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映画の棚・第34回「西部戦線異状なし」

第34回】西部戦線異状なし

原題:All Quiet on the Western Front
公開年/製作国/本編上映時間:1930年/アメリカ/133分
監督:Lewis Milestone(マイル・ストーン)
主な出演者:Lew Ayres(リュー・エアーズ)、Louis Wolheim(ルイス・ウォルハイム)、John Wray(ジョン・レイ)、Slim Summerville(スリム・サマービル)、William Bakewell(ウィリアム・ベイクウェル)

【ストーリー】
1914年にサラエボで起こったオーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者暗殺に始まり、やがて欧州全域を巻き込んでいった第一次世界大戦。フランス領内への侵攻を目論むドイツ軍に対し、英仏軍は国境地帯に塹壕を張り巡らしてその野望を阻止。防御が攻撃を圧倒する膠着状態に陥った西部戦線では消耗戦が始まり、日々失われる兵員の補充が各国の急務となっていた。そんな状況下、前線に向かう兵士たちを住民が大歓声を上げて送り出し、若者たちの愛国心を煽って軍に志願するよう呼びかける教師の声が教室に響いていたドイツのとある田舎町で、その熱弁を聞いて血潮をたぎらせた生徒のポール・バウマー(リュー・エアーズ)が級友たちと共にドイツ陸軍に入隊する。入営後、顔見知りの町の郵便配達員で予備役の下士官であったヒンメルストス(ジョン・レイ)から厳しい訓練を受ける若者たちは、気のいい郵便配達員であったヒンメルストスが権威を振りかざす人間に変貌しているのを目にして軍隊の恐ろしさを知るが、それは彼らの運命を待ち受ける壮絶な苦難の序章でしかなかった。基礎訓練を終えて直ちに西部戦線の最前線に送り込まれ、塹壕に到着するやその日のうちに砲弾や銃弾が飛び交う下で鉄条網を敷設するという任務に駆り出されたポールたちがそこで目にしたのは、あっけなく死んでいく兵士たちの姿だったのだ。連日の戦闘で級友たちが次々に戦死していく中、古参兵のカチンスキー(ルイス・ウォルハイム)から戦場で生き延びる術を学んだポールはなんとか死なずに済んでいたが、ある日、総突撃が繰り返されて一進一退の攻防が続く戦闘の最中、砲撃でできた巨大な穴に落ちてしまい、そこへ同じように落ちてきたフランス兵を短剣で刺殺することとなる。ところが、敵兵を殺めたポールには自分が死なずに済んだという安堵感が沸き上がってくることは無く、倒れた男のポケットから出てきた家族の写真を目にした彼に芽生えたのは、戦争というものの正当性に対する疑念であった。その後もポールの部隊には繰り返し出撃命令が出され、遂に砲弾の破片を腹部に受けて重傷を負った彼は病院送りとなるが、生きたいという強い精神力によって傷を完治させ、帰隊前に休暇を与えられて一時帰郷する。久し振りに故郷の町へ帰ってみると、学校では相変わらず戦争を賛美して愛国心をたきつけている教師の前で生徒たちが目を輝かせていて、戦場の悲惨さも実情も知らない町の住人たちが、パリに攻め入るにはどうすれば良いかと激論を交わしてるのを見て愕然としたポールは、翌日、休暇を切り上げて粛々と再び戦場へと向かう。

【四方山話】
今回も文学が映像化された作品を紹介させていただきます。原作はドイツの作家レマルクが1928年に発表した有名な反戦小説「西部戦線異状なし(Im Westen nichts Neues)」で、作者自身が戦場で味わった過酷な体験と戦争に対する嫌悪を主人公に投影したとされている作品です。1928年と言えば、ヒトラー率いるナチスが国政選挙で初めて議席を獲得(12議席)した年であり、ナチスが徐々に社会に浸透しつつあった当時のドイツの状況を考えれば、この原作小説をドイツで映画化することは困難であったであろうことは想像ができますが(実際、レマルクはナチスに糾弾され身の危険を感じてスイスへ亡命。ドイツに残った妹は国家反逆罪でナチスに処刑されました・汗)、原作の権利をアメリカの映画会社(ユニバーサル)が買い取り、直ぐに撮影に入って原作の発表から2年後には作品がアメリカの映画館で公開されていたというのは、意外というか、かなりの驚き。それだけでなく、本作は非常に完成度が高く、公開からほぼ1世紀が経過した現在でも普通に鑑賞できますから、その点でも驚きなんですよね。100年前の映画とはとても思えない出来栄えなのです。先ず何が凄いかというと、戦場のリアリティの再現度でしょう。しかも、本作に登場するシーンはすべてアメリカ国内で撮影されているというのですから、これまたびっくり(笑)。ドイツの街並みなどはハリウッドのユニバーサル・スタジオ内に巨大セットを組んで丸ごと再現し、塹壕のシーンはロサンゼルス郊外のサンタ・アナにあった「アーバイン牧場」で実際に塹壕を掘ってロケ撮影されました。この他、同じくロサンゼルス郊外のバルボアやベニス、シャーウッド湖周辺の森林地帯でも撮影が行われていますが、9分30秒過ぎに出てくるポールたちが歩兵として基礎訓練を受ける為に入営する欧州風の巨大な兵舎の建物だけは、恐らくマット画で背景を合成しているのではないかと思われます。本作では、兵士たちの軍服や装備、使用している武器も非常に正確に再現されていて、ドイツ兵役はドイツ陸軍の標準装備であった小銃、モーゼル・ゲヴェーア1898を使っていますし、フランス兵役も同じくフランス陸軍が採用していたベルティエ1907/15ライフルを使用しています。ドイツ兵役がマキシムMG08機関銃を撃ちまくっているというのも史実に忠実。但し、フランス軍がヴィッカース・マークⅠ機関銃を使っているのはちょっと疑問符。フランス軍ならホッチキスM1914を使っている筈ですが、イギリス軍から供与されたものと考えて、まあ良しとしましょう(←また上から目線かよ・笑)。ラストシーンに出てくるフランス兵が使っている狙撃銃だけは完全に誤りですね。あのライフルはモーゼル・ダンチヒ・スポーターという小銃で、ドイツのダンチヒにあった造兵廠が第一次世界大戦後にモーゼル・ゲヴェーア1898を民生用に作り変えて生産したものなので、第一次世界大戦中には存在していなかった銃です(←いつもの武器オタクのこだわりでスミマセン・笑)。ポールたちが兵営で基礎訓練を受ける際に頭に被っている滑稽な形状の帽は「ピッケルハウベ」と呼ばれるプロイセン式の兜。てっぺんの角(ピッケル)は、兵士の背を高く見せて威厳ある姿に見せる為に取り付けられていて、敵がサーベルを頭上に振り下ろしてきた際、衝撃を分散する役割も果たしていました。しかし、機関銃や大砲が主役の近代戦では邪魔にしかならない無用の長物で、ポールたちも史実どおり、塹壕戦に送り込まれた時にはスパイクの無い鉄製のヘルメットを被るようになっていましたね(原作小説では入営時から既に鉄のヘルメットを支給されています)。あと、この映画で驚かされるのがド迫力の砲弾着弾シーン。あれは電気発火式の本物のダイナマイトを地中に大量に仕掛けて、専門の技術者が兵士の動きを見ながら爆発させていたそうです。タイミングを一歩間違えれば死亡事故発生間違いなしですから、安全第一の今の時代に同じことをするのは絶対に無理。なので、ある意味、現在の映画やドラマよりも迫力あるシーンが撮れているとも言えるでしょう。それに加え、砲弾の着弾シーンや白兵戦のシーンでのカメラワークも絶妙。実は本作の戦闘シーンで兵士役として雇われた約150名のエキストラのほとんどが第一次世界大戦の実戦経験者だったそうで、それらの元兵士たちから様々なアドバイスがあったことも本作でリアルな戦闘シーンを再現できた理由のひとつのようです。当時はまだ社会に知られていなかったシェルショック(戦闘の極度のストレスや砲弾の爆発音によって引き起こされるPTSD)も作中で既に取り上げられていましたね。但し、本作のエキストラとして雇われていたフレッド・ジンネマン(後に映画監督となる)は、エキストラの多くがロシア革命から逃れてきた貴族と将校であったと語っています(ジンネマン自身は従軍経験なし)。本作で唯一リアリティーに欠けているのは、ドイツ人が英語を話していることくらいでしょうかね(笑)。原作では主人公の名はPaul Bäumer(パウル・ボイマー)ですが、それも映画では英語風にポール・バウマーと発音が変更されていました。

