【第51回】Born to Be Wild / Steppenwolf (1968)
映画と関連する洋楽をこれまで何度か紹介してきましたが、テレビで見る吹替の外国映画が青春の友であった洋画好きの僕としては、本コーナーが50回を迎えた記念も兼ねて、予てより考えていた「映画音楽特集」として映画と共にヒットした洋楽を一気に紹介することにしました(勝手な特集でスミマセン・汗)。その初っ端を飾るべく選んだのは、デニス・ホッパーとピーター・フォンダが主演したアメリカ映画「Easy Rider(イージー・ライダー)」のオープニング場面に流れるSteppenwolf のBorn to Be Wild です。Steppenwolf は1967年にアメリカのロサンゼルスで結成された5人組のバンドですが、ボーカルのJohn Kay は、第2次世界大戦でドイツが敗戦間際の1944年に東プロイセンで生まれたドイツ人(軍人だった父親は戦死、ベルリンを目指すソ連軍が攻めてくる中、難民となった母親は彼を連れてドイツ本国へ避難し、その後、アメリカへ移住)。ドラム担当のJerry Edmonton(Born to Be Wild を作詞作曲したMars Bonfire ことDennis Edmonton はこの人の弟です)とキーボード担当のGoldy McJohn はカナダ生まれのカナダ育ちで、1967年にアメリカへ移住しました。Steppenwolf という変わったバンド名も、ドイツ系スイス人作家ヘルマン・ヘッセの小説「Steppenwolf(ドイツ語で「草原の狼」の意味)」に由来しています(因みに、このバンド名を提案したのはJohn Kay ではなく、音楽プロデューサーのGabriel Mekler(イスラエル建国前の英領パレスチナで生まれたユダヤ人、後にアメリカへ移住)で、提案の理由は単にこの小説をちょうど読み終えたところだったからだそう・笑)映画のあらすじの方はと言うと、アメリカ社会の現状に不満を抱く二人の若者が麻薬の密売で得た大金を手に理想のアメリカを求めてバイクで北米大陸横断の旅に出るものの、そんな二人を逆に敵視するアメリカ社会によって最後は殺されてしまうというもので、Born to Be Wild を聴けば、この曲はこの映画の為に作られたのだろうとしか思えないくらいにい映画の内容とマッチしているのですが、実はこの曲、映画とは何の関係もない人物が、映画のことなど何も知らずに、映画撮影が始まるずっと以前に作詞作曲していたものなのです。と、こんなことを書いても、イージー・ライダーを見たことがない方にはまったくピンと来ないと思いますので、映画を見たことがない人がおられましたら、先ずは映画の本編を鑑賞してから解説欄へ進むことをお薦めします。Get your motor runnin’
Head out on the highway
Looking for adventure
In whatever comes our way
エンジンふかして
ハイウェイを走り出すんだ
冒険気分でな
どんなことがあろうともだ
Yeah, darlin’, go and make it happen
Take the world in a love embrace
Fire all of your guns at once
And explode into space
そうさ、やってやれ
みんなを抱きしめて世界制覇さ
みんなで一斉に銃をぶっ放しゃぁさ
新たな宇宙の誕生さ
I like smoke and lightnin’
Heavy metal thunder
Racing with the wind
And the feeling that I’m under
俺は好きなんだ、煙と閃光
そして、重い金属の轟きがな
風を切って突っ走るだけで
酔いしれちまうな
Yeah, darlin’, go and make it happen
Take the world in a love embrace
Fire all of your guns at once
And explode into space
そうさ、やってやれ
みんなを抱きしめて世界制覇さ
みんなで銃を一斉にぶっ放しゃぁさ
新たな宇宙の誕生さ
Like a true nature’s child
We were born, born to be wild
We can climb so high
I never wanna die
Born to be wild
Born to be wild
本物の野生児みたいにな
俺たちは生まれてきたんだ、イカした男になる為にな
だから、高見だって目指せるのさ
決して死にたくはねえけどさ
俺たちは生まれてきたんだ
イカした男になる為にな
*このあとギターソロが入り、Get your motor runnin’の節とYeah, darlin’, go and make it happen の節が再度続いてから、アウトロでLike a true nature’s child の節が歌われて曲は終了します。
Born to Be Wild Lyrics as written by Mars Bonfire
Lyrics © Universal Music Publishing Group
【解説】
イージーライダーを見たことがある方なら、この曲のイントロのギターリフを聴いただけでデニス・ホッパーとピーター・フォンダがハンドルをチョッパーに改造したハーレー・ダビッドソン社製の大型バイクにまたがってアメリカのだだっ広い道を爆走している光景が頭に浮かびますね。そんな風に、イージー・ライダー=Born to Be Wild=バイクというイメージが定着しているこの曲ですが、実は意外な事実が隠れていることを知る方は少ないと思います。それがどういうことなのか、順番に歌詞を見て行きましょう。先ず、出だしのGet your motor runnin’とHead out on the highway ですが、映画を見た方なら当然、バイクのエンジンをかけてハイウェイを走り出すという具合に理解する訳ですが、この曲を作詞したMars Bonfire は以前、次のように語っています。
「When I got that car I was able to drive out to the ocean and up into the mountains, and I realized how incredibly diverse the city really was. The feeling that came with being out on the road in my car was total freedom. That’s why the song starts with, ‘Get your motor running. Head out on the highway.’ Those lyrics just flowed right out of me」
この曲が作詞された1968年当時、ロサンゼルスへ移住したばかりのBonfire はまだ車を持っていなかった為、アパートの自室にこもりがちだったそうなのですが、ようやく車を手に入れた彼は車で海や山へと繰り出し、ロサンゼルスの町が多様であることに気付くのと同時に、車を運転して外を走ることに自由の喜びを感じたみたいで、その時のウキウキ気分をGet your motor runnin’とHead out on the highway という言葉で表現したそうです。因みに彼が手に入れたthat car というのはフォード社製のファルコン(日本で言えばカローラみたいな大衆車です)で、どちらかと言えばダサい車ですね(笑)。つまり、Get your motor runnin’ のmotor はバイクのエンジンではなく、車のエンジンなのです。ちょっとびっくりですよね。彼のこの発言からLooking for adventure のadventure は「まだ見知らぬ世界」の言い換えだと僕は理解しました。
第2節は、Bonfire がそれを意図していたか意図していなかったかは分かりませんが、僕には60年代のアメリカ社会の若者たちの理想を描写しているとしか思えませんでした。当時のアメリカは、既成の社会体制や価値観を否定し、社会に背を向ける若者たち(所謂ヒッピーですね)が多く出てきて一大ムーブメントとなっていた時代でして、この節の歌詞は「Love & Peaceで新たな世界を作れ」と言っているように僕には聞こえました。Fire all of your guns at once and explode into spaceは、銃の一斉発射はビッグバンとかcosmic explosionのようなもの、宇宙は新たな世界の比喩ではないかと考えます。explode into はinto に続くモノ、状態になるということなので、become に入れ替えれば分かり易いでしょう。3節目も映画を見た方なら、smoke and lightnin’はバイクのマフラーから吹き出す煙とバックファイアーの閃光。Heavy metal thunder は轟くエンジンの音と理解してしまうのは無理もないことなのですが、ここの部分に関してもBonfire はこのように語っています。
「One afternoon, I had encountered a thunderstorm so ferocious I had to pull over as the road turned into a river. The sky was ominous, the colour of lead. I was struggling to describe it in words until I remembered the periodic table of elements I’d studied during chemistry class at school. The term “heavy metals” came into my head, which gave me the line, “I like smoke and lightning, heavy metal thunder!” This was before heavy metal became a music genre」
つまり、smoke and lightnin’やHeavy metal thunder というのはすべて悪天候に関連した描写であった訳です(これまたびっくりですね・笑)。また、彼のこの発言からは、歌詞の中のHeavy metal という言葉が後に音楽用語になるとは彼自身も思いもしていなかったことが窺えます。3行目のRacing with the windは直訳すれば「風とレースをする」ですが、風とレースはできませんので、風を切って走ることの比喩と考えるのが自然。4行目のI’m under は、その言葉を聞けば普通は「寝てる」か「酔ってる」の状態を想像しますので、このように訳しました。
4節目は2節目の繰り返し。5節目には曲のタイトルとなったborn to be wild が出てきますが、このwildをどう訳すのかがちょっと難しいですね。日本人がwild という言葉に持つイメージはスギちゃんの「ワイルドだろぉ~」みたいな「ちょいワル」的なものだと思いますが、英語のネイティブ話者がwild という言葉を使う場合、勿論、乱暴者という意味で使う場合もありますが、多くはcrazy(いい意味での)、extreme but cool といった感じの意味で使っているように思います。なので今回は「イカした男」という言葉をあてはめてみました(イカした人間でもいいんですが、響きがイマイチだし作詞者のBonfire が男性なのでイカした男にしました。この歌詞のwild をsomeone who is free-spirited or adventurous と考える人もいますが、それは映画を見ての後付けですね)。3行目のWe can climb so high と4行目のI never wanna die はこのフレーズをなぜここに入れているのかいまいち良く分かりませんけど「イカした男になる(高見を目指す)為には無茶もするが、命を賭けるような真似まではしたくない」という風に理解しました(映画の中では結局、主人公は死んでしまいますけど・汗)。
Bonfire 自身がこの曲の歌詞について「I think it captures the essence of that transition between youth and adulthood, of leaving your parents and getting out on your own」とずばり語っているとおり、born to be wildの歌詞は若者が親元を離れて独り立ちしていく様を描写したものであったのですが(つまり、wild は一人前の男という意味で使われているということですね。しかも、主人公が乗っているのはバイクではなく車です)、映画「イージー・ライダー」の劇中歌として使われ、歌詞が映画のストーリーに奇蹟的にぴったりとはまってしまったが故に別の意味を持つようになった。それが、born to be wild という曲の真実なのです。それではみなさん、またお会いしましょう。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ(←若い人には分かりません よね・笑)。
【第52 回】Everybody’s Talkin’ / Harry Nilsson (1968)
今回ご紹介する曲は、ダスティン・ホフマンとジョン・ボイト(トゥームレイダーのララ役でお馴染みで、ブラット・ピットの元妻でもあるアンジェリーナ・ジョリーのお父さん)主演のアメリカ映画Midnight Cowboy (邦題:真夜中のカーボーイ)の劇中歌として採用されたことで大ヒットしたHarry Nilsson のEverybody’s Talkin’です。僕がこの映画を初めて見たのは、高校生だった時のこと。テレビの深夜の時間帯に放送されていた「名作洋画ノーカット10週」という番組ででした。字幕ではなく吹替であったものの、その名のとおり、映画をノーカットで10週連続放映するという画期的な番組で、それまでテレビで放映される映画と言えば、子供から老人まで楽しめる娯楽要素の強い映画ばかり(しかもカットされまくり)でしたから、この映画を見た時は、アメリカ映画にも芸術的な感性でもって製作される作品があるんだと妙に感動した記憶があります(やはりと言うか、この映画の監督John Schlesinger はヨーロッパ出身(英国人)でアメリカ人ではなかったのですが)。Midnight Cowboy で描かれているのは、テキサスの田舎町からジゴロになろうとニューヨークへやって来た都会に憧れる若者と都会のどん底で生きる病に犯された詐欺師という二人の孤独な男の出会いと奇妙な友情なのですが、Born to Be Wild 同様、映画の為に作られた曲ではないのに歌詞の内容と映画のストーリーとがなぜだか抜群にうまく重なり合っていますので、Midnight Cowboy をご覧になってない方は一度鑑賞してみることをお薦めします。特にジョン・ボイトが演じるJoe とダスティン・ホフマン演じるRatso の二人が通りの交差点を渡っている時にタクシーが突っ込んできて、危うく轢かれそうになったRatso がI’m walking here!と怒鳴りながらタクシーのボンネットを激しく叩くシーンは注目の価値あり。映画「フォレストガンプ」の劇中にも同様のシーンがあることを知っている方はかなりの映画通ですね。車椅子生活になったダン中尉がニューヨークの通りでタクシーに轢かれそうになってI’m walking here!(車椅子なのにこう言うところがミソ)と怒鳴るシーンがそれで、背後でEverybody’s Talkin’が流れるフォレストガンプのそのシーンがMidnight Cowboy へのオマージュであることは一目瞭然です。Everybody’s talkin’ at me
I don’t hear a word they’re sayin’
Only the echoes of my mind
People stoppin’, starin’
I can’t see their faces
Only the shadows of their eyes
みんなが僕に話しかけてくるけど
僕にはあの人たちが話してることが一言も聞こえない
聞こえるのは自分の心のこだまだけ
みんなが立ち止まって僕を見つめるんだけど
僕はあの人たちの顔を見られない
見えるのはあの人たちの目の影だけなんだ
I’m going where the sun keeps shinin’
Through the pourin’ rain
Going where the weather suits my clothes
Bankin’ off of the northeast winds
Sailin’ on a summer breeze
And skippin’ over the ocean like a stone
僕は太陽が輝き続ける所へ向かってる
土砂降りの雨の中ね
僕の着てる服に合う天気の所へ向かってるんだ
北東の風をかわして船を傾け
夏のそよ風に向かって航海してるのさ
石ころのように水面の波をかすめながらね
I’m going where the sun keeps shinin’
Through the pourin’ rain
Going where the weather suits my clothes
Bankin’ off of the northeast winds
Sailin’ on a summer breeze
And skippin’ over the ocean like a stone
僕は太陽が輝き続ける所へ向かってる
土砂降りの雨の中ね
僕の着てる服に合う天気の所へ向かってるんだ
北東の風をかわして船を傾け
夏のそよ風に向かって航海してるのさ
石ころのように水面の波をかすめながらね
Everybody’s talkin’ at me
Can’t hear a word they’re sayin’
Only the echoes of my mind
みんなが僕に話しかけてくるけど
あの人たちが話してることを一言たりとも聞けないんだ
聞けるのは自分の心のこだまだけさ
I won’t let you leave my love behind
No I won’t let you leave
Wah-wah, ah
I won’t let you leave my love behind
I won’t let you leave…
だから、僕の愛を見捨てさせることなんてしないよ
駄目さ、そんなことさせはしない
あぁー
僕の愛を見捨てさせることなんてしないよ
させはしないさ
