【第31回】New York State of Mind / Billy Joel (1976)
前回のJungleland におけるニューヨークは歌詞に出てくる主人公たちにとって絶望の街でしかありませんでしたが、それとは対照的にニューヨーク愛を歌い上げている曲を今日はご紹介します。この曲を歌っているのは、ニューヨーク市のサウス・ブロンクスで生まれたBilly Joel(ビリー・ジョエル)。70年代後半から80年代前半のアメリカや日本で大変人気のあったシンガーです。ビリー・ジョエルの最大の特徴は、自らピアノを弾き鳴らしながらロック調の曲を歌うことで(彼の最初のヒットとなった曲のタイトルは「ピアノ・マン」でした・笑)その歌詞には都会で暮らす人々の心情を感じさせるものが多く、地方代表といった感のあるジョン・メレンキャップのそれとは対照的。両者の曲を聴き比べてみると面白いですよ。このNew York State of Mind は、1976年にリリースされたTurnstiles というアルバムに収録されていた曲で、発売当時は注目されることもなくセールスも不調でしたが、後にニューヨーク育ちの女優兼歌手、バーブラ・ストライサンドがカバーして歌い、広く知られるようになりました。このアルバムにはSay Goodbye to Hollywood という曲(同じく当初は奮わなかったものの、後にヒットしました)も収録されているとおり、ニューヨークを離れて西海岸のロサンゼルスで3年ほど暮らしていたビリーが、生活の場を再びニューヨークへ戻した直後に制作されたもので、タイトルのTurnstiles は、収録されている曲がニューヨークの地下鉄の改札口を抜けて行く人々の人物模様を描いていることを表しているとされています(実際、アルバムのジャケットの写真も、地下鉄の改札口で撮影されていて、写っている人物がそれぞれの曲に対応しています)。しかし、このアルバムのSide1(A 面)がSay Goodbye to Hollywood で始まり、New York State of Mind で終わっていることから考えると、ビリーが自らの生活style をturn させたことにひっかけているような気がしないでもありません。Some folks like to get away
Take a holiday from the neighborhood
Hop a flight to Miami Beach or to Hollywood
But I’m taking a Greyhound
On the Hudson River line
I’m in a New York state of mind
(Mmh-mmh)
何処か遠くへ行きたがる人って
休暇を取って地元から離れたりするよね
飛行機でマイアミのビーチとかハリウッドへ飛んだりしてさ
でも、僕はグレイハウンドのバスに乗ってる
ハドソン川に沿って走るね
だって、僕の心はニューヨークと共にあるんだから
I’ve seen all the movie stars
In their fancy cars and their limousines
Been high in the Rockies
Under the evergreens
I know what I’m needing
And I don’t want to waste more time
I’m in a New York state of mind
(Mmh-mmh)
たくさんの映画スターを見たことがあるよ
リムジンや高級車に乗ってる姿をね
ロッキー山脈にも登ったさ
緑の絶えることのないね
でも、僕には自分に何が必要なのか分かってるし
もうそんな所で無駄に過ごしたくもないんだ
だって、僕の心はニューヨークと共にあるんだから
It was so easy living day by day
Out of touch with the rhythm and blues
But now I need a little give and take
The New York Times, the Daily News
日々の暮らしは楽だったよ
リズム&ブルースからかけ離れてたからね
でも今は、折り合いを付けて行かなくっちゃ
ニューヨークタイムズやデイリーニュースを読んでね
It comes down to reality
And it’s fine with me ‘cause I’ve let it slide
I don’t care if it’s Chinatown or on Riverside
I don’t have any reasons I left them all behind
I’m in a New York state of mind
(Mmh-mmh, oh yeah)
現実を突き付けられても
僕は平気さ、だって大目に見ることにしたから
その現実がチャイナタウンでもリバーサイドであっても気にはしないさ
気にする理由なんて無いからね、そんなもの全部捨てちゃたよ
だって、僕の心はニューヨークと共にあるんだから
It was so easy living day by day
Out of touch with the rhythm and blues
But now I need a little give and take
The New York Times, the Daily News
日々の暮らしは楽だったよ
リズム&ブルースからかけ離れてたからね
でも今は、折り合いを付けて行かなくっちゃ
ニューヨークタイムズやデイリーニュースを読んでね
It comes down to reality
And it’s fine with me ‘cause I’ve let it slide
I don’t care if it’s Chinatown or on Riverside
I don’t have any reasons I left them all behind
I’m in a New York state of mind
(Mmh-mmh)
現実を突き付けられても
僕は平気さ、だって大目に見ることにしたから
その現実がチャイナタウンでもリバーサイドであっても気にはしないさ
気にする理由なんて無いからね、そんなもの全部捨てちゃたよ
だって、僕の心はニューヨークと共にあるんだから
I’m just taking a Greyhound
On the Hudson River line
‘Cause I’m in a, I’m in a New York
State of mind, yeah
僕はグレイハウンドのバスに乗ってる
ハドソン川に沿って走るね
だって、僕の、僕の心はニューヨークと
共にあるんだから、そうさ、そうなんだ
New York State of Mind Lyrics as written by Billy Joel
Lyrics © Sony/ATV Music Publishing LLC
【解説】
如何でしたか?この曲ではニューヨークが同じ頃にリリースされたJungleland とは真逆の愛すべき街として描かれていることがお分かりいただけたでしょうか?どうして歌詞にそんな天と地のような差異が出てくるのかと言うと、答えは簡単。ビリー・ジョエルはサウス・ブロンクスで生まれたとは言え(そもそも、彼が生まれた1949年頃のブロンクスは、それほどの危険地帯でもありませんでした)、育ったのはロングアイランドだからです。ロングアイランドというのは、富裕層が暮らすエリアなんですよ!ビリー自身は、久し振りにニューヨークへ戻り、治安の悪化で街が荒廃している姿を目にして、街が誇りを取り戻せるような曲を作りたかったと語っていますが、もし彼が貧困層で生まれ育った人間であったのなら、こんな歌詞が生まれてくることはなかったことでしょう。当時のニューヨークのスラム街の住民たちが、街を誇りに思う気持ちなど持っていたとは思えないですから(←あくまでも僕の想像です・汗)。今回は、そういったことを頭に入れつつ、歌詞を見ていきましょう。この曲の歌詞も難しい英語は使われていませんが、その真意を読み解くのはなかなか難解な作業です。
第1節は和訳のとおり。4行目のGreyhound はアメリカ最大のバス会社のことで、かつては長距離バスの代名詞でした。飛行機の運賃が大幅に下がったことで飛行機との競争に破れて何度も倒産していますが、その度に外国企業に買収されて再生し、多くの長距離路線を廃止した現在も営業を続けています。5行目のthe Hudson River line は、鉄道で言えば「東海道線」みたいな路線名を表していますが、Greyhound の各路線にはそういった名称が付けられているという事実はありませんので、恐らく、この路線名はビリーが勝手に作って名付けたものでしょう。曲のタイトルにもなっている最後のI’m in a New York state of mind は、難解というよりも、どう日本語に置き換えるべきかに悩むフレーズでして、state of mind は「心の状態」、I’m in a New York は「ニューヨークに私はいる」であることを念頭に歌詞を最後まで何度も聴いてみた結果、I’m in a New York state of mind の最適な和訳は「僕の心はニューヨークと共にある」であると判断しました。第2節は難解というよりは、歌詞の内容が余りにも唐突で、ビリーがこの曲の歌詞を書く直前までハリウッドで暮らしていて、ニューヨークに戻ってきたばかりであったという冒頭で触れた事実を知っていないと何のことなのかさっぱり分かりません。ビリー本人は、ハリウッドからニューヨークに戻った当日、妻の待つハイランド・フォールズ(ニューヨーク市の北、約60キロに位置するハドソン川沿いにある小さな町)へと向かうグレイハウンドのバスの中でこの曲の歌詞を書いたと語っていて、最初の2行はハリウッドで経験した出来事、3行目と4行目からは、ハリウッドからニューヨークへ戻る途中にロッキー山脈に立ち寄ったか、単にロッキー山脈へ行ったこともあるという事実が推察できます。要は、ニューヨーク以外の街で暮らしていた歌詞の主人公が、ニューヨークへ戻ることを決意したことを表しているのが第2節です。
第3節は全体的に非常に難解ですが、2行目のthe rhythm and blues は、厳しい競争や独特の感性、生活リズムなどが溢れたニューヨークの暮らしの比喩であろうと僕は考えました。ビリーにとって、西海岸での暮らしはニューヨークでの暮らしより精神的には楽なものだったと推察します。ですが、ニューヨークへ戻ることにした今、主人公はすっかり変わった街にgive and take(折り合いを付ける)する必要を感じているのでしょう。その後にThe New York Times やthe Daily News といった新聞の名前が並んでいるのは、この二つの新聞がニューヨークにおける二大新聞であり、それらの新聞が報じる記事に目を通すことでニューヨークの現実を知る必要があるということだと僕は理解しました。そして、第4節1行目のreality こそがまさにそのことであり、そのrealityとは、麻薬の蔓延やギャング同士の抗争などによる治安の悪化と荒廃した街の姿です。3行目のChinatown or on Riversideという言葉も意味不明なものに思えるかもしれませんが、Chinatown が当時のニューヨークのスラムの代表格であったことやRiverside がマンハッタンの代替語であると捉えると、ニューヨークの治安の悪化がもはやどこで起ころうがI don’t care である、なぜならI don’t have any reasons I left them all behind だと考えることで、第4説で語られていることの全てがクリアーになります。6節目は1節目の後半の繰り返しなので説明は不要ですね。
ピアノのソロで始まるイントロと適度に組み合わされたテナー・サックスの音色が生み出す哀愁を帯びたこの曲のメロディーラインはジャズそのもの。オランダ出身のジャズ歌手Ann Burton のカバーを聴くとそのことを確信するジャズの名曲、それがNew York State of Mind です(笑)。
【第32回】California Dreamin’ / The Mamas & The Papas (1965)
今回もニューヨークと関係する曲をもう1曲。男性二人と女性二人が集ったグループThe Mamas & The Papas(ママス&パパス)のCalifornia Dreamin’ という曲です。この曲がリリースされたのは僕が生まれる前年の1965年、つまり、約60年近くも前のことですから、もう懐メロを通り越してクラッシックの領域に入っていると言っても過言ではない曲ですね(笑)。「この曲のタイトルってCalifornia Dreamin’ なんでしょ?ニューヨークといったい何の関係があるんです!?」なんて思われるのは当然。実はこの曲、メンバーのMichelle Phillips と夫のJohn Phillips がニューヨーク市で新婚生活を送っていた際、カリフォルニア州ロングビーチ生まれのMichelle がホームシックになっていることにインスパイアーされたJohn が、妻が持つ生まれ故郷のカリフォルニアへの郷愁(ヒッピー文化の聖地となったカリフォルニアへの賛辞も含む)を歌詞にしたもので、歌詞の舞台となっているのはカリフォルニアではなくニューヨーク市なんです(前回紹介したNew York State of Mind のまさに逆パターンですね)。このMichelle Phillips という女性、ヒッピー世代の落とし子と言うのか奔放と言うのか、メンバーのDenny Doherty(デニー・ドハーティ)や他グループのミュージシャンと不倫したり、ジョンと離婚した後、映画「イージー・ライダー」でピーター・フォンダの相棒役を演じた俳優のデニス・ホッパーと再婚したものの僅か8日で離婚したりと、かなりぶっ飛んだ性格の人だったようで、後年は女優業に転身して映画やテレビのドラマで活躍したりもしました(思い出せるところでは「ビバリーヒルズ青春白書」でバレリー・マローンの母親役を演じていましたね)。余談ですが、ジョージ・ルーカスが監督した映画「アメリカン・グラフィティ」でジョン・ミルナーの黄色のホットロッドに乗り込んでくるおませな少女を演じてたのは、John Phillips と彼の最初の嫁であったSusan Adams(Michelle とは再婚)との間に生まれた娘であるMackenzie Phillips(マッケンジー・フィリップス)。マッケンジーは父のジョン同様、ティーンエイジャーの頃から重度の麻薬依存に陥っていたことから麻薬の不法所持で警察に何度も検挙されたことのあるお騒がせ女優でしたが、2009年には父親のジョンと近親相姦の関係にあったことを告白して世間に衝撃を与えました。All the leaves are brown (All the leaves are brown)
And the sky is gray (And the sky is gray)
I’ve been for a walk (I’ve been for a walk)
On a winter’s day (On a winter’s day)
I’d be safe and warm (I’d be safe and warm)
If I was in L.A. (If I was in L.A.)