1930年頃と言えば、映画の主流がサイレント映画からトーキー映画へと変わっていく過渡期にあった時代で、映像に台詞や効果音、音楽をどのように合体させていくのか手探り状態であったと思うのですが、本作は現在の映画やドラマと遜色の無い仕上がりになっていて、出演者の演技もサイレント時代のとってつけたような演技とは違ってとてもいいです。特に主人公のポールを演じたリュー・エアーズは、もう少し後の時代に生まれていたら、もっと大スターになれていたであろうと思わせる才能が見受けられます。ですが、本人は出世欲など皆無の純真な人だったようで、本作でポールを演じて反戦意識に目覚めたのか、第二次世界大戦が始まると良心的兵役拒否者となり(エアーズが戦闘に関らない衛生兵を希望したものの軍が認めなかったというのが本当のところでしたが)、アメリカ社会より大反発を食らいます。が結局、彼は衛生兵として太平洋の前線(フィリピン、ニューギニア)に送られることになり、終戦までその任務を果たしました(エアーズは軍隊で得た給与をすべてアメリカ赤十字に寄付したそうです)。彼は厳格なベジタリアンであったことでも知られていて、何と言うか、ちょっと変わった人だったのかも知れませんね(笑)。戦後も映画やテレビドラマの端役で細々と活躍し、1996年に亡くなりました(戦争映画への出演オファーはすべて断っていたそう。オカルト映画のオーメン2でダミアンを養子として迎え入れたリチャード・ソーンが会長を務める会社の社長役をしていたのはこの人)。古参兵のカチンスキーを演じたルイス・ウォルハイムもいい味を出していましたね。鼻が折れていて見かけはプロレスラーのヒール役ですが、ウォルハイムは名門コーネル大学で工学を学んだ秀才で、4ヶ国語を自由に操ったと言われています。因みに、鼻が折れたのは大学時代にサッカーの試合をしていた時だったそうで、一度は手術で折れた鼻を元に戻したものの、その後、酔って殴り合いの喧嘩をした際に再び折れてしまい(若い頃の彼は喧嘩早いことで有名だったそう)そのままとなったというエピソードが残っています。ウォルハイムにも軍務歴がありますが、第一次世界大戦の最中にアメリカ陸軍に志願して将校となる訓練(大卒なので)を受けていた最中に終戦となった為、実戦の経験はありません。残念なことに、ウォルハイムは本作が公開された翌年に胃癌で亡くなっていて、その人柄から慕われていた彼の死を多くの映画人が悲しみました。享年50歳。あと、本作の監督であるマイル・ストーンについても少し触れておきましょう。彼は1895年にロシア帝国のベッサラビア(現在のモルドバ)で裕福なユダヤ人の家に生まれ、ドイツへの留学を経て1913年にアメリカへ移住しています。彼がドイツを離れたのは兵役に就きたくなかったからだったそうですが、1917年にアメリカも第一次世界大戦に参戦した為、結局、アメリカで陸軍に入隊することになりました。しかし、当時、写真家を生業にしていた彼が配属されたのは、航空写真を撮影したり訓練映画の編集をしたりする部隊で、実戦には参加していません。この部隊には後に映画監督となるヨーゼフ・フォン・シュテルンバーグやビクター・フレミングといった映画関係者が多くいて、彼らの友人を介してストーンがハリウッドで職を得ることになったのですから、それが彼の運命だったのでしょう。このようにして、1919年からハリウッドで働き始めた彼はその才能によってめきめきと頭角を現し、9年後には「Two Arabian Knights」でアカデミー賞の監督賞を受賞。さらに本作でも二度目の監督賞を受賞しました。まあ、この『映画の棚』で何度も書いているとおり、アカデミー賞を受賞したから何なんだって話で(笑)、映画好きの人は、それらの受賞作よりも本作の次にストーンが監督を務めた「The Front Page」を彼の最高傑作として挙げる人も多いようです。

それでは、今回もネタバレに入りましょうか(笑)。休暇を終えたポールが部隊に戻ってみると、隊の顔ぶれはかつての自分のような若い新兵ばかりに変わっていましたが、戦場でのいろはを教えてくれたカチンスキーは健在で、二人は再会を喜こびます。ところがその時、飛行機が投下した爆弾が二人の傍らに落下してカチンスキーが足に怪我を負い、ポールは傷は軽いから心配ないとカチンスキーを背負って野戦病院へ向かいます。しかし、二人をしつこく追ってくる飛行機が再び爆弾を投下し、破片で首をやられたカチンスキーは絶命しますが、そのことに気付かぬポールは彼を担いで野戦病院へ運び込み、そこで衛生兵から彼が既に息絶えていることを知らされて初めてその死を知ることになります。肩を落として野戦病院のテントを去るポール。それから暫しの時が流れ、相変わらず塹壕の中で敵と対峙していたポールは銃眼の向こうに美しい蝶を見つけると、そっと手を伸ばしますが、その瞬間、フランス軍の狙撃兵が放った銃弾が彼の身体を貫き、映画は終了(ポールが一時帰郷した際、彼が蝶の収集家であったことを匂わせる前振りが入れられているのは、このラストへとつなげる為だったんです)。実はこの映画版のラストシーン、原作小説とは大きく違っていて、小説では塹壕の傍に落ちた砲弾でポールは戦死し、そのあと、視点が第三者に変わってこう記されています。

「„Er fiel im Oktober 1918, an einem Tage, der so ruhig und still war an der ganzen Front, dass der Heeresbericht sich nur auf den Satz beschränkte, im Westen sei nichts Neues zu melden.“・彼は1918年10月、戦死した。全前線が非常に静かで穏やかだったその日、報告書に記されたのは『西部戦線で特に新しい動きなし』という一文だけであった」

この部分がまさしく小説のタイトルの由来であり、一人の若者の死など異状のうちにも入らないという戦争というものの残酷さ、異常さを読者に感じさせる重要な部分なのですが、映画ではこの文言が一切出てきません。これは非常に残念なことで、今からでもいいから絶対に付け加えるべきですね。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!

河内レオンは現在、シルクロードを旅行中につき、この記事は事前の予約投稿によって自動的にブログにUPされております。帰国予定の4月上旬まで、毎週日曜日の『映画の棚』の記事以外、ブログはUPされませんので悪しからずご承知おきくださいませ。

映画の棚・第33回「怒りの葡萄」

第33回】怒りの葡萄

原題:The Grapes of Wrath
公開年/製作国/本編上映時間:1940年/アメリカ/128分
監督:John Ford(ジョン・フォード)
主な出演者:Henry Fonda(ヘンリー・フォンダ)、Jane Darwell(ジェーン・ダーウェル)、John Carradine(ジョン・キャラダイン)、John Qualen(ジョン・カレン)