Everybody’s Talkin’ Lyrics as written by Fred Neil
Lyrics © BMG Platinum Songs, Third Palm Music
【解説】
ギターの軽快な響きで始まり、歌は上手なんだけども癖のあるHarry Nilssonの声が続くEverybody’s Talkin’というこの曲、実はHarry Nilsson の持ち歌ではなくFred Neil というアーティストが作詞作曲してリリースしていた曲のカバーなんです(Fred Neil のオリジナル版と歌詞やメロディーラインはほぼ同一ですが、オリジナル版はテンポがもっとスロー)。1967年にリリースされたFred Neil のオリジナル版と翌年にリリースされたHarry Nilsson のカバー版、どちらも鳴かず飛ばずの売れ行きだったのに、カバー版が映画の挿入歌として採用され、映画が公開されるやレコードが売れに売れて大ヒット曲になったのですから、運というのはまったくもって不思議なものですね(因みに、Harry Nilsson は後にWithout You という曲も大ヒットさせますが、こちらも英国のロックバンドBadfingerの曲のカバーでした)。このEverybody’s Talkin’の歌詞、中学校で習う英単語レベルの言葉しか使われていませんが、その意味を理解するのはなかなか困難な作業。それだけでなく、歌詞の意味もかなり奥が深いので(またですか・汗)いつものように詳しく歌詞を見ていきましょう。
先ず第1節。英語として難しい部分はありません。3行目のOnly the echoes of my mind はI hear、6行目のOnly the shadows of their eyes はI see を文頭に補えば分かり易いでしょう。ですが、その意味となると難解ですよね。僕にはEverybody’s talkin’ at me. I don’t hear a word they’re sayin’, only the echoes of my mind の部分が「世間の人はあれこれ言うけど、僕は聞く耳を持たない。だって、自分の心の声(the echoes of my mind)に従って生きてるから」と聞こえ、People stoppin’, starin’. I can’t see their faces, only the shadows of their eyes は「世間の人は話くらい聞けって近づいてくるけど、会いたくもない。だって、連中の態度はうわべだけだから」というふうに聞こえました(the shadows of their eyes は、相手のことを真剣には考えてはいない偽善的な視線(態度)と理解)。この僕の理解が正しいかどうかは分かりませんが、この節が描写しているのは、自分のことを分かってくれる者なんてこの世界にはいないんだという人間の孤独であることは間違いないかと思います。ですが、ですが、実のところ、この曲の歌詞が誕生した経緯には以下のような驚愕の事実があるんです!(汗)。
「In the fall of 1966 Fred Neil was recording a folk-blues album in Los Angeles. But he hadn’t written enough songs to complete it, and he was getting anxious to return home to Miami. His manager at the time, Herb Cohen, quickly made a deal "Write one more tune and record it immediately, then you can go". With that, Mr.Neil retreated to a bathroom at the studio and, five minutes later, emerged with the new composition, a lanky,concise ballad, just two verses and a chorus, with one verse and the chorus repeated, that expressed his desire to go home, “where the sun keeps shining in the pouring rain.”」
この経緯が事実なのかどうかは確認のしようがありませんが、このことを知ってしまうと、第1節がHerb Cohen というマネージャーに対するぼやきのようにも聞こえてくるんですよね(笑)。
Everybody’s talkin’ at me
I don’t hear a word they’re sayin’
Only the echoes of my mind
People stoppin’, starin’
I can’t see their faces
Only the shadows of their eyes
あんたは「できたか、できたか」ってばかり言うけど
俺はあんたの言うことなんて耳に入ってこないよ
俺は俺のやり方でやってるからな
あんたは「できたか、できたか」って覗き込んでくるけど
僕はあんたの顔なんて見たくないね
だって、あんたの考えてるのは金のことばかりだから
まあ、こんなふうに考えてしまうと興ざめなので、この曲の歌詞は人間の孤独を歌ったものだということを前提にして話を進めることにしましょう(笑)。
第2節も英語として難しい部分はほとんど見当たりません。分かりにくいのは4行目のbank くらいでしょうか。ここでのbank は動詞として使われていますので、後に続いている文から考えても、乗り物を傾けて転回させるという意味でのbank ですね。僕の頭に浮かんだイメージは、帆を傾けて転回しているヨットのようなものです。ここのthe northeast winds は、アメリカや日本など北半球で北東の風と言った場合、貿易風(年中吹いている比較的強い風)のことを指しますから「世間からの強い風当り」の言い換えと理解しました。the pourin’ rain も「辛く厳しい日々」の言い換えでしょう。skippin’ over the ocean like a stoneからは、水切り遊びで小石が水面を飛び跳ねていく情景が頭に浮かびます。なので、第2節の歌詞は、主人公が辛く厳しい日々の中、孤独な世界から自分に合った新たな心地良い世界(summer breeze)へ、世間の荒波を避けながら軽快な気分で向かおうとしている姿の描写であると理解しました。この第2節は、Joe とRatso の二人が孤独の渦巻くニューヨークを離れて、太陽がさんさんと輝くフロリダ州へと向かう映画のラストとばっちり重なっていますね(まったくの偶然なのですが)。3節目は2節目と同じフレーズの繰り返し。4節目の2行目は、第1節のI don’t hear a word they’re sayin’からCan’t hear a word they’re sayin’というフレーズに変化しています。I don’t hear が物理的に聞こえないということも含むのに対し、Can’t hear になると自分自身によるより強い拒絶の意思が感じられます。つまり、主人公の強い決意を現しているのでしょう。良く分からないのは5節目で、ここに突然出てくるyouは恋人などの特定人物ではなく総称としてのyou なのでしょうが、僕にはこのyou が主人公が探し求めている理想の人、つまり「たった一人でいいからこの世界で分かり合える人」ではないのかという気がしました。そんな人に巡り合えば、人から裏切られるようなことは起こらないし自分も裏切ったりは決してしない。つまり、I won’t let you leave my love behind はこの歌詞の主人公の願望なのであり、そう考えると、第2節で主人公が探し求めているのは場所ではなく人なのではないかとも思えてきます。とまあ、僕なりにこの曲の歌詞を解釈しましたが、先に紹介したエピソードのとおり、早く家に帰りたかったFred Neil がバスルームの中で5分で仕上げたというこの曲は、他の迷曲同様(名曲ではなく迷曲です・笑)、作者の意図から離れて歌詞の意味が一人歩きしてしまっている曲のひとつなのかもしれません。
それでは最後にFred Neil のトリビアをひとつ。Fred Neil はボブ・ディランもその才能を認めるアメリカ音楽界の逸材でしたが、この曲の大ヒットで大金を得ても自ら表舞台に出てくることもなく、その後は音楽活動もやめて世捨て人のような人生を送ったという変わった人で(真の芸術家というのはそういう人のことですね)、2001年にフロリダ州の自宅で病死しているのが発見された際に彼の財布の中に入っていた現金は13ドルだったそうです。
【第53回】The Sound of Silence / Simon & Garfunkel (1965)
別にダスティン・ホフマンが好きだという訳ではないですけども、前回に続き今回も彼の出演した映画で使われた名曲を紹介しましょう。1967年公開の映画「The Graduate」の挿入歌、Simon & GarfunkelのThe Sound of Silence です(Graduate の意味は卒業生。なので「卒業」というこの映画に付けられた邦題は多くのそれと同じくヘンテコですね・汗)。この曲も映画の為に作詞作曲されたものではないのですが(1966年のビルボード社年間チャートで25位と映画で使われる前から既にヒットしていました)、Born to Be Wild やEverybody’s Talkin’ 同様、映画のストーリーというか、映画の主人公のキャラクターと曲の歌詞がシンクロしていると思ってしまうような曲なので、ネタバレとはなりますが、先にThe Graduateのあらすじをどうぞ。
名門大学を卒業したばかりで輝く未来が待ち受けているはずなのに、虚無感に囚われて何をしていいのか分からなくなっているダスティン・ホフマン演じる主人公ベンジャミン。その虚無感を振り払おうとするかのように父親の友人の妻であるロビンソン夫人(アン・バンクロフト)と情事を重ねる彼でしたが、ある日、ひょんなことから夫人の娘でベンジャミンの出身大学に通う女子大生エレーンとデートをすることになります(エレーン役はキャサリン・ロス←この作品での彼女はさすがに初々しくてかわいいです。そんな彼女も2年後、Butch Cassidy and the Sundance Kid に出演して大スターの仲間入りを果たしました)。自分が嫌われるように振る舞うベンジャミンでしたが、エレーンの純真さに魅かれて彼女とも付き合い始めてしまい(←そんなことありえますかね?←まあまあ、落ち着きましょう。映画ですから・笑)、そのことを知ったロビンソン夫人から、娘と別れないと情事のことを彼女にばらすと脅迫される羽目に陥って針のむしろ状態に(←自業自得です・笑)。悩み抜いたベンジャミンは夫人との情事を自らエレーンに告白するものの、当然、彼女は傷つき、ベンジャミンのもとを去るだけでなく大学も退学し、同じ大学の医学部卒の男と結婚することを決意するのですが、本当に愛しているのはエレーンであることに気付いたベンジャミンは、彼女の結婚式の当日、式場である教会に向かってエレーンの手を取り、二人で逃げるように教会を後にして、通りにやって来たバスに乗り込む(結婚式の最中に花嫁を花婿から奪うという伝説のシーンです←そんなことありえますかね←またかよ、とひとりつっこみ・笑)。というのが映画のあらすじでして、そんなちょっとクサいエンディングでバスの座席に腰掛けた二人の表情が喜びの笑みから不安のようなものに変わっていく様がスクリーンに映し出された時、この曲The Sound of Silence がバックで静かに流れ始め、観客に強い余韻を残します。
Hello darkness, my old friend
I’ve come to talk with you again
Because a vision softly creeping
Left its seeds while I was sleeping
And the vision that was planted in my brain
Still remains within the sound of silence
僕の古い友、暗闇よ、こんにちは
また君に会いにきちゃったよ
だって、幻影が優しく忍び寄ってきて
僕が眠っている間にその種をまいていったんだもの
だから、幻影が僕の頭の中に植え付けられて
残ったままなんだ、静寂の音の中にね
In restless dreams, I walked alone
Narrow streets of cobblestone
‘Neath the halo of a street lamp
I turned my collar to the cold and damp
When my eyes were stabbed by the flash of a neon light
That split the night, and touched the sound of silence
心休まらない夢の中で、僕はひとり歩いてた
丸石の敷かれた細い通りの上をね
街灯の光の輪の下で
じめじめとした寒さに僕は襟を立てたよ
そして、僕の目がネオンサインの煌きに突き刺された時
夜が裂かれ、静寂の音に触れたんだ
And in the naked light I saw
Ten thousand people, maybe more
People talking without speaking
People hearing without listening
People writing songs that voices never shared
And no one dared disturb the sound of silence
裸火の中に僕は見たんだ
一万人、いや、多分それ以上の人々が
話すことなく喋り
聴くことなく聞き
決して分かち合うことのない歌を書いていることを
誰もがあえて静寂の音を妨げようとしないんだ
"Fools," said I, "You do not know
Silence like a cancer grows
Hear my words that I might teach you
Take my arms that I might reach you"
But my words, like silent raindrops, fell
And echoed in the wells of silence
だから「愚か者」って僕は言ったよ「君は分かってない
癌のように浸潤する静寂のことが
僕の言葉を聞いてくれ、君に教えられるかも知れない言葉を
僕の手を取ってくれ、君に届くかも知れない手を」ってね
だけどさ、僕の言葉は空から降ってきた無音の雨粒のようなもの
静寂の井戸の中でこだまするだけなんだ
And the people bowed and prayed
To the neon god they made
And the sign flashed out its warning
In the words that it was forming
And the sign said, "The words of the prophets are written on the subway walls and tenement halls
And whispered in the sound of silence"
ところが人々は頭を垂れて祈ったね
自分たちが創ったネオンサインの神にね
すると、サインが戒めの光を放ったのさ
でき始めてた言葉を使ってさ
サインは告げてたんだ「預言者の言葉は地下鉄の壁やぼろアパートの廊下に書かれてあるぞ
預言者の言葉は静寂の音の中で囁かれるものなんだ」って
The Sound of Silence Lyrics as written by Paul Simon
Lyrics © Sony/ATV Songs LLC
【解説】
物悲しげなアコースティックギターのイントロで始まり、その後に続くPaul Simon とArthur Garfunkelの優しく透明感のある歌声が印象的なこの曲、歌詞は6行5連(スタンザ)という本格的な詩の形式で書かれていて、そこに綴られているフレーズは詩的と言うよりもむしろ文学的ですね。「ということは、この曲の歌詞も難解なんですか?」と質問したくなった方、Bingo ですよ!この曲もまた、本コーナーでこれまで何度も紹介してきた「迷曲」のお仲間なんです(汗)。今回はいつものように歌詞を紐解いていく前に、この曲のタイトルの一部となっているsilence の意味を皆さんに先ず理解しておいていただきたいので、幾つかの辞書の中からsilence の定義を紹介しておきます。
* a period without any sound; complete quiet
* a state of refusing to talk about something or answer questions, or a state of not communicating
* a state of not speaking or writing or making a noise
つまり、silence とは日本語に置き換えれば静寂(場合によっては沈黙)ということになりますね。これらのsilence の定義を頭に入れた上で、歌詞を見ていくことにしましょう。1節目、Hello darkness, my old friend というフレーズで始まるこの曲の歌詞。迷曲はやはりセオリーどおり最初からぶちかましてきますね(笑)。darkness っていったい何なのでしょう?ここで参考になるのが、このdarkness についてPaul Simon が21歳の時に語っている言葉です。
「The main thing about playing the guitar, though, was that I was able to sit by myself and play and dream. And I was always happy doing that. I used to go off in the bathroom, because the bathroom had tiles, so it was a slight echo chamber. I’d turn on the faucet so that water would run and I’d play. In the dark」
