第21回 バニー・レークは行方不明
原題:Bunny Lake Is Missing公開年/製作国/本編上映時間:1965年/イギリス・アメリカ/107分
監督:Otto Preminger(オットー・プレミンジャー)
主な出演者:Laurence Olivier(ローレンス・オリビエ)、Carol Lynley(キャロル・リンレイ)、Keir Dullea(キア・デュリア)、Martita Hunt(マーティタ・ハント)、Noël Coward(ノエル・カワード)
【ストーリー】
4歳の幼い娘、バニーを連れてアメリカからイギリスのロンドンへやってきたばかりのアニー・レーク(キャロル・リンレイ)は、記者としてロンドンに駐在している兄のスティーブン・レーク(キア・デュリア)が用意してくれたアパートへ引っ越す日、その日の朝方に初めて娘を預けた保育園へ電話を入れる。電話に出た保母から園の「ファースト・デイ・ルーム」に立ち寄るように告げられ、新居へ向かう前にそこを訪れたアニーだったが部屋には誰もおらず、引越し業者が新居のアパートにやって来る時間が迫っていた彼女は、たまたまキッチンで見つけた女性の調理係(ルーシー・マンハイム)に経緯を話す。それを聞いた調理係は「あとで保母に話しておくから早く行きなさい」と助言し、アニーはその言葉に従ってアパートへと急ぐ。引越し業者と時間どおりに無事合流して荷物の搬入を終え、挨拶にやって来た大家のホレイショ・ウィルソン(ノエル・カワード)という不気味な老人の誘いに煩わせられつつも、新居で必要な品の買物を済ませた彼女が預けていた娘を迎えに再び保育園へ向かってみると、バニーの姿が保育園内のどこにも見当たらず、娘を担当していたはずの保母も歯の治療で医院に向かったと告げられる。不安に駆られながらアニーは保育園の他のスタッフたちに娘はどこにいるのかと尋ねて回るが、皆の返答は一様に「そんな娘は見かけていない」というもので、そればかりか、午前中に言葉を交わした料理係の女性は園のスタッフと揉め事を起こして突然辞めてしまっていた。途方に暮れたバニーは兄のスティーブンに助けを求め、保育園に車で駆け付けたスティーブンの激しい抗議によって保育園内の捜索許可を得た二人は、園の階上の部屋を調べて回るもバニーの姿はやはりどこにも見当たらず、階上で見つけた唯一の人間は最上階で暮らすエイダ・フォードという風変わりな老婆だけであった。エイダは保育園のオーナー兼自称作家で、建物内を良く知るエイダも捜索に加わるがバニーの発見には至らず、バニーが誰かに連れ去られた可能性があると主張するスティーブンは、園のスタッフたちの反対を押し切って警察に通報の電話を入れる。保育園へすぐにやって来たのは部下を引き連れたロンドン警視庁(スコットランド・ヤード)のニューハウス警視(ローレンス・オリビエ)。初老のベテラン刑事はレーク兄弟の陳述から失踪事件とみて捜査を開始するが、聞き込みで得た「娘の姿は見なかった」という多くの者の証言やアニーの新居に子供用の生活道具が一切見当たらなかったこと、そして、何よりもアニーの情緒不安定な様子から、娘のバニーはアニーの想像上の人物であり、最初からそのような娘はいなかったのではないか、兄のスティーブンはそんな妹をかばっているだけではないのかと考え始める。
【四方山話】
この作品をご覧になって「そう言えば『映画の棚』で紹介されていた映画の中に同じようなパターンのものがあったな」と思われた方。正解ですよ!あなたは本コラムの熱心な読者です!(嬉)。いるはずの人物が消え、周囲の者たちがそんな人物は見ていないと相反することを口にするという点で、第13回で紹介したヒッチコックの監督作「バルカン超特急」とプロットの基本線が同一ですね。但し、バルカン超特急では観客がスクリーン上で目にしていた人物が映画の鑑賞途中で観客の目の前から消えますけども本作では、消えてしまったバニーを観客も最初から目にしていないという部分が大いに違います。この映画の監督を務めたオットー・プレミンジャー(「第十七捕虜収容所」で収容所の所長役を演じていた人です)は、バルカン超特急から作品のヒントを得たといったようなあからさまな言葉は残していませんが、この人の「The Man with the Golden Arm(黄金の腕)」や「Laura(ローラ殺人事件)」といった作品を観ると、プレミンジャーとヒッチコックの二人は互いの作品を常に意識しあっていたに違いないと思わざるを得ません。本作のオープニング・クレジットは、画面の一部分を手で次々に剥がしていくような非常に斬新で良く出来たものですけど、これを製作したのはソール・バスというプレミンジャーが懇意にしていたタイトル・デザイナー。ヒッチコックの有名作品である「めまい」「北北西に進路を取れ」「サイコ」の独創的なタイトルデザインもバスが手掛けたものなんですよね。どうりで冒頭から両者の作品に同じ匂いを感じてしまう訳です(笑)。
本作の舞台となっている地は、映画の最初、5分40秒頃に主人公のアニーが保育園の調理室で調理人の女性に「We’ve only just arrived in England a few days ago」と言っているとおり、イギリスのイングランドであることはその時点で判明しますが、それだけではイングランドのどこであるかが分かりません。ですが、そのあとアニーが新居のアパートにタクシーで向かう途中のシーンでロンドンのトラファルガー広場にそびえ立つネルソン提督の記念碑がスクリーンに映し出されるので、舞台がロンドンであることがはっきりします(まあ、タクシー自体、ブラック・キャブと呼ばれるロンドン・タクシーなんですが・笑)。映画の冒頭に出てくるアニーの兄スティーブンが借りている瀟洒な家の塀には「PROCMORE END NSW」と通りの名が出ていましたけども、これはフィクションの住所。実際はロンドン北部HampsteadのCannon Placeの14番地にある邸宅で撮影されました(現在も同じ場所に同じ建物が建っています)。アニーの引越し先はトラファルガー広場に近いCarlton Mewsという場所。但し、映画に出てくるアパートの建物はその後、再建の為に取り壊されたので残っていません。引越しのあと、アニーが出掛けた買物先はトラファルガー広場にほど近いCrown Passageですね。アニーが娘のバニーを預けた保育園もロケ撮影した建物で、こちらもHampsteadのNetherhall Gardensの5番地に現存しており、今は高校の校舎として使われているようです。因みに、この保育園で料理係が用意していたjunketという日本では聞き慣れない食べ物、これは英国の伝統的デザートで牛乳プリンのようなものなんですが、ゼラチンではなくレンネット(凝乳酵素)を使って牛乳を固めます。と言っても、僕はイギリス人がjunketなるものを食べている姿を見たことはありませんし、今の英米の若者たちにjunketのことを尋ねても、恐らくそれが何であるかを答えられる人は少ないことでしょう(笑)。ニューハウス警視とアニーが語り合う65分前頃からのシーンに登場するいかにもイギリスといった居酒屋もセットではなく実在したパブ。ロンドンのMaida Vale地区、Warrington Crescentの93番地に今も残っていてThe Warrington Hotelとして営業しています。このパブのシーンでテレビの画面から流れ始めるのは1960年代のイギリスで人気のあったロック・グループ「The Zombies」の曲で、パブのテレビの画面に映し出されているのも本物のThe Zombiesです。映画作品と音楽アーティストのタイアップのはしりみたいなものですが、そもそもプレミンジャーはなぜにThe Zombiesを選んだのかという問いに対する答えは、彼らが1964年にリリースしたヒット曲「She’s Not There」にありそう。なんたって、その曲の中に「Please don’t bother tryin’ to find her. She’s not there・彼女をわざわざ探そうなんてしないでよね。だってそこに居ないんだから)」という歌詞がありますから(笑)。The Zombiesはプレミンジャーから映画用の曲を3曲書いて10日以内にレコーディングするように命じられたと語っていて、本作に挿入されているNothing’s Changed、Just Out of Reach、Remember Youの3曲を期限内に仕上げたそうです。
さて、お次は出演者の話を少し。アニー役を演じたキャロル・リンレイ、正統派美人で本作での演技も悪くないですが、この女優が出演している映画で他に思い出せるのは「ポセイドン・アドベンチャー」のノニー・パリー役くらいでしょうか。出演作に恵まれていれば、彼女はもっと活躍できていただろうになと思います。その兄、スティーブン役を務めたキア・デュリアは(日本ではデュリアと間違った読み方で表記されていますが、正確にはドゥレイです)「2001年宇宙の旅」で宇宙船ディスカバリー号の船長、デビッド・ボーマン役をしていた人。彼が宇宙船のコンピューターHALに向かって言う「Open the pod bay doors please, HAL」という台詞はあまりにも有名ですね。プレミンジャー監督が今で言うところのパワハラ気質の人であったことは多くの映画関係者が証言していて、本作の撮影中、その凄まじい「口撃」で常に吊るし上げを食らっていたのがキア・デュリアであったそう。あと、ニューハウス警視の役を演じたのは、当時、還暦前であったローレンス・オリビエ。舞台俳優(特にシェークスピア作品)としての名声を欲しいままにしていた彼ですけども、僕はこの人の舞台を見たことはないですし、本作では脇役ということもあってかその演技は凡庸にしか見えませんでした。どちらかと言うと、彼がさらに歳を取ってから出演した「マラソンマン(Marathon Man)」や「ブラジルから来た少年(The Boys from Brazil)」での悪役の演技の方がずっと良かったし、強く印象に残っています。それと、変態チックな大家のホレイショ・ウィルソンを演じたノエル・カワードは日本ではほぼ無名、出演した映画もあまり多くないもののイギリスでは英国王室やウィンストン・チャーチルとも交流が深い著名人でした(特に戦前の演劇界で)。本作では下心丸出しでアニーを口説く役を演じていましたが、この方、プライベートではゲイだったそう(笑)。カワード(Coward)なんて変な苗字ですけども、これは芸名ではなく本名。古英語のcu(牛)とhierde(牧畜)から転じた苗字です。つまり、Cowardさんのご先祖は「卑怯者」だったのではなく「牛飼い」だったということですね(笑)。