【ストーリー】
アメリカ合衆国の多くの市民が大恐慌によって引き起こされた不況で苦しんでいた1930年代前半、ナイフで襲ってきた相手の男を過剰防衛で殺してしまい7年の刑を言い渡されて刑務所で日々を過ごしていたトム・ジョード(ヘンリー・フォンダ)が、4年で仮釈放となって故郷のオクラホマ州サリソーにある自宅へと向かっていた。途中、サリソー郊外で知人の元牧師、ジム・ケイシー(ジョン・キャラダイン)と再会したトムは、既に信仰を捨てていたケイシーと酒を酌み交わし、暫し昔話に花を咲かせたあと彼と共に自宅へ向かったが、小作農をしていた両親の住む家は空家になっていた。二人が家の中に入ってみると、そこにいたのは隣人のミューリー・グレイブス(ジョン・カレン)で、トムは辺りの小作人たちの多くがDust Bowlと呼ばれる砂嵐のせいで農作物の不作が続く土地の権利を所有者から買い漁る銀行や畜産会社によって家を追い出されてしまい、皆が故郷を捨て、仕事を求めてカリフォルニアへ移住しようとしていることを聞かされる。翌日、叔父の家を訪れたトムは、そこへ一家全員で身を寄せていた家族と再会するも、カリフォルニアへ向かう為に家財道具をすべて売り払っておんぼろのトラックを手に入れていたジョード一家は既に出発の準備を整えており、トムとケイシーも彼らと共にカリフォルニアへ向かう決心をしてトラックに乗り込む。オクラホマ州からカリフォルニア州までは、ほぼ一直線のルート66の上をひたすら走るだけであったが、その移動距離は約2千キロ以上もあり、狭い車内に12人もの人間を詰め込んだ車による過酷な旅によって祖父と祖母がその途上で次々と亡くなってしまう。そればかりか、カリフォルニアが目前に迫る中で出会ったアーカンソー州出身の男から「カリフォルニアへ行っても仕事なんか無いし、待っているのは苦難だけだ」という話を聞かされ、一抹の不安を抱えつつ旅を続ける一家。そんな彼らがようやくたどり着いたカリフォルニアで目にしたのは、男が言っていたとおり、職もなく、日々の食事にさえありつけない絶望の中で暮らす州外からやって来た移住労働者たちの姿であった。

【四方山話】
前回と同様、今回もヘンリー・フォンダの出演作品です。本作はアメリカの作家スタインベックの文学作品「怒りの葡萄」を映像化したものですが、前半のジョード一家がオクラホマからカリフォルニアに到着するまでの描写は原作にほぼ忠実なものの、後半部分はかなり変更が加えられていて、ラストに至っては原作とまったく異なっています。にも拘わらず、スタインベック自身は「貧農の不屈の精神が見事に映像化されている」とこの映画を高く評価していたようで、特にヘンリー・フォンダの演技に感銘を受けていたそう。僕なら、自分の作品の結末をあんなふうに変更されたら怒り心頭で許せませんがね(笑)。因みに原題のThe Grapes of Wrathのwrath。聞き慣れない単語ですが、一般的な怒りangerとは違って、誰かを罰したい(宗教的、道徳的な観点から)と思うほどの激しい怒りを意味する言葉。聖書や神話に出てくる時は通常「神の怒り」を表します。スタインベックは「あなたにとって宗教とは何かと問われれば、私には宗教がないと答えなければならない」と自ら語っていたとおり彼は無神論者であったのですが、キリスト教的な隣人愛は大好きであったようで、本作のタイトルも聖書のヨハネの黙示録第14章の記述(神の恵みに反して罪や悪に染まってしまう人間「悪い実、悪い人間」に厳しい裁きが下され、それらが搾り桶に入れられ、踏みつけられて血が滴り落ちる様子)から引用されていますし、ジョード一家がオクラホマから約束の地カリフォルニアへ向かう描写は「出エジプト記」とイメージが重なります。宗教を捨てたはずのケーシーをキリストのような犠牲者、トム・ジョードをその使徒的存在として描いてもいますね。但し、聖書の中ではぶどう園の主人の意に反して反抗ばかりをたくらむ労働者が悪い実、悪い人間であり、それ故に彼らには厳しい神の裁きが為されるのですが、スタインベックの作品では悪い農園主に善良な労働者がストライキで抵抗するも、結局、厳しい裁きを受けることになったのは労働者であったという点で大きく異なっていて、その不条理こそがスタインベックの描きたかったことなのかも知れません。

それでは解説です。本作の冒頭部分、小作人たちが砂嵐による農業被害で苦しんでいる舞台はオクラホマ州サリソーということになっていますが、撮影はオクラホマ州の現地で行われたのではなく、カリフォルニア州ロサンゼルス郊外のラスキー・メーサの丘陵地帯で撮影されました。オクラホマからカリフォルニアまでルート66を伝って移動するシーンに出てくる風景だけは、別動隊に実際にルート上を走らせてロケ撮影しています。ジョード一家が75ドルで買った車は1926年型のHudson Super-Six Sedanをトラックに改造したもの(原作小説でも同じ車種が登場)。あのような貧乏小作人でも車を買えるところが当時のアメリカの凄いところで、赤貧に喘ぎ、娘に身売りをさせなくてはならなかった日本の東北地方の小作農家などと比べれば同じ貧困と言ってもレベルが違います。38分前に「OKLAHOMA CITY」と出てくる看板の向こうに写っている街並みは、オクラホマ・シティーではなくニューメキシコ州のアルバカーキ。52分前のアリゾナ州の検疫所のシーンが撮影されたのはアリゾナ州のラプトン。53分20秒頃に登場の鉄橋は、コロラド川にかかるオールド・トレイルズ橋です。橋を越えればいよいよカリフォルニア州。この橋はヘンリー・フォンダの息子であるピーター・フォンダが主演した映画「イージー・ライダー」の冒頭のシーンでも背景に登場していますね(ピーターが乗るバイクが同じ橋の上を走らなかったのは、既に橋が通行禁止になっており、ガス管を渡す為だけに利用されていたから)。65分頃にジョード一家がようやく到着したカリフォルニア州の一時収容キャンプは、ロサンゼルスのセンチュリー・シティーにあった20世紀フォックスのスタジオでセットを組んで撮影。その後、一家が移動する先の「キーン牧場」は、同じくロサンゼルスの郊外にあった競走馬の放牧場でセットを組みました。この牧場は後に売却され、現在はThousand Oaksという名の住宅街に変貌しています。102分過ぎに一家が到着する生活設備が整った連邦政府運営の「FARMWORKERS’ WHEAT PATCH CAMP」は、移住労働者を支援する為に合衆国政府がカリフォルニア州ベーカーズフィールド近郊に実際に建設したFederal Government Campがモデルとなっていて、シーンの一部は本物のキャンプでロケ撮影されました。因みに、原作の小説ではこの文化的なキャンプは登場せず、一家は最後まで豚小屋同然の酷い生活環境のキャンプを転々とします。

では、お次は出演者の話へ。原作の著者であるスタインベックも感銘を受けたという発言を残しているように、本作でトム・ジョードを演じたヘンリー・フォンダの演技はとても自然で、舞台俳優のようなゲサな感情表現をすることなく過酷な環境で生きる人間たちが徐々に感じていく社会の不正義、不公平に対する怒りを静かな演技によって見事に醸し出していますね。フォンダのトム役への思い入れは映画の撮影前から相当なものであったようで、原作を読んでトム・ジョードをどうしても演じたいと思った彼は、20世紀フォックスの設立者の一人で副社長であったダリル・ザナックにトム役を演じさせて欲しいと懇願。ザナックはそれをいいことにフォンダに7年という20世紀フォックスの専属俳優としての長期契約を提示しましたが、フォンダはその条件を嫌々呑むことまでしてトム役を手にしたそう。フォンダのトム役が熱演であったのは当然の結果だった訳です。フォンダと並ぶ熱演であったのがイタリアの肝っ玉母さん風のトムの母親を演じたジェーン・ダーウェル。ダーウェルが母親役に起用されたのは、前年に公開された「ジェシー・ジェームズ(邦題は「地獄への道」笑)」でフランク・ジェームズ(フォンダ)の母親役を演じた彼女を気に入っていたフォンダの強い要望があったからだとされていて、プライベートでもson、maと呼び合う仲であったという二人の演技の息が合っていたのも納得。端役が多かったですけども、彼女は生涯で170本もの映画に出演しました。逆にイケてないと思ったのがトムの妹で妊婦でもあるローザシャーン役のドリス・ボードンと同じく妹であるルース役の少女、シャーリー・ミルズ。ローザシャーンというのは変わった名前ですがRose of Sharon(植物のムクゲ)が正式な名前。この役を配されたドリス・ボード、実は本作の脚本を担当したナナリー・ジョンソンの恋人だった人物で(本作の撮影後、二人は結婚)、要は縁故採用みたいなもので、そういった流れで役を手にした者は大抵の場合、大した役者ではないですね(笑)。原作の小説では、この妊婦のローザシャーンがラストシーンでの鍵となってくるのですが、その話はまた後で。ルース役のシャーリー・ミルズも日本の劇団ひ〇わりから飛び出してきたみたいな演技でがっかりでした。ジム・ケイシー役もジョン・キャラダインよりもむしろミューリー・グレイブスを演じたジョン・カレンを配する方が良かったのではないかという気がしないでもありません。