California dreamin’ (California dreamin’)
On such a winter’s day
樹々の葉が茶色に染まり
空も灰色に染まる中
僕はちょっと外へ出掛けたんだ
冬の日にね
暖かいし、安心して過ごせたろうな
ロスアンゼルスにいればさ
ああ、カリフォルニアのことを夢見てる
こんな冬の日に
Stopped in to a church
I passed along the way
Well, I got down on my knees (Got down on my knees)
And I pretend to pray (I pretend to pray)
You know the preacher liked the cold (Preacher liked the cold)
He knows I’m gonna stay (Knows I’m gonna stay)
California dreamin’ (California dreamin’)
On such a winter’s day
教会に立ち寄ってさ
祭壇に向かう通路を進んだ
そのあと跪いて
祈るふりをしたんだ
牧師って寒い日が好きだろ
僕が長居することを牧師は分かってたよ
ああ、カリフォルニアのことを夢見てる
こんな冬の日に
All the leaves are brown (All the leaves are brown)
And the sky is gray (And the sky is gray)
I’ve been for a walk (I’ve been for a walk)
On a winter’s day (On a winter’s day)
If I didn’t tell her (If I didn’t tell her)
I could leave today (I could leave today)
California dreamin’ (California dreamin’)
On such a winter’s day (California dreamin’)
On such a winter’s day (California dreamin’)
On such a winter’s day
樹々の葉が茶色に染まり
空も灰色に染まる中
僕はちょっと外へ出掛けたんだ
冬の日にね
彼女に言わなければ
今日、旅立つことができたろうな
ああ、カリフォルニアのことを夢見てる
こんな冬の日に
こんな冬の日に
こんな冬の日に
California Dreamin’ Lyrics as written by Michelle Phillips, John Phillips
Lyrics © Universal Music Publishing Group
【解説】
この曲はアコースティック・ギターの哀愁を帯びた音色のイントロで始まり、Denny Doherty の澄んだ歌声とMichelle Phillips、Cass Elliot という二人の女性コーラスの歌声が交互に響く中、間奏にフルートのソロが入るという珍しい構成の曲になっていて、タイトルのCalifornia dreamin’ とは裏腹に、聴く者に対して全体的に暗い印象を与える曲ですが、一度聴けば二度と忘れることはないメロディーラインでもあります。歌詞はとてもシンプルですが、若干解説が必要な部分もありますのでさっと見ていきましょう。
第1節は和訳のとおりで、特に難しい部分はありません。I’d be safe and warm if I was in L.A は、仮定法過去の用法で、日本の学校の英語の授業ではI were とするよう教えられますが、このようにwas を使うネイティブ話者は結構な比率でいます。1965年頃のニューヨーク市の治安が既に悪化していたことから、ここでのsafe はロサンゼルスにいる方が安全だということを言いたいのだと理解しました(70年代に入るとロサンゼルスも安全とは言い難い街になりますが)。第2節は、冬のある日に散歩へ出かけた主人公がその途中に教会へ立ち寄った光景が描かれていますが、主人公がI got down on my knees and I pretend to pray したのは、教会へ立ち寄った理由が神へ祈りを捧げる為だったのではなく、外の寒さから逃れる為であったからだと考えられます。そのことは5行目のYou know the preacher liked the cold につながっていて(the preacher lights the coals と聞き間違えるネイティブ話者もいるようです)寒い日にはこの主人公のように暖を取りたいが為に教会へ立ち寄って長居する人が増えるから、牧師は寒い日が好きなのだと言っているのでしょう(暖を取る為だけに教会に立ち寄るような信仰心の無い人を信者にするチャンスが増えるからです)。因みにpreacher は、プロテスタント系の教会の牧師のことであり、カトリック系の教会では神父(priest やfather)と呼ばれます。歌詞を書く数日前にミシェルとマンハッタンの聖パトリック大聖堂を訪れた経験から第2節の歌詞が生まれたとジョンは雑誌のインタビューに語っていますが、この節から感じるのは宗教に対する敬意ではなく、人の弱みにつけ込む宗教への揶揄のような気が僕にはします。第3節も和訳のとおり。If I didn’t tell her I could leave today は、彼女を街に残したまま、ひとりでもカリフォルニアへ向かいたかったという気持ちを表しているとしか理解できませんが、ひょっとすると、そういった縁を捨てでも向かう価値がカリフォルニアにはあるといったことや人が持つべき自主性を暗喩しているのかもしれませんね(←恐らく考え過ぎ・笑)。
僕にはこの曲の歌詞が飛びぬけて素晴らしいものだとは思えませんが、青い空や海、輝く太陽や温暖な気候といった言葉を使わず、I’d be safe and warm if I was in L.A というフレーズだけでカリフォルニアへの郷愁を描き出すことが出来ている点は凄いことだと認めない訳にはいきません(←上から目線はやめろ・笑)
【第33回】You Should Hear How She Talks About You / Melissa Manchester(1982)
あと数回、ニューヨーク関連のネタにお付き合いいただきましょう。今日ご紹介するのは、ニューヨーク市ブルックリンで生まれ、マンハッタンで育った生粋のニューヨーカーMelissa Manchester(メリッサ・マンチェスター)が1982年にリリースし、その年のビルボード社全米年間ヒットチャートで18位に食い込んだYou Should Hear How She Talks About You という曲です(ブライアン・アダムスの曲を紹介した回でも書きましたけど、こういう長いタイトルってのはいだだけませんね・笑)。Melissa は既に70年代からバラード調の曲を中心に何曲かヒットを飛ばしていましたが、最初にこの曲を聞いた時は今までの彼女の曲調とあまりにも違っていて、彼女が歌っている曲だとまったく気付かないくらいでした。She’s so very nice, you should break the ice
Let her know that she’s on your mind
Whatcha tryin’ to hide when you know inside
She’s the best thing you’ll ever find?
彼女ってほんと素敵な人、今こそ話してみるべきね
彼女のことを思ってるって分からせるのよ
いったいあなたは何を隠そうって言うの、あなたにとって
彼女が今までで一番最高の人だって分かってるでしょ?
Ah, can’t you see it?
Don’t you think she’s feeling the same?
Ah, I guarantee it
She’s the one who’s calling your name
あー、分かってないの?
彼女も同じように感じてるって思わないのね?
あー、これだけは確実に言えるの
彼女はあなたに夢中だってね
You should hear how she talks about you
You should hear what she said
She says she would be lost without you
She’s half out of her head (out of her head)
彼女があなたのことをなんて話してるのか耳を傾けてみなさいよ
彼女が何て言ったのかを知らなきゃ駄目なの
あなた無しでは何も手につかないって彼女は言ってるのよ
彼女ってあなたに夢中なの
You should hear how she talks about you
She just can’t get enough
She says she would be lost without you
She is really in love (she’s in love with you, boy!)
彼女があなたのことをなんて話してるのか耳を傾けてみなさいよ
彼女は満足できてないの
あなた無しでは何も手につかないって彼女は言ってるのよ
彼女ってほんと、あなたに恋してるの
I ain’t tellin’ tales
Anybody else could repeat the things that I’ve heard (heard)
She’s been talkin’ sweet and it’s on the street
How that girl’s been spreadin’ the word
あたしは話を盛ってるんじゃない
あたしが聞いたのと同じことを誰もが繰り返して言うわよ
彼女があなたのことを好きだって話してるし、噂にもなってるって
あの娘はあっちこっちでそう話してるのよ
Ah, you should hurry
You should let her know how you feel
Ah, now don’t you worry
If you’re scared her love is for real
あー、急がなくちゃ駄目
あなたの気持ちを彼女に伝えなきゃね
あー、おじけづいてちゃ駄目
彼女の気持ちが本物かどうか心配ならね
You should hear how she talks about you
You should hear what she said
She says she would be lost without you
She’s half out of her head (out of her head)
You should hear how she talks about you
She is really in love (she is really in love)
彼女があなたのことをなんて話してるのか耳を傾けてみなさいよ
彼女が何て言ったのかを知らなきゃ駄目なの
あなた無しでは何も手につかないって彼女は言ってるのよ
彼女ってあなたに夢中なの
彼女があなたのことをなんて話してるのか耳を傾けてみなさいよ
彼女ってほんと、あなたに恋してるの
Ah, you should hurry
You should let her know how you feel
Ah, now don’t you worry
If you’re scared her love is for real
あー、急がなくちゃ駄目
あなたの気持ちを彼女に伝えなきゃね
あー、おじけづいてちゃ駄目
彼女の気持ちが本物かどうか心配ならね
You should hear how she talks about you
You should hear what she said
She says she would be lost without you
She’s half out of her head (Out of her head)
You should hear how she talks about you
She just can’t get enough
She says she would be lost without you
She is really in love (She is really in love)
彼女があなたのことをなんて話してるのか耳を傾けてみなさいよ
彼女が何て言ったのかを知らなきゃ駄目なの
あなた無しでは何も手につかないって彼女は言ってるのよ
彼女ってあなたに夢中なの
彼女があなたのことをなんて話してるのか耳を傾けてみなさいよ
彼女は満足できてないの
あなた無しでは何も手につかないって彼女は言ってるのよ
彼女ってほんと、あなたに恋してるの
Talk, talk, talk
Talk, talk, talk
Talk, talk, talk, talk, talk
Can’t you see? (can’t you see?)
It’s me! (ooh!)
(What she said, what she said, ah)
話すの、話すの、話すのよ
話すの、話すの、話すのよ
話して、話して、話して、話して、話してよ
まだ分からないの?
あたしによ!
