第26回 黒い罠
原題:Touch of Evil公開年/製作国/本編上映時間:1958年/アメリカ/111分(復元版)
監督:Orson Welles(オーソン・ウェルズ)
主な出演者:Charlton Heston(チャールトン・ヘストン)、Janet Leigh(ジャネット・リー)、Orson Welles(オーソン・ウェルズ)、Joseph Calleia(ジョゼフ・カレイア)、Akim Tamiroff(エイキム・タミロフ)、Joanna Moore(ジョアンナ・ムーア)、Marlene Dietrich(マレーネ・ディートリッヒ)
【ストーリー】
1950年代後半のある日、メキシコの特別検察官ミゲル・バルガス(チャールトン・ヘストン)とアメリカ人の妻スーザン(ジャネット・リー)はメキシコとアメリカの国境上に位置する小さな町ロス・ロブレス(Los Robles)から新婚旅行先のアメリカを訪れようとしていたが、その時、二人の傍らを通り抜けてメキシコから国境を越えて行った1台の乗用車が彼らの目の前で突然、爆発炎上する。爆発の現場はバルガスの捜査権が及ばないアメリカ領内。しかし、アメリカ側の司法関係者の中に知己も多く、職業柄、見て見ぬふりができない彼は、妻をひとりホテルに向かわせて現場に留まる。程なくしてやって来たのはアメリカ側の町のベテラン刑事であるハンク・クインラン(オーソン・ウェルズ)とその相棒ピート・メンジーズ(ジョゼフ・カレイア)。クインランは片足が不自由で杖が欠かせないだけでなく、反メキシコ感情を強く持つ人種差別主義者だが、自らが担当する事件では必ず犯人を検挙するという優秀な刑事だ。爆発した車に乗っていた二人組が地元の有力建設業者のルドルフ・リネカーと町のキャバレーの踊り子であったことが直ぐに判明し、現場に呼ばれたリネカーの娘マルシア(ジョアンナ・ムーア)が遺体を父親であると確認すると、事件に強い興味を持ったバルガスがオブザーバーとして捜査に参加したいと申し出てクインランは渋々それを認める。一方、ひとりホテルへ向かったスーザンはその途中、革ジャン姿のチンピラ風の若いメキシコ人で彼女がパンチョと名付けた男(バレンティン・デ・バルガス)に声をかけられ、バルガスが摘発を続けている犯罪組織グランディ・ファミリーの情報があるからついてくるようにと記された手紙を見せられ、その指示に従う。男が案内した先でスーザンを待ち受けていたのは、グランディ・ファミリーの幹部ジョー・グランディ(エイキム・タミロフ)で、メキシコ・シティーにいる彼の兄の捜査から手を引くよう夫に伝えろと脅迫されるが、気の強い彼女は全く動じない。そんなスーザンから事の経緯をそのあと打ち明けられたバルガスは、愛妻の安全を考えて国境から少し離れたアメリカ側のモーテルに彼女を移動させると、リネカーがダイナマイトで爆殺されたと決めつけるクインランと共にその出所を探るべくダイナマイトを日常的に使用しているリネカーの建設会社の造成現場へ向かうが、現場に到着するやリネカー殺しの容疑者の居場所を発見したという無線連絡が飛び込んでくる。証拠も揃っていないうちから刑事の直感に頼って容疑者を特定していたのはクインランで、彼が容疑者とにらんでいたのはリネカーの娘マルシアの内縁の夫である靴屋店員のマネーロ・サンチェス(ビクター・ミラン)であった。サンチェスが潜んでいたマルシアの自宅へと直ちに向かったクインランとバルガスたちは、バスルームで靴の紙箱に入ったダイナマイトを発見。リネカー殺しの動かぬ証拠になると誰もが考えたが、バルガスだけは密かに疑念を抱いていた。なぜなら、ダイナマイトが発見される直前、彼はその紙箱が空であったことを確認していたからである。証拠が捏造されたと疑うバルガスは、アメリカ側の地方検事補であるアル・シュワルツ(モート・ミルズ)にダイナマイトの件を報告してクインランの調査を開始、その動きに気付いたクインランは自らの立場を守るべく、利害の一致するジョー・グランディと組んでバルガスを罠にはめようと画策するのだが…。
【四方山話】
今回も先ずは映画の邦題の話から始めるとしましょうか(笑)。本作の邦題は「黒い罠」。原題が「Touch of Evil」ですから、いつもながらにイケてませんね。しかし、本作の場合、この原題も邦題と同じくどうもイケてないもののようなんです。と言うのは、この映画にもWhit Masterson(藤子不二雄さんみたいに二人で共作していた作家)が1956年に出版した「Badge of Evil」という原作となった小説があり、そのタイトルを本作のプロデューサーであったアルバート・ザグスミスが勝手に「Touch of Evil」に変えてしまったからで、原作のタイトルを映画でもそのまま使おうと考えていたウェルズは「”Touch of Evil” is a silly title・Touch of Evilだなんて馬鹿げたタイトルだ」と述べていたそう。なので、彼もこのタイトルをイケてないと考えていたことは間違いないと思われます(笑)。Touch of Evilは映画の内容を考えて日本語に置き換えれば「ちょっとした不正、わずかな不正」という感じでしょうか。それに対しBadge of Evilだと「邪悪なバッジ、悪の烙印、悪亊のレッテル」などと訳せますが、このBadgeは恐らく警察バッジのことであり、警察バッジの威を借りて不正を働く警官を示唆しているのではないかという気が僕にはしました。いずれにせよTouch of EvilとBadge of Evilではその意味のニュアンスにかなりの相違がありますし、そもそも劇中でクインランがやってることは「ちょっとした不正」ではなく完全に犯罪なんですよね(笑)。
さて、そんなタイトルはさておき、この映画にはもっと興味深いエピソードがありますので先に紹介しておきましょう。冒頭の本編上映時間の欄に「111分 (復元版) 」と記しましたが、あれを見て「復元版って何だろう?」と思った方はおられませんか?あそこにわざわざ復元版と書いたのには理由があって、実は本作、試写版(Preview Version・108分)、劇場版(Theatrical Version・95分)、復元版(Restored Version・111分)という編集が異なる3つの版が存在するんです。どうしてそんなことになったのかと言いますと、その経緯はこうでした。1957年4月、ほぼ予定どおりに撮影を終えた本作のフィルムは編集作業に入りましたが、いつものように自ら編集に加わったウェルズと映画の発注者であるユニバーサル社の編集者たちの間で互いの感性の相違による対立が続き、ウェルズを編集から排除したユニバーサルは(つまりはクビにした)、辣腕編集者のハリー・ケラーを送り込んで新たにいくつかのシーンを追加で撮影させ、最終的に108分の作品に仕上げさせました。これが試写会版と呼ばれる作品。編集作業から追い出されていたウェルズはこの試写会版を目にするや、自らの思い描いていた作品の姿とはあまりにも違っていることに衝撃を受け、Touch of Evilをベストな作品にする為にはどう編集すべきかという自らの意見を詳細に記した58ページにも渡る「ノート(注釈)」を作成してユニバーサル社の社長エド・ミュールに送りつけました。しかし、ノートは無視されるばかりか、試写版を見た観客の間で作品が不評であったことを知ったユニバーサル社の幹部は、作品の内容をより分かり易くするだけでなく、上映時間を短くして二本立て興行にも使えるようにすべきと考えて再編集を敢行。B級映画に近い95分の作品として完成させ1958年に初回上映しました。それが劇場版と呼ばれているものなんですが、結局のところ、この劇場版も批評家たちからこき下ろされることとなり、興行面でも失敗に終わりました(アメリカでは不評でしたがヨーロッパでは高く評価され、トリフォーやゴダールが作品を賞賛したことは、ウェルズがこの映画以降、ハリウッドに見切りをつけて活動の場をヨーロッパに移すきっかけのひとつになったと思われます)。ところが、1970年代初頭、ユニバーサル社のアーカイブで試写会版のフィルムが発見されたことで転機が訪れることとなります。試写会版と劇場版との間に相当の違いがあることに驚いた関係者が新たに劇場公開すると再び本作が脚光を浴び始め、忘れ去られていたウェルズのノートにも注目が集まるようになったのです。1985年にウェルズが亡くなると、本作を彼のノートの指示に忠実に従って再編集すべきであるという機運はさらに高まり、1998年、遂にそれを実行に移した111分の版が製作されて再度劇場公開されました。これが復元版と呼ばれる版で、現在、DVDなどで僕たちが目にできる作品のほぼすべてがこの復元版です(それが故、僕も試写会版と劇場版は観たことがないですから、それらの3つの版がどのように違っているのか僕には分かりませんので悪しからず)。この復元版は世の批評家たちからも絶賛され、それと共に本作を鑑賞する映画ファンが増えてくるにつれ「バニー・レイクは行方不明」といった作品同様、カルト的人気を獲得。現在に至っています。ここまでの経緯を読んだ方の中には、オーソン・ウェルズのような大物なら試写会版の編集が行われた際にもっと強い態度に出られなかったのかと思われる方がいらっしゃるかもしれませんけど、本作が撮影された1950年代、確かに彼は「市民ケーン」の製作、監督をした人物として既に高い評価を得てはいたものの、あの作品は興行的には失敗作。利益を生み出さない者に発言権は無いというのが当時のハリウッドの空気だったのです。実際、ウェルズが本作で味わったような酷い扱いを映画会社から受けたのはこれが初めてだった訳ではなく、彼が「市民ケーン」のあとに監督第2作目としてメガホンを取った「偉大なるアンバーソン家の人々(The Magnificent Ambersons)」の編集でも同じような目に遭っています。今の時代では考えられないことですが、映画産業全盛時代におけるハリウッドのヒエラルキーにおいては、その頂点に君臨する大手映画会社が監督の意向を無視して作品を編集するなんてことは、恐らく日常茶飯事であったのでしょう。
前振りが随分と長くなってしまいましたので、そろそろ本編の解説に入るとしましょうかね(笑)。この映画の一番の特徴であり見所でもあるのが、冒頭の3分以上に渡る長回しのシーン(ワンカットで続く長いシーン)だというのは誰もが認めるところ。ドローンを使って空中から役者たちを追いながら撮影しているようなこのシーン、当時はドローンなんてありませんから、どうやって撮影したんだろうと不思議に思いませんか?実はこの長回しのシーン、crane shotと呼ばれる技法で撮影されたもので、その名のとおり、巨大なクレーンの先端にカメラとカメラマンを乗せ、クレーンを巧みに動かしながら被写体を追っているのです。もちろん、クレーンの動きは行き当たりばったのものではなく、役者の動きを計算し尽した上で事前に設定した軌道を進んでいくよう人の手で操作されています。長回しを好む映画監督は数多く存在し、長回しがオーソン・ウェルズの専売特許という訳ではありませんが、本作のこの冒頭の長回しはウェルズの才能が遺憾なく発揮されており、観客に与える効果が非常に良く練り上げられていて感服せざるを得ません。その効果は二つあり、ひとつは自分がスクリーンの中の役者たちと共に行動しているような臨場感。これは観客の誰もが味わえるもの。そしてもうひとつは、冒頭のシーンで男が爆発物のような物のタイマーをセットするシーンを見て、そのセットされた時間が数分であることに気付いた観客だけが味わえる緊迫感。そのあと、男は爆発物を車のトランクに仕掛け、その車の持ち主が乗り込んで動き始めた車が一組の夫婦と付かず離れずで進み続ける。それらのシーンが途切れることなく長回しで撮影されていることで、観客は「おいおい、その車の傍にいちゃ駄目だ、もうすぐ爆発するぞ」とハラハラドキドキするようになっている訳です。本作ではこの有名な冒頭のシーンだけでなく、36分半頃から始まるマルシアの自宅の捜索シーンや92分過ぎからのバルガスがメンジーズに盗聴器を持たせるシーンでも長回しが使われていますが、それぞれの長回しの果たす役目がシーンによって違っているのが興味深いところ。それと、それほどの長回しではないですが、59分過ぎのホテルの古いエレベーターが出てくる場面も面白いです。そのシーンでは、人数が多くて狭いエレベーターに乗り切れないバルガスが「僕は歩いて上へ行くよ」言って来客の三人を見送り、そのエレベーターが停止してドアが開くと、そこにはもうバルガスがいて来客たちが驚くという流れがワンカットで撮影されています。それが意味するのは、実際にチャールトン・ヘストンが階段を急いで駆け上ったということ(何か別の仕掛けがあったのかも知れませんが・汗)。息も切らさずエレベーター前で来客を出迎えるシーンをさらっと演じたチャールトン・ヘストンに拍手です(笑)。あと、85分過ぎに出てくる死体の顔のアップのシーンも、冒頭の長回しに次いで強く印象に残りますね。照明の光を浴びて暗闇に浮かび上がるべろんと舌を出して瞳を見開いたままのジョーの死顔。あれはもう、ホラー映画の領域に突入してます(笑)。観客に恐怖感を与えるには十分過ぎる仕掛けだと言えるでしょう。
それでは次に、本作の舞台のお話を。物語が展開する場所はアメリカとメキシコの国境上に位置する小さな町ロス・ロブレスということになっていますけども、ロス・ロブレスは架空の町。原作の小説ではカリフォルニア州南部のサンディエゴが舞台になっていたものをウェルズが国境の町に変更したんですが、彼が具体的にイメージしていたのはサンディエゴから南に下った国境の町ティファナでした。ウェルズが舞台を国境の町に変更したのは、アメリカの人種差別や警察の腐敗を描く為、ティファナのような売春やギャンブル、麻薬密売など不法行為が平然と行われている半無法地帯を舞台にして善と悪との境界線を曖昧にしたかったからだとされています。しかし、そんな危なっかしいティファナでの撮影をユニバーサルは許可せず、ウェルズが最終的に本作のロケ撮影地として選んだのはカリフィルニア州のベニスでした(ロサンゼルス国際空港のすぐ北側にある街)。ベニスはもともと20世紀初頭に地元の土地開発業者がリゾートとして発展させた地域で、エリア内には運河が張り巡らされ、その両脇にイタリアのベネチアそっくりの街並みを再現することで人気の観光地となりましたが、1929年にベニスで石油鉱床が発見されると、街の至る所に採掘用のリグ(鉄塔状の油井)が建てられて景観が一変するという事態に直面しました。そればかりか、油井から出る大量の廃棄物が運河を塞いで水質汚染が進み、大量の蚊が発生するようになって衛生上の問題も生じ始めると、街はさらに廃れてしまいます(運河の多くは埋められてしまいました)。今でこそベニスは家賃も高い富裕なエリアですけども、本作が撮影された当時はSlum by the Sea(海辺のスラム)と呼ばれるほどに荒廃しており、その姿がウェルズが頭の中で描いていた国境の町のイメージに合致したことから、ロケ撮影の地として選ばれたと伝えられています。しかし、本作の撮影からほぼ70年が経過した現在では、残念ながら当時の建物は大部分が取り壊されて姿を消してしまっていて、例えば、冒頭の長回しのシーンと同じ場所で同じようにカメラを今回してみても、ファインダーに映し出されるのは本作に登場した街並みとはほとんど別の姿。本作のラストシーンに登場する石油採掘用のリグ群も、最後まで残っていた1基が1991年に閉鎖されて街から姿を消しています。但し、同じシーンで105分半頃に登場するアーチ型の石橋(Ballona Lagoon Bridge)だけは、欄干部分が今はコンクリート製の味気ないものに変わってはいるものの現在でも目にすることが可能。それと、53分過ぎにバルガスが助手席にシュワルツを乗せて車で走る通りは恐らく、ベニスのスピードウェイ通り(Speedway)でしょう。チャールトン・ヘストンが自ら運転して車を走らせているという当時としては画期的なこのシーン、カメラマンが撮影したのではなく、車のボンネット上にカメラ、ダッシュボードにマイクを固定し、カメラマン無しで撮影されました。それにしては良く撮れていますから驚きです。蛇足ですが、このシーンでバルガスがハンドルを握る車は、プリマス・サヴォイ社製の1955年型クラブ・セダン。冒頭のシーンで爆破される洒落たオープンカーは、クライスラー社製の1956年型ニューヨーカー・コンバーチブルです。ニューヨーカーの車体後部のテールフィンが馬鹿みたいに巨大化するのは、翌年発売のモデルから(笑)。あと、いつもの武器オタクの視点から解説させてもらうと、本作に登場する銃は二種類。ひとつはコルト社製の38口径回転式拳銃「ポリス・ポジティブ(4インチ・バレル)」で、クインランとメンジーズが使っていました。もうひとつはポリス・ポジティブの銃身を短くした「ディテクティブ・スペシャル(2インチ・バレル)」。使っていたのはバルガスとジョー・グランディです。ディテクティブ・スペシャルはその名のとおり、刑事が懐に忍ばせ易いようにと開発されたモデルなんですが、バルガスは鞄の中に入れてましたね(笑)。彼が銃を鞄の中に入れているなんていう設定になっているのには理由があるのですが、ネタバレになるので、ここでは話さないでおきましょう。