と、上から目線で出演者をけなしたところで解説のシメに入りましょう(笑)。ここからはいつもと同じくネタバレです。カリフォルニアに到着したジョード一家のその後ですが、一時収容キャンプでの生活が始まって程なくすると、キャンプへやって来た農作業の斡旋業者と業者の不正を暴く一人の男との間で口論が始まり、業者の手下である警官が介入して発砲。それを止めようとしたトムが警官を殴り倒し、ケイシーが彼の身代わりとなって警察に逮捕されます。同じ頃、ローザシャーンの夫、コニー(エディ・クイラン)が妊娠中の彼女を捨ててキャンプから消え(原作小説では、カリフォルニアへ到着する前に長男のアルとコニーが姿を消します)、ローザシャーンが悲しみに暮れる中、一家はいざこざから距離を置くべくキャンプを離れますが、その途中、農場での仕事を紹介されてそこへ向かいます。一家が働くことになったのは「キーン牧場」という名の農場で、賃金も悪くはなかったのですが、それは農場で働く労働者たちが農場の賃下げや農場に1軒しかない食料品店での食料品の意図的な値上げに抗議してストライキを起こしたことで人手不足となっていたからで、ストライキの問題が解決すれば、賃金は再び下げられるということが分かってきます。ある夜、何かがおかしいことに気付いたトムがキャンプを抜け出して外の様子を窺いに行くと、そこで見つけたのは、川沿いでテントを張ってストライキを指揮する労働者たちで、その一団のリーダーとなっていたのは、警察へ連れていかれたまま一家の前から姿を消していたケイシーでした。再会を喜ぶ二人。ですが、その夜はキーン牧場の経営者が警備員を使ってストライキの指導者たちを一網打尽にしようと企てていた日で、警備員の集団に見つかってしまった彼らは逃げようとしたものの取り囲まれてケイシーは殴り殺され、それを止めようとしたトムも逆に警備員を殺めてしまいます。トムは棍棒で殴られて顔に傷を負いつつもその場から逃亡して追われる身になりますが、顔に傷を負っている男ということしか分からない牧場側は探索にてこずり、その間にジョード一家は他の農場で仕事が見つかったとトムをトラックの荷台に隠してキャンプから脱出、連邦政府の運営するキャンプにたどり着きます。そこは屋内トイレやシャワー設備までが備えられた今までのキャンプとは比べ物にならない文化的な施設で、そこでの生活もキャンプで暮らす労働者たちの自主性に委ねられていました。地元警察は、統制のとれたそんな労働者たちを共産主義者の手先とみなしていて、毎週土曜日にキャンプで開催されるダンス・パーティーで手下に喧嘩沙汰を起こさせ、その介入を口実にキャンプ内に突入して労働者たちのリーダーたちを逮捕しようと目論みますが、その動きに気付いた労働者たちが機転を利かせて阻止します。労働者たちが結束して権力と闘うその光景を目の当たりにしたトムは、それまでに様々なキャンプで人が人として扱われず、尊厳を奪われている姿を目撃してきていたこともあって強く心を動かされ、警備員殺害の犯人を探す警察がキャンプに現れると、家族に迷惑をかけないようにする為にも家族のもとから去ることを決意、労働者の権利のために闘ったケイシーの意思を引き継ぎたいと母親に告げて密かに家族の前から消えます。一方、残された一家もフレズノの綿花農場で20日間の仕事を見つけたことからキャンプを去ることにし、その農場へと向かうラストシーンでトラックの助手席に座るトムの母親が最後に口にするのが以下の有名な台詞です。

Rich fellas come up and they die.
Their kids ain’t no good and they die out,
but we keep a-comin’.
We’re the people that live.
They can’t wipe us out.
They can’t lick us.
And we’ll go on forever, Pa, ‘cause we’re the people.

金持ちどもは現れては消えていく
連中の子孫はろくでなしばかり、それ故に消えていく
でもあたしたちが途切れることはないわ
あたしたちこそが生きる民なんだもの
連中はあたしたちを滅ぼすこともできないし
打ち負かすこともできない
あたしたちは生き続ける、だってあたしたちこそ民なんだもの

この台詞は、忍耐強く生きる庶民への賛辞であると同時に資本主義の強欲さに対する痛烈な告発であり、過酷な自然だけでなく残酷な経済システムもまた、人としての尊厳さえ人から奪うというアメリカ社会における現実、そして、その現実の中に潜む不正義、不公正が生み出した悲惨な状況に対する深い共感と憤りを映画を見終えた観客に呼び起こすものでした。だからこそ、ストーリーの結末を大きく変えられても原作者のスタインベックは納得したのでしょう。なぜなら、彼は「怒りの葡萄」を執筆する前に「この責任(大恐慌によってもたらされた庶民の苦難)を負っている貪欲な奴らに恥というレッテルを貼りたい」と自分の創作ノートに綴っていて、結末は大きく変更されてはいても作品自体は彼のその思いに反してはいなかったから。あと、冒頭でも述べたように原作小説と映画ではそのエンディングが大きく異なっていて、映画版の結末は明るい未来を暗示するハリウッド的なものになっていますが、原作の小説ではこうなっています。人間以下の生活しかできないキャンプを転々としていたジョード一家からトムが姿を消した後、ローザシャーンは赤子を死産。しかし、母親は毅然とした態度を崩さず、家族を励まし続けます。そんなある日、キャンプを洪水が襲い、一家が高台にあった古い納屋に避難すると、そこには飢えて死にそうになっている見知らぬ父子の姿があり、男の命を救うには何をすれば良いのかを悟った母親は、娘のローザシャーンを見つめて彼女と男の二人きりにし、ローザシャーンが男に自分の母乳を飲ませるというのがエンディング。映画版の結末とはまったく別物の強烈なシーンですね(汗)。まあ、当時のアメリカでそんなシーンを映像化するのはちょっと不可能であったであろうということは容易に想像できますが、原作小説の結末のままで映像化していれば、そのシーンはドリス・ボードが演じることになっていた訳で、それが嫌で本作の脚本を担当した恋人のナナリー・ジョンソンが映画版の結末を変えたと考えるのはちょっと想像が飛躍し過ぎでしょうか(笑)。

第43代合衆国大統領ジョージ・ブッシュが若かりし頃、本作を見た際にもらした感想は「これは共産主義の宣伝映画だ!」だったそうですが、本作のプロデューサーで20世紀フォックス社副社長のダリル・ザナックは労働組合嫌いで反共産主義思考の強かった人物。監督のジョン・フォードは後にニクソン大統領を支持し、ベトナム戦争を正当な戦争だと主張したような御仁(ジョン・ウェインの如き強固な反共主義者を可愛がっていたのもジョン・フォード)。そんな人物たちが集って本作を撮影したというのは何とも不思議でなりませんね(笑)。本作は80年以上も前に撮影された古い映画ですが、富める者たちだけがひたすら富み、それ以外の者たちが次々に人間としての尊厳さえ奪われる時代に突入した今の日本国で、この映画を鑑賞することは決して無意味ではないと僕は思います。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!