この作品、映画館での封切り時は、ヒッチコックの「サイコ」同様に途中入場を禁じることで話題作りに励みましたが、記録的大ヒットとなった「サイコ」とは違って興行的には失敗作でした。ところが2005年にDVD化されたことによってコアな若者たちが注目するようになり、今ではカルト的な人気を誇るようになっています。ですが、僕の中での評価は、やはり二級映画の域を出ませんね(←またまた上から目線かよ・汗)。その最大の理由は作品のプロット自体が破綻しているからです。本作にはEvelyn Piperというアメリカの作家が1957年に刊行した同名のタイトルの原作小説があって(映画の結末は原作のそれとは全く違うものに変えられています)、オリジナルでは舞台がニューヨークなんですけど、本作ではロンドン。別に舞台をロンドンに変えることに問題はないですが、アニーが娘を連れてロンドンへ移住してきた理由が映画ではまったく触れられていないので、バニーが失踪する理由を推測するにあたり、先ずその点からしてしっくりときません。ここからはネタバレになってしまいますが、本作では所々でアニーとスティーブンの近親相姦的な愛情が描写されており(プレミンジャーはアメリカ映画の数々のタブーに挑んだ人だったので、本作で近親相姦的な感情を描くのも彼にとってのひとつの挑戦だったのでしょう←あくまでも個人の意見です)、そんな二人の関係の中で、スティーブンがバニーを邪魔者に感じていることにアニーがまったく気付いていないというのはどうもリアリティーに欠けます。逆に気付いてるとしたら、そんなスティーブンのところへ娘を連れてのこのこやって来るというのはさらなる矛盾ですよね。アニーが同級生との間にバニーを身籠り、結婚を申し込みにやってきたその同級生を追い返したのがスティーブンで、最終的に結婚を断ってバニーを私生児にしたのがアニー自身であった(理由はその同級生にさほどの愛情も感じていなかったから)という設定もあまりにも安直。ミスリードを誘う為に登場させていることがバレバレの大家ウィルソンやその日のうちに辞めて消えてしまう保育園の料理人の存在はいかにもですし、バニーが想像上の人物であることを観客に印象付けようとするエイダ・フォードやスティーブンの台詞もあからさま過ぎますね。バニーが想像上の人物であるように警察に思わせようとするスティーブンの言葉によってニューハウス警視がそう思い始めるのも不自然。警察がアニーの出入国記録を調べれば一人であったか娘連れであったかなんてことは直ぐに分かるからです(アメリカでは4歳の子供は勿論のこと、それがたとえ乳児であっても国外に出る際は個別にパスポートを取得しないといけません)。なのに、先に船の乗船記録を調べるとかあり得ませんね。このように、説得力に欠けることだらけの本作のプロットですが、それを巧みな演出によって緊迫感あるものに仕上げたプレミンジャーの技量は素直に褒めておきましょう(←懲りずに上から目線・笑)。
最後に余談ですが、先程触れたこの映画の原作小説にはモデルとなった話があり、1889年にパリ万博が開催された際に起こった女性失踪事件がそれだとされています。失踪事件と言っても実際に起こった事件ではなく、いわゆる都市伝説の類のもので、パリ万博見物に訪れたとある母娘の二人がパリのホテルにチェックイン後、母親が急に体調を崩し、医者を呼びに行った娘が部屋に戻ってみると、そこに母親の姿は無く、ホテルの従業員に尋ねても「お嬢さんは最初から一人でしたよ」という返事しか返ってこないことから娘は錯乱状態に陥り、精神病院に強制入院させられてしまうというストーリー展開。話のオチは、倒れた母親は娘が医者を呼びに行っている間に亡くなっており、その死因がペストであった為、ペスト患者が出たことでパリ万博に悪影響が出ることを恐れたパリ市当局とホテルが共謀のうえ死体を密かに運び出して、その事実を葬り去ったことになっています。この話を聞いて「馬鹿らしい。そんな与太話、誰が信じるものか!」と思うのが普通ですが、その一方では「いや、そんなことは無かったと言い切ることもできないんじゃないか…」と思ったりもしてしまうのが人間の心の面白いところで、本作やバルカン特急といった映画は、そんな人間の心理をうまく利用すれば、プロットが破綻していても作品として成立させることができうるということを実証していると言えそうです。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
第22回 アラバマ物語
原題:To Kill a Mockingbird公開年/製作国/本編上映時間:1962年/アメリカ/129分
監督:Robert Mulligan( ロバート・マリガン)
主な出演者:Gregory Peck(グレゴリー・ペック)、Mary Badham(メアリー・バダム)、Phillip Alford(フィリップ・アルフォード)、Brock Peters(ブロック・ピーターズ)、Collin Wilcox(コリン・ウィルコックス)、James Anderson(ジェームス・アンダーソン)、Frank Overton(フランク・オーヴァートン)
【ストーリー】
舞台は経済不況に喘ぐ1930年代のアメリカ合衆国、アラバマ州メイコム。南北戦争後の黒人奴隷解放など認めないとばかりに白人が黒人をnigger(黒んぼ)と呼んで平然と差別を続けるアメリカ南部の典型的な田舎町である。そんな町で妻を亡くしたあとも再婚はせず、家事を黒人の家政婦(エステル・エヴァンス)に任せつつも、まだ歳のいかない息子のジェム(フィリップ・アルフォード)と娘のスカウト(メアリー・バダム)を男手ひとつで育てているアティカス・フィンチ(グレゴリー・ペック)は、貧乏人の味方として町の住民から一目置かれている白人弁護士だ。裕福とまでは言えないが、アティカスの愛情を一身に受けて幸せな日々を過ごす子供たちの目下の興味は、近所のラドレー氏宅で人目につかぬように密かに暮らしているという「ブー」という謎の男の存在である。好奇心旺盛な彼らがブーをひと目見ようとあれこれ手を尽くしていたある日、アティカスの自宅へやって来た町の裁判所の判事、ジョン・テイラー(ポール・フィックス)が彼に、白人女性であるメイエラ・ユーエル(コリン・ウィルコックス)に暴行を働いたとして起訴された黒人のトム・ロビンソン(ブロック・ピーターズ)の弁護を依頼する。弁護を引き受ける者が見つからないことを察したアティカスは判事の依頼を引き受けるが、黒人を毛嫌いする町の白人住民たちは黒人の弁護をしようとする彼を非難し、メイエラの父親であるボブ・ユーエル(ジェームス・アンダーソン)に至っては「黒んぼの弁護なんて引き受けるな」と脅しの言葉さえ口にする始末。その影響はスカウトを始め、町で暮らす子供たちにさえも及んでいく。いよいよ裁判が始まる日の前夜、容疑者の安全を確保する為、敢えて遠くの留置所に収監されていたトムが町に移送されてくると、トムに制裁を加えようと武装した町の白人住民たちが裁判所に押しかけてくるが、その動きを見越して裁判所の入口に陣取ったアティカスがスカウトの助けもあって暴動を阻止。翌日、予定どおりに始まった裁判では、アティカスの穏やかだが鋭い弁舌によって検察側の主張が次々と覆され、部屋に侵入してきたトムに暴行されたというメイエラの主張が事実無根であるばかりか、彼女が用事を手伝って欲しいと偽って自らトムを部屋の中に招き入れ、それを目にした父親のボブが激怒して娘に暴力を振るったことが明らかにされていく。ところが、全員が白人の陪審員という裁判においてトムに下された判決は有罪。しかし、それはアティカスの予想の範囲内であり、逆転無罪を勝ち取る自信のある彼は控訴をしようとするのだが…。
【四方山話】
今回も先ずはこの映画に付けられた邦題に関しての愚痴からスタートせざるを得ません(笑)。本作の原題は「To Kill a Mockingbird」。日本語に訳せば「モッキンバードを殺すのは」とにでもなりますでしょうか。モッキンバードというのは、日本では「マネシツグミ」の名で紹介されている主として北米に生息する小型の野鳥のこと。その特徴は美しいさえずりとされていて、それはモッキンバードが他の野鳥の様々な美しいさえずりを真似ることができるから(ピアノ演奏の音さえ真似できるそう)。日本で「マネシ」の名が冠されているのはその為です。このTo Kill a Mockingbirdのタイトルを「アラバマ物語」にしてしまうなんて、ほんと、呆れを通り越して笑ってしまいます。センスの欠片もありませんね。そもそもアラバマという言葉自体、本作の舞台がアラバマ州の田舎町であるというだけで、映画の中では重要な意味をなんら持つものでもないですから(笑)。皆さんに先に紹介しておきたいのは、この映画の原作であるHarper Leeの同名の小説(全米で900万部というとんでもない数が売れた大ベストセラー)に記されてある、叔父からクリスマスに空気銃をプレゼントされたジェムとアティカスとのやりとりとそれを聞いていたスカウトがどう理解したのかの部分です。
「Atticus said to Jem one day, "I’d rather you shot at tin cans in the backyard, but I know you’ll go after birds. Shoot all the blue jays you want, if you can hit ‘em, but remember it’s a sin to kill a mockingbird." That was the only time I ever heard Atticus say it was a sin to do something, and I asked Miss Maudie about it. "Your father’s right," she said. "Mockingbirds don’t do one thing except make music for us to enjoy. They don’t eat up people’s gardens, don’t nest in corn cribs, they don’t do one thing but sing their hearts out for us. That’s why it’s a sin to kill a mockingbird」
長いので和訳は省略させて頂きますが、要は「私たちの為に音楽を奏でる(美しい声でさえずる)だけで何も悪いことはしないモッキンバードを殺すのは罪である」ということであり(Miss Maudieはアティカス家の隣に住む隣人女性)、本作のタイトルのTo Kill a Mockingbirdはit’s a sinが省略されていることが分かりますね(英語のsinは法律や規範を犯すことによって生じる罪ではなく、倫理や道徳を犯すことによって生じる罪の意味で使われます)。映画では、自分がジェムと同じ歳だった頃に親から初めて銃をもらった時のエピソードとしてアティカスがジェムとスカウトにその話をするように変えられてあり(37分前頃)、ラストのシーンではスカウトがアティカスの言葉を思い出したかのようになぜモッキンバードを殺してはいけないのかに言及するシーンが挿入されています。そこが本作の非常に重要なポイントとなっていて、タイトルがTo Kill a Mockingbirdである所以なのですが、その話は後ほど。余談ですが、42分半頃にアティカスが狂犬病に罹った犬を撃つ為に使用している珍しい型のライフルは「クラッグ・ヨルゲンセン」という北欧のノルウェーで開発された軍用小銃で、劇中のものはアメリカで「スプリングフィールドM1892」としてライセンス生産された軍用品がお役目終了になった後、民間向けに再生されて販売されたものではないかと思われます。モッキンバードを殺してはいけないとジェムとスカウトに語っていたアティカスがこのシーンにおいて二人の前で平然と犬を射殺するのは、その犬が狂犬病に罹っていて町の住民に危険を与える存在であり、誰かが片を付けなければならない、つまり、犬を撃つなどという行為は誰もがしたくないことであるが、人は正しいことを行うという勇気を時には持たねばならないという真理をジェムとスカウトに教えたかったからだと僕は考えています。