この事から考えると、この歌詞における古い友人であるdarkness というのは、人と言うよりも、外界を遮断して一人くつろげる場所のように僕は感じました。I’ve come to talk with you againですから、何度もその場所にやって来ている訳です。3行目はなぜそうするかの理由であり、a visionは夢で見た夢の内容であると理解。その見た夢に何か不穏なものを感じた主人公はdarknessに再び会いにやって来てしまったのでしょう。そして6行目に出てくるのが、この曲のタイトルであるのと同時に最大の謎でもあるthe sound of silence という言葉。前述のとおりsilence というのはa period without any sound ですから、音は存在しない世界です。となると、sound of silence は音のない世界にある音ということになって矛盾します。が、僕はこの矛盾の中にsound of silence の意味が存在していると理解しました。「矛盾」という言葉は異なる状況を論理的に描写した際に使いますが、それを心理的に描写した場合は「葛藤」という言葉に変わります。つまり、sound of silence は葛藤する自分の心であるというのが僕の結論であり、その心の葛藤から何が生まれているのかというと、それは「孤独」なのです。ここで言う孤独とは寂しさといったものではなく他人との距離感であり、だからこそwithin という言葉が使われているのではないでしょうか。
第2節も、ものすごく難解です。In restless dreams で始まっているからには、夢で見た内容を語っているのでしょう。細い石畳の通りの上を一人歩く主人公の前に街灯が現れ、その街灯の下にhalo が浮かび上がっているといった感じですかね。Halo というのは聞き慣れない単語ですが、これは後光のような光の輪のことで5節目のthe flash of a neon light につながっていくものだと僕は考えました(neon light は日本で言うところのネオンサインと同じ意味で使われていると考えた方が分かり易いです)。4行目のI turned my collar to the cold and damp を聞いて僕の頭に浮かんだのは、主人公が寝床で夢の中に出てきたhalo にうなされている様子で、そのhalo が突然、the flash of a neon light に変わってmy eyes were stabbed by the flash of a neon light that split the nigh(主人公に衝撃を与える)ことになったのではないかと推察します。なぜ衝撃を受けたのかというと、それを目にしたことで強烈な孤独を感じた(touched the sound of silence)からで、その衝撃を与えたthe flash of a neon light がいったい何であったのかが語られているのが第3節ですね。第3節1行目のthe naked light は、halo とthe flash of a neon light の延長線上にあるもの、つまり同じ根を持つ光であり、主人公が目にしたのは、多くの人々(Ten thousand people, maybe more は勿論、実際の数ではなくその比喩です)が、talking without speaking、hearing without listening、writing songs that voices never shared(話をしても誰も話を聞いてくれないし、そもそも分かり合えることもない)という光景であり、no one dared disturb the sound of silence(孤独があちこちで広がっているのに誰もそれを止めようともしない)ことに主人公は衝撃を受けたのです。第4節の最初に主人公がそんな人たちに向かってFoolsと嘆いているのはそれが理由です。第4節では、1行目You do not know から4行目のI might reach you までがひとつのフレーズであることに注意してください。You do not know silence like a cancer grows は、気付かぬうちにどんどんと広がる孤独ってもののことが君は分かっちゃいない。Hear my words that I might teach you とTake my arms that I might reach you は、それを分からせようとする主人公の努力ですね。ですが、結局、その努力が報われることはないようです。But my words, like silent raindrops, fell. And echoed in the wells of silence はそのことの描写でしょう。自分の声は誰の耳にも届かないってことの暗喩ですね。
そして最後の第5節。ここも滅茶苦茶難解です(汗)。1行目のthe people は、第3節に出てくるpeopleと同じ人たちのことなんでしょうが、なぜ彼らが跪いて祈ったのかの理由がまったく分かりません。しかも、the neon god に対してですよ。なんですか?ネオンの神って?(笑)。あくまでも僕の感覚でですが、ここまでの歌詞の中でneon light が何であるのかを考えてみた場合、それが意味しているのは主人公が夢の中で見た恐ろしい世界(現実)ということなのであろうというのが僕の結論で、the people bowed and prayed to the neon god they madeを何度も聴いているうちに僕の頭に浮かんできた情景は「人間が自ら作り出した恐ろしい現実の前で、人々が自分たちは間違っていましたと許しを請うている」みたいなものでした。4行目のIn the words that it was formingは、スイッチを入れたネオンサインに光が灯って徐々に言葉が浮かび上がってくるような様子でしょうか。そして、その現実は同時に彼らを戒めます。どう戒めたのかというと「The words of the prophets are written on the subway walls and tenement halls. And whispered in the sound of silence」とです(tenementなんて言葉を使う人は見たことないですが、これは昔、apartment と同じ意味で使われていた単語で、後にスラム街を意味するようにもなりました。hallはアメリカではcorridor と同じ意味で使われます)。僕はThe words of the prophet を神の啓示、即ち人が進むべき正しき道へのヒント(神の啓示=正しい道なんて僕はこれっぽっちも思っていませんので誤解なきようお願いします(笑)。あくまでも西洋人の目線で考えた場合のたとえですので)、the subway walls and tenement halls を身近な場所と考え、この戒めの言葉をこう理解しました。「人が進むべき道へのヒントは身近なところにある。孤独(自分)と向き合えば聞こえてくるだろう」と。
まあ、迷曲たるこの曲には当然、様々な解釈が存在してますので、僕の解釈も迷解釈のひとつとご理解ください。それでは最後に、1966年にテレビの生放送でこの曲を演奏する際、演奏に入る前に曲の紹介としてPaul Simon が聴衆に向かって語った言葉を紹介してこの回を締め括りたいと思います。
「One of the biggest hang-ups we have today is the inability of people to communicate, not only on an intellectual level, but on an emotional level as well. So you have people unable to touch other people, unable to love other people. This is a song about the inability to communicate. It’s called, “The Sound of Silence”・ 僕たちが今日抱えている大きな悩みの種のひとつは、人々のコミニケーション能力のなさです。知的な会 話のレベルでだけでなく、感情表現のレベルででもそうですから、人々は他の人に触れることもできないし、 他の人を愛することもできなくなってきてる。この歌はそんなコミニケーション能力のなさについてのもの で、タイトルはThe Sound of Silenceと言います」
【第54回】Rock Around the Clock / Bill Haley & His Comets (1954)
日本の音楽界で「オールディーズ」と言えば、大抵の場合、1950年代から60年代にかけての古き良きアメリカでヒットしたロックンロールのことを指しますが、今回お届けするのはそのオールディーズの代表曲のひとつで、映画「American Graffiti(アメリカン・グラフィティ)」のオープニングシーンに使われたBill Haley & His Comets のRock Around the Clock。その新しく生み出されたメロディーラインによって全米に衝撃を与えた大ヒット曲です。「Rock Around the Clock と言えば、映画「Blackboard Jungle」でしょうよ」と仰る方、それも正解です!でも、僕の中では断然、Rock Around the Clock=American Graffiti なんですよねー。と言うのは、American Graffiti も先に紹介したMidnight Cowboy と同じく、テレビの「名作洋画ノーカット10週」で初めて見たんですけど、その時に僕が受けた衝撃が相当なものだったからなんです(←そんな個人的理由かよ・笑)。いったい何に衝撃を受けたのかというと、大型のど派手なアメ車を乗り回し、ダンスパーティーでロックンロールに興じ、ローラースケートを履いたウエイトレスのいる洒落たダイナーで深夜にハンバーガーやドーナッツをぱくつく映画の登場人物たちがみんな高校生で、しかも映画の舞台設定が1962年(僕がテレビでこの映画を見たのは1984年)ということにでした。雨の日も風の日もママチャリを毎日30分こいで高校に通っていた当時の僕は「自分が生まれる前の時代から既にアメリカはこんな国だったのか…。こんな場所で青春を過ごせたらなぁ…」と純粋に憧れた訳です。いわゆる「古き良きアメリカ」というやつがこの映画に描かれていたのですが、それが白人による白人の為の白人の社会であることを、当時はまだ世間知らずだった僕が気付くことは残念ながらありませんでしたので、この映画を見てとても感動したんですね(汗)。あれから年月を経た今だから分かりますが、American Graffiti の監督であるジョージ・ルーカスがasshole の極みであるドナルド・トランプを支持するような人間と同じ思想の持ち主であるなどとは思えないものの、トランプを熱狂的に支持している白人たちの求める社会とこの映画の根にあるものは同じのような気がします。実際、American Graffiti はエキストラも含め、出てくるのはほとんど白人。この映画に白人の役者しか使わなかったという訳ではなく、当時のアメリカ社会を白人の視線から描けば必然的にそうなったということで、映画「Back to the Future」なんかも同じパターンですね。「古き良きアメリカ」にとって、アジア人や黒人はお呼びでない存在であることを覚えておいて損はないと言えるでしょう。最初にRock Around the Clock を聴いた時、歌っているのも演奏してるのもChuck Berry みたいな黒人たちだと僕は勝手に思い込んでしまったんですが、Bill Haley は白人で、そのバックバンドのComets のメンバーも全員白人であることをあとになって知って驚いた記憶があります(この曲を作詞作曲したMaxFreedman とJames Myers も白人)。「黒人音楽に憧れてその真似を始めた白人ミュージシャンたちのレベルがついに黒人に追いついたばかりか、リズム&ブルースよりさらに進化してしまった」って感じのこの曲、世界中で大ヒットし、売れたシングル・レコードは2千5百万枚とも言われていて一時期はギネスブックにも登録されていたらしいです。
One, two, three o’clock, four o’clock rock
Five, six, seven o’clock, eight o’clock rock
Nine, ten, eleven o’clock, twelve o’clock rock
We’re gonna rock around the clock tonight
1、2、3時、4時もロック
5、6、7時、8時もロック
9、10、11時、12時もロック
そうさ、俺たちは今晩、夜通しロックするんだ
Put your glad rags on, join me hon’
We’ll have some fun when the clock strikes one
なあ、彼女、洒落た服着て、俺と一緒に行こうぜ
1時になったらお楽しみの始まりさ
We’re gonna rock around the clock tonight
We’re gonna rock, rock, rock ‘til broad daylight
We’re gonna rock, gonna rock around the clock tonight
そうさ、俺たちは今晩、夜通しロックするんだ
真っ昼間までロック、ロック、ロックするんだ
俺たちはロックするんだ、今晩は一晩中ロックだぜ
When the clock strikes two, three and four
If the band slows down we’ll yell for more
2、3、4時になって
バンドの連中の勢いが落ちたら、俺たちが喝を入れてやる
We’re gonna rock around the clock tonight
We’re gonna rock, rock, rock ‘til broad daylight
We’re gonna rock, gonna rock around the clock tonight
だって、俺たちは今晩、夜通しロックするんだから
真っ昼間までロック、ロック、ロックするんだ
俺たちはロックするんだ、今晩は一晩中ロックだぜ
When the chimes ring five, six and seven
We’ll be right in seventh heaven
5、6、7時の鐘が鳴りゃあ
俺たちはもう最高の気分になってるさ
We’re gonna rock around the clock tonight
We’re gonna rock, rock, rock ‘til broad daylight
We’re gonna rock, gonna rock around the clock tonight
だって、俺たちは今晩、夜通しロックするんだから
真っ昼間までロック、ロック、ロックするんだ
俺たちはロックするんだ、今晩は一晩中ロックだぜ
When it’s eight, nine, ten, eleven, too
I’ll be goin’ strong and so will you
9、10、11時になりゃあ
俺はもう怖いものなしだろうな。おまえだってそうなるさ
We’re gonna rock around the clock tonight
We’re gonna rock, rock, rock ‘til broad daylight
We’re gonna rock, gonna rock around the clock tonight
だって、俺たちは今晩、夜通しロックするんだから
真っ昼間までロック、ロック、ロックするんだ
俺たちはロックするんだ、今晩は一晩中ロックだぜ
When the clock strikes twelve we’ll cool off then
Start rockin’ around the clock again
12時になりゃあ、俺たちもようやくクールダウンだ
だって、ロックな一日がまた始まるからな
We’re gonna rock around the clock tonight
We’re gonna rock, rock, rock ‘til broad daylight
We’re gonna rock, gonna rock around the clock tonight
そうさ、俺たちは今晩、夜通しロックするんだ
真っ昼間までロック、ロック、ロックするんだ
俺たちはロックするんだ、今晩は一晩中ロックだぜ
Rock Around the Clock Lyrics as written by Max Freedman, James Myers
Lyrics ©Myers Music Inc, Capano Music
【解説】
1954年にアメリカでリリースされた当初、Rock Around the Clock は世間の注目をまったく浴びることのない曲だったのですが、映画「Blackboard Jungle」のオープニングシーンの挿入歌として採用され、翌年に全米で映画が公開されるや瞬く間に爆発的ヒットを記録。ラジオのチューニングをどの局に合わせても、流れているのはこの曲ばかりという状態にさえなったそうです。今では常識となったエレキギターとサックスの音色が織り成すアップビートなこの曲のメロディーラインは、まさしく元祖ロックンロールという言葉がぴったり。ですが、歌詞の方はと言うと、なんか早口言葉みたいなフレーズが並んでいるユニークなもので、クールではなくファニーなんですよね(笑)。その面白い歌詞、とても簡単な英語で書かれているので、ほとんど解説不要。なので、ぱぱっと見ていきましょう。
第1節は解説の必要なし(笑)。曲のタイトルにもなっている4行目のaround the clock は、時計の時針がぐるりと一周(つまり、12時間の時間経過)する様から転じて「休みなく」とか「絶え間なく」とか、なぜだか「24時間ぶっ通しで(24時間だと時針は2周なんですが)」の意味で使われるようになった形容詞です。第2節1行目のglad rags はお洒落な服という意味で使われる古いスラング。hon’はhoney の略。2行目のthe clock strikes one のone は昼の午後1時ではなく深夜の1時です。第3節から9節までのフレーズも解説不要。10節目のWhen the clock strikes twelve we’ll cool off then. Start rockin’ around the clock againは、思わず吹き出してしまいますね。こんな生活を毎日繰り返していたら間違いなく死にますよ!(笑)。と、これにて歌詞の解説は終了。このコーナーでの最短記録達成です!