河内レオンは現在、シルクロードを旅行中につき、この記事は事前の予約投稿によって自動的にブログにUPされております。帰国予定の4月上旬まで、毎週日曜日の『映画の棚』の記事以外、ブログはUPされませんので悪しからずご承知おきくださいませ。

映画の棚・第32回「十二人の怒れる男」

第32回】十二人の怒れる男

原題:12 Angry Men
公開年/製作国/本編上映時間:1957年/アメリカ/96分
監督:Sidney Lumet(シドニー・ルメット)
主な出演者:Henry Fonda(ヘンリー・フォンダ)、Lee J. Cobb(リー・J・コッブ)、Ed Begley(エド・ベグリー)、E. G. Marshall(E・G・マーシャル)、Jack Warden(ジャック・ウォーデン)

【ストーリー】
舞台は1950年代のアメリカ、ニューヨーク市。うだるような暑さが続いていた夏のある日、マンハッタンにある裁判所の法廷で結審したのは、スラム街にあるアパートの自宅で少年が口論の末に飛び出しナイフで父親を刺殺したとされる事件であった。裁判官は少年が起訴されている罪は第一級殺人(第一級謀殺)であり、陪審員が有罪と判断すれば死刑が確定することを述べて評議室へと入る十二人の陪審員を見送り、部屋に集った互いの名前も知らぬ陪審員たちは、評議をするよりも早く家に帰りたいとばかりに慣例に従って早速、評決を取る。被告人は札付きの不良少年。しかも、少年が殺人を犯したという証拠や証言が数多く揃っていたことから評決は直ぐに全員一致で有罪になるかと思われたが、有罪に賛成する挙手をしなかった男が一人いた。その男は陪審員番号8番(ヘンリー・フォンダ)。男が有罪に賛成しなかったのは少年の無罪を確信していたのではなく、裁判の過程で検察側の少年に対する偏見を感じ、少年が殺人を犯したとされる証拠や証言に対して疑念を抱いていたからであった。すると、評決を早く終わらせたい面々から「少年は間違いなく有罪である」という怒涛の反撃が始まる。それは、一人でも反対者がいると、十二人の陪審員の全員一致が原則である評決を全員が一致するまで永遠に繰り返さなければならないからで、中でもその急先鋒は、不仲な自らの息子を法廷での被告の姿に重ね合わせる陪審員番号3番(リー・J・コッブ)であった。両者の対立を軸に評決は混乱に陥っていくが、自らの観点で事件の真相を見極めようと陪審員番号8番の疑問に声を傾ける者が一人また一人と出始める。果たして評決の行方は?

【四方山話】
「法廷モノ」と呼ばれる作品群の中で歴史的名作とされる本作ですが、1954年に放映された米国CBS製作のテレビドラマ「Twelve Angry Men」のリメイクであることはあまり知られていません。基本的にドラマ版と映画版の筋書きに差異は無く、違うのは作品の長さくらい(ドラマ版は約50分)。当時は録画機器が貧弱であった為にドラマは生放送で放映されたそうで、台詞だけで進むこの作品を生放送という一発勝負でよくできたものだと感心してしまいます。ドラマ版との混同を避ける為なのか新聞の見出し風にしたかったのか、理由は良く分かりませんけども映画版のタイトルは「12 Angry Men」。まあ、発音すれば同じですから、耳で聞いた場合は違いが分かりませんね(笑)。この映画(というか脚本)のすごいところは、出演者から次々と繰り出されるテンポの良い台詞だけで観客を最後まで惹き付けてスクリーンから目を離させないこと。映画の中に出てくるのは、最初と最後の短いシーンを除いて陪審員が集う評議室の中だけ。あんな何の変哲もない部屋から画面が他の舞台に移動しないのに観客を退屈させないというのは、並大抵のことではありません。当然、撮影に必要なセットが最小限で済みますから、本作の製作費は約34万ドルと当時としては破格の安さで収まりましたが、絵に動きがない分(普通のアメリカ人が映画に求めていたものではなかった)、当時の観客の受けは今ひとつで、批評家には賞賛はされたものの興行的には奮わず、この映画が一般に名作として知られるようになったのは、皮肉にも後にテレビで放映されてから以降のことでした。

本作をより深く理解するには、陪審制というアメリカの司法制度について知っておくことを避けては通れませんので、解説に入る前に簡単にですが少し触れておくことにします。陪審制とは、一般市民から無作為に選出された者(陪審員)が裁判官から独立して犯罪の事実認定、つまり、有罪か無罪かを決定する制度です。13世紀初頭に「人は同輩から成る陪審の判決によるのでなければ処罰されない」という権利をマグナカルタで宣言したイギリスに於いて発展した制度で、イギリスの植民地であったアメリカもそれに習いました(実は日本でも、1928年から43年までの間、陪審制が実施されていました)。陪審制においては、量刑(刑の重さ)は裁判官が決定しますが、犯罪の事実認定は前述のとおり陪審員のみによって行われ、裁判官は評議に加わりません。評決は原則全員一致で(現在は特別多数決と言って11対1や10対2でも評決に達したと認める国も存在)、陪審員の意見が分かれてしまって、いつまでたっても評決に達しない場合は「評決不能」と見做し、新たな陪審員を選任して裁判をやり直します。日本国のように裁判官が中世の王侯貴族や領主の如く人を裁いているだけでなく(法が人を裁いているのではありません。人が人を裁いているのです)、これまでの数々の公害裁判や原子力発電関連の裁判、種々の違憲判断裁判で常に国家の意向に沿った判決しか御用裁判官たちが下さないことからも分かるとおり、日本国の司法制度はデタラメだらけで正義の鉄槌が下されることはありません(まあ、日本国だけでなく、世界中どこでも同じようなものですが)。単に司法試験をパスしただけでエリートとされる裁判官が神のように振る舞う日本のような司法制度よりも、少なくとも陪審制の方がまだましであることはこの映画を見れば一目瞭然。なぜなら、社会においてそこに暮らす構成員を裁く資格があるのは、同じくそこで共に暮らす構成員以外にはありえないからです。勿論、陪審制も問題だらけで、あくまでも「まだましなレベル」というだけのこと。例えば本作では陪審員が全員白人男性でしたが、この裁判が黒人男性が白人女性を殺害した事件の裁判であったのなら、間違いなく3分で有罪の評決に達していたことでしょう。いずれにせよ、従来の欧米法などの理念などとは完全に決別した新たな思考による正義を行う独自のシステムを将来的には生み出さなければならないことに疑問の余地はありません。因みに、本作に出てくる「第一級殺人(murder in the first degree)」というのは、周到な準備に基づいて行われた殺人や強盗、強姦などの重罪の結果として行われた殺人に対する量刑で、裁判官の情状酌量は一切認められず自動的に死刑適用となります(死刑制度のない州では終身刑)。これに対し、計画性や周到な準備がない一般的な故意による殺人や、殺意はないが重大な危険行為(暴行など)によって人を死亡させた場合には「第二級殺人(murder in the second degree)」が適用され、こちらの場合は裁判官の情状酌量が可能。なので、そもそもからして本作の少年がなぜに第一級殺人で起訴されていたのかが甚だ疑問。犯行が被害者側の挑発に基づいていたとか、犯行当時の容疑者の心理状態に問題があったのであれば、謀殺(murder)ではなく、むしろ故殺(manslaughter)が適用されてしかるべきでしょう(ここで謀殺と故殺の違いの説明を始めると話がどんどん長くなるので割愛します・笑)。

いつものように前置きが長くなってしまいましたので(汗)、そろそろ解説に入るとしましょう。先ずは本作の舞台について。舞台がどこの街なのかということは映画の中で直接触れられてはいませんが、   7分30秒頃に二人の陪審員が評議室の窓の外を覗いているシーンで「Hey, is that the Woolworth Building?」「That’s right」という会話を彼らが交わしていることや(Woolworth Buildingは1930年まで世界一の高さを誇っていた高さ240メートルの高層ビル)、陪審員番号7番の男(ジャック・ウォーデン)が「I have tickets to that ball game tonight.Yanks and Cleveland・今夜のヤンキース対クリーブランド戦の野球観戦チケットを持ってるんだ」とはりきっていますから(彼が8分40秒頃に「Real jug-handled・まじなカーブ(を投げる)」と話しているマジェルスキーというヤンキースのピッチャーは実在しません。余談ですが、当時のヤンキースはミッキー・マントルが所属するチームの黄金時代でした)、舞台となっている裁判所があるのはニューヨーク市のマンハッタンであることが分かります。実際、ラストシーンで陪審員8番(ヘンリー・フォンダ)と9番(ジョセフ・スィーニー)とが別れの挨拶を交わすシーンが撮影されているのはマンハッタンのCentre Streetの60番地にあるNew York County Courthouse(ニューヨーク郡裁判所)の正面玄関。それ以外のシーンの評議室などはニューヨークにあった20世紀フォックスのスタジオでセットを組んで撮影されました。本作は96分の上映時間のうち90分以上が評議室でのシーンなので、ロケ地に関する話はこれにて終了!(笑)。因みに、本作の陪審員たちが劇中において番号でしか登場しないのは、陪審員裁判では互いの名前も知らぬ者たち同士が一致団結して事実認定を行うというふうに脚本の設定がなっていたからで、実際の裁判では勿論、陪審員同士は裁判開始前にお互い自己紹介をして名前で呼び合います(見知らぬ者同士がひとつのチームとしてまとまるには、名前で呼び合うことが必須だそう)。現在のアメリカでは、年間100万人以上が陪審員となって裁判に参加しているようですが(刑事事件の場合は、司法取引によって裁判をする前に解決となることも頻繁にあります)、仕事を休んで参加しないといけないのに日当の金額が20ドルとか30ドルと低いので、渋々参加している人も多いように聞きました(陪審員を務めることは国民の義務なので正当な理由なく拒否はできませんし、拒否のハードルも高いらしいです)。