それでは、ひととおり「アラバマ物語」のタイトルを腐したところで、本作の舞台となったそのアラバマのメイコム(Maycomb)の話に進むとしましょう(笑)。このメイコムという田舎町、実は架空の町でして、原作者のHarper Leeが生まれ育ったアラバマ州のMonroevilleがモデルになったとされています。ですが、この映画はそこでロケ撮影されたのではありません。なぜなら、本作が撮影された1960年代初頭のMonroevilleは既に発展し過ぎていて1930年代の長閑な雰囲気の街並みが残っていなかったからで、近隣の他の町も状況は似たようなものでした。じゃあ、どうしたのか?そこは映画製作のスケールが違うハリウッド。カリフォルニア州のサンフェルナンド・バレーにあるユニバーサル・スタジオ内にセットを組み、メイカムの町として1930年代の南部の住宅街や裁判所などをまるごと再現してしまったのです。流石はハリウッド!と、ハリウッドを持ち上げたところで、お次は出演者のお話。主役のアティカス・フィンチ役を演じたのはグレゴリー・ペック。第6回の「日曜日には鼠を殺せ」で既にこの役者のことは解説済みですね。本作では道徳的誠実さを持つ弁護士と自らの子供たち(ジェム、スカウト)に愛情を注ぐ厳しくも心優しい父親の姿の両方を見事に演じました。ジェムとスカウトの役はオーディションによって選ばれた子役で、ジェム役のフィリップ・アルフォードは劇場での舞台出演経験がありましたが、スカウトの役を演じたメアリー・バダムはズブの素人(その割にはいい演技をしてました)。メアリーは本作でペックと共演して以来、彼を本物の父親のように慕って私生活でもアティカスと呼び、その交友はペックの死まで続いたそうです。映画の中では父親のアティカスに対してスカウトやジェムがsir付けで返事をするシーンが何度も出てきて違和感というか父親との距離感を感じるかもしれませんけど、アメリカ南部では、教師や両親、大人たちに対して返事をする時にはYes, sirとかNo, ma’amとかを使うようにと子供を躾けるのが一般的でした。蛇足ですが、メアリーの実の兄(13歳年上)は、妹が映画出演したことでその世界に興味を持つようになったかどうかは分かりませんが、後に映画監督となって「サタデー・ナイト・フィーバー」や「ブルーサンダー」のメガホンを取ったジョン・バダムです。本作での演技によってフィリップ・アルフォードとメアリー・バダムは世間から大注目を浴びたものの、子役で成功しても大成はしないというのがこの世界の常。残念ながらこの二人もその後、そのとおりになってしまいました(笑)。この他、トム・ロビンソン役のブロック・ピーターズ、ボブ・ユーエル役のジェームス・アンダーソン、テイト保安官役のフランク・オーヴァートンらの演技もなかなかイケてますが、彼らのその後もテレビドラマやB級映画の端役を演じるくらいで大成はしませんでした(ブロック・ピーターズはスタートレックの劇場版でカートライト提督の役をしてましたけど、まあ、あれもチョイ役ですね・笑)。唯一、大出世したのは台詞の無いブー・ラドリー役を演じた俳優です。映画を観て誰だか分かった方、いらっしゃいますか?あのブーの正体は、な、なんと、若い頃のロバート・デュヴァル!「ゴッドファーザー」や「地獄の黙示録」で名演技を見せたデュヴァルにもこういう時代があったんですよね(笑)。
話を少し脱線させると、本作を鑑賞した際、なぜにジェムやスカウトがこのブーの正体を探ろうと躍起になっているシーンにこんなに尺を使うのだろうかと不思議でしたが(直接的な表現は映画の中で出てきませんが、恐らくブーは知的障害者で家族が家に閉じこめているという設定)、それは伏線を張っているのであって最後にきっちり回収するようになってました(笑)。因みにこの映画では、冒頭に農夫のカニンガム(クラハン・デントン)がアティカスにヒッコリーの実(くるみの一種)を持ってくるシーンや前述のモッキンバードの話などもすべて伏線になっており、どれもうまく回収されるようになっているのは上出来。但し、トムを襲いにやって来た暴徒の中にいたカニンガムをスカウトが諭す際、彼女はentailments are badという言葉を使いますけど、いくら父親が弁護士であるとは言え、6歳の少女がentailmentsなんて法律用語を口にしているのはかなりの違和感がありますね(entailmentは遺産相続法においては、財産が特定の相続人のみに相続されるよう制限することを意味していて、その目的は家族以外への売却や譲渡を防止すること。本作では、その所為でカニンガムは土地を売ることができず、借金を返せないまま貧乏暮らしを続けているということを示唆していると思われます)。あと、ペック以外のキャストが当時無名だった役者ばかりであったのには理由があって、本作でプロデューサーを務めたアラン・ジェイ・パクラの「作品に新鮮さを出す」という方針によるものだったそう。パクラはその後、監督業にも乗り出し「大統領の陰謀」「ソフィーの選択」「ペリカン文書」といったサスペンス系の映画でヒット作を次々と世に送り出しました。
では最後に、冒頭で触れたモッキンバードの話に戻りましょう。ここから先はネタバレになりますので、本作をまだ鑑賞していない方は読まないようにしてください。先ず、裁判のその後ですが、アティカスが控訴の用意を始めようとした矢先、真実を否定する判決に絶望したトム・ロビンソンが護送中に脱走を図って射殺されてしまいます。が、事はそれで終わりとはなりませんでした。娘の淫らな行いを裁判で白日のもとに晒されたことでアティカスを逆恨みしたボブ・ユーエルが、学校から帰宅途中のジェムとスカウトを襲ったのです。しかし、そこに何者かが現れて二人を助け、気絶したジェムをアティカスの家まで抱きかかえて運びます。そこから始まるのが117分過ぎ頃からのラストシーン。気絶して家に戻ったジェムを目にしたアティカスが、後を追って帰宅したスカウトに何が起こったのかを尋ねるも、恐怖に怯えたスカウトは「分からない」としか答えられません。アティカスは取り急ぎ医者とテイト保安官に電話をかけて自宅に来て欲しいと依頼し、先に医者が駆け付けてジェムの手当を終えると、入れ替わるように保安官がやって来ますが、二人が襲われた現場を通ってきた彼は意外な事実をアティカスに告げます。それは、現場でボブ・ユーエルが包丁で刺されて死んでいたということでした。ちょうど同じ頃、落ち着きを取り戻したスカウトの記憶が徐々に甦り始め、突然、誰かに、恐らくはボブ・ユーエルに身体を掴まれて地面に押し倒され、今度はそれを助けようとしてくれたジェムにボブが掴みかかったところ、ぜいぜいと息をする別の人物が現れ、ジェムを運んで行ったと保安官に証言。それは誰だったのかと尋ねる彼に、スカウトが「そこにいる」と部屋のドアを指差し、ドアの陰から姿を現すのがブー・ラドリー。しかし、アティカスはジェムがボブを刺したのだと思い込んでおり、ジェムはまだ12か13歳だから裁判にはならないし、正当防衛で話を進めるつもりだと保安官に話します。すると、保安官は「フィンチさん、あんたはジェムがボブ・ユーエルを殺したって考えてるのかい?あんたの息子は奴を刺しちゃいないよ」と答えてブーを見つめ、その様子を目にしてすべてを理解したアティカスに向かっておもむろに語り始めるのが以下の言葉。
「Bob Ewell fell on his knife. He killed himself. There’s a black man dead for no reason, and now the man responsible for it is dead. Let the dead bury the dead this time, Mr.Finch. I never heard tell it was against the low for any citizen to do his utmost to prevent a crime from being committed which is exactly what he did. But maybe you’ll tell me that it’s my duty to tell the town all about it, not to hush it up. You know what will happen then. All the ladies in Maycomb, including my wife will be knocking on his door bringing angel food cakes, to my way of thinking, taking the one man who’s done you and this town a big service and dragging him, with his shy ways, into the limelight, to me, that’s a sin. It’s a sin and I’m not about to have it on my head・ボブ・ユーエルはナイフの上に転んじまったんだ。自ら死んじまったのさ。理由もなく死んだ黒人が一人いて、今しがたその責任を負う者も死んだ。フィンチさん、今回の件は「死にたる者にその死にたる者を葬らせよ」さ。彼(ブー)がやったように市民が犯罪を防ぐ為に最大限の努力をすることが法に反するなんてことは聞いたことがないしな。多分、あんたは、町の人々にすべてを話すのが俺の仕事で隠蔽することが仕事じゃないって言うだろうが、じゃあ、すべてを話した時に何が起こる?俺のかみさんも含め、メイカム中の女たちがエンジェル・フード・ケーキを手に彼の家のドアをノックするだろうよ。俺の考えはこうだ。君とこの町に大いに貢献した一人の男を捕まえて内気な彼に世間の注目を浴びさせることは、俺にとっては罪なことなんだよ。罪なのさ。俺には罪を犯す気なんて毛頭ないね」
少し補足しておきますと、Let the dead bury the deadは聖書のマタイによる福音書8章22節に出てくる言葉。一般的には「過去は過去として受け止め、未来に向かって生きよ」という意味であると理解されていますが、この映画ではDead men tell no tales(死人に口なし)と言っているようにも僕には聞こえましたね。angel food cakeは、泡立てた卵白と小麦粉を混ぜて焼き上げるアメリカ発祥のスポンジケーキ。つまりはお菓子のことで、ここでは手土産の比喩でしょう。そして、何よりも重要なのは、テイト保安官もこのシーンでsinという言葉を使用している点。このシーンでの保安官の言葉はまともなもののように聞こえますが、ユーエル親子に担がれてトム・ロビンソンを逮捕、起訴してしまい、そのことが結局、彼の死を招いてしまったという事実(つまりは、彼のsin)からの責任逃れをする為の方便にすぎないと僕は思いました。恐らくここの長台詞(と言うか、むしろ演説ですね・笑)の内容は、アティカスも想像していなかったものであったに違いありませんけども、アティカスは静かに去って行くテイト保安官の前で無言のまま軽く頷いて同意の気持ちを示します。が、法曹界に身を置くアティカスの中にはこの時点でまだ何かわだかまりが残っていたかも知れません。なぜなら、40分過ぎ頃のシーンで他人との付き合い方に悩むスカウトと彼がこんな会話を交わしていたからです。
Atticus: Scout, Do you know what a compromise is?・スカウト、妥協って何だか分かるかい?
Scout: Bending the low?・法律を曲げるってこと?
Atticus: Uh…No. It’s an agreement reached by mutual consent・うーん、違うよ。妥協ってのはね、互いが同意することによって生まれる合意のことなんだ。
そして、最終的に保安官の言葉どおりにしようとアティカスに決心をさせたのはこのラストシーンでそのあとスカウトが彼に告げる言葉でした。
Scout: Mr.Tate was right・テイトさんは正しかったのよ
Atticus: What do you mean?・どういうことだい?
Scout: Well, It would be sort of like shooting a mockingbird, wouldn’t it?・だって(テイト保安官の言ってたようにしないのは)モッキンバードを撃つのと同じようなこと、そうでしょ?