次に本作の出演者ですが、クレジットに出てくる役者の名前を見ても分かるとおり、錚々たる顔ぶれです。先ずそのトップは、バルガスを演じたチャールストン・ヘストン。本作の撮影時には既に「地上最大のショウ」や「十戒」に出演していたハリウッドの大スター。この人は容姿だけのダイコンではなく演技が達者で本作でもバルガス役を熱演していますが、配役的には失敗でしたね。彼にメキシコ人を演じさせるのはちょっと無理があったように思います。顔に口髭を生やし、茶色のメイクで肌の色も変えてメキシコ人に見えるようがんばってはいますが、今の時代はさておき、当時のメキシコ人にヘストンのような大男(191cm)は稀だったでしょうから、メキシコ人にしてはデカ過ぎます(笑)。おまけに、話す英語にまったくスペイン語の訛りがないというのも不自然極まりないです。余談ですが、ヘストンは公民権運動の時代、人種差別に徹底的に反対していてリベラルな人というのが世間のイメージだったようですけど、その一方では後に全米ライフル協会の会長に就任し、毎度のように銃乱射で多くの無垢な人々が犠牲になろうと銃規制にとことん反対していた人物でもありました。僕の中では正直、良く分からない人です(笑)。因みに本作の監督は、最初からオーソン・ウェルズありきだったのではなく、バルガス役として出演が決まっていたヘストンがウェルズがクインラン役に配されていることを知って、監督もウェルズにやらしてみたらどうかとユニバーサル社に進言したことから決まったそう(ヘストンはウェルズの才能を高く評価していたらしいです)。そんなヘストンが演じたバルガスの妻、強気なスーザン役はジャネット・リー。数年後、ヒッチコックの「サイコ」に出演し、シャワールームで刺殺されるあの有名なシーンで歴史に名を刻んだ女優ですね(個性派俳優のジェミー・リー・カーティスは彼女の娘)。モーテルのエキセントリックな従業員の男(デニス・ウィーバー)とジャネットが織り成す本作のシーンと「サイコ」における類似した舞台設定との関連性はよく指摘されることですが、ヒッチコックが本作を観て何らかのインスピレーションを受けたことは恐らく間違いないかと思います。ですが、ウェルズの作品にもヒッチコックのそれとの共通点が垣間見える「ストレンジャー(The Stranger)」みたいな作品がありますからお互い様ですね(笑)。デニス・ウィーバーの本作での役柄はちょっとした変質者でしたけど(笑)、彼はその後、人気テレビドラマ「警部マクロード」で破天荒な主人公マクロードの役を得て大ブレークを果たし、スピルバーグのデビュー作品である「激突(Duel)」でも主役に抜擢されました。バルガスと敵対する巨漢のクインラン役は監督のオーソン・ウェルズが自ら演じましたが(と言うより、監督を任される前に既に配役されてたんですけども)、老けメイクといい(本作出演時のウェルズは40歳過ぎ。特殊メイクとまではいきませんが、鼻とかもパテで形を変えてます)、話し方といい、クインランのキャラクターを作り出そうとした努力は認めますが、ちょっとやり過ぎ感があると言うか、なんか不自然で違和感があります。それに、犯人逮捕の決め手が常に直感(intuition)であるというキャラクター設定も無理があり過ぎ。そんな刑事がいたらコワいです(笑)。自らを大きく見せようという意図からなのか、ローアングルの撮影も多用し過ぎのような気がしました(実際、ヘストンよりもウェルズの方が大きく見えるシーンが沢山あります)。本作にはウェルズとゆかりのある役者が何人も出演していて、その一人がメンジーズ役のジョゼフ・カレイア。カレイアはウェルズが若い頃からずっと尊敬し続けていた役者で、遂にこの映画で彼と共演できたことにウェルズは感慨無量だったそう。あともう一人、6分40秒過ぎ「Hey, Doc!」と声をかけられて登場する台詞なしの人物(髭を生やして、眼鏡をかけている蝶ネクタイ姿の男性)。これが誰だか分かった人は相当の映画オタクですよ!ぱっと見ただけでは分かりませんが、この人物は「市民ケーン」や「第三の男」など、数多くの映画でウェルズと共演したジョゼフ・コットンです。地方検事のアデア役のレイ・コリンズも「市民ケーン」出演組で、ケーンの政敵ゲティス役を演じていた人。それと、ジョー・グランディ役のエイキム・タミロフは、強い訛りのある英語とその風采でメキシコ人の悪役をうまく演じていましたが、この人、旧ロシア帝国のグルジア(現在のジョージア)出身のアルメニア人なんですよね(笑)。日本での知名度は低いですがタミロフは数多くのハリウッド映画に出演しており、ウェルズは彼の演技を常に高く評価していました。リネカーの美しい娘、マルシア役のジョアンナ・ムーアは、後にライアン・オニールと結婚してテイタム・オニールのお母さんになる人。シュワルツ役のモート・ミルズは西部劇で悪役ばかりやってましたが、本作では検事という正義側の役でした。この人も「サイコ」に出演してましたね。あと、クレジットに出てくる役者の中で忘れてならないのが、飲み屋のママのターニャ役を演じていた女優です。メキシコ人役なのになぜかドイツ語訛りで話すあの毒々しい女性はマレーネ・ディートリッヒ!実は彼女とウェルズ、二人は古くからの友人で、ウェルズの願いにより友情出演と相成りました。本作の撮影時、マレーネはそろそろ還暦という年頃でして、劇中ではクインランとターニャが同世代の人間で古くからの知り合い(恐らくは、かつて恋仲であった)という設定になってましたけど、実際のマレーネはウェルズよりずっと年上で、二人の間には15近くもの歳の差があったんですよ(笑)。そんなマレーネが演じるターニャ、ラストシーンでシュワルツに向かってAdiós(スペイン語でサヨナラ)と呟き、画面から消えていきますがAdiósの発音のアクセントがスペイン語を覚えたてみたいな外国人風。あれはイケてないですね。メキシコ人がAdiósのアクセントを間違ったりはしませんし、ターニャはメキシコのロマ(ジプシー)というキャラクター設定になっていましたけど、そもそもメキシコには欧州から個人的に移住したロマがいたとしても、エスニック集団としてのロマは存在しないのです(笑)。
おっと、今回もなんだか話が長くなってきてしまいましたので、そろそろ話をシメるとしますか(汗)。ここからはネタバレが入りますので、本作を末鑑賞の方はご注意を。1949年公開の「第三の男」にオーソン・ウェルズが出演(監督はしてません)していることは本コーナーの第7回で取り上げたとおりですが、僕の中では本作と「第三の男」には共通の特徴があるような気がしてなりませんでした。先ずひとつ目がプロットに「よく考えてみると、なんだかへんだ」という部分が多いという点です。新婚旅行に向かおうとしていた男が、いくら事件を無視できないからと言って自分の妻をあんなにほったらかしにしておけますかね?(まあ、そうしておかないと、彼女にジョー殺しの罪を着せるというプロットが実現できない訳ですが・笑)。その妻も、冒頭のシーンで見知らぬメキシコ人の男にのこのことついて行ったりして(普通は逆に警戒するでしょう)リアリティーに欠けます。そもそも、自分に対する疑惑を深めるバルガスを陥れる為に、ジョーにスーザンを薬物中毒者に仕立てさせ、そのジョーを絞殺してスーザンに殺しの罪を被せるというまどろっこしい手口にも首を傾げざるを得ません。しかも、足の不自由なクインランがジョーを殺した現場に愛用のステッキを置いたまま立ち去るなんてコントです(笑)。証拠のでっち上げなどの手法で多くの者に罪を被せてきたクインランが、またまた同じ手を使ってスーザンを犯人に仕立て上げるという流れで観客を納得させたかったのでしょうが、かなり強引ですね。ラストシーンにスーザンとターニャを登場させるのも無理矢理感が強かったですし、ジョーに至近距離から撃たれたメンジーズにまだ息があり、甦ったかのように最後にむくっと起き上がってジョーを射殺するってのもはっきり言って嘲笑を誘います。と、他にも突っ込みどころは沢山ありますが、きりがないので置いておくことにして共通点のふたつ目へ(笑)。それは、劇中における外国語の使い方です(「第三の男」では同じ役目をドイツ語が果たしていました)。敢えてスペイン語の台詞を使って、スペイン語の分からない観客に「なんか重要なことを言ってるんじゃないか?」と混乱させるのが狙いなのかもと思い(やたらと、クインランが英語で話せと煩く言いますし)スペイン語の台詞部分に耳を傾けてみましたが、何のことはない、プロットに影響するような重要なものはありませんでした。恐らく「第三の男」のドイツ語の台詞部分も、同じように特に意味はない会話ばかりなのかもしれませんね(笑)。
さてさて、今回の最後は、本作のラストシーンで検事補のシュワルツがターニャにマネーロ・サンチェスが爆弾でリネカーを殺したことを自白したことを告げたあと、ドブ川に浮かぶクインランの死体を見つめながら二人が交わす会話を紹介して終わりにしたいと思います。
Tanya: Isn’t somebody gonna come and take him away?
Schwartz: Yeah, in just a few minutes. You really liked him didn’t you?
Tanya: The cop did… the one who killed him… he loved him.
Schwartz: Well, Hank was a great detective all right.
Tanya: And a lousy cop.
Schwartz: Is that all you have to say for him?
Tanya: He was some kind of a man… What does it matter what you say about people?
ターニャ:あの人を片付けに誰かやって来ないの?
シュワルツ:来るよ、数分でね。君はほんと、奴のことが好きだったんだな。
ターニャ:あのデカはそうだった…。あの人に撃たれたね。彼、あの人のことが好きだっだもの。
シュワルツ:そうさな、ハンクは赫々たる刑事だったから。
ターニャ:悪辣なデカでもあったけど。
シュワルツ:奴に対して言えることはそれなのかい?
ターニャ:あの人はなかなかの男だった…。まあ、人のことをあれこれ言ったところで意味なんかないんじゃない?
最後のHe was some kind of a man. What does it matter what you say about people?は、言い換えるならば「死んだジョーのことをいい人だったと言ったところで無視(拒絶)されるだけ」ということでしょう(He was some kind of a manというフレーズは、強烈な個性故に分類が難しい人や他者に強い印象を残す人に対して良い意味で使われます)。これは、サンチェスがリネカー殺しを最終的には自白したという事実とつながっていて、証拠をでっち上げることは罪ではあるけども、それをもって一概にクインランを悪人と決めつけることが果たしてできるのだろうかという、人の行いの善悪を判断することが如何に難しいのか、その判断の基準が如何に曖昧なものなのか(善と悪との境界線はいったいどこで引かれているのか)ということを痛烈に皮肉っているのではないかと僕は思いました。まあ、そんなことはともかく、映画ってのはもうちょっと観客に分かり易く作らないといけませんよね(笑)。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
第27回 情婦
原題:Witness for the Prosecution公開年/製作国/本編上映時間:1957年/アメリカ/116分
監督:Billy Wilder(ビリー・ワイルダー)
主な出演者:Tyrone Power(タイロン・パワー)、Marlene Dietrich(マレーネ・ディートリッヒ)、Charles Laughton(チャールズ・ロートン)、Elsa Lanchester(エルザ・ランチェスター)、John Williams(ジョン・ウィリアムス)、Norma Varden(ノーマ・ヴァーデン)
【ストーリー】
心臓の具合を悪くして入院し、長期療養をしていた法廷弁護士のウィルフリッド卿(チャールズ・ロートン)はその日、彼の健康管理を託された口うるさい看護婦のプリムソル(エルザ・ランチェスター)に付き添われ、2ケ月振りにロンドンの弁護士事務所へ戻ったところであった。卿は刑事事件の被告人弁護を得意とする法曹界の重鎮だが、今回の入院を機に好きな酒も葉巻も女遊びも禁じられただけでなく、法廷で興奮することを避ける為に刑事事件を扱うことも止めるよう医師から命じられている。扱える仕事と言えば、離婚や税金、保険に関する訴訟といった身体に負担はかからないがつまらないものばかりだ。ところが、事務所に復帰したばかりの彼のもとを依頼人と共に訪れた事務弁護士のメイヒューが早速持ち込んできた仕事は、皮肉にも殺人事件の弁護であった。医師の言いつけどおり一度はその依頼を断って二人を追い返そうとしたウィルフリッドだったが、メイヒューの上着の胸ポケットから覗く葉巻に気付いた彼は、葉巻を吸いたいが為に二人を呼び止めると執務室に招き入れ、プリムソルの目の届かない部屋で嬉しそうに葉巻をくゆらせながら依頼人の話に耳を傾け始める。依頼人の名はレナード・ヴォール(タイロン・パワー)。ハンサムなその中年男の話によれば、彼の知り合いであった裕福な未亡人エミリー・フレンチ(ノーマ・ヴァーデン)が殺害され、そのことで彼女の家に頻繁に出入りしていた自分のことを警察は疑っているが、自分にはアリバイがあり、そのアリバイは妻が証明できるし、そもそも未亡人を殺害する動機も存在しないとのことであった。ただ、自分に不利な状況証拠が多くあり、それが故にこのままでは警察に無実の罪で逮捕されてしまうと訴えるレナードの話を聞き終えたウィルフリッドは、弁護を同僚のブローガン・ムーア(ジョン・ウィリアムス)に任せようとするが、事務所にやって来たブローガンから見せられたその日の新聞の「子供のいなかったフレンチ夫人が8万ポンド(現在の価値で約4億円)もの大金をレナードに相続させるという遺言状が銀行の貸金庫の中から出てきた」という記事を目にして俄然、依頼人の話に興味を持ち始める。すると、ちょうどその時、弁護士事務所の建物の前に警察の車輛が現れ、事務所へ上がって来たロンドン警視庁の刑事がエミリー・フレンチ殺害の容疑でレナードを逮捕して連れ去っていき、それと入れ替わるかのように今度はレナードの妻であるクリスチーネ・ヴォール(マレーネ・ディートリッヒ)が事務所を訪れ、夫のアリバイを証明するから夫を助けて欲しいと懇願する。ドイツ語訛りの英語を話すクリスチーネはその訛りどおりにドイツ人で、レナードが占領軍の一員としてドイツのハンブルグに駐在していた際に彼と結婚してイギリスへやって来たことや、レナードと結婚した時には既に東ドイツに夫がいたため重婚だったが、レナードはその事実を知らないことを告白。そんなこんなでレナードの弁護を自ら引き受けることを決心したウィルフリッドは、クリスチーネが弁護側の証人としての切り札にはならないと判断して、レナードのアリバイを彼女に証言させなくとも裁判に勝つ作戦を練り始める。程なくしてレナードの裁判が開廷し、老猾なウィルフリッドは検察側の主張を作戦どおりに次々と突き崩していくが、検察はとっておきの人物に決定的な証言をさせるという奥の手を準備していた。そして、その証人が法廷に現れた時、ウィルフリッドはあまりの驚きで絶句する。なぜなら、検察側の証人として席に腰掛けたのがクリスチーネだったからであった。いったいどういうことなのかと混乱するウィルフリッド。果たして裁判の行方は?