では次に、いつもの出演者紹介。なんと言っても先ず最初に取り上げなければならない役者は、陪審員番号8番を演じたヘンリー・フォンダですね。本作では普通に地味なおっさんの役柄ですが(笑)迫真の演技によって真実に目を背けた偏見は許さないという男の信念を滲み出させていました。素晴らしい演技です。フォンダは1905年、ネブラスカ州生まれ。フォンダの母親が舞台女優であったマーロン・ブランドの母親、ドロシーと友人関係にあり、ドロシーの勧めで舞台劇の子役のオーディションを受けたことが演技に目覚めた切っ掛けでした。フォンダ家の血筋には本人も含め、もとから演技の才能の遺伝子が備わっていたようで、「コールガール」や「帰郷」で主演を務めたジェーン・フォンダと「イージーライダー」でブレイクしたピーター・フォンダはヘンリー・フォンダの実子です。第二次世界大戦開始時、既に有名俳優であったフォンダは「スタジオで偽物の戦争を体験するのは嫌だ」と海軍に志願して水兵として駆逐艦に乗り込み、退役時には少尉になっていたという経歴も持っており、映画「Mister Roberts」の海軍将校役が板についていたのも頷けますね。スクリーンの上では堅実なアメリカ人男性を演じることの多かったフォンダですけども、私生活では女性関係にルーズな人で、なんと5回も結婚をしています(汗)。その結婚生活の中でもジェーン・フォンダとピーター・フォンダの母親、フランシス・シーモアはフォンダの女性関係を苦に自殺しており、本当の自殺理由をフォンダはジェーンとピーターに隠し続けていた為、後にその事実を知ることになった二人と彼との間には親子関係の断絶が生まれました(最後は和解)。次に陪審員8番に最後まで抗う陪審員番号3番を演じたリー・J・コッブ。「この攻撃的なキャラと演技、どこかで見たことがあるぞ」と思った方は映画通ですよ!そうです、『映画の棚』の第8回で紹介した「波止場」でギャングのボス役をしていたのがこのコッブですね。ヤンキースの試合観戦へ行きたいが為に早く評決を終わらせることしか考えていない陪審員番号7番役のジャック・ウォーデンもいい演技をしてました。この人も興味深い経歴を持っていて、戦前は食えないプロボクサーやナイトクラブの用心棒として暮らし、18歳になるとアメリカ海軍に入隊。第二次世界大戦中は陸軍に転籍して第101空挺師団に所属しました。この空挺師団はノルマンディー上陸作戦でドイツ軍の背後に降下した勇猛な部隊ですが、ウォーデン自身は上陸作戦直前の訓練中に足を骨折してしまった為、作戦には参加していません。この人は本作の監督シドニー・ルメットが1982年に撮った本作の二番煎じ映画「評決」にも出演していますね。陪審員番号9番のジョセフ・スウィーニーはほぼ無名ですけど、テレビドラマ版でも同じ陪審員9番を演じていた役者。それと、陪審員番号1番。あの個性のある顔に見覚えありませんか?そう、第30回で解説したヒッチコックの「サイコ」で私立探偵役を演じていたマーティン・バルサムです。本作では死なずに済んでいますね(笑)。陪審員番号4番のE・G・マーシャル、10番のエド・ベグリーの演技もいいですし(この人も海軍出身)、台詞だけで話を進めないといけない映画ということもあって、やはり、陪審員役12人全員、演技レベルの高い役者を揃えてます。出演者の多くが軍務(実戦)経験者というのも興味深い点でしょう。あと、監督のシドニー・ルメットにも少し触れておきましょうか。僕の中では「この監督=ニューヨーク」というイメージがありますが、ルメットが生まれたのはニューヨークではなくフィラデルフィアなんですよね(育ちはニューヨークのLower East Side、当時は移民労働者階級が暮らす街区)。アル・パチーノが主演したニューヨークが舞台の「セルピコ」や「Dog Day Afternoon(邦題は記しません・笑)」もこの監督の作品です。ルメットも第二次世界大戦中は陸軍兵士として出征しており、その出征先は日本軍が侵攻していたインド・ビルマ方面でした。ですが、彼の任務はレーダーの修理であったので、日本兵と直接戦ったということではなかったようです。

さてさて、なんだか今回も話が長引いてきましたので、そろそろシメに入るとしましょう。ここから先はネタバレが入りますのでご注意願います。その後の評議ですが、先ず8番が再検討を呼びかけたのは凶器とされる飛び出しナイフ(switch knife)についてでした。ナイフを買ったことは認めるが、落として失くしてしまったという被告の少年の主張に対し、ナイフは特徴的な形状、柄をしており、同じものは二つとして無いと検察が決めつけていたからです。8番以外の陪審員は検察の主張を鵜呑みにしていましたが、8番が自分のポケットから取り出したナイフを凶器として警察が押収したナイフの横に並べた(テーブルに突き刺した)瞬間、皆がどよめきます。なぜなら、そのナイフが凶器のナイフと瓜二つであったから。どこでそのナイフを手に入れたのかと詰め寄る他の陪審員に「前日に少年が暮らすスラム訪れ、そこで普通に買えた」と答えた8番の言葉は、同じものは二つとして無いという検察の主張を瞬く間に覆し、このことでまず9番が8番の側につきます。これを切っ掛けに、スラムで育ってナイフを使った喧嘩を何度も目撃したことのある5番が、飛び出しナイフを使い慣れた人間が今回の事件のような角度で人を刺すことはないと疑問を呈し、少年の「殺してやる」という声を聞き、そのあと少年がアパートの階段を駆け下りていくのをドア越しに目撃したという老人の証言も、足の悪い老人が寝室から自室のドアまで15秒で移動することができないことが評議室の中で実証されます。そればかりか、高架鉄道の傍の部屋では列車の通過時には人の声など聞こえないということも判明。ついには、高架鉄道を挟んだ向かい側のアパートの部屋から少年が父親を刺すのを目撃したという中年女性の証言も、証言台に立っていた女性の顔に眼鏡をかけていることを示す皮膚のへこみがついていたことや片手で鼻をこするという眼鏡使用者の独特の仕草をしていたことを9番が思い出したことから、証言者の女性は普段は眼鏡を使っていて視力が悪いのではないかという疑いが浮上。ベッドで寝ていたところ、ふと窓の外を見たら少年が父親を刺しているのが見えたという証言に信憑性がない(人は寝床に就く時には眼鏡を外しているから、暗い夜に裸眼で高架鉄道の向こう側の部屋で何が起こっているのかが見えたかどうかは疑問)との認識が形成された時には、無罪を支持する陪審員が11名に達していました。3番だけは一人頑なに有罪を主張し続けますが、そんな3番も自分が少年の有罪にこだわっているのは反りの合わない自らの息子に対する憤りを法廷の被告に向けているからだということに気付くとテーブルの上で泣き崩れ、少年が無罪であることに同意します。このように、弁護人の努力不足によって引き起こされた被告人の不利な状況を陪審員たちが合理的疑いを洗い出してひとつひとつ吟味していく、つまり、法廷での検察と弁護人のやりとりはあくまでも事実認定の材料に過ぎず、真実を焙り出すのは普通の良識と理性を備えた市民である陪審員たちによる評議であるというのが本作が伝えたかったことなのでしょう。こうして、評決は無罪で全員一致となり映画も終了。オープニングからラストまで約90分、息つく暇もなく一気に見せますから「なるほど、これは名作だ!」とは思いますけども、「じゃあ、いったい誰が父親を殺害したのか?」や「ナイフは少年の落としたものだったのかそれとも別物だったのか?」「ナイフが少年の購入したものと同一であったのなら少年は誰かにはめられたのか?」といったことは一切語られずに映画は終わってしまいますので、僕としてはちょっと消化不良というか何というか、首を傾げたくなる点が無いという訳ではないんですよね。と、言いがかりも甚だしいところで(笑)、今回の解説を終えることにしましょう。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!