*この後、You should hear how she talks about you で始まる同じフレーズのコーラスが続いて曲は終わります。
You Should Hear How She Talks About You Lyrics as written by Dean Pitchford, Tom Snow
Lyrics © Arista Records LLC
【解説】
ベースの弾ける音色で始まるイントロが印象的なこの曲、タイトルも長いですが、歌詞も結構長いですよね。こういうのを英語ではredundant(クドい)と言います。覚えておいて損のない単語ですよ(笑)。では、そのクドい歌詞をさらっと見ていきましょう。この曲の歌詞はシンプルで分かり易く、韻もうまく踏んでいますが、自身もシンガーソングライターであるMelissa Manchester の手によるものではなく、Dean Pitchford とTom Snow というソングライターの有名コンビが書いたものです。
第1節に難解な部分は無く、和訳のとおり。1行目のbreak the ice は直訳すれば「氷を砕く」ですが、日常会話では「話の口火を切る」といった意味で用いられます。3行目のWhatcha はWhat are you の口語ですね。第2節から第4節も特に解説の必要な個所は無いでしょう。She’s the one who’s calling your nameやShe’s half out of her head、She is really in love といったフレーズはShe is mad(crazy) about you の言い換えです。5節目のbe on the street は、噂になっているという意味で、どうやら彼女はあちらこちらで主人公の男のことが好きで好きでたまらないと言いふらして回っているようで(笑)、彼女が自分のことを好きであることに気付いていない男に対して、6節目で早く自分の思いを彼女に伝えろとせかしています。7節目から9節目も同じようなフレーズの繰り返しで冗長ですが、10節目に面白い仕掛けが待っています。Can’t you see? It’s me!がそれなんですが、皆さんもうお分かりですよね!第1節の始めから「彼女って素敵よね」と褒めちぎり、そのあとも熱く語られ続ける「主人公の男に気のある彼女」というのは、自分のことだったって訳なんです。洒落のきいたなかなかうまいオチじゃないですか!(笑)
あれっ?歌詞が長い割には、もう解説が終わってしまいました。「クドいけど、まあ分かり易い」それがYou Should Hear How She Talks About You という曲なのです(←強引なオチでスミマセン・汗)。
【第34回】The Way We Were / Barbra Streisand (1973)
今回でニューヨーク市出身の歌手紹介も最終回。本日ご登場いただく歌姫(と言うか、もうおばあさんですが・汗)は、ブルックリン育ちのBarbra Streisand(バーブラ・ストライサンド)です。日本の若い方々にはあまり馴染みのない名前かもしれませんが、アメリカでは歌唱力のある実力派シンガーとして超有名な大御所。アカデミー賞の主演女優賞を受賞した経験もある女優でもあります(僕自身はアカデミー賞なんて何の価値もないと思ってますが)。今日紹介するThe Way We Wereという曲も、1973年に公開された映画「追憶」でロバート・レッドフォードと共演した彼女が、映画の主題歌として歌った曲なんですよ(因みに映画の出来は凡庸で、この曲の歌詞は映画を見ていなくても理解可能なものですので、映画の内容については省略させていただきます・笑)。16歳で一人暮らしを始め、ひたすらニューヨークのショービジネスの世界での成功を目指した苦労人であるバーブラ、個性的な顔立ちをしていて決して美人ではないと思うのですが(大変失礼・汗)、私生活では結構、浮名を流しておられまして、リアム・ニーソンやジョン・ヴォイト、リチャード・ギアなどの錚々たる面々が彼女と交際していた相手の名として上がっている他、有名テニス・プレーヤーのアンドレイ・アガシとも付き合っていたそうですし、変わったところでは、テレビの有名ニュースキャスターであったピーター・ジェニングスや元カナダ首相のピエール・トルドーなんかとも恋愛関係にあったようです。Barbra Streisand という名前、なかなか変わった名前ですけども、ほぼ本名です。わざわざ「ほぼ本名」と言ったのは、本名であるBarbara Joan Streisand のBarbara という名が嫌いだった彼女は、a を一文字はずしてBarbra と名乗っているからで、完全に別の名前にしなかったのは、この曲の歌詞のようにthe way I was でいたかったからのようです。Streisand という姓はもともとドイツのそれですが、作曲家ヨハン・シュトラウスのStrauss と同系統の姓であることからも分かるとおり彼女もユダヤ系アメリカ人であり、自ら「ユダヤ人としての血統をとても誇りに思う」と語っています。それを証明するかのように彼女は長年イスラエルに肩入れしてきましたが、2023年に始まったイスラエルによるガザ地区のパレスティナ人虐殺に対しては「My heart is broken for all the suffering of innocent civilians in Israel, Palestine, and Ukraine. Terrorism must not triumph」と述べているだけで、そのあと「We have to stand up for democracy and against the invasion of Ukraine by dictator Vladimir Putin. Congress needs to pass the aid package now so Ukraine can defend itself」とも発信しています。プーチンのロシアがやっていることを悪だと非難する一方で、ネタニヤフのイスラエルがやってることに対して立ち上がれとは言いません。他の多くの欧米人がそうであるように彼女もまた偽善者の典型であり、自らの矛盾に気付いていない、もしくは気付いていても知らぬ存ぜぬの態度でいるのは大変残念なことです。
(Hmm hmm)
Memories
Light the corners of my mind
Misty water-colored memories
Of the way we were
数々の想い出
があたしの心の隅々を照らすの
淡い水彩画のような想い出
ありのままのあたしたちのね
Scattered pictures
Of the smiles we left behind
Smiles we gave to one another
For the way we were
残された数々の写真には
あたしたちの笑顔が写ってる
あたしたちって互いに微笑んでたわよね
ありのままのあたしたちでいる為に
Can it be that
It was all so simple then?
Or has time re-written every line?
If we had the chance to do it all again
Tell me, would we?
Could we?
そんなことってあり得るかしら
あの頃はすべてが単純だったなんてことが?
それとも、時の流れがすべてを変えてしまったの?
もう一度最初からすべてやり直せる
って言ってくれない?
あたしたちならできるんじゃない?
Memories
May be beautiful and yet
What’s too painful to remember
We simply choose to forget
数々の想い出は
甘美なものなのかもしれないけど
思い出すのが辛い時には
忘れることを選んでしまうわよね
So it’s the laughter
We will remember
Whenever we remember
The way we were
The way we were
(Hmmmmm hmmmmm)
だから、笑みを溢すの
あたしたちは忘れないもの
思い出す時はいつでもそう
ありのままのあたしたちの姿を
ありのままのあたしたちの姿をね
The Way We Were Lyrics as written by Alan Bergman, Marilyn Bergman, Marvin Hamlisch
Lyrics © EMI April Music Inc. o/b/o Colgems-EMI Music Inc.
【解説】
Hmm hmm というバーブラのハミングとピアノの伴奏で始まるどこかもの悲しさの漂うイントロが非常に印象的なこの曲、歌詞は短くシンプルなものですが、なかなか味わい深いものになっていまして、決して忘れることのない想い出を心のどこかに抱えている人であれば、この曲の歌詞はそのメロディーラインと相まって心に突き刺さるものがあることでしょう。
1節目のMemories ですが、この単語にThe が付いていれば、映画の中に出てくる特定の想い出のことを指していることになりますが、この歌詞ではそうなっていません。冒頭で映画を見なくともこの曲の歌詞は理解可能と書いたのはこのことからです。ここでのMemoriesは、良いも悪いも含めた人が持つ様々な想い出、記憶といったものであると理解して差支えないかと思います。2行目のthe corners of my mindのthe corners から僕が得たのは「決して忘れることのできない想い出が保管されている心の中の場所」といったイメージで、Memories light the corners of my mind のフレーズからは、Memories がその場所で浮かび上がっている状態(光景)が目に浮かびました。3行目のMisty water-colored memories は、そのMemories がくっきりしたものではなく、ややぼやけていること(つまりは、かなり過去の想い出)を表しているのでしょう。water-colored は水彩で描かれたといった意味ですが、そもそも水彩画はぼやけた線しか描けないものであるのに、ここではさらにMisty という言葉を付け加えてそのぼやけ具合が強調されていますが、ここで重要なのは、既に線がぼやけたようなMemories であっても、その中のthe way we were が永遠に変わることはないということです。
第2節のScattered pictures からは、床やテーブルの上にばら撒かれた写真といったイメージが頭に浮かびますが、実際には、脳裏で走馬灯のように巡るスナップ写真のような過去の様々な情景といったものではないかと想像します。Smiles we gave to one another for the way we were は、二人が互いに誠実に生きていたということをSmiles で暗喩していて、そのことが第3節のCan it be that it was all so simple then?という言葉につながっているのだと僕は思いました。あの頃は誠実に生きることができていたのに、なぜできなくなったんだろう?時間のせい(様々な経験を通じて大人になったから)?という訳です。そして、主人公は相手(映画では離婚した夫役を演じているロバート・レッドフォード)に告げるのです。昔のように戻れないものかと。さて、その言葉に対するレッドフォードの答えは如何なるものだったのでしょうか?それは、映画を見てみてください(←映画は見なくてもいいと言ったじゃないかと責めないでくださいよぉー・笑)。第4節のWhat’s too painful to remember, We simply choose to forget の部分は、男女間の恋愛絡みの想い出に限って考えた場合、想い出を自ら忘れようとする行為には賛成できません。心は未来に生きるものであり、どんな悲しく辛い想い出であっても、月日が流れていけばやがて懐かしく思えるようになるというプーシキンの詩の方が断然、真理をついているのではないでしょうか。そのことはこの曲を作詞した人たちも良く分かっているようで、だからこそ第5節でSo it’s the laughter と言っているのではないかと思います。この曲を雨の日に雨音をバックに聴いたりなんかすると、非常にしんみりした気分になってしまいますが、とてもいい曲なので、聴いたことがない方は是非とも一度聴いてみてください。
【第35回】Eye of the Tiger / Survivor (1982)
今回は米国ビルボード社1982年の年間チャートで2位(週間チャートでは6週連続1位)に輝いたシカゴ出身のハードロックバンドSurvivor の大ヒット曲をカバーしましょう。ブリッジミュートしたエレキギターの弦から響く「ドコドコドコドコ…」というCの単音から「ジャッジャジャジャー」とパワーコードで一気に曲調がヒートアップする(こんな描写ではうまく伝わりませんね・汗)一度聴けば二度と忘れることはないイントロのこの曲、ボーカルDave Bickler の広域に渡るパンチのある声とも相まってプロレスやボクシングなどの格闘技の試合で入場行進曲として使われることも多いですが、それはこの曲がシルベスター・スタローン主演の映画「ロッキー3」の主題歌として作られたことと無縁ではありません。そんな背景を持つこのEye of the Tiger という曲、映画のことを知らずに聴いた場合「挫けることなくがんばれ」という歌い手のメッセージは感じ取れますが、細かい部分ではどうも何を言ってるのか良く分からないというのが正直なところではないでしょうか。曲のタイトルとなっているEye of the Tiger にしても、なぜTiger なのか?Wolf やLion じゃ駄目なのか?という疑問が沸き上がってきます(そんな疑問を持つのは僕だけだったらスミマセン・汗)。そこで、この曲が映画の主題歌として作られた以上、それらのヒントは必ず映画の中にある筈だと思って映画を見てみると、やはりありました!なので、先に映画のあらすじを簡単に紹介させていただきます。前作のロッキー2で宿敵アポロを破ってチャンプとなったロッキーは、その後、10度の防衛を果たしますが、それらの防衛は弱い相手を選んでばかりの対戦で得た結果であり、世界ランク1位にのし上がってきた新たな挑戦者クラバーの「おまえは弱い相手と戦うだけで強い相手からは逃げている、強い俺と戦え」という挑発を受けて遂に強敵とタイトル戦を組むことになります。ロッキーのトレーナーである親友のミッキーは「クラバーの言ってることは正しい。奴と試合をすればお前は負ける」と試合を止めさせようとするのですが、ロッキーは聞く耳を持たず、彼を待ち受けていた運命は、その言葉どおりリング上でクラバーに叩きのめされ、ミッキーも試合中に心臓発作で亡くなるという最悪のものでした。タイトルも親友も同時に失って絶望するロッキー。その前に現れたのはかつての宿敵アポロで、彼は「Now, when fought, you had that eye of the tiger, And now you gotta get it back, and the way to get it back is to go back to the beginning(俺たちが戦った時、おまえは虎みたいな目をしてた。おまえはあの目を取り戻さないといけねえ、その為には初心に戻ることだ」と言い放ち、そればかりか、ロッキーのトレーナーを買って出て負け犬を再び徹底的に鍛え上げ、二人はクラバーと再戦。その結果、見事に勝利するという、クサイというかハチャメチャな内容のストーリーです(作品自体の優劣やスタローンの演技についてはノーコメント・笑)。つまり、この曲のタイトルはかつての宿敵アポロの台詞にあったという訳です。この映画の中に出てくるeye of the tigerという言葉は、ハングリー精神の言い換えであるとも言えますね。バンドのリーダーであり、この歌詞を書いたJim Peterik (ジム・ピータリック)に対して新聞社が行ったインタビューによると、スタローンから主題歌の作詞作曲の依頼を受けたジムが、曲作りの参考の為にスタローンからもらった映画の台本の中にアポロの台詞を見つけ、気に入って曲のタイトルにしたとのこと。因みにスタローンは最初、Queen のAnother One Bites the Dust を映画の主題歌として使いたかったようですが、Queen に断られたみたいです。Queen が了承していればこの曲は生まれなかったし、デビューしたものの実力の割にはずっと鳴かず飛ばずであったSurvivor もsurvive できずに解散の憂き目に遭っていたのではと思うと、人の運命というのはほんと不思議なものだと言わざるを得ません。