【四方山話】
さてと、残念ながら今回も映画の邦題の話からスタートせざるを得ません。本作の原題は「Witness for the Prosecution」。日本語に置き換えれば「検察の証人」ですが、その日本語の響き、どこかで聞いたことがあると感じた方も多いことでしょう。それもそのはず、この映画の原作はアガサ・クリスティーの同名小説(戯曲)でして、その小説が日本語に翻訳されて出版された時の題名が「検察側の証人」だったからです(まあ、まともな邦題ですね)。そんなWitness for the Prosecutionをいったいどういうセンスをもってすれば「情婦」というタイトルに変えることができるのか、いつもながらに不思議でなりません(笑)。この映画は原題のとおり、いわゆる「法廷モノ」と呼ばれるジャンルの作品で、同種の映画で名作として誉れの高いシドニー・ルメット監督の「十二人の怒れる男(12 Angry Men)」がお披露目されたのは、奇しくも本作の公開の10ケ月ほど前でした。その「十二人の怒れる男」はアメリカの法廷を舞台にしている作品ですが、本作は原作を書いた作家がイギリス人なので、舞台はイギリスの法廷。実はイギリスの司法制度、日本とはかなり異なっていまして、本作を鑑賞する前にその予備知識を得ておくことは無益なことではないと思いますので、簡単にですが少し触れておきましょう。
ひとえにイギリスの司法制度と言っても、イギリスではイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドと地域によって制度が若干異なりますので、ここでは本作の舞台となっているイングランドのものを紹介します。先ず、日本と一番異なっているのが弁護士制度。弁護士の資格には法廷弁護士(Barrister)と事務弁護士(Solicitor)という2種類があり、従来の流れでは、相談者は先ず事務弁護士に対して相談、依頼を行い、弁論や尋問が必要となる案件については、事務弁護士がそれを行うことができる法廷弁護士を相談者に紹介するというシステムになっていました。本作の劇中で事務弁護士のメイヒューが依頼人のレナードを連れて法廷弁護士のウィルフリッドの事務所を訪れているのはそういった事情からなのです(現在では、相談者が直接、法廷弁護士に相談することも可能な制度に改変されているそう)。イングランドの司法制度で興味深いのは、日本と違って事件の起訴、不起訴の判断を検察が行うのではなくCPS(Crown Prosecution Service)と呼ばれる独立した司法機関が行うことで、しかも起訴となった場合、日本の裁判で検察官が果たす役割をCPSが行うのではなく、法廷弁護士に委任するという点です。つまり、法廷弁護士は被告人の弁護を行うだけでなく、逆にCPSの代理として被告人の追求も行う訳で、日本の制度とはそこが決定的に異なります。裁判自体は陪審制が採用されており、選挙人名簿から無作為に選ばれた12名の陪審員が審理にあたりますが、陪審員は証人や被告人に直接尋問することはできず、審理でのやり取りを傍聴して最終的に有罪か無罪かを決めるのがその役割です(量刑の判断には関わりません)。評決は陪審員だけで行われ、全員一致が原則。本作の劇中でも多くの傍聴者が法廷に出入りしていたとおり、裁判の傍聴は原則として14歳以上であれば誰でも自由に行うことができ、傍聴席の数以上に傍聴希望者が集まるような注目の裁判などの場合は、日本と同様、傍聴券が配布されます。あと、劇中にも出てくる法廷弁護士が被るヘンテコなカツラですけども、あれは馬のたてがみで出来ているそうで、カツラを被る理由は、法廷の威厳を保つための伝統であり、法史への敬意を示すためとされています(僕なんかは「馬鹿じゃないの」って思ってしまいますが・笑)。しかし、近年では時代遅れと揶揄されることも多く、2008年、イングランドでは民事事件の裁判においてはその着用が廃止されました(刑事事件の裁判では未だに着用しています。被らないと法廷侮辱罪に問われるそう・笑)。取り敢えず、これくらいのことを頭に入れておけば、本作をより面白く鑑賞できると思いますのでご参考まで。
少し話が脱線してしまいましたので、そろそろ作品の話に入るとしましょう。前述のとおり、本作の舞台はイギリスのロンドンですが、原作の版権を買って映画の製作をしたのはアメリカの映画会社でしたので、撮影はカリフォルニア州にあったMetro Goldwyn MayerのスタジオやハリウッドのSamuel Goldwynのスタジオでセットを組んで行われました。劇中に出てくる法廷も、ロンドンにある中央刑事裁判所(通称Old Bailey)を模して作られたセットです。ロンドン現地で撮影されたのは冒頭に出てくる2カットのみで、ひとつは1分40秒過ぎに制服警官が登場するシーン。ここに映っている建物は、ロンドン中心部のストランド通りにある王立裁判所(Royal Courts of Justice)ですね。もうひとつは2分20秒過ぎにウィルフリッドを乗せた車がチューダー様式の門を通過していくシーン。この門も同じくロンドンの中心部にあるリンカーン法曹院(The Honourable Society of Lincoln’s Inn)のもので(イングランドの法曹院というのは弁護士養成学校と弁護士組合が組み合わさったような組織)、イングランドの法廷弁護士は4つある法曹院のいづれかに所属することが義務付けられていることから、ウィルフリッドがリンカーン法曹院に所属していることを示唆する為にこのカットが入れられたのではないかと思われます。
次に出演者ですが、先ず最初に紹介しておきたいのがその法廷弁護士ウィルフリッドを演じたチャールズ・ロートン。見た目からして、いかにもイギリスの「偏屈ではあるがユーモア好きの紳士」といった感じで、いい演技をしてましたね。傲慢で無節操という役柄はこの人の得意とするところでした。ロートンは後にアメリカに移住していますが、生まれはイングランドのスカーバラ(Scarborough)です。父親はスカーバラでホテルを経営しており、裕福な家庭で育ちました。彼が生まれ育った建物(その当時はVictoria Hotel)は今もWestboroughの79番地に現存しています。冒頭のシーンでロートンは看護婦役のエルザ・ランチェスターと軽妙なやり取りを繰り広げていますが、妙に息が合っているなと思った方はいらっしゃいませんか?実はこの二人、プライベートでは夫婦だったんですよ!ロートンとエルザは1929年に結婚していて、この映画が撮影された頃は結婚生活ほぼ30年の円熟夫婦でしたから、息が合うのも当然ですね(笑)。とは言え、ロートンは両性愛者(バイセクシャル)でもあったそうで、本作でタイロン・パワーと共演した彼はタイロンに恋をしていたとも伝えられています。エルザはロートンがバイセクシャルであることを知っていたものの、1962年に彼が亡くなるまで婚姻関係を維持していて、伴侶の死後、彼女は再婚することのないまま1986年、死去しました。本当のところの夫婦関係がどうだったのかなど、当事者以外の者に分かる筈もありませんが、きっと二人の間にはセクシャリティーを超えた何か強い愛と絆があったのではないかという気が僕にはします。次に紹介しないといけないのはやはりこの人、タイロン・パワー。タイロン自身はアメリカ出身ですが、父はイギリス、祖父はアイルランド出身の役者という芸能一家に生まれ(遠縁にローレンス・オリビエがいます)、女性なら誰もが振り向くと言われたそのハンサムな容姿から、1930年代のアメリカでアイドル的存在として位置付けられていた俳優でしたが(僕には彼がそれほどハンサムだとは思えないのですけど・笑)、本作ではその殻を打ち破り、女性を平気で騙す卑劣な男であるレナード・ヴォールのキャラクターを見事に演じました。本作への出演を切っ掛けに演技派俳優の道を切り開いたタイロン。ところが、翌年、スペインのマドリードで映画のロケ撮影中に心臓発作に見舞われ、呆気なくこの世を去ってしまうことになります。享年44歳。因みに彼の父親も舞台出演の準備中に心臓発作で亡くなっていますので、遺伝性の病気であったのかも知れませんね。それと、タイロンの経歴で興味深いのは、彼は空を飛ぶのが大好きであったという事実。第二次世界大戦中、海兵隊に志願して士官候補生となったタイロンは、既に所持していた小型機用操縦ライセンスとその飛行経験を活かして大型輸送機C-47のパイロットとなり(戦闘機パイロットを志望していましたが、年齢が既に20歳代後半であったことから不適格とされた為、輸送機パイロット志望に変更)硫黄島や沖縄へ物資や兵員を運ぶ任務に従事。戦後、ハリウッドへ戻ってからも、映画会社が所有する旅客機DC-3(C-47の民間型)を使って世界巡業に出掛けるなど、頻繁に飛行機の操縦を楽しんでいたと伝えられています。続きましては、クリスチーネ・ヴォール役を演じたマレーネ・ディートリッヒ。前回紹介の「Touch of Evil」にも出演していたドイツの女優ですが、ちょっとミスキャストのような気が…。相変わらずその姿は妖艶だとは言え、歳を取り過ぎた女優を配役してしまっているのではないかという感が否めません。因みに、クリスチーネ役の候補にはビビアン・リーの名も挙がっていたそうです(彼女とて、本作の撮影時には既におばさんでしたが・笑)。マレーネが出てくるシーンで注目していただきたいのは、43分過ぎ、ハンブルグの酒場でイギリス兵たちの前で歌うクリスチーネに酔った兵隊たちが「脚を見せろ」と迫って彼女の穿いていたズボンを引き裂き、真っ白な片脚が露わとなって兵隊たちの乱闘が始まるというシーン。あれは彼女の脚が「100万ドルの脚線美」と呼ばれていたことにひっかけた洒落です。酒場の入口に掲げられた看板に書かれていた店名が「DIE BLAUE LATERNE」となっていたのも同じく洒落でしょう。1930年に公開されたマレーネ主演の映画のタイトル「Der blaue Engel(邦題は「嘆きの天使」)にひっかけていると思われます。因みにこのシーンの撮影には200人近くのエキストラとスタントマンが動員されていて、このたった数分のシーンを撮る為にセットの製作費も含めて9万ドル(現在の価値に換算して約1億6千万円)もの資金を注ぎ込んだのだそう。マレーネ・ディートリッヒは1901年、ドイツのベルリン生まれ(明治34年ですよ!)。1920年代初頭に無声映画でデビューし、1930年公開の「嘆きの天使」でキャバレーの歌手、ローラ役を演じたことでハリウッドから注目されると、直ぐに活躍の場をアメリカに移しました。反ナチスだった彼女は第二次世界大戦前夜の1939年、ドイツ国籍を放棄してアメリカ合衆国の国籍を取得。大戦中はヨーロッパの最前線に赴いて連合軍兵士の慰問にも積極的に参加しており、そんなこともあってか、戦後のドイツにおける彼女の評価が「祖国を捨てた裏切者」だったことはあまり知られていません。それと、あともう一人、富豪の未亡人エミリー・フレンチを演じたノーマ・ヴァーデンも地味ですが無視できない存在ですね。この人も50歳を過ぎてからアメリカ国籍を取得していますが、もともとはロンドン出身のイギリス人。天才肌の演技力を武器に若い頃は舞台役者として活躍。端役ばかりですが100本以上の映画に出演しており、「カサブランカ」や「紳士は金髪がお好き」「サウンド・オブ・ミュージック」といった日本人が良く知る作品でも台詞のある役をもらって、そつのない演技を披露しています。
それではと、ここから先はネタバレを含む内容となりますので、本作をまだ未鑑賞の方は読まないでくださいね。なんたって、この映画ではエンディングに以下のようなナレーションが入っていますから(笑)。
「The management of this theater suggests that, for the greater entertainment of your friends who have not yet seen the picture, you will not divulge to anyone the secret of the ending of Witness for the Prosecution・まだ映画をご覧になっていないご友人方の楽しみを損なわないようにする為にも、本作「検察側の証人」の結末を口外しないよう当劇場の経営陣は皆様にお願い申し上げます」
divulgeなんて難しい動詞が使われていますが、これは個人の情報や秘密、慎重に扱うべき情報や秘密を信頼や信用を裏切って他人に教えるというニュアンスの言葉ですね。まあ、この種の映画作品では、結末を知ってしまってからでは、該当作を観たところで面白くないというのは疑いようのない事実。本作のメガホンを握ったビリー・ワイルダーは、ラストシーンのカットを撮影するまで出演者たちに対してさえ、その結末を教えなかったというエピソードもあるようですが、それはちょっと眉唾物。アガサ・クリスティーの原作は本屋へ行けば売っているし、舞台演劇としても有名な作品でしたから、本作の結末を知らない出演者なんて最初からいなかったと思います(笑)。
まあ、そんなことはさておき、裁判のその後の展開ですが、検察側の証人として法廷に現れたクリスチーネは、事件のあった日、レナードが血の付いた服で帰宅したと証言、彼が未亡人を殺害した可能性が一気に濃厚となります。するとその夜、女の声で「クリスチーネの証言は偽証であり、それを証明することができる証拠を持っている」というタレコミの電話がウィルフリッドの事務所に入り、彼は女から指示のあった駅の構内にあるバーへとすぐさま向かって証拠の品を買い取ります。クリスチーネに恨みがあると話したその女が持ってきたのは、クリスチーネと最初に彼女が結婚したドイツ人の夫との間で交わされた手紙の束。そこには、彼女が今でもその夫に愛を誓っており、早くレナードと縁を切りたいという旨のことが記されていて、審理が再開した法廷でその手紙を証拠品として提出したウィルフリッドはクリスチーネを追求。彼の詰問に狼狽した彼女はレナードが血の付いた服で帰宅したという証言は偽証であったことを認め、それが決め手となって陪審員はレナードに無罪の評決を行い、逆にクリスチーネは偽証罪で収監されることとなります。そして、そこからが最後の見せ場。結審後、誰もいなくなった法廷で「何かがおかしい」と思案し始めたウィルフリッドの前に再び姿を見せたクリスチーネは、レナードが事件の真犯人であり、愛する彼を助ける為にわざと彼に不利な証言を一旦行い、後にそれが偽証罪とみなされるように仕向けたこと、そして、その偽証を焙り出す役割を果たした手紙をウィルフリッドに渡したのが変装した自分であったことを告白(彼女がなぜそんなことをペラペラ話したのかと言うと、一度判決が確定すれば、同じ罪で再度裁かれることはないという一事不再理の原則があるから)。すると、今度は二人の前にレナードがやって来て、彼が若い女と今から旅行に出掛けようとしていることを知ったクリスチーネはようやく自分が利用されただけであったことに気付き、レナードにナイフを突き刺して映画は終わります。
