言うことなのです。警察に捕まれば、向かうは刑務所の監獄、逃げたところで戻れる場所はカスバという監獄。だからこそ最後にペペは、自由の無いどちらもを拒否したのではないでしょうか。今回のコラムが、この映画のラストを見た皆さんにそんなことを考えさせる切っ掛けになれば幸いです。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
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