旅の棚④

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さてさて、旅の棚④では、①から③で紹介した中南米バックパッカー一人旅とはかなり趣向の異なるギリシャのエーゲ海を周遊するクルーズ船の旅を紹介させていただこうと思います。旅をしたのは2006年10月のこと、その頃、僕はサラリーマンだったので、土日を含めた8日間の休暇を取って嫁と二人でギリシャへ向かいました。二人ともクルーズ船の旅は初体験でしたけども、それはそれはもう大変満足のいくもので、船旅を楽しむのと同時にその良さを大いに知ることもできたというのが正直な感想です。

クルーズ船の旅で先ず何が良いかというと、船の料金には宿泊(船室)と食事にかかる料金がすべて含まれているという点で(海側の2名用船室利用で一人700米ドルくらいであったと記憶しています)、ホテルに泊まって、昼と夜はレストランで食事をし、翌日には次の目的地へ移動という毎日を繰り返すことを考えれば、非常にお得感がありました。例えば、僕たちが乗船したクルーズ船はアテネのピレウス港からミコノス島、クシャダス(トルコ)、パトモス島、ロードス島、クレタ島、サントリーニ島を巡って再びピレウスに戻るという4泊5日の旅程でしたが、この旅程を毎日ホテルに宿泊して、毎度レストランで食事をし、船や飛行機を使って移動を繰り返すとなると、とてもじゃないですが700米ドルなんて金額では収まりませんし、そもそも4泊5日で同じ旅程をこなすのは無理だと言えるでしょう。

しかし、金銭面での満足感もさることながら、クルーズ船の旅が何よりも素晴らしいと感じたのは、毎日、次の目的地まで移動をする必要がないということでした。クルーズ船は言わば動くホテルのようなもの、自分が移動しなくとも、寝てる間にホテルが次の目的地へ連れて行ってくれるのです。ホテル探しもレストラン探しも必要なし。駅やバスターミナルを探したりタクシーを呼んだりする必要もなし。こんな楽なことはありませんよね(笑)。ギリシャでクルーズ船の旅を体験した後、将来、日本でも江戸時代の菱垣廻船や樽廻船のように西廻りとか東廻りというクルーズ船の航路が開設され、日本国内の旅もクルーズ船を使って周遊という時代がやって来ると僕は公言し続けてきましたが、あれから20年が経過した今日、ようやくそういった状況に近付いてきたように思います。

それでは、暫しエーゲ海クルーズの旅をお楽しみください。

アテネとピレウス


ルフトハンザ航空を利用したので、フランクフルトで乗り継ぎをしてアテネに到着。アテネは紀元前から続く古い歴史を持つ街ですが、第二次世界大戦後の経済発展期に多くの建物が味気なくしかも安っぽいものに建替えられた為、他のヨーロッパの古都とは違って街並みがかなり雑なものに見えます。写真左端は、アテネを訪れた旅人が必ず訪れるパルテノン神殿。国会議事堂の前では名物の衛兵交代を見学することができ、トルコでトロイ遺跡を発見したことで有名なシュリーマンがギリシャのミケーネで発掘した「アガネムノンのマスク」を目にすることができるのも、ここアテネにある国立考古学博物館です(後の調査でマスクはアガネムノンのものではなく、その時代よりもさらに古いものと判明)。それと、アテネと言えば、時折バチバチと火花を放ちながら街中を走り回るトロリーバスが名物でしたが、時代の流れか、2027年には廃止されるそう。ちょっと残念ですね。


翌日、タクシーでクルーズ船が出港するアテネ郊外のピレウス港へ向かいました。ピレウス港にはたくさんの埠頭があり、船会社や船の大きさによって船が接岸する埠頭が違ってきますので、自分の利用する船がどの埠頭から出るのかをしっかりと把握して、タクシーの運転手さんに行き先を告げることが肝要(まあ、分かっていなくとも、最低限、船会社と船名さえ伝えれば、運転手さんが港で尋ねて船のところまで連れていってくれますが)。ピレウス名物は魚市場。エーゲ海で獲れた豊富な魚介類が並んでいて、ギリシャ人も魚介類を良く食べるんだなということを実感できます。ピレウスは映画「日曜はダメよ(Never on Sunday)」の舞台となった街でもあり、映画好きの方ならピレウスの名に聞き覚えがあるかも知れませんね。この映画については本ホームページ内の『映画の棚』の第24回で紹介していますので、興味のある方は覗いてみてください。


僕たちが利用したクルーズ船はオーシャン・モナーク号。総トン数は約1万6千トン、全長162メートルの中型船です(7層構造、乗客用船室数230室)。建造は1955年と古い船であったものの、内装は何度も改装されていて、豪華さはないですがおんぼろ船でもなく、クルーズの旅のデビューにはちょうど良い感じの船であったと思います。乗船後は、夕食の希望時間(入替制の為)の申告や寄港地でのオプショナル・ツアーの参加申し込みをする手続きがあり、そのあと、全乗客がライフジャケットを身に着けて参加する緊急時の避難訓練も行われました。