こうやってRock Around the Clock の歌詞をあらためて眺めてみると、この曲の歌詞の内容も映画のストーリーにばっちりはまっていて、American Graffiti のオープニングで使われたのも納得ですね。因みにAmerican Graffiti のサントラは、彦摩呂風に言うと「オールディーズの名曲が詰め込まれた宝石箱やぁ~」みたいなレコードですので(LP2枚組、ジャケットもお洒落)、オールディーズに興味を持ったという方がいらしたら一度聴いてみてください。余談ですが、American Graffiti、映画の方は低予算で作られたこともあって興行的には大成功という結果に終り、American Graffiti に出演したリチャード・ドレイファスやロニー・ハワード、チャールズ・マーティン・スミスといった当時無名同然だった若い俳優たちがこの映画から羽ばたき、後に実力派俳優となるまでに育っていきました。劇中、無名時代のハリソン・フォードもちょい役で出演してますので、映画を見る機会があれば探してみてください。
【第55回】Night Fever / Bee Gees (1977)
1970年代にABBAやEarth, Wind & Fire といったグループのダンサブルな曲と共に巻き起こったアメリカでのディスコブーム。そんな最中に公開されたジョン・トラボルタ主演の映画「Saturday Night Fever(サタデー・ナイト・フィーバー)」は世界中で人気を博し、映画の挿入歌として使われたBee Gees のNight Fever も大ヒット。日本でもダンスブームという社会現象を引き起こしました。曲のタイトルからして当然、このNight Fever という曲は映画の製作に合わせて作れたものだとずっと思っていたのですが、今回、この曲の解説を書くためにいろいろと調べていたところ、出くわしたのが2007年にテレビ番組のインタビューに答えるBee Gees の映像。その番組の中でBee Gees のメンバーが語っていたのは、Saturday Night Fever のサウンドトラックに関する意外な事実でした。Saturday Night Fever の撮影が始まっていた1975年、フランスのパリ近郊の古城内に設えられた音楽スタジオで新しいアルバムの製作に励んでいたBee Gees のもとにロサンゼルスからかかってきた1本の国際電話。受話器から響いたのは「今、Tribal rites of saturday night っていうダンス映画を撮ってるんだけど、この映画に使う曲を作って欲しい」という彼らのマネージメントを担当していたRobert Stigwood の声だったそう。ですが、Bee Gees のメンバーのRobin Gibb は、その電話がかかってきた時、後に映画の挿入歌となるNight Fever やStayin’ Alive、More Than a Woman といった曲は既にスタジオで完成していて、映画用の新しい曲を作る時間もなかったので、映画の内容も良く知らないままにそれらの曲をStigwood のもとへ送ったと番組の中で証言していました。つまり、Saturday Night Fever のサントラに収録されている名曲の多くは、映画の為に作られたものではなかったということなんですよね。映画のタイトルも「Tribal rites of saturday night なんてダメだ。映画に使ってもらいたい曲の中にNight Fever って曲があるから、それに合わせたらどうだ?」というBee Gees のアドバイスによってSaturday Night Fever に変更されたとのこと。つまり、映画の方が当初のタイトルを捨てて曲のタイトルに合わせた訳です。なかなか興味深い話ですよね(まあ、誰が見てもTribal rites of saturday night ってなタイトルはイケてなさ過ぎですが・笑)。日本でもこの曲は1978年の映画の公開と共に大ヒットし、映画のストーリーからフィーバーを「ディスコで踊って熱狂する」という風にとらえた日本人は、そこから転じて「興奮する、はじける、はっちゃける」という意味で「フィーバー」という言葉を使い始め、マスゴミがそれを煽ると瞬く間に日本語の中に定着することになりました。ですが、今の若い人はフィーバーなんてダサい言葉、使いませんよね(ダサいも使いませんか?汗)。この映画が公開された頃は僕もまだ中学生。フィーバーをフェーバー、ディスコをデスコとしか発音できなかった世のおじさんたちを見て面白がっていたことが懐かしく思い出されます(笑)。Listen to the ground
There is movement all around
There is something goin’ down
And I can feel it
On the waves of the air
There is dancin’ out there
If it’s somethin’ we can share
We can steal it
フロアーに耳を傾けてみな
そこら中で動いてるよな
何かが起こってる
俺はそれを感じるんだ
漂う空気が波のように揺れる中さ
そこにあるのはダンスなのさ
それがみんなの求める何かなのならさ
真似しちゃえばいいんだ
And that sweet city woman, she moves through the light
Controlling my mind and my soul
When you reach out for me, yeah, and the feelin’ is right
あのイカした都会の女、彼女はスポットライトを浴びて踊りまくりだ
俺の心と魂を支配しながらね
彼女が俺を求めるなら、そう、その思いは間違っちゃいないんだ
Gimme that night fever, night fever
We know how to do it
Gimme that night fever, night fever
We know how to show it
俺に夜の熱気を吹き込んでくれ、夜の熱気をな
どうやるかは分かってるから
俺に夜の熱気を吹き込んでくれ、夜の熱気をな
どう魅せるかは分かってるから
Here I am
Prayin’ for this moment to last
Livin’ on the music so fine
Borne on the wind, makin’ it mine
俺はここにいるぜ
この瞬間が続くことを願いつつ
イケてる音楽と共に生きてる俺がさ
神々しい香りを放つ君を、俺はものにするのさ
Night fever, night fever
We know how to do it
Gimme that night fever, night fever
We know how to show it
夜の熱気さ、夜の熱気なんだ
どうやるかは分かってるから
俺に夜の熱気を吹き込んでくれ、夜の熱気をな
どう魅せるかは分かってるから
In the heat of our love, don’t need no help for us to make it
Gimme just enough to take us to the mornin’
I got fire in my mind, I get higher in my walkin’
And I’m glowin’ in the dark, I give you warnin’
愛の熱気の中じゃ、二人がひとつになるのに助けなんて要らない
一緒に朝まで過ごす熱気を吹き込んでくれればいいんだよ
心に魂の焔が宿り、歩みの中で俺の気分は高揚するんだよ
だから、暗闇で輝く俺には気をつけなよ
*このあとは同じフレーズの節が続くだけなので省略。最後にGimme that night fever, night fever. We know how to do it とGimme that night fever, night fever. We know how to show it を連呼して曲は終わります。
Night Fever Lyrics as written by Maurice Ernest Gibb, Robin Hugh Gibb, Barry Alan Gibb
Lyrics © Warner-Tamerlane Pub Corp, Crompton Songs LLC, Universal Music-Careers, Universal Music Publ. Mgb Ltd
【解説】
この曲を作詞作曲して歌ったBee Gees は、Barry Gibb、Robin Gibb、Maurice Gibb の3兄弟が1958年にオーストラリアで結成したポップソングのグループで、その後、活動の場をアメリカに移しました。世界中で売れた彼らのレコードの枚数は少なく見積もっても1億枚、実際には2億枚に達したとも言われています。こんな数字になってくると、もう訳が分からないというか、いったい印税がどれくらいの額になるのか気になって仕様がないですね(←そこかよ・笑)。実はこの3人、オーストラリア出身ではなく英国のマン島生まれで、少年期に両親と共にオーストラリアへ移住しました。因みにこのマン島、英国本土とアイルランドの間に浮かぶ日本の淡路島とほぼ同じ大きさの島なんですが、英国の島でもなくアイルランドの島でもないという特殊な島。じゃあ、どこの島なのかというと「Crown dependency」と言って、英国王室の直属領なんです。21世紀の今になっても尚、江戸幕府の天領(幕府直轄領)みたいなものが存続しているのですから、驚きというか、時代錯誤も甚だしいですよね(笑)。そのような地なので、マン島は主権国家ではありませんが自治権を持ち(但し、マン島生まれの住民は全員、英国の市民権を持ってます)、マンクス・ポンドという独自の通貨(イギリス・ポンドと対価)やマンクス・パスポートという独自の旅券を発行しています。なぜそんなことになったのかというのは話が長くなりますので、興味を持った方は各自で英国史を読んでみてください。ではでは、雑談はこれくらいにしておいて歌詞を見ていきましょう。
冒頭で述べたとおり、この曲の歌詞は映画の為に作詞されたものではなかったとは言え、ディスコブームの中で作られたものであり、歌詞を一読してみると、歌詞のテーマが夜のダンスシーンにあることに変わりはなかったので、第1節1行目のground は、ディスコのダンスフロアー、2行目のmovement は、フロアーの上で踊る若者たちのステップであると理解しました。If it’s somethin’ we can share. We can steal it は、フロアーの上で踊られているダンスの中に何かビビっとくるようなダンスを見つけたら、同じように真似て踊ればいい(パクってしまえ)ということでしょう。2節目を聴いて目に浮かぶのは、ディスコのフロアーの上でスポットライトを浴びてキレキレのダンスを披露する女性とその姿に魅了されて彼女にぞっこんになっている主人公の男性の姿。彼女に夢中になるのは勝手ですが、When you reach out for me, yeah, and the feelin’ is right は自信過剰の極みですね(笑)。第3節に出てくるGimme はgive me の口語表記で、Gimme that night fever, night fever は「彼女にアタックしたいから俺の背中を押してくれ」という風に僕には聞こえました。勿論、彼女へのアタックは言葉による口説きではなく、彼女と二人で踊り、自分のダンスを彼女の目の前で披露することが主人公にとってのアタックです。だから、そうなった時にはWe know how to do itやWe know how to show it、つまり「お互いどう踊ればいいのかは分かってるだろ」と言っているのでしょう。
第4節はちょっと難解。1行目から3行目まではいいとして、問題は4行目のBorne on the wind, makin’ it mine ですね。Borne はbear の過去分子で、bear には様々な用法がありますが、ここでは何かが風に吹かれて運ばれてくるという感じでしょうか。何が風に吹かれているのかが分からず悩みましたが、その答えはRoy Orbison の同名の曲の中にあるのではないかと思って調べてみたところ、歌詞の中にBorne on the wind is the fragrant scent of God というフレーズを見つけました。つまり、風に吹かれているのは神のかぐわしい香りであり、それがフロアーの上で踊る彼女の魅力(=彼女そのもの)の暗喩であると考えれば、その後のmakin’ it mine にばっちりつながりますね。さらに深読みして、makin’ it mine も、モノにするというよりも、同じくRoy OrbisonのBorne on the Windの歌詞の中に出てくるYou don’t love, but you love for me to be,will be love with you に近い感情なのではないのかなとも思ったりもしていますが、あくまでもいつものとおり、個人の見解です(汗)。5節目は第3節と同じフレーズの繰り返し。6節目を聴くと、どうやら主人公のアタックは成功しそうな雰囲気ですね。ただ、4行目のAnd I’m glowin’ in the dark, I give you warnin’は、またまた自信過剰。この主人公の男は自分が相当イケてる男だと思っているようで、ディスコのフロアーの上で踊りまくってドヤ顔で決めポーズを取る劇中のジョン・トラボルタの姿と奇しくも重なります(笑)。以上、Bee Gees のNight Feverでした!