以上が本作のプロットなんですけども、リアリティー重視派の僕としては、いつものように首を傾げざるを得ない点だらけ(笑)。中でも一番ひっかかるのは、クリスチーネの偽証を暴く根拠となる手紙をコックニー(ロンドンの下町)訛りで話す謎の女がウィルフリッドに渡すという筋立て。海千山千の弁護士であるウィルフリッドが、その女がクリスチーネであるということに気付かないなんてこと、あるでしょうか?映画の観客でさえ、観察力のある人なら「あれっ?この女の人、マレーネ・ディートリッヒじゃないの」と直ぐに気付きます(笑)。アガサ・クリスティーの作品に良くあるパターンなんですが「発想は面白いんだけど、なんか子供じみていてリアリティーに欠ける」というやつですね(まあ、原作が最初に書かれたのは1925年、つまり100年前ですから、その頃はそれでも通用したのでしょう)。最後のシーンも、クリスチーネがレナードを刺し殺したことになってますが、あんな刺し方では人は即死しませんし、そもそも、クリスチーネが法廷にナイフなんかを持ち込んでいること自体、不自然です(笑)。他にも突っ込みどころは満載で、僕は個人的にはこの映画が世間が評価しているほどの名作だとは思いませんが、いつものように「これはコメディー映画なんだ」と割り切って観るならば、なかなか良くできた映画だとも言えます(なんじゃその結論・笑)。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
第28回 鉄道員
原題:Il Ferroviere公開年/製作国/本編上映時間:1956年/イタリア/118分
監督:Pietro Germi(ピエトロ・ジェルミ)
主な出演者:Pietro Germi(ピエトロ・ジェルミ)、Luisa Della Noce(ルイーザ・デラ・ノーチェ)、Sylva Koscina(シルヴァ・コシナ)、Saro Urzì(サーロ・ウルツィ)、Carlo Giuffré(カルロ・ジュフレ)、Renato Speziali(レナート・スペツィアリ)、Edoardo Nevola(エドアルド・ネヴォラ)
【ストーリー】
舞台は第二次世界大戦後の混乱期が終わり、経済復興が加速し始めた1950年代のイタリア。戦前より国鉄で働くアンドレア・マルコッチ(ピエトロ・ジェルミ)は、職場の花形である長距離路線の電気機関車の運転士だが、その一方では家庭で多くの問題を抱えている初老の父親でもある。アンドレアは妻のサラ(ルイーザ・デラ・ノーチェ)、娘のジュリア(シルヴァ・コシナ)と息子のマルチェロ(レナート・スペツィアリ)、そして、その兄姉とはかなり歳の離れたまだ幼い末っ子、サンドリーノ(エドアルド・ネヴォラ)の5人家族だが、頑固であるだけでなく、頭に血が上るとすぐに手を出すアンドレアをジュリアは嫌っていて二人の折り合いは悪く、近所の食料品店の息子であるレナート(カルロ・ジュフレ)と授かり婚をして家を出た彼女は、それ以来ほとんど実家に寄り付かない。仕事に就かずに毎日ブラブラしているマルチェロも街の悪い連中と付き合っており、遊びざかりのサンドリーノは学校の勉強をさぼりがちだ。そんな状況にあっても、サラは献身的に夫と子供たちを支え続けているが、アンドレアは妻に感謝するどころか、家庭には自分の居場所が無いとばかりに外で飲み歩いている。クリスマス・イブであったその日も、駅まで迎えにやって来たサンドリーノからジュリア夫婦とマルチェロがクリスマスを祝う為に家に集合していることを聞かされたにも拘らず「1杯飲んだら帰るから」と息子を先に帰宅させ、職場の同僚であり一番の友人でもあるジジ・リベラーニ(サーロ・ウルツィ)と馴染みの飲み屋に立ち寄ると、店に集っていた職場の友たちとギターをかき鳴らして飲めや歌えの宴会を始める。結局、いつものように長酒をしていると、サラに命じられたサンドリーノが再び迎えにやって来た為、ようやく家路についたアンドレアだったが、帰宅してみると部屋に人影は無かった。その理由は身重だったジュリアの体調が悪化し、彼女を連れて皆がレナートの家へ移動していたからで、その夜、陣痛の始まったジュリアは自宅で出産するも、元気な産声が部屋に響くことはなかった。その出来事を境にアンドレアと子供たちとの関係はさらに悪化し「あの日、1杯だけで家に帰っていれば死産なんかにはなっていなかったのではないか」と密かに彼が苦悩をしていたある日、運転手として乗車していた機関車が見通しの悪いカーブに差しかかかった際に突然、線路上に自殺志願の若い男が現れ、急ブレーキをかけるも間に合わずに轢いてしまう。それだけでなく、そのことに動揺してしまったアンドレアは、事故処理が終わって再び走らせ始めた列車で赤信号を見逃し、危うく別の列車と正面衝突させそうになる。間一髪で危機からは免れたものの、危険運転の責任を問われて上層部の取り調べを受けることになったアンドレアは、過度の飲酒が不注意の原因であると判断され、その結果、彼を待ち受けていたのは時代遅れの蒸気機関車の運転士への格下げであった。同じ頃、流産を機にもともと愛のない結婚であった夫レナートとの生活に耐えきれなくなったジュリアは昔の恋人と逢瀬を重ね、それを知って激怒したアンドレアは彼女に手を上げてしまい、さらにそのことで口論となったマルチェロにも暴力を振るって家から追い出してしまう。職場は職場で、組合費を毎月支払っているにも拘らず、計画中のストライキのことだけしか頭にない労働組合は、格下げされて苦境に陥ったアンドレアの待遇改善の要求に耳を貸すこともなく、家庭でも仕事でも行き詰まったアンドレアの酒の量は増えるばかりで、彼の心はすさんでいくだけであった。そして、組合がストライキを実行した日、自分の声に耳を貸さない組合への憤りを爆発させるかのように電気機関車の運転を買って出たアンドレアは「スト破り」の汚名まで被せられ、職場の仲間たちとの関係もぎくしゃくし始めると、長年に渡って酒を多飲してきたつけと衰弱した心の影響からか遂に病で倒れてしまう。アンドレアが自宅で闘病生活を続ける中、程なくして再びクリスマス・イブがやって来るが、その夜、家族も友人も来なくなったアンドレアの家でテーブルを囲んだのは彼とサラ、サンドリーノの3人だけであった。
【四方山話】
本作はイタリアのネオリアリズモを代表する映画のひとつとされていて、日本人好みのストーリーであることから日本でも評価の高い作品ですが、戦後のイタリアで生きる労働者一家の悲喜こもごもを描いているという点では確かに典型的なネオリアリズモの範疇に入ると言えるものの、市井の人々を出演者に使わずに職業俳優を用いたという点においては手法を異にしています。その悪影響が出てしまったのか、演出過剰でクサい演技になってしまっているシーンが少なからずあり、しかも、主役を演じている監督が自らそれをしてしまっているというのはちょっと残念(笑)。ですが、全体的には良くできていて、名作と呼ばれるに相応しい映画であることに疑いの余地はありません。
この映画では劇中、ローマという言葉が特に出てくる訳ではないのですが、ロケ撮影が行われた場所の住所や位置関係から舞台がローマのテルミニ駅周辺であることが容易に分かります(タイトルが「鉄道員」ですしね・笑)。先ずマルコッチ一家が暮らすアパートですが、住所はローマのVia Prenestinaの42番地。アンドレアが足繁く通っている元鉄道員のウーゴが経営する飲み屋はこのアパートの直ぐ近くPiazza del Pignetoの10番地にあり(現在、店は無く空家。因みにこの隣にはサンドリーノがパチンコで車の窓ガラスを割って制服警官に捕まったあと連れていかれた警察署として撮影された建物があります)、娘のジュリアがレナートと共に切り盛りしている食料品店があるのもアパートの近所のPiazzale Prenestinoの16番地。そして、アパートから徒歩で15分ほどの所にあるのが、イタリア各地からの長距離列車や国境を越えてきた国際列車が発着するローマの玄関口でありイタリアで最大の規模を誇るテルミニ駅なんです。これらのことから考えると、冒頭のシーンに出てくるサンドリーノがアンドレアを迎えに行く駅は、このテルミニ駅であると考えて間違いはないでしょう。テルミニは英語で言うところのターミナル。つまり、テルミニ駅とは終着駅の意味であり、その先に線路が続いていない行き止まりの終点駅ということです。上記の建物をグーグルのストリートビューで巡ってみましたが、通り沿いに高速道路が出来ていたり、建物の壁が派手な落書きだらけになっていたりで、映画に出てくる街の雰囲気とは随分変わってしまってはいるものの、どの建物も撮影時と変わらぬ姿で残っていました。流石は千年単位でしか街並みが変化しないローマ!
次にこの映画の出演者ですが、主役のアンドレアを演じているのは前述のとおり、本作の監督でもあるピエトロ・ジェルミ。もともと役者志望で、ローマのCSC(Centro sperimentale di cinematografia・国立の映画人養成機関)で演技も学んだ人なので演技力は十分に備わっており、本作でも本物の鉄道員かと思えるほどに役を見事に、そして情熱的に演じています。ジェルミがそんな激しい情熱を持っていることや同じく監督を務めた「Il cammino della speranza(邦題はイケてないので触れないでおきます)」という作品でシシリア人の哀愁を見事に描いていたことから、僕はてっきり彼がシシリア島出身なのだろうと思っていましたが、今回、このコラムを書くにあたって調べてみたら、出身はイタリア北部のジェノバでした。まあ、よく考えれば、Germi姓を持つシシリア人なんていないんですよね(笑)。それと、アンドレアの妻であるサラを演じたルイーザ・デラ・ノーチェの演技もジェルミ同様に味がありました。劇中でのサラのキャラはなんか戦前の日本人女性のように夫に従順で控え目な女性でしたが、今のイタリアにあのような女性はいませんね(今の日本にもいませんが・笑)。この女優に関する情報は少なく、詳しいプロフィールは分かりませんでしたが、10本以上のイタリア映画に出演していたようです。ジュリア役のシルヴァ・コシナはとても美しい人ですけど、この人はイタリア人ではなくクロアチア人(正確に言えば、生まれはクロアチアのザグレブですが、父親はギリシャ人で母親はポーランド人。イタリアではコシナの名で通っていますが、こちらも正確にはKošćinaコシチュナです)。シルヴァはイタリア人と結婚した姉を頼って第二次世界大戦中にイタリアに移住したとされていて、その美貌を活かして10代からモデルとして活躍を始めましたが、その一方では名門ナポリ大学に入学して物理を学ぶという才色兼備の女性でした。女優になってからはイタリア映画を中心に100本以上もの映画に出演しており、意外にもポール・ニューマンやカーク・ダグラスとの共演経験もあります。馬鹿息子のマルチェロを演じたレナート・スペツィアリは本作で映画デビューを果たしましたが、デビュー作とは思えぬ堂々たる演技。この人は俳優よりもプロのラグビー選手としての名の方が知られていました。末っ子のサンドリーノ役(サンドリーノはサンドロの愛称)のエドアルド・ネヴォラは、この映画への出演以前から子役として活動しており、本作ではオーディションによって千五百人の応募者の中から選ばれたそう。監督か演出家に無理矢理やらされているのがバレバレの劇団ひま〇りばりの満面の笑みは見ていて痛々しいですが、その笑顔のおかげで当時のイタリアでは大変人気のあった子役でした。ネヴォラも子役のセオリーどおり、その後、役者としては大成しませんでしたが、声優としての道を自ら切り開き、テレビドラマやアニメ等で活躍を続けたのは大したものだと思います。余談ですが、本作ではネヴォラが演じた幼いサンドリーノの視点からマルコッチ一家が描かれていましたけれども、小学校の低学年の児童(映画の撮影時、ネヴォラは8歳)が自分の家族をあのように冷静に俯瞰するなんてことは現実にはありえませんね(笑)。あと、忘れてはならないのが、アンドレアの親友ジジを抜群の演技力でコミカル且つシリアスに演じたサーロ・ウルツィ。ウルツィ(Urzì)はシシリア島で良く耳にする苗字で、実際、彼はシシリア島のカターニャ生まれのシシリア人。それが故という訳ではないでしょうけども、後にコッポラが撮ったあの名作の「ゴッドファーザー」にも出演しています(マイケル・コルレオーネの最初の妻でシシリア島で爆殺されるアポロニアの父親役)。概してイタリア北部の住人は、口には出さずともシシリア島など南部の人間を嫌う傾向がありますが、本作の劇中でのピエトロ・ジェルミとサーロ・ウルツィの掛け合いなんかを見ていると、演技上とは言えどもなんだかそこには溢れ出る愛情が垣間見え、ジェルミは北部の人間であったもののシシリア人のことが大好きだったんだろうなという気がしました。それと、もうひとつ。この時代のイタリア映画の多くがそうでしたが、本作の出演者もほぼ全員がイタリア人でイタリア語を話すというのに、イタリア語吹替です(笑)。
さて、ここから先はネタバレが入りますのでご注意を。再び訪れたクリスマス・イブの夜、ベッドから起き上がって台所へやって来たのは、病に倒れて自宅療養中のアンドレア。「今夜は気分がいい。病人用の薄めたスープじゃなくて、何かクリスマスの料理がか食べたい」と、心配するサラを制して席の用意を始めた彼は、サラとサンドリーノの3人でテーブルを囲み「(3人じゃあ)寂しいな」と呟きながらワインを飲み始めます。すると、玄関で呼鈴が鳴り、ドアを開けてみるとそこにいたのは親友のジジ、しかも彼は気を利かせて喧嘩別れ状態になっていたマルチェロを連れてきていました。アンドレアは一瞬、驚いた表情を見せるものの、立ち上がって息子を強く抱きしめ、テーブルが俄然賑やかになり始めます。そればかりか、職場の同僚とその家族たちも次々とやって来て、もはやパーティー会場と化すマルコッチ家。狭い部屋に響き渡るギターとバンドネオンの音に併せて来客たちが踊り続ける中、すると今度は電話のベルが突然鳴り響きます。何かを直感したかのように立ち上がったアンドレアが電話機の前まで進んで行くと、受話器から聞こえてきたのはやはりジュリアの声。レナートと共にそちらへ行きたいと申し出たジュリアに「待ってるよ」と快く返事をしたアンドレアの目頭から涙が一粒こぼれます。久し振りに家族も全員が揃い、多くの友人たちにも囲まれて幸せをかみしめたアンドレア。やがて、パーティーはお開きとなり、来客が去って静まり返った自宅でサラと二人だけになった彼は、自宅のベッドの上に横になると一人ギターを弾き始めます。そんな彼の頭の中に過っていたのは恐らくこんなことではなかったでしょうか。「皆が俺を避けていたのではなく、俺自身が皆を遠ざけていたのだ」と。そしてサラが自分にとってどれだけ大切な人であるのかをようやく理解したかのように「サラ、君の為のセレナーデだ」と言って和かな音を奏でますが、その手が止まった時、彼は静かに息を引き取っていました。まあ、ありがちなエンディングなんですが、やはり涙を誘いますね。