今回利用したのは2名用の海側船室。バスタブ、シャワー、トイレ付でした。ホテルでの宿泊と同様、毎日、ハウスキーパーがタオル等の交換や清掃、ベッドメイキングをしてくれます。船内では乗客が退屈しないよう様々な無料アクティビティが用意されており(一部は有料)、夜は夜で船内の劇場で無料のショーも鑑賞できますし、お約束のカジノもありました。因みに、船と聞けば船酔いを心配する方がおられるかと思いますが、現代のクルーズ船には、フィン・スタビライザーという揺れを防ぐ装置が取り付けられていて、よほどの悪天候でも無い限り船内で揺れを感じることはありませんので、船酔いをすることもありません。


船内での食事はクルーズ代金に含まれているのですべて無料。食事の際のドリンクも一部有料のものを除いて無料。朝食、昼食はバフェ(バイキング)形式で自由席、夕食はコース料理で指定席です。どの食事も美味しく頂きました。これらの食事以外の時間帯でも、軽食やデザート類、ドリンクを利用できるコーナーが24時間オープンしていて、小腹が空いた時にはいつでも利用できます。夕食時はドレスコードがあり(そんなにかしこまったものではありません)、男性ならジャケット、女性ならワンピースかブラウス&パンツくらいは必要。昼間の観光時や夕食時以外の船内では、ラフな恰好でも全く問題ありません。日によっては、ギリシャの国旗の色である青と白を服装のどこかへ入れる「ギリシャ・ナイト(写真右端)」や船長主催のパーティーなんかもあったりするので(勿論、日本を出発する前にスケジュールの告知あり)、それを苦痛と感じずに大いに楽しみましょう。尚、ドレスコードに従わなかったからと言って、船から追い出されるようなこともペナルティを受けることもありませんし、スタッフや他の乗船客から何かを言われることもありません。趣旨は、皆で一丸となって船旅の雰囲気を盛り上げましょうということです。

ミコノス島


午前11時にピレウス港を発った船は、夕刻前、ミコノス島に寄港しました。寄港と言っても、ミコノス島のような小さな島(日本の八丈島より少し大きいくらい)にはクルーズ船を横付けできる埠頭がありませんので、船は沖合に停泊。そこからは、テンダーボートと呼ばれる小型の送迎船(写真左端)が乗客を船から島まで次々にピストン輸送してくれます。ミコノス島は1970年代にヌーディストのアメリカ人たちが集まり始めたことで脚光を浴び始め、80年代にはゲイの集まる島としてさらに島を訪れる旅行者が増加、あっという間にギリシャの一大ビーチリゾートに発展しました。今ではギリシャで一番地価が高いそう。島の名物は丘の上に並ぶ風車と島に住み着いているペリカンです。

クシャダス(トルコ)


ミコノス島を離れた船は、一路トルコ共和国のクシャダスを目指します。翌朝、クシャダス港に入港。クシャダスはアナトリア半島西岸に位置するトルコの港町(トルコ第3の都市イズミールから南へ約60キロの地点に位置)。なので、上陸するにはトルコの入国審査があります。と言っても、パスポートにポンと入国スタンプを押されるだけですが(笑)。クシャダスの街外れには古代ローマのエフェソス遺跡があり、別料金のショア・エクスカージョン(船会社が主催するオプショナル・ツアー)に参加して遺跡へ向かいました。 右から2枚目の写真は、現存する世界最古の図書館の建物である「ケルスス図書館」。最盛期には1万巻以上のパピルスの巻物を所蔵していたそう。写真右端の列柱が並ぶ大通りの先には昔、港があったのですが、時代が進むにつれ土砂の堆積が進んだせいで、現在の海岸線は遺跡から6キロも先の位置に移動してしまっています。

パトモス島


クシャダシ港を正午に出港し、夕刻前にパトモス島に到着。ミコノス島の半分にも満たない小さな島ですが、なぜにこのような島に船が立ち寄るかと言いますと、キリスト教を弾圧するローマ帝国によって流刑の刑に処された使徒ヨハネが、この島の洞窟でイエス・キリストから啓示を受け、新約聖書の一部になることとなる「ヨハネの黙示録」を記したとされているからです。まあ、キリスト教徒以外にはどうでもいい話なんですけど(笑)二度とないであろう機会だったので、ショア・エクスカージョンでヨハネのゆかりの地を訪れてみました。パトモス島の中心である街、ホーラがある丘の頂には要塞化された「神学者聖ヨハネ修道院」が建っていて(フレスコ画が目を引きました)、この修道院と港の途中に黙示録の洞窟があります(洞窟と言っても、礼拝堂に作り変えられてしまっていますが・笑)。