ここのItはテイト保安官の長台詞の内容を受けていて、具体的には事実を明るみにすることですね。それではここで、最初に紹介した原作の一節部分を思い出してみてください。つまり、スカウトのこの言葉は「まったく何の害もなく悪意も持っていないブーを逮捕して裁判にかけることはモッキンバードを撃つのと同じようなこと。お父さんはit’s a sin to kill a mockingbirdって言ってたわよね」ということなのです。斯くして、アティカス・フィンチは本作を通じて、正義を貫き正しいことのために戦うアメリカン・ヒーローに祭り上げられた訳ですが、果たして彼は正義を貫いたのでしょうか?僕の答えはNOです。本作を観た観客のほとんどは、子供たちを守ったブー・ラドリーを擁護することを当然のように受け止めはしても、ブーが黒人であったならどうなっていただろうと考える人は皆無でしょう。ですが、もしブーが黒人であったなら、テイト保安官はあの長台詞をそもそも口にしないし(ブーが白人であるから保安官はあのように考えることができたんです)、黒人のブーを即座に逮捕し、白人だけしかいない陪審が評決する裁判にかけていたことは想像に難くありません。そうなれば、ブーが知的障害者であろうがなかろうが、白人を殺した黒人として死刑にさえなりかねなかったのです。そのことから僕が何を言いたいのかと言うと、アティカスが正義を貫く為にしなければいけなかったのは、テイト保安官の提案に同意することではなく、たとえブー・ラドリーが子供の命の恩人であっても、保安官に彼を逮捕させ、裁判で決着をつけるべきであったということ。彼ほどの弁護の能力があれば、ブーが罪を問われないようにすることなど簡単にできたでしょう。それこそが正義を貫くということであり、真の正義なのです。フランスの人権宣言に記された人権が、白人の白人による白人だけの為の人権という茶番であるのと同じように(実際、黒人やアジア人の人権など彼らの眼中にはありませんでした)、本作も一見は道徳的誠実さと正義を描いているように見えますけども、その実は白人の白人による白人目線だけの映画、つまり、白人が考える正義が描かれているに過ぎないことを、非白人である日本人は理解した上で鑑賞していただきたいなと思います。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
第23回 スリ
原題:Pickpocket公開年/製作国/本編上映時間:1959年/フランス/75分
監督:Robert Bresson(ロベール・ブレッソン)
主な出演者:Martin La Salle(マルタン・ラサール)、Marika Green(マリカ・グリーン)、Pierre Leymarie(ピエール・レーマリ)、Henri Kassagi(アンリ・カッサギ)、Jean Pélégri(ジャン・ペリグリ)
【ストーリー】
戦後の混乱期を経て繁栄を取り戻した1950年代後半のパリで暮らす失業中の若者ミシェル。高学歴の彼が思い付いたのは、奇妙にもスリで生計を立てるということであった。数日で決心を固めたミシェルは、自分にスリをする大胆さがあるのだろうかと思いつつも、向かった先の競馬場でレース鑑賞に熱中していた婦人に背後から近付き、彼女のハンドバッグから見事に現金を抜き取ることに成功、いそいそと出口へ向かう。すべてがうまくいったと安堵の表情を見せるミシェル。ところが、競馬場を出た所で彼を呼び止めたのはスリを取り締まっていた二人の刑事で、そのまま警察署に連行されて署の警部から取り調べを受ける。しかし、現行犯で取り押さえた訳でもなく、犯行を否定するミシェルを拘束し続けることは不可能で、警部にできることは、証拠不十分で彼を釈放することだけであった。釈放されたミシェルがその足で向かった先は、病に伏している母親が暮らすアパート。ところが、久し振りに訪ねた部屋の玄関のドアには鍵がかかっており、母親の病状を気にしてくれているという階下で暮らす隣人のジャンヌが母親から預かっていた鍵でドアを開錠してくれる。しかし、母親に負い目を感じている彼は部屋に足を踏み入れようとせず、スリで得た金をポケットから取り出すや、母に渡すようジャンヌに頼んでその場から立ち去り、そのあと、行きつけのカフェで暫く避けていた友人のジャックの姿を探して「無職だから仕事が欲しい。何かコネはないか?」と彼に懇願する。心を入れ直したかのように見えたミシェルだったが、偶然にもそのカフェには彼を取り調べた警部が来ていて、警部から声をかけられた彼は「インテリと呼ばれるような優れた人間が、普通の人間向けに作られた法に同じように縛られないといけないのかい?」と言い放って挑戦的な態度をとる。警部は「そういう考え方は危険だぞ」と応じてミシェルに警告するが、そんな警告とは裏腹に、地下鉄の車内でプロのスリが財布を抜き取るところを目撃してその巧みな技術に魅了されたミシェルは、警察を嘲笑うかのように目の当りにしたスリの手口を真似始める。しかし、彼のやり方はまだまだ素人の域を出ないもので、ある日、財布を掏られたことに気付いた乗客に気付かれて警察に突き出されそうになるだけでなく、その頃から自分を尾行している男の陰に気付いて頭を抱える。ミシェルは男を刑事だと思って警戒するが、男の正体は、ミシェルを仲間に引き入れたいと考えるプロのスリであった。斯くして、スリの達人たちからプロの洗練されたやり方を学ぶことのできるようになった彼はめきめきとその技を向上させ、彼らと徒党を組んで荒稼ぎを始めるのだが…。
【四方山話】
この映画の原題は「Pickpocket」、まさしく「スリ」という意味ですね。ここで「あれっ、この映画ってフランス映画でしょ。pickpocketって英語じゃないの?」と思った方、スルドいですよ!実はpickpocketという単語、フランス語では珍しい英語からの借用語で、pickpocketはスリを意味する言葉としてフランス語でもそのまま使われているんです。tennisとかmailとかと同じですね。多くのフランス人はこれらの単語を英語からの借用語であると感じているようですが、英語のtennisもmailもpocketも、その語源はフランス語。ゲルマン系の言語に語源があるのはpickくらいです(笑)。それでは、今回は気分良くタイトルの話を終えたところで(笑)、先ずは本作の冒頭に出てくるテクストの解説からスタート。
「Ce film n’est pas du style policier. L’auteur s’efforce d’exprimer, par des images et des sons, le cauchemar d’un jeune homme poussé par sa faiblesse dans un aventure de vol à la tire pour laquelle il n’était pas fait. Seulement cette aventure, par des chemins étranges, réunira deux âmes qui, sans elle, ne se seraient peut-être jamais connues・この映画は警察ものではない。作者が試みているのは、自らの弱さに駆られ、自分には不向きなスリの冒険へと身を投じた若者の悪夢を映像と音を通じて表現することである。そして、その冒険が奇妙な道を辿ることで、それなしでは決して出会うことのなかったであろうふたつの魂を結びつけることとなる」
映画の本編が始まる前からいきなりこんなことを言われても「なんだかなぁー」って感じですよね(笑)。実は本作のメガホンを取ったロベール・ブレッソンは、自らの作品のカテゴリーを映画(cinéma)ではなくシネマトグラフ(cinématographe)であると主張していて、彼の定義によれば、シネマトグラフとは、動く映像と音の新しい言語を創造する試みでした。つまり、このテクストの前半が言おうとしているのは、本作が彼の言うシネマトグラフを具現化したものであるということが分かります。実際、ブレッソンは記者会見で本作について次のように述べていました。
「Je voudrais faire un film de mains, de regards, d’objets. S’approcher de ces objets, de ces mains, des ces regards c’est le privilège du cinématographe・手や眼差し、(憎悪や賛美の) 対象についての映画を作りたい。このような対象、このような手、このような眼差しというものに近づくことは、シネマトグラフの特権なんだ」
良く分からないのは「その冒険は奇妙な展開を通じて、それなしでは決して出会うことのなかったであろうふたつの魂を結びつけることとなる」の部分ですが、実はこのふたつの魂の意味、映画を最後まで見れば分かるようになってます。ここで解説するとネタバレにつながりますので、この話はまた後で(笑)。そして、このテクストが流れたあと、今度は主人公のミシェルがノートに文字を記しながら以下のような意味深長な言葉を呟きます。
「Je sais que d’habitude ceux qui ont fait ces choses se taisent au que ceux qui en parlent ne. les ont pas faites. Et pourtant je les ai faites・これらの行為を犯った者たちは沈黙している。もしくは、それらのことを語る者たちは犯ってはいない。にもかかわらず、僕は犯ってしまったのだ」
これも、この時点では何のことなのかさっぱりですが、このあとに続くシーンを見ればスリ行為のことを指していることが分かりますね。ただ、この始まり方、僕はちょっと首を傾げざるを得ませんでした。なぜなら、これではミシェルがなぜにスリなどを始めようと決意したのかが観客に全く分からず不自然だからです。映画の途中、ミシェルがGeorge BarringtonのThe Prince of Pickpocketsという古い著書を愛読していた事実が出てきて、そこでようやく、彼がスリに興味を持つに至った理由がその書にあるのであろうと推測できますが、そんなまどろっこしいことなどせず、プロのスリが地下鉄の車内で華麗に乗客の財布を掏るシーンを冒頭に持ってきて、自分には知性があってインテリなのに社会が認めてくれないという不満を抱えるミシェルがその現場をたまたま目撃して彼の心の闇に光が差す(法の外から社会を変えてやろうという決意をする)というふうにして欲しかったところ。「インテリと呼ばれるような優れた人間は、普通の人間と同じ扱いを受けるのは間違っている」というような傲慢な考えを持つミシェルのキャラクターを目にして、それってドストエフスキーの小説に出てくるあの人じゃないのと思った方、またまたスルドいですよ!スリと殺人の違いはあれど、ミシェルのキャラは「選ばれしエリートは、新たな世を生み出す為なら社会的道徳を踏み外す権利を持つ」と考えるドストエフスキーの「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフが下敷きになっているのは誰の目にも明らかで、売春婦ソーニャはジャンヌ、友人ラズミーヒンはジャック、予審判事ポルフィーリは警部がそれぞれの役に当てはまってもいます。ですが、ブレッソンがそのことに触れることは無かったみたいで、むしろ、本作は1953年に公開されたサミュエル・フラーのアメリカ映画「拾った女(Pickup on South Street)」に着想を得たと話していたようです。まあ、ラスコーリニコフは罪の意識に耐えかねて自首しますが、ミシェルは最後まで犯行を重ねますので、確かにそこの部分の違いは大きいですけども。本作はブレッソンの作品の中では最高傑作のひとつとされることが多いのですが、プロット自体は凡庸なものとしか言いようがありません。じゃあ、なぜに評価が高いのかと言うと、主人公の心理描写を手や指の動きで行ったというその斬新な手法によってでしょう。「目は口ほどに物を言う」ではなく「手は口ほどに物を言う」と言っても過言ではない映像美を本作によってブレッソンが作り上げたことは紛れもない事実であり、まさしくそれこそが彼の言うシネマトグラフなのです。