このように、家族の崩壊と再生を描くことでイタリア人にイタリアで起こりつつあった現実問題に目を向けさせようとした同種の映画には、本コラムの第11回で紹介した1960年公開の「若者のすべて」といった映画がありますが、この時期の映画において家族というテーマが次々に選ばれていたのは、取りも直さず、第二次世界大戦後の復興期から高度経済成長期にかけてイタリア社会が近代化し、都市部への人口集中が進むことで大家族から核家族への家族形態が一般的となって伝統の大家族制度が崩壊へと向かっていたということに他ならなかったのでしょう。それ故に、その状況を危惧するかのように「鉄道員」でも「若者のすべて」でも、監督たちは観客に一抹の希望を託すかの如きエンディングにしたのでしょうが、それは杞憂に終わりました。なぜならイタリアでは、大家族制度が終焉を迎えて核家族化が進んだものの、家族関係そのものが弱まることはなかったから。その証拠に、イタリアでは現在でも家族の絆は非常に強く、当然、口を開けばMamma(お母さん)自慢を始めるMammone(マザコン男)も多いんです(笑)。とは言え、そのイタリアの強い家族の絆も21世紀が進むにつれて徐々に変わりつつあるようで、モノクロ映画ではないですが、2017年に公開されたイタリア映画「La tenerezza」では(tenerezzaは愛情、優しさ、慈しみといった意味の名詞ですが、邦題は意味不明な「ナポリの隣人」になってました・笑)、これまでとは違ったイタリアの家族関係が描かれていましたので、興味のある方は観てみてください。
それでは、今回の解説のシメです。本作を観て僕が気になったことをひとつ紹介して今日は終わりにしましょう。僕が関心を持ったのは73分過ぎ、サンドリーノが壁に書かれた落書きを見つめるシーンに出てくる「Marcocci é un crumiro・マルコッチはクルミーロだ」というイタリア語です(←おいおい、そんなことかよ・笑)。この落書きを目にしたサンドリーノは、たまたま傍を通りかかったジジにcrumiroの意味を尋ねますが、ジジは「誰がそんなことを吹き込みやがった。それより、新しいバイクを買ったから、今度、乗ってみるかい?」と話をはぐらかします。「教えてくれるの、くれないの?」と迫るサンドリーノに、なぜジジが正直に答えなかったかというと、crumiro(クルミーロ)が、スト破りをした者を意味するからですね。crumiroなんて言葉、日常会話に出てくることは先ずありませんから、criminale(犯罪者)と勘違いしてしまいそうですが(笑)、なぜにcrumiroがスト破りをした者の意味なんでしょうか?僕が一番気になった点はそこなんです(←おいおい、そこかよ・笑)。調べてみたところ、crumiroはもともとイタリア語にあった単語ではなく、フランス語のKroumirsが語源であることが分かりました。では、このKroumirsが何なのかと言うと、北アフリカ(チュニジア、アルジェリア)で暮らしていたアラブ系の勇猛な遊牧民の名称だそう。Kroumirs(クルミール人)はフランスの支配にも激しく抵抗してフランス人を多数殺害した為、フランスでは凶悪犯、無頼漢、略奪者を表す言葉として使われるようになり、そこから転じて、北アフリカからの移民を意味するようにもなったらしいです。つまりは、差別語ですね。では、そんなKroumirsという言葉がスト破りをした者を意味するようになったのはなぜなのか?それは、20世紀初頭、フランスの工場や港湾施設でストライキが多発していた際、ストに突入した労働者の穴埋めに経営者側が北アフリカ系の非熟練労働者を使って乗り切ろうとしたからで、そのことを揶揄して、ストの際、ストに参加せずに働く者たちがKroumirsと呼ばれるようになり、それがイタリアに伝わってcrumiroになったとされています。それと、劇中でアンドレアがワインを飲む際、乾杯という言葉の代わりにいつも「uva(ぶどう)」と言っていたのも面白かったですね(イタリア人であんな風に言う人を見たことはないですが・笑)。映画も面白いですが、言葉ってのも面白いものです。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
第29回 手錠のままの脱獄
原題:The Defiant Ones公開年/製作国/本編上映時間:1958年/アメリカ/96分
監督:Stanley Kramer(スタンリー・クレイマー)
主な出演者:Sidney Poitier(シドニー・ポワチエ)、Tony Curtis(トニー・カーティス)、Theodore Bikel(セオドア・ビケル)、Cara Williams(カーラ・ウィリアムズ)、Lon Chaney(ロン・チェイニー)
【ストーリー】
舞台は白人による黒人への差別が根強く残る1950年代のアメリカ南部。激しく降り注ぐ雨が車道の路面で水飛沫となっていたその夜、護送中の囚人たちを乗せたトラックの正面に対向車が突然現れ、ヘッドライトの光で目の眩んだ運転手が正面衝突を避けようと急ハンドルを切ったところ、そのままトラックはガードレールを突き破って擁壁の下に転落する。程なくして警察と救急隊が事故現場にやって来るが、そこで判明したのは、護送中であった囚人の数が2名足りないということであった。姿を消したのはジョーカーの愛称を持つ白人のジョン・ジャクソン(トニー・カーティス)と黒人のノア・カレン(シドニー・ポワチエ)。二人が事故のどさくさに乗じて逃亡したと判断した保安官のマックス・ミューラー(セオドア・ビケル)は、白人と黒人の互いの手が鎖で繋がれていることを知って「奴らは5マイルも行かないうちに、殺し合いを始めるだろうよ」と高を括るが、翌朝になっても逃亡者を発見できなかったことから大がかりな捜索を開始する。一方、鎖で繋がれたまま事故現場から逃げ出したジョーカーとノアは、石で鎖を激しく打って何度も切断を試みるが頑丈な鋼鉄の鎖はびくともしない。白人のジョーカーは黒人であるノアをnigger(黒んぼ)と呼んで見下しており、ノアもそんな彼に対して「今度、俺のことをniggerと呼んだら、おまえを殺す」と一歩も引かず、いがみ合う二人は些細なことで直ぐに喧嘩となるが、互いに助け合わないと逃亡を続けられないことに直ぐに気付く。嫌々ながらも態度を改め、森林地帯の北側を通る鉄道の線路を目指すことで合意したジョーカーとノアは、急流の川を横切り、焚火で炙った蛙で飢えを凌ぎ、時には強い雨を樹下で凌ぎながら道なき道を歩き続け、やがてテレピン油(松ヤニを水蒸気蒸留して得る精油)を製造する飯場を森の中で見つけると、食料と鎖を切断する道具を手に入れるべく飯場の雑貨店に屋根から侵入しようとする。しかし、鎖で手を繋がれたままではうまくいかずに屋根から落下し、その物音で気付いた住人たちに見つかって失敗。そればかりか、飯場の荒くれ者たちに捕らえられた末にリンチを受ける羽目に陥る。ところが、いよいよ梁に吊るされそうになった時、飯場で暮らす一人の男ビッグ・サム(ロン・チェイニー)がやって来て力づくで仲間たちに私刑を止めさせ、そのおかげで命拾いをした二人は納屋に監禁されるだけで済む。ビッグ・サムが逃亡者を救った理由はただひとつ、彼もまた鎖を繋がれたことのある刑務所暮らしの経験者であり、逃亡する二人に同情したからであった。翌朝、刑務所暮らしの苦痛を知るビッグ・サムによって密かに逃され、再び逃走を始めたジョーカーとノア。すると今度は、ライフルの銃口を彼らに向ける歳のいかない白人の子供が目の前に現れて二人の行く手を遮る。果たして逃亡者の運命は…。
【四方山話】
もはやルーティーンになってきましたが、今回も映画の邦題の話から始めましょうか(笑)。本作の原題は「The Defiant Ones」。ここのOnesは人を指していますから、defiantという言葉が人に対して使われる時、普通、頭に浮かぶのは「反抗的な、挑戦的な」といった権威やルールに対して逆らう態度ですね。つまり、本作の原題を直訳すれば「反抗的な者たち」であり、Defiant Onesという言葉の中に漂うのは「権威に屈しない人々、ルールを守らない反抗的な人々」といったイメージです。それを「手錠のままの脱獄」なんてタイトルにしてしまっては(そのまんまじゃないですか・笑)身も蓋もありません。しかも、この邦題の映画公開当時の日本語表記、実は「手錠のままの脱獄」ではなくて「手錠のまゝの脱獄」でした。ゝは「踊り字」と呼ばれるもので、正式名称は「平仮名繰返し記号」。何かこだわりがあったのか、何なのかは良く分かりませんが、ほんと、奇妙奇天烈なタイトルとしか言いようがありません。そんなことを考えているとなんだかムカムカしてきたので、とっとと本題に入りましょう(笑)。
この映画を鑑賞するにあたっては、1950年代のアメリカにおいて白人による黒人差別がどれほどのものであったのかということを予備知識として知っておかないと、作品を深く理解することは困難であると思われますので、先にそのことについて少し解説しておきます。アメリカで黒人奴隷の解放が法律によって定められたのは1865年ですが、黒人を奴隷として所有してはならないと単に法が規制をしただけであって、それが黒人の地位向上の為のものであった訳ではなく、実際、奴隷身分から脱した黒人を社会の底辺に閉じ込めるべくアメリカ南部の諸州を中心に新たな法がその後、次々と制定されていきました。概ね共通していた骨子は、公共施設、公共交通、ホテル、レストラン、公衆トイレ、スイミングプール、水飲み場、公立学校といった場所を白人専用とするか、黒人用と白人用に分けるという人種隔離政策であり(しかも、恐ろしいことにアメリカの裁判所は人種隔離を違法ではないと追認しました)、当然、黒人と白人の男女交際や結婚も禁止。これらの法は州によって内容がまちまちでしたが、総称としてジム・クロウ法と呼ばれていて、主なターゲットは黒人であったものの、その適用は白人以外のすべての人種に為されることが前提であった、つまり日系や中国系といったアジア系の住民などもその対象に含まれていた点を忘れてはなりません。第二次世界大戦の最中、アメリカの日系人は強制収容所に隔離されましたが、それは日系人が敵性国民であったからではなく非白人だったからで、強制収容の根は既にジム・クロウ法の中にあったと言えるのです。アメリカですべてのジム・クロウ法が無効になったのは1964年、黒人と白人の結婚(異人種間結婚)がアメリカ全土で合法化されたのは1967年と、それほど昔のことではありません。多くの日本人が「自由と平等の国」などと持ち上げているアメリカは虚像であって、先住民から土地を奪って好き勝手に建国したというその歴史どおり、もとからしてアメリカは下衆な国家なのです。「自由の国アメリカ」や「古き良きアメリカ」はあくまでも白人(今の時代においては、ドナルド・トランプを支持しているような連中)にとってのみ存在するものであるということを、非白人の日本人は良く考えるべきでしょう(勿論、日本人の中にもまともな人と糞みたいなのがいるのと同じで、一括りに白人と言っても全員が白人至上主義者である訳もなく、まともな人権感覚を持つ白人も沢山います)。
と、お堅い話はこれくらいにして、映画本編の解説です。ストーリー紹介の冒頭で触れたとおり、本作の舞台はアメリカ南部のサウスカロライナ州という設定なんですが、実のところ、撮影が行われたのはすべてカリフォルニア州の中でした(笑)。14分過ぎ、二人の逃亡者が急流の川を渡るシーンに出てくる川は、ロサンゼルスの北100キロに位置するカーン郡の北から南へとシエラネバダ山脈の山麓沿いに流れているカーン川。因みにこのシーン、スタントマンを使わず、ポワチエとカーティスが実際に鎖に繋がれたまま激しい川の流れの中に入って撮影しています。一歩間違えればマジで溺れますよね(汗)。この場面での二人の動きをアップで追う迫力ある映像はどうやって撮られたのかと言うと、急流の中に鉄パイプを組んで足場を造り、その上にカメラとカメラマンを配置してカメラを回したそうです。険しい地形の中を逃亡するシーンの多くは、このカーン郡とロサンゼルス郊外のカラバサスにある現在のマリブ・クリーク州立公園でロケ撮影されました。マリブ・クリーク州立公園は、もともとパラマウントや20世紀フォックスが映画撮影用に所有していた土地で(「猿の惑星」や「明日に向かって撃て」に出てくる険しい地形もここでロケ撮影しています)、後にその多くを人気コメディアンであったボブ・ホープが買い取ってカリフォルニア州に寄贈、公園として整備され現在に至っています。91分前に出てくる鉄橋は、ロサンゼルス郊外のサンタ・ポーラ川渓谷に沿って敷かれた鉄道路線に架かっているもので(ピル駅とフィルモア駅の間に位置)、当時はサザン・パシフィックという名の鉄道会社が所有していました。しかし、鉄道の斜陽と共に路線は廃止され、事業を引き継いだ企業が新たにフィルモア・アンド・ウェスタン鉄道として観光列車を走らせたり、映画やテレビドラマのロケ撮影地として車輛や場所を貸し出したりして営業を続けていましたが、2025年現在、観光用の臨時列車も含め、その運行はすべて停止しているそう。今ご紹介したこれらの屋外で収録した部分は本編の尺の8割にも達し、残りの2割はハリウッドのユニバーサル・スタジオ内でセットを組んで撮影されたものが使われました。
次に出演者ですが、先ず一番に紹介しないといけないのがノア・カレン役を演じたシドニー・ポワチエ。ポワチエは1964年に「野のユリ(Lilies of the Field)」の演技で黒人としては初めてアカデミー賞主演男優賞を受賞した俳優で、1967年に公開された映画「夜の大捜査線(In the Heat of the Night)」における名演技にはまだまだ及びませんが、その演技力の片鱗を本作で既に垣間見せています。演技が上手い黒人俳優として直ぐに頭に浮かぶのはこの人かデンゼル・ワシントンですが、時には悪役も演じるデンゼルと違い、ポワチエに与えられるのは「教養があって、まともな英語を話し、正面切って白人に逆らうこともない」という、白人が理想とする黒人役ばかりであったので、そのことを批判する黒人も多かったようです。しかし、そういう役を演じたことはポワチエの自発的な意思でも責任でもないですし、彼自身、自分が白人の好む黒人しか演じていないことは良く理解していて、1967年の時点で新聞記者のインタビューに対して次のように語っています。
「If the fabric of the society were different, I would scream to high heaven to play villains and to deal with different images of Negro life that would be more dimensional. But I’ll be damned if I do that at this stage of the game. Not when there is only one Negro actor working in films with any degree of consistency, when there are thousands of actors in films, you follow?・もし社会の構造が違っていたなら、僕は悪役を演じて、もっと違った黒人像に多角的な視点からに取り組みたいって叫んでるだろうね。でも、今の段階でそんなことをするなんてことはとんでもないことさ。何千人もの俳優がいる映画の世界で、ある程度活躍している黒人俳優がたった一人しかいない状況ではね。分かるかい?」