ロードス島


翌朝、ロードス島に入港。日本の淡路島の倍以上の面積を持つ比較的大きな島です。ロードス島もまた紀元前より歴史を持つ地ですが、その名を有名にしているのは、やはり、14世紀初頭から16世紀前半までこの島の支配者であった聖ヨハネ騎士団(ロードス騎士団)の存在でしょう。今も島に残る有名な歴史遺産の多くはこの時代に作られたもので、聖ヨハネ騎士団の団員の中心がフランス人とスペイン人であったからか、旧市街の街並みはギリシャのそれとは全く違ったスペインやフランスに残る中世の街並みといった感じでした。1522年、オスマン帝国の猛攻撃によってロードス島を失った騎士団は拠点をマルタ島へ移しましたが、そのあたりの詳しい経緯は本ホームページ内『映画の棚』の第4回で解説した「マルタの鷹」の四方山話に記してありますので、興味のある方は読んでみてください。

クレタ島


ロードス島で一日を過ごした後は、再びエーゲ海をクルーズ。翌朝、クレタ島のイラクリオン港に入港しました。クレタ島は東西260キロと横長ですが日本の四国の半分ほどの面積を持ち、地中海では5番目に大きな島(北海岸はクレタ海、南海岸は地中海に面しています)。紀元前2千年より既にミノア文明が栄えていた地であり、今回の旅で僕が一番楽しみにしていたクノッソス遺跡へショア・エクスカージョンに参加して向かいました。5階建ての巨大なクノッソス宮殿では千室以上の部屋が迷路のように連なっていて、ギリシャ神話に出てくるゼウスとエウローペーの子であるミノス王がミノタウロスを閉じ込める為に作らせた迷宮ラビリンスのモデルとなったと言われています。紀元前2千年にこのような大宮殿を既に建設していたミノア文明、恐るべし(笑)。クノッソス遺跡は1900年、イギリスの考古学者のアーサー・エヴァンズによって発掘されたもので、クレタ島で有数の観光地となった今でも、訪れる旅人たちを魅了してやみません。因みに、遺跡内の各所で色鮮やかな壁画や着色された柱を目にすることができますが、それらは残念ながら観光客向けに再現されたレプリカです(汗)。

サントリー二島


クレタ島でもっとゆっくりしたかったですが、朝に港へ入港したばかりの船は昼過ぎにもうイラクリオンを出港。エーゲ海クルーズのハイライトであるサントリーニ島へ向かいました。夕刻前、テンダーボートで島に上陸し、崖の上にある街、フィラを目指します。フィラへは徒歩かケーブルカー(日本で言うところのロープウェイ)、もしくは名物のロバで行くことができ、折角なのでロバに乗って向かいました。このロバ、なかなか人の言うことを聞いてくれなくて、途中で立ち止まってはのんびりと道端の草を食んだり、糞をしたりして観光客を馬鹿にしますが(笑)、ロバの持ち主の主人が声をあげて追い始めると、とことこと坂を上ってくれます。とてもいい想い出になりました。サントリーニ島を地図で見ると、中心部がカルデラ状になっていて現在は海になっていることに気付きますけども、これは紀元前1600年頃に起きた大噴火で島の中心部が丸ごと吹っ飛んだからだそうです。その破壊エネルギーは想像を絶するもので、噴火と同時に大津波が発生、その津波がクレタ島を襲ってミノア文明が崩壊したと考えられています。伝説のアトランティスの謎の起源もこのあたりにありそうですね。


サントリー二島で夕陽を鑑賞し、船に戻って再びエーゲ海をクルーズ。翌朝、ピレウス港に戻りました。下船前、各船室に封筒が配られ、そこに船のスタッフへのチップを入れて下船したように記憶しています(チップの金額は決まっていました)。4泊5日のエーゲ海クルーズ、ほんと、素晴らしかったし楽しかったです。クルーズ船の旅を一度は味わってみたいと考えている方には自信を持ってお薦めできますので、機会があれば是非とも参加してみてください。

オーバーヴェーゼル(ドイツ)


下船後、そのままアテネの空港へ向かい、フランクフルトへ。しかし、久し振りのドイツでしたし、嫁さんが以前からヨーロッパの古城に泊まってみたいとも言っていたので、フランクフルトから鉄道で1時間ちょいのところにあるライン川に面したオーバーヴェーゼルという小さな町に立ち寄り、古城ホテル「アウフ・シェーンブルク(写真左)」に1泊。ついでにライン川のミニ・クルーズも楽しんでから(笑)帰国の途につきました。城は築千年のまさしく古城で、長らく廃墟になっていたそうですが、1950年代後半より城の一部がリノベーションされ、ホテルとして営業を開始したそう。なかなか趣のある良いホテルでした。

エーゲ海クルーズ編はこれにて終了。引き続き『旅の棚⑤』をお楽しみください。次回は中東イエメンへの旅を紹介します。