Risin’ up, back on the street
Did my time, took my chances
Went the distance, now I’m back on my feet
Just a man and his will to survive
立ち上がれ、あのリングへ戻るんだ
時間をかけて、チャンスを掴んだあのリングへ
遠回りはしたけど、俺は立ち直ったんだ
諦めない気持ちを持ち続ける一人の男として
So many times it happens too fast
You trade your passion for glory
Don’t lose your grip on the dreams of the past
You must fight just to keep them alive
いつだってほんの一瞬のことなんだ
情熱を栄光と引き換える時ってのはね
かつての夢を追うことを忘れちゃいけないんだ
夢をかなえる為には戦わないといけないのさ
It’s the eye of the tiger, it’s the thrill of the fight
Risin’ up to the challenge of our rival
And the last known survivor stalks his prey in the night
And he’s watching us all with the eye of the tiger
そうさ、虎のような目になって、それが戦いのスリルなんだ
ライバルからの挑戦に立ち向かうのさ
最後まで生き残った奴は暗闇で獲物に忍び寄るように
俺たちのことを見てるんだ、虎みたいな目で
Face to face, out in the heat
Hangin’ tough, stayin’ hungry
They stack the odds still we take to the street
For the kill with the skill to survive
熱いリングで、面と向き合ってさ
屈することなく、ハングリーであり続ける
奴らは汚い真似もするけど、それでも俺たちはリングに向かうのさ
奴を仕留めて生き残る為に
It’s the eye of the tiger, it’s the thrill of the fight
Risin’ up to the challenge of our rival
And the last known survivor stalks his prey in the night
And he’s watching us all with the eye of the tiger
そうさ、虎のような目になって、それが戦いのスリルなんだ
ライバルからの挑戦に立ち向かうのさ
最後まで生き残った奴は暗闇で獲物に忍び寄るように
俺たちのことを見てるんだ、虎みたいな目で
Risin’ up, straight to the top
Had the guts, got the glory
Went the distance, now I’m not gonna stop
Just a man and his will to survive
立ち上がるんだ、頂点へ向かってまっしぐらにさ
根性も身についたし、栄光も手に入れた
遠回りはしたけど、俺はもう止まりはしないさ
諦めない気持ちを持ち続ける一人の男として
*この後は3節目と5節目と同一のコーラスが入り、続いてアウトロでThe eye of the tiger を連呼して曲は終わります。
Eye of the Tiger Lyrics as written by Frank Sullivan, Jim Peterik
Lyrics © Sony/ATV Music Publishing LLC, Warner Chappell Music, Inc.
【解説】
この曲の歌詞は一見シンプルに思えますが、ところがどっこい、日本語に置き換えるとなると相当にやっかいな相手で、歌詞の内容が難解という訳ではないのですが、なかなかうまい具合に日本語がはまりませんでした。そこで、ロッキー3という映画の主題歌としての日本語訳という点を優先させて、なんとか上記のようにまとめてみましたので一読してみてください。
先ず第1節目ですが、ここが一番悩みました。back on the street(ムショから釈放される)やdo my time (do time なら、服役するの意味になります)、go the distance(ムショ送りになる)といったように、スラングとして使った場合、刑務所と関連する意味になるワードが並んでいるので、刑務所から出所した男が人生をやり直す為の決意をしている情景のように思えてしまいますが、この曲の歌詞ではそれらのことは無視していいと思います。なぜなら、この歌詞の主人公はloser であってもprisoner ではないからで、ロッキーを1、2まで遡って見てみても、主人公のロッキーは借金の取り立て屋のようなヤクザな仕事をしているもののムショ上がりであるという描写はどこにも出てこないし、僕にはback on the street のthe street が、ロッキーが初心(通りでヤクザな仕事に就いていてもハングリー精神を持っていた頃)に立ち返って戻るべき場所、即ちボクシングのリングと言っているようにしか聞こえなかったからです。なので、第1節は敢えてこのように訳しました。2節目のSo many times it happens too fast とYou trade your passion for glory も、日本語にすれば、こんな感じかなと思うのですが、具体的に何を指しているのかはいまいち僕には良く分かりません。恐らく、ボクシングのリング上では、重ねてきた努力はもちろん、過去の屈辱でさえも一発のパンチで一瞬にして栄光に変わるのだということを表しているのではないかと個人的には考えています。
第3節ではコーラスに入りますが、It’s the eye of the tiger のtiger がwolf でもlion でもないのは前述のとおり。eyes ではなくthe eye になっているのは、身体的な特徴としての目ではなく、目つきや眼差しといった目の表情の意味で使われているからです。3行目のthe last known survivor は映画に当てはめればクラバー、4行目のus はロッキーとミッキー(もしくはアポロ)のことでしょう。クラバーの方がハングリー精神に満ち溢れている(虎みたいな目をしている)ことを暗喩しているのではないかと思います。4節目のstack the odds もいまいちよく分からない部分ですが、stack the cards と同じ意味で使っていると考えてこう訳しました。5節目は3節目と全く同じコーラスの繰り返し。6節目は特に難しい表現はなく、7節目も同じコーラスを繰り返し、最後のアウトロでThe eye of the tiger を連呼して曲は終わります。
それでは最後に、Survivor というバンド名に関するエピソードをひとつ。Survivor 結成時のドラマーGary Smith とベースのDennis Keith Johnson はもともとビル・チェイスというジャズ奏者が率いるChase というバンドのメンバーで、二人と知り合いだったジム・ピータリックは1974年にミネソタ州ジャクソンで開催予定だったChase のコンサートにゲスト出演することになり、ビルと共に飛行機でジャクソンへ向かうはずでした。ところが、ジムは飛行機に乗り遅れたか何かで同乗できず、逆にそのことで九死に一生を得ることになりました。なぜなら、ビル・チェイスを乗せて飛び立った飛行機が墜落し、彼は帰らぬ人となったからです。この経験からジム・ピータリックは自らをsurvivor と認識するようになり、後に結成したバンド名をSurvivor にしたと伝えられています。この曲の歌詞にもsurvive やsurvivor という言葉がちりばめられていることからすると、恐らく、これらの言葉はジムのお気に入りなのでしょう(←あくまでも想像です)。
【第36回】Livin’ on a Prayer / Bon Jovi (1986)
今回も前回のEye of the Tiger 同様、パンチのあるイントロが特徴的な曲をご紹介。1987年の米国ビルボード社年間チャート10位に食い込んだBon Jovi(ボン・ジョヴィ)の名曲Livin’ on a Prayer です(この名曲が87年の10位で、その年の1位に輝いたのがThe Bangles のWalk Like An Egyptian だったってのはどう考えても納得がいきませんが・笑)。シンセサイザーが奏でる荘厳な響きに続き、打ち鳴らされるドラムの音と共に「ウワウワウフッフフ、ウワウワウフッフフ・・・」というなんか変な人間の声みたいな音が聞こえ始める特徴的なイントロ。この変な声はトーキング・モジュレーター(ビニールのチューブを口にくわえて口内の振動を電子音に変える機械)という装置を使って作られている音で、エアロスミスの名曲スイート・エモーションなどでも同じものを使って音作りが行われていますが、ボン・ジョヴィの使い方の方が断然面白いですね。ハードロック調のメロディーラインとは対照的に歌詞の方はというと、ストのせいで仕事の無いトミーと彼の代わりに食堂で懸命に働くジーナという若い二人が、貧困の中で夢を追いつつ生きるが現実は厳しいというシビアな内容で、後にジョン・ボン・ジョヴィ(本名の姓はBongiovi でイタリア系の姓です)はテレビ番組の対談で、この曲の歌詞は当時のアメリカ大統領であったレーガンが始めた金持ちと大企業優遇政策(金持ちと大企業が潤えば、その金は滴る水のように貧困層にも巡っていくと主張してましたが、結局は貧富の差が拡大しただけでした)に対する批判だったと語っています(日本国にも、なんとかミクスとか訳の分からない名を付けて同じようなことをやって自画自賛していたアホな奴がいましたね)。ロックスターとなる前の貧しかったジョンは正しかった訳ですが、この曲が大ヒットし、今では億万長者になって金持ちの側に彼がいるというのはなんとも皮肉な話です。Once upon a time, not so long ago
昔、いや、それほど前のことじゃない
Tommy used to work on the docks
Union’s been on strike, he’s down on his luck
It’s tough
So tough
Gina works the diner all day
Workin’ for her man, she brings home her pay
For love
Mm, for love
トミーは港のドックで働いてたんだけど
組合がストを打ったもんだから、ツキが無くてへこんでたね
きつい話さ
ほんと、きついよ
だからジーナは一日中ダイナーで働いたんだ
彼氏の為に働いたのさ、彼女が稼ぎを持って帰るのは
愛の為
そう、愛の為にね
She says, "We’ve gotta hold on to what we’ve got
It doesn’t make a difference if we make it or not
We’ve got each other and that’s a lot for love
We’ll give it a shot"
彼女は言ったね「夢を諦めちゃだめ
うまくいくかどうかは重要じゃない
あたしたちには互いがいる、愛にはそれで充分
だからやってみましょうよ」ってね
Woah, we’re halfway there
Woah-oh, livin’ on a prayer
Take my hand, we’ll make it, I swear
Woah-oh, livin’ on a prayer
道はまだ半ばさ
だから、祈るような気持ちで生きてる
手を携えよう、うまくいくって誓うよ
希望を糧に生きてるんだから
Tommy’s got his six-string in hock
Now he’s holdin’ in, when he used to make it talk
So tough
Ooh, it’s tough
Gina dreams of runnin’ away
When she cries in the night, Tommy whispers
"Baby, it’s okay
Someday"
トミーは6弦のギターを質に入れちまった
よくかき鳴らしてたギターを今は我慢してるなんて
きつい話さ
ほんと、きついよ
だから、ジーナは逃げだす夢を見るようになってさ
真夜中に泣き出すんだけど、そんな時トミーは囁くんだ
「ベイビー、大丈夫さ
きっといつか」って
We’ve gotta hold on to what we’ve got
It doesn’t make a difference if we make it or not
We’ve got each other and that’s a lot for love
We’ll give it a shot
夢を諦めちゃだめ
うまくいくかどうかは重要じゃない
あたしたちには互いがいる、愛にはそれで充分
だからやってみましょうよ
Woah, we’re halfway there
Woah-oh, livin’ on a prayer
Take my hand, we’ll make it I swear
Woah-oh, livin’ on a prayer, livin’ on a prayer
道はまだ半ばさ
だから、祈るような気持ちで生きてる
手を携えよう、うまくいくって誓うよ
希望を糧に生きてるんだから、希望を糧にね
Ooh, we gotta hold on, ready or not