余談ですが、ポワチエの両親はカリブ海のバハマ出身で、母親がフロリダを訪問していた最中に早産でポワチエを生んだが故に彼はアメリカ合衆国の市民権を得ましたけども(アメリカ国籍の付与基準は出生地主義)14歳まではアメリカではなくバハマで暮らしていたので、若い頃の彼は強いバハマ訛りの英語しか話せなかったそうです。ポワチエは俳優になる為にラジオを聞いてはアナウンサーの話し方をひたすら真似て自ら訛りを矯正したと言われていますが、彼が映画の劇中で話す英語は、白人のものでも黒人のものでもない独特の発音ですね。15歳でフロリダに移住し、その後、アメリカで教育を受けることもなかったポワチエが成功を掴み取ったのは、そんな発音の矯正からも分かるように彼が常に努力の人だったからであり、学歴は無くとも、もとから非常に頭の良い人だったのではないかと思います。そして、もう一人の主役が、ポワチエが演じるノアと鎖で繋がれていたジョーカー役のトニー・カーティス。なかなかの熱演でしたが「夜の大捜査線」でロッド・スタイガーが演じた警察署長のような如何にも黒人嫌いといった感じの灰汁の強さが欠けていますね。そんな印象の薄さの所為か、カーティスはそこそこの数の映画に出演しているのに、この人のことで思い出せるのは「お熱いのがお好き」でマリリン・モンローと共演していたことと、彼の最初の妻がジャネット・リーであったということくらい(笑)。それと、劇中、護送中のポワチエとカーティスは鎖で手を繋がれていて、そのことが本作の根幹をなしていますけども、正直、ちょっとリアリティーに欠けてますね。普通、囚人の護送は囚人に手錠をかけ、鎖で繋ぐ場合は足です。足を繋いでおけば繋がれた者同士が規律正しく足並みを揃えないと歩いて前へ進むことさえ困難で、逃亡防止には最良の策。足首同士を繋がずに手首と手首を繋ぐなんてことはあり得ないですし、足首同士を繋いでおけば本作のように険しい地形の中で逃げ回るなんてことも最初からできないですからね(笑)。因みにジョーカー役は当初、ロバート・ミッチャムにオファーされていたようですが、彼は「黒人差別の強い南部で白人と黒人が鎖で繋がれるなんて設定は考えられない(←そっちかよ・笑)」とオファーを断ったそう。それが「黒人とは共演したくない」とミッチャムが言ったということになって言葉が一人歩きしたのは彼にとってはお気の毒なことでした。それと、トニー・カーティスの経歴で面白いのは、第二次世界大戦中、海軍に志願入隊して潜水母艦プロテウス(潜水艦に食料や燃料、魚雷などを補給する珍しい艦艇)に終戦まで乗艦していたこと。1945年9月2日に東京湾で行われた戦艦ミズーリ艦上での大日本帝国の降伏文書調印式をプロテウスから眺めるという貴重な経験もしています。あともう一人、紹介しておかなくてはならないのが、慈悲と正義を貫くミューラー保安官を演じたセオドア・ビケル。いかにもアメリカ南部の田舎にいそうな下腹の飛び出した保安官といった感じに見えましたが、実はこの人、1924年にオーストリアのウイーンで生まれたユダヤ人。オーストリアがナチス・ドイツに併合されると家族と共に英領パレスチナ(現在のイスラエル)へ脱出、その後、ロンドンの舞台で活躍した彼がアメリカに移住したのは30歳を過ぎてからでした。ビケルは普通のアメリカ人からドイツ軍の将校まで多種多様な役柄を演じ分けることができた多才な役者で、映画「マイ・フェア・レディ」では、策略家のハンガリー人、ゾルタン・カルパシー役を演じていましたね。最後に、監督のことも少し触れておきますと、本作のメガホンを取ったのはスタンリー・クレイマー。1913年ニューヨーク市生まれのユダヤ系アメリカ人で、「真昼の決闘」や「乱暴者」「ケイン号の叛乱」といった映画を製作した後、監督業に転向。本作を撮影した頃から人種差別、核戦争、アメリカの欲深さ、ファシズム、マッカーシズムといった他の監督が避けるようなテーマに果敢に取り組んでメッセージ性の強い作品を次々と世に送り出し、その傾向は1967年に再びポワチエと組んで製作した「招かれざる客(Guess Who’s Coming to Dinner)」まで続きました。クレイマーの作品は過剰な演出や説教くさい演出を非難されることも多かったですが、他方ではハリウッドの良心として高く評価されてもいます。
と、そろそろネタも尽きそうですので、本作のまとめに入りましょう。ここからはネタバレが入りますからご注意ください。ジョーカーとノアの前にライフル銃を持つ白人の子供が現れ、その後どうなるのかというと、ジョーカーが容赦なく子供を張り倒します(笑)。因みにこの子供が持っていた銃はコルト社製のライトニング・ライフル。送弾をショットガンのようにポンプ・アクションで行うという大変珍しい仕組みのライフル銃です。それと、ここのシーンの重要性に気付かない人が多いので少し解説しておきますと、ジョーカーに殴られて気絶した子供をノアが介護し、意識を取り戻したその子供は、黒人に殴られたと白人のジョーカーに助けを求めますが、それが何を意味しているのかというと、その子供は自分を殴ったのが黒人であるという思い込みをしていたということです。なぜそのような思い込みが起こるかと言うと、既にこの子供は黒人に対する偏見を大人から擦りこまれているからなんです。生まれた時から差別意識を持っている子供などいませんから、子供が差別意識を持つようになるのはそういう意識を持つ大人の中で育つから。そして、その子供は成長して大人になり、やがて自分の子供に同じことをし、残念ながら負の連鎖が繰り返されることになります。
さて、そのあとの展開ですが、ビリー(ケビン・コフリン)と名乗る子供から「母親と二人暮らしで、近隣に住民はいない」という情報を巧みに聞き出した二人が彼と共に家へと向かうと、その言葉どおり、そこにいたのは母親(カーラ・ウィリアムズ)一人だけでした。二人は何か食べさせてくれと彼女に食事の用意をさせますが、ここで再び興味深い場面が挿入されています。それは、白人のその母親がジョーカーの食事しか用意しなかったこと。黒人への差別がまるで空気がどこにでもあるかのようにあたりまえに存在しているという根の深さを感じさせるシーンです。ジョーカーがノアの分も用意するよう母親に命じるのが唯一の救いで、この時点でジョーカーとノアの二人の間に人種の垣根を超えた友情が芽生えていることを示唆しています。程なくして腹ごなしを終えた二人が家にあった道具を使ってようやく手首に付けられていた枷を外し、腕の自由を取り戻すと、今度は夫に捨てられビリーと孤独な暮らしを続けていた母親が、久し振りに現れた男、しかもハンサムな男であるジョーカーに心を奪われ、唐突な言葉を口にします。ノアを予定通り鉄道を使って北へ逃がし、自分はジョーカーと家にある車を使って駆け落ちをしたいと言い出したのです。二人は彼女の提案を受け容れ(これもリアリティーに欠ける流れですが・笑)翌日、母親から沼地を通って線路へ向かうのが良いとアドバイスされたノアはその助言どおり、沼のある方向へと向かって旅立っていきますが、彼が去って行った後、母親はジョーカーに意外なことを告白します。それは、ノアが捕まってジョーカーの居場所を自白する可能性を排除する為に、危険な沼地を通ることを薦めたということでした。彼女の狙いがノアの死であることを知ったジョーカーは激怒し、ノアを止める為に彼女を押し退けて家を飛び出しますが、その時、母親が暴力を振るわれたと勘違いしたビリーがライフルでジョーカーを撃ち、彼は傷を負ったままでノアの後を追います。ようやくノアに追いつき、女の意図が何であったのかを打ち明けて「怪我をした自分はもう行けないから、おまえだけで逃げろ」と告げるジョーカー。するとノアは「俺たちは鎖で繋がれてるんだぞ」と外した鎖があるかのように手を持ち上げてジョーカーを鼓舞し、二人は線路目指して沼の中を進み始めます。やがて、遠くから汽笛の音が聞こえてきて、二人はその方向に向かって急いで走り出しますが、その背後では警察の捜索隊がすぐ近くにまで迫っていました。鉄橋に差し掛かった貨物列車に死に物狂いで駆け寄り、荷台に飛び乗ったノア。しかし、ジョーカーはあと一歩のところで荷台に手が届きません。ノアは手を差し出して必死にジョーカーを荷台に引き上げようとするも手が届かず、結局、二人は線路脇に転がり落ちました。そして、線路の傍らでジョーカーを抱きかかえたノアは、傍へやって来た保安官の前で彼を介抱しながら再びこの歌をうたい始めるのです。
Long gone・とっくにいなくなっちまったのさ
Ain’t he lucky・あいつは幸運だね
Long gone・とっくにいなくなっちまったのさ
To Kentucky・ケンタッキーへね
I left my home in Nashville・俺はナッシュビルの我が家を出たけどさ
Look a-here what I got・見てくれよ、俺が得たものを
Twenty long years on a chain gang・20年もの長いあいだ鎖に繋がれ働き詰めさ
Sweatin’ and bustin’ rock・汗に塗れて岩を砕きながらな
Judge he come from Memphis・メンフィス出身の判事が
Put me in the pen・俺をムショにぶち込みやがったんだ
If I ever do see his face once more・もし俺が奴の顔をもう一度拝んだら
He never get home again・奴は二度と家には帰れねえ
That judge be long gone・あの判事はとっくにいなくなっちまったのさ
To Kentucky・ケンタッキーへね
Long gone・とっくにいなくなっちまったのさ
Don’t mean maybe・多分じゃねえ
Long gone・とっくにいなくなっちまったのさ
What I mean・俺が言いたいのはさ
Long gone judge on a bowlin’ green・ボーリングリーンの判事はとっくにいなくなっちまったってことさ
Bowlin’ green・ボーリングリーン
Sewin’ machine・裁縫機械
A little kitten sittin’ on a sewin’ machine・ミシンの上に座る子猫
Sewin’ machine・裁縫機械は
Sew so fast・滅茶苦茶早く縫えるんだ
Sew eleven stitches in a little cat’s tail・子猫の尻尾を11針も縫っちまう
Bowlin’ green・ボーリングリーン
Sewin’ machine!・裁縫機械!
本作の映画の冒頭でもノアが護送車の中で、若干歌詞は違ってますけどもこの歌を口遊んでいましたね(冒頭とラストで同じ音楽を使うという手法をこの頃のスタンリー・クレイマー監督は良く使っていました)。歌にいらつくジョーカーが「黒んぼ、黙りやがれ」と言って車中でノアと喧嘩を始めるシーンを思い出してみてください。同じ歌をうたっていても、冒頭とラストでは二人の関係がすっかり様変わりしています。これは、二人を取り巻く環境(社会)は何も変わってはいないが、逃走を通じて互いに助け合ったこの二人は変わったということを暗喩しているのであり、つまりは、人が持つ差別意識や偏見は、互いに助け合い、理解し合うことで無くしていくことができるのだということを訴えているのだと僕は理解しました。因みにポワチエがうたっているこの歌には1920年にW.C. Handyが作曲(作詞はChris Smith)して発表したLong Gone (From the Bowlin’ Green)というタイトルが付けられた元歌があり、その元歌の歌詞に手を加えてオリジナルの歌詞に変更されているせいか、上記の歌詞を聴いても読んでも今イチ何のことやら良く分かりません(汗)。ですが、元歌を聴いてみると、歌の最初に以下のような会話が挿入されていましたので、Long Goneが刑務所から逃走を図った男のことを謳っている歌詞であることが分かりました。
Pops, did you hear the story of Long John Dean?・パパ、ロング・ジョン・ディーンの話、聞いた?
Not yet, Velma・いや、聞いてないよ、ヴェルマ
A bold bank robber from Bowlin’ Green・ボーリングリーンの大胆不敵な銀行強盗が
Was sent to the jailhouse yesterday・昨日、刑務所に送られたんだけど
But late last night he made his getaway・その夜遅くに脱走したんだって
劇中の歌にケンタッキーの名が出てくることや、上記の歌詞から考えても、Bowlin’ Greenはケンタッキー州ウォーレン郡にある町Bowling Greenのことであると考えて間違いないでしょう。元歌にSewin’ machineという歌詞は出てきませんが、これは囚人自身のことを指しているのではないかと思います。あっという間に裁縫が仕上がるミシンのように素早く逃げるということを暗喩しているというのが僕の理解(←あくまでも個人の見解です)。因みに、劇中歌の歌詞に使われているchain gangという言葉は、足や腰に鎖を繋がれて道路工事などの屋外の重労働に駆り出されていた刑務所の囚人のことを意味していて「鎖ギャング」ではありませんのでご注意を(笑)。蛇足ですが、本作のジョーカー役を最初にオファーされていたロバート・ミッチャムは実際のchain gang経験者でした。だからこそ彼は、黒人と白人が鎖で繋がれることなどあり得ない(リアリティーがない)と分かっていたのです。
アラバマ州モンゴメリーで、満席の公共バスの黒人専用席に座っていた黒人女性ローザ・パークスが、その席を白人に譲るよう運転手から命じられたものの、それを拒否した為、警察によって逮捕投獄されるという事件が発生したのは1955年のこと。この騒ぎを切っ掛けにアメリカ全土で公民権運動は活発化し、差別的な法や制度は次々に姿を消していきました。一人の黒人女性が勇気を奮った日から70年が経過した今日、アメリカで暮らす非白人は確かに白人と同じ権利を手にし、その社会進出も進みましたが、白人による非白人の差別や偏見が消えた訳ではありません。それどころか、非白人の社会進出に不満を持つ白人たちがトランプのような輩の口車に乗せられて昔に戻りたがっている始末。本作を観て「なぜそんなことになるのか」と考える人が一人でも多く出てくることを祈りたいと思います。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!
