ノーベル賞

このエントリーをはてなブックマークに追加

毎年、冬が始まるこの時期になるとカスゴミがこぞって伝えるのがノーベル賞を誰が受賞したかということ。受賞者の中に日本人がいようものなら、毎度のことですが大騒ぎです(まあ、騒いでいるのはカスゴミだけですが・笑)。ノーベル賞というのは皆さんもご存知のとおり、ダイナマイトを発明して巨万の富を手にしたスウェーデン人、アルフレッド・ノーベルの遺言に基づき創設されたノーベル財団が受賞者を選定する賞で、人類の発展に最も貢献した人物や団体を顕彰するということになっていますが、僕には日本人がいつまで経ってもこんな賞をありがたがっていることが不思議でなりません。こんな賞を欲しがるだけでなく、それを公言してはばからないのはアメリカのあのとんま男くらいじゃないでしょうかね(笑)。

1901年の第1回の開催からして、その際に北里柴三郎博士が受賞できなかったということからも分かるとおり(北里博士の研究が選ばれなかった理由は、当時は受賞者が1名に限られていたとか、共同研究の概念がなかったとか、もっともらしい言い訳が為されていますが、要はアジア人に賞を与えたくなかった=アジア人に世界を変えるような研究ができる訳がないと考えていたからだけのこと)、最初からその程度の賞なのです。その後に付け加えられた文学賞や平和賞なんてのはさらに酷いもので、その存在意義さえ意味不明と言えるでしょう(今年も、ベネズエラの反政府活動家が受賞するという茶番が演じられていましたね)。

これまでにノーベル賞を受賞した日本人の方々の医学、化学、物理といった分野での研究というものはそもそもノーベル財団なんかに評価されるまでもなく、人類の発展に貢献する第一級のもの。問題は、八木アンテナや光ファイバーの例を挙げるまでもなく、日本国にそれらを評価するまともな人材(日本人)がいないということです。日本人はノーベル賞なんかをありがたがる前に、自らの周囲に優秀な研究成果が山ほどあるのに、なぜそれを見い出せないのか、なぜに価値あるものと認めることができないのかの理由を今こそ考えるべきではないでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です