ではでは、お次は恒例のロケ地巡りへ御案内。本作の舞台はフランスのパリ、多くのシーンがスタジオのセットを使わずに市内各地でロケ撮影されました。一部のシーンは本コラムの第2回で紹介した「勝手にしやがれ」同様、予告無しで街頭に繰り出して撮影されたようで、それらのシーンは画面に映り込んでいる通行人らがカメラを気にしている様子からすぐに分かります(例えば40分前後の街頭のシーン・場所は恐らくマドレーヌ寺院の傍のデュフォ通り近辺)。スリの犯行現場として最初と最後に登場する競馬場はパリ市街西部のブローニュの森の中にあるロンシャン競馬場(L’hippodrome de Longchamp)。現在はパリロンシャン競馬場という名に改名されていて、スタンドなども撮影後に何度も大改修工事が施されているので今訪れても当時の面影は薄いです。本作ではスリの主な舞台が地下鉄車内である為、地下鉄の駅で撮影されたシーンも多く出てきますが、設定はそれぞれが違う駅になっていても、撮影はすべてメトロ13号線(撮影時は14号線)のヴァレンヌ(Varenne)駅で行われたそう。現在のヴァレンヌ駅はホームに巨大な彫像が並べられていたりで(笑)、撮影時とはかなり雰囲気が変わってしまっています。ミシェルが暮らすぼろいアパートがあるのはシテ島の南側、セーヌ川に面したQuai Saint-Michelの9番地。警部が勤務する警察署があるのはミシェルのアパートから川を挟んで斜め向かい、シテ島のRue des Orfèvresの36番地。9分過ぎに出てくるカフェでミシェルと警部が偶然に出会うシーンを見た時、リアリティー重視の僕は「人口2百万という大都市パリでそんな偶然があるものか」と馬鹿にしてしまいましたが(笑)、今しがた述べたミシェルのアパートと警察署の位置関係を知ると「なるほどな。近所だし、同じカフェに出入りしていることもあり得るか」と納得してしまいますね。恐らく、そのことを考えた上、計算づくでこの住所設定にしたのでしょう。23分頃に登場のプロのスリが溜まり場にしているのは、ピガールのBoulevard de Clichy1番地にあるカフェを兼ねたブラッスリー。なんと、この店、本作の撮影から60年以上を経た今も当時と同じ「Au Rendez-Vous Des Artiste」の名で営業を続けています。46分過ぎに登場の、スリ集団が芸術的な技を使って乗客の貴重品や財布を掏りまくる駅は(笑)、フランス国鉄(SNCF)のリヨン駅ですね。あと、劇中で何度か公共交通機関のバスが登場しますが、当時のパリで使われていたバスがああいう味のある車輛であったことを初めて知りました。地下鉄の駅のホームで、駅員が乗車客と降車客をコントロールしているのも興味深かったです(今のメトロではあんなことはしていません)。
撮影の舞台となった場所の話はこのあたりでネタ切れなので(笑)、お次は出演者の話へ。ブレッソン監督の作品に共通していることなんですが、本作の出演者もほとんどが素人俳優。と言っても、ブレッソンが素人俳優を使いたがった理由は、イタリアのネオリアリズモのように真に迫った実態を描写するには、そこに実際に生きる人々を使うことが一番であるという思想に基づくものではなく、映画の言語を、作品の推進力として俳優の演技に大きく依存する演劇の言語から切り離すというブレッソン独特の思想によるものでした(何が何だか良く分からない思想ですが・笑)。要は演劇のような大袈裟な演技しかしない(しかできない)役者は作品に害しか与えないということであり、彼はプロの役者を否定するだけでなく(ブレッソンは出演者のことを俳優とは呼ばずにモデルと呼んでいました)、演技という行為そのものにも反対していたとされています。日本の映画やドラマに出てくる出演者たちのゲサな演技に辟易している僕としては大いに頷けますね。そのような思想のもと、ブレッソン監督が本作でミシェル役を託したのはマルタン・ラサールという素人の青年。彼自身はフランス生まれでしたが両親は南米のウルグアイ出身で(先祖はバスク人)、ミシェルのキャラの設定と同じく実際にソルボンヌ大学を卒業したインテリだったそうです。第二次世界大戦中は両親と共にウルグアイへ疎開しており、本作の出演後は活躍の場をメキシコに移して多数のメキシコ映画に出演、そのままメキシコ国籍を取得してフランスに戻ることはありませんでした。そんな彼の本作での演技ですが、監督が「演技をするな」と言うような人なのですから仕方がないかとは思いますが、なんか血の通わない機械人間(アンドロイド)が役をしているような不気味さというか味気なさを感じざるを得ませんでした(←個人の意見です・汗)。ジャンヌ役のマリカ・グリーンもフランス人ではなく、ストックホルム生まれのスウェーデン人(母親はフランス人)。本作の撮影時は16歳だったそうですが、とても大人びていますよね。美人ではありますが、ちょっとクセのある顔立ちです。演技に関しては、内気なアンドロイドといった印象(笑)。ジャック役のピエール・レーマリも本作の撮影当時は医大生という素人のインテリで、後に医師となり、フランス国立カーン大学医学部の教授まで務めました。名無しの警部役のジャン・ペリグリも変わった経歴の持ち主でして、この人は北アフリカのフランス植民地であったアルジェリア生まれの作家。アルジェリアの独立によって多くのフランス系住民と同様にフランスへ移住し、パリ市内のリセ(高等学校)で教師として働いていました。劇中ではミシェルを追い詰める警部役でしたが、実生活ではミシェルと同じインテリ側の人だったってことですね(笑)。しかし、何と言っても真打は名無しのプロのスリ役(最初にミシェルをつけ回す男)を任せられたアンリ・カッサギ。チュニジア生まれのフランス人と紹介されることが多い彼ですが、本名がAbdelmaǧīd al- Qaṣ’aǧīであることからも分かるとおり、完全にアラブ系(もしくはベルベル系)の人ですね(彼の顔立ちからもそれは窺えます)。この人の面白いところは、本作で取り上げられているプロのスリたちと同じように、スリで生計を立てていた経験を持っていたということ(つまりは、犯罪者だった訳です・笑)。劇中で披露されるプロのスリの技もカッサギが指導を担当しました。カッサギはこの映画への出演によって世間に顔が知れ渡ってしまってスリができなくなった為、手先の器用さを活かしてマジシャンに転向したというエピソードがまことしやかに語られることが多々ありますけども、本作の撮影時、彼は既にスリから足を洗いマジシャンとして舞台に出演していたようです。
それでは最後に、冒頭で触れた「ふたつの魂」の話に戻って本作の解説を終えることにしましょう。ここからはネタバレとなりますので、この映画をまだ鑑賞していない方は読まないようにしてくださいね。スリの技術を身につけてその後も仲間たちと共に荒稼ぎに勤しんでいたミシェルでしたが、そんな彼らを警察が手をこまねいているだけの訳もなく、ある日、駅で行われた一斉摘発で仲間たちが連行されていくのを見かけたミシェルはアパートの部屋へ逃げ帰ります。すると、そこにやって来るのが警部。彼は「君が競馬場で拘束される1ケ月前、君の母親は現金を盗まれたと警察に届け出を出したが、直ぐに取り下げた。なぜなら君が盗んだと分かったからだ。君には自ら更生することを期待したが、その気はないようだな」と言って最後通牒を突きつけます。それを聞いて自分も捕まるのは時間の問題であると考えたミシェルは、部屋に隠してあった金品をかき集めて駅へ向かおうとしますが、その前にジャンヌの所へ立ち寄ってすべてを打ち明け「警部から逃げるつもりなのね」と言いながらも涙を頬に伝わせ自分をそっと抱きしめてくれた彼女を残してその場から立ち去ります。そして、慌ただしく駅へと向かった彼はそのままイタリアへ向かう列車に飛び乗り、イタリア経由でイギリスへ逃亡しました。それから二年の月日が流れたある日、逃走資金を使い果してしまったミシェルがパリに舞い戻ってジャンヌのもとを訪ねてみると、赤子を抱いていた彼女から、その子がジャックとの間にできた子であり、ジャックに対しては愛が無かったので結婚はしなかったと告げられます。それを知ったミシェルは、この先、彼女と赤子の面倒を自分が見ると決意しますが、決意だけでは現実問題を解決することはできず、手っ取り早く金を手にしたい彼の手が再びうずき始めるのに時間はかかりませんでした。その衝動を遂に抑えきれなくなったミシェルが向かったのは競馬場。そこで以前のように悠然とスリを働きますが、カモと思っていた男はおとりの刑事で、男の懐から現金を抜き取った瞬間、手錠をかけられ逮捕されてしまいます。長かった逃亡劇の果てに独房で過ごすことになったミシェル。そんな彼のもとへ面会に訪れてくれたのはジャンヌだけでしたが、献身的な彼女に対しても「僕は誰も必要としていないし、何も必要としていない」と言い放ってしまいます。それを機に彼女はぱたりと面会に訪れなくなり、ミシェルが自分の愚かさを悔いていると、3週間が過ぎた頃「子供が体調不良でつきっきりだったので面会に行けなかったけど、元気になったからまたあなたに会いに行く」という手紙が届き、自分が愛しているのはジャンヌであることにようやく気付いた彼は、再び面会にやって来たジャンヌの額に面会室の鉄格子の向こう側から唇を寄せてこう言うのです。
「Oh Jeanne, pour aller jusqu’à toi, quel drôle de chemin il m’a fallu prendre ! ・ああ、ジャンヌ、君に会う為に僕はなんと奇妙な道を辿らなければならなかったんだ!」
「なーんだ」というありがちなラストでしたね(笑)。つまり、ふたつの魂というのはミシェルとジャンヌの魂であった訳です。そして、それだけでなく、本作のこの結末はドストエフスキーの「罪と罰」と同じものでまったく新味がありません。映画の冒頭のテクストの中でふたつの魂に続いていた言葉「ふたつの魂を結びつけることとなる」とは、単にミシェルとジャンヌが紆余曲折を経て最後には結ばれめでたしめでたしということではなく、献身的なジャンヌの愛によってミシェルは自らの罪の意識をやっと自覚し、神を信じたのは人生で3分だけだと豪語していた彼が、愛と救い(キリスト教的な意味での)を体験したことで遂に真の改悛に至ったということなのです(←あくまでも個人の見解なので悪しからず)。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
第24回 日曜はダメよ
原題:Ποτέ Την Κυριακή / Never on Sunday公開年/国/本編上映時間:1960年/ギリシャ・アメリカ合作/91分
監督:Jules Dassin(ジュールス・ダッシン)
主な出演者:Melina Mercouri(メリナ・メルクーリ)、Jules Dassin(ジュールス・ダッシン)、Giorgos Fountas(ギオルゴス・ファウンタス)、Alexis Solomos(アレクシス・ソロモス)
【ストーリー】
舞台はギリシャの首都アテネの郊外に位置する港町ピレウス。1950年代という当時、世界の多くの港町がそうだったようにピレウスもまた船員目当ての娼婦たちが集う地であったが、港で客を引く数多い娼婦の中に、入港してきた船の船員たちの間だけでなくピレウスの街の男たちにとっても憧れの的になっている一人の女性がいた。女の名はイリア(メリナ・メルクーリ)。飛び切り陽気で雄弁、それでいて半端ない色香を漂わせる彼女は、客が幾ら金を積もうが自分の好みの男しか相手にせず、毎週日曜日は決まって仕事を休んで馴染み客とドンチャン騒ぎを繰り広げるという街の人気者だ。そんな彼女が暮らすピレウスにひょっこりとやってきたのが、哲学者のはしくれでギリシャ古典の研究者でもあるホーマー・スレイス(ジュールス・ダッシン)というアメリカ人。「今の世界は不幸であり、世界はいつどこで道を誤ったのか?古代ギリシャが手にした高みに達している社会は現代に存在しない。そうだ、ギリシャへ行こう。アリストテレスが歩いた道を自分も歩いてみれば何かが分かるかもしれない」という崇高な探求心を胸にギリシャへやって来た彼は、到着早々、ピレウスの夜の酒場で酔って踊り始めた地元のギリシャ人男性と文化の違いから喧嘩沙汰になってしまうが、たまたまそこに居合わせた英語を話せるイリアが仲裁に入ってくれたことから事なきを得る。その夜、酒場の酔った男たちと陽気に戯れるイリアの姿に古代ギリシャの没落を重ね合わせたホーマーは、彼女の中にこそ自分の探し求めている問いの答えがあるに違いないとばかりに強い興味を抱くも、イリアが娼婦であることを知って「彼女に教養を身に付けさせ、売春で生計を立てるという誤った道を正したい」と身勝手な考えを巡らせるが、イリアに仕事を止めて欲しいと真剣に願っている男はホーマー以外にもあと二人いた。同じ頃、彼女に出会ってその人柄に惚れ込んでいたピレウスの造船所で働くイタリア人の職人トニオ(ギオルゴス・ファウンタス)とピレウスの街で売春業を仕切っているボス、ミスター・ノーフェイス(アレクシス・ソロモス)である。しかしながら、イリアに売春業から足を洗わせたい理由は三者三様であり、ホーマーは哲学的な観点から、ミスター・ノーフェイスは、独立営業で常に自分勝手に振る舞うイリアが、仕事場で高い家賃を払わされているという不満を持つ自らの配下の娼婦たちに悪影響を及ぼしかねないから、そしてトニオは彼女への純粋な愛からであった。中でもホーマーは、イリアと共にギリシャ悲劇の「(王女)メディア」を鑑賞した際、彼女がメディアは夫に復讐するために自分の子供たちを殺す冷酷な妻であるとは見做さず、メディアをライバルから夫を取り戻すために子供を殺したと嘘をつく思いやりのある妻であり母であると考えていることに衝撃を受け、自らがピグマリオンとなってイリアを道徳的な生活に導き、新たな命を彼女に吹き込もうと強く決意する。すると、ホーマーのその思いを嗅ぎ付けたミスター・ノーフェイスは、イリアの時間を金で買って彼女を更生させる為の時間として使ってはどうかとアメリカからやって来た学者を唆し、ミスター・ノーフェイスから2週間分の資金提供を受けることで合意したホーマーは、肉体的な快楽ではなく精神的な快楽を得る生き方をイリアに知ってもらうべく、哲学や音楽、地理を彼女に教え、彼女のギリシャ悲劇に対する誤った解釈も正していく。イリアはイリアで健気に努力を続け、港に新たな軍艦が入港しても水兵たちのもとへ向かう衝動を抑えて、自分は生まれ変わったのだと喜びを感じるが、自分に対するホーマーの授業料の出所がミスター・ノーフェイスであることを知って激怒。ホーマーを激しくこき下ろすと、ミスター・ノーフェイスの下で働く娼婦たちの仕事場へ即座に向かって建物のドアを鎖で閉鎖。入港したばかりの軍艦からやって来た水兵たちが中に入れないようにするや、窓から次々と寝具やベッドを投げ捨てて大騒ぎを起こす。その結果、イリアと他の娼婦たちは警察に逮捕されて留置所に入れられることになるも、事の重大さに気付いたミスター・ノーフェイスは弁護士を警察署に向かわせて彼女たちの罰金を支払い、配下の娼婦たちの家賃も半額にすることを約束した。喜び勇んで警察署を後にする娼婦たち。そこへ、トニオを始めとしたイリアの馴染み客たちがトラックで駆け付け、イリアを乗せたトラックは皆と一緒にいつもの酒場へと向かうのだが…。