第30回 サイコ
原題:Psycho公開年/製作国/本編上映時間:1960年/アメリカ/109分
監督:Alfred Hitchcock(アルフレッド・ヒッチコック)
主な出演者:Anthony Perkins(アンソニー・パーキンス)、Janet Leigh(ジャネット・リー)、John Gavin(ジョン・ギャヴィン)、Vera Miles(ヴェラ・マイルズ)、Martin Balsam(マーティン・バルサム)
【ストーリー】
アリゾナ州のフェニックスで不動産会社に勤めるマリオン・クレーン(ジャネット・リー)。彼女の目下の悩みは、カリフォルニア州のフェアベールにいる恋人のサム・ルーミス(ジョン・ギャビン)が父親が残した借金の支払いや前妻への生活費の支払いを抱えていて二人の結婚話が前へ進まないことであった。そんな時、結婚する娘へのプレゼントとして一軒家を気前よく買ったトム・キャシディ(フランク・アルバートソン)という実業家がクリスマス前の週末に彼女が働く事務所に現れ、彼が持参した支払いの為の4万ドルの現金(現在の物価価値に換算して約1億円)を目にしたサムの上司ジョージ・ロウリー(ヴォーン・テイラー)は、多額の現金を週明けまで事務所に置くことは危険と考え、その現金を銀行の保管庫に預けてくるようマリオンに命じる。その日、体調不良を同僚に訴えていた彼女は、銀行に立ち寄って用件を済ませたら、そのまま家に帰って休みたいと上司に告げて事務所を後にするが、彼女の運転する車が向かった先は銀行ではなかった。預かった現金を持ち逃げしてサムの借金を精算すれば晴れて彼と結婚できるという誘惑に負けてしまい、サムが暮らすフェアベールを目指したのだ。フェニックスからカリフォルニア州までの距離は約千キロ以上。夜通し走ろうとしたものの、途中、眠気に耐えられずに車を路肩に止めて眠りについたマリオンを翌朝目覚めさせたのは、制服警官がドアの窓ガラスをノックする音だった。顧客の金を持ち逃げしたことが発覚したのかと緊張する彼女。しかし、警官は免許証を確認しただけで、そのことからマリオンはまだ事件が発覚していないと判断して安堵するも、アリゾナ州ナンバーの車では目立つと考えた彼女は、途中、中古車販売店に立ち寄って自分の車を売り払い、カリフォルニア州ナンバーの車に乗り換える。しかし、そこでも700ドルという差額の費用を現金で支払ったことで店の販売員に怪しまれてしまい、ますます精神的に追い詰められていくマリオン。それでも尚、彼女は車を走らせ続けるが、やがて激しい雨が降り始めてその疲労が頂点に達すると、フェアベールの街外れで視界に飛び込んできた「ベイツ・モーテル」という宿の看板に誘われるようにそこで車を止める。部屋を取ろうとフロントを訪ねた彼女だったが、そこには誰もおらず、宿の隣に建つ建物の2階に人の気配を感じた彼女が車のクラクションを鳴らして合図を送ると、建物の中から出てきたのはノーマン・ベイツ(アンソニー・パーキンス)という若いハンサムな青年だった。雨音の所為で車が入ってきたことに気付かなかったと詫びた彼は、何か用がある時は壁を叩くだけで済むからとマリオンにフロントがある事務所の隣の1号室をアサイン。食事以外に特に用は無いと答えたマリオンに、一番近いダイナーでも10マイル(約16キロ)は走らないといけないと助言して「サンドイッチとミルクくらいしか無いけど、隣の家の2階にあるダイニングで良ければ一緒に夕食を」と彼女を誘う。どこか弱々しい声で話す青年に害は無いと判断したのかマリオンは夕食の誘いに応じ、ノーマンが用意の為に隣家へ戻っていくと、そこから聞こえてきたのは「駄目、駄目って言ってるの。夕食を取るのに若い女をここへ連れてくるなんて!蝋燭の炎の傍でいやらしい若い者たちが考えることなんて分かってるんだから」という女のヒステリックな騒ぎ声であった。程なくしてノーマンがモーテルへ食事を運んできたのを見て状況を理解したマリオンは、勧められるままに数々の剥製が壁を飾るモーテルの事務所で食事を取り始め、ノーマンは剥製を作るのが趣味だと静かに話し始める。意外にも、打ち解けた雰囲気の中で二人の会話は弾み、やがてノーマンの母親の話題に変わった時、母親の世話で彼が苦労をしていると思ったマリオンが「母親をどこか(施設)に入れたらどうか」という言葉を口にすると、ノーマンはそうしたいが母親を見捨てることはできないと激しく動揺する。彼は母親との関係によって自分が閉じ込められていると感じていることを「罠にはまった」という言葉で表現し、彼の意見に目を見開いたマリオンは「明日、フェニックスへ戻るわ。あたし自身もあそこで罠にはまったから」と言って部屋に戻っていく。マリオンがそう考えるに至ったのは、目の前の青年の絶望的な状況を教訓として捉え、持ち逃げしたお金を返すことで自分がはまった罠が永久に自分を苦しめることになる前にそこから抜け出そうと決意したからであった。部屋に戻ったそんなマリオンを、壁に開けた覗き穴から見つめるノーマン。やがて、マリオンがシャワー室へと向かうとノーマンは静かに覗き穴を閉じるが、彼女がシャワーを浴び始めたその時、シャワーカーテンの裏側に現れた人影が彼女に向かって刃物を振り下ろし、必死の抵抗もむなしくその裸体が崩れ落ちる。するとその直後、隣家で「母さん、血だ、血だよ」というノーマンの声が響き、母親が何かをしでかしたのだと思ったかのようにマリオンの部屋に駆け付けた彼がバスルームで発見したのは、バスタブで倒れていた彼女の死体だった。自らの口を手で押さえて感情を押し殺すノーマン。マリオンが顧客の金を持ち逃げしていることもその金が新聞紙に包まれ部屋に置かれたままになっていることも知る由のない彼は、事件を闇に葬ることを決心し、犯行現場となったバスルームを清掃して室内をきれいに片付けたあと、マリオンの荷物と遺体を彼女の車のトランクに詰め込んで近所の沼に沈めることで証拠隠滅を図ったが、フェニックスでは金を持ち逃げされたことを知ったキャシディが私立探偵のミルトン・アーボガスト(マーティン・バルサム)にマリオンの追跡を依頼していた。優秀な探偵であるアーボガストはマリオンがベイツ・モーテルに宿泊したことを瞬く間に突き止め、彼が真相にたどりつくのは時間の問題と思われたが、その矢先、彼の足取りもベイツ・モーテルで消えてしまい、今度はその事実に気付いたマリオンの身を案ずる妹のライラ(ヴェラ・マイルズ)とサム・ルーミスがモーテルへと向かう。
【四方山話】
本作の邦題は「サイコ」、原題も「Psycho」。久し振りにまともなタイトルです(笑)。英語のpsychoはpsychopathの短縮形で、辞書には名詞だと「精神病質者、反社会性パーソナリティ障害者」と載っていますが、ネイティブ話者がpsychoという言葉を耳にした時、感覚的には「精神に異常のある人、心を病んでいる人」つまり、nutやmadmanと受け止めますね。形容詞だとpsychopathicの短縮形となり、こちらも日常会話では大抵「頭のイカレた」という意味で使っているように思います。本作は公開時「After you see Psycho. Don’t give away the ending. It’s the only one we have・サイコを観た後、結末は漏らさないで。それひとつしか結末が無いんですから」といったメッセージなんかを使ってネタバレを防ぐ努力をしていたことでも有名で、監督のアルフレッド・ヒッチコックは映画のあらすじが公開前に漏れることを極度に警戒し過ぎるあまり、原作の小説の在庫をすべて買い取ったり、主演のジャネット・リーとアンソニー・パーキンスにマスコミとの接触を禁じたり、映画の試写会さえ開かなかったのですが、タイトルの意味を知れば、勘のいい人なら結末なんて知らなくとも、本作を観ている最中にプロットが分かってしまいそうです(笑)。因みに原作はロバート・ブロック(Robert Bloch)という作家が1959年に出版した同名小説で、前述のとおりヒッチコックはこの小説の在庫を買い占めましたが、実は初版の多くが売れてしまっていて、日本においてさえ原作小説が「気ちがい-サイコ」の題名で既にアメリカでの本作の公開前から翻訳、紹介されていました(笑)。
さて、そんなタイトルどおりの内容の本作、数あるヒッチコックの作品の中でも彼の最高傑作という評価が定着していますけども、最高傑作かどうかはともかくとして、少なくともヒッチコック作品の人気上位の座を常に争っているもうひとつの映画「鳥(The Birds)」よりは断然良くできた作品であると僕は思っています。僕にはあの「鳥」という映画を評価する人がなぜにあれほど多いのかまったく理解できませんので(汗)。今では名作とされている「サイコ」。ですが、ヒッチコックが映画配給会社のパラマウントにこの作品を製作したいと最初にプレゼンした際、パラマウントは「ブロックの原作はあまりにも不快であり、映画化は不可能」と製作費を出すことさえ拒否していたことはあまり知られていません。パラマウントの幹部たちにとって何が不快だったかと言うと、例えば、映画ではマリオンが刃物で刺し殺されるだけに変更されていましたが、原作では首を切断されるんですよね(汗)。当時は映画の製作側がいろいろな自主規制をしている時代でして、本作に出てくる結婚していない男女のホテルでの情事や、女性の下着姿(前半部分でジャネット・リーの巨乳見せびらかしシーンが多数入っています・笑)、全裸でシャワーを浴びるといったことから、変わったところではトイレを流すシーンなど、それらのことすべてが自主規制の対象であったものなのです(今では想像もできませんが、当時、この映画でそれらのシーンを目にした観客の受けた衝撃は別の意味で相当なものであったと思われます)。前年に「北北西に進路を取れ(North by Northwest)」をヒットさせていたヒッチコックでしたが、それまで撮ってきた同様のサスペンス路線とはテイストの異なる映画を作りたいという思いに彼は既に憑りつかれており、撮影フィルムはモノクロ、撮影期間も最短に抑えて低予算で済ませるからやらせて欲しいと諦めることなく説得を続けました。しかし、パラマウントは、他の作品の撮影予定で既にスタジオの空きが埋まっていることを理由にヒッチコックの要求に応じず、ヒッチコックは製作資金は自分が個人的に投じ、スタジオはユニバーサルのスタジオを使い(ベイツ・モーテルのセットが今でもハリウッドのユニバーサル・スタジオに残っているのはそれが故です)、撮影スタッフも自身のシャムリー・プロダクションズのスタッフを使うといった掟破りの手法を再提案し、ようやく撮影開始に漕ぎ着けています。それなら、最初からユニバーサルに配給を任せてユニバーサルに資金を提供してもらえば良かったのではないかと思えますが、ヒッチコックは「めまい」「裏窓」「知りすぎていた男」「ロープ」「ハリーの災難」の5作品の諸権利を映画公開から8年後に自身の会社が取り戻すという特殊な契約をパラマウントと結んでいた為、恐らく、パラマウントと関係が悪化するようなことはしたくなかったのでしょう(←個人の勝手な想像ですので悪しからず)。
それでは、いつもの出演者紹介です。先ず最初は主役のノーマン・ベイツを演じたアンソニー・パーキンス。彼は1956年にゲイリー・クーパーと共演した映画「友情ある説得(Friendly Persuasion)」で既に注目を浴びていたものの、その位置付けはずっと、単にハンサムな俳優というアイドル扱いのままでしたが、本作で繊細な心と秘められた暴力性を併せ持つ青年を見事に演じてその殻から抜け出しました。原作の小説におけるノーマン・ベイツは小太りの中年男なんですが、ヒッチコックがノーマン役にパーキンスを配したことから脚本担当のジョセフ・ステファノがそのキャラをパーキンスの持つ雰囲気に合わせて完全に作り変え、それが見事にハマったという訳です。そのことに関しては「うーん、お見事!」と賞賛するしか他はないですね(←また上から目線かよ・笑)。あと、アンソニー・パーキンスと言えば、ゲイであることでも有名だった人でして、1973年にモデルのベリー・ベレンソンと結婚し、周囲を驚かせました。二人はパーキンスが1992年にエイズで死去するまで離婚することもなく夫婦であり続けましたが、夫の死を看取ったそのベリーも2001年9月11日、搭乗していたていたアメリカン航空11便がハイジャックされて世界貿易センターの北棟に突っ込むというテロ事件に巻き込まれて亡くなっています。人の運命というものの残酷さを感じざるを得ません(汗)。次に、同じく主役のマリオン・クレーンを演じたジャネット・リー。デビューした頃は純朴でしとやかな女性役が多かったですけど、この人は気の強い女性役の方が断然似合いますね。彼女も本作品の撮影時には既に多数の映画に出演しており、前回の「The Defiant Ones」で紹介したトニー・カーティスの妻としてもその名が知られていた有名女優でしたが、ヒッチコックが立てた低予算方針により、通常の4分の1の2万5千ドルという破格の安いギャラで出演を快諾しています(パーキンスのギャラも格安の4万ドルでした)。ジャネットは台本をろくに読むこともなく役を引き受けたそうで、もし、あの全裸でのシャワーシーンのことを知っていたらオファーを断っていたでしょうね(笑)。ヒッチコックの低予算方針の影響は俳優陣や製作スタッフ以外の関係者にまで及び、本作のオープニング・クレジットやジャネットのシャワーシーンで聞こえてくる、耳にするだけで緊張感を感じてしまうあの素晴らしい音を作り出した作曲家、バーナード・ハーマンもその例外ではありませんでした。ハーマンはヒッチコックに予算をかなり値切られたようで、費用のかかるフル・オーケストラを使うことを諦めて弦楽器奏者だけで音作りをすることで乗り切りましたが、そのことが逆にあの音の響きを作り出す結果につながったとされていますから世の中は面白いものです。因みにハーマンとヒッチコックは6年後、映画「引き裂かれたカーテン(Torn Curtain)」で使う音楽の出来栄えを巡って仲違いし、袂を分かった二人の関係が修復されることは二度となかったそう。話を元に戻しますと、ジャネット・リーの名を聞けば、誰もの頭に浮かぶのが本作のシャワーシーン。シャワーカーテンの背後から彼女に何度も刃物を振り下ろす顔の見えない襲撃者、淡々と響く刃物が肉に刺さる音と真っ白なバスタブの上を流れていく大量の血。あのシーンは今見ても、何度見てもホラーです(汗)。後にホラー映画の原点と言われるようになったのも頷けます。ですが、この歴史的名シーン、死人を突き刺す音が果物のメロンを突き刺している音、血はモノクロの画面で映えるようチョコレートソースを使っていると知ればホラーではなくなってしまうんですよね(笑)。それともうひとつ、本作がそれまでの映画作品より画期的であったのは、ジャネット・リーが扮する主役が途中で死んでいなくなってしまうという点。この映画では冒頭に記したネタバレを防止するメッセージ以外にも、本編上映中の映画館への途中入場を禁止する以下のような注意喚起がなされていました。
「We won’t allow you to cheat yourself! You must see Psycho from beginning to end to enjoy it fully. Therefore, do not expect to be admitted into the theatre after the start of each performance of the picture. We say no one – and we mean no one – not even the manager’s brother, the President of the United States, or the Queen of England (God bless her)!"・ご自身を欺くことは許しません!「サイコ」を十分に楽しむには、最初から最後までご覧いただかねばなりません。上映開始後に劇場への入場が認められるとは思わないでください。誰一人として – 誰一人もです – 支配人の兄弟であっても、アメリカ合衆国大統領であっても、英国女王陛下であっても認めないと申し上げます(女王陛下に祝福を)!」