You live for the fight when that’s all that you’ve got
諦めちゃだめ、心の準備ができてなくても
夢しかないんだから、それに向かって挫けず生きるの
Woah, we’re halfway there
Woah-oh, livin’ on a prayer
Take my hand and we’ll make it, I swear
Woah-oh, livin’ on a prayer
道はまだ半ばさ
だから、祈るような気持ちで生きてる
手を携えよう、うまくいくって誓うよ
希望を糧に生きてるんだから
*この後は同じフレーズのコーラスを2回繰り返してフェードアウトです。
Livin’ on a Prayer Lyrics as written by Desmond Child, Jon Bon Jovi, Richard S.Sambora
Lyrics © Sony/ATV Music Publishing LLC, Universal Music Publishing Group
【解説】
イントロの終りにOnce upon a time, not so long ago というアナウンスのようなメッセージが入り、そのあと第1節が始まりますが、特に難しい部分はありません。2行目のstrike はILA(国際港湾労働者協会)とCONSA(北大西洋海運協会)が1977年10月に東海岸の主要港で起こした44日間という長期に渡るストがモデルになっていると思われます(当時、ジョン・ボン・ジョヴィは15歳)。5行目のdiner というのは、列車の食堂車を模した長方形型のアメリカ特有のレストランの形態で、提供される食事は主にハンバーガーやオムレツ、パンケーキといった軽食です。どんな形状の建物を使っていようが店がダイナーと名乗っていればダイナー、レストランと名乗っていればそれはレストランです。区分けの明確な基準はありません。日本の英和辞書ではしばしば簡易食堂、軽食堂という訳語で紹介されていますが、アメリカでは内装が豪華&お洒落なダイナーも存在しますので、必ずしも簡易という訳ではないですね。
2節目のWe’ve gotta hold on to what we’ve got は直訳すれば「今自分たちにあるものにしがみついていないといけない」もしくは「今自分たちにあるものを手離してはいけない」ですが、what we’ve got はトミーとジーナが今持っているもの、つまり夢であると考えます。なので、gotta hold on to も「しがみついていないと」ではなく「諦めちゃいけない」と訳した方がしっくりとくるのでこの訳にしました。4行目のWe’ll give it a shot は、何か新しいことに挑戦する時に「やってみよう」という感じでよく使われるフレーズです。この曲の歌詞では、トミーの夢、つまりは二人の夢に向かって挑戦してみようということなのでしょう。第3節のコーラスは、2節目のジーナの言葉に対するトミーの返事です。ここも内容的に難解な部分はありません。そんな二人がちょっと深刻な事態に陥り始めていることを匂わせているのが4節目。Get in hockは質に入れるという意味で、何を質に入れたのかというとsix-string、つまりギターです。2行目でNow he’s holdin’ in, when he used to make it talk と言っていることから、そのギターはトミーに大切なものであったのに、生活の為に質に入れたことと、彼の夢がミュージシャンとして成功することであろうことが窺えます。そんな状況から逃げ出したくなったジーナは真夜中に泣き出しますが、トミーはBaby, it’s okay と言って彼女を慰めます。Someday の後は省かれてますが、後に続く言葉は勿論We are gonna make it でしょう。この後のプリコーラスとコーラスは前述と同じフレーズ。続いてギターのソロが入り、直後のブリッジだけ違うフレーズが出てきます。ready or not は「準備ができてなくても」という意味ですが、ここでの準備は、夢に破れた時の心の準備なのではないかと思います。それに続くYou live for the fight when that’s all that you’ve got はジーナの言葉であり、that’s all that you’ve got はトミーの夢であるとしか考えられませんので、このように訳しています。どうやらジーナは開き直って逞しく生きようと決心し、逆にトミーを励ましているようですね。めでたし、めでたし!と、あっという間に解説が終わってしまいましたが、ボン・ジョヴィの名曲Livin’ on a Prayer、如何だったでしょうか?
因みにこの曲に出てくるジーナは、ジョンと共同で作詞を担当したDesmond Child が、アーティストとして食えずにニューヨークでタクシーの運転手をしていた時代に同棲していた彼女(後に歌手デビューするMaria Vidal です)がモデルになっていて、実際にジーナというニックネームで呼ばれていた彼女は当時、ニューヨークの「Once Upon A Stove」という名のダイナーで働いていたそう。トミーの方は、学生野球で活躍しメジャーリーガーを目指していたものの、恋人が妊娠した為に夢を諦め、生活費を手にする為に工場勤めを始めたというジョンの友人がモデルだとされています。
【第37 回】Part-Time Lover / Stevie Wonder (1985)
僕が良く聴く黒人歌手の音楽と言えばジェームス・ブラウンくらいなのですが、今日はスティービー・ワンダーのPart-Time Lover という曲を紹介してみることにしました。アルバイトのことを英語ではpart-time job と言いますが、小難しい日本語に直すと非正規雇用ですね。なので、Part-Time Lover は非正規の恋人、つまり、愛人や浮気相手、不倫相手ということになります。Part-Time Lover という言葉を聞くと、スティービー・ワンダーの名前が直ぐに頭に浮かぶ人は多いかと思いますが、実のところ、エルトン・ジョンが1978年にPart-Time Love という曲を既にリリースしていますので、スティービーの専売特許という訳ではありません。スティーヴィー・ワンダーは未熟児として生まれた為、生後すぐに保育器の中に入れられたそうで、その時の機器の不調が引き起こした酸素の供給過多によって未熟児網膜症となり視力を失ったというのが長らく伝えられてきた公式見解なのですが(未熟児だった彼も今では185cmと結構デカいです)、一方では「スティーヴィーに塗り絵をプレゼントしたら凄く喜んでくれた」みたいな酷いブラックジョークもあったりするくらいに、ある程度見えてるのではないかという噂も絶えません。とは言え、聾と偽っていただけでなく、創作にゴーストライターも多用していた日本の某作曲家とは違い、スティーヴィーが全盲であろうがなかろうが、彼の作品の価値が不変であることは確かです。Part-Time Lover が米国ビルボード社の年間ヒットチャートで22位に食い込んだのは1985年のこと。ここで注意が必要なのは、第5回でも触れたとおり、その頃というのはアメリカでもまだ携帯電話が普及していない固定電話オンリーの時代であったということです。そのことを思い出しながら、先ずは歌詞を一読してみてください。Call up, ring once, hang up the phone
To let me know you made it home
Don’t want nothing to be wrong with part-time lover
If she’s with me, I’ll blink the lights
To let you know tonight’s the night
For me and you, my part-time lover
電話をかけ、ベルを一度鳴らしたら切る
君が家に帰ったことをそうやって知らせてくれ
浮気相手には悪者になって欲しくないから
彼女が傍にいる時は、部屋の電灯を点滅させる
今夜が二人の夜になるかどうかをそうやって知らせるよ
僕と君とのね、愛しの君との
We are undercover passion on the run
Chasing love up against the sun
We are strangers by day, lovers by night
Knowing it’s so wrong, but feeling so right
僕たちは逃げるようにしてこっそり情熱を育んでる
太陽に逆らって愛を育んでる
昼間の君が赤の他人でも、夜になれば恋人だなんて
悪いことだと分かってはいても、いいんじゃないかって感じちまう
If I’m with friends and we should meet
Just pass me by, don’t even speak
Know the word’s "discreet" with part-time lovers
But if there’s some emergency
Have a male friend to ask for me
So then she won’t peek it’s really you my part-time lover
友達といる僕を君が見かけたとしても
知らんふりしてくれ、話しかけることさえしちゃいけないよ
不倫相手ってのは慎み深さが必要なんだ
何だかやばそうみたいな時は
男友達を使って知らせてくれ
そうすれば、彼女も君が僕の不倫相手かどうかなんて詮索しないさ
We are undercover passion on the run
Chasing love up against the sun
We are strangers by day, lovers by night
Knowing it’s so wrong, but feeling so right
僕たちは逃げるようにしてこっそり情熱を育んでる
太陽に逆らって愛を育んでる
昼間の君が赤の他人でも、夜になれば恋人だなんて
悪いことだと分かってはいても、いいんじゃないかって感じちまう
I’ve got something that I must tell
Last night someone rang our doorbell
And it was not you, my part-time lover
And then a man called our exchange
But didn’t want to leave his name
I guess that two can play the game
Of part-time lovers
You and me, part-time lovers
But, she and he, part-time lovers
ちょっと君に知らせておかなくっちゃいけないことがあるんだ
昨晩、僕の家の呼鈴を鳴らした奴がいたんだけどさ
君じゃなかった、僕の浮気相手じゃなかったんだ
その後、知らない男がうちに電話してきたんだけど
名前を名乗るのも嫌がったんだ
だから僕はピンときたね。僕だけじゃないんだ
不倫ができるのはって
君と僕とは不倫中
でも、彼女と奴も不倫中なのさ
*この後は、タッタッタッタタタッタナナナと延々スキャットが続いてフェードアウトします。
Part-Time Lover Lyrics as written by Stevie Wonder
Lyrics © Jobete Music Co.Inc, Black Bull Music Inc
【解説】
軽快なリズムのイントロと「タッタッタッタタタッタナナナ」というどこか能天気な声のスキャットで始まるこの曲、実際に聴いてみると、歌い方がもろ黒人のそれなので、慣れないとちょっと聞き取り辛くて何を言ってるのか良く分かりませんが(汗)、何回も聴き直していると、意外と恐い曲であることがわかってきます。そうなんです。スティーヴィーの曲としては珍しいですが、Part-Time Lover は男女の不倫について歌っているちょっとヤバい曲なのです。それでは、どんな風にヤバい歌詞なのかを見ていきましょう。
先ず第1節。1行目に出てくる電話機は前述のとおり、携帯電話ではなく家庭にある固定電話です。携帯だとこっそり隠れて電話を受けることもできるし、メッセージを入れておいてもらうこともできますので、今の時代には決して生まれてくることのない歌詞ですね。3行目は主語のI が省略されていると考えればすぐに理解できます。戸惑うのは4行目と5行目で、これを1セットのフレーズとして考えてしまうと「僕が彼女と一緒にいる時は、ライトを点灯させて今晩が二人の夜だと君に知らせる」となって「えっ、ちょっと待って、彼は彼女と一緒にいるんだから、浮気相手の女は彼と会えないんじゃないの?なのに二人の夜って?」と訳が分からなくなるのですが、それぞれ独立した文が2行区切りになっていると理解し、5行目の文にif を補ってTo let you know if tonight’s the night とすれば謎が解けます。なので、第1節を聞いて僕の頭に浮かんだのはこんな情景でした。男から電話のワン切りを指示されている浮気相手の女は、男が同棲中の彼女(もしくは妻。彼女という言葉を使うと二人いてややこしくなるので以後は妻とします)と暮らすアパートメントの部屋が見えるごく近所に恐らく住んでいるのでしょう。つまり、男の家にワン切りの電話がかかってきた時は、浮気相手の女が帰宅して、自室の窓から男の部屋の窓を見て返事を待っている状況です。そこで、男は家に妻がいる時は部屋の電灯を点滅させて危険を知らせ、点滅しない時は部屋に来てくれという合図を送る訳です。第5節でLast night someone rang our doorbell and it was not you と出てくることからそういう流れであると推測しました。この電話と電灯を使ったやり取りを怠ると、妻と浮気相手が部屋でかち合うことになりDon’t want nothing to be wrong with part-time lover が現実になってしまうという訳です。「あんた誰なのよ!この泥棒ネコ!(そして取っ組み合い)」っていうメロドラマによく出てくるパターンですね(笑)。
2節目の1行目もちょっと難解です。2行目のsun と韻を踏む為にこういう言い回しにしたのだと思いますが、要は不倫のスリルを表現しているのでしょう。2行目も、不倫がこっそりと密かに行う陽の当らない恋(3行目にあるとおり、この歌詞の二人の場合は夜にしか会わない恋)だから、against the sunという言葉を使っていると考えれば納得。4行目も同じく不倫のスリルです。第3節は特に難解な部分はありませんが、男の身勝手な言葉が並んでいるので「スティービーってそんな人なの?」と、ちょっと引きますって言うか、ドン引きですね(スティービーは3回結婚をしていて、結婚しなかった女性も含めて5人の女性との間に9人の子供がいるらしいです)。4行目のemergency は、具体的には「あー、浮気がばれそう」ってな緊急事態のことだと想像しました。6行目のpeek はこっそり覗くといった意味で使われる動詞です。4節目は2節目と同じフレーズの繰り返し。そして、いよいよ問題の5節目です。英語として難解な部分は特にありませんが、3行目のexchange はアメリカの電話番号の市外局番の後に続く3桁の数字のことで、そこの電話回線がどこの電話局の交換機につながっているのかを示す数字のことですが、ここでは単に電話番号という意味で使っているのではないかと思います。わざわざexchange なんていう単語を選んだのは、その後のname とgame と同様に綴りをe で終わらせたかったからなのかもですね。良くはわかりませんが(涙)。