「あれっ?今回は映画の本編についての話は無いんですか?」とか言わないでください。この解説を書く為 に久し振りにSaturday Night Fever を見てみましたが、映画についてはノーコメント。「トラボルタ、わけ ぇ~」という感想くらいしかありません(笑)。
【第56回】My Generation / The Who (1965)
アメリカ映画で使われた曲がずっと続いてきましたので、ここらで1曲イギリス映画で使われた曲も紹介しておきましょう。1979年に公開された映画「Quadrophenia」の挿入歌であるThe WhoのMy Generation です。Quadrophenia だなんて、なんだか学術用語風の小難しそうな映画のタイトルですが、これは「四重人格」という意味で、ビートルズやローリング・ストーンズと並ぶイギリスの偉大なバンドThe Who が1973年にリリースしたロック・オペラとでも呼ぶべき大作のアルバムQuadrophenia(60年代のロンドンで暮らすジミーという多重人格に苦しむmod の青年の心の葛藤が歌詞の中に物語風に散りばめられているアルバムです)をベースにこの映画が製作されたことから同じ名のタイトルになっています(邦題は相変わらず「さらば青春の光」なんていう意味不明なものに変えられていますね・汗)。mod(日本で言うところのモッズです)はmodernist の略で、60年代に英国の若者の間で一世風靡したサブカルチャー。カスタムを施したベスパやランブレッタの大型スクーターを乗り回し、米軍払い下げのパーカー(M1951 Parka)を着ていることが見た目の特徴でした。実はこのMy Generation という曲もまた、ここまでの映画音楽特集で紹介してきた曲と同様、映画の為に作られたものではない曲で、Quadrophenia の撮影が始まるよりずっと以前の1965年にリリースされていた曲なんですが、時代背景が同じなので、曲の歌詞がQuadrophenia という映画の中に違和感なく溶け込んでいます(と言っても、劇中、mod が集うパーティーのシーンでちらっと流れるだけなんですが)。映画自体は1960年代半ばにロンドンで時を過ごしたmod の若者たちの無軌道な青春(mods と対立するカフェレーサー風のバイクと黒の革ジャンが特徴のrockers との連日の乱闘騒ぎや麻薬の乱用、道徳観念の低下など)がリアルに描かれていてなかなか味のあるもので、ポリスのスティングもmod のリーダー役で出演しています(演技はダイコンですが・笑)。最初から最後まで全編を通してThe Who の曲が次々と流れるこの映画、音楽ビデオとしても楽しめますので「そんな映画知らない」という方は、一度ご覧になってみてください。People try to put us d-down
(Talkin’ ‘bout my generation)
Just because we get around
(Talkin’ ‘bout my generation)
Things they do look awful c-c-cold
(Talkin’ ‘bout my generation)
I hope I die before I get old
(Talkin’ ‘bout my generation)
世の連中は俺たちを、こ、こきおろす
(俺の世代のことを言ってんだぜ)
だって、俺たちはあちこち動き回るからな
(俺の世代のことを言ってんだぜ)
連中がやることは、つ、つ、冷たい仕打ちに思えるよな
(俺の世代のことを言ってんだぜ)
歳取る前に死んじまえたらいいんだけどな
(俺の世代のことを言ってんだぜ)
This is my generation
This is my generation, baby
これが俺の世代なのさ
そう、俺の世代なんだよ
Why don’t you all f-f-fade away
(Talkin’ ‘bout my generation)
And don’t try to dig what we all s-s-say
(Talkin’ ‘bout my generation)
I’m not tryin’ to cause a big s-s-sensation
(Talkin’ ‘bout my generation)
I’m just talkin’ ‘bout my g-g-g-generation
(Talkin’ ‘bout my generation)
どうしてあんたらみんな、き、き、消え失せてくれねえんだ
(俺の世代のことを言ってんだぜ)
俺たち皆が、い、い、言ってることを理解しようとなんてするなってんだ
(俺の世代のことを言ってんだぜ)
俺は、お、お、大騒ぎを起こそうとしてるんじゃねえさ
(俺の世代のことを言ってんだぜ)
俺はただ、俺の、せ、せ、せ、世代のことについて話してるだけさ
(俺の世代のことを言ってるんだ)
My generation
This is my generation, baby
My, my, my, my, my ge—
俺の世代
そう、これが俺の世代なんだよ
俺、俺、俺、俺、俺の、せ…
Why don’t you all f-fade away
(Talkin’ ‘bout my generation)
And don’t try to d-dig what we all s-s-s-s-s-say
(Talkin’ ‘bout my generation)
I’m not tryin’ to cause a big sensation
(Talkin’ ‘bout my generation)
I’m just talkin’ ‘bout my g-generation
(Talkin’ ‘bout my generation)
どうしてあんたらみんな、き、き、消え失せてくれねえんだ
(俺の世代のことを言ってんだぜ)
俺たち皆が、い、い、い、い、い、言ってることを、り、理解しようとなんてするなってんだ
(俺の世代のことを言ってんだぜ)
俺は大騒ぎを起こそうとしてるんじゃねえさ
(俺の世代のことを言ってんだぜ)
俺はただ、俺の、せ、世代のことについて話してるだけさ
(俺の世代のことを言ってんだぜ)
This is my generation
This is my generation, baby
これが俺の世代なのさ
そう、俺の世代なんだよ
*このあと第1節の歌詞を繰り返し、アウトロでTalkin’ ‘bout my generation とThis is my generation を連呼して曲は終了。
My Generation Lyrics as written by Peter Townshend
Lyrics © Devon Music
【解説】
硬質なギターの音色とbloody lunatic なドラマーKeith Moonのドラムの乱れ打ちで始まるMy Generation、そのあともギターとベースが交互にバトルをするかのような演奏が続きますが、ギターを演奏しているのはこの曲を作詞作曲した天才肌のPeter Townshend(タウンゼントと発音します。アクセントはタにあり、トはドに近いトです)。この人のギター演奏はとても上手いですね。John Entwistle のベースの音色もギターに負けないパンチ力があり、ロックの曲でベースのソロ演奏のパートが登場したのはこの曲が最初のようです。My Generation を元祖パンク・ロックと位置づける向きもあるようですけども、ギターのコードを3つくらいしか使わない、と言うか3つくらいのコードしか弾けない技量の無いパンク・バンドの粗末な演奏と 比べれば、演奏技術に天と地の差がありますので、両者は全くの別モノです(怒)。それと、この曲を聴いて誰もが気付くのはボーカルのRoger Daltrey のstuttering(吃音)を交えた歌い方ですね。なぜそのような歌い方をしたのかについては様々な説があるようですが、最初のレコーディング時にRoger Daltrey が緊張のあまりstuttering 気味で歌ってしまい、このstuttering 部分は残しておいた方が面白いということになって、最終的にはstutteringを敢えて強調して収録したというのが真相のようです。なぜ残しておいた方がいいということになったのかと言うと、stutteringに若者の怒りや苛立ちが強調されるように響く効果があることに気付いたからで、実際そのとおりの効果を生みました。因みにイギリスの国営放送であるBBCは当初、stutterer (吃音者)に配慮してこの曲を放送禁止にしていましたが、曲のstuttering 部分がstutterer に対する侮辱ではないことを理解して後に解除しています。さて、そんな曲の歌詞ですが、使われているのは中学校レベルの単語だけ。しかも、内容的に難解な部分も皆無。楽勝の解説になりそうですよ!(嬉)。
1節目、英語の用法についての解説が必要な部分はありませんね。強いて言えば ‘bout くらいで、これはabout のこと。2行目のwe get aroundからは、mod やrocker の連中がスクーターやバイクにまたがって、街中をあてもなく意味もなく走り回っているいるような光景が目に浮かびます。3行目のThings they do look awful cold は、Townshend が子供の頃、彼の家の前には1935年製パッカードの霊柩車が置いてあって、いつもその傍を通って行く英国の王室関係者が霊柩車を見て気分を害し、警備担当者に命じて車を移動させたことにインスパイアーされたらしいです。なので、ここの歌詞は「大人は勝手なことしかしない冷たい連中だ」ということなのだと僕は受け止めました。4行目のI hope I die before I get old は、青春真っ只中の多感な若者が一度は思うフレーズですね。もう少し文を補足して言うと「あんな糞みたいな大人どもになるくらいなら、大人になる前に死にたい」ということです。第2節も解説不要。第3節1行目のWhy don’t you all fade away は、その糞みたいな大人たちへ向かって言っているのでしょう。皆さんの中にも、思春期の頃「おまえたち大人はみんな消えてくれ」なんて思ったことが一度や二度ある方は多いのではないでしょうか。2行目のdon’t try to dig what we all say も「どうせあんたたち(大人たち)に話しても理解できる訳がないんだから、最初から理解しようとなんてするな」と言っているのだと受け止めました。このあとの第3節から5節までも解説の必要なし。
以上、これにて本日の解説は終了。マンモスうれピー!(笑)
【第57回】Flashdance… What a Feeling / Irene Cara (1983)
1983年に公開された映画「Flashdance」は、テレビのMTV人気に乗じてミュージック・ビデオ・スタイルという映画の新しいジャンルを生み出しましたが(Footloose やPurple Rain, Top Gun といった作品が後に続きました)、今回紹介するのはその挿入歌として作られ、映画の公開と共に日米で大ヒットしたIrene Cara の「Flashdance… What a Feeling」です。単にFlashdance と呼ばれることが多いこの曲、長ったらしい方が正式なタイトルで、米国ビルボード社の同年の年間ヒットチャートで3位にランクインしました。出だしで「挿入歌として作られ」と書いたとおり、この曲の歌詞はFlashdance の音楽担当を任されたGiorgio Moroder から曲の作詞依頼を受けたKeith Forsey とIrene Cara(この曲を歌ったヒスパニック系の歌手)が、完成した映画に目を通して書き上げたものなので、歌詞の内容は映画のストーリーに沿ったものになっています。じゃあ、本コーナーの第1回で取り上げた「Call Me」みたいに、映画の本編を見ないと歌詞の内容を理解するのが難しいのかというと、そうでもありません。見なくても大丈夫ですし、お薦めもしません(ノーコメント級の映画ということですね・笑)。前々回に紹介した映画Saturday Night Fever では、劇中でトラボルタが踊り狂うシーンのダンスの振り付けをする際、まだNight Fever やStayin’ Alive の曲が届いていなかったことからBoz Scaggs の曲なんかを使って振りを付けていたらしいんですが、この映画Flashdanceも曲は撮影終了後に作られたものですから、撮影時はいったいどんな曲を使って振りを付けていたのかが気になるところ。でも、この映画のダンスシーンの映像と後から作られたFlashdance… What a Feeling の音は見事にマッチしていますので、やはりプロの編集技術というのは大したものです。映画Flashdance がヒットした際、日本ではジャズダンスのブームが起こり、主人公のアレックス役を演じたJennifer Beals を真似てレオタードとレッグウォーマーに身を包み、ダンス・スタジオで踊りの練習に励むにわかダンサーがあちこちで急増したんですが、残念ながら、レオタードとレッグウォーマーは日本女性の体型には全く似合ってませんでしたね(汗)。もうひとつ付け加えておくならば、ブレークダンスと聞いてそれがどのようなダンスであるのか分からないという日本人は、今では老人たちくらしかいないと思いますが、多くの日本人がブレークダンスなるものを初めて目にしたのがこの映画でした。First, when there’s nothing, but a slow glowing dream
That your fear seems to hide deep inside your mind
All alone, I have cried, silent tears full of pride
In a world made of steel, made of stone
最初、何もない時、夢ってのはゆっくりと煌こうとしてるんだよ
怖くて心の奥底に閉じ込めてるように思える夢がね
ひとりぼっちのあたしは泣いたわ、誇りに塗れた涙を静かに流して
鋼鉄で出来た世界、鉱石で出来た世界でね
Well, I hear the music, close my eyes, feel the rhythm
Wrap around, take a hold of my heart
でもさ、音楽を聴き、目を閉じ、リズムを感じれば
リズムが身体にまとわりついて、やる気が出てくるの
What a feelin’, being’s believin’
I can have it all, now I’m dancing for my life
Take your passion, and make it happen
Pictures come alive, you can dance right through your life
あー、最高よ、生きるって信じることなのね
すべてが望みどおりよ、だって、あたしは今、自分の為に踊ってるんだもの
情熱で生きて、実現させるの
夢は現実のものになるの、これからもずっと踊れるんだもの
*このあとは同じ歌詞の繰り返しが続くだけなので省略します。
Flashdance…What a Feeling Lyrics as written by Giorgio Moroder, Keith Forsey, Irene Cara
Lyrics © WB Music Corp, Sony/ATV Harmony
【解説】
Flashdance…What a Feeling のシングルカットの演奏時間は約4分ありますが、間奏やコーラスが多く、歌詞も同じフレーズの繰り返しなので、実質的な歌詞は驚くほど短いです。歌詞の英語も特に難しい単語や構文は使われておらず比較的分かり易いものになっていますので、今回もちゃちゃちゃっと見ていきましょう。
第1節2行目のthat は1行目のdream を受けていますので「不安や怖れが心の奥底に隠そうとしていたように思える夢」ということです。4行目のIn a world made of steel, made of stone。ここの部分だけは映画を見ていないと「何のことを言ってるのかさっぱり分からない」ということになってしまいますね。実はこの映画の主人公、昼はペンシルベニア州ピッツバーグ(かつてはアメリカの鉄鋼の半分を生産していた街)の製鉄所で溶接工として働き、夜は近所のナイトクラブでダンサーをしながらプロのダンサー養成所のオーディション突破を目指しているという設定なんです。なので、In a world made of steel, made of stone は彼女の昼の職場の比喩と考えて間違いないでしょう。stone はiron ore 鉄鉱石の言い換えだと思います。第1節を聴いて目に浮かぶのは、夢を追って努力はしてるんだけども、なかなか芽が出ないことを仕事中に悲観している主人公の姿ですね。2節目、I hear the music 以下の文はすべて主語のI が省略されていますので、I を補足すれば簡単に理解できます。2行目のWrap around は何をwrap したのかというと、それはthe rhythm であり、続くI take ahold of my heart は直訳すれば「自分で自分の心を掴む」ですから、このように訳しました。どうやら、主人公は成功する為の何かを掴んだようで、その感情を爆発させるのが続く第3節。最初に出てくるWhat a feelin’は、曲のタイトルにもなっていますが、僕の感覚では「あー、最高!」とか「あー、気分がいい!」という感じの表現。そのあとのbeing’s believin’はto be is to believe ということです。2行目のhave it allは「欲しい物を全て手に入れる」とか「望みを全てかなえる」という意味で使われる慣用句で、3行目のTake your passion は「情熱を持て」と言うよりも「情熱で生きろ」という感じですかね。4行目のPictures come alive は、このあとに流れるコーラス部分を聴くとPictures come alive when I call と歌ってますので、ここではwhen you call が省略されていると考えていいでしょう。直訳すれば「自分が強く求めれば絵も生き生きしてくる」ですから「望めば夢は現実のものになる」ということです。through your life も直訳すると「生涯を通して」なので、ここでは「これからもずっと」という言葉をはめてみました。この第3節は、前半2行で自らの成功を語った主人公が、後半の2行であとに続く者(自分と同じように夢を追っている者)に対して自分を信じて突き進めと励ましているという理解で良いのではないかと思います。
と、あっと言う間に解説が終わってしまいましたので、今日は最後に映画Flashdance の小ネタを少し紹介して終りにすることとしましょう。この映画で主役のダンサーを演じたJennifer Beals は、オーディションで4千人の中から選ばれたシンデレラなんだそうですが、映画の主人公とは違ってダンスはあまり得意ではなかったようで、劇中の彼女のほとんどのダンスシーンで実際に踊っているのは替え玉のプロのダンサーなんです(ナイトクラブの天井から落ちてきた大量の水を浴びて踊るあの有名なシーンも、踊っているのは替え玉ダンサー・汗)。この映画を撮影した時のJennifer Beals は、名門イェール大学に入学したばかりの文学を専攻する女子大生でした(その後、ちゃんと卒業もしており相当の才女です)。彼女は武道やトライアスロンをやる人なので運動神経がにぶいということではなかったようなんですが、いくら運動神経が良くても、直ぐにプロのダンサーみたいに踊れるようになる人はいませんね。イェール大学と言えばスタンフォードやプリンストン、ハーバードと並ぶ超難関大学。興味深いことにDavid Duchovny(テレビドラマ「X-ファイル」のモルダー捜査官と言った方が早いでしょうか)は大学のクラスメイトだったそうで、名女優のJodie Foster も同じ時期にイェール大学で学んでいました(今でも二人は親友らしいです)。そんなエピソードを聞いていたら、ちょっと映画を見てみたくなってきたという方もおられるかもしれませんけど、お薦めはしませんよー(笑)。
【第58回】Footloose / Kenny Loggins (1984)
さて、今日ご紹介するのは、映画「Flashdance」とストーリーは全く異なるものの、Flashdance の二番煎じのような感がある映画「Footloose」のtitle song(主題歌)です。主題歌なので曲のタイトルは映画と同一。作詞作曲を担当したのは、当時既にベテラン歌手であっただけでなく作曲家としても名を高めつつあったKenny Loggins で、自らこの曲を歌いました(映画「トップガン」の挿入歌Danger Zone を歌ったのもこの人です)。この曲自体は1984年のビルボード社年間ヒットチャートで4位に食い込むほどの大ヒット曲となりましたが、映画の方は米国内の興行収入が8千万ドルとFlashdance の興行収入の3分の1という結果に終わっています(映画の製作にかかった費用が8百万ドルとされていますから、まあ、充分な収益なんですが)。映画のストーリーは、地元の有力者である教会の牧師、ムーアの方針でダンスとロックの曲が禁止されている田舎町のハイスクールに転校してきた高校生のレン(レンの役はKevin Bacon が演じました。レンが踊るダンスシーンはFlashdance 同様、多くのシーンでプロのダンサーが代役というか、替え玉double を務めています)が同じ高校に通うムーア牧師の娘、アリエルを巻き込んでダンスとロック禁止の状況に対して立ち上がり、最後に自由を勝ち取るというもので、僕の中ではノーコメント級の映画です(笑)。歌の方のFootloose は、主題歌の制作依頼を受けたというのにKenny Loggins は映画のストーリーも知らないまま作詞作曲に入ったそうで、映画の内容を把握していた共作者のDean Pitchford からいろいろとアドバイスを受けたとKenny 本人が語っています。そうして完成したその歌詞、言葉の省略が多くて「なんだかなー」って感じで、決して上手い詩だとは思えないのですが、ノリノリのメロディーラインと完璧というぐらいにマッチしてますので、まあ良しとしておきましょう(←また上から目線かよ。笑)。Been workin’ so hard
I’m punchin’ my card
Eight hours, for what?