【四方山話】
個人的にはコメディー映画である本作を名作だと思ったことは一度もないのですが、ちょうど、本ホームページの『旅の棚』でギリシャの旅を取り上げているところでしたし、1950年代当時のギリシャの様子を知ることができる貴重な記録映像だと思って鑑賞するのであれば、なかなか興味深い作品でもありますので紹介してみることにしました。それでは先ず、いつものように作品のタイトルの話から(笑)。本作の原題は「Never on Sunday」で、付けられた邦題は「日曜はダメよ」。うーん、ちょっとビミョーですね。と言うのは、本作を観た限りでは、このNever on Sundayは、イリアの視点からならI never work on Sunday、第三者の視点からならShe never works on Sundayを略したものと思えたからなんです。なので「日曜はダメよ」というのは、ニュアンスが異なるような気がしますし、主人公のイリアが日曜日に働かないのは、日曜が休息の日であり教会で祈りを捧げる日だからというキリスト教的な観念からではなく、彼女にとっては仲間たちと飲んで騒いだり、演劇を鑑賞するといった自己の快楽の為の日であるからという面白さも消してしまっていますね。因みに、日本公開時、日曜の曜には日へんに玉という略字があてられていましたが、これは字画の多い曜の字を使った場合、字幕としてフィルムに焼き付ける際に字が白く潰れてしまうという当時の技術的な問題に起因していたようです。
それでは、本編の解説です。映画「日曜はダメよ」と言えば、何はさておき主人公のイリアを演じたメリナ・メルクーリの話をしない訳にはいきませんね。メリナ・メルクーリは1920年にアテネで生まれたギリシャ人。劇中では陽気な娼婦を演じていましたが、実際の彼女は政治家を代々輩出してきた名門の家柄出身で(祖父はアテネ市長、父は内務大臣経験者。メリナ自身も1980年代に文化大臣を務めました)、英国に留学してケンブリッジ大学を卒業した才女でもあります。つまり、彼女は良家のお嬢さま。お嬢さまと言っても本作の撮影時、彼女は既に40歳前でしたから、スクリーンに映るその容姿はセクシーではありましたが、残念ながらもうおばちゃんでした(笑)。米国とソ連の冷戦下、ギリシャでは左派勢力が政権に就いていた時代があり、ギリシャの共産主義化を防ぐという名目で1967年にクーデターを起こした軍部が約7年間、軍政を敷いて左派の民衆を弾圧していたのですが(勿論、クーデターを陰で操っていたのはイランや中南米でそうであったように悪の帝国アメリカ。クーデター後の軍事政権を正当な政府であると即座に認めたのもアメリカです・笑)、クーデター時、アメリカに滞在していたメリナはすぐさま軍政に対して非難の声を上げ、軍政からただちにギリシャ国籍を剥奪されています。クーデターを仕組んだのがアメリカであったことを当時のメリナは知らなかったのでしょうが、なんだか噴飯ものな話ですよね。お次は頭でっかちな学者のホーマーを演じたジュールス・ダッシン。フランス人のような名前ですけど、ダッシンはニューヨーク生まれのアメリカ人。両親はウクライナ(当時はロシア帝国)からの移民でポーランド系のユダヤ人でした。「日曜はダメよ」の監督名が彼の名前になっていることからも分かるとおり、本作の監督も務めています(この映画には原作が無く、脚本もダッシンが自ら手掛けたもの)。戦前のダッシンは、オーソン・ウェルズやヒッチコックと比較されるほどのサスペンスの名匠でしたが、アメリカ共産党の党員であったこともある共産主義のシンパでもあり、ハリウッドの赤狩りによって行き場を失った彼はヨーロッパへ渡って活躍の場を探す羽目に陥りました(確かに、本作でイリアが娼婦仲間をまとめあげてストを打ち、搾取者であるミスター・ノーフェイスから家賃を半額にする条件を勝ち取るといった描写なんかは、ソ連のプロパガンダ映画みたいですよね・笑)。ダッシンは渡欧してからも10本以上の映画を撮影していますが、その中の1本が「日曜はダメよ」。15万ドルという低予算で撮影されたこの作品は全世界で大ヒットし、800万ドルを稼ぎ出したそうです(汗)。実はダッシン、本作の撮影時には既にメリナ・メルクーリと同棲生活を送っていて、共にバツイチであった二人は1966年に結婚。1994年にメリナが亡くなるまで離婚することはありませんでした。イタリア人のトニオを演じたのはギオルゴス・ファウンタス。この人もギリシャ人で、イタリア人ではありません(笑)。
次に本作の撮影場所ですが、実際のピレウス港や街の通りの他、アテネのアクロポリスの丘でもロケ撮影が行われました。室内のシーンの一部はフランスのパリのスタジオでセットを組んで撮影されたらしいです(←真偽は不明)。劇中に出てくるピレウスは、まだ木造船を建造する造船所が残っていたり、港でも市民や路面電車が行き来していて活気に溢れていますが、現在のピレウス港は本作の撮影時より相当に拡張されていて巨大な埠頭や付随施設が整然と並ぶだけの港になっており、何よりも今は車の交通量が凄まじく増加していて、劇中に出てくるような昔の長閑な港の面影は皆無です。本作を僕が観て撮影場所が確実に分かったのは、次の2カ所だけでした。40分30秒頃に登場の石段が席になった屋外劇場は、アテネのアクロポリスの麓にあるヘロディス・アッティコス音楽堂。43分30秒頃にギリシャ悲劇の解釈について激論を交わすホーマーとイリアの背後に映っているのは、ご存知パルテノン神殿です。あと、ロケ地ではないですけど紹介しておきたいのが、29分過ぎ、イリアの誕生日パーティーで馴染み客たちが彼女にプレゼントをしようと集まるシーンに出てくる手回しピアノ。ギリシャでは「ラテルナ」と呼ばれている機械で、手回しオルガンと勘違いする人が多いですけど、ラテルナは仕組みも音も手回しオルガンとはまったく異なるもの(ラテルナはオルゴールに近い構造)。ラテルナはラジオが普及する前の時代のギリシャで大変な人気を博し、金持ちたちが自宅で演奏を楽しんだ他、持ち運びが容易な為、路上で演奏を聴かせて小銭を稼ぐパフォーマーもギリシャのそこら中の通りに現れました。本作でも25分過ぎにラテルナのパフォーマーが登場していますが(劇中の機械はジュゼッペ・トゥルコーニというイスタンブールにあった工房の製品で、この工房のラテルナは多くの旅芸人に愛用されたそう)、僕もラテルナの演奏を道行く人に聴かせて小銭を稼いでいる老人の姿をギリシャの通りで目にしたことが何度かあります(今はどうか分かりませんが、2006年の時点ではまだ見かけました)。
ではでは、そろそろ解説のシメに入るとしましょう。ここからはネタバレが入りますのでご注意ください。今回は本作で気になった場面を順番に取り上げたいと思います。先ずは冒頭の夜の酒場で酔った男が踊りを始め、その踊りを目にしたホーマーが拍手を送ると男が怒って喧嘩になってしまうというシーン。男の言い分によれば、ギリシャ人の男が踊る時は自らの魂の為に踊るのであって、エンターテナーのように喝采を浴びる為ではないから腹が立ったということでしたが、ちょっと脳内お花畑な思考回路ですね(笑)。酒場には楽団が入っていて、飲めや踊れでとても楽しそう。男たちがウーゾを飲み干したグラスを床に落として割るごとに、レジ係の老人がレジを叩いて課金していくのが面白かったですが、当時のギリシャにそういう習慣があったのかどうかは僕には分かりません。イタリアやスペインの結婚式では同じようなことをする地域があり、ユダヤ教の結婚式でも新郎新婦がグラスを踏みつけて割ると聞いたことはありますが、いずれも結婚式という場ですね。補足しておくと、ウーゾはギリシャ特産のぶどうを原料にした蒸留酒。スターアニス(八角)やその他のハーブで香り付けがしてありって独特の芳香があり、水を混ぜると白濁するという特徴があります。トルコにもラクという同じ種類の酒がありますが、歴史から考えればウーゾの歴史は浅く、ラクの製法を真似たものと言えるでしょう(ラクも水で割ると透明の液体が真っ白に変わるので、トルコでは「ライオンのミルク」と呼ばれています)。酒場の楽団員が弾いているマンドリンに似た民族楽器のブズーキも、ブズーキという名称自体の語源がトルコ語のbozuk(変形した)であるとおり、もともとはトルコの楽器。ブズーキもギリシャで普及したのはそれほど昔のことではなく、1923年にトルコとギリシャが互いの領内に散らばって住むトルコ人とギリシャ人をそれぞれの祖国に強制移住させるという滅茶苦茶なことをした際(今でも両国は仲が悪いですね)、トルコからギリシャに帰国した大量のギリシャ人(約120万人)が持ち込んだことでギリシャ国内でも広まりました。本作では、ブズーキの美しい音色の伴奏でメリナ・メルクーリが歌う主題歌が「Never on Sunday」の名でヒットしましたけども、ギリシャ語の曲のオリジナルのタイトルは「Τα Παιδιά του Πειραιά(ピレウスの子供たち)」だったんだそう。余談ですが、洋楽好きの人たちの間で知られるアイリッシュ・ブズーキは、アイルランドのフォーク界の重鎮スウィニーズ・メン(Sweeney’s Men)のジョニー・モイニハン(Johnny Moynihan)が、1960年代にギリシャのブズーキの音色を気に入ってアイルランドに持ち帰り、国内で普及させたものです。現在のアイリッシュ・ブズーキは弦長を短くしたり、ギターのようにフラットバック構造が取り入れられたりして改良が重ねられており、ギリシャのブズーキとはもはや別物ですね。お次は、ホーマーがイリアの教育に取り組むシーン。ストーリー紹介の欄で「ホーマーは自らがピグマリオンとなってイリアを道徳的な生活に導き、新たな命を吹き込むことを決意する」と記しましたが、このピグマリオンというのがいったい何者なのかと言うと、古代ギリシャの時代、キプロス島の王であった人。この王、理想の女性像を自ら彫刻して作ったまでは良かったのですが、自分の理想どおりに完璧にできてしまったが故にその像に恋をしてしまい、女神アフロディーテの力を借りて像を本物の女性「ガラテア」に変えたという神話が残っています。なので、そこから考えれば、ホーマーは自らをピグマリオンと見做して、イリアをガラテアにしようとしたということなのでしょう。そして最後、警察署から釈放されたイリアが男たちといつもの酒場へ向かうシーンのそのあとです。一団が酒場に到着すると、店内に冷やかな空気が流れているのですけど、それはいつものようにホーマーが堅物頭であるが故に揉め事を起こしていたから。その揉め事というのは、店でブズーキを演奏しているタキに対して彼が言った「楽譜を読めない人間は真の音楽家とは言えない」という発言に端を発していて、経緯を聞いたイリアは「二度と演奏なんかするもんか」とトイレに閉じこもったまま出てこないタキのもとへ足を運ぶと、ドア越しに「小鳥は楽譜を読めないでしょう。楽譜を読めないからって、小鳥はさえずるのをやめなきゃいけないって言う訳?」とタキを諭しました。それを聞いて納得顔で外に出てきたタキは席に戻って演奏を再開、盛大なイリアの釈放祝いが始まると、ホーマーも何かが吹っ切れたかのようにウーゾの一気飲みを繰り返して踊り狂い、最後にイリアとホーマー、トニオ、キャプテンの間で以下のような会話が交わされます。
ホーマー:You’re beautiful, but you’re dumb. I wanted to save you.