さてさて、皆さんは第5節の歌詞をどう受け止めましたか?自分では浮気をこっそりうまくやってると思っていたら、妻も同じことをしていてダブル不倫だった!だなんて結末、スリルじゃなくってホラーですよね!なのに、曲のエンドもまたまた「タッタッタッタタタッタナナナ」と能天気なスキットでフェードアウトするってのが、この曲の面白いところです(笑)。
【第38回】On the Beach / Chris Rea (1986)
今日は大人の雰囲気が漂うしっとりとした曲を紹介します。Chris Rea(クリス・レア)のOn the Beachという曲で「誰それ?そんな曲、聞いたことない」ってな方も多いかもしれませんが、日本では昔、車のCMでこの曲が使われたことがあり、その際に日本でもクリス・レアの人気が一時だけ高まりました。クリスは英国の北東部、北海に近いMiddlesbrough(ミドルズブラ)という歴史の浅い田舎町生まれのイギリス人で(と言っても、父親はイタリア人、母親はアイルランド系ですが)、本国ではとても人気のある有名人。とは言え、この車のCMでクリスが起用されたのは、曲調が車のイメージに合っていたみたいな理由ではなく、彼が大の車好きとしても有名だったたからで(英国BBC の有名な名車紹介番組『Top Gear』にも何度か出演してましたね)、ブラジル出身のF1ドライバー、アイルトン・セナが1994年5月、イタリアのイモラ・サーキットで開催されたレース中に事故死した際には、ポルトガル語を母国語とする彼の為に「サウダージ」という曲を作って捧げ追悼したくらいのレース好きとしても知られています。このOn the Beach という曲、リリースした1986年にはほとんど注目されなかったものの、2年後に出したアルバムに再集録したらチャートの上位に食い込んだという変わったエピソードがありますが、それだけでなく曲の出だしもかなり変わっていて、タイトルを思い起こさせるかのように自然の波音がイントロに挿入されています。僕の知る限りではこういった自然の音をイントロに使っているというのは他に類を見ませんね。波音に続くちょっぴりボサノバ風のエレキギターの音色も印象的で、最後まで続くどこかメランコリックなメロディーラインは、ギンギンの太陽に照らされた真夏のビーチではなく、シーズンが終わって誰もいなくなった頃の寂しいビーチの方が似合う。そんな素敵な1曲です。Between the eyes of love I call your name
Behind the guarded walls I used to go
Upon a summer wind there’s a certain melody
Takes me back to the place that I know
On the beach
On the beach, yeah
愛し合う眼差しの狭間で僕は君の名を呼ぶ
僕がよく行った高い塀の前でね
夏の風が吹くといつものメロディーが流れてきて
僕を想い出の場所へ連れ戻すんだ
あのビーチへね
そう、あのビーチさ
The secrets of the summer I will keep
The sands of time will blow a mystery
No-one but you and I
Underneath that moonlit sky
Take me back to the place that I know
On the beach, yeah, yeah
On the beach
On the beach
On the beach
あの夏の秘密は守り続けるよ
なぜ愛し合ったのかは、いつか時が忘れさせるだろうけど
誰もいない中、僕と君だけが
月明りの浮かぶ空の下で経験したことが
僕を想い出の場所へ連れ戻すんだ
あのビーチへね
そう、あのビーチさ
Forever in my dreams my heart will be
Hanging on to this sweet memory
A day of strange desire
And a night that burned like fire
Take me back to the place that I know
On the beach, yeah
On the beach
On the beach
夢の中で僕の心はいつまでも
この甘い想い出にしがみ続けるだろうね
なぜだか燃え上がったあの日のこと
焔のように燃えたあの夜のことが
僕を想い出の場所へ連れ戻すんだ
あのビーチへね
そう、あのビーチさ
On the Beach Lyrics as written by Christopher Anton Rea
Lyrics © TuneCore Inc., BMG Rights Management, Sony/ATV Music Publishing LLC, Warner Chappell Music, Inc.
【解説】
この曲の英文の歌詞、読んでいただいて分かるとおり、出てくる単語も文法もほとんどが中学校で習うレベルのものばかり。ですが、いざ日本語に置き直すとなるとそれなりの技術が必要で、恐らく中学生では歯が立たない歌詞ではないかと思われます。あとひとつ付け加えておくならば、曲を聴いていただけば分かりますが、このChris Reaという歌手は冠詞のaをアイと発音して歌うので、ちょっと聞き取りにくい部分がありますね。では、第1節から詳しく見ていきましょう。2行目のthe guarded walls は、僕の中のイメージでは、誰も近付けないようにする為に大豪邸などをぐるりと囲んでいる高い塀みたいなもので、1、2行目から僕に伝わって来たのは、嘗てはその豪邸にこっそりと招き入れられていたのに、今は入ることができなくなった男が、塀の前で彼女の名をただ呼ぶだけという情景でした。但し、実際にそういったシチュエーションがあったのかどうかは分かりません。越えてはいけない一線(the guarded walls)を越えて嘗ては愛し合ってしまったけれど、今はその恋も終り(もしくは、何らかの事情で会えなくなり)ただ彼女の名を口にして懐かしんでいるという感じの心理状況を暗喩している可能性もあります。いずれにせよ、最初の2行から感じたのは、二人の恋がリスクを伴うもの(不倫、身分違いの恋、周囲に知られてはならない恋など)であったのではないかということです。第2節の1行目でThe secrets of the summer I will keep と言ってるのはその為だと考えれば辻褄が合いますね。そして男は、夏が来て風に吹かれる度に、彼女のことを思い出し、彼女との恋の舞台となった想い出のビーチへ心が飛んでしまうのです。a certain melody は、彼女と時を過ごしていた時に流れていた実際の音楽、曲のメロディーというより、彼女の姿や彼女との想い出と考えた方が良いかもしれません。
第2節の2行目、ここも相当に難解です。The sands of time は、砂時計が刻む時のことで、a mystery は、恋の不思議さ、つまり「どうしてあの人と恋に落ちちゃったんだろう?分からない…」みたいに、理性や理論で考えても見つからない答であると理解し、このように訳しました。砂時計が止まる頃には(つまり、時が経てば)そんな恋の不思議さも忘れてしまっているだろうってことです。3行目のNo-one には、間にハイフンが入ってますが、これはイギリス英語の綴りにしばしば見受けられる特徴で意味はありません。No one と同じです。いつかは忘れ去ることになる想い出であっても、月の光の下、ビーチで愛し合った時のことを思い出すと、心がビーチに向かう。そんな思いを歌っているのが2節目です。3節目も同じく、女のことを忘れようとしても忘れられない男の未練が吐露されています。Forever in my dreams my heart will be hanging on to this sweet memory は、まさしくその気持ちですね。3行目のstrange desire も難解ですが、2節目と同じく「どうしてあの人と恋に落ちちゃったんだろう」という普段の自分であればあり得ないようなおかしな気持ち、理性や理論では説明できないおかしな気持ち、と僕は理解しました。この歌詞に出てくる男、こんな調子じゃあ、この先もずっと毎年ビーチに来ては彼女との想い出に浸ってそうですね(笑)。
On the Beach、如何でしたか?タイトルの割には夏が似合わない曲。それがクリス・レアのOn the Beachです(笑)。因みに、クリスへのインタビュー記事によると、この曲のモデルとなったビーチは、地中海に浮かぶスペインのバレアレス諸島に属するフォルメンテーラ島にあるビーチだそうです。バレアレス諸島と言えば、ショパンがジョルジュ・サンドと時を過ごしたマヨルカ島もその中のひとつなんですが、この二人の恋も禁断の恋でした。ひょっとすると、この曲にはそんな歴史的大恋愛にインスパイアーされた部分があるのかも知れませんね(←あくまでも勝手な想像です・汗)。
【第39回】Poor Poor Pitiful Me / Linda Ronstadt (1977)
今回ご紹介する曲は、1974年にアルバムからシングルカットしてリリースしたYou’re No Good で全米1位になったことを皮切りに次々とヒットをを飛ばし、その愛らしいルックスと歌の上手さも手伝って「西海岸の歌姫」の称号を獲得したLinda Ronstadt(リンダ・ロンシュタット)のPoor Poor Pitiful Me です。歌姫と言っても、バーブラ・ストライサンド同様、今ではいい歳のおばあさんで、2011年には持病(パーキンソン病のようです)の悪化が原因で歌手業から引退したことを発表していますから、リンダの可愛らしい姿しか知らない僕たちおっさん世代にとっては隔世の感ってやつです。余談ですが、リンダ・ロンシュタットが西海岸を代表する歌手であることは確かですが、生まれはアリゾナ州のツーソンで、19歳だった1965年に歌手目指してロサンゼルスに移住するまで彼女はそこに住んでいましたので(1978年には商業主義に冒された西海岸に嫌気がさしてニューヨークへ移住。現在は故郷のアリゾナ在住)、西海岸の歌姫と言っても西海岸の街で生まれ育った訳ではありません。リンダ・ロンシュタットという人は(ロンシュタットっていう珍しい苗字はドイツ系の苗字ですが、彼女のファミリーツリーを見てみると、ヒスパニックの血が濃いです。そのせいか、彼女はメキシコでも大変人気がありました)、ちょっと有名になれば、やれ映画監督だ、俳優だ、作家だ、画家だと、才能も無いのに他のことをやりたがる人たちと違って、歌うことが自らの天分であるとわきまえて歌手に専念した人であったので、彼女が作詞、作曲をすることはありませんでした(有名になりたいから歌手になったのではないとも語っています)。なので、このPoor Poor Pitiful Me という曲も、米国のWarren Zevon というミュージシャンが作詞、作曲したもの。Zevon の作詞では主人公が男性なのですが、リンダは歌詞に少し手を加えて主人公を女性にして歌っています。なぜ、そのようなことになったのかの経緯は後ほど解説で。では先に、リンダ版の歌詞をどうぞ。Well I lay my head on the railroad track
Waiting on the Double E
But the train don’t run by here no more
Poor poor pitiful me
あのさ、あたし、線路の上に頭を乗っけて
地下鉄の電車を待ってたんだけど
そこにはもう電車が走ってなかったんだよね
あぁ、ほんと最悪
Poor poor pitiful me
Poor poor pitiful me
Oh these boys won’t let me be
Lord have mercy on me
Woe woe is me
ほんと最悪
目も当てられないよね
あぁ、男の子たちがあたしを放っておかないみたい
主よ、あたしにどうかお慈悲を
だって絶望的な気分だもの
Well I met a man out in Hollywood
Now I ain’t naming names
Well he really worked me over good
Just like Jesse James
Yes he really worked me over good
He was a credit to his gender
Put me through some changes Lord
Sort of like a Waring blender
そのあと、ハリウッドで男と出会ったんだよね
名は明かさないけど
彼、あたしをこき使ったの
ジェシー・ジェームスみたいにね
ほんと、うまく使われちゃった
男であることが彼の誇りだったのよね
主よ、あたしを変えてくんない
ミキサーでかき混ぜるみたいにして
Poor poor pitiful me
Poor poor pitiful me
Oh these boys won’t let me be
Lord have mercy on me
Woe woe is me
ほんと最悪
目も当てられないよね
あぁ、男の子たちがあたしを放っておかないみたい
主よ、あたしにどうかお慈悲を
だって絶望的な気分だもの
Well I met a boy in the Vieux Carres
Down in Yokohama
He picked me up and he threw me down
He said "Please don’t hurt me Mama"
それでさ、今度はビュ・カレって店で男の子に会ったの
ヨコハマの下町にあるね
その子、あたしを誘ってベッドに投げおろし
こう言ったわ「痛くしないでね、ママ」って
Poor poor pitiful me
Poor poor pitiful me
Oh these boys won’t let me be
Lord have mercy on me
Woe woe is me
ほんと最悪
目も当てられないよね
あぁ、男の子たちがあたしを放っておかないみたい
主よ、あたしにどうかお慈悲を
だって絶望的な気分だもの
Poor poor poor me
Poor poor pitiful me
Poor poor poor me
Poor poor pitiful me
Poor poor poor me
Poor poor pitiful me
最悪、最悪、最悪
ほんと目も当てられない
最悪、最悪、最悪
ほんと目も当てられない
最悪、最悪、最悪
ほんと目も当てられないわ
Poor, Poor Pitiful Me Lyrics as written by Warren Zevon, Linda Ronstadt
Lyrics © Universal Music Publishing Group, Warner Chappell Music, Inc.