Oh, tell me what I got
俺、メチャクチャ働いたんだよね
で、タイムカードを押したらね
8時間だって、それって何の為に働いたんだい?
教えてくれよ、そこから俺は何を得たってんだい
Well, I got this feeling
That time’s just holdin’ me down
I’ll hit the ceiling
Or else I’ll tear up this town
それで、俺は感じたんだ
俺は時間に支配されてるってさ
もう我慢は限界なんだ
我慢できなくなりゃあ、この町をズタズタにしてやるさ
Tonight, I gotta cut loose, footloose
Kick off your Sunday shoes
Please, Louise
Pull me off of my knees
Jack, get back
Come on before we crack
Lose your blues
Everybody cut footloose
今夜は、ハジけてやるんだ、自由気ままにさ
気楽に行こうじゃねえか
ルイーズ、お願いだ
手を差し伸べてくれよな
ジャック、戻って来るんだ
俺たちがハジけきっちまう前に来るんだ
悩みなんて忘れてさ
みんなでハジけるのさ
You’re playin’ so cool
Obeyin’ every rule
But dig way down in your heart
You’re burnin’, yearnin’ for songs
クールに立ち回ってても
どんなルールに従ってても
心の中では求めてる
誰もが熱く燃えてるんだよ、歌を熱望してるのさ
Somebody to tell you
Life ain’t passin’ you by
I’m tryin’ to tell you
It will if you don’t even try
誰かはこう言うね
人生ってのはただ通り過ぎて行くもんじゃねえって
でも、俺はこう言うね
人生に立ち向かわなきゃ、ただ通り過ぎて行っちまうって
You can fly if you’d only cut loose, footloose
Kick off your Sunday shoes
Ooh-ee, Marie
Shake it, shake it for me
Whoa, Milo
Come on, come on, let’s go
Lose your blues
Everybody cut footloose
ハジけちまえば空だって飛べるぜ、自由気ままにさ
気楽に行こうじゃねえか
オーイェーイ、マリー
急げ、急げ、俺の為に
ワォー、マイロ
そう、その調子だ、みんなでキメてやろうぜ
悩みなんて忘れてさ
みんなでハジけるのさ
You’ve got to turn me around
And put your feet on the ground
Now take the hold of your soul
I’m turning it loose
先ずは俺を振り向かせてくれなきゃダメだ
そして、次は地に足をつけるんだ
そうなりゃ、魂を掴んでるも同然だね
そうさ、俺は解き放たれてるんだ
*このあとは同じ歌詞の繰り返しが続くだけなので省略。アウトロで最後にEverybody cut footloose と叫んで曲は終わります。
Footloose Lyrics as written by Dean Pitchford, Kenny Loggins
Lyrics © Sony/ATV Melody, Sony/ATV Harmony
【解説】
この曲のイントロ、よく耳を澄ますと、なんかアフリカの部族民の叫び声(←あくまでも僕の勝手なイメージです)みたいなヘンな声が聞こえてきますね。何か意図があってこの声を入れたと言うよりも、レコーディング中にバックコーラスの誰かが思わず出してしまった声をマイクが拾っていて、編集時にそれを聴いた関係者が「面白いじゃないか。このままで行こうぜ」ってな感じで残したのかも知れません(←これも僕の勝手な想像です・笑)。では、早速歌詞を見ていきましょう。第1節1行目のBeen workin’ so hard は、文頭のI have が省略されています。3行目のfor what?は勿論、1行目の事実に対してです。タイムカードを押すことに対してではないですからね(笑)。2行目のmy cardはそのタイムカードのこと(タイムカードを押すは、punch a time card とかpunch a clock といった表現を使います)。第1節を聴くと「俺は毎日8時間懸命に働いて、毎日同じ時間にタイムカードを押して、いったい何の為にそんなことをしてるんだろう?意味なんてあるんだろうか?」と主人公が自問しながら悶々としている様子が目に浮かびますね。第2節2行目のholdin’ me down は、押さえつけられている、ねじ伏せられているような状態。3行目のhit the ceiling は「予算などが上限に達する」といった意味で使われることが多いですが、ここでの意味は「怒りが限界に達する(天井が怒りの頂点というイメージで考えてみてください)」です。4行目のOr else はhit the ceiling できなければ、or else 以下の状況になるということです。どういう状況になるのかというと、主人公はI’ll tear up this town と言ってる訳ですが、時間に支配されている毎日に対して悩み、我慢していることは理解できますが、我慢できなくなったら町をズタズタにしてやるだなんて、どこからそういう発想が出てくるんでしょうか。そんなことを言い出す人がいたら、単なるヤバい人ですよね(笑)。ですが、ですが、この映画の筋から考えれば、暴れまくって町をズタズタにすると言ってるのではなく、ダンスと音楽で町をズタズタにするという意味でそう言っていると考えるのが自然でしょう(←最初からそう言えよ!・汗)。
3節目、最初の行のcut loose は「cut 縄を切ってloose 解き放つ」から転じて「羽目を外す、羽を伸ばす」といった意味で使われるようになった自動詞。映画と曲のタイトルになっているfootloose も同じように「足foot をloose 解き放つ」から転じて「足のおもむくままの、自由気ままな」という意味になった形容詞です(この作品の中でのfootloose はもはや名詞化してますが)。2行目のKick off your Sunday shoes はかなり難解。直訳すれば「日曜日の靴なんて脱いでしまえ」になりますが、これだと意味不明ですよね(汗)。実はこのSunday shoes という言葉、昔、アメリカで教会の日曜礼拝に参加する人々がその日の為に履いていたよそ行きの靴のことを指していたもので(貧乏人でも身形をきちんと整えて教会を訪れる訳です)、この歌詞におけるSunday shoes は、堅苦しい生活やルール、建前といったものの比喩であり、Kick off your Sunday shoes はとどのつまりTake it easy と同じような意味だなと僕は理解しました。劇中では、Lori Singer が演じるアリエルの父親の職業が牧師という設定なので、Sunday shoes などという表現をわざわざ使ったのではないかと思います。4行目のPull me off of my knees も簡単なようで難しいです。こちらも直訳すると「膝から引き離す」という感じでワケワカメですけど、実際のイメージとしては、立っていた人が膝をついて倒れ、その人に対し、手を差し伸べて立ち上がらせるといった動きです。つまり元の姿に戻すということですから「本来あった姿に戻す、立ち直らせる、自分を取り戻させる」ということですね。6行目のcrack はガラスなどがパリーンと割れるイメージ。7行目のblues は、最近は日本語でも使うようになったブルーという言葉と同じで「今日はなんかブルーだ」のブルーです。この第3節ではLouise とJack という人物が(第6節でもMarie とMilo という人物が)唐突に登場してくるので、映画の登場人物たちなのかなと思って調べてみましたが、どの人物も登場人物の名前に重なっていませんでした。この人たちはいったい誰なんだと悩んでいたところ、見つけたのが雑誌のインタビューでKenny Loggins が語っていた言葉です。
「The part that lists all those names in rhymes – “Please, Louise” “Jack, get back” “Oowhee, Marie” “Whoa, Milo” – was inspired by Paul Simon’s “50 Ways to Leave Your Lover”」
因みにポール・サイモンのその曲の歌詞がどんなものなのかと言いますと、
You just slip out the back, Jack
Make a new plan, Stan
You don’t need to be coy, Roy
Just get yourself free
こんな感じ。つまり、名前には何の意味も込められていなくって、Tom であろうがJudy であろうが、Kennyとっては誰の名前でも良かったのでしょう(ポール・サイモンは韻が踏めるよう文末の単語と語尾の音の響きが同じ名前を選んでいますが)。どうせなら、劇中の登場人物の名前を使えば良かったのにと思いますね。まあ、インスパイアーされたと言えば聞こえはいいですけども、要するにパクったっていうことです(笑)。4節目も何を言いたいのかイマイチ良く分かりません。ここのyou に当てはまる人物は映画のストーリーから考えればアリエルしかいませんが、恐らくこの節のyou は彼女に対する直接の言葉ではなく、アリエルの姿を重ね合わせつつ、総称人称のyou として表現しているのでしょう。アリエルのように牧師の娘として社会の常識、ルールに従って生きる堅い娘であってもそうであるように、人というのは、心の奥底ではダンスや音楽を求める血潮がたぎらせているものなのだということですね。5節目は和訳のとおりで特に解説不要。第6節4行目のShake it は、ネイティブ話者がShake it と命令形で言った場合、普通は「急げ!」の意味で使っています。
第7節もなんだか良く分からないフレーズが連なっていますが、ここで語られているのは「音楽やダンスは人を自我から解き放ち、ありのままの自分を取り戻させるのだ」というこの曲全体が持つメッセージのまとめであると理解しました。1行目のYou’ve got to turn me around は直訳すれば「僕を振り向かせないといけない」ですが「それ(振り向かせること)ができるようになる為には、先ずは自分が変わることだ」ということを示唆しているのではないかと思います。2行目のput your feet on the ground は、この映画の冒頭がダンスを踊る若者たちが踏む足のステップのアップ映像ばかりで構成されていることから考えると「踊り始めようぜ」の言い換えでしょう。3行目のフレーズはNow take the hold of all とNow take the hold of your soul のどちらが正しい歌詞なのか意見が別れていまして、all 派が多勢なんですけども、all だとそのall が何を指しているのかが良く分からないので僕はyour soul の方を選びました。何度もこの部分を聴いてみましたが、確かにall と言っているようにしか聞こえません。ですが、耳を研ぎ澄ますとof とall の間に微かな異音が聞こえるような気もします。なので、your soul のy とs の音が超弱音になってur oul となり、ur はof の後ろにある為にほぼ無音化してall と聞こえるのかも知れないというのが僕の結論です。
では最後に、この映画で主役を張ったKevin Bacon ネタをひとつ紹介して今回も終りにしましょう。彼が出演した映画やドラマのリストを見ると、ただ単に仕事を選ばない人だからなのか、それとも器用な役者だからなのか、その作品は実に多岐にわたっていますが、リストの中にベトナム戦争モノの映画「Platoon」が入っていなかったので「あれっ?この映画に悪役で出てなかったっけ?」と思って調べてみたところ、出演していたのはKevin Dillon という別の俳優でした(Kevin Dillon は同じく俳優であるMatt Dillon の弟)。Kevin Bacon とKevin Dillon、名前が同じKevin というだけでなく、実に顔立ちもよく似てるんですよね。Matt Dillon の弟と言うよりも、Kevin Baconの弟という感じなんです(←なんだよ、そのつまんないネタ・笑)。
【第59回】Sweet Home Chicago / The Blues Brothers (1980)
第51回から続けてきた映画音楽特集もいよいよ今日で最終回!(←いつものように勝手に最終回・汗)。特集の最後を飾る曲として僕が選んだのは、ご機嫌な音楽が全編に溢れる1980年公開のコメディー映画「The Blues Brothers(ブルース・ブラザース)」の挿入歌として使われたSweet Home Chicagoです。この曲のオリジナルはRobert Johnsonという27歳で早逝した伝説のブルース歌手が1937年にリリースした古い曲なのですが、映画の中では主役を演じたジョン・ベルーシとダン・エイクロイドが自ら熱唱しました(この曲の源流をさらにたどれば、同じく黒人歌手であるKokomo Arnoldが歌ったOld Original Kokomo Bluesという曲に行き着きます)。この映画を見れば分かりますが、ジョン・ベルーシって実に歌が上手いんですよね。ジョンはアルバニア系アメリカ人でこの映画の舞台となったシカゴ出身。俳優業に進出する前は、アメリカのテレビ局で深夜に放映されていたお笑い番組「Saturday Night Live(SNL)」で自らの人気を不動のものにしたコメディアンでした(ビデオでしか見たことがないですが、彼がやってたジョー・コッカーとかマーロン・ブランドのモノマネを交えたコント劇、面白かったです。サムライのコント、あれはダメですね。刀を腰に差した相撲取りにしか見えません・笑)。森山周一郎さん風の声がシブいダン・エイクロイドもSNL出身(ダンはアメリカ人ではなくカナダ人)、映画「ビバリーヒルズ・コップ」で大ブレイクしたエディー・マーフィーもSNLから飛躍したコメディアンの一人なのですが、その事実は日本ではあまり知られていないようです。映画「ブルース・ブラザース」のストーリーはと言うと、イリノイ州の大都市シカゴ近郊にある孤児院の出身であるジェイク(ベルーシ)とエルウッド(エイクロイド)のブルース兄弟(義兄弟)が、税金の未納で閉鎖寸前になっている孤児院の為に金策に走り回るというたわいもないものでコメントに値しませんが(笑)、ベルーシとエイクロイドの二人が劇中で披露する数々の歌とダンスは一級品。黒のスーツの上下にソフト帽という主人公のファッションといい(Robert Johnson のアルバムのジャケットを見てみてください)、次々に流れるリズム&ブルースといい、映画のタイトルといい、すべてが黒人音楽へのオマージュであることは明白で、映画ではなくミュージック・ビデオとして評価するならば最高の仕上がりです(当時、アメリカ西部で映画館の大規模チェーンを運営していたTed Mann は、The Blues Brothers の試写を見て「こんな映画、白人は見に来ない」と言ったそう)。この映画にはジェームズ・ブラウンやレイ・チャールズ、アレサ・フランクリン、キャブ・キャロウェイ、ジョン・リー・フッカー、チャカ・カーンといった有名黒人ミュージシャンが多数出演している他、映画「スターウォーズ」でレイア姫役を演じたキャリー・フィッシャーやイーグルスのギター奏者ジョー・ウォルシュ、映画監督のスピルバーグまでもがちょい役で出演している点も面白いですね(有名人をたくさん使ったせいではないのでしょうが、この映画、この種の作品の当時の制作費としては破格の3千万ドルに近い大金が注ぎ込まれることになりました)。
Come on
Oh, baby don’t you wanna go?