河内レオンは現在、シルクロードを旅行中につき、この記事は事前の予約投稿によって自動的にブログにUPされております。帰国予定の4月上旬まで、毎週日曜日の『映画の棚』の記事以外、ブログはUPされませんので悪しからずご承知おきくださいませ。

映画の棚・第31回「世代」

出来の良い解説回を選りすぐった『洋楽の棚』特選集、10曲を紹介して先週終了しましたので、今週からは『映画の棚』の新作を5週にわたってお送りすることにしました。河内レオンの独特の視点によるユニークな映画解説をどうぞお楽しみください。第35回までの公開が済み次第、『映画の棚⑦』としてまとめます。

第31回】世代

原題:Pokolenie
公開年/国/本編上映時間:1955年/ポーランド/83分
監督:Andrzej Wajda(アンジェイ・ワイダ)
主な出演者:Tadeusz Łomnickiタ(タデウシュ・ウォムニツキ)、Urszula Modrzyńska(ウルシュラ・モドジニスカ)、Tadeusz Janczar(タデウシュ・ヤンチャル)、Janusz Paluszkiewicz(ヤヌシュ・パルシュキェヴィッチ)

【ストーリー】

舞台はドイツ軍のポーランド侵攻から三年が経過したドイツ軍占領下の首都ワルシャワ。郊外の貧民地区で母親と暮らす青年、スタァフ(タデウシュ・ウォムニツキ)は定職にも就かず、同年代のコステクとズィジョとつるんで気ままな生活を送っている。そんな彼らが愛国的行為だとして励んでいたのは、地区の傍を頻繁に行き交う行くドイツ軍の貨物列車から物資を盗むことで、その日、三人が飛び乗ったのは石炭を運ぶ貨車だったが、監視の為に乗り込んでいたドイツ兵に運悪く見つかってしまう。ドイツ兵はすぐさま不審者に向けて小銃を発砲。ズィジョが撃たれて虫の息となり、スタァフはズィジョを助けようとコステクの名を呼ぶが、銃声を聞いたコステクは先に貨車から飛び降りて逃げてしまい、銃弾が肩をかすめて傷を負ったスタァフも諦めてコステクの後を追う。しかし、辺りを探してもコステクの姿は無く、土手に掘られたトンネル内で見つけたのは一人の酔っ払いであった。酔っ払いはスタァフの傷の手当をしようと行きつけの飲み屋へ彼を連れて行き、そこでスタァフは木工所で働くセクーラ(ヤヌシュ・パルシュキェヴィッチ)という男と知り合う。青年がドイツ軍に撃たれたことを知ったセクーラは、自らが働く木工所での仕事を彼に斡旋するが、それは親切心からではなく、スタァフの無鉄砲さに可能性を感じたからであった。セクーラは、ドイツ占領軍に対して密かに抵抗運動を続けている共産主義者でありレジスタンスだったのである。木工所で働き始めたスタァフにセクーラは労働者が如何に経営者から搾取されているかを説き、夜間学校に通ってしっかり勉強するよう励ますが、彼が通い始めたその学校にある夜、「人民防衛隊に入隊し、ナチスに対して立ち上がれ!」と力強いアジ演説を打つ美しくい女性、ドロタ(ウルシュラ・モドジニスカ)が現れる。その女性こそセクーラの同志であり、男勝りなドロタを一目見て彼女に惹かれたスタァフは、職場の同僚ヤシュ(タデウシュ・ヤンチャル)を巻き込んでドイツ軍に対する抵抗運動に深く関わっていくようになるのだが…。

【四方山話】
抵抗三部作と呼ばれるワイダの作品の中で一番最初に撮影されたのが本作。しかしながら、既に『映画の棚』で紹介した抵抗三部作の残りの二作品である「地下水道」と「灰とダイヤモンド」に比べると、その作品の完成度は遥かに低く、部分的に共産党の宣伝映画のような仕上がりになっています。世間では後者の二作品と併せて「抵抗三部作」と一括りにしていますが、僕は本作を「地下水道」と「灰とダイヤモンド」という名作が生み出される前段階の実験的作品であると捉えていますので、インターネット上の記事で「圧倒的完成度を誇る傑作」「リアルな描写」といった評価を目にする度、ちょっと首を傾げざるを得ません。にも拘わらず、僕が本作をここで今回取り上げた理由は、この「世代」が、ポーランドの国民性を強調することでソ連によって定義、奨励されていた芸術における「社会主義リアリズム」に公然と反旗を翻した初の作品であるから。その流れの延長線上に「地下水道」「灰とダイヤモンド」があることは間違いなく、後者の二作品をより深く味わってもらう為にも、皆さんには本作を観ておいていただきたいなと思うのです。社会主義リアリズムにおいては「現実を社会主義革命が発展しているという認識の下で、空想的ではなく現実的に歴史的具体性をもって描き、芸術的描写は労働者を社会主義精神に添うように思想的に改造し教育する課題に取り組まなければならない(←何のことやらワケワカメ・笑)」というのが基本原則とされていましたが、リアリズムと名乗りながらも、実際には党の許す範囲の現実しか描けないという似非リアリズムでした。そこで、後に「ポーランド派」と呼ばれるようになったポーランドの映画人たちが参考にしたのがイタリアのネオ・レアリズモであり、その影響は本作の冒頭に出てくるワルシャワ郊外の貧民街の様子を映し出す長回しのシーンを見ても明らか。バラ色の生活以外はあってはならない社会主義下において存在し続けている貧困生活というリアル(現実)を社会主義リアリズムでは描いてはいけなかった訳ですが、本作では冒頭から堂々と映し出していますね(笑)。

と、なんだか小難しい話になってしまいましたので(汗)、そろそろ映画の解説へ入りましょう。本作は首都のワルシャワが舞台という設定になっていますが、ロケ撮影はワルシャワ市街だけでなく東部にあるポーランドで4番目に大きな都市ブロツワフや映画大学の置かれていたウッチでも行われたそうで、33分50秒前に登場のスタァフとドロタが再会する教会はブロツワフにあったもののようです(冒頭のワルシャワ郊外の貧民街は、ワルシャワのヴィスワ川左岸に位置するオホタOchota地区で組まれた屋外セット)。屋内シーンの大部分もブロツワフとウッチにあるスタジオでセットを組んで撮影されました。70分過ぎに画面に登場するヤシュがドイツ兵に追い詰められる建物内の美しい螺旋階段、こちらもブロツワフにあった市営浴場のもので、70分40秒頃、ドイツ兵のサブマシンガンから放たれた銃弾がヤシュの頭上の壁に次々と穴を開けていきますが、恐らくあれは銃の扱いに慣れた人が実弾を壁に撃ち込んでいるのではないかと思われます(汗)。その直後、ヤシュが遂にドイツ兵に左腕を撃たれるシーンが出てきますけども、ここの部分は流石に仕掛けあり(笑)。コンドームの中に血糊と爆竹を仕込んだものを服の袖の内側に仕込んで爆発させたそう。このあたりが当時としては画期的なリアル描写とされているのでしょう(冒頭、ズィジョが貨物列車の荷台で撃たれるシーンでもこの仕掛けを使って欲しかったですが)。あと、いつもの武器オタク視線から見たどうでもいいトリビアですが、国内軍の武器庫となっていた木工所からスタァフが盗んだ拳銃は「Pw wz33」というソ連のトカレフ(TT-33)をポーランドでコピー生産したもの。でも、この銃の製造がポーランドで始まったのは戦後の1947年なので、話の辻褄が合わないんですよね(笑)。