次にゼヴォン版です。リンダ版の主人公が女性であるのに対しこちらは男性で、こっちの方がオリジナルの歌詞です。
I lay my head on the railroad tracks
And wait for the Double E
The railroad don’t run no more
Poor, poor pitiful me
僕さ、線路の上に頭を乗っけて
地下鉄の電車を待ったんだけど
電車が走ってなかったんだよね
あぁ、ほんと最悪
Poor, poor pitiful me
Poor, poor pitiful me
These young girls won’t let me be
Lord, have mercy on me
Woe is me
ほんと最悪
目も当てられないよね
あぁ、女の子たちが僕を放っておかないみたい
主よ、僕にどうかお慈悲を
だって絶望的な気分だもん
Well, I met a girl in West Hollywood
But I ain’t naming names
But she really worked me over good
She was just like Jesse James
She really worked me over good
She was a credit to her gender
She put me through some changes, Lord
Sort of like a Waring blender
そのあと、ウエスト・ハリウッドで少女に出会ったんだよね
名は明かさないけど
彼女、僕ををこき使ったよ
彼女はジェシー・ジェームズみたいだった
ほんと、うまく使われちゃった
女であることが彼女の誇りだったんだよね
主よ、僕を変えてくれないかな
ミキサーでかき混ぜるみたいにして
Poor, poor pitiful me
Poor, poor pitiful me
These young girls won’t let me be
Lord have mercy on me
Woe is me
ほんと最悪
目も当てられないよね
あぁ、女の子たちが僕を放っておかないみたい
主よ、僕にどうかお慈悲を
だって絶望的な気分だもん
I met a girl at the Rainbow Bar
She asked me if I’d beat her
She took me back to the Hyatt House
I don’t want to talk about it, hey
それでさ、今度はレインボウ・バーって店で女の子に会ったんだ
その子、あたしを痛めつけてくれるかって僕に訊いたあと
ホテルの部屋へ僕を連れて行ったんだ
何があったかは話したくないけどね
Poor, poor pitiful me, woo!
Poor, poor pitiful me, ha, never mind, yeah
Poor, poor pitiful me, woo-hoo, yeah
Poor, poor pitiful me
Poor, poor pitiful me
ほんと最悪だぜ!
目も当てられないよね、でも気にしないってんだ
最悪万歳
ほんと最悪
目も当てられねえよ
Poor Poor Pitiful Me Lyrics as written by Warren Zevon
Lyrics © Universal Music Publishing Group, Warner Chappell Music, Inc.
【解説】
Poor Poor Pitiful Me のオリジナルの作者Warren Zevon(ウォーレン・ジヴォン)という人、かなりの変人だったのか(芸術家というのは大抵そんなものですが・笑)、歌詞が支離滅裂と言うか、ぶっ飛んでますよね。他にもWerewolves of LondonやLawyers、Guns and Money、Roland the Headless Thompson Gunnerといった彼の作詞した曲はどれも辛辣な内容で、ジヴォンの曲はブルース・スプリングスティーンやニール・ヤング、ボブ・ディランらにも影響を与えたと言われています(リンダ・ロンシュタットは、影響を受けた人ではなく彼の曲を有名にした人。リンダのヒット曲Hasten Down the Wind もジヴォン作です)。因みにウォーレン・ジヴォンの父親は、映画「バクジー」のモデルであるマフィアの大幹部ベンジャミン・シーゲル(カジノの街ラスベガスの土台を作った人です)の用心棒をしていたミッキー・コーエンの下で働いていた腕の立つ博徒、つまりはマフィアの一員でしたが、少年時代のウォーレンはそんな世界の悪影響を受けることもなく、ひたすらフォークシンガーになることを夢見ていたようです。恐らくその頃から彼には作詞の才能が既に芽生えていたのでしょう。ではでは、リンダ版の歌詞の解説に入ります。
第1節は読んで字の如く「鉄道の線路に頭を乗せて、Double E 線を走る列車が来るのを待っていたが、そこはもう電車が走っていない場所だった」ですから、主人公は自殺を試みたが果たせなかったということが推測できます。ここでDouble E という言葉が使われているのには理由があって、この曲が出来た1976年にニューヨーク市の地下鉄のEE 線(Double E と呼ばれていたそうです)が廃止されたことと関係しています。つまり、自殺を試みた場所は廃線の線路の上で、もとから自殺なんかできなかったということですね。だから、Poor poor pitiful me という言葉が続くのです。Poor me!は「ついてないわ、あたしって馬鹿ね」といった感じの感情を表現する際に良くネイティブ話者が使います。Pitiful me!というのは聞いたことがないですが、poor とpitiful、どちらの言葉も「同情したくなるくらい可哀そう」という意味。そんな言葉がPoor poor pitiful と3回も連なっているのですから、憐れや可哀そうを通り越して「チョーサイアクー」ってな感じにしか僕には聞こえませんでしたので、このように訳しました。1976年頃にウォーレン・ジヴォンが住んでいたのはロサンゼルスなので、なぜニューヨーク市の地下鉄をモデルにしたのかは良くわかりません。当時のニューヨーク市は巨額の財政赤字を抱え、次々に地下鉄路線の統廃合を進めていた時期なので、西海岸で暮らしていてもそういったニュースを耳にする機会が多かったのかも知れませんね。
2節目の3行目も難解です。Oh these boys won’t let me be が何を意味しているのかが良くわからなかったので、ゼヴォン版を聴いてみたらthese boys の部分がyoung girls になっていました。となると、なぜ主人公が自殺しようとしていたのかということは第1節の文だけでは想像すら不可能という事実は変わりませんが、この3行目は自殺を失敗し、なぜそうなったのかを考えた主人公が最終的に得た答(こじつけの答であっても)ではないかという結論に達しました。この1行から推測できるのは、自分は異性にモテモテ(実際そうだったのでしょう)という自意識過剰のナルシストな主人公の姿です。5行目のWoe is me はPoorme とほぼ同じ意味ですが、こんな言葉を口にしている人を見たことはないですね。普通はPoor me を使います。なので、第2節目はナルシストである主人公の視点で考えてみて「異性にモテモテの自分は自殺することさえ許してもらえない、あー絶望的な気分だ」と言っているのだと僕は理解しました。3節目では、ニューヨークからハリウッド(ジヴォン版ではウエスト・ハリウッド)に渡った主人公が一人の男と出会うことから始まります。2行目のname names は、警察などに捕まった犯人が共犯者の名を挙げるといった感じの意味の表現。work someone over は誰かを攻撃したり叩いたりするという意味ですが、good が付け加えられているので、worked me over but good と考え、こう訳しました。4行目のJesse James は西部開拓時代の悪人で、手下に命令して強盗を繰り返した男。つまり、とある男とハリウッドで出会った女が、うまいこと口車に乗せられて何か犯罪の片棒を担がされたということを暗喩していると考えます。6行目以降も難解ですが、異性にモテモテと思っていた女が、その異性にころりと騙されてしまい、こんなことなら性を変えてしまいたいという願望に憑りつかれていると理解し、このような訳にしました。Waring blender のWaring はアメリカの家電メーカーの名前で、blender は日本で言うところのジューサーミキサーです。
4節目は2節目と同じフレーズの繰り返しですが、5節目では再び意味不明なフレーズが続きます。1行目のthe Vieux Carres はジヴォン版だとthe Rainbow Bar。このthe Rainbow Bar はウエスト・ハリウッドに今も残るRainbow Bar & Grill のことだと思われるので、the Vieux Carres(フランス語で「古い一角」という意味で、アメリカでは一般的にニューオリンズにある「フレンチ・クォーター」のことを指しますが)も店の名前であると考えました。Rainbow Bar & Grill は70年代、ハリウッドで暮らす退廃的セレブたちが集うことで有名だった店です。2行目のYokohama は、その名がなぜ唐突にここに出てくるのか全く分かりません(ジヴォン版にはありませんね)。まあ、それはともあれ、今度はその店で少年と出会い、どうなったのかというのが3行目以降です。男になってみたいと思いつつも相変わらず男にモテモテなままの女は、今度はチェリーボーイの童貞卒業のお手伝いをする羽目に。あー最悪、やってられない。ってな感じでしょうか。この部分がジヴォンのオリジナルだとShe asked me if I’d beat her, She took me back to the Hyatt House, I don’t want to talk about it, hey となっています。つまり「私を痛めつけて欲しいという変態趣味の少女と出会い、ホテルの部屋へ行くが、そのあとどうなったかは話したくない(話すのも恐ろしい)」ってことなのですが、リンダはこの歌を歌わないかとジャクソン・ブラウンから薦められた際、ここの部分を聴いて「こんなのあたしには歌えない」と言って、主人公を女性に変えて歌詞を書き直したと伝えられています。その結果、もともと良く分からない歌詞が主人公の性別を変えて書き換えられ、さらによく分からなくなったという面が否めませんね。なので、上記の和訳もあくまでも僕の感性に従って訳したものなので悪しからず。
さて、最後にもう一度Yokohama の話に戻りましょう。リンダが初来日した1979年、彼女が武道館でのコンサートでこの曲を歌いYokohama の部分では日本人ファンが大歓声を上げたと伝えられていますが、とても情けない話だと僕は思っています。なぜなら、1977年の秋に在日米軍の戦闘機が横浜の住宅街に墜落し、大やけどを負った1歳と3歳の兄弟が翌日に亡くなり、同じく酷いやけどを負った母親もなんとか命は助かったものの、子供を失ったことと何度もの皮膚移植の傷みで心を病み、4年後に心的原因の呼吸困難でお亡くなりになっているからです。今ではほとんどの日本人が覚えていない(まだ、生まれてなかったという方も多いでしょうけど)この横浜で起こった惨劇、被害者の方々にとってはPoor, poor pitiful meで済むような話ではありません。この曲は事故よりも前にリリースされているので、リンダには何の責任もないし、事故ともまったく関係はありませんが(曲がリリースされたのは77年9月6日、墜落事故は9月27日)、79年に彼女が来日した際、ファンたちには「お願いだからYokohama と歌うのは止めて」と彼女に訴えて欲しかったです。あなたがこの曲をリリースした3週間後に日本の横浜で米国の戦闘機が起こした惨劇をご存知ですかと事情を話せば、米国人であり尚且つ芯のある彼女ならきっとYokohama と歌うのは止めた、もしくはコンサートでの披露曲からPoor, poor pitiful me を外したと思います。3歳の長男が亡くなった時の最後の言葉は「パパ、ママ、バイバイ」だったそうで、僕は今でもこの話を聞くたびに涙が頬を伝います。リンダがYokohama と歌うこの曲がもうこの世から消えることはありませんが、せめて、日本人がこの曲を聞いて1977年に横浜で起こった惨劇、そしてそのようなことが起こるのはそもそもなぜなのか(今もまったく状況は変わっていません)ということを考えてくれればと思い、数あるリンダのヒット曲の中からPoor, poor pitiful me を敢えて選びました。