Come on
Oh, baby don’t you wanna go?
Back to that same old place
Sweet home Chicago
Come on
Baby, don’t you wanna go?
Hi-de-hey
Baby, don’t you wanna go?
Back to that same old place
Oh, sweet home Chicago
なあ
あんた、帰りたくないかい?
なあ
あんた、帰りたくないかい?
あの変わらぬ場所
愛しい我が家のシカゴへ
なあ
あんた、帰りたくないかい?
ヒャッホー
あんた、帰りたくないかい?
あの変わらぬ場所
そう、愛しい我が家のシカゴへ
Well, one and one is two
Six and two is eight
Come on baby, don’t ya
Make me late
1足す1は2だ
6足す2は8さ
なあ、あんた、やめてくれよ
俺を待たせるなんてことはな
Hi-de-hey
Baby, don’t you wanna go?
Back to that same old place
Sweet home Chicago
Come on
Baby, don’t you wanna go?
Well, come on
Baby, don’t you wanna go?
Back to that same old place
Sweet home Chicago
ヒャッホー
あんた、帰りたくないかい?
あの変わらぬ場所
愛しい我が家のシカゴへ
なあ
あんた、帰りたくないかい?
なあ、なあ
あんた、帰りたくないかい?
あの変わらぬ場所
愛しい我が家のシカゴへ
Six and three is nine
Nine and nine is eighteen
Look there brother baby
And see what I’ve seen
6足す3は9だ
9足す9は18さ
なあ兄弟、見てみろよ
俺が見てきたことをな
Hi-de-hey
Baby, don’t you wanna go?
Back to that same old place
Sweet home Chicago
Oh, come on
Baby, don’t you wanna go?
Come on
Baby, don’t you wanna go?
Back to that same old place
My sweet home Chicago
ヒャッホー
あんた、帰りたくないかい?
あの変わらぬ場所
愛しい我が家のシカゴへ
なあ、なあ
あんた、帰りたくないかい?
なあ
あんた、帰りたくないかい?
あの変わらぬ場所
俺の愛しい我が家、シカゴへ
Sweet Home Chicago Lyrics as written by Robert Johnson
Lyrics © Handle Bar Music, Standing Ovation Music
【解説】
Sweet Home Chicago の歌詞、如何でしたか?英語としてはごくごく簡単で、しかも同じフレーズの繰り返しばかりですから英語を習い始めた中学1年生でも和訳できそうですが、実はなかなか奥が深い曲なんです。それがどういうことなのか、詳しく歌詞を見ていきましょう。
第1節、ちょっと拍子抜けするくらい簡単な単語しか並んでいませんね。2行目と4行目のbaby don’tyou wanna go?は、この文だけなら「行きたくないか?」ですが、5行目にBack とあるので「帰りたくないか?」ということですね。その5行目と11行目のBack to that same old place, Sweet home Chicago の部分はRobert Johnson のオリジナル版の歌詞ですとBack to the land of California, to my sweet home Chicago となっていて、戻る場所としてCalifornia とChicago という東西まったく逆方向にある地名が同時に挙げられているということになります。なので、その矛盾に関しては不毛な論争が今も続いていて、そのせいかどうかは分かりませんが、この映画で歌われた歌詞は矛盾のない別のフレーズに変更されています(Same old は「相変わらずの、これまでどおりの、いつもと変わらぬ」といった意味)。でも、オリジナル版の歌詞を何度も聴いてみると、どうも「カリフォルニアに戻るか、シカゴへ行くかどっちがいい?」と言ってるのではないかという気もするんですよね。本当はオリジナル版の歌詞もここで紹介すれば、もっと分かり易く説明できると思うのですが、なにせオリジナル版の歌詞はとても長いのでやめときますね(←スミマセン・汗)。因みにKokomo Arnold のOld Original Kokomo Blues では「Oh, baby don’t you want to go back to the Eleven Light City, to sweet old Kokomo」という歌詞になっていて矛盾はありません(Kokomoはインディアナ州インディアナポリスの郊外にある小さな町(映画の中にも登場してます)。Kokomo がthe Eleven Light City と呼ばれていたのは、1920年代にこの町にあった信号機が11基だったからという説や11軒のspeakeasy(禁酒法時代の違法酒場)があったからという説がありますが、真偽のほどは分かりません)。
では、この曲の主人公はなぜ「シカゴへ帰りたくないか」と問いかけているのでしょうか?僕が思うに、オリジナルの歌詞では、恐らく主人公が何かの事情で故郷である南部の町に一時帰郷していて(主人公はアメリカ南部で生まれ、その後、自由を求めてシカゴへ移住し、さらに仕事を求めてカリフォルニアで暮らし始めたという流れがあったのではと僕は推測しました)。仕事が多くあって金はとりあえず稼ぐことはできるが、南部ほど酷くはないものの差別が日常茶飯のカリフォルニアに戻るか(今でこそリベラルなイメージのカリフォルニア州ですが、Robert Johnson がこの曲を歌った1930年台頃には強い黒人差別がまだ行われていたと思われます。日系人や中国系移民も糞同然の扱いでした)、仕事はないが(当時は世界恐慌の最中で大都市は失業者だらけ)黒人が多く暮らしていて気楽に過ごせる(黒人がまとまって住んでいるので居住地域内では差別を受けることがない)シカゴへ戻るのかどちらにしようと思案しているのではないかというのが結論(主人公が故郷の南部に留まる気が無いのは、黒人が人間扱いされていないので論外だと考えているからでしょう)。そう考えれば、主人公がシカゴへ帰りたい理由ともつながります(←あくまでも個人の意見です)。9行目のHi-de-hey はHi-de-hi と同じで、昔、黒人が使っていた明るい調子の挨拶の言葉だそう(今でも使うのかも知れませんが、こんな挨拶をしている黒人を見たことはないです・笑)。日本の辞書には訳語として「ヤッホー」といった言葉が記載されているようですが、どちらかと言えば、俳優だった高島忠夫さんが笑顔で良く言っていた「イェーイ!」といった感じの言葉に近いような気が僕はします(←あくまでも個人の感覚です・笑)。
第2節、1行目と2行目は「なんじゃこれ?」ですよね。でも、ここのフレーズに意味は何もありません。リズム&ブルースの曲でしばしば行われるロジカルな音遊び、言葉遊びの類です。3行目のya はyou のこと。4行目のMake me late はMake me wait と同意です。Don’t の後にya を入れて口語のまま文にしていますが、要するにDon’t make me wait ということ。「帰りたいなら早く決めろ」とせかしているような印象を受けますね。3節目は1節目の歌詞の繰り返し。第4節の後ろ半分、Look there brother baby and see what I’ve seen は、オリジナル版の歌詞には無いフレーズ。「現実を見てみろ、俺が見てきたな」といった感じでしょうか。
このように、Sweet Home Chicago の本来の歌詞には黒人のシビアな心情が含まれているのですが、白人のジョン・ベルーシがそれをどこまで理解して歌っていたのかは分かりません。この映画の撮影時、彼は既に強度の麻薬依存者になってましたし、彼はシカゴ出身ですから、何も考えることなくノリだけで熱唱してたのかも知れませんね。因みにジョン・ベルーシはThe Blues Brothers が公開された2年後の1982年(あれからもう40年以上ですか…)、その麻薬のやり過ぎであの世行きとなりました。享年33歳(正確に言うならば、アップ系のコカインとダウン系のヘロインという相反する作用の薬物を混ぜて作るリスキーなドラッグである「スピードボール」の調合を自ら行い、その混合の配分を誤ったというのが定説。ほんの少しの調合ミスが死を招くとされています)。それでは最後に、あの世にいるジョン・ベルーシに追悼の言葉を捧げ、映画音楽特集の終わりとすることにしましょう。
「Hey, John! You’re such an asshole!・ジョン!おまえはどアホだ!」
【第60回】A Whiter Shade of Pale / Procol Harum (1967)
今回紹介させていただくのは、全世界で1千万枚以上ものシングル・レコードが売れたというProcol Harum の名曲、A Whiter Shade of Pale です。と言っても60年近くも前のヒット曲なので、若い方の多くはご存知ないかもですね(汗)。Procol Harum というなんだか奇妙な名前のこのバンド、Gary Brooker というロンドン出身のミュージシャンが1967年に英国のエセックス州サウスエンドで結成したグループで、A Whiter Shade of Pale の曲の歌詞を書いたKeith Reid はバンドの正式メンバーであるものの、歌も歌わないし楽器も演奏しないという風変わりなバンドでもありました。因みに、Procol Harum というバンド名はこのKeith Reid の友人が飼っていた猫の名前で、ラテン語でaway やat distance を意味するprocul の綴りが間違って伝わったもののようです(Harum はラテン語ではなく、意味は分かりませんけど響きはどこかアラビア語風ですね)。A Whiter Shade of Pale は、メンバーの一人Matthew Fisher(この曲の著作権は自分にもあると後に裁判を起こし、認められた人です)の演奏によるハモンド・オルガン(電子オルガンの一種)の音色のイントロを一度でも耳にすれば二度と忘れることはないという曲ですが、その哀愁を帯びた分かり易いメロディーラインに対して歌詞が非常に難解であることは有名で(難解と言うよりもほぼ理解不能です・汗)、それ故にイーグルスのホテル・カリフォルニアやツェッぺリンの天国への階段と同様、古今東西の先人たちによってこの曲の歌詞に対する様々な解釈が為されてきました。タイタニック号の沈没を暗示しているとか、酒やドラッグによって得られた幻想の世界だとか、男が処女を口説いてモノにする話だとか、パーティーでドラッグをやり過ぎて死んだ少女の話だとか、この曲を聴いた人の歌詞の解釈はまさしく十人十色。ある意味、滅茶苦茶な解釈だらけとも言えますが、A Whiter Shade of Pale の歌詞を書いたKeith Reid(2023年に死去されました)はこの歌詞の意味を直接的に言及したことは無いものの、歌詞を理解するのに役立つ数多くのヒントを残しているので、今回はそれらのヒントを参考にしながら和訳に挑戦してみました。Keith が生前に語っていた主なヒントには以下のようなものがあります。① I feel with songs that you’re given a piece of the puzzle, the inspiration or whatever. In this case, I had that title, ‘Whiter Shade of Pale,’ and I thought, There’s a song here. And it’s making up the puzzle that fits the piece you’ve got. You fill out the picture, you find the rest of the picture that that piece fits into. つまり、この曲は「Whiter Shade of Pale」というタイトルが先ずありきで、そのタイトルに合わせてパズルを組み合わせるように歌詞を作ったということですね。僕も小説を書く時、先ず最初にタイトルが決まり、それに合わせてストーリーが頭に浮かんでくるということはしばしばあることなので、彼の言わんとしていることは良く分かります。
② では、そのA whiter shade of pale というタイトルがどこから来たのかというと、Keith はI overheard someone at the party saying to a woman, "You’ve turned a whiter shade of pale", and the phrase stuck in my mind. パーティーで誰かが女性に向かって「You’ve turned a whiter shade of pale 君、蒼い顔がさらに白くなってるよ」と言っているのを聞いて、その言葉が頭から離れなくなったと語っています。普通は単にOh,You’ve turned pale. Are you alright?と言うくらいでしょうから、確かに面白い表現ではありますね。
③ I might have been smoking when I conceived it, but not when I wrote it. It was influenced by books, not drugs. この歌詞を書いた時はタバコは吸ってたかもしれないけど、歌詞はドラッグの影響を受けたものではなく、本に影響されたものだとKeith が自ら語っているように、酒やドラッグにこの歌詞の解釈を求めるというのは誤ったアプローチのようです。
④ I wrote this song to describe a very simple story of a boy who falls too hard for a girl he barely knows and is then rejected by that girl. Nothing more and nothing less. これはもう答えそのものですね。少年がまだ良く分かり合えていない少女にフラれたというストーリーがこの曲の歌詞の軸になっていることは間違いないでしょう。Nothing more and nothing less の言葉どおり、それがこの歌詞の真実なのだと思います。
以上のことを参考にしながら日本語に置き換えたのが以下の歌詞です。先ずはご一読ください。各節の詳細に関しては解説欄にて。
We skipped the light fandango
Turned cartwheels ‘cross the floor
I was feeling kinda seasick
But the crowd called out for more
The room was humming harder
As the ceiling flew away
When we called out for another drink
The waiter brought a tray
僕らはさ、スローなダンスはすっ飛ばして
ダンスフロアで激しく踊ってたんだ
船酔いみたいに僕の頭はクラクラしたけど
周りの連中はもっと踊れって声を張り上げてたよ
部屋の中はますます騒めき立ってさ
天井が吹っ飛ぶ勢いだった
そんな中、僕たちが酒のお代わりを頼むと
給仕がトレイで運んできたんだよな
And so it was that later
As the miller told his tale
That her face, at first just ghostly
Turned a whiter shade of pale
そう、それはそのあとのことさ
食わせ者が耳打ちしたら
最初は幽霊みたいだった彼女の顔が
もっと蒼白くなったんだ
She said, there is no reason
And the truth is plain to see
But I wandered through my playing cards
And would not let her be
One of sixteen vestal virgins
Who were leaving for the coast
And although my eyes were open
They might have just as well’ve been closed
彼女は言ったよ、理由なんてないし
言うまでもないでしょって
だけど、僕はどうすべきか悩んだね
だって、彼女にはなって欲しくなかったんだ
浜辺へと向かう
16歳のウェスターの巫女の一人なんかにさ
僕は目を見開いてたんだけど
閉じてたのと同じだったのかもしれないな
And so it was that later
As the miller told his tale
That her face at first just ghostly
Turned a whiter shade of pale
そう、それはそのあとのことさ
食わせ者が耳打ちしたら
最初は幽霊みたいだった彼女の顔が
もっと蒼白くなったんだ
A Whiter Shade of Pale Lyrics as written by Keith Reid, Gary Brooker, Matthew Fisher
Lyrics © Onward Music Limited
【解説】
さてさて、A Whiter Shade of Pale の歌詞、如何でしたか?最初の節ではまだなんとなく場所やそこにいる人たちの雰囲気が伝わって来ますが、コーラスのあとの次の節、特にその後半部分は何を言いたいのか良く分からないというのが正直なところです。実はこの曲の歌詞、当初書かれたオリジナルの歌詞は4節で構成されており、さらに意味不明な二つの節がこの後に続いてまして(コンサートではこれらの節を含めたロング・バージョンが歌われることもあったようです)特に第3節はAnd so it was that later で始まるコーラス部分の歌詞を解読する上で重要という気がしましたので、先に残りの歌詞を読んでいただき、それから解説に入りたいと思います。
She said, ‘I’m home on shore leave,’
Though in truth we were at sea
So I took her by the looking glass
And forced her to agree
Saying, ‘You must be the mermaid
Who took Neptune for a ride.’