イリア:Why don’t you save No-face? He needs it more than me.
ホーマー:Because you were the symbol.
トニオ:(She) is not symbol, is a woman.
ホーマー:Don’t you think I know that, Romeo? I’ve been dying to sleep with her.
イリア:Hormer, is (it) true?
ホーマー:From the first minutes.
トニオ:(It) is too late!
キャプテン:If anyone will save Ilya, it will be Tonio.
ホーマー:Why Tonio?
キャプテン:Because with love, it’s possible.
ホーマー:君は美しいが、愚かだよ。僕は君を助けたかった
イリア:ノーフェイスを助けてやったらどうなの?彼の方があたしより助けを必要としてるわ
ホーマー:僕が君を助けたかったのは、君が全ギリシャの象徴だったからさ
トニオ:イリアは象徴なんかじゃない。一人の女性だぞ
ホーマー:なあ、ロメオ、そんなことを僕が分かってなかったとでも?僕だってずっとイリアのことを抱きたかったんだ
イリア:あら、ホーマー、ほんとに?
ホーマー:ああ、最初からね
トニオ:もう手遅れさ!
キャプテン:イリアを助ける者がいるとすれば、トニオだろうね
ホーマー:どうしてトニオなんだ?
キャプテン:愛があればできるんだよ
このラストシーンに出てくる会話、本作の全てが凝縮されているような内容になっていますね。3行目にあるホーマーの発したthe symbolをどう理解するのかはなかなか難しいところですが、僕はホーマーがイリアのことを文化や歴史、思想などを含めたギリシャのすべてを表している存在(ギリシャそのもの)であると考えていることから、the symbolという言葉を使ったのだと理解しました。つまり、ホーマーにとってのイリアは表向き、恋愛対象ではなく研究対象なのです。そこでトニオがすかさず「is not symbol, is a woman」と反撃する訳ですが、それを聞いたホーマーは「Don’t you think I know that, Romeo? I’ve been dying to sleep with her」と思わず答えてしまいます(ホーマーがトニオにロメオと呼びかけたのは、トニオとイリアをロミオとジュリエットに見立てての洒落)。つい今しがた「表向き」と書きましたが、イリアを研究対象と考えることで表向きは自らの欲望を覆い隠して金で娼婦を買うことを否定し、イリアを道徳的な生活に導こうとしていたホーマーが、イリアが性的魅力ある一人の女性であり、同時に自らも性欲を持つ一人の男であることを売り言葉に買い言葉で図らずも認めてしまった訳です。その言葉を聞いたトニオは「もう手遅れだ!」とイリアを抱き上げ店の外に連れ去ってしまい、後を追おうと外に出るホーマー。そこでキャプテンが「If anyone will save Ilya, it will be Tonio」と言ってホーマーを諭し、なぜトニオなんだと食い下がる彼に向かって最後に「Because with love, it’s possible」と告げます。そして、その瞬間、ホーマーはようやく気付いたのです。人はトニオのように他者をあるがままに受け入れた上で愛を注ぐべきなのであり、自分の理想に誰かを従わせて愛そうとするのは間違いであると。その証拠に、ラストのシーンでアメリカへ向かう客船に乗り込んだホーマーは、海に浮かんだ小舟の上ではしゃぐイリアやトニオ、イリアの馴染み客たちを船上から見つめながら、ギリシャでの日々を書き溜めてきた手帳を海に投げ捨てますね。女性を愛するのに頭に詰め込んだ知識(ここでは手帳がその比喩)など何の役にも立たないことを思い知った彼は、いくら知識があって博学であっても単に頭でっかちな人間でしかなかった過去の自分と決別したのだと僕は理解しています。それこそが、彼の探し求めていた真理だったのかも知れませんね。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
第25回 SOSタイタニック・忘れえぬ夜
原題:A Night to Remember公開年/製作国/本編上映時間:1958年/イギリス/123分
監督:Roy Ward Baker(ロイ・ウォード・ベイカー)
主な出演者:Kenneth More(ケネス・モア)、Michael Goodliffe(マイケル・グッドリフ)、Frank Lawton(フランク・ロートン)、Laurence Naismith(ローレンス・ネイスミス)、Richard Leech(リチャード・リーチ)、George Rose(ジョージ・ローズ)
【ストーリー】
大英帝国が絶頂期を迎えたビクトリア朝の終焉から十年ほどが過ぎた1912年4月10日。イギリスの大手海運会社ホワイト・スター・ラインが新たに大西洋路線に投入した豪華客船タイタニック号が処女航海としてサウサンプトンを出港、ホワイト・スター・ライン社の会長、ブルース・イズメイ(フランク・ロートン)やタイタニック号を設計した造船技師のトーマス・アンドリュース(マイケル・グッドリフ)ら会社関係者を含む乗員乗客2千2百人を乗せてアメリカのニューヨークへ向かった。全長270メートル、総トン数は4万6千トン。二重の船底と防水隔壁による鉄壁の安全対策によって不沈と謳われる世界最大の客船である。この年の北大西洋では4月に入っても尚、北極圏の棚氷から流れ出した氷山が南下しており、タイタニック号が出港した4日後の14日夜も、同じ航路を先に進む他社船のカリフォルニアン号などが目撃した流氷の情報を無線によって発信していたが、乗客の私信をアメリカに向けて打電することで多忙なタイタニック号の無線技師はそれらの情報を無視してしまう。とは言え、この時期の流氷の危険性を認識していた船長のエドワード・スミス(ローレンス・ネイスミス)は、通常よりも南側の航路を進むと共に流氷の監視も部下に命じていて対策は万全に見えたが、その日の深夜前、ニューファンドランド沖に差し掛かったタイタニック号の見張りが靄の中から突然現れた巨大な氷山を発見した時、船の乗員乗客の運命が大きく変わることとなった。「Iceberg dead ahead, Sir! (すぐ前方に氷山です)」との至急伝を受け、就寝中の船長に代わってブリッジに立っていた一等航海士ウィリアム・マードック(リチャード・リーチ)が直ちに回避行動を取ったものの氷壁が船の船首付近の右舷をかすめてしまい、ボイラー室のある船底で浸水が始まったのである。衝突の報告を受けたスミス船長はトーマス・アンドリュースを呼んで船の損傷の程度の調査を依頼。船底へ向かって浸水の激しさを目の当たりにしたアンドリュースはタイタニック号の運命を確信し、あと1時間半ほどで沈没するのは間違いないと船長に伝えるが、それは同時に船が沈没以外にも解決不可能な問題を抱え込んだことを意味していた。タイタニック号から発信された遭難信号を受信したカルパチア号が救援に来てくれるまでの所要時間が早くて4時間であっただけでなく、タイタニック号に備えられた救命ボートの定員がすべてを併せても千二百名分足らずしかなかったのだ。そんな状況下、救命ボートへの乗客の割り振りと案内役を任された二等航海士チャールズ・ライトラー(ケネス・モア)の悪戦苦闘が始まる。
【四方山話】
タイタニック号の悲劇をテーマにした映画は数多くあり、中でも1997年に公開されるや世界中で大ヒットしたレオナルド・ディカプリオ主演の「タイタニック」は誰もが知る作品でしょう。しかしながら、その40年以上も前に同じテーマで非常に優れた映画が撮影されていたことを知る人は、残念ながら多くはありません。そこで今回は、歴史に埋もれてしまっている後者の作品にスポットライトを当ててみることにしました。ディカプリオのタイタニックが主人公のジャックとローズのラブストーリーが主軸になっているのに対し、本作はタイタニック号が沈没へと至る経緯が二等航海士チャールズ・ライトラーの視点から描かれているドキュメンタリータッチの作品です。60万ポンド(現在の価値に換算すれば約20億円)という当時としては破格の製作費を注ぎ込んで再現されたタイタニック号の内部やリアルな人物描写、史実に基づいたストーリーの再現は、映画の公開時、関係者から高く評価されたものの、興行収入は50万ポンドと振るわずで、興行的に失敗した作品が人々の記憶から消え去るのに時間はかかりませんでした。とは言え、興行的な成功や批評家の評価と作品の価値が一致しないのは世の常であり、本作はその典型例。実際、映画の公開からほぼ70年を経た今でも十分に見ごたえがあります(CGでもはや再現できないものはないという昨今とは違い当時はまだ技術が未熟な時代であったので、特撮部分は御愛嬌・笑)。