【第40回】Layla / Eric Clapton (1970)
このコーナーで紹介する洋楽も早いもので40曲目となりました。今日はその区切りの回を記念して僕のお気に入りの曲を数多くリリースしているアーティストの一人Eric Clapton(エリック・クラプトン)の名曲Layla をご紹介しましょう(なぜ、こんなまどろっこしい表現をしているかというと、僕は人としてどうなのかと首を傾げざるを得ないエリック・クラプトンという人間は嫌いなんですが、彼の作品はどれも素晴らしいと思うからです)。エリック・クラプトンは皆さんもご存知のとおり、ジミ・ヘンドリックスやジミー・ペイジと並ぶギターの名奏者として世界中で名を馳せているアーティストであり、かつては重度の麻薬中毒者、アルコール中毒者であることでも有名でした(Cocaine なんて曲も歌ってましたね・汗)。ですが、幾度かのリハビリを通じて麻薬やアルコールと縁を切ることができたようで、1980年代後半頃からはその種の話が伝わってくることはなくなったように思います。ヘビースモーカーとしても知られていたクラプトンは煙草を吸いながら舞台に立つことも頻繁にあり、火のついた煙草をギターのヘッドの下の弦に挟んで演奏することから彼のギターヘッドにはいつも焼け焦げた跡が付いていたほどでした。見かねたギターの製造会社フェンダーが、煙草を差して立てておくことのできる小さな穴を取り付けたギターを彼の為に作ったエピソードはあまりにも有名ですね。日本ではエリック・クラプトン伝説として「ギターのピッキングが余りにも早くてその動きが残像のように見えるので、彼の奏法はスローハンドと呼ばれるようになった」というものがありますが、それは大きな誤解です。クラプトンの超絶ギター奏法を比喩する表現としては面白いと思いますけども、アニメの北斗の拳のように残像が見えるようなくらいに素早い動きを繰り返すことのできる人間などこの世にはいません(笑)。スローハンドの名はギターの奏法の一種ではなくslow handclap と呼ばれていた観客の拍手が語源となっているもので(クラプトンの奏法はボトルネック奏法もしくはスライドギターと呼ばれるそれです)、デビューしたての頃のクラプトンは演奏中にギターの弦を切ることが多く、弦を張り替える間、観客たちが早くしろとせかす皮肉を込めてゆっくりとしたテンポの拍手をしていたことから、その光景をしばしば目にしていたヤードバーズのプロデューサー兼マネージャーであったGiorgio Gomelsky が彼にSlowhand というニックネームを付けたというのがスローハンド伝説の真相。なので、スローハンドというのはクラプトンのニックネームのことなのです。ところが、なぜだか日本では上記のような逸話に変わってしまいました。恐らく、クラプトンの超絶技法の演奏が詰め込まれた同名のアルバムが1977年にリリースされたことが影響しているのでしょうね。
今回紹介するLayla という曲は1970年、当時クラプトンが参加していたDerek and the Dominos というグループがリリースしたアルバムLayla and Other Assorted Love Songs に収録されていたものですが、実のところこの曲が当初、世間から注目されることはありませんでした。曲が7分以上と長くラジオで放送するのに不向きだったからです(当時、曲をヒットさせる唯一の方法は、ラジオでヘビーローテーションしてもらうことしかなかったのです。また、リリース直後のLayla の商業的失敗はクラプトンの鬱を悪化させ、麻薬中毒が加速する原因になったとも言われています)。そこで3分以内にまとめたショートバージョンを71年にリリースしたところ、米国ビルボード社のチャートで51位に食い込み、翌年にはオリジナルのロングバージョンも10位となるヒット曲に変わりました。それを切っ掛けにこの曲の評価は不動のものとなり、今ではクラプトンの最高傑作のひとつとされています。
What will you do when you get lonely
And nobody’s waiting by your side?
You’ve been running and hiding much too long
You know it’s just your foolish pride
寂しくなった時はどうする?
君の傍には誰もいないんじゃない?
だって、君はずっと逃げ隠れし続けてきたんだもん
それが愚かなプライドのせいだって分かってるよね
Layla, you got me on my knees
Layla, begging, darling, please
Layla, darling, won’t you ease my worried mind?
レイラ、君の前にひざまずくよ
レイラ、頼むよ、愛しの君、お願いだからさ
レイラ、愛しの君、僕の恋焦がれる気持ちを和らげてくれないかい?
I tried to give you consolation
When your old man had let you down
Like a fool, I fell in love with you
You turned my whole world upside down
僕は君を慰めようとしたんだ
君の彼氏が君を傷付けた時にね
馬鹿みたいだけど、君に恋をしたのさ
君が僕の生きる世界を一変させたんだよね
Layla, you got me on my knees
Layla, I’m begging, darling, please
Layla, darling, won’t you ease my worried mind?
レイラ、君の前にひざまずくよ
レイラ、頼むよ、愛しの君、お願いだからさ
レイラ、愛しの君、僕の恋焦がれる気持ちを和らげてくれないかい?
Make the best of the situation
Before I finally go insane
Please don’t say we’ll never find a way
Or tell me all my love’s in vain
うまい具合に立ちまわってくれよ
僕がおかしくなっちまう前にさ
解決策が見つからないなんて言わないでよね
僕なんて相手にしてないって言ってくれていいんだ
Layla, you got me on my knees
Layla, I’m begging, darling, please
Layla, darling, won’t you ease my worried mind?
Layla, you got me on my knees
Layla, I’m begging, darling, please
Layla, darling, won’t you ease my worried mind?
レイラ、君の前にひざまずくよ
レイラ、頼むよ、愛しの君、お願いだからさ
レイラ、愛しの君、僕の恋焦がれる気持ちを和らげてくれないかい?
レイラ、君の前にひざまずくよ
レイラ、頼むよ、愛しの君、お願いだからさ
レイラ、愛しの君、僕の恋焦がれる気持ちを和らげてくれないかい?
*2分20秒くらいまでに歌詞は歌い終わり、そのあと7分過ぎまで楽器のブリッジが延々と続いて曲は終了します。
Layla Lyrics as written by Jim Gordon, Eric Patrick Clapton
Lyrics © Warner Chappell Music, Inc.
【解説】
7音のギターリフで始まり、そのあと、狂ったかのようなクラプトンのスライドギターの激しい音色が続くこの曲、そのメロディーラインからはあまりイメージできませんが、歌詞を見ていただければ分かるとおり、レイラという女性に恋をした男が自らの気持ちを切々と語っているラブソングです。実際、この歌詞は仕事を通じて交友関係のあったジョージ・ハリスン(あのビートルズの一員です)の妻であったPattie Boyd(パティー・ボイド)に横恋慕したクラプトンが彼女に対する気持ちを歌ったものであるというのが定説になっていて、後にハリスンと離婚したパティーはクラプトンと再婚しています(この二人も結局は離婚しましたが・汗)。とは言っても、離婚の原因はクラプトンの横恋慕にあったのではなく、その前にパティーは後にローリング・ストーンズのメンバーとなるロン・ウッドと浮気をしていたこともあって二人の関係は既に破綻していました。その所為かどうかは分かりませんがクラプトンとパティーの結婚式にはジョージ・ハリスンも笑顔で参列しています。それ以外にも、クラプトンはパティーの妹のポーラとも付き合おうとしていたようで、この曲を聞いたポーラが、これはパティーのことを歌ったものだと気付いて、彼のもとを去って行ったという話も伝わっています(←真偽のほどは不明)。っていうか、どう割り引いて考えても滅茶苦茶な男女関係ですよね。「よくそんなことができるもんだ。厚顔無恥にもほどがある」としか僕には思えませんね(笑)。
では、いつものように歌詞を見て行きましょう。クラプトンの曲の歌詞は概してシンプルで分かり易いものが多いですが、この曲もその典型で、難解な部分は皆無です。第1節目も和訳のとおり。クラプトンはwhen の発音が弱いので、ちょっと聞き取り辛いということくらいが難点でしょうか。第1節目から窺えるのは、ジョージ・ハリソンとパティーの関係がうまくいっていない状況です。第2節のyou got me on myknees は直訳すれば「君は僕をひざまずかせた」ですが、実際に男が彼女の前でひざまずいた訳ではなく、男の願望を現しています。3行目のworried mind は、恋に落ちた男のドキドキハラハラしている内心ですね。3節目も和訳のとおり。2行目はジョージ・ハリソンがロン・ウッドの妻であったクリシーを誘ってスペイン旅行へ出掛けたことを指しているのではないかと思います。4節目は第2節と同一。5節目の1行目は直訳すれば「その状況をうまく利用する」ですが、その状況とは第1節で語られていること、つまりは二人が上手くいっていないという状況のことを指しているのでしょう。2行目のgo insane はgo crazy, go madのちょっと硬い言い方です。4行目のtell me all my love’s in vain は、男の彼女を愛する気持ちは無駄である、無駄な努力であると言ってくれ、即ち「あなたなんて相手にしてないわと言ってくれ」ということです。
あぁー、なんてことでしょう!もう解説が終わってしまいましたよ!そうなんです。この曲、7分以上もの長さがあるのに、歌詞は2分ほどで歌い終え、あとはひたすら楽器演奏だけなんです(まさしくギターが鳴くという言葉が相応しい、しびれるサウンドが最後まで続きます)。因みにピアノ演奏のコーダの部分は、Layla の作詞作曲のクレジットに名を連ねているJim Gordon(Derek and the Dominos のドラマー)の手によるものですが、このJim Gordon、精神を病んで1983年に母親を殺害し、40年近く刑務所暮らしをした末の2023年、収容先のカリフォルニア州立医療刑務所で亡くなっています。クラプトンが彼と面会する為に一度でも刑務所を訪れたことがあるのかどうかは分かりませんが、恐らくないでしょうね。
続きは『洋楽の棚⑤』でお楽しみください!