But she smiled at me so sadly
That my anger straightway died
彼女は言ったよ「休暇でうちに戻った」ってね
ほんとは僕も彼女も海にいたんだけどさ
だから僕は彼女を鏡の傍へと連れて行って
認めさせようとしたんだ
こんな風に言ってね「君は人魚に違いないんだ
海の神を欺いたね」って
でも、彼女は悲しそうに微笑んだだけで
僕の怒りは直ぐに消えちまったよ
If music be the food of love
Then laughter is its queen
And likewise if behind is in front
Then dirt in truth is clean
My mouth by then like cardboard
Seemed to slip straight through my head
So we crash-dived straightway quickly
And attacked the ocean bed
もし音楽が愛の糧なら
笑いはその女王さ
同じように後ろが前なら
ほんとの汚れもきれいなものだよね
名ばかりの僕の口は
頭の中を通り抜けて行くみたいだった
だから僕たちは直ぐに海に潜って
海底を襲ったんだ
それでは、各節の歌詞を紐解いていきましょう。歌詞が難解とされる曲でしばしば見受けられることですが、この曲も出だしからいきなりぶちかましてきます(笑)。第1節1行目のthe light fandango がそれですね。この聞き慣れない単語、ネイティブ話者であっても、それがいったい何であるのか分かる人はほぼ皆無ではないでしょうか。スペインのフラメンコの知識がある人であれば「それってフラメンコの踊りのひとつですよ」と言うかもしれませんが、僕の頭に浮かんだのはポルトガルのフォークダンスであるfandangoでした。ポルトガルでfandango と呼ばれているダンスは、男女のペアが向き合ってステップを踏みながら踊るもので、そのことから僕はこの歌詞のfandango は親密な男女が踊るチークダンスのようなものの言い換えだと考えました(現代フラメンコのfandango は通常、男女がペアになって踊るようなことはありませんし、正式名称はfandangos de Huelva ウエルバ(スペインの地名)のファンダンゴと言って、民俗舞踊のfandango とは異なります)。ここでのlight はslow の意味で使われているような気がしましたので、the light fandango はslow dance cheek to cheek のようなものであり、第1節の舞台となっている場所はダンス・パーティーの会場か街のディスコというのが僕の結論です。Keith Reid がfandango という言葉をどこでどのように知ったのかは分かりませんが、モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚(舞台設定はスペイン南部)」を彼が観ていたとすれば、第3幕のフィナーレで、フィガロとスザンナが着飾った村人たちの前でfandangoを踊る姿のようなものを意識してたのかもしれませんね。
2行目のturn cartwheels ‘cross the floor もこれまた良く分からない表現です。turn cartwheels という言葉を聞いて思い浮かぶのは、曲芸師がする横転のようなアクロバティックな動きですが、パーティー会場やディスコで横転しまくる男女なんてのはまずいませんので(いたら迷惑ですよね・笑)「まるで横転でもするかのような激しいダンス」と僕は受け止めました。酒の入った身体で余りにも激しく踊ったのでI was feeling kinda seasick になったと考えれば話の辻褄も合います。4行目のBut the crowd called out for moreから6行目のAs the ceiling flew away までのフレーズは、パーティー会場が非常に盛り上がっていることを想像させ、As the ceiling flew away は勿論、実際に天井が吹っ飛んだ訳ではなく、それくらい盛り上がっていたということの比喩でしょう。7行目のWhen we called out for another drink は、ますます場が盛り上がってきたので、ダンスを踊っていた男女のカップルはもっと盛り上がろうと酒のお代わりを頼んだってな感じでしょうか。最後のThe waiter brought a tray は、トレイを運んできたのではなくa tray with drinks かdrinks on tray と考えるのが自然です。
次にコーラス部分である第2節の2行目、この曲の歌詞の中でも最大の謎のひとつになっているAs the miller told his tale は、多くの先人たちがチョーサーの小説「カンタベリー物語The Canterbury Tales」の中の「粉屋の話The Miller’s Tale」と結びつけて解釈しようとしてきましたが、Keith Reid は音楽雑誌のインタビューに対してI’d never read The Miller’s Tale in my life. Maybe that’s something that I knew subconsciously, but it certainly wasn’t a conscious idea for me to quote from Chaucer, no way と語っています。彼は生前、これと同じようなことを何度も繰り返し言ってましたので、ここは彼の言葉を信じることにしましょう。では、このthe miller というのは一体何者なのか?miller をmirror と解釈する人も多いようで、そんな一人がインタビューでKeith にI always heard the line "the Miller told his tale" as "the mirror told his tale." I was thinking she was looking in the mirror, something was happening と自説をぶつけていましたが、Keith はYes. That might have been a good idea と答えて笑い飛ばしていました。なので、この線もなさそうです。この他にも、作家のHenry Miller と結びつけて解釈しようとする人たちもいたりしますが、僕は冒頭に記したKeith のヒント①から、As the miller told his tale というフレーズからこの節の解釈をするのではなく、なぜ彼女はさらに蒼白くなったのかの理由を考察すればこの節の答えは見つかると考えました。そもそも、the miller ってのは何を指しているのでしょう?mill が「臼などで粉にする、製粉する」という動詞であるとおり、miller は水車や風車の動力を使って石臼でそれをする人、つまりは製粉職人、粉挽き職人のことです。現代では機械が自動的に製粉をするのでほとんど見かけることはありませんが、中世のヨーロッパでは各地にmiller がいました。農民やパン屋が穀物をmiller の所へ持って行って粉にしてもらう訳です。その際、miller は定められた量の穀物を水車や風車の使用料として徴収し、それがmiller の稼ぎとなっていましたが、定められた以上の量の穀物を徴収する(要はくすねるということ)miller も多かったようで、millerに穀物をくすねられたと訴える記録がヨーロッパ各地に大量に残っています。なぜ僕がここでそんなことについて書いたかというと、miller という言葉の響きを聞いた時、ヨーロッパの人はどのような人物を想像するのだろうかと考えたからで、文献を調べてみると、中世の農民や市民たちはmiller は前述のように穀物の量をちょろまかしていると考える人が多く、そのイメージは「嘘つき、不誠実、穀物泥棒、嫌われ者」といったものであったことが分かりました。次に考えたのは、人の顔が蒼ざめるのはどういう時かという点で、普通、人の顔が蒼ざめる、即ち、顔から血の気が引くのは、何かの強いショックやストレスを受けた時ですから、この歌詞に登場する女性の顔が蒼ざめたのは、the miller がtold his tale したから、つまりthe millerが彼女に何かを話したからだと僕は推測しました。そして、その瞬間、僕の脳裏を過ったのは、彼女の浮気相手(主人公の男性にとっては不誠実な嫌な存在)が彼女に「あいつ、俺たちの関係に気付いてるぞ」みたいなことを耳打ちしているような情景でした(因みに、前述のフィガロの結婚には、スザンナがそっと伯爵に手紙を渡し、その手紙のことを知ったフィガロが「どこかの色女が伯爵に恋文を渡したらしいぞ」と歌う場面が第3幕にあります)。浮気がばれたことを知って彼女の顔が蒼ざめた。それがこの第2節の僕なりの解釈です。そう考えると、次の節のthere is no reason and the truth is plain to see というのが「浮気に理由なんてないわ。見てのとおりよ」という彼女の開き直りの言葉に聞こえてきませんか?
分からないのはBut I wandered through my playing cards 以降の部分です。But I wandered through my playing cards は、開き直る彼女に対してどうすべきか悩んだと考えれば理解できますが、そのあとに続くAnd would not let her be one of sixteen vestal virgins who were leaving for the coast は意味不明としか言いようがありません。「vestal virgins?何ですかそれ?」状態でしたので、調べてみたところ、vestal virginsは古代ローマの火の神ウェスタに仕えていた巫女のことであることが分かりました。複数形になっているのは、ウェスタに仕える巫女の定員が6名だったからで、幼少期に巫女に選ばれた少女たちは、その後30年間、俗世から離れて処女でいることを誓わされていたようです。ここのone of sixteen vestal virgins を多くの方々は16人のウェスタの巫女の一人と和訳されているようですが、前述のとおり巫女の数は6人なので、僕はここのsixteen は年齢だと考えます。恐らく、この歌詞に出てくる彼女はそれくらいの年頃だったのでしょう。ウェスタの巫女になること=30年間も処女でいることを誓わされる、つまり、それは人生を棒に振るような行為の暗喩であり、不誠実な男のもとに走って人生を棒に振るような16歳の少女にはなって欲しくないというのが僕の解釈です。そのように理解すれば、それに続くAnd although my eyes were open. They might have just as well’ve been closed も、その思いはあくまでも彼の目から見た独善的なものであって、まだ若かった彼には現実が見えていなかったと解釈できるのではないでしょうか。最後の行のThey might have just as well’ve been closed は、なぜhave が重なっているのか良く分かりません。They might just as well have been closed でいいような気もしますし、実際、曲を聴いてみてもそう歌っているようにしか僕には聞こえませんでした。
シングルカットでは、このあとAnd so it was that later で始まるコーラス部分が2回繰り返されて曲はフェードアウトしますが、先に紹介した第3節は上記の僕の解釈を裏打ちしているようにも思えますので解説を続けたいと思います。She said, ‘I’m home on shore leave,’ Though in truth we were at sea. So I took her by the looking glass and forced her to agree というフレーズを聴いて僕の頭に浮かんだのは、彼女が浮気の言い訳をしている情景です。「昨日の夜、どこにいたんだよ?」「うちにいたわ」というやりとりのあと「嘘つくなよ。男と映画館にいたじゃないか。僕もあそこにいたんだぞ」と彼女に事実を認めさせようとしているみたいな感じですね(想像が飛躍し過ぎでしょうか・汗)。Saying, ‘You must be the mermaid who took Neptune for a ride.’はtake someone for a ride が人を欺くという意味ですから、mermaid は浮気した少女、Neptune は歌詞の主人公の少年であると理解しました。僕が思うに、mermaid は恐らくアンデルセンのThe Little Mermaid が念頭に置かれていて、アンデルセンの人魚姫は悲劇の主人公ですから、少年は「僕(Neptuneは海の神であり、少年自身は自らを彼女を守る存在と考えている)を裏切るなんて君は悲劇の娘(愚かな娘)だ」と浮気している少女を非難したのでしょう。ところが彼女の反応はshe smiled at me so sadly だったので、単なる浮気ではなく彼女が自分のもとを離れようとしていることに気付いてmy anger straightway diedとなったと考えればこの節の全てがきれいにまとまります。シングル版で削除された歌詞部分に関してKeith は「Our producer said, "Look, if you want to get airplay, if you want this record to be viable, you probably should think about taking out a verse." And we did. I didn’t feel badly about it because it seemed to work fine. It didn’t really bother me」と発言していて、It didn’t really bother me という言葉から、削除された歌詞部分を彼はそれほど重要視していなかったことが窺えます。実際、最後の節に並ぶ言葉も意味不明なものばかりであまり重要ではなさそうですが、簡単に触れておきましょう。
1行目のIf music be the food of love は、シェイクスピアの戯曲からの引用であることは確定です。Twelfth Night, or What You Will の第1幕の冒頭でオシーノ公爵が口にする有名な台詞ですね。ここでシェイクスピアが引用されているが故にAs the miller told his tale もチョーサーの作品からの引用と考えてしまう人が多いのかもしれません。最初の2行と3、4行目では相反する事象が羅列され、そのあとMy mouth by then like cardboard seemed to slip straight through my head という言葉が続いています。僕が思ったのは、ここでのcardboard は段ボール紙と言うよりも実質のないものという意味であろうということであり、My mouth by then like cardboard を聴いて頭に浮かんだのは、陸にいる王子と会う為、言葉を話せなくなることと引き換えに両脚を得た(これもある意味、相反)人魚姫の姿でした。そのことがなぜにslip straight through my head したのかというと、何かを犠牲にして何かを得るということはないと主人公が気付いたからなのではないでしょうか。7行目のcrash-dive は、ずっと海に関係する話が続いていることから急いで海に潜るという意味であることに疑いの余地はありません(crash-dive だけでも潜水艦が急速潜航するという意味であるのにstraightway quickly と言葉が続いているのはtoo redundunt ですね。因みに海の話ばかり出てくるのは、Keithが海好きだったという単純な理由からのようです)。なので、So we crash-dived straightway quickly and attacked the ocean bed から僕が受けた印象は、今ならまだ間に合うとばかりに何か失ったものを過去(海底)に取返しに戻ろうとする姿でした。ただ、主語がI ならその理解でうまく辻褄が合うのですが、we(つまり、少年のもとを離れる決意をしている少女も含まれる)になっているので良く分かりません。ギブアップです!(笑)
ふーぅ。難解な歌詞の曲はやはり解説が長くなってしまいますね。今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。Keith Reid が亡くなった今、この曲の歌詞の謎が解き明かされることはもう永遠に無いでしょうけど、最後にProcol Harum のリーダーであったGary Brooker(この方も2022年に死去)の言葉を記しておきます。
「I don’t give a damn what lyrics mean. You know, they sound great, that’s all they have to do.・ 歌詞の意味なんてどうでもいいのさ。音としてうまく響く、それが歌詞の役目なんだ」
続きは『洋楽の棚⑦』でお楽しみください!