ヒッチコックが途中入場を禁じたのは、ネタバレ防止や最初から観ていないとストーリーが観客の中で成り立たないということ以外にも、前半を観ないで席に着いた観客が「主人公のジャネット・リーはいったいどこで出てくるんだ?出てないじゃないか!」と館内で騒ぎ始めるのを防止する為であったとも言われています(←ほんとかな・笑)。本作ではアンソニー・パーキンスとジャネット・リーの二人の印象が強すぎて、他の共演者の存在が霞んでしまっていますが、マーティン・バルサムも私立探偵のアーボガスト役を熱演していましたね。顔も個性的ですが、演じた役柄も個性的なものが多かったこの人は、ロシア系ユダヤ人を両親にニューヨーク市ブロンクスで生まれた役者で「十二人の怒れる男」や「オリエント急行殺人事件」などの有名作にも出演。「キャッチ22」で爆撃機の隊長役を演じた際にはその演技が妙にリアルでしたが、それはバルサムが第二次世界大戦中、無線通信士として「空飛ぶ棺桶」と呼ばれた爆撃機B24に搭乗して何度も命がけの出撃をした経験を持っていたからでしょう。冒頭と後半に出てくるマリオンの恋人、サム・ルーミス役のデカい役者はジョン・ギャヴィン。役者としては凡庸でしたが、スタンフォード大学を卒業した秀才。朝鮮戦争中は、海軍の空母プリンストンに情報将校として乗艦してもいます。両親がヒスパニック系であったことからスペイン語に堪能で、レーガンが大統領であった時代には駐メキシコ・アメリカ合衆国大使を務めました。マリオンの妹、ライラ役を演じたのはヴェラ・マイルズという女優。ヒッチコックは彼女をグレース・ケリーの後継として育てようと考えていたそうですけども、結果は駄目でしたね(最初から無理があったような気がしますが・笑)。1958年に公開された「めまい(Vertigo)」も、当初はヴェラ・マイルズに主役が配役されていましたが、撮影前に彼女は妊娠してしまった為、キム・ノヴァクに役が回ることになっています。あと、ノーマン・ベイツの母親の声は、Virginia Gregg、Jeanette Nolan、Paul Jasminという3人の役者の声を組み合わせて使用されました。Paul Jasminは男性で、後に写真家として成功。ゲイだったそうなので、普段から所謂オネエ声だったんでしょうね(笑)。そして今回は、数々のサスペンス映画をヒットさせた巨匠であり、本作の監督も務めたヒッチコックについても少し触れておきたいと思います。アルフレッド・ジョセフ・ヒッチコックは1899年、ロンドン郊外のレイトンストーン(517 High Road, Leytonstone, London)で生まれた英国人。生家は既に跡形もなく、現在はガソリンスタンドになっています。父親はそこで青果店を営んでいた他、養鶏場も所有しており、労働者階級と言えども貧乏な家庭ではありませんでした。ヒッチコックという珍しい苗字は本名で、リチャードの愛称であるヒッチHitch に息子を意味するCokが組み合わされて出来た姓です。「名前+その言語で息子を意味する言葉」で構成される苗字というのは、英国に限らず、ヨーロッパ全土で典型的なものですね。ヒッチコックの両親はキリスト教(英国国教会ではなくカトリック)と道徳を過度に重んじるちょっと変わった人たちだったようで、ヒッチコックがまだ幼かった頃、父親は知り合いの警察署長へ手紙を持って行くようにと彼をお使いに出し、そのとおりに手紙を署長に届けると、手紙を読んだ署長は「This is what we do to naughty boys・悪い子たちにはこうするんだ」と言って留置場にヒッチコックを閉じ込めたのだとか。閉じ込められたといっても5分ほどだったそうですが、悪いことをした覚えのない子供はただ怯えただけで、このことを切っ掛けに彼は警察に恐怖を抱くようになり、やがてはそれが権力への恐怖感や嫌悪へと変わることになりました。ヒッチコックの作品に身に覚えのない罪で追われる主人公がしばしば登場するのはこの幼い時の経験の影響だとも言われています。さて、その後、青年に成長したヒッチコックですが、彼が目指したのは技術者になることで、その希望どおり当時の最先端技術企業であった電信会社に就職、夜は公立学校に通って美術史や絵画を学びました。その甲斐あって、彼は電信会社が創刊することになった社内報「ヘンリー・テレグラフ」の編集者に任命され、社の広告のコピーライティングとグラフィックデザインを担当するようにもなっています。社内で順調に昇進を続けていたそんなヒッチコックに転機が訪れたのは1919年のこと、パラマウント映画の製作部門であるフェイマス・プレイヤーズ・ラスキー社がロンドンにスタジオを開設することを知った彼は、映画の字幕用に描いた自らの作品をスタジオに送って採用となり転職、字幕係として映画業界で働き始めることになりました(当時、映画はまだサイレント時代であった為、台詞代わりの手書き文字による字幕を必ず付けていたんです)。こうして字幕係で業界のキャリアをスタートしたヒッチコックでしたが、持ち前の頭の良さを買われて3年後にはスタジオのスター監督だったグラハム・カッツのもとで脚本、助監督、編集、美術と様々な職種も経験することになり、フェイマス・プレイヤーズ・ラスキー社がロンドンから撤退すると、その事業を引き継ぐ形で新会社を設立したマイケル・バルコンにその才能を認められ、1925年に「快楽の園」というつまらない恋愛モノの映画で監督デビューしました。当時のヒッチコック自身は映画製作の裏方でいることに満足していて最初は監督になる気などなかったものの、行きがかり上、監督業を続けることになると、ロンドンの切り裂きジャック事件を題材にした監督担当第3作目の「下宿人(The Lodger: A Story of the London Fog)」から秘めていた本領を発揮し始めました。そして、この作品でサスペンス映画という新たな分野に目覚めた彼は、1934年、満を持して「暗殺者の家(The Man Who Knew Too Much)」を発表。サスペンス映画の名監督という評価を不動のものとしたのです。以降の彼の活躍については、皆さんも知ってのとおり。あと、ヒッチコックは自らの作品にカメオ出演することを恒例にしていたことも映画好きの皆さんならご存知かと思いますが、本作でも7分過ぎ、情事を終えたマリオンが不動産事務所に帰ってくるシーンに登場していて、事務所のガラスドアの向こう側に立っている帽子を被った男性が彼。因みにこのシーンに出てくるマリオンの同僚の役を演じているのはパトリシア・ヒッチコック。その苗字から想像がつくように、ヒッチコック監督の実の娘です(笑)。
ヒッチコックの話は続けているときりがないので、ここいらで本作の舞台の紹介に移りましょう。冒頭に出てくる街の俯瞰シーンで映し出されているのは、劇中での設定どおり、本物のアリゾナ州フェニックスの街並み。114 West Adams StreetにあるOrpheum Loftsというビルの屋上から撮影されました(当時のビル名はTitle and Trust Building)。今のフェニックスと違って高層ビルがほとんど見当たらず、長閑な地方都市といった感じが漂っていますね。フェニックスは砂漠の中に作られた街ですが、とてもそのようには見えません(因みに、1950年に人口10万人の地方都市であったフェニックス、今では人口160万人、全米第5位の大都会に変貌しています)。同じく冒頭のシーンでマリオンとサムが情事に使っているホテルも101 South Central AvenueにあったJefferson Hotelという実在していたホテル。現在も建物はそのままの姿で残っていますが、ホテルは1975年に廃業していて、名前もBarrister Placeに変わっています。13分過ぎ、フェニックスの街から4万ドルを持って逃亡を図ろうとしているマリオンが上司のジョージ・ロウリーと出くわすのはWest Adams StreetとNorth Central Avenueの交差点。この周辺の建物の多くはその後に建て替えされている為、現在同じ交差点に立って辺りを見渡してみても撮影当時の面影はほとん残っていません。この交差点のシーンがやや不自然に見えるのは、ジョージ・ロウリーなどの通行人が通りを渡っているシーンと背景の街並みを撮影したシーンが編集で合成されているから。その方が、わざわざ俳優を現地に連れて行く必要も道路を封鎖して撮影する必要もないのです。製作費を安く上げる為のテクニックのひとつですね。また、本作の撮影時、舞台の季節設定は特に無かったものの、ここのシーンで使われた街並みにクリスマスの飾り付けが映っていることを編集時になって気付いたヒッチコックは、急遽「FRIDAY, DECEMBER THE ELEVENTH」というテロップを冒頭に挿入しました。18分前に出てくるマリオンが車を買い替える中古車販売店、こちらもロサンゼルスに実在していた店で、ユニバーサルのスタジオのすぐ近く4270 Lankershim Boulevardにありました。マリオンの恋人サムが暮らし、ベイツ・モーテルが郊外にあるという設定のカリフォルニア州フェアベールは、実在しない架空の街。先程にも述べたとおり、ベイツ・モーテルをはじめ、フェアベールの街に関するシーンの多くはユニバーサルのスタジオでセットを組んで撮影されています。ジャネット・リーが車を運転しているシーンは勿論、リア・プロジェクションを使った合成ですが、合成のベースとなっている映像の大部分はカリフォルニア州フレズノとベーカーズフィールドを結ぶ高速道路99号線で撮影されたそう。
おっと、今回も話が長引いてきましたので、そろそろシメに入りましょう。ここから先はネタバレが含まれるので、本作をまだ鑑賞していない方は読まないでください。でないと、ヒッチコックに叱られます(笑)。
映画の後半はと言うと、マリオンがフェニックスから姿を消したことでことで彼女の身を心配する妹のライラは、失踪の理由をサムのもとへ向かったからだと考えフェアベールにいる彼のもとを訪ねますが、マリオンは来ていないというサムの返事を聞いて狼狽します。他方、マリオンに持ち逃げされた現金の回収を依頼されていた私立探偵のアーボガストは妹のライラをフェニックスから尾行しており、そんな二人の姿を目にして4万ドルの持ち逃げに二人は関係していないと判断しますが、マリオンがサムに会いに来るに違いないと考えた彼はフェアベールにある宿泊施設を一軒一軒しらみつぶしに訪ねて回り、遂にマリオンの痕跡をベイツ・モーテルで見つけます。訪ねてきた探偵にノーマンは当初、そんな女性は知らないとしらを切るものの、探偵の執拗な追求にマリオンが宿泊したことを認め、彼女は1泊して宿から去ったと証言。ノーマンの聴取を終えた探偵は帰路につきますが、その時、モーテルの隣家に人影を見つけます。その人影が母親であるとノーマンから聞かされたアーボガストは、母親にも尋問したいと申し出ますが、ノーマンは母親が病気であることを理由に許可しません。仕方なく一旦モーテルを離れた探偵は、公衆電話から「モーテルの隣家には宿の主人の母親が住んでいて、その母親がマリオンと話をしてる可能性があるからモーテルに戻ってもうちょっと調べてくる」と報告した後「1時間後くらいにそっちで会おう」と告げて、母親から話を聞き出そうとモーテルの隣家にこっそり足を踏み入れますが、そこで刃物を持った何者かに突然襲われ死んでしまいます。それこそが、探偵が消息を絶った理由でした。77分30秒頃に出てくる、アーボガストが額から血を流しながら階段を落ちていくシーンは、どうやって撮影しているのか良く分かりませんが今見ても斬新ですね。この種の撮影技法を次々と新たに生み出したのもヒッチコックの功績と言えるでしょう。一方、1時間後にアーボガストと会うことになっていたライラは、彼が姿を見せないことに不安を募らせ、サムと共に地元の保安官チェンバース(ジョン・マッキンタイア)の家を訪れて、ベイツ・モーテルを調べて欲しいと相談しますが、そこで保安官から意外な事実を知らされます。それは、ノーマン・ベイツの母親は10年前に恋人を毒殺したあと自殺し、それ以来、街のグリーン・ロウン墓地で眠っているということでした。「じゃあ、アーボガストが電話で言っていた母親というのは、いったい誰なのか?」そんな疑問を持ったライラとサムは、真相を探るべくベイツ・モーテルへと向かいます。サムがノーマンをひきつけ、その隙に隣家の屋敷へ忍び込むライラ。しかし、そのことに気付いたノーマンがサムを殴り倒して屋敷へと駆け付け、ノーマンが走ってくるのを目にしたライラは地下室へと逃げ込みます。すると、そこには母親と思われる老婆の後ろ姿があり、ライラが声をかけて振り向かせようとすると、その老婆はミイラ化した遺体でした。それを見て絶叫するライラ。そこへ再び刃物を持った謎の人物が現れ、ライラに襲いかかりますが、意識を取り戻して飛んできたサムがその襲撃者を取り押さえます。その襲撃者はなんと、母親になりきったノーマンでした。というのが本作のオチ。
なかなか良くできたプロットだとは思いますが、物書きの視点から見ると強引というかヘンな部分も幾つか見受けられます。先ず、ノーマンとマリオンがモーテルの事務所で食事をするシーンで、ノーマンが自分の母親が精神的な病に犯されている人物であることをペラペラ話しますが、これは観客をミスリードする為だとは言え、ちょっとあからさまで、一方的な押し付け感がありますね。それに、そのような違和感を感じる人なら「なぜにその母親はスクリーン上に姿を現わさず、声だけなんだろう?サイコ=母親ではあまりにも安直だ」なんてことも考えてしまいますから、この時点で話の筋がなんとなく分かってしまうんですよね(笑)。そもそも、マリオンがサムの住むフェアベールの郊外のモーテルに泊まる設定もちょっとリアリティー不足。愛している人がもう目と鼻の先にいるのであれば、1秒でも早く愛する人のところへたどり着こうとそのまま車を飛ばすのが普通ではないでしょうか(笑)。アーボガストがモーテルの隣家で人影を目にし、その人影が母親であるというノーマンの説明を簡単に鵜呑みにするのも強引です。僕が探偵なら「ひょっとしてマリオンではないのか?」という可能性も頭に浮かびますけどね(笑)。と、巨匠の作品を余りにも馬鹿にしていると「おまえは何様のつもりだ!」と怒られそうなので、これくらいで止めておきましょう(汗)。あと最後に、本作のラストシーンを見て「あれはどういう意味だったんだ?」と思われた方の為に少し解説をしておきたいと思いますが、その前にラストシーンの直前の流れを少し整理。サムに取り押さえられたノーマンは警察に引き渡され、警察署で取り調べを受けます。事情聴取を担当したのは刑事ではなく精神科医で、ノーマンの母親としての人格から聞き出した話として、10年前に母親が恋人を殺して自殺したとされていた事件は、母親に裏切られたと感じたノーマンが二人を殺害していたというのが真実であり、その後、母親の喪失感に耐えられなくなった彼は墓から母親の遺体を掘り返して屋敷に運ぶ一方、口のきけない遺体に代わって今でも自分のことを愛してくれている母親という人格を自らの中に作り出し、その人格がノーマンの前に他の女性が現れて彼が性的魅力を女性に感じると、彼を女性から守って自らの所有物にし続けようとする為、ノーマンの中のその母親の人格がマリオンを襲って殺害したのだとライラとサム、警察関係者に説明します(ちょっと、ややこしい説明ですが筋は通っていますね・笑)。つまり、ノーマンは精神を病んでいて多重人格の症状が現れているということです。そして、精神科医の説明が終わった後、独房内で一人佇むノーマンの姿のアップに変わり(毛布が差し入れられる筋書きになっていたのは、毛布にくるまった姿で女性らしさを出そうとしたのでしょう)、母親の声で彼が独り言を始めます。そして、ノーマンの手に1匹のハエが止まると「I’m not even gonna swat that fly・あたしはハエを叩いたりさえもしないのさ」と言い、最後にこう続けます。「They’ll see and they’ll know, they’ll say,”Why, she wouldn’t even harm a fly”・あたしを見てれば連中は気付いてこう言うだろうよ『どうしてだい、彼女はハエさえ傷付けないんだよ』ってね」と。このやや謎めいたこのラストシーンが何を示唆しているのかと言うと、母親はノーマンの肉体を通じて、自分はハエさえも傷付けない人間であって、殺人を犯したのはノーマンであると訴えている訳です。つまり、自らが作り出した母親の強烈な人格はノーマンの中で彼の人格を完全に支配しており、ノーマンは彼女の呪縛から永遠に逃れられないということ。最後に不気味に微笑むノーマンの顔にミイラ化した母親の顔が合成で微かに映し出されることで映画が終わっていることからも、そのことは明らかですね(最後にノーマンの顔が凄く怖い表情に変化するのはこの合成の仕業)。因みにラストのハエが手に止まるシーン、冒頭でマリオンとサムが情事をするホテルの部屋にカメラの視点が窓の外から室内に入って行くシーンをハエの眼の視点で描き、そのハエがマリオンの手に止まるような仕上がりにしてラストシーンとつなげたかったらしいのですが、予算が無かった為にそこまで手の込んだ映像にできなかったと言われています。
映像と音を通じて人をドキドキさせる方法を熟知していたヒッチコック。そのテクニックは普遍的なものであり、彼の作品が今でも尚、世界中の人々を魅了しているのは当然のことなのかも知れません。それでは皆さん、グッバイ、アディオス、チ・べディアーモ!