冒頭、映画は造船所での船の命名と進水式のシーンで始まりますけども、この部分は史実とは違っていてフィクション。タイタニック号の所有者であったホワイト・スター・ラインはこの種のセレモニーを一切しない会社だったからです(命名式をしないが故にタイタニック号が悲劇に見舞われたと考える海の男たちも多かったそう)。そして、このシーンに続き、タイタニック号へと向かう乗客たちの様子が次々と映し出されていきますが、ここでの注目は当時の上流階級の人々の華美な服装や優雅な所作も含めた全般的な姿。恐らく、あれらの描写は誇張したものではなく事実に即したものだったのでしょう。と言うのは、僕が子供の頃の祖父、祖母たちの世代というのは皆、明治時代の生まれの人で、彼らから明治時代がどういう時代であったのかを実際に聞いて知ることができたのと同様、1950年代の英国でもビクトリア朝を知る人々がまだ多く存命されていたであろうことは間違いなく、それらの方々の記憶をもとにあの時代の上流階級の人々の姿が再現されていると思われるからです。豪華客船の時代になっていても、人々の移動にはまだまだ馬車が使われていたというのも興味深かったですし、本作ではタイタニック号に関すること以外でも、時代考証がかなりしっかり為されていると感じました。但し、タイタニック号が完全に沈む直前、船体がまっ二つに折れたというのが現在の定説ですが、その事実が知られるようになったのは沈没地点の深海調査が可能になった近年になってからのこと。なので、本作における船の沈み方が史実とはやや違ったものになっているのは致し方ありません。それと、この映画のA Night to Remember(忘れられぬ夜)というタイトル、なぜそのような題名になったのかと言うと、それは、本作が1955年に出版されたウォルター・ロード(Walter Lord)の同名の著書を原作として映画化されたから。ロードは沈没したタイタニック号の生存者60人以上に直接インタビューを行って船が沈没に至るまでの状況を聞き取り調査した他、生存者が記した書籍、回想録、新聞記事といった膨大な資料も読破して、事故当時の船内の様子を詳細に再現することに成功しました。本作においてリアルな描写が実現したのもそのおかげですが、映画ではストーリーが二等航海士チャールズ・ライトラーの視点から語られているのに対し、原作では複数の人物の視点が重なり合いながら進行するという構成になっています(余談ですが、ディカプリオ版のタイタニックはロードの著書を原作にはしていないものの、ロードがコンサルタントとして製作に協力しました)。
ディカプリオ版タイタニックでは、ほぼ原寸大のタイタニック号を丸ごと(と言っても右舷側のみ)セットで再現して撮影が行われましたが、本作では船内でのシーンをイギリスのバッキンガムシャーにあるパインウッド・スタジオでタイタニック号の実際の設計図を基にセットを組んで撮影したものの、デッキなどの船室外のシーンの撮影はスコットランドのファスレーンで解体途中であった古い客船アストゥリアス号を利用して行われました。この映画を注意深く鑑賞すると船外のシーンが右舷に集中していることに気付きますが、その理由は、本作が撮影を開始した時、アストゥリアス号の左舷が既に解体されて存在していなかったから(笑)。どうしても左舷でのシーンが必要な時は、右舷で鏡を使って像を反転させ撮影したと伝えられています。映画のラストで海に飛び込んだ者たちが転覆した救命ボートに這い上がるシーンも撮影されたのはスタジオ内のセットではなく、ロンドン郊外のルイスリップにある貯水場。北太平洋の極寒の海の雰囲気をリアルに出そうと撮影が11月の深夜に行われた為、多くのエキストラが貯水池の水の中に飛び込むことを拒んだらしいです(笑)。あと、この映画の撮影話で興味深い点がもうひとつ。それは、イギリス資本主義の強欲さが悲劇を招いたと宣伝する為にナチス・ドイツが1943年に製作した映画「タイタニック」で撮影されたフィルムが一部シーンに転用されていることで、12分前の洋上を船が進んでいるシーンや37分過ぎのボイラー室の浸水シーンの一部などがそれらであると思われます(転用した理由は、膨らみ続ける製作費を少しでも削減する為だったそう)。因みにこのナチス版タイタニック、ストーリーは反英というバイアスがかかってはいますけども映像的にはなかなかよくできていまして、当時のドイツ映画界の実力が窺い知れます(しかも、タイタニック号沈没の悲劇を映像化したのはこのナチス版が世界で初めてだったんです)。豪華客船が舞台であるという性質上、ナチス版でもかなりの製作費が注ぎ込まれたのですが、監督を務めたヘルベルト・ゼルピンが撮影に協力をしたドイツ海軍の将校たちの規律の乱れとだらしなさを公然と批判したことで、撮影の途上に逮捕されて自殺したり(謀殺説もあり)、宣伝省大臣のゲッペルスはこの映画の製作を自ら依頼したにも拘らず完成作を上映禁止にしたりで、結局、ドイツ国内で上映されることはありませんでした(ナチス・ドイツの占領地域では上映)。
さて、お次は本作の出演者ですが、どの役者も日本ではほぼ無名の人ばかりですね。陰の主役とも言うべき二等航海士チャールズ・ライトラー役を演じたケネス・モア。この方、若い頃は職業を点々としていて典型的な労働階級出身かと思いきや、出自は良家のおぼっちゃん。しかも、モアの苗字を持っているとおり、彼のご先祖様はなんと「ユートピア」の著者で、16世紀に時のイングランド王ヘンリー8世に反逆罪で処刑されたあのトマス・モアなんです(驚)。ケネスは第2次世界大戦中、巡洋艦オーロラや空母ビクトリアに将校として乗船していた経験もあり、戦後は戦争から無事に帰国した軍人役を頻繁に演じました。88分頃、パニックになった乗客を威嚇する為に彼が拳銃を空に向かって撃つシーンが出てきますが、あの銃はウェブリー・マークVという中折れ式リボルバー。ですが、ウェブリー・マークVが登場したのはタイタニック号が沈没した後の1913年なので、武器オタクの視点から見るとおかしいです(笑)。トーマス・アンドリュース役のマイケル・グッドリフも戦争中は陸軍の将校で、ダンケルクで負傷してドイツ軍の捕虜となり、終戦まで捕虜収容所で時を過ごした人。スミス船長役のローレンス・ネイスミスも戦争中は陸軍の王立砲兵連隊の将校。船会社の会長イズメイ役のフランク・ロートンも戦争中は陸軍王立ライフル連隊の将校。という風に、主要なキャストがなぜか将校として従軍していた役者で固められています。監督のロイ・ウォード・ベイカーが戦時中、陸軍映画撮影隊(AKS)に勤務していたことと何か関係があるのかもしれませんね(←個人の推測です)。一等航海士ウィリアム・マードック役のリチャード・リーチだけは違っていて、戦時中の彼は医学生。終戦後に医師免許を取得し医師として働きましたが、わずか1年で職を辞して役者に転向したという変わり種。それと、紹介しておかなくてはならない役者がもうひとり。ウイスキーを飲み続ける厨房のパン焼き職人を演じたジョージ・ローズです(この人も従軍経験者)。劇中では悲劇から生還する役でしたが、実生活では1988年、ドミニカ共和国で養子にしていた息子とその親族に殺害されるという悲劇に見舞われました(劇中でウイスキーを飲み続けていた行動は史実に基づいており、そのおかげで体に熱を帯びていたこのパン焼き職人は極寒の海中に投げ出されても生還できたと言われています)。それと、本作に登場する人物名は大部分が実際の人物と同じ名前が使われていますが、本名を出すことで訴訟を起こされる可能性があるような人物名の使用は避けられています。例えば、ホワイト・スター・ライン社の当時の会長がブルース・イズメイであったことは誰もが知る事実ですけども、劇中では単にThe Chairmanと呼ばれるだけでイズメイの名は出てきません。
それでは最後に、今回は映画ではなくタイタニック号自体のトリビアを幾つか紹介して筆を置くことにしましょう(←なんで船の話やねん・笑)。まず船名のTitanicですが、語源はギリシャ神話に出てくる巨人族のタイタン。英語でのTitanicは「巨大な」とか「強い力の」という意味の形容詞ですが、theが付くことで名詞としても使われ、the Titanicと言えば、通常は氷山との衝突で沈没したタイタニック号を意味します。次にタイタニック号の主要なデーターを少し。船の全長は約270メートル。最大幅は約28メートル。戦艦大和の全長である263メートルよりも長く、カリブ海のクルーズなどで現在使用されている25万トン級の超巨大クルーズ船でも全長は350メートル程度ですから、タイタニック号が当時としては如何に巨大な客船であったかが分かります。船の心臓部である機関(エンジン)は3基で5万馬力を上回る出力を発生し、そのパワーが生み出す最高速度は23ノット(時速約44キロ。因みに戦艦大和の最高速度は27ノット)。本船の機関と煙突の数が一致しないのは4本目の煙突(一番後方)がダミーだったからで、劇中の特撮シーンで4本の煙突から煙が出ているのは誤りです。4本目の煙突を設置したのは、3本だと全体のバランスが悪くて見た目が良くないというのが理由だったんですけども(笑)、ダミーの煙突は完全な飾りではなく厨房や喫煙室などとつながっていて通気口の役割を果たしていました。実はタイタニック号、ホワイト・スター・ライン社でオリンピック級と名付けられた大型客船の2番艦、ほぼ同じ仕様でオリンピック、タイタニック、ブリタニックという3隻の同型艦が建造されたんですが、不幸にもオリンピック号を除く2隻が沈没しています(ブリタニック号はドイツ軍が仕掛けた機雷に触雷してエーゲ海で1916年に沈没)。あとひとつ、タイタニック号の定員ですが、その最大数は乗員乗客を併せて約3千3百名。沈没した際に乗船していた乗員乗客は約2千2百名でしたから、処女航海の際、客室は完売していた訳ではありませんでした。もし船が満室で出港していたのなら、被害者の数はさらに増えることになっていたでしょうね。さて、そんなタイタニック号の客室の気になるお値段、イギリスのサウサンプトン港からアメリカのニューヨーク港まで5泊6日の片道、食事付きで、一番高い1等船室の特別スイートは、なんと4,350米ドル(現在の物価価値に換算して1千5百万円ほど・汗)。しかし、普通の1等船室のベッド利用であれば150米ドル(同じく約50万円)、2等船室のベッドなら60米ドル(同じく約20万円)、3等船室は4人部屋(ビジネスホテルのような狭い部屋に二段ベッドが2台)のベッドで15米ドル(同じく約5万円)と意外にリーズナブルな料金設定でした。1910年頃のアメリカの一般的な労働者の平均年収が300米ドル程度であったとされていますから、アメリカ人なら庶民であっても3等の安い船室であれば給料の1ケ月分に満たない額で乗船することができたということになります(イギリスやアイルランドの労働者の所得水準はもっと低かったのでその限りではありません)。船は一度に数千人単位で乗客を輸送できる為、考え方によっては現在の飛行機よりも安い料金で当時は移動ができたとも言えそうですね。まあ、まだまだいろいろ書きたいところですが、タイタニック号の話は尽きないので今回はこのあたりで止めておきましょう(笑)。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
この続きは『映画の棚⑥』でお楽しみください。