次に出演者ですが、先ず冒頭に出てくるナイフの達者な使い手のコステク。この役者、誰だか分かりますか?あの顔にロイド眼鏡をかけた姿を想像してみてください。そう!後に「灰とダイヤモンド」でマチェック役を演じることになるズビグニエフ・チブルスキーです。本作でチブルスキーが登場するのは冒頭のシーンだけで、貨車から飛び降りて逃亡するとそれ以降は消えてしまってストーリーにまったく絡んできませんが、これではもったいな過ぎますね。僕なら、逃げたコステクは仲間を見捨てて逃げたことを反省してスタァフのもとへ戻って彼と共にレジスタンスとなるも、下手を打ってドイツ軍に捕まってしまい、ドロタの隠れ家を密告してドイツ軍の犬になるという筋書きにします(笑)。冒頭で消えるチブルスキーとは違い、本作で主演を務めたのはスタァフ役のタデウシュ・ウォムニツキ。彼は1927年、現在のウクライナのピダイツィ生まれで、その後、ポーランド南部のクラコフに移住し、第二次世界大戦中は国内軍の兵士としてドイツ軍に抵抗しました。戦後、クラコフの劇場で劇作家としてデビュー。後にワルシャワ国立演劇学校で学ぶ機会も得たこともあって俳優としても活躍。ポーランド映画史における偉大な俳優の一人とされていますが「世代」の出演時はまだ駆け出しの役者でした(本作撮影時、彼は30歳も目前でしたから、少年とか青年役ってのはちょっと無理がありましたね・笑)。監督のワイダはイタリアのネオ・リアリズモ映画のように素人を使って撮影をしたかったようですが、芸達者な素人が溢れているイタリアとは違ってポーランドで同じことはできず、舞台演劇の大げさな演技にまだ染まっていないプロと素人の境界線上にいるような俳優をできるだけ選んで配役したと伝えられています。次に、スタァフと共にレジスタンスに参加する職場の同僚のヤシュを演じたタデウシュ・ヤンチャル、こちらも見覚えがないですか?この人は「地下水道」でヤツェック役を演じていましたね。本作でのスタァフとドロタの関係性は、「地下水道」でのヤツェックとストクロトカのそれに活かされているような気がします。そして、本作でそのドロタ役を演じたのがウルシュラ・モドジニスカ。美人というよりも個性のある顔立ちですけども、この女優も1928年生まれなので作品の役柄の設定年齢よりはかなり歳を食っていました(笑)。因みにスタァフと共にレジスタンス活動に身を投じている若者、ムンデクの役を演じているのは後に西側に亡命して監督業で名を成すロマン・ポランスキー。ポランスキーと言えば、彼の奥さんで女優であったシャロン・テートがロサンゼルスでカルト教団に殺害されるという悲劇に見舞われた一方、本人も別の少女強姦事件で逮捕された後、米国から逃亡を図って世間を騒がせるなどした変態男でもありました(笑)。ポランスキーは2002年公開の「戦場のピアニスト」の監督としても知られていますが、僕の中ではジャック・ニコルソン、フェイ・ダナウェイと組んで1974年に撮影した「チャイナタウン」の監督という印象の方が強いです。セクーラ役で味のある演技をしていたヤヌシュ・パルシュキェヴィッチは日本では無名俳優ですが、本作でその演技力を認められて1990年頃まで数多くのポーランド映画とテレビドラマで活躍しています。

それでは最後に、その後のスタァフを待ち受けていた運命を語って終わりにしましょう。ここからはネタバレとなりますのでご注意ください。セクーラに紹介された木工所で働き始めたスタァフ。セクーラの狙いどおり、ドロタが率いるレジスタンスのグループに加わることを決意した彼は、国内軍の武器倉庫として使われていた木工所の作業場に隠されていた拳銃を偶然見つけ、仲間たちにいいところを見せようと盗み出します(本作では国内軍を資本主義階級と結びつく悪者として描いており、しばしば歴史の歪曲であるとして非難されますね)。その拳銃が悲劇へと向かう序章の引き金となってしまうのは、それから暫く経ったある日、スタァフがドイツ軍に材木の窃盗という濡れ衣を着せられて暴行を受けた時のこと。スタァフを殴りつけたドイツ軍将校の行きつけの飲み屋を知っていたスタァフとヤシュは復讐しようとその飲み屋へと向かい、ヤシュがスタァフの拳銃で将校を射殺してしまうのです。ドロタはスタァフたちの無謀な行動を非難し、ドイツ軍の報復を避けるために自らの隊を解散。同じ頃、ワルシャワのゲットーではユダヤ人の蜂起が発生し、セクーラにその支援を頼まれたスタァフたちは、地下水道に逃れた同志たちの救出に向かいますが、ドイツ軍に見つかって銃撃戦となり、逃げ遅れたヤシュが建物の最上階に追い詰められた末、観念したかのように階段の上から飛び降りて壮絶な死を遂げます。ヤシュの死に衝撃を受けるスタァフでしたが、ドロタは「今度、新たなメンバーたちが加わるから、あなたがリーダーとなって率いるのよ」と彼を励まし、その夜、二人は初めて結ばれますが、翌朝、食料の買い出しに出かけてドロタのアパートへ再び向かったスタァフが目にしたのは、彼女がゲシュタポ(ドイツの秘密警察)に連行されていく光景でした。そして、そのあとに続くラストシーン。悲しみに打ちひしがれながらも、ドロタとの約束を果たすべく、レジスタンスの新メンバーとの合流場所へ向かうスタァフ。そこへやって来たのは一人の少女を含む六人の純真そうな若者たちで、その姿を目にしたスタァフは頬に涙を伝わせながら彼らを迎え、そこで映画は終了します。スタァフが涙をこぼしたのは、やって来た少女の姿がドロタの面影に重なったからではなく、自らが歩んだのと同じ過酷な運命がこの先、若者たちを待ち受けているということに対するやりきれない思いからであったというのが僕の理解。戦争で生き延びるのは人を利用する側の人間であることが世の常。利用される側の人間はただ死んでいくだけなのです。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!

河内レオンは現在、シルクロードを旅行中につき、この記事は事前の予約投稿によって自動的にブログにUPされております。帰国予定の4月上旬まで、毎週日曜日の『映画の棚』の記事以外、ブログはUPされませんので悪しからずご承知おきくださいませ。

【お知らせ】4月上旬まで本サイトのUPを休止します

遂に還暦を迎えてしまった河内レオン(汗)。とは言え、体力があるうちにやっておきたいことがまだまだ山ほど残っていまして、その第一弾としてこの10年間、毎月3千円ずつ貯めてきた旅行資金を使って今週より10年振りの旅に出ます。行き先はシルクロード。当初の計画では中国の西安からタクラマカン砂漠のオアシス都市を訪ねながらカシュガルへ向かい、カシュガルから標高4千メートルのイルケシュタム峠を越えてキルギスへ入国、中央アジアを抜けて最後はトルコのイスタンブールを目指す予定でしたが、あの作り笑顔が心底気味悪いまぬけ女がイキって余計なことを口にしたせいで、予約していた西安行きのフライトが減便でキャンセルされてしまい、別のフライトを探しても料金が高いし、再予約したところで、出発直前になってまたフライト・キャンセルにされたり、中国の入国査証免除が突然休止になったりなんかすると厄介極まりない。ということで、中国部分の旅程は全部カットして旅程をもう一度作り直し、今回はカザフスタンのアルマトイからトルコのイスタンブールまで旅することにしました。

ほんと、あのババアの余計な一言のせいで、10年振りの旅の楽しみが半減です(怒×10)。今のところ帰国は4月初旬を予定していますが、僕は携帯電話やスマートフォンを日本でも持っていませんし、旅の荷物も常に最小限にするというのがポリシーですから旅行中に荷物になるノートパソコンを持ち歩くなど論外。なので、ブログを始めとした本ホームぺージの更新はその間、ストップします(不在中でも毎週日曜日だけは『映画の棚』のネタがUPされるよう予約投稿しておきましたので、その記事だけはブログに自動でUPされていきます)。今のところ、僕のブログに対するコメントやメールでの問い合わせはゼロ行進ですから(汗)誰からもコンタクトは無いとは思いますけど、不在中に万が一そのようなことがあった場合、お返事は帰国後となります。予めご承知おきくださいませ。

帰国後『旅の棚』で今回のシルクロードの旅の報告をUP致しますので、乞うご期待!では、行